公界往来実践塾・開発行動

 

<作業に入ります前に>

「いいですね。とてもいいと思いますよ!」

 神代神楽はコクピットパートのチェックに余念が無い烏丸弥生に、一つの提案を問うていた。全員からの寄せ書きである。レイヴンスⅡは二人のパイロットしか乗る事が出来ないとは言え、開発陣を含めた大渡鴉全員の作品だ。ならば皆からの思いの丈と共に、晴れがましい本戦の空を飛びたい。如何にも優しい女の子のアイデアだった。チーム中最強の筋肉を纏ってはいるが。

 対して烏丸の返事は、一も二もなく大賛成。

「寄せ書きかあ。いいな。青春だな。ところで寄せ書きの起源って、百姓一揆の傘連判状が由来なんですかね?」

          例えばこんなやつ → http://www3.ocn.ne.jp/~gujo/word5/karakasa.html

「あんた普段からどんなページを見てんのよ。それはともかく、良しとなったら早速どこに書くか考えなくちゃ。パイロットが着るシャツとか、主翼もいいかな」

「それはもう主翼です」

 即答。

「主翼に書く事で、レイヴンスⅡにみんなの飛行機魂が込められるのですよ! 私、みんなと一緒に空を飛びたい!」

「はいはい、分かった、分かりました。それじゃあ、主翼って事で決定ね。雲母、寄せ書きを書く余地はある?」

 神楽は主翼担当の弟、神代雲母に話題を振った。作業の手を休め、雲母が主翼の裏面をチェックする。

「大丈夫でしょう。だって片翼だけでも17m以上あるんですから。馬鹿みたいにでっかく名前を書けますよ」

「いや、そういうのはダウトだから。出来ればコクピットの近くにあって、しんどい時に見上げられるようなのがいいかな」

「じゃあ、勇気付けられる言葉がいいですね。『琵琶湖で早速水泳?』とか」

「風霞あたりが本当にやりそうだから、冗談でもそういう事は言わないで」

 という訳で、主翼への寄せ書きは決定の運びとなりました。アクトページに寄せ書きの項がありますので、奮ってお書き込み下さいませ。

 

<主翼:神代雲母 リコ・ロドリゲス・ハナムラ>

「けっ。さすがは雲母。水泳ネタを先に取られちまったわ」

「そこまで素直に人を応援しないのは、トラウマからくる強迫観念なのかい?」

 主翼のパートは雲母による計画の下、リコが補強、風霞が左右の翼の再チェックという分担で、突貫作業が行なわれている。我の強い二人の女を向こうに回し、年下の雲母は坊や扱いなのかと言えば、そうでもない。リコには自分の役回りを弁えた沈着さがあり、風霞は風霞で意外に身の程を知っている。主翼は決着が見え始めたとは言え、この時期まで作業が残る重要パートである。成り行き上、真剣に事を構える姿勢になるのだろう。

「ワイヤーといえば、バーブ・ワイヤーって映画、知ってる? 日本のサブタイトルが『ブロンド美女戦記』。もう、これだけで日曜洋画劇場御用達」

「ごめん。そのクソの役にも立たない薀蓄は聞き飽きた」

 口を開けばこんな按配ではあったが。

 新聞紙を敷き詰めた廊下に仮組みした主翼が威圧的に並ぶ手前、リコは補強ワイヤーを本番さながらに張り巡らせていた。主翼への加工そのものには、これまでも多くの手入れが為されてきたのだが、それを外側から補強する部材については、あまり顧みられていなかったファクターでもある。

「実際に飛ぶとなると、ワイヤー自体が切断されるなんて事はあんまり無いんだよね。問題はワイヤーと機体を接続する部位。こいつに過度の力がかかると、接続が甘ければ当該箇所が弾け飛ぶ。結果、翼が風力に耐え切れなくなって崩落する」

「へえ。じゃあ、その接続にひと工夫を加えたって事?」

「まあね。例えばヒル釘みたいのを翼に打ち込んでワイヤーに引っ掛けるようなのは、工作が簡単だけどヤワいだろ? 局所的に負荷がかかり続けると、幾ら頑丈に接着しても無理はくるさね。よって考え出したのがコレ」

 言って、リコは風霞に一つの部品を放り投げた。手に取ったそれは、小さな滑車だった。それも滑車に通したワイヤーが外れないように、球状のカバーが施してある。

「そいつでつるべ式にワイヤーを張り巡らせンのさ。つまり各補強部位が独立してワイヤーを張ってあるんじゃなく、主翼を滑車で一周させるようにする。これで荷重の負担は、一箇所だけじゃなく全体に散らばるようにするんだよ。課題は一人で頑張るより、みんなでこなした方が負担も軽いってね」

「ああ、そう言えば昔夏休みの宿題を、嫌がる家族全員に手伝わせた事があるわ」

「まあ、そんなもん。本当はそんなもんとか言いたかないけどさ。ま、これもいい事ばかりじゃない。片翼に上からの風圧がかかって沈み込むと、この繋ぎ方だともう片方が浮き上がる。つまり、主翼全体が旋回行動を取ってしまう」

「駄目じゃん」

「駄目じゃねーの。言い換えればそんだけ風に乗り易いんだからさ。上手く操作すれば、風を読んで飛距離だって伸ばせるよ」

「活かすも殺すもパイロット次第って訳ね。博打だなあ」

「大丈夫さ。双月ならやれる。あいつならレイヴンスⅡを存分に操ってくれる」

 と、主翼の点検をしていた雲母が、スクと立ち上がった。細部を集中して吟味したのだろう。額に玉の汗が浮かんでいる。

「寸法の測定、全てを確認しました。完璧に左右両対称です。これで風圧に対するリスクは大幅に減りました」

「それじゃあ」

「はい、主翼は完成です。皆さん、お疲れ様でした」

 三人揃って安堵の息。人力飛行機の最大面積にして最大の華、主翼のパートは以上をもって完成した。全長35mの翼は頑強でありながら柔軟性を併せ持ち、旋回機能の担い手としても十分以上の能力を持っている。さすがに重量は大幅に増えているのだが、翼を支える補強も数十のポイントで行なわれており、安定性は極めて高い。この翼なら、どのチーム相手でも戦える。今、そう確信しているのは雲母とリコ、風霞の三人だけだが、何れ本戦になれば実証されるだろう。

 やおら風霞は、ポケットから数粒の玉を取り出した。

「何ですかそれは」

「かんしゃく玉。ほら、アルフェとシャーリーがペラが上がった時、クラッカー鳴らしてたでしょ。あれは中々可愛かったからさ」

 言って、風霞はかんしゃく玉を床に叩き付けた。乾いた破裂音と共に立ち上る煙。地味過ぎる。

「いいねえ、風霞。まるでアホの子みたい。つうかアホの子だよアンタ」

「何だとこのちちでか」

「まあまあ、抑えて抑えて。それよりもこの玉は如何です? おれが作ったパイロット専用食」

 雲母が風霞に、丸薬のような黒いものを手渡した。専用食ぅ? 等と胡散臭げに言いながら、あっさり口に放り込むあたり、風霞は本当にアホの子かもしれない。

「あれ。想像していたのより甘いわね。ちょっと粉っぽいけど。って、何故ストップウォッチで測っているの雲母」

「よし、三十秒を越えた。副作用無し」

「…材料、何?」

「山から取ってきたものを、まあ、色々。後は一時間後にスタミナの持続が確認出来れば成功かな」

「だから材料は何だと聞いてんだろ雲母ぁ!」

 

<フレーム:アルフェッタ・レオーネ 山根まどか>

「はい、ここに取り出したるはダンボールの筒。アルフェ、これにチョップをかましてみなさい」

「また唐突な出だしだなあ」

 アルフェッタは山根に言われるままに、垂直に立てた筒めがけて水平に手刀を振り抜いた。スッパリと上下に泣き別れるような神業が出る訳もないが、当然のように筒はへし折れる。

「簡単に折れましたね」

「そりゃ折れるってば」

「しかしこれならばどう? 今度は違う筒をラップで巻いてみました!」

 ぐしゃ。と、間抜けな音を立て、ラップ巻きの筒はアルフェッタチョップの餌食となった。

「あーっ! 何で折るの!? 『たったこれだけで驚きの強度に』って展開にするはずだったのに! この力馬鹿!」

「何だよっ、あたしとドッコイの馬鹿力のくせに!」

「空気読みなさいよ! KY、KY!」

「なあにがKYだ。無理して10代の言葉ァ使ってんじゃねー!」

「アルフェなんか、中身は30代でしょう!?」

 このまま延々と喧嘩を続ける事も出来るのだが、きりが無いので終了。アルフェッタと山根の親友コンビに、藤林源治をプラスワンという陣容は、何となく主翼パートのそれに似てはいる。尤も雲母程の人を纏める能力は藤林には無く、結果先月に引き続き、作業は本日も右往左往と相成った。しかしながら、山根が手をつけた補強材の見直しは、行き着くところまで来ているフレームの強化に、相当のプラスを与えるものだった。

「さて」

 こほんと咳払いし、気が済んだ山根はビニール袋をガサゴソとまさぐり、菓子箱をペンギン羽に引っ掛けた。

「取り敢えず、シューアイスを食べます」

「またか。ワンパターンな描写だなあ」

「この後『尻からペタンと座り込む』んですよ。文章の引き出しが少ないですよね」

 悪かったよ。

 山根はシューアイスを食べつつ尻からペタンと座り込み、羽先でちょいちょいと分解したフレームの一つを指し示した。それはたったひと巻きのラップを貼り付けたものだった。

「重量を抑えて外側から補強を施す手段を考えると、やっぱり材質から攻めてみなくちゃね。で、これだと思ったのがラップ包装」

「…本当にこれだけで大丈夫? さっき簡単に折れちゃったじゃない」

「ちっとは手を抜く事を覚えれば? この完全燃焼主義者」

「まだ言うかペンギンめ」

「いやいや、いいアイデアだと思います。相当の風圧がかかっても、そうそうこのフレームにガタは来ませんよ。アルフェッタさんにブン殴られない限り」

「藤林、お前もか」

 実際、これは中々の方策だった。CFRP素材とは言え、風圧が加わればしなりが生じるのは当然なのだが、こと中心軸のフレームに関して言えば、出来るだけ直線形状を保っていた方が、人力飛行機の滑空性能を維持出来る。フレームに張り付いた極薄のラップは、それだけで形状の均一化をフレームそのものにもたらしていた。パレットに積んだ荷物をラップで巻いて、荷崩れを起こさないようにするのと理屈はほぼ同じである。

 ラップの貼り付けがぞんざいだと、話は違ってくる。少しでもたわみがあれば、かかる風圧で剥離が生じ、遂には飛行に支障を起こすような事態を引き起こすだろう。しかし山根は僅かな緩みも逃さぬように密着させ、ラップの切り口同士をビニールテープで、これもまた丁寧に止めていた。それを長大なフレーム全箇所に施すのである。藤林は根気強く繊細な仕事振りに感嘆しつつ、シューアイスを頬張りながら『故郷の南極を思い出します』等と怪しく口走る山根を見比べた。

「この仕事とペンギンマスクが、どうしても僕の頭の中でイコールにならないのですが」

「慣れろ。ペンギンマスクたァそういう生き物なんだから」

 藤林の肩を叩くアルフェッタはと言えば、既に己が仕事を、各パートとの接続強化を全うしているので、余裕しゃくしゃくの風だった。接続部材の形状について、以前よりも接地する面積を増やすなど、地道ながら確実性の高い仕事である。

「それにしてもコクピットの方向性が変わると、色々と大変なもんだね。フレームにかかる負荷が違ってくるし。屋台骨もしんどいもんだよ」

「だからこそ屋台骨なんですよ。コクピットの位置変更、主翼の配置のバランス。そういう所は、藤倉さんがきちんと計算してくれましたから。何れにしても、増大した重量を支えるだけの強度を、このフレームは保持している」

「その割には軽量だよね。つまりフレームパートは」

「はい。終了しましたね」

 主翼に続き、フレームパートも全工程を終えた。巨大化のあおりを主翼に次いで被る部署ではあったが、アルフェッタ達の根気強い作業で、間際ながら要求スペックを達成。得られた結果は非常に喜ばしい。その喜ばしさを他部署は様々な形で表現してきたのだが、こちらのパートは、取り敢えず三人揃って引っ繰り返った。そして寝た。根気を要する作業は、体力のみならず脳の力も疲労するのだから、これはこれで最適の休息である。

 

<コクピット:青空つばめ シャーリー・エルウィング 手合芥>

 ここに至っての形状変更は如何にも苦労ではあったが、それでも手合は、どうしてもそれをやらねばならなかった。

 前部リカンベント、後部アップライトは非常にユニークな形状であるものの、やはり立ち位置が張り出す格好のアップライトは、空力特性としてはマイナスの要因になってしまう。ペダルに力を乗せ易いという美点はあるものの、形状の差異によって前部アップライトの長所を著しく薄めてしまうだろう。故に前後をリカンベントに統一するのは、成り行きとしては妥当な決着だった。

「正直、前の成果を帳消しにしてしまう事に些かの躊躇を感じましたが、致し方ない所ではありますね」

 言いながら、シャーリーは苦笑する。前回、コクピットパートでアップライトの居住環境に心を砕いてきた彼女の気持ちを考えると、手合も申し訳ない気持ちになったのだが、それでも必要な仕事だった、との考えは不変である。

「恐らく、この形状は考え得るベストだと思います。全体の空力特性を鑑みてね。シャーリーさんや前の担当をされた方には、すまない事なんですけれど」

「いいですよ、気になさらなくとも。私達、そうやって暗中模索を繰り返してきたんですから。リカンベントの居住環境を整えれば良いだけのことです。ここがふんばりどころって奴ですね」

 何処までも前向きなシャーリーの言であるが、携わった全ての作業も、実に前向きにこなしている。前後座席の空間は、双月と神楽の体格を鑑みて、全て彼ら専用の寸法となっていた。座席位置、仰角、ペダルの寸法に至るまで、二人の身体のサイズを念入りに調べ上げて結果を反映させた、気の遠くなるような代物である。

「え。双月君のサイズも念入りに?」

「すいません。その辺りは深く考えないで下さい」

 他チームが標準搭載しているGPS等電子機器も、実の所これまでは設置云々が後回しになっていたのだが、シャーリーは抜け目無くフォローした。正しく微に細を穿つ仕事振り。水分補給用の小型タンクからストローが通されて、これもシャーリーの手製である。

「これ、見た事ありますよ。ほら、犬が吸い口をベロンベロンに舐めて水を飲むタンク」

「例えがややこしい上に、なんか微妙に間違ってます」

 ボケては突っ込んでと、一事が万事この調子の二人であったが、揃って気性が穏やかな彼らの作業は、まるで衝突する事無く着々と進められ、結果歩みの遅かったコクピットパートに迅速さをもたらす結果となった。ここで風霞あたりがサポートに加わると話が違うのだとしても、二人が選んだのは生憎と、素直が取り柄の古雅勇魚である。彼女も非力めの二人を助ける者として、力仕事で役に立っていた。今は喜び勇んで、コクピットに無理繰りな座り方をしている。

「ごめん。コクピットに座ったら、何か脱け出せなくなっちゃった。私って結構体が大きいんだって実感出来るわあ」

「ひいいっ!? 壊さないで壊さないで!」

「狭いながらも楽しい我が家ってとこかなあ…。しかしこのコクピット、並べると長い長い。例えて言うなら『罪と罰』くらいの長さですね」

「訳の分からない例えはいいから、古雅さんを引っ張り出すの手伝って!」

 シャーリーも要らない気苦労を背負って大変だ。

 手合の感想通り、リカンベントの連結はコクピットの高さを押さえ込んだものの、縦が長大となる結果をもたらした。空力特性は期待値をクリア出来るたが、フレームと接続する際のバランスを考えねばならない。

「ま、其処ンとこは藤倉ハンに考えて貰えばええ話や」

 古雅を救出せんと七転八倒する様には目もくれず、青空は顎に手を当てて前後の動力接続を覗き込んでいた。ちなみに彼女のサポートは、技術肌の藤林である。

「助手A」

「藤林です。源治です」

「やっぱ二枚同軸ペラは重過ぎるんちゃうやろか」

「まあ、そうですね。出力を引き上げる効果を期待するにしても、矢張り人力では限界がありますから」

「せやなあ。二人乗りの美点である力配分の分散化が、下手打つとのうなってまうもんな。狙うは飽く迄長距離飛行や」

「一枚にしますか」

「おもろいペラのシステムやってんけど、致し方無いやろ」

 こうしてプロペラは、元の一枚ペラに戻された。コクピットは、先のリカンベント化も含めて、形状変更が最も頻繁なパートとなった。作業の遅滞というリスクはあったものの、技術力に関しては大渡鴉でトップクラスの青空に、技術サポートの助手Aが加わっている。乗り手の双月、神楽、予備パイロットでもある矢上も招聘し、実際の出力比をデータとして活用しつつ、可変ピッチの再調整。言葉にすれば淡々としたものだが、高レベルな作業が二人によって手早く行なわれ、結局調整完了に至るまで、数日を費やす程度に抑える事が出来た。

「完成やな」

 機械油で汚れた顔を拭い、青空が宣言する。

「皆さん、おめでとうございます! 一番難しかったパートを、素晴らしく仕上げましたね!」

 前部コクピット上で、烏丸が手を叩いて喜びの声を上げた。前後リカンベントという極めて稀な形状のコクピットは、これをもって全工程が終了。コクピットは各々パイロットの身体能力に合わせてカスタマイズが施されており、構造としては限界を突き詰めたレイヴンスⅡを象徴するものだ。一時は人の手が入らず、満足出来ないスペックのまま本番を迎える展開も危ぶまれていたが、最後の結束でチームは見事に課題をクリアしてみせた。

「ふふ、ちょっと言葉にならない感じですね」

 少しばかり涙目になって、シャーリーは呟いた。

「達成の祝いに、お茶会でも開きましょうか?」

「お茶会ですか。つまりお茶会というのは」

 腕組みながら、手合が真面目くさった顔で曰く。

「酒の代わりにお茶を飲むような集まりの事ですね」

「いえ、その解釈はあまりにも間違っています」

「何や、宴会と大差無いやんか。せやったらお酒が出たって、別ええんとちゃうん?」

「違う。違います。お茶会と宴会はベクトルが異なる代物でして」

「飲めない人はお茶、飲める人は酒三昧という事で」

「よっしゃ、全ての事が落ち着いたらパーッと行くでえ!」

「ここは人の話が聞けない人間の吹き溜まりですか?」

 シャーリーの声が、更に大きな声を前にしてフェードアウト。シャーリー・エルウィングは、諦めてバテた。お茶会だろうが宴会だろうが、どうせ書き手は何時も通りのドンチャン騒ぎしか書きゃしないのだろうと。

 

<全体方針:藤倉辰巳>

 藤倉が立ち上げたCADの画像を、開発陣全員が食い入るように覗き込んだ。開発が終了した全パートの寸法をデータ化し、立体的に表示されたそれは、組み上げられたレイヴンスⅡの全容である。

「まず、コクピットの配置に合わせる主翼の位置ですが」

 藤倉は指で主翼の画像をトントンと叩いた。

「このままだと荷重が前に寄り過ぎて、機体はプラットフォームから真ッ逆様にダイブを敢行です。これを回避する為のベスト配置は、こう」

 言って、藤倉はマウスを操作した。主翼がじわじわと後退し、前部コクピットが半分近く前に露出する格好となった所でストップ。主翼の真下にぶら下がる事の多い人力飛行機としては、あまり類例の無い形状だ。

 他にも見るべき点は多い。フレームを這うように連なるコクピット。可憐なV字尾翼。部分部分を見れば斬新な形をしているものの、それらが合わさった全体のフォルムは、しっくりと馴染んで美しい。

「このようにして、実際に組み上げれば完成です。これが私達の送り出せる、最高のレイヴンスⅡだ。全工程、以上を持ちまして終了です」

 藤倉の言葉を受け、誰も声を発しようとはしなかった。感慨深い気配が作業室を包み、静かな喜びが染み渡って行く。

「締めの挨拶は、烏丸弥生にやってもらおうか」

 誰ともなしに呟かれたその言葉に、場の全員が頷いて、コクピットに佇む烏丸を一点に見詰めた。話の始めは彼女の誘いであり、其処から右往左往を経た結果、今日という日に至ったのだ。始まりと終わりを結ぶ者として、確かに一番相応しい。

 対して烏丸は照れながらうろたえ、腕組み真剣に考え込んだ。

「ありがとうございました、っていうのもありきたりだし。きりのいい挨拶って言うと、何だろう。…あ、そうだ」

 ピコンと烏丸の頭上に電球が点灯。

「一本締め」

「…オッサンくさ」

「まあ、いいじゃない。元々昔の人なんだからさ」

 口々にさんざめきつつ、皆々が拍手の用意をする。烏丸も両手を大きく広げたが、彼女が手を打ったところで音などはしない。それでも気は心、である。

「それでは皆さん、お手を拝借。よーっ」

 パン。

「…地味だな」

「文章にすると尚更」

「まあ、いいじゃない。こういうもどかしい終わり方もウチらしくてさ」

 結局拍手喝采が巻き起こり、その場は綺麗にお開きとなった。12時間くらい寝てやる。なんでんプラスのギトギトラーメンでも食べに行こう。またかよ。等々口々に騒ぎながら、三々五々と帰宅する彼らを前に、突如一人の少女が立ち塞がった。栗色の髪も目に優しく、胸を張って彼女の曰く。

「みんな、お忘れでなくて!? 大渡鴉のスピンオフ的存在、この期に及んでまだ開発が終了していない、あの機体の事を!」

「あったっけ、そんなの」

「てか、誰あの娘」

「私の名前はシンシア・スタッフォード!」

 またも新キャラ登場である。この時期になって、人となりを把握するのも大変だ。

 

<フォーミュラ機製作:風間史浪 音羽仁壬 ゲルトルード・ベーベル 水城・アースグリム・臨 葵 セノーミケルス シンシア・スタッフォード>

 まだ完成していないその機体は、搭乗者であるアメリア・リンドバーグによって「ランドグリズ」と名付けられた。翼持つ聖女の名を冠せられたフォーミュラ機には、限定的な羽ばたき機構を採用するという、極めて意欲的な目標が掲げられている。その機構についてのみ言えば、先の二次選抜において使用されたオーニソプター、バラビェイをモチーフとしており、しかしながら所謂ワークス仕様そのままの再現は、技術的資材的に無理がある。無論それはフォーミュラチームも承知の上であって、そもそも目指す飛行コンセプトが大きく異なっている。

 バラビェイは大渡鴉が提示する、滑空機の一つの可能性とでも言えよう。だから彼らのトライアルは始めから終わりまで、未曾有の短期間を溢れる熱気で乗り切らねばならないのだ。

「羽ばたきについては限定的な使用にとどめ、飛距離を稼ぐメインの手段は水面効果を存分に活用した滑空である訳ね。それを実現する為に最も必要な要素とは」

 学校椅子に着座するフォーミュラチームの面々をぐるりと睥睨し、シンシアはチョークを軽快に鳴らして黒板に文字を連ねた。

light weighting 軽量化です。ただし羽ばたき機構というユニークなシステムを採用する以上、他チームのピュアな滑空機よりも重量と言う点では上乗せが生じるはず。主翼の大きさに制限が加えられるフォーミュラ機で、些かこれは不利であるわね。ですので、本日の会合は軽量化を突き詰める手段の模索というラインで、皆さんの闊達な意見交換を期待するわ」

 す、と水城が挙手した。そして両手で持ってT字を、つまりは「タイム」をシンシアに知らせる。対してシンシアは、親指を立ててこれを許可。即座にシンシアを除くフォーミュラチームが、円座を作って密談開始。

いや、俺も前回参入で大概の新顔なんだけどさ。あのイギリス人は一昨日来たばっかなのに、何でいきなり仕切り役なんだ?」 「それはそうなんだが、仕方ねえんだこれが。あの娘、家が爵位持ちだから」 「貴族かよ!」 「貴族…格差社会の頂点か」 「いや、貴族だからって其処まで謙る必要は無いでしょ」 「あたしらプロレタリアートは貴族にとことん搾取されるのよ」 「だから普通に接してればいいって」 「これ、ドイツ人。そなた二次大戦以来の仇敵であろう? 行ってガツンと何ぞ言うがよい」 「教育者が言う台詞じゃないよ、それ」 「しかしこのままだと、貴族に対する畏怖の念が勢い余ってチームバランスはガタガタ」 「何でそうなる」 「自分達も心は貴族って攻め方はどうだろうか」 「それだ」 「取り敢えず全員の一人称を『まろ』で統一」 「頭いいな、お前」 「何この妙な展開」 「わらわもまろと言わねばならんのかや?」 「あんたは別にそれでいいです

 密談終了。以降、本パートはシンシアと葵先生を除き、一人称が全員「まろ」です。

「で、まろは思うんだが」

 風間先生早速使用。

「まずは役割分担だろう。レイヴンスⅡのように各パート的な担当を決定して、其処から軽量化と剛性強化のバランスって奴を追及しようじゃないか」

「じゃ、まろこと音羽は主翼関係担当。前の開発チームでも尾翼のシェイプで経験があるからな」

「わらわこと葵先生はそのサポートにでも回ろう。主翼の空力性能向上はランドグリズの命であるからのう。滑らかな翼という奴を追及したいものじゃ。古雅、きりきり手伝うがよい」

「私、いやさまろは筋肉関係の人なんだけどなあ」

「剛性向上のアイデア出しを期待されてんだろ」

「まろことゲルトルードは主翼羽ばたき機構の作成ね。バラビェイの多関節駆動を、あの速度で再現て訳にはいかないけど、まろ、技術屋だし。出来るだけ頑張ってみる」

「まろこと水城は機体操作系担当。ランドグリズは通常滑空機の操作プラスワンが必要になるけど、その付加機能が大変なんだよな。どうやってパイロットは羽ばたきを操作すりゃいいんだか。まあ其処んところは、まろも含めてみんなでアイデアを出していこう」

 このようにして、ランドグリズの突貫製作は開始の運びとなった。

 前回の時点で、工期的には半分程度まで完成している。即ち胴体部とレイヴンスⅡのダウンスケールである尾翼部位。拠って彼らが集中的に取り組まねばならないのは、主翼の完成だった。重要性に関して言えば、滑空機は人力動力機以上に主翼の比重が高い。ここに羽ばたき機構という、更なる新機軸を盛り込もうとしているのだから、作業は実に困難を要する。しかも残された時間は、非現実的な代物である。

「で、まろがつくってみたのはこういうもんなんだよね」

 ゲルトルードが皆々に、主翼のフレームを披露する。一直線に伸びたCFRPの骨組みは、ゲルトが末端のロックを押し上げた途端、根元から順番に三箇所の関節が折れ曲がり、逆にロックを押し込むと、今度は先端から順番に折れて行く。これの繰り返しを続けると、確かに生物的な羽ばたきの駆動を主翼は行なっている。ロックを引き戻して平行にすると、また骨組みは元の一直線に固定された。

「要は上げて押してを繰り返して、羽ばたきを再現する訳だ。K社の技術主任からまろが引き出せた情報は、残念ながらここまでだ」

 風間が肩を竦めるも、一同はひたすら感心するしかなかった。技術情報を取得したとは言え、それにアレンジを加えて指導してみせた風間と、実際に作ってしまうゲルトルードの腕前に。

「以上を踏まえて、コクピットの駆動はこんな感じにしてみた」

 今度は水城が皆々にコクピットの仕様を披露した。腹這う格好で搭乗するスペースには、左右両の手で掴むレバーが設置されている。ラダー等の操作系は別のレバーが設置されており、つまりこれは羽ばたき専用レバーという訳だ。水城は当のレバーの一つを前に倒し、軽く上下動をしてみせた。先の主翼部のロックと、動作が連動している。

「これを腹這いながらやる訳なんだけど、実際の荷重は相当のもんだと思うぜ。腕の力だけでは駄目だ。正に全身運動でレバーを操作しなくちゃいけない」

「成る程、これは羽ばたき機構を搭載するにあたって最小限の重量増加に留めているわね。本当に大したものだわ。それでも、違う所で言わせて貰えば」

 シンシアはレバーから離れ、コクピットスペース全体を眺める位置に立った。端正に整った眉間に皴を寄せ、胴体の幅を人差し指で往復させる。

「このスペース。アメリアの体格なら、まだ絞り込めるはずでなくて?」

「…ああ、それはそうかもな。まろもそう思う」

「細かい所を指摘して申し訳ないけれど、重量軽減を極限まで突き詰めるならば、出来る限りの事をやってみましょう」

 一方、音羽は主翼フレームの様子を確かめながら、しきりに首を傾げていた。

「思った通り、羽ばたき機構は折れ曲がった際に微妙な隙間が生じる可能性があるぜ。この隙間から空気が漏れ出せば、翼の揚力は一気に減少する。羽ばたきの効果は極めて薄くなってしまう。この部分、スキンを一体化して空気が逃げないようにしないといけないが、何せ上下動の際の疲労に耐え切れるかな」

「其処は思い切って考えなくとも良かろう」

 と、葵は悩む音羽にあっさりと告げた。

「羽ばたきを実行するのは、高度が維持出来なくなった際の、飽く迄限定的な代物だからのう。耐久性というものは、数百m勝負の滑空部門においては割り切る必要が出て来よう」

「そうだな。無論、まろが出来る限りの補強は考えるけどな」

 音羽は主翼の設計図を床に広げ、葵と共に見入った。それはレイヴンスⅡ同様、翼端が楕円の美しい形状をしている。しかしレイヴンスⅡと異なるのは、根元から翼端までが徐々に翼面積を狭めている所だ。風を切って行く翼とのイメージを、ランドグリズの翼は持たされている。

「スピットファイアに似ていますね」

 シンシアが横から覗いて、感心したように曰く。

「あれは英帝の誇りだわ」

「まあ実際、楕円翼平面形は空気抵抗の軽減に秀でているから、滑空機にはもってこいなんだよな。先生、俺と一緒に翼形の詰めは頼んだぜ」

「俺ではなく、まろ」

「まだ続けるのかそれ」

 それからの作業は、昼夜に渡っての忙しいものとなった。滑空機の発案から数えて、猶予は90日程度。模型を作るように、という訳にはいかない。

 しかしながら多彩な才能を投入しての作業は着々と進み、遂に実機完成に至る工程がアップとなった。それもレイヴンスⅡよりも一足速く滑空テストを行なうというオマケ付で。

「一言で言えば、可憐な機体だよね、ランドグリズって」

 ここは八十神学院の校庭。アメリアは狭いコクピットに乗り込む手前、全体のフォルムを感嘆しつつ見下ろした。主翼は低翼、楕円翼平面形。胴体部の先端は風防が曲線的に設えられ、V字尾翼に至る後方へと綺麗に収束している。小型のフォーミュラクラスという事もあって、コンパクトかつ華奢な印象を抱かせるものの、強度はレイヴンスⅡの開発で培った技術を応用し、このクラスとしては相当のレベルだと開発チームは自負している。

 コクピットに両脇を固められるような感覚を伴いつつ、アメリアは機体に身を沈めた。

 

 このテストから得られたデータを元に、更なる再調整が施され、ランドグリズはようやく完成の運びとなった。滑空能力は非常に満足のいくスペックを保持しているものの、隠し玉とも言える羽ばたきについては、パイロットへの負荷が相当に高い。使用を一時的な高度上昇のみに限定すれば、きついながらも我慢できる程度にはなろうが、矢張り羽ばたいた瞬間に失速という事態は、パイロットの技量如何によって十分に危惧される所だった。

 しかし、パイロットはアメリア・リンドバーグである。構成をギリギリまで追い詰めたこの機体は、彼女という最重要のパーツが搭載される事でパーフェクトとなる。それに応えられるだけの腕前を、アメリアは確かに持っているのだ。

 

<パイロットチーム、最終特訓:双月響 神代神楽 矢上ひめ子 アメリア・リンドバーグ>

 開発チームが最後の追い込みに四苦八苦する最中、パイロットチームは〆の調整に全力を傾けていた。無論、ここに至るまで全員が自身のスキルアップを怠っていたはずもなく、各々の力量は大渡鴉結成当時と比すれば格段に上昇している。それでもここで、彼らがさらに必要としたのは連帯意識だった。

 パイロット選抜戦を競う間は、ほとんどソロで自身を磨き上げてきた彼らだったが、結局の所、結果を左右するのはチームとしての力だと、全員が認識している。故に持ち寄ったアイデアをミックスして、一丸となった特訓を行なう事は非常に有意義だ。

 合宿。リカンベントバイク。バンジージャンプ。山篭り。

 以上を掛け合わせて思う存分シェイクして、とどめに謎の液体を放り込んだ文章と言うのはこういうものである。

 

「さあ、これで山道を走って」

「そんな無茶な」

 矢上が指示するリカンベントバイクは、山岳仕様のカリカリチューンされた代物だったが、幾らなんでもこれで急勾配を登るのは。双月、神楽、アメリアが、顔を見合わせて溜息をつく。

 ここは八王子の某山地。パイロットチーム全員参加による山篭り合宿が行なわれる場所である。完全に周囲から隔絶された状況下で、パイロット同士の連帯意識を深めるという意味では、確かに山に篭って合宿というのは最適かもしれない。取り敢えず、山地慣れしている音羽、藤林、百々目といった面々が、キャンプを張れるような廃棄された休耕田を居住ポイントとして確保しており、しばらく過ごす分には然程困らない状況を作ってくれた。

 休耕田があるような場所故、舗装されていないにせよ車が通れるような山道は設えてある。しかしこれは飽く迄、徒歩か動力車で上り下りする為に作られた道路であって、自転車、しかもリカンベントタイプを使うには些か、否、大変に無理があった。

「だってしょうがないじゃない! 私だって本当は、普通に城輪町のアップダウンを行くもんだと思っていたのに。リアクト作成の都合上、こういう事になったので悪しからず、ってそんなの私聞いてないもん!」

 そういう事なので悪しからず。三人は仕方なくリカンベントバイクに着座し、ペダルに足をかけた。非常に重い。重いのだが悲しいかな、この日まで鍛えに鍛え上げた足腰は、普通なら諦めるような負荷も乗り越えてしまい、三台のバイクは着実に山道を駆け上がり始めた。

「じゃ、あたしはオフロードバイクで追い駆けて、後方指示に入るとしますか」

『黒い。矢上、黒過ぎるぜ』

 矢上のヘッドセットから、双月の呻き声が聞こえてくる。パイロットとナビをヘッドセットでリンクさせる仕様も、矢上は実戦さながらに設定していた。他にもモバイルを各々に搭載し、無線LANでトルクや回転数等のデータをリアルタイムで取り込めるように細工されており、これらは逐一開発陣の参考データとして活用されるようになっている。さすがに矢上は、こういう所にぬかりは無い。

『なあ、矢上』

 そろそろ息が切れ始めた双月が、絶え絶えに無線を繋ぐ。

『モバイルに表示されているシミュレータは、一体何だこりゃ』

「ああ、凄いでしょ。レイヴンスⅡの超簡易シミュレータ。リカンベントバイクの操作とリンクしてるから、画面上の機体が落っこちないように注意してね。ほら。高度が下がり始めた。第一は横からの風に注意して方向修正しつつ機首上昇、第二はもっと出力を頂戴!」

『実戦もこんな負荷がかかるんだったら、正直逃げたいところだわ』

「でも、逃げないんでしょ?」

『まあね』

『ねえ、ひめちゃん、このシミュレータ、あたし、ぜんぜん関係ないみたいなんだけど』

「頑張って。あなたは決して一人じゃないから」

 等と質疑応答を交わす間、矢上は負荷がかかり過ぎた状況下のデータに、満足をしかねていた。これはパイロットが余程の疲労に追い込まれた場合の回転数であり、更に重要な巡航時のデータとしては落第である。

 この合宿が終わったら、平坦な道路で再度テストをしようと矢上は決意した。尤も、この特訓が終了した暁には、三人ともリカンベントバイクを見るや遁走するかもしれないが。

 

「さあ、ここから飛んで」

「絶対嫌だ」

 断固として双月が首を振ったのも無理は無い。ここは高さ50m程度の吊り橋に設えられた、バンジージャンプの施設である。八王子に吊り橋や、バンジージャンプが出来る場所があるかは知らないが、兎にも角にも一同はアメリアの発案でもって、真ッ逆様にダイブをせんとけしかけられていた。当然、みんな嫌がった。

「あたしのフライトプランは、水面へのダイブ敢行の後に水平飛行に移行する、中々過酷なものなんだ。高所から急降下する際の恐怖を克服する訓練を考えると、バンジージャンプが一番! さあ、あたしと一緒に谷底へLet’s go!」

 喜色満面のアメリアが振り返った目線の先に、居るのは矢上ただ一人。神楽と双月は逃げた。

「何で!? みんな、何で!?」

「アメリア…この特訓、確かに意味があるのはあなただけだもん。そりゃあ、度胸付けって所では結構なもんかもしれないけど。しかしながらあたしの足首と胴体にロープを結わいでいるのは一体どういう事?」

 これにて矢上がバンジーをジャンプする準備は整った。咄嗟自らも逃亡しようと、体を這ったロープを引き抜こうとするも、生憎他人の手を借りねば外れない仕組みになっている。当の他人、アメリアはと言えば、掌を面前で組み、瞳を潤ませる「お願いポーズ」でもって矢上ににじり寄る始末。

「お願い、ひめちゃん。あたし一人だと何だかとっても寒いの!」

「寒いの一念であたしは引き摺り込まれる訳ね…」

 諦め顔も露に、それでも矢上は吊り橋から真下を覗き見た。谷底にはささやかな小川が流れており、どう考えてもここから落ちたら地面にまずいものが弾け飛ぶ羽目になるだろう。其処彼処に人の大きさ程度の岩石が点在しているが、この高さからは石ころ程度にしか見えない。吸い込まれるような錯覚を憶え、矢上は背筋を悪寒で震わせつつ飛び退った。

「怖いです。大層怖いです」

「大丈夫。絶対怖くならない、いい方法があるから」

 言って、アメリアは矢上を己が体に抱き寄せた。

「そんな、公衆の面前で。あら、アメリアちゃんも何時の間にかロープで体を固定しているのは何故?」

「ほら、こうして」

 矢上の細い腰に手を回し、強く締める。

「こうして」

 蟹歩きで二人が断崖に立つ。

「こうするの!」

 矢上の体がアメリア諸共、一気に逆落としをかけて谷底へLet’ go。

 

「ぎぃやあああああああああああ あ? ああああああああああああああ!?」

 

 ダイブしてから一旦底で停止し、反動で急上昇する様を字面で表現してみました。

 一頻り上下に伸び縮みを繰り返し、二人の体は逆さ吊りの振り子となった。ケタケタと笑うアメリアに相反し、矢上は顔から血の気が失せている。

「あははは。ひめちゃん、面白かったね! あはははは」

「あははって、それはさて置き、あたし達のこれからなんだけど」

 矢上は周囲を不安げに見回した。

「このロープ、一体誰に引き上げてもらうの?」

「あ」

 何れ心配になった双月と神楽が戻ってくれるだろうが、それまでこの格好で待てと言うのは無体である。途方に暮れた二人の真下、ふと見れば暗い表情の少女が立っている。百々目だ。

「心中の新しいムーブメント?」

「冗談はいいから、ロープを引き上げて!」

「それは大丈夫。藤林と音羽君が吊り橋に回っているから」

 百々目の言葉通り、二人の少年が扱いに困るものを見てしまった顔で、ロープの引き上げを開始していた。こうして三人による有形無形のバックアップを受け、パイロットチームの山篭り合宿は多忙な日々を送って行く事となる。

 

 夜。

 持って来た携帯食料の夕食もそこそこに、4人は早々と床についた。携帯食料は敢えて少量としており、明日からは自力で山野のものを調達せねばならず、今から十分な休養を取っておかないと、特訓どころではなくなってしまう。

(こんなんで本当に連帯意識とか、生まれるのかな)

 双月はまどろむ意識の中で、何となく呟いていた。ほとんどチーム一体となっていた開発陣と、凌ぎを削りあったパイロットチームを比較すれば、漠然とした危機感のようなものを双月は感じていたのだが、だからと言って具体的な対応策を思いついた訳でもない。ともかく全員で共同生活をするというアイデアを出したものの、正に結果は海千山千で、これを経た自分達の姿を、双月は想像しかねていた。

 しかし絆というものは、一朝一夕で結ばれはしない。時間をかけてゆっくりと形成されるものだ。だから焦ってはならないと、双月は自らを叱咤する。こうして男一人に女三人という生活を、寝場所まで共にしてくれる彼女らは、少なくとも自分に対する信頼を置くが故に拒否しなかったのだろう。

(単に男として、然程危険の無い生き物と思われているだけかもしれんが)

 恐らく。そもそも双月自身も欲求に積極的なタイプではないので、三人を向こうに回して「とりゃああ」という展開は有り得ない。しかし。

「まさか、実は俺の方がセクハラされてしまうのではないか!?」

『ないない。それはないない』

 寝ているはずの、三人の女の声が唱和した。

 

 神代神楽の一日は山駆けに始まり、山駆けで終わる。山中をひたすら走り抜くだけと言えばその通りだが、起伏が激しく、ほとんど障害物のみの行く先を、普通にトラックを回る速度で疾走するのは、実に至難の業である。飛び越え、押しのけ、刀で切り開く。まるで勝利を求めてやまない人間の、人生を追走するようだと神楽は思う。しかしながら神楽が勝ちたいと思う相手は、他ならぬ自分のみだった。

「あ。行者ニンニク発見」

 ちなみに一息入れるのは、食べられそうな山菜を発見した時だけ。つまりは食料調達も兼ねて一石二鳥という次第。

 こうまでして自らの身体能力を鍛え続けるのも、第二パイロットの役割は体力を非常に重視される位置だからだ。この役割を全力で全うするとの一念を胸に、神楽は山篭りというアイデアを出した上で、自分を最も厳しい状況に置いている。だから山駆けの後も、普段から行なっている柔術活法を忘れはしない。疲労を蓄積させたまま本戦に出場するという事態を避けるのは、第二パイロットとしての最低必要な義務の一つである。そうは言っても、クールダウンする筋肉の付き具合を確かめる彼女の目は、次第に女性らしい丸みが失われて行く様を実感しているのか、実に複雑な色を湛えていたが。

 ともあれ、神楽は山中という特殊な環境下で、様々な訓練を試みていた。それはほとんどが己に課した肉体の酷使であるのだが、他の三人同様、連帯力を身につけるというポリシーを忘れてはいない。

「さあ、打ってきて」

「俺、刀を使った事が無いんだけど」

 双月は自分に渡された木刀を困ったように見詰め、腰溜めに同じく木刀を構える神楽に視線を往復させた。

 此度は双月の精神修養を兼ねて、神楽が木刀による立合いを持ちかけた。刀の扱いに熟達している神楽らしいアイデアだが、当の双月は面食らうばかりだった。彼自身が言う通り、素手の組手は深い経験があるものの、木刀の扱いは知らない。

「うろたえる必要は無いわ。素手も、木刀も、立合いで必要な要素は同じ。気の掛け合い。探り合い。相手の出方を見切る。熟達した武人ならば、目を閉じても相手の出方が分かる。僅かな空気の振動でも反応出来る、研ぎ澄まされた鋭敏な感覚を修練で会得しているから。勿論一朝一夕に到達出来る領域ではないけれど、まずは修練をしなければ爪先も踏み込めない領域でもある。さあ、考える必要は無いわ。感じればいいのだから」

 言いながら、既に神楽は声色を単調なものとし、精神集中の域に自らを深く沈めていた。双月は彼女の言わんとする所を理解できる。幾度もの選抜戦を高い集中力で乗り切った経験が、しっかりと彼に身についているからだ。

 やってみよう。双月は思う。やってみようと思わなければ、前進する事は不可能だ。

 腹式呼吸で強張った体を弛緩させ、双月は木刀を縦に置いた。対する神楽は微動だにしない。

 そのまま、じっとりと時間が過ぎて行く。

 双月は全く焦っていなかったが、何らかの変化がある方が面白いのではないか、とも思っていた。焦燥にかられて動いてしまうのではなく、水の流れに投石し、歪む水面を見て自分が何と感じるのか、そんな興味にかられていた。

 山中にはそろそろ蝉の声が鳴り響く、初夏の山中、昼の日差し。木陰に居るもひたひたと汗は流れ、その雫が額から落ち頬を伝い、顎から流れて地面に落ちたその間際、双月は第一歩を踏み出した。次の瞬間、視界から神楽が消えた。

(ああ、左に回られたな)

 思いながら双月は、横合いから薙いでくる空気の振動を肌に感じ、木刀を左半身の横に置く。即座に木刀同士が打ち合う乾いた音が響き、双月のそれが深く押し込まれると同時、襲い掛かった胆力に体を逆らわせず足を滑らせ、木刀を翻して平晴眼の構えを取った神楽に相対する。

 神楽は内心、舌を巻いていた。ちゃんとした師匠につけば、剣術者としても化けるだろうと。勘が鋭いと言われている双月だが、彼が秀でているのは空気の流れを読む力なのだ。成る程、操舵担当として申し分の無い選出だったのだと、神楽は思う。しかしながら武人としては、それは脇に置いて立合いを存分に堪能したいとも、強く望む。

 二人の打ち合いが再び始まる。さすがに刀の使いでは一日の長がある神楽が、幾度も木刀を双月の体に掠らせるものの、数回に一度は彼に一本を取られていた。元々空手の使いである双月は、このような形式の立合いも呑み込みが早い。

 二人の立ち回りは山野を駆け巡って続けられ、しかし神楽は突然立ち止まって、あらぬ方向に木刀を振り抜いた。訝しんで、双月が駆け寄る。

「何だ?」

「スズメバチだわ。それもオオスズメバチ」

 二人が見下ろす視線の先には、綺麗に体を切断された、黄色と黒の縞模様も凶暴な大型のハチが成仏している。途端、二人は背中合わせになって木刀を袈裟斬にした。同じようにして、やはりオオスズメバチが四散する。

「まずは先行偵察で数匹。しばらく間を置いて、本命の大群が襲来」

「もしかして、これも修行の一環なのか?」

「そんな訳ないじゃない」

 

 矢上は夕食の準備に余念が無い。今宵は音羽達忍者隊の差し入れで、牛肉を使ってバーベキューを振舞うのだ。ここしばらくは山菜、山菜、山菜続きで、ろくすっぽ動物性たんぱく質を取っていないのだ。如何に特訓とは言え、これでは育ち盛りに支障を来たす。それにバーベキューを囲んでの語らいは、連帯感の醸成を更に促してくれるだろう、との腹もある。

「まだかな。肉、まだかな」

「あのね。肉類はパイロット優先だから。あなたは脂身でも存分に食べて頂戴」

「いいです、それでも。脂身だって肉ですし」

 じわじわと肉が解凍する様子を正座で見守る藤林に、矢上は頭を振って溜息をついた。気を取り直して、炭を準備するアメリアにひと声。

「神楽さんと双月君、まだ帰らない?」

「もう直ぐだと思うだけどなあ」

「遭難したのではないでしょうか」

「二人揃って駆け落ちとかな」

 あまり笑えない冗談を言う百々目と音羽に舌を出し、それでも矢上は少し心配げに山を見上げた。と、何かが木々の隙間から動いているのが見え、途端に林から神楽と双月が飛び出してくる。

「あ、帰ってきた」

「あんなに走って、肉の匂いでも嗅ぎつけたのかな」

 暢気に出迎える面々の緩んだ表情が、二人の必死の形相、それに彼らの後方から出現した黄色い塊を確認し、次第に凍り付いて行く。

「スズメバチを引き連れて、お帰りになったという訳ですね」

 言うが早いか百々目はあっさりと身を翻して逃げ出した。すぐさま一同も後を追って逃走開始。正に地獄の鬼ごっこ。余りにも危険な修行である。

「何、ひめちゃん、あれ、何?」

 こんな悲惨な状況下でも、アメリアは何だかよく分かっていない。走りながら無邪気に問うアメリアに、矢上は鼓膜よ裂けろとばかりに絶叫した。

「オオスズメバチ! 多分世界最強のハチ!」

「そんなあ。世界最強はアメリカのキラー・ビーでしょ」

「そのキラー・ビーを根絶する為に、アメリカはオオスズメバチの輸入を計画したのよ! でも計画は断念! 何故だか分かる!?」

「何で?」

「キラー・ビー以上に強力な悪魔がアメリカ大陸に大繁殖すると判断したからよ!」

 ここに至って、アメリアも全員の恐怖が如何ばかりかを理解した。声をひっくり返して一番後ろの神楽と双月に大絶叫。

「全部叩き落して!」

『出来るかアホウ!』

 二人の声が見事唱和し、連携の高さを披露する。矢張り特訓の甲斐があったというものだ。

 しかし言われるまでもなく、二人は逃げながら木刀を振り回し、襲い掛かるオオスズメバチをことごとく撃ち落していた。次いで言えば、肉は藤林が抜け目無く抱えて走り去っており、スズメバチに肉を貪られる最悪の展開は免れて、正に影の殊勲であった。

 

 かような七転八倒を繰り返し、2週間は足早に過ぎて行った。一通りの目標を達成し、彼らは仲間の元へと繋がる下山の道を往く。各々の瞳は自覚出来ないかもしれないが、確かに見違えるような強い力を湛えていた。

 

<広報活動:大鳥雷華 燕子花満月>

 大鳥の外回りは、雨の日も風の日も行なわれている。彼女の働きはOB連のプロジェクトサポート参入と言う結果を得て、一応の落着を見ているのだが、それでも大鳥は会誌の配布を途切らせる事なく続けていた。

 城輪町というシステム自体が外部への大掛かりな露出を極度に控えるもので、当初から大渡鴉の行動は良い顔をされていなかったのだが、大鳥は持ち前の粘り強さで、市井の人々の潜在的な支持を引き出すまでに広報を成功させていた。次いで言えば、このプロジェクトは城輪町で知らぬ者が居なくなるほど知名度を高めるというおまけ付きで。

 継続は力也を地で行く彼女の、今日の訪問はしかしながら、皆々をうろたえさせる代物だった。

「いや、さすがに琵琶湖まで応援には行けないだろうな」

「そうですか…」

 会誌、三月烏のトップ記事は「レイヴンスⅡ&ランドグリズの工程終了!」、加えていよいよ本番を近日に迎えるにあたって、応援ツアーの参加者を募集するというものだった。K社の平田を通じて代表の弓月からツアーへのマイクロバス提供を打診されており、大鳥はこれ幸いと考えていたのだが、さすがに現地まで同行するような強者は早々居ない。

「基本的に街から出る訳にはいかないよ。店もある事だし。すまないね」

「いえ、こちらこそ無理を言いました。8月辺りにテレビ放映されると思いますので、本戦はそちらで御覧下さい」

 頭を丁重に下げる大鳥の表情は、それでも不動の笑みを絶やしていない。結果だけを見れば落胆の内容であるものの、大鳥の笑顔には理由がある。

 携帯電話のナンバーを叩く。相手は件の話を持ちかけた、平田安男だ。

『よう、大鳥。首尾はどうだったよ?』

「矢張り駄目ですね。さすがに人力飛行機に関わった人でない限り、其処までの思い入れを持ってはくれませんから」

『てェ事は、関わった人間は脈ありなんだな?』

「はい。人力飛行機部OBの皆さんは、知っている限り全員参加です」

 これが今回大鳥が得た最大の成果だった。こちらが用意したマイクロバスを使い、OB達は滞在費自腹でサポーティングスタッフを担ってくれると言う。何しろレイヴンスⅡとランドグリズの二枚看板を現地に持ち込むには、大渡烏の人数でも心許ない。経験のある人間が雑務を手伝ってくれるのは、正に僥倖である。

『総勢15人てとこか。後二十人は余裕で乗り込めるな。ま、お前の友達で物好きな奴が居りゃあ、一緒に連れてってやるぜ』

「ありがとうございます。本当に」

『気にすんな。こちらも会社としての考えがあって協力してんだからさ。じゃあな』

 携帯を切ったと同時に、今度は着信音が鳴り響く。燕子花満月からだった。

『もしもし、雷華ちゃん? 例の懇親会、みんな来てくれるって』

「そうですか。楽しみですね。レイヴンスⅡの組み上げも初めて披露出来ますし。帰ったら早速準備に取り掛からないと」

『それじゃ、ぼくも一緒に買出しとか手伝うから』

 所変わって、鶺鴒宅。燕子花は結局持たされる羽目となった携帯電話を懐にしまい、会誌を興味深く覗き込んでいる鶺鴒夫妻に相対した。

「すごいわね。主翼長が35mなんて。前のレイヴンスとは別物じゃない」

 鶺鴒弥生が浮き立つ仕草で仕様図を指でなぞる。その様子からは、最早過去のわだかまりを見てとる事は出来ない。

「皐月さん、レイヴンスの写真、まだ残っているの?」

「勿論。君に言われても僕は捨てたりしなかったさ。二階の寝室の押入れ、一番右の赤いケースの紙袋だ」

 両機の形状を比較してみたい、と言い置き、弥生はそそくさと二階へ駆け上がっていった。残された皐月と燕子花は顔を見合わせ、共に明るい表情を幾分落とす。

「会わせるのかい、二人を」

「うん。烏丸ちゃんの方が言っていたよ。こうして話をしたり出来るのもあと少しだって。そうなる前に、二人に向き合って欲しいんだ」

「全く、分からない話だね。一体どういう事になるのだろう」

 皐月の嘆息は、燕子花の気持ちだった。

 

話の終わり

 お茶会というものに参加した事がないのでよく分かりませんが、多分酒の代わりにお茶を飲むような集まりの事なのだと思います。

「いや、だから、宴会とお茶会はコンセプトが全く異なる代物でありまして」

「それでは、レイヴンスⅡとランドグリズの工程完了を祝して!」

 シャーリーの突込みが乾杯の音頭で敢え無くかき消された。

 ここは八十神学院の数ある校庭の一つ。本日は大渡鴉の貸切で、両機体の完成披露を兼ねた懇親会が催されている。案の定お茶だけでは済まされず、大人向けに酒類が大量に出される始末。「全責任は風間先生が取ってくれるそうだよ」という学院長の鶴の一声で懇親会は許可が下りたものの、生徒が酒を飲んで大暴れ等という事がないように、グラスを傾けつつ周囲に気を配る風間先生も苦労である。

「お前らあ! このままアイデア無しだと本当にあのダンスを踊る羽目になるぜぇギャハハハハ」

 初っ端から缶チューハイを痛飲していた風霞が当然のように暴れ出し、風間はヤレヤレの面持ちで、風霞の首裏目掛けて水平打ちを叩き込んだ。くってりと昏倒させて、風間のチョップは容赦が無い。何しろ雲母のパイロット専用食を口にして以来、彼女はやたらに元気なのだ。他に注意すべきは、手合、青空、リコといった面々だろうか。何食わぬ顔で風霞を小脇に抱え、再び着座してウィスキーを舐める風間先生の、首元に突如腕が巻きついた。そのままキリキリと締め上げてチョークスリーパー。誰だ。

「葵先生かっ。って酒臭!」

「また他人行儀な。今日はマイハニーとか言わんのかえ? しかしぬるい呑み方をしおってからに。うふ。わらわの男ならば、さあ、モンスターカクテル一気呑みと参ろうぞ」

「うわ、まずい酔い方! 誰だ、彼女に酒を盛ったのは」

「すいません、騙くらかして偽装カクテルをしこたま飲ませたのは私です。ギヒ」

「ちなみにそれを作ったんはウチやでへへえ」

 手合と青空が両脇をガッチリとホールドする向こう側、リコがゲタゲタ笑いながら、ウオツカとビールと梅サワーを出鱈目にグラスへ放り込んでいる。それを俺に呑ませようと言うのか君達は。風間先生の声なき声が木霊する。

 酒飲み達の修羅場もたけなわといった按配であるが、茶飲み友達同士の悲喜交々も大概だった。矢上とシンシア。凡そ接点の無かった二人だが、互いに向ける視線は厳しい。

(後から来た分際で、人のものを勝手に取らないでよ!)

(私に立てつこうなんて、百万年早いですわ)

 互いに想い人を挟み合い、無言の罵倒合戦は延々と続く。色恋沙汰が勢い余って衝突するのはよくある話だが、問題は当の想い人が、ひたすらにこやかにお菓子を摘んでいるアメリアという一点だ。

「ああ、貴重な女資源が三つも消えて行く」

「何が女資源だ。資源が枯渇しようが、お互い大差ない人生じゃねえか」

「そりゃそうですが」

 藤林と音羽が揃って頭を抱えた。そして何となく、珍しく談笑する百々目とゲルトルードを眺めてみる。

「雰囲気が幸薄過ぎ」

「タッパ低過ぎ」

「自分だって背が低いくせに」

「殴るぞ。ちなみに俺は、自己申告で相当丈が伸びたぜ」

「丈と言えば、あの人も資源の一つではありますね」

 藤林が指差した先には、タッパでか過ぎの古雅が延々とお菓子を貪っており、しかし音羽は彼女の隣、尻からペタンと座り込んでシューアイスを食べているペンギンに視線を凝固させた。

「そう言えば女…だよなあ? 何て名前だっけ」

「ペンギンマスクでしょ」

 再び頭を抱える二人を横目に、苦笑を漏らしつつ水城は、親友にお茶のお代わりを振舞った。

「俺達も偶には、あれくらい浮かれた話をしたいものだ」

「興味無ぇ」

 すまし顔で、双月の曰く。

「そうかい? 彼女の事はどうなんだ? 随分響と雰囲気がいいようだが」

「彼女とは、そういう間柄じゃないな」

「どういう間柄と?」

「強敵さ」

 所変わって、神楽、藤倉、アルフェッタ。この三人をネタにして、フリーの話を一本書いてみよう。

「駄目だ」

 アルフェッタが落胆しつつ肩を下げた。

「この三人だと、何を話したらいいのか全然分かんないよ」

「同じ寮の住人だって言うのにね」

「しかしこのセンテンス、如何にも三人余りましたって雰囲気がありありで嫌ですね」

 他に書き漏らした人が居ないのか、心配である。

 

 突如、けたたましいマイクのハウリングが鳴り響く。一瞬座が静まり返り、何事かと周囲を見渡すと、今度は更なる大音量のハウリング。そしてマイクの電源がブツッと途切れる音。そしてまた電源が入る。

「さあ、盛り上って参りました!」

 誰かと思えば、壇上にも上がらず宴席でマイクを手に取るシャーリーだった。またぞろ酒を誰ぞに飲まされたのか、上半身がゆらゆらと、振り子のように揺れている。

「それでは、本日のメインイベント! 日帰りバスツアーで言う所のマグロ解体ショーみたいなもの、今からレイヴンスⅡの組み立てを行ないます。ごめんなさい、お酒飲んでいる人、本当にごめんなさいです。ごめんなさいって言ったんですから、とっととレイヴンスⅡを組み立てて頂けてございませんでしょうか!?」

 その一言で、中毒寸前の酔っ払いが一発で醒めるのだから恐ろしい。一同は慌てて工具類をまさぐり始めた。

 レイヴンスⅡは各パーツを一箇所に纏められ、青いビニールシートを被せてある。傍らには燕子花。それに大鳥。二人は互いに目線を交わして頷き合い、シートを一気に引き摺り下ろした。その様を興味深く見詰めていた、OB連の顔つきが一変する。コクピットに昔馴染みの少女が、昔そのままに佇んでいたからだ。

 彼らは一斉に鶺鴒弥生を凝視した。当の弥生は皐月の傍で、目を見開いたまま動けずにいる。それでも皐月に促され、弥生は一歩、また一歩と足を踏み出して行った。

 レイヴンスⅡは着々と大渡鴉一同によって組み立てが開始され、烏丸はその様子を楽しそうに眺めている。と、近付いて来た人に気付いて振り返った烏丸の表情は、拍子抜けする程落ち着いたものだった。

「あら、烏丸さんじゃないですか。御久し振り!」

「烏丸さんって」

 弥生よりも先に、燕子花が驚きの声を上げる。

「じゃあ、一体、君は誰なの?」

「烏丸弥生ですよ?」

 燕子花は訳が分からなくなってしまった。烏丸の顔は、馬鹿にしていなければ、冗談を言っている顔でもない。

 烏丸弥生は言っていた。こうして姿を見せたり、話をしたりするのも直に出来なくなるのだと。それは間違いなくレイヴンスⅡの完成と同時であるのだと理解して、だから燕子花は最後に二人が出逢える場所を設けたのだ。どういう事になるのか全く見当もつかなかったが、結局こうして鶺鴒弥生と会ってみても、烏丸は烏丸のままだった。

「私は、生きている」

 弥生がどうにか言葉を搾り出した。

「私は死んでしまったわ」

 烏丸の言葉は簡潔である。

「でも、もう直ぐ甦るのよ。見て、あれがレイヴンスの新しい姿。楕円翼。主翼長35m。後部尾翼V字型。乾燥重量75kg。リカンベントタンデム。可変ピッチペラ。オートマティックドライブ。そして最高のパイロットとナビゲーター。最高の開発チーム。レイヴンスⅡ。幸せだわ。こんなに幸せな事はない。そうでしょう? 烏丸さん」

「…そうね。本当にそうだわ」

 二人は肩を並べて、次第に形作られるレイヴンスⅡを見守った。最早言葉もなく立ち尽くす燕子花の足を、フレームに潜り込んでいたリコが軽く小突く。

「もう組み上げるよ。いいね?」

 燕子花は迷わず頷いた。組み上がる事で、烏丸弥生と鶺鴒弥生の心は充足するのだろうから。

 燕子花やリコといった一部の者は、烏丸弥生が本当は何だったのかを色々に推測していた。かつての弥生が機体に残した念。ないしはレイヴンスというモノの心。それらは合っているかも知れないし、間違っているかもしれない。しかし烏丸弥生が導き手となって望んだものが、自分達によって出来る限り最上のものとなり、結末として彼女の話は幕を閉じ、琵琶湖という舞台で第二幕が開く。その長いようで短い時間を、彼女と共に悪戦苦闘してきた経験こそが宝なのであって、烏丸弥生の正体は烏丸弥生だった、という所に落ち着いても良いのだろう。そう、全てはこれで良い。

 

 そしてレイヴンスⅡが完成した。

 藤倉が見せてくれた仮想の仕上がり図も素晴らしかったが、実際に形となったレイヴンスⅡは、圧巻の一語だった。正に巨大機であり、これが風の力とささやかな推進力だけで、空を切り裂いて行く等と、にわかには信じ難い。

 組み上げた一同、OB達、弥生と弥生、偶さか校庭に立ち寄った学生達は、しばらくの間は声も無かった。

「それじゃ、浮遊テストを開始するで! 神様仏様ウルリーカ様、どうか主翼が折れませんよーに!」

 青空が真直のベクトルでもって「ウルリーカの第三の腕」を発動。合わせてレイヴンスⅡは、ゆっくりと浮上を開始した。さすがに主翼がしなりを見せるものの、施された強化は伊達ではない。

「見て。私達、空へ」

 烏丸弥生が呟いて、鶺鴒弥生が顔をそちらに傾けると、もう其処には、昔の顔をした彼女は居なかった。

「さようなら。弥生ちゃん」

 言って、燕子花は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「こんにちは。レイヴンスⅡ」

 

ことの始まり

「来たっ。読売テレビからプログラム到着!」

 風霞が分厚い封筒を手に寮の食堂へ駆け込むと、大渡鴉の面々が、あっという間に取り囲んだ。昨日、読売テレビから参加チームへの事前通達を速達配送したとの連絡が入り、郵便配達を今か今かと待ち構えていたのだ。

 細かい参加要綱、注意事項はさて置いて、一番に彼らが確認したのは日程だった。

 大会本番初日。滑空機部門。ランドグリズは10番手。

 大会二日目。人力プロペラ機ディスタンス部門。レイヴンスⅡは、何と1番手だ。

「まずいなあ。これでは他チームの飛行状況を参考に出来ない」

「しかし1番って、どういう事?」

「多分、初参加の高校生主体チームだから、花舞台的に一番を与えたんじゃないかと思う」

「初っ端からすぐに落水したら、後の進行も楽だろうし」

「あんまり期待されていないって事?」

「だろうね」

「驚かせてやろう」

「度肝を抜いてやろうぜ」

「飛ぶわよ、ウチのレイヴンスⅡは!」

 大会は7月27日から三日間。本番は28日。29日。夏の盛りの琵琶湖、松原水泳場特設会場。少年少女が全国の才能達に挑む決戦の舞台。

 

<つづく>

 






今月のアクト補足



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