都内・開発行動

 

<主翼:風間史浪>

 都内某所にある航空宇宙会社コースマスの空力学研究所には、小規模ながら風洞実験を行なえる施設があった。このような施設は企業内機密に関わる為、外部の人間の立ち入りは極度に制限されるのが通例だが、其処は風間という男とK社代表の関わりと、利潤目的ではない学生達の研究への助成という兼ね合いも合って、使用の許可が滞りなくおりた、という次第。

 K社ミハイル技術主任の立会いの下、まずは幾つかの翼型サンプルによるミニチュアの空洞実験が行なわれた。荷重、応力、振動等のチェックを経て、導き出された最適格の翼型に合わせて主翼の再構築が為され、ようやく実機主翼による本格実験が行なわれる運びとなった。

「しかし、人力飛行機というものにはあまり携わった事が無いのですが、予想以上に巨大なものなんですね」

 ミハイル主任が床面に下ろされた片翼を、感慨深く見下ろした。片翼のみとは言え、ざっと見て15m規模である。

「まあな。でかくて軽くて、その上華奢だ。こいつを支えるリブなんざ、主翼全体で300はくだらねえ。そいつを一個一個データに合わせて加工する訳だ。全く、えらいもんに関わっちまったぜ」

 ああんと大きなあくびを一つ吐き、風間はミハイル主任に相槌を打った。彼自身も、昨晩は遅くまで風洞実験に出す準備に追われていたという訳だ。風間のスタンスは生徒の自主性を重んじる、というものだったが、今後の開発進行を考えると、そうも言っていられなくなったのが心情である。

「人力飛行機は巡航速度が6~7km/h程度で、これをおおよそ風速1~10km/hに抑えて実験となると、こりゃあんまり経験した事の無い代物ですね。結果を実験の前に言うのは申し訳ないんですが、多分強度が最大のネックになるでしょうね」

「やっぱりそうか」

「ええ。何しろ巨大な割に速度が遅いというのは難でしてね。主翼は揚力による安定を然程得られないまま、飛行中はほとんど自重との戦いになります。翼形は恐らくベストだと思われますので、積極的な強化策が必要になるでしょう。例えば、リブを更に増やすとか」

「軽量を保ったままか? それは正に頓智だな。さて、実験開始といくか。双月、昇降機にセッティングするから手伝ってくれ。…どうした、双月?」

 ぼんやりと主翼を見下ろしていた双月響が、はたと顔を上げ、慌てて片翼の反対側に付いた。力仕事の為、青空つばめ(彼女はウルリーカの異能持ちなのだ)と双月が同行していたが、殊に最近の双月は伊賀での正パイロット選抜戦以来、人力飛行機に魅入られるような仕草を見せる。

 双月が巨大な風洞機の正面へと上昇する片翼を、無言で見上げる。傍目には散漫な印象があったが、逆だ。

 

 

伊賀・第一次正パイロット選抜競争

 

<1.矢上ひめ子:忍者>

 機体の最高速は各機均一に120km/hを越えないようにデチューンされていた。とは言え、高度10~15m程度の低空をスロットル全開で飛べば、地上の状景が吹き飛ぶように後ろへ流れ、ウルトラライトプレーンとは言え凶暴な速度を感じさせてくれる。

 矢上は鼻歌を口ずさみながら、迫り来るターンポイントを捉えて口の端を曲げた。タイムスタートからテイクオフに要した時間は10秒を切り、低空を維持して突進するフライトプランは功を奏している。今の所90点と、矢上は自己評価を高めに与えた。

 ターンポイント。機体を若干上向けて速度を落とし、最大バンクに突入。ターンで必要とする膨らみを最小限に抑え込み、忍者の名を擁するこの機体の、高い機動性を如何なく発揮する。95点、と自己評価。

「うん。見事なターンだわ。彼女を第一飛行者にして正解だったかも」

 判定者の士渡紅玉が満足げに頷き、矢上による初手から高レベルな飛行を目の当たりにして蒼い顔の者も居る、パイロット候補の面々に向かった。

「あの飛び方を手本にして、みんな頑張ってね」

 出来ません、と言いたい人も中にはあったが。そうこうする間に、矢上がターンを成功させてこちらに戻ってきた。高度と速度を徐々に下げ、ストン、と3本足を同時に着地させる。尋常の腕前ではない。機体を停止させ、コクピットから軽やかに降り立ち、にっこり笑って会釈を一つ。100点。

58:30。1分を切ったわね」

「それって、凄いんですかね?」

「普通にエアレースの上位クラスよ」

 一人の候補の問いに、何でもないように紅玉が答えた。いきなり高い壁が聳え立つ展開となったが、当の矢上は何処吹く風、余裕の笑みで短いながらも愛機であった、マーフィー・エアクラフトの複葉機をねぎらうようにトントンと叩いた。

「いやー、面白かったわ。出来る事ならレースに関係なく小一時間飛び回りたいとこだけど。しっかし、凄いものね、伊賀フライングサークル。ULPの見本市みたいになっているじゃない」

 色とりどりのULPが10機以上、この日の為にずらりと並ぶ様は壮観だった。飛行機好きの矢上が上機嫌になるのも当然である。

 三重県伊賀市、余野飛行場。鳥コン正パイロット選抜戦は、朝の冷気が染み渡る午前九時より始まった。7月下旬開催の鳥人間コンテスト正パイロットへの立候補者は7人。矢上、アメリア・リンドバーグ、神代神楽、赤城烈人、リコ・ロドリゲス・ハナムラ、双月響、山根まどか。本当は藤林源治も候補者であったのだが、今朝方階段から落ちて足首を捻ってしまい、無念のリタイアと相成った。勢い込んでいただけに悲惨な事この上ない。

「嗚呼、ここ最近のツキの無さが、一気に噴出したような気がするなぁ」

「ツキが無いのはどうでもいいが、源治、これでルール上は開発行動にも参加出来ないで、完全に死兵扱いじゃねえか。このポンチめ」

 口を尖らせ容赦無く、音羽仁壬が藤林をバッサリ切り捨てた。本来自分も立候補したかった所を、開発の滞りを鑑みてグッと堪えた身空、文句の一つも言いたくなるのは当たり前だ。まあまあ、事故なんだから仕方無いさね。次に頑張ってもらえればいいんだからさ。哀れさ余ってリコが間に入るという、珍しい光景が展開する始末。

「…それにしても、アタシも乗機が忍者なんだよね。やだなあ、さっきのと比較されるのは」

 複雑な面持ちで見遣る先では、矢上とアメリアがハイタッチを交わしていた。次の飛行者は彼女だ。矢上を知識と経験に基づく秀才だとすれば、アメリアは殊に飛ぶ事に関しては天才肌である。これにて立て続けで、プロジェクト人員中トップクラスのフライトを見せられる羽目になる訳だ。

 

2.アメリア・リンドバーグ:マーベリック>

 アメリアの選んだマーベリックは、先の同社製「忍者」に比すると一回り大きく、その姿は最早セスナに近い。本来ならば滑走にも距離がかかるはずのこの機体を、アメリアはマーベリックの高出力と、持ち前の高度な技術でもって、ドンと跳ね上げて見せた。速い。滑走から離陸に要するタイムは矢上を上回り、これが後々の大きなアドバンスに繋がった。

「いい子だね、マーベリック。このままあたしと一つになって、ポテンシャルを見せて頂戴!」

 フルスロットル。徐々に角度を上向けながら、アメリアとマーベリックが曇天模様に突っ込んで行く。ターンポイント。機体が傾ぎ、一気に旋回を開始。同時に下降体勢。旋回による減速をダイブでカバー。これも速い。矢上のそれと、見立てでは五分と五分。

「あちゃあ、負けた。最初のスタートダッシュで差がついちゃった」

 矢上が額に手を当て、Uターンするアメリア機を眺める。下降して着陸に至るまで、彼女には一分の隙も無い。こうなれば若干の差が、勝敗を大きく左右してしまう。

 記録は57:64。この時点でアメリア、矢上という順位になったが、これを覆すのは如何にも至難の業だと感じられた。

「さすが、アメリカ人。ULP先進国から来た少女ってとこかしら」

 感心したように呟く紅玉の隣で、第三飛行者の神楽は既にコクピットに収まり、勝利のVを掲げるアメリアをチラと見遣って、すぐさま計器類に目を走らせた。

「勝つ自信は?」

「分かりません。でも、あたしはあたしの期待を裏切ったりはしません。全力を尽くします」

「それで結構。あたしの愛機を貸しただけの事はあるわ」

 麗紅、とパーソナルネームを与えられた機体を、神楽は紅玉に所望し、それは快く受け入れられた。クラウドダンサー。雲と踊る者。本来の機種名が気に入ったというのもあったが、ソアリング性に秀でるとの性能緒元は感性に合うと感じられた。それはこの機体を愛する紅玉と、自分自身が何処と無く似ているからかもしれない、と不図思う。

 

3.神代神楽:クラウドダンサー「麗紅」>

 機体能力とテクニックで押し切った矢上やアメリアは確かに手強いのだが、神楽は自分には彼女らに負けない特性がある、と信じている。それは感性という、言葉にすると実に曖昧なものだった。それに多少の無茶を聴いてくれる、見た目よりは頑強な身体能力。

(風は東北東から幾分強い。下から吹き上がるような感じ。だったら操縦桿よりも風に乗って高度を稼ぐ)

 その方が減速を抑えて上昇出来る。気流を捕まえてソアリング。麗紅の高度が上がる。見る間にターンポイント。ここから帰着するまでが勝負になる、と神楽は判断した。

 旋回開始。

 姿勢制御。

 フルスロットル。

 一旦収まっていた麗紅の排気音が、意を受けて再び轟いた。クラウドダンサーの特異なフォルムがダイブを敢行。加えて追い風。デチューンされた最高速120km/hを越える速度を叩き出す。機体振動を力で押さえ込み、ゴールへ向けて疾走。帰着。若干着陸に乱れが生じる。

「ジャスト59:00」

 ストップウォッチを切って紅玉が宣告。転がり落ちるようにコクッピットから這い出た神楽が、麗紅の脇に足を伸ばして座り込み、拳を高く突き上げた。短いフライトではあるが負担と緊張はかなりのものだったのだ。

「凄い。1~3位までまるで僅差じゃないか。ついて行けんのか、昨日今日の俺」

 珍しく弱気な台詞を呟きながら、赤城は士渡がそそくさと用意する機体を眺め、更に口元を引き攣らせた。何故ならその機体は、士渡夫妻によるフルハンドメイドオリジナル、士渡スペシャルという代物だったからだ。

「いやあ、君は見る目がある。士渡スペシャルを選んでくれて嬉しいよ」

「いや、選んだと言うか成り行きと言うか…しかし、随分華奢な機体ですね、これは」

 赤城が呟いた通り、士渡スペシャルはクラウドダンサーと同じく低翼機である。翼長は詰めていて、鋭角的なフォルムが目立つ。如何にも直線域の最高速を重視しているのが分かる。が、全機体120km/hで調整されているのは士渡スペシャルも同じなのだ。

「大丈夫。こいつのソアリング性能はクラウドダンサーに匹敵する。風を上手く捕まえれば、前の三人にだって負けやしないさ」

「問題は一回だけの旋回ですかね…。でも、やっぱり怖いなあ、フルハンドメイド。士渡サン、墜落したりしませんよね?」

「何を言う。こいつには俺と彼女の愛が詰まっている。多少のガタなんて問題ないさ!」

 そうだよなあ!と士渡が同意を求め、対して離れた位置に居る紅玉が、シナを作って投げキッス。赤城、げんなり。

 パン、と両頬をはたき、赤城は意を決してコクピットに乗り込んだ。操作系統に問題は無い。伊達に昨日は乗り倒していないのだ。練度が低かろうと大丈夫。自分はやれる。ようやく、赤城の強気が戻ってきた。

「こいつにはパーソナルネームがある」

 離れ際、士渡が声をかけた。

「アワーグラス。いい名前だろう?」

 砂時計か。確かにこのレースにはぴったりのネーミングだと、赤城は思う。

 

4.赤城烈人:士渡スペシャル「アワーグラス」>

 フライトプランは、麗紅と趣旨の同じ機体だけあって、ほぼ同一のものになる。即ち風を読んで速度を稼ぐこと。

 参加人員中ハイクラスの体力を保持する赤城には、暴れる操縦桿を抑えるだけの胆力がある。相変わらず風向きは折り返しからの追い風方向。上昇からターン、そしてダイブ。上手くやれば、上位に食い込める実力が、既に赤城には備わっている。

 しかし問題は、ターンだった。

「…チッ、膨らみやがった!」

 叫んでみたが、僅かに遅い。傍目にも膨らみ気味のターンは、こうなると折り返しからの突進で取り戻すのが難しい。しかし赤城は諦めない。

(行け!)

 叫んだのは赤城。或いはアワーグラス。追い風を捉え、フルスロットル。麗紅の加速性能を凌駕。アワーグラスと赤城の内なる凶暴性が、一気に解放されたと見紛う速度でゴールに向かう。ほとんど突っ込むような形で辿り着いた赤城のタイムは、59:93。

 返す返すターンのタイムロスが惜しかったが、それでも1分を切って見せた。昨日今日にしては凄まじい実力である。

「うわあ、みんなガチでやってんじゃないのさ。大丈夫かね、アタシ」

 自分と同じく、初心者のはずの赤城が大健闘をしてみせた。これはシャレにならんと、忍者の場所へと赴くリコの足取りは重い。

(セオリー、セオリー。セオリー通り)

 念仏のように頭の中で繰り返す。ドアをパタンと閉め、忍者の狭いコクピットに収まり、リコはフウと息をついた。傍目には分からないし、恐らく自覚も無いだろうが、リコは根が真面目な人間である。昨日のレクチャーを脳内で反芻し、良い飛び方というものをその通りに思い描く。そしてリコは、エンジンを始動させた。

 

5.リコ・ロドリゲス・ハナムラ:忍者>

 離陸に至るまでの加速は、昨日のドリフターが主翼よりも前面に出る格好だったので、然程恐怖感は無かった。フワリと宙に舞うアンバランスは、相変わらず慣れるのが難しかったが。

 スロットルを後ろに倒し、速度を急上昇。密閉型ではないが、首より下が隠れるコクピットというのは有難い。押し寄せる風圧に臆する事は無くなるのだから。

 ターンポイント。左のラダーペダルを踏み込む。減速。操縦桿を左に力一杯倒す。左旋回スタート。

「あれ? わりと良くない?」

 呟きながら、リコは自分が思うほど難しくなかった旋回をまとめ、地面にダイブする格好の忍者の姿勢を徐々に戻していった。合わせてスロットルを引き絞る。速度は乗りに乗っている感じで、結構いい。楽しい。と思えるようになってきた。

 教科書通りに減速。教科書通りに着陸。

 なんだ。呆気ない。むしろレースはいいから、もっと乗りたい。そう思いながらコクピットから出て来たリコを出迎えたのは、難しい顔の赤城だった。

「どうしたのさ、色男」

59:71。リコの勝ちだ」

 キョトンと呆けた顔のリコはさて置き、5人が飛んだ所で改めて順位が確認される。

 1位:アメリア。2位:矢上。3位:神楽。4位:リコ。5位:赤城。この時点で選抜通過はアメリアと矢上。そして神楽が確定。全員が大健闘と言って差し支えないフライトであるが、順位は今の所下馬評通りでもある。

 残るは二人。まずは双月響。悲喜交々の喧騒を背に、自らの乗機、チャレンジャーへと静かに赴く。オーソドックスで基本性能が高く、そして挑戦者という名は双月の性格に合うものだった。

「あ」

 不図アメリアが、コクピットに乗り込む双月を目に留めた。幻覚か、と思う。一瞬ではあったが、双月の体がチャレンジャーの中に、溶けていってしまうように見えたからだ。

 

6.双月響:チャレンジャー>

「さあ、行くぜ」

 自分に言ったのか、乗機に対してか、それは分からない。ただチャレンジャーの方も、唸るエンジンの始動で双月に伝えたのは間違いない。さあ、飛ぼう、と。

 発進。スロットルを絞って、コツコツと操縦桿を指で叩いて、ここというポイントで、操縦桿を引く。機体が跳ね上がり、双月の体が一気に地上のくびきから開放される。

「速い。何て速さなの!」

 チャレンジャーの蹴り上げるような離陸を呆然と見送るアメリアに、腕を組んで一点を凝視したままの紅玉が声をかけた。

「彼、どういう人なの?」

 経験の事を言っている。

ULPは、そんなに。昨日が初めて沢山乗り込んだ日だと思います」

「そう。じゃあ、今日は機械に見込まれたんだわ」

「機械に見込まれた?」

「秀才でもないし、天才でもない。でも、機械と人間が複合して一つになる、そういうシチュエーションは、不意にやってくるものなのよ。断言して悪いけど、優勝するのは双月君」

 紅玉の言う手前、チャレンジャーは既にターンポイントからの旋回を開始していた。誰よりも鋭角に。誰よりも効率良く。そして誰よりも速く。機体特性と人間の能力が完全に複合する様を目の当たりにし、アメリアは凄い、と思うよりも怖さを感じた。自らも長年ULPに携わり、彼らを友と感じて久しい身でありながら、あそこまでのシンクロは経験した事が無い。

「人間と機械の独立した二体が、人間と機械による一つの複合体に勝てる道理は無い、ってとこかしら。安心なさい。こういう事は滅多に無いのだから。でも、彼はこれを糧にして更に伸びて来る。強力なライバルの出現を、歓迎しつつ研鑽を重ねる事ね」

 紅玉の予言に沿い、チャレンジャーは着陸までを完璧にまとめてきた。タイムは、55:80。

「残念だが、落ちたか」

 赤城の言葉は落胆そのものだったが、声に無念の色は無い。精一杯、やれるだけの事をやって、その上で双月による神懸かり的なフライトで膝を屈したのだから、悔いの残ろうはずもない。

 後は、パイロット候補達が凌ぎを削る様を見守り、彼らの内唯一人が乗るだろう人力飛行機を、頑張って作っていこう。赤城は晴れがましい面持ちで、ぼんやりとコクピットから出て来た双月の、肩を揺すって労った。

「ちょっと待って。アタシが今5位って事は、ペンギンちゃんのフライト如何て訳!?」

 リコが半ば悲鳴を上げる。当のペンギンちゃん、山根まどかは、さすがにふくよかなペンギンぐるみは脱ぎ捨て、所謂「中身」の状態で、ブルブルと震えながらクイックシルバーMXに搭乗しようとしていた。飛行服は防寒性が高いにも関わらず、中身だけでは寒くて死にそうです、とでも言いたげな。

 嫌だ。何となく、ペンギンに負けるのは嫌だ。肩を組んで健闘を称え合う赤城と双月、そして我が身を比するリコの焦燥。

 

7.山根まどか:クイックシルバーMX>

(うふふ。ふ。誰もわたしを見ていない。ペンギンマスクじゃないわたしはペンギンじゃないとでも言いたいのかしら? でも、見ていなさいよ皆様方。空飛ぶペンギンによる野望のフライトを御披露してみせますから。英語で言うとフライングペンギン・ビー・アンビシャス)

 寒さで小刻みに震える手で、それでも不敵な笑みは絶やさずに、山根はエンジンを始動させた。確かに、寒いのは無理も無い。このクイックシルバーMXという機体には、風防らしいものは一切無く、風圧直撃突風吹きさらしの、とてもとても凍える代物だったのだ。ペンギンぐるみでは収まりきらないコクピットが口惜しい。あれさえあれば、わたしは無敵なのに。そう言っても始まらない。何しろ収まりきらないのだから。

 ペンギンだって空を飛べる! いや、実際は飛ばないが。それでも水中では、ペンギンは地上でのもたつきが冗談のような機動力を発揮する。実はホーミング魚雷というのは、水中を駆け巡るペンギンの姿をヒントにして作られました。すいません。今のは嘘です。それはさて置き、実際に空を飛ぶとあんな感じなのだろうと山根は思う。羽が小さすぎるとか、ずんぐりした体型がナニだとか、そもそも野生のペンギンは更々飛ぶ気が失せているとか、細かい事はどうでも宜しい。フライングペンギン。正に空の覇者。ペンギンマスクもあんな風に空を飛べたら、地上はペンギンのペンギンによるペンギン支配の理想郷に生まれ変わるのかしら? 羽を丁度クイックシルバーのようにピシッと真横に伸ばし、亜音速で滑空するペンギンマスクを想像し、何だか山根は気持ち良くなってきた。

 

「山根ーっ! ターンポイント! ターンポイントでターンしなきゃ!」

 仲の良いアルフェッタ・レオーネが真っ青な顔で、優雅に直進飛行を続けるクイックシルバーに向けて無線でがなる。

『えへへ。ドイツのV1ロケットみたいですう』

「ああっ、トンじゃってる! トンじゃってるよお!」

「まずい、あのままでは民家のあるほうに向かってしまう」

「モトヒサ、アワーグラスで出て! 私も麗紅で追い駆ける!」

 騒然となる地上を他所に、確かに今の山根は空を我が物としていた。結局途中で正気付き、慌てて引き返したものの、タイムは、敢えて言うまい。

 

「えー、全員ご苦労さん。これにて全ての選抜飛行は完了した。上位五人、おめでとさん。これからも精進するように。漏れた奴ぁ、気に病むな。どっちかと言えば、今の俺らには開発の方が重要なんだから。明日から全員一致団結して、作業に取り掛かってくれ」

 風間先生が挨拶で締めくくり、これにて第一次選抜競争はお開きと相成った。時間は、昼食を挟んで午後一時。短い伊賀滞在は終わりを告げ、彼等はまた城輪町に戻るのだ。

「でも、残念ね。打ち上げに焼肉でもご馳走しようと思ったのに。美味しいのよ、伊賀牛」

「はっはっは。こいつらにそんな時間を楽しむ余裕は無いからな。お気遣いに感謝する、とだけ言っておこう」

 数多の視線、それも恨めしいを通り越して憎しみのソレを浴びつつも、風間は意に介さずで向き直った。

「さて、言った通りお前らには時間が無い。何故ならこれから俺達は琵琶湖に向かい、鳥人間コンテストに向けての現地視察をせねばならんからだ!」

 …次回、第四回リアクションの前に、滋賀編作成決定(本当)。

 

公界往来実践塾・開発行動

 

<尾翼:音羽仁壬 神代風霞>

「あーあ。こうしてみると地獄の伊賀行も、退屈を凌ぐって意味じゃ悪くなかったかもね」

「先輩、俺の前で退屈退屈言うな。ムカつくから。凄えムカつくから」

 胡坐をかいて煎餅を齧り、CFRPの加工教本をめくる風霞の手前、音羽は伝達索の取り付けに悪戦苦闘を繰り返している。

 前回問題になった素材変更と伝達系の強化は、正にこの二人が対処すべき課題だった。一応、尾翼そのものの素材はCFRPの全面採用という形でケリをつけている。しかし音羽の考える、舵の切れと安定を達成する為の伝達能力の向上は、実に技術の要る仕事で、中々苦労する代物だった。一本を引けば右に曲がり、もう一本で左に曲がる。上昇、下降もそれに同じく。これらは独立しつつ操縦桿の動作に合わせて速やかに作動させねばならないし、何より頑強さも求められるのだ。これが途中でブチっといってしまったら、フライトはその時点で終了してしまう。

「先輩、幾らジャージだからって、男の前でそんな格好すんじゃねえよ!」

「うっさいわねえ。あんたお父さん? こんなんで恥ずかしがっちゃって、彼女出来ないわよ、彼女」

「お前は俺のおふくろか」

 一事が万事この調子。それでも課題をきっちりこなしてしまうのは、二人とも根が真面目であるからだ。そうこうする内に、ようやく音羽の作業が日の目を見た。綺麗に伝達索が意図を伝え、尾翼の反応も調子は上々である。

「上出来、上出来。煎餅食べる? 食べかけだけど」

「要らねえよバカ。しかし、もう一つ面倒事を考えにゃならん」

 後はコクピットとのリンケージだが、二人はここで考え込んでしまった。

「今回はコクピットに手が入っていない。向こうさんの改良が追い付いて来ないのは、バランス的に問題ありだな」

「それに主翼との兼ね合いもそうよ」

「何だって?」

「ほら、主翼は翼面積が大きいじゃない。だから低速の人力飛行機において、更に低速安定型を目指す事になる。そうなると尾翼形状そのものも、それに合わせなきゃならないと思うよ」

「まあな。鋭くていいデザインだが、こいつぁ明らかに高速高機動タイプだもんな。面倒だが、今ならまだ間に合う。そいつも視野に入れて、次の開発に繋げなきゃな」

「という訳で、今日はお開き。お疲れ様でした」

 ごろんと横になる風霞の手前、音羽はもう、あれこれ言うのは止めた。何を言おうが柳に風。それでも一つは文句を言ってみたくなる。

「お前、シャーリー先輩の時は黙々と打ち込んでいたくせに、緊張感の欠片も無えのな」

「まあね。ほら、あの人、金髪さんじゃない」

「だからどうしたって言うんだ」

「それに粛々と事を進めるタイプだし、どうも真面目にやらなきゃ洒落にならない気がするのよね。いやー、あんたは気が抜けるわ本当」

「間違いなく、俺はそれを聞いて喜んじゃいけないんだろうな」

 

<プロペラ:青空つばめ シャーリー・エルウィング アルフェッタ・レオーネ>

 ゲホン、と一つ咳払いし、シャーリーは眼鏡についた細かい破片を吹いた。そして眼鏡とマスクを掛け直し、再びプロペラブレードの加工に没頭する。

 プロペラブレードは削り加工の際に出来る細かい破片が、よく見ると棘のように尖っていて、吸い込むと非常に危険である。こういう気を使う作業は彼女の性に合っていたし、今回はアルフェッタという強度のバランスを見るに敏な人材が相棒となって、相変わらずしなやかで剛性のある加工が施されていた。

 前回は前回でそれなりにブレードの加工は上手く出来ていたのだが、結局再度デザインの見直しとなったには理由がある。プロペラのアイデアに新機軸がもたらされたからだ。

「時代は可変ピッチや!」

 そう強く断言するのは、今回初登場の青空つばめ。大学生。彼女の案、可変ピッチプロペラは現用レシプロ機に通常的に採用されている、ブレードの捩れ角を状況によって変更出来るというものだ。しかしながら、今の所鳥人間コンテストで主流であるのは固定ピッチ。低速巡航が基本である上、何より其処まで手を加えられる技術力を持つ集団は、そうそう居ないからだ。ただ、可変ピッチは明らかに飛行能力の効率性をアップさせる技術であり、これに挑戦するのは正しくトライアルだった。こうなると自信満々の青空は如何にも頼もしい。

「発進時と、巡航時。この2種類で今回は進める訳ですね。でも、もっと多段階にする事も出来そうですよね」

 と、シャーリー。

「そうや。パイロットの疲労や速度の下落に合わせて、何段階かあった方がもっとええ感じになるねんで。そうなったら、また細かい所で加工の調整が必要になるけど、結構手先の器用な人が揃とるから、上手く行くんちゃうかなあ」

「そうですね。また私がここのパートになったら、その時は協力致します」

「でもさあ、多段階になるって事は、もしかしてコクピットの駆動も多段階になる必要があるんじゃないの?」

 何気ないアルフェッタの呟きに、二人から瞠目の視線が集中する。受けてアルフェッタも目を丸くして曰く。

「あれ、あたし、何か変な事言った?」

「そう。そうですよ、アルフェッタさん。ピッチの変更と駆動の段速は、連動した方が効率がいいに決まってます!」

 キラキラした瞳で手を握ってくるシャーリーに、目を白黒させながらもアルフェッタ、赤面。そ、そう? あたし、いい事言った? でも、そんなに近寄らないでってば。何か変な気を起こしそうじゃない。嗚呼、それにしても、あなたは涼しい瞳をしてる。微妙な気持ちのアルフェッタを、雰囲気ブチ壊しで「わちゃあ」と叫ぶ青空が現実に引き摺り戻す。

「コクピットに誰も関わっとらんやないくぁ! これじゃバランスが悪うて、多段階作業に進められへん!」

 確かに。此度はパイロット選抜に人員を割かれ、都合開発も若干ながら進行が鈍ったのが実情。それでも、確実に各パートは進行している。プロペラパートのように、他チームを上回る目だって、見えてきているのだ。

 

<フレーム:東田小百合 大鳥雷華>

「どうしたもんかしらね」

「どうしたもんでしょうね」

 フウ、と大きな溜息が二つ。東田と大鳥によるフレーム作業は、もう一つ趣旨が定まらないという一点で腕組む羽目になった。そもそも強度に関しては、前回でそれなりに手を入れている。素材変更、樹脂接着。悪戦苦闘しながらも、東田はそれなりのものに仕上げたつもりだ。

「強いて言えば、やはりこの、接着テープぐるぐる巻きが今ひとつ美しくないかもしれません」

 大鳥が指差す箇所は、確かに幾分不恰好にテープが巻かれている。強度面で不安があった故の措置なのだが、こういう細かい所で軽量化を阻んでいるのは想像に難くない。

「テープを外して、接着面を木の軸組みみたいに、上下から負荷がかかっても外れないようにするとか」

「それ、いいかもしれませんね。でも、そうなるとそれなりに手先の器用さが必要になりますね。エポキシ樹脂も効率的に貼り付けていかないと」

 取り敢えず、方針は決まった。二人は早速作業に取り掛かる。

 フレームは何しろ巨大だ。巨大な主翼と最前部にコクピット、尾翼に至るまでを抱え込む、人力飛行機の屋台骨である。二人がかりの作業は如何にも大変ではあったが、それでも話し合いながら作業は進む。数週間を経て、形に仕上がった。強度は、然程落ちていない。その上すっきりと洗練された形状になっている。前よりはずっといいものになったとの自負が二人にはあった。

「でも、接着面は今一度手入れをした方が更に良くなるかもね」

「更に頑丈軽量化を目指すとか…。そうなると、矢張り素材の方でも新機軸が必要になりますし」

「それにつけても、金の欲しさよ、か」

 べけーん。

 と、いきなり場違いなコードが流れ込んできたのは前回と殆ど同じプロット。振り返ってみれば、其処に居るのはギターを持った、誰?

「藤倉辰巳と申します。大鳥さん、これ、あなたのギターですね?」

「あ、どうも」

 またも新顔登場。その名を藤倉辰巳。眼鏡が似合う18歳。藤倉は懐から封筒を取り出して、そっと東田に手渡した。封筒を切り、中を覗いた東田の目が丸くなる。ここまでの文章、前回と全く同じ。

「げ、最初に私が稼いだのよりも多いじゃない。一体何のバイトをやらかしたの?」

 藤倉は髪をかきあげ、フ、と小さく溜息を漏らした。

「聞かないで下さい。男にも秘密の一つや二つはあるのですから」

「何か、また変なのがやって来たわね」

 身も蓋も無いことを東田は言う。

 

 これで一通りの手入れは終わった。

 烏丸弥生は浮遊霊らしく浮遊しながら、各パーツの進行状況を確認して行く。わあ、と快哉をあげたり、ううむ、と考え込んだり、忙しい霊魂である。

「コクピットに手が入らなかったのは残念ですが、それでも皆さん、凄いですよ。確実に開発は前進しています。この調子で頑張って行きましょう!」

 熱弁を振るう烏丸の傍ら、燕子花満月が小さな体を更に小さくして、じっと彼女を見上げている。それに気付いて、何です? と彼女が問えば。

「ううん。何でもないよ。ぼく、秘密なんて隠してないよ」

 分かり易い。ああ、分かり易い。それでも烏丸は、そうですか? と、気にした素振りも見せず、こちらも生来の鈍感さが実に分かり易い。

「名前をつけましょう!」

 烏丸は言った。

「この子に相応しい名前を。もう、この機体はレイヴンスである必要はないのです。そして私達のプロジェクトが、全国ネット日本テレビ系に打って出る為の、すんごい格好いい名前も! 私達のつばさを、今この時から羽ばたかせる為に!」

 

<続く>

 






今月のアクト補足




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第三回:第2リアクション:『私達のつばさ』