<AM7:30>
7月27日。鳥人間コンテスト、本大会前日の朝。
琵琶湖、松原水泳場の搬入車用駐車スペースは、既に多くの先客が居る。昼の一番から滑空機とタイムトライアル機が機体チェックに入るので、7時30分という時間も少し遅めの到着かもしれない。
八十神学院・大渡鴉チームは、滑空機部門と人力飛行機部門の両方で参加している故、他チームと比べてもかなりの大所帯である。マイクロバス、キャンピングカー、そして搬送用トラックは滑空機用に一台。明日になれば、人力飛行機用にもう一台が別便でやって来る。初参加でこの気の入れようは、様々なチームからそれなりの注目を集めていた。
「お、マイクロバスから降りてきたな」
「なんか高校生っぽい。本当なんだな。高校生主体のチームって」
チームOceanManの幾人かが、テント設営の手を止めて大渡鴉の到着に見入った。自分達も前回からの参加であり、新しいチャレンジャーの参入はシンパシィをもって見届けたい所なのだが、それにしても大渡鴉は若いチームだった。引率者と思しき大人が二人、眠い目を擦る学生達を、声を張り上げて呼び集めている。
「女の子比率、めちゃくちゃ高くない? いいなあ」
「ばっか、お前、瀬戸さんに怒られるぞ。うちのパイロットも女性なんだから」
「『も』? あそこも女性パイロットなんか?」
「らしい。しかも外国人」
「つうか降りて来る子来る子が外国人ばっかじゃん。一体どんな学校なんだよ」
「さあなあ。国際色豊かな所なんだろうが、怖いな。才能も色とりどりって感じで」
「ところであのペンギンは何人?」
「南極人じゃないかな」
「うう。暑いわ。暑すぎる」
快晴の7月27日。朝も早くから気温は30度を突破。ご飯を食べる時も寝る時も、果ては風呂に入る時もペンギンぐるみを欠かさない山根まどかの風体は、到着直後から既にグダグダだった。
夏は山根の鬼門である。照りつける灼熱の太陽光線は、蒸れる毛皮に熱量を加える一方であり、そよぐ風の温度低下を一切拒絶する。次いでここ数日の滋賀は酷暑が続いていて、もう駄目だった。しかしながら山根としては、誇り高いペンギン皮のペンギンマスクと致しましては、脱いで中身を見せるような不躾は出来ないのである。
「ごめん。やっぱりちょっと脱いでいいですか」
「駄目です」
山根の懇願をあっさり否定し、アルフェッタ・レオーネは二回目の来訪となる琵琶湖の湖岸に長身を晒した。前回来たときは冬のさなかで、湖面に水鳥が漂う寂しい景色だったが、今は各参加チームが水泳場の砂浜に所狭しと陣を張り、行き交う人々の闊達さが実に賑々しい。
「あ、凄い。もうプラットフォームが出来てるよ!」
アルフェッタが喜色満面で指差す方角を、皆が一斉に注目した。
「…今は快晴のはずなのに、何で曇っているの?」
「実はこの写真、最終日の奴なんですよ。他にいい写真が無くて」
「しかしさすがにプラットフォームまでの道行きが長いな」
「プラットフォーム高ぇ」
「人間小せぇ」
「いよいよ始まるって感じだねぇ」
「お前ら、浮き立つ気持ちは分かるが、ちょっと集中」
パン、と拍手を打ち、風間史浪先生が思い思いに動き始めていた生徒達を一旦集結させた。葵 セノー・ミケルスと共に先生として生徒達を引率する立場は、彼等の見えない部分で苦労がある。現地に到着して、テントを設営し、機体を組み立て、フライトする、という一連の流れを支える為に行なう裏方仕事の一切を二人で担ってきたのだ。こうして生徒達を無事に勝負の場へ送り届けたという一点で、プラットフォームを見る感慨は或る意味生徒以上かもしれない。
「さて、俺達は遂にここまで来た。停止も後退も無い、ここは前進するしかない世界だ」
幾分疲労の色はあるものの、風間先生の声には張りがあった。
「俺自身は、お前らの成績如何を追うつもりはない。ここに至るまでの過程そのものが教育の一環だっていう、先生としての認識があるからな。でも、お前ら生徒達は違う。人生で早々体験できるもんじゃない、ここは真剣勝負の場なんだ。自分達が積み上げた努力を信じて、勝負を楽しめ。まずは拠点設営とランドグリズの組み立てからだ。大渡鴉の試合は既に始まっているぜ!」
応!の声が綺麗に唱和した。性格も能力も雑多な集団だが、大渡鴉は一つの目標めがけて統一された者達である。開発と訓練に費やされた約一年の期間は、結束の醸成を十二分にもたらしている。
<AM9:00>
オフィシャルで受付を済ませ、その際に指定されたテントの場所は、プラットフォームから少し離れた所にある。これはフライトの順番に沿っており、出番が早いほどプラットフォームに近くなる。機体をプラットフォームへと移動する際に滞りなく作業を行なう為だが、つまり滑空機と人力飛行機の両部門に参加している大渡鴉はどうなるのかと言えば。
「また拠点を移動せねばならんという訳か。何とも難儀な話よのう」
折角張り終えたテントを、またバラして作り直す面倒を想像し、葵先生は天を見上げて嘆息した。
テントは中型のものが、男性用と女性用の二つが設えられている。飽く迄簡易な休息と就寝のスペースであり、言うなれば雑魚寝に屋根がついたような代物だ。葵先生はキャンピングカーの手配等に尽力したが、これに泊まれるのは体調優先のパイロットとナイゲーターの4名のみ。
「実を言えば、わらわはホテルを取って寝泊りするのかと思っておったぞ」
苦笑しつつ風間先生に話を振る葵先生の顔は、実にバツが悪そうだった。鳥人間コンテストに参加するチームは、基本的に宿を取る事がない。資金面で無理が生じるのは些細な事で、むしろ機体調整で夜を徹しての作業となる方が大きな理由である。悠長に宿で寝泊りしていては、フライト本番に間に合わないという訳だ。
「されど生徒達の体調管理がネックとなろう」
「その辺りは俺らが気を配らねばならんでしょうな。尤も、それは生徒自身も留意しているはずだ」
「そういや雲母、今日の夕飯は何を作るんだ?」
「カレーライスですよ。定番でしょ、こういうの」
ゲルトルート・ベーベルが忙しい組立作業の手を止めて、持参した食材の仕分けをする神代雲母に声をかけた。取り急ぎ今日の昼食は手弁当で済ませるとして、以降の食事は全て自炊だ。調理に必要な火力と器材は、持ち込まれたキャンピングカーで何とか賄えるものの、さすがに凝ったものは作り辛い。ここは食事担当を買って出た、雲母の腕の見せ所である。
「まさか、これからずっとカレーライスって事は無いよね?」
「カレーはいいですよ。色んな野菜を煮込めて栄養バランスが取りやすい。しかし同じ献立が毎回続くのは精神衛生上よろしくないので、色々出して食事を楽しんでもらうつもりです」
言って、雲母は自転車を起こし、大き目のリュックを背負った。少し早いが、数キロ先にあるユーストアというスーパーへ買出しに行くのだ。昼以降は機体チェックに加えて夕食の調理で身動きが取れないだろう。人数分の食材を貯蔵出来る保冷機も無いので、買出しは小まめに行なう事になる。田舎道を自転車で颯爽と駆って行く雲母を見送り、ゲルトルートは少々羨ましげな顔になった。
「いいなあ。色んな所を回れて。何かあっちの方が楽しそうだ」
「そんな事あるかよ。炎天下を自転車で、帰りは荷物を満載なんだぜ。汗をかかなきゃならんのは、お互い様って事だろ」
応える相方の音羽仁壬は、言う傍から既に汗だくとなっている。組み立て自体は大渡鴉総出で行なわれており、しかも比較的小柄なランドグリズだ。刻限を軽くクリアして、ランドグリズは優美な姿をお披露目出来るだろう。
「しかし組み立てた後は、調整し難いな。パーツ毎に分かれている方が、点検もし易いのだがな」
「ああ、それは大丈夫」
ゲルトルートが得意満面で曰く。
「組んだ後は、もう一度バラす事になるから。華奢な機体なんで、組んだ状態で置いておくだけでも負荷がかかってしまう」
「つまりまた明日組み立てなきゃならんって事か?」
「うん。今日のはオフィシャル向けに機体チェックする為の組み立てだし」
「マジで?」
「マジで」
<AM10:30>
シンシア・スタッフォードの仕事はパイロットのコンディションケアである。オフィシャルの側で健康診断が明日の朝に行なわれるのだが、それまでに体調を崩す等という失態は絶対に避けねばならない。非常に稀な事例だが、健康診断でフライトが危険であると判断された場合は、搭乗失格となる場合もある。パイロット自身が体調に注意を払うのは義務であるし、また第三者が健康を管理するのも重要となる。
「言わばあなた方は、人力飛行機における最も高価な部品ですからね」
手早く血圧測定器を矢上ひめ子の二の腕に縛りながら、悠々とシンシアが述べた。
「あたし、ナビゲーターなんだけど、パイロット並の扱いは必要なの?」
「何を言うんです。あなた御自身、ナビゲーターがどれだけ重要なファクターか御存知なんでしょう?」
それは言われなくとも矢上は認識している。確かにレイヴンスⅡに出力を送り込んで操作するのは、二人のパイロットが担う仕事だ。しかしながら、狭い風防の中からは視界が極度に制限される。機体の進路や方角は数値頼りになってしまい、状況を客観視する事が困難となるだろう。モーターボートで随走するナビゲーターだけが、状況を外から確認出来るのは大きい。実質的に機体をコントロールするナビゲーターという役割を、如何に上手く活用出来るかが強豪とその他を分ける境目になる。
「私は自分が出来る限りの事をしますわ」
ポンプで腕帯を引き締めつつ、シンシアの曰く。
「人間という一番デリケートな部品を、最高の状態に調整する。実機を見るのと同じ位大事な仕事です。これだけやって、もしあなたがお腹でも下そうものなら」
「ものなら?」
「大、爆、笑」
多分喧嘩になるんだろうなぁと思っていたら、案の定喧嘩を開始した二人に巻き込まれぬよう、神代神楽はそそくさと組立作業が続く仲間の元へと小走りに駆けた。
「ま、喧嘩するほど仲が良いって言うけどね」
「いや、本当に仲が悪いんじゃねえか? 理由が、まあ、アレだし」
相変わらず抑揚の無い声で、双月響が神楽に応える。主翼を支えたまま小一時間動いておらず、湿気と陽気で朝から息苦しい水泳場で、双月の根性も大したものだった。神楽が少し離れて、同じく桁を両手で抱え、幾分負担を軽くしてやる。
「手伝うのはいいけど、筋肉に負担の掛かる事はしない方がいい」
「それが結構大丈夫なんだぜ。雲母の作った携帯食が、どうも思った以上に効いている。あれ、何て言う食い物だっけか」
「航空元気食でしょ。そのまんまのネーミングセンスだけど、確かに良く効くわ」
航空元気食とは、調理担当雲母特製の忍者食である。素材は、恐らくイモリだかヤモリだかが使われている以外は秘密。一日一食、約1ヶ月程継続して食すると、滋養強壮、疲労回復、夏バテ等に絶大な効果があり、現にこれを最初に試食した神代風霞は、
「他にする事は無いの!? さあ、早く私に大量の仕事を与えて頂戴!」
等と未だやたらに元気が良く、神楽としてもゲンナリだ。普通なら、こんな暑い盛りの折は、猫の如く一番涼しい場所を求めてさ迷うはずだ。
「それって、ドーピングに近いんじゃありませんか?」
シャーリー・エルウィングが少々心配げに声をかけてきた。先程から組み立ての各々に、甲斐甲斐しくお茶を配り回っている。シャーリーはシンシアとは異なるベクトルでスタッフ全員のコンディションケアを考えており、それは如何に快適な環境を整えられるかというメンタル面に比重を置いたものだ。
「いや、あの子はそういう化学物質は嫌う方だから」
「これも訓練の一環だと思う。俺達は不正の絡む事は一切やってねえ」
それはそうですね、と呟いて、シャーリーはお茶の入った紙コップを二人に手渡した。
「あ、美味しい」
「いい香りだな。何て言うお茶なんだ?」
「ローズマリーです。ミントとハイビスカスをブレンドしています。集中力が高まって、落ち着く事が出来ますよ。そして何時も通りの状態で、何時も通りの力を発揮出来ればいいんです。そうすれば、私達に結果の方がついてきます」
自信に満ちた台詞を淀みなく口に出来る自分が、シャーリー自身にも意外であったし、また嬉しくもある。積み上げてきた一年間の成果を発揮する、短い3日間の始まりを前にして、この心構えは良い兆候なのだろうとも。
「始まるんですね。これから、私達」
シャーリーの声音は、幾分の寂しさもあった。
シンシアから託されたデジカムを手に、手合芥は藤倉辰巳と水泳場の各チームを撮影して回っている。来年度も活動を継続する大渡鴉の為に、本大会のデータを記録しておくのが二人の仕事だ。当初、ビデオで相手チームを撮影するのはまずいのではないかと危惧したものだが、何のことは無い、他のチームもやっていた。よって大手を振って、よりどりみどりの飛行機達を撮影出来るという次第である。次いで言えば、早くも観光客が砂浜に入り込んで記念撮影などをやっていた。
「いや、正直、組み立てをする砂浜に、関係者以外も立ち入り自由とは驚きですね」
向かいから歩いてくる人達を避けながら、手合はデジカムを回し続ける。
「いや全く。他所の機体を壊したらどうなる事かと思うと、歩くのだって緊張しますね」
「その割には、何か普通に泳いでいる人も居ますね。親子連れ」
「まさか、本戦でも水泳客が居たりして」
「はは、まさか」
そのまさか。鳥人間コンテストが松原「水泳場」で行なわれている都合上、大会の様子を見ながら普通に泳いでいる人は確かに居るのだ。全国区でTV放送までされる規模の割には、実にセキュリティ面で牧歌的な大会である。余談ながら、実際観に行った私が一番驚いた所です。
不図、二人は足を止めた。砂浜の一区画、テントの傍に掲げられたチームの名は、みたか+もばらアドベンチャーグループ。
「今年も滑空機最強チームのお出ましか…」
「残念ながら、ライバルと呼ぶ事は出来ませんね」
それは藤倉の言う通りで、そもそも大渡鴉はフォーミュラクラスという一回り小柄な機体で参加している為、大型機でエントリーする「みたか+もばら」とは勝負する次元が異なる。しかし同時に、自分達が大型機で最初から開発を進めて行けば、このチームと五分にやりあえたのだろうか、とも疑問に思う。このチームの強さは成熟した機体も然る事ながら、一際抜きん出たパイロットの技量にある。長年積み上げた経験と実績は、どうやっても真似の出来る代物ではない。
「でも何れ勝つんですけどね」
「根拠の無い自信も偶には素敵ですよね」
「君達、もしかして大渡鴉さん?」
手合と藤倉がマンガの如く飛び上がった傍で、何時の間にか中年の男性が立っていた。Tシャツのロゴを見れば分かる。「みたか+もばら」のスタッフだ。
「何故、私達が大渡鴉の人間だと?」
「だってシャツの胸の所に書いてあるもの」
此度、大渡鴉も他所に負けじと、揃いのTシャツが風間先生から供されていた。胸に荒々しく大渡鴉が大書されている、男気溢れる代物だ。
「実は君達の組んでいる機体を見に行ったんだよ。いいね。とても美しい滑空機だと思う」
男性は遠目にランドグリズを眺め、感心したように頷いた。
ランドグリズはもうすぐ組み上げが終わる。その可憐なフォルムが完成するまで後少しだった。平面楕円の主翼とシャープなフレーム。特徴的なV字尾翼。突貫作業で作られたにしては、余りにも良い出来だ。
「美しい飛行機は、よく飛ぶもんだ。あの滑空機はきっと期待に応えてくれる。後はパイロットの腕前如何だね」
「いや、うちのパイロットは凄腕ですよ。あなたの所と渡り合えるくらいに」
藤倉が珍しく、挑発的に物を言う。アメリア・リンドバーグという天才肌のパイロットがランドグリズ以上の切り札であるとは、大渡鴉の総意でもある。
「そいつは手強いな。うちも余裕のある事は言ってられないか。初参加でも、その意気で頑張って!」
手合と藤倉の肩を叩き、男性は自機のコクピット調整をすべく戻っていった。
後にデジカムを再生した際、映っていた当の男性が「みたか+もばら」の大木パイロットであったと気付き、二人は引っ繰り返る羽目になる。
<AM11:15>
ぎえええ、と青空つばめの悲鳴がオフィシャルのテントに轟く。
色んな所で自腹を切って、懐具合が相当に寂しくなった風間先生を助けるべく、青空は『カチワリを売って小銭を稼ぐ』というアイデアを思いついていた。氷は東京の美味しい水道水を、しかも学院の水道を使って作った、実質無料の代物だ。しかしこれを運ぶにも夏場の保冷対策で四苦八苦したり、ビニール袋を仕入れてみたりと、かなりの労苦を強いられている。それが念の為、オフィシャルに問い合わせてみれば返事は「NO」。トリコンは所謂テキヤへの規制が非常に厳しい。搬入車の邪魔や無用のトラブルを避ける為だ。だから出店と言えば地元の商店が小さくカキ氷を出す程度で、それ以外は一切シャットアウトされている。実際、観客は自動販売機で飲み物を買うくらいが関の山である。
「とほほやでほんま。まさか何もせんうちから駄目出しを食らうとはなあ」
「あたしの売り子はどうなるの? ねえ、あたしの売り子はどうなるの!?」
「ええい、やかましっ。取り敢えず最初から対策の練り直しじゃあ!」
縋り付くアメリアをえいやと押しのけ、青空は炉端にどっかと座り込んで腕を組んだ。水泳場に入る三叉路に程近いこの場所は、日光を遮るものが何も無く、明日もこんな日ならカチワリはさぞ売れただろう。アメリアもタンクトップで売り子をやります等と健気な心意気であったのに、実に惜しい事だ。
「すまんなあ、風間先生。このままやと先生の財布を、一円まで食らいつくしそうや」
風間が聞けば憤死しそうな呟きと共に、青空は大きくため息を吐いた。ともあれ資金面で風間を助けてやりたいのは青空の本心でもある。
(神様、お助けを。このままやと風間先生が、寂しい老後を迎える事になりそうです)
洒落にならない悲嘆と共に、取り敢えず青空は神頼み等をやってみた。そして効果はてきめんに現れる。これがご都合主義というものだ。
「あんた達、お困りのようやね」
「あっ。そう言うあなたは、カキ氷を出してはる小さな商店のおかみはん」
「その、何とか先生を助けたいゆう気持ちは、おばちゃん、よう分かったんよ。うちの店で、カキ氷と一緒にカチワリを売り出しんさい」
青空とアメリアが顔を見合わせる。売り子のように練り歩く事は出来ないが、何しろ唯一のカキ氷販売店。毎年飛ぶように売れる人気スポットならば、相乗効果でカチワリの売り上げも期待出来る。これがご都合主義というものだ。
「ありがとう、オバサン! あたし、一生懸命売り子をやるよ!」
「ええ心掛けやわ、異人さん。その調子でカキ氷も沢山売りんさいね」
うっ、と青空が唸る。おかみの瞳に妖しい光が宿るのを、青空は見過ごさなかった。オバハン、タダでバイトを雇う気か。さすがに近江商人、優しく追い詰める商売が上手い。そんな青空の躊躇を察してか、オバハンはとどめの一撃を口にした。
「今ならお嬢ちゃん方二人分、カキ氷が食べ放題」
「乗ったで、おかみはん」
<PM12:15>
ぎえええ、とリコ・ロドリゲス・ハナムラの悲鳴がオフィシャルのテントに轟く。
リコは自他共に認める、大渡鴉の応援団長だ。豊富なアイデアと勢いで、一番熱を入れて作戦を練ってきた彼女の思い入れを、しかしオフィシャルは「NO」の一語であっさりと弾き返したのだった。
「駄目だあ。水着は駄目出しが出ちまったあ」
大渡鴉の陣地に転がり込むや、失望余って、リコはばてた。
リコのプランは応援参加者との協議の上、以下の通りになっていた。
まず、初日は全員がカラスっぽい生物の着ぐるみでチアダンスを踊る。これは割合、何処のチームでもやりそうで、至って普通。本番は二日目。ダンスが終了としたと同時、着ぐるみの中から水着姿の女子一同(内男子数人)が飛び出し、全員で揃いのポーズを決めるのだ。水着姿の爽やかお色気路線でサポーター賞をゲット!という目論見は肝心の「水着姿」でダウトを貰った訳だ。
「鳥人間コンテストの意義に水着姿はそぐわないんだってさあ」
リコはビニールシートをごろごろと転げ回って、色々と駄目になっていた。風間先生は肩を竦めて、リコの傍らにしゃがみ込む。
「まあ、俺は何となく嫌な予感がしてたんだよ。幾ら健康的でも、10代の女の子が肌を晒すのは、不健全に受け取られかねん。取り敢えず、水着の上から何かを着るのはOKって承諾は貰っといたから」
ピタリとリコの動きが止まって、しかし深々と体が沈み込んだ。水着の上から服を着てしまっては、それは単に下着の代わりに水着を着ているだけだ。
「こんな事もあろうかと!」
誰かと思えば、大鳥雷華がずいと前に踏み出した。手に提げた紙袋から彼女が取り出したのは、空色の何やら上下らしい。
「安心して下さい。きちんとソレ対策の衣装を用意しました。空色ホットパンツと空色タンクトップです。これならば条件をクリアした上で、フーターズ的お色気も披露出来るという訳です」
「大鳥…」
風間が頭を抱えつつ間に入る。
「多分、そのタンクトップも駄目出しが出るぜ。つうかこんな小せえの、どっから見つけてくるんだお前。ホットパンツのみ採用。上はこれ、このTシャツで行く」
言って風間が掲げたTシャツは、胸に荒々しく大渡鴉が大書されている、男気溢れる代物だ。と言うよりそれは今、既に全員が揃いで着ている。最早水着案の「み」の字も無い。
「よしっ、諦めた!」
パンと手を打って、リコは立ち上がった。逡巡は綺麗に捨て去って、早くも頭が切り替わる。ともかくダンスの練習を一度合わせねばならない。応援団参加者は水着に着替えるべく、男女別のテントへと散った。そして10分後。
「リコ、お前、確かにそりゃあ駄目出しが出るわ」
脱力する風間先生の視線の先で、リコは大変な事になっていた。
褐色の肌に豹柄のワンピースは良いセンスだが、リコのそれはバストからショーツに繋がるセンターラインがバッサリ布地を切り取られ、アンダーバストからウェストの大部分が完全に露出している。しかしながら水着そのものよりも、問題は彼女のボディラインだった。
「お前の体はベネズエラか。水着の方が完全に負けてんじゃねえか」
「先生、訳の分からない事言ってんじゃないよ。さあさあ恥ずかしがってないで、水着さんいらっしゃい!」
リコの呼びかけに応じ、水着姿の女子一同(内男子数人)がぞろぞろと現れた。以下、箇条書き。
・アルフェッタ:真紅のビキニ。
・シャーリー:白いAラインワンピース。
・大鳥:空色ツーピース、セパレート。
・ゲルトルート:黒のセパレート。一張羅。
・風霞:ワンピース。青のストライプ。
・百々目:競泳用スイムウェア。
・燕子花:セーラー服の下にスクール水着。
・山根:ペンギンカラーのビキニ。マスクはつけたまま。
・音羽:妖艶くノ一。
・赤城:ファウレッドスーツ。
・水城:普通にTシャツと学校ジャージの下。
「さて、この中で仲間外れは下から数えて4人です!」
ピッと指差し、リコは当然のように山根、音羽、赤城烈人、水城・アースグリム・臨を槍玉に挙げた。
「てめえ、リコ先輩、男が仲間外れってんなら燕子花も加えるべきだろうが!」
「いえ、あの、わたし女なんだけど」
同じく当然のように音羽が猛抗議。山根の言い分は何となく脇に置かれてしまった。
「あの子は巧妙にちんこを隠してるからOKなんだよっ。女性PLさん御免なさい。それはともかく、音羽! そこまで女装しながら水着にならないたァどういう事だいっ!」
「さすがにオレの忍術でもちんこは隠し切れなくてなあッ! 女性PLさん御免なさい。それに出すばかりが艶じゃねえ。醸し出る怠惰な疲労感は、むしろ着衣をしてこそ際立つのよ?」
そう言いつつしなを作ってみせる音羽の姿は、確かに女そのものになりきっているのだが。
「音羽のは爽やかさと正逆じゃないか、全くもう。で、何故にペンギンマスクを仲間外れにしたかと言えば、アンタ顔だけ隠すのは一体どういうつもりですか?」
「隠してなどいないわ。今は言わば首から下の羽毛を取っている状態であり、元々わたしの顔はコレ」
「剥く」
「あ、駄目。そんな、顔まで剥かれたら、皇帝ペンギンだって単なる皇帝になってしまいます。それを言うならあの人なんて、顔から胴から足から全身マスクでありますよ?」
今にもマスクを剥かれんとするのを必死に抗し、山根はツイツイと全身赤スーツを指し示した。
「正義の炎に身を焦がし、たぎる血潮を勇気に変えて、悪を砕くは漢の魂! 勇者、ファウレッド! ここに見ッ参ッ!」
湖面に向かって拳を繰り出す格好いいポーズを赤城が取り、それを合図にその場の全員が硬直した。赤城のは、最早ベクトルが異なるというレベルではない。
「アンタ、もうそれでいいや」
「って、もっと突っ込めよ! 突っ込み甲斐があるだろう俺の立ち姿は! ファウブラックも何か言ってやれ!」
大鳥がビクリと肩を震わし、こそこそとシャーリーの後ろに隠れた。
しかし考えてみれば、ファウレッドは観客の子供達にアピールするには良いかもしれない。本人も「松原水泳場で僕と握手!」と、非常に乗り気である。八十神限定ローカルヒーローが遂に全国区へ進出するのだから、ファウレッドの意気込みは然もありなん。子供達は何のヒーローだかさっぱり分からないだろうが。
ともあれ、これで良い。元々バラバラだった輪楔者達が、一つの目標に向かって集うのが大渡鴉というチームである。この応援は、そんな彼らの姿を或る意味象徴しているのかもしれない。多少無理のある理屈だが、リコはかように納得した。
「ま、こんな感じで一丁やってみるか。さあて、時間はあんまり無いよ! みんなでダンスの振り付けでも合わせてみるか」
「すまん。誰か一人忘れていると思うのだが」
「アンタは普通だから、特にコメント無し」
こうして本番に向けて応援の特訓が開始されるのだが、肝心の7月29日に想定外の展開が待ち受けている事を、今の大渡鴉は知る由も無い。
<PM14:30>
既にオフィシャルによる機体のチェック作業は開始している。
大渡鴉のチェックもしばらく後に行なわれるはずだが、立合いは開発陣の数名が居れば良い話で、18時から行なわれる選手ミーティングと安全講習会までの時間は、一応のフリータイムとなった。
「葵先生、周辺偵察を完了しました」
直立不動で葵先生に敬礼を寄越すのは、藤林源治と百々目葵。共に先生からミッションを託され、それをやり遂げてきたという次第。
「うむ。都合の良い風呂場を発見できたという訳じゃな?」
「はい。松原水泳場の南端に、彦根簡易保険保養センターというのがあります。ここからでも見えるあの建物がそうです」
葵先生の目的はソレだった。これから3日間を風呂無しで過ごすのは、体調、精神衛生の観点から見てもよろしくない。先生として、生徒達を健康に八十神へ送り返すのは、自らに課せられた義務だと葵先生は認識している。一日の汗を洗い流せる風呂があれば、皆もさぞ喜ぶだろう。
「大浴場は午前11時~午後9時まで。ただし受付は午後8時までとなっております」
「成る程。講習会は一時間程で終わるであろうから、何とか間に合うな。多少時間を過ぎても、先に予約をしておけばよかろう」
「料金は一名800円也。バスタオルはありませんので持参が必要です」
「800円か。高いな」
「昨日だったら26(ふろ)の日で半額だったんですけどね」
「しかしながら泉質は低張性弱アルカリ性低温泉であります。疲労回復と関節痛に効果ありです。私達には的を射た温泉かと」
「しかも最上階展望風呂。正直眺めは、最高です」
「詳しいな。見てきたのか?」
「いいお湯でした」
よくよく見れば、百々目の髪がしっとりと濡れている。やけに二人の肌艶が良いと思ったら、そういう事だった。自分達だけひと風呂浴びて、いい思いをしてきたというのかこいつらは。
所変わって、どういう訳か竹生島である。彦根港から観光船のオーミマリンに搭乗し、船に揺られて40分。往復船賃は3300円。おまけに宝厳寺への拝観料は別途400円。正直、高い。
双月、神楽、矢上、アメリアのパイロットチームはシンシアと燕子花満月に連れられて、遥々竹生島までやって来た。午後6時からオフィシャルの講習会に出席せねばならないので、滞在時間は少ないものだ。こうまでして竹生島にやって来たのは他でもない。必勝祈願をする為だ。
「祈願ねえ。頼る詰まりは神頼みって事かな」
「それもいい。万事を尽くして天運を待つってのも」
神楽は燕子花、双月の三人で、境内をゆっくり歩き回っていた。他三人は、既に先へ行っている。険しい階段が続く道行にも関らず、彼らの元気は底無しだった。
「アメリアはともかく、シンシアと矢上の張り合う姿が目に浮かぶようだが」
「ちょっと待って。少し休憩を入れさせて」
既に息が上がり気味の燕子花が、境内の階段にぺたりと座り込んだ。
「二人とも、全然息が切れてないね」
「航空元気食を食べているからな」
「航空元気食のお陰かしらね」
場所は島の頂上に程近く、其処から琵琶湖東岸の連なる様が眺められる。しかし彼らが拠点とする松原水泳場は肉眼視出来ない。本戦で大記録を出すチームは、あの水泳場からここまでを往復しようというのだから、そのフライトは驚異的なものだと竹生島まで来れば理解出来る。
「ここには宝厳寺の他にも都久夫須麻神社というのがあってね」
ペットボトルのお茶を飲み下しながら、燕子花の曰く。
「主祭神の一柱が竜神様なんだよ」
「あ、そうか。竜神様って」
「そう。水と風の神様」
「風か。良いご利益があるかもな」
「ぼくは竜神様に祈りを奉げたいな。大会が安全に終わりますように。良い風がぼくらに吹きますように」
燕子花は巫女王の運命持ちである。だから小さな彼の願いは、竹生島の竜神が聞き届けてくれるのかもしれない。
ちなみに当の竜神拝所では、既に前を行く三人が到着していたりする。
「土器投げって何?」
キョトンとした顔で、アメリアが矢上に問うた。
「ああ、これはね、秘めたる願い事をこの皿に書いて、上手く鳥居の真ん中を通せば、願い事が成就するって奴よ」
「へえ、面白そう。あたし、やってみる!」
「…秘めたる願い事?」
アメリアが無邪気にランドグリズ好成績祈願を書く傍らで、シンシアの瞳に鋭い光が射し込むのを矢上は見逃さなかった。慌てて二人は皿が互いに見えないように文字を書き、我先にと鳥居めがけて手裏剣よろしく投げて行く。三人の結果は、敢えて書くまい。
<PM16:30>
藤倉の思惑通り、大会中の風向き、風力のデータは逐一オフィシャルから提供してもらえる事になった。尤も、他のチームでも技術力のある所は以前から採用しているとの事だったが。
藤倉は機体チェックを問題なくクリアした大渡鴉の陣地に戻り、水城と風霞を交えて円座を組んだ。何れも風を如何にチームのデータとして活用出来るかを考えていた者達だ。
「そう言えば、大会中に大画面で風力や風向きを表示しているんですよね。ただ、これを一歩先んじて、こちらは風力と向きの予想を弾き出し、矢上さんに携帯で知らせようと思います」
「予想かあ。私の範疇が役に立つかどうか」
風霞が腕を組んで空を見上げた。彼女の運命、オルトルートの天眼通は広範囲の状況を知覚する事が出来る。これによって人力飛行機が行く先の風の状況を知ろうというのだが、風霞の能力では「見る」事が出来ても「感触」まで捉える事は出来ない。
「波を見ればいいと思いますよ。琵琶湖の風は複雑怪奇で、白波の動きがダイレクトに状況を教えてくれるはずです。オフィシャルのデータは細かい所までは伝えられませんから、風霞さんの報告はとても参考になるはずです」
「じゃあ、俺は専らランドグリズの担当かな」
「カスパールの先読み、でしたっけ」
水城が挙手に藤倉が応じる。
「そうだ。指定対象をランドグリズとして、その15秒後に起こる危険を察知する。嫌な話だがランドグリズが落ちる未来を見る事が出来れば、それをアメリアに伝えて対処をしてもらえるかもしれない」
「一つ言わせてもらえれば、落ち方如何によりますね。突風があったりとか、何らかのアクシデントが発生した時に、水城さんの力は役に立つと思います」
「使い所が難しいわね。果たして何が原因で落ちるのかって部分まで伝えなければならないなんて」
「其処はカスパールの悩みの種さ。危険に一番対処出来るのは危険対象なんだから、アメリアの能力を信じるしかない。結局それは大渡鴉全体に言える事で、俺らは自分達が作った機体と、送り出すパイロットを信じるしかないのさ」
「ですね。それでも出来る限りのサポートは、私達でやってみましょう。さあ、そろそろ散らばっている皆さんを呼び集めましょうか。6時からオフィシャルのミーティングが始まりますからね」
<PM19:30>
初日出場選手のミーティングと安全講習会が終わったのは、結局開始から1時間半の後だった。他所の様々なチームと交流を持つ事が出来て、大渡鴉としては意義深い時間である。
これでようやく、彼らは遅めの夕食を取れる訳だ。本日の献立は雲母特製カレーライス。緑黄色野菜が豊富。栄養バランスは最高。
「そして使っている肉はチキンかぁ」
寸胴を覗き込みつつ、酷く残念そうに藤林が呟いた。
「牛肉は駄目だったんですか?」
「駄目です。そんな贅沢はおれ達には許されないのです」
けんもほろろに雲母が切り返し、早速盛り付けに取り掛かろうとしたその時。
「皆の者、わらわに注目。葵先生に注目するのじゃ」
拍手を打ちながら、葵先生が全員の耳目を集める。
「何分腹が減っておるのは重々承知の上なのだが、健康管理上おぬしらも入浴せねばならん。ほれ、あそこに簡保の保養センターが見えるだろう。まずは風間先生引率で男子、その後わらわの引率で女子と分かれ、十分汗を流してくるが良い。代金はわらわが払っておいたから、受付で『大渡鴉どえーす』と言えばOKじゃ」
「…『どえーす』と言わなければならないんですか?」
「わらわに身銭を切らせたのだから、その位はしてもらう」
「しかし、おれは夕食の支度があるんですが」
雲母が杓子を片手に、手持ち無沙汰で葵先生に問う。返して先生は、労わるように雲母の肩を叩いた。
「飯回りの準備、ご苦労であった。そなたは気にせず湯に浸かるがよい。給仕全般は藤林、お前やれ」
「嘘」
「本当。とっとと自分達だけ風呂に入って、いい思いをした報いじゃ」
「という事は私、百々目こと葵も下僕の役ですか?」
「当たり前田のクラッカー」
確かに宿の最上階は展望風呂になっており、藤林が言っていたように中々の眺めだった。暗くなった松原水泳場の全体が見渡せ、各チームの陣地が手に取るように分かる。
「うおおおおっ、燃えてきたあっ!」
ゴゴゴと拳を突き上げて、赤城は洗い場の鏡面に向かい気合のポーズを、何かそれらしいポーズを手際よく2つ、3つと決めてみせた。
「良い子の期待に応えて来たぞ! みんなの味方、ファウレッド! ここに参ッ上ッ!」
「あのさ、赤城、盛り上がっている所を申し訳ないが」
湯船の中から風間先生が、実に抑揚の無い声をかけてきた。
「他にもお客さんが居るんだから。応援の練習は分かるが、もうお開きにした方がいいよ。な?」
「あ、どうもすみません」
体も十分洗ったので、赤城はいそいそと湯船に浸かった。風呂は温泉で少しぬるみがあり、肌に擦り付けると本当にスベスベになる。湯加減も良い按配で、東京から滋賀までの車中泊と、今日の作業の疲れを癒すには十分だ。
「うおー、生き返るぜ。出来ればこのまま意識を失いたい。死んじゃうけど」
「赤城ってさ、普段は割りと普通のテンションなんだな」
湯船で窒息せんばかりに沈み込む赤城を、水城が面白そうに眺める。
「当たり前だ。年がら年中ファウレッドじゃ、俺の心臓が発作を起こすわ。しかし、応援については完全燃焼で行くぜ。それこそブッ倒れてもいいくらいの心構えでな。その為にファウレッドスーツを徹夜で自作したんだ」
「徹夜か」
「昼は寝たけどね」
「意味あるのかそれ」
「そう言や、水城だったか? 俺と一字違いで面白いな。しかし惜しい。ファウレッドとファウブルーでコンビを組めるのに、ファウブルーは先客ありだ。だから君には記念にファウビワコの名を進呈しよう」
「要りません」
「おお、ファウビワコ、アレを見ろ」
「聞いてないな」
赤城が指差した先ではプラットフォームが、備え付けられた電飾のライトアップで着飾ろうと、ゆっくり点灯する様が見えた。
「あ、綺麗」
アメリアはスプーンを口に運ぶ手を止め、湖面に浮かび上がる可憐な電光を、立ち上がって見詰めた。他の女子一同も手を止め、ちょっと現実離れした美しさに心を奪われる。明日から始まる真剣勝負の舞台にも関わらず、夜のプラットフォームの姿は飽く迄優しい。
「あたし、あそこから空を飛ぶんだ」
そう口にすると、アメリアの細い背中に震えが走る。武者震い、という事もない。ただただ、感慨がもたらす衝動めいたものなのだろう。
「そうだ、藤林くん! あのプラットフォームをデジカメで撮って!」
「はいはい、御主人様の仰せのままに」
過ぎてゆくこの時間は、もう戻る事は無い。しかし、確かに自分達がその場に居たという証を、切り取って思い出にする事は出来る。アメリアらしい思い付きだと、藤林は内心微笑んで、デジカメのレンズをプラットフォームに向けた。
そして写真は、大失敗であった。
※おまけ
初日に熱でダウンする直前、自分でも何故こんなものを撮ったのかさっぱり思い出せない写真。
胸ポケット。ボールペンとタバコ。何これ。
<7月28日へ続く>
最終回:7月27日:『前夜祭』