特設校「公界往来実践塾」の一階に設けられた作業室への、バラされた人力飛行機の搬入は既に終わっている。例えばダイヤモンドカッターやボール盤といった、易々とは一般で入手出来ない機材も、風間史浪の手引きによって技術系特設校からの借受が済んでいた。形だけなら一端の工作所といった趣がある。

 資材はそろった。道具もある。そして何より大切な、人力飛行機をこの手で作ろうと志す面々も、既に全員が集まっている。

しかし彼らは、作業を始めずに待っていた。難しい顔で待っていた。かれこれ2時間。最初は賑やかだった彼らの集いも、今や何処の裁判かと見まがうばかりに危うい空気に包まれている。裁判と言う例えは正しい。所謂欠席裁判。いや矢張り意味が違った。彼らは一人の欠席者を待ち続け、かれこれ2時間を越えてしまったと言う次第。そりゃ怒る。

「すみません、遅刻しました!」

「遅え!」「遅いよ!」「時間を守れない奴はロクな社会人になれねえぞ!」「かれこれ2ヶ月は待ったような気がします…」

 扉をすり抜けて飛び込んで来た、熱血幽霊こと烏丸弥生、怒涛の如く浴びせられる非難轟々雨霰。冷や汗を浮かべ(そんな風に見える)額を拭い、烏丸はひたすら平謝りの体で、取り敢えず言い訳にならない言い訳を試みてみた。

「いや、その、年末の進行が阿修羅モードでクリエイティビティを喰らい尽くされるって言いましょうか」

 返ってきたのは更なる怒声とペットボトルの集中砲火。勿論烏丸は幽霊なので、ペットボトルは当たりません。最早描写に際限がありませんので、この位で堪忍して下さい。

「さて」

 軽く咳払いの後、烏丸曰く。

「遂に私達の人力飛行機開発作業が始まります。実験機レイヴンスをリシェイプして行くという方針で、ともあれ大幅な時間短縮と相成りました。事前にお聞きしました皆さんの御意見を鑑みるに、レイヴンスは最終的に原型を留めぬ程の新機体となりましょう。正にそれこそが開発! 何れこの機体には、皆さんから新しい名前を募らなければなりませんね。それはさて置き、知識のある無いに関わらず、皆さんのアイデアは一つ残らず機体構成に採用され、その結果でもって私達は、かの精強な日大や東工大、そして東北大と競い合うのであります! イヤッホウ! さあ、私達の短くも七転八倒の旅が、今この時より始まりますよ。旅路の果てにあるのが輝かしい成果であると信じましょう!」

「果てにあるのが遅刻の嵐じゃなきゃいいけどな」

「そうですね」

 

 

<主翼:神代神楽 風間史浪 大鳥雷華 リコ・ロドリゲス・ハナムラ>

「という訳で、俺は飯でも作ってくるわ」

「何が『という訳』ですか何が」

 びた一文似合わない割烹着にそそくさと着替え始めた風間に向け、当然の如く神楽が呆れ声をかけた。

「一番大事な主翼部分の製作なんですよ? 人手が幾らでも欲しいってのに」

「言ったろ? こいつは生徒達が自ら作業するのに意味があって、俺ぁ先生として温かく見守るのが立場ってもんなんだよ。ま、実作業以外の些事は俺に任せて、苦労を楽しめってこった」

 確かに、場所の手配から工具の入手、資材の仕入先に学院との交渉に至るまで、風間は教諭、社会人として出来る仕事を可能な限り引き受けている。それは神楽も承知しているので、三角頭巾をくるくると振り回しながら作業場を後にする風間を、渋々と見送るしかない。

「まあ、あれよ、腹が減っては何とやらって言うしさぁ。自分らでやれるトコまでやったろうじゃん」

 リコの言い方は楽天的ではあるが、しかしその通りだった。限られた時間と人材で、主翼という人力飛行機の花形を、兎にも角にも自分達がデザインしなければならないのだ。リコは烏丸や矢上、アメリアの指導の元で引いた図面を広げ、横たわる長大な実機の片翼を見比べてみた。

「成る程。面積が広がっている。翼長も若干の伸びがあるね。実際見比べると、よくわかるもんさ」

「主翼は繋ぎ合わせて作っていく形式だから…ある程度の所からはリブを継ぎ足すって形でいいんじゃない?」

「そうなんだけど、これ、最終的には全て作り直す必要があるんじゃないか? 翼長はともかく翼面積を増やすとなると、やっぱりリブそのものの大きさを変えないと、強度がめっさ怖いんだけど」

「素材から何から見直しかぁ。ま、取り敢えず今回は図面通りのものを改造の延長で作りましょ。何しろこのデザインで行けるか否か、テストフライトで確かめないといけないしね」

「成せば成る、成さねば成らぬ、何事も」

「それにつけても、金の欲しさよ」

 二人は揃ってやるかた無いため息をついた。主翼は人力飛行機を構成する中で最も巨大な箇所であり、自然かかる費用も全体の半分近くを占めてしまう。限られた予算内で、コストを抑えつつ最大限の効果を要求される、一番シビアなパートでもあるのだ。

 べけーん。

 と、いきなり場違いなコードが流れ込んできた。振り返ってみれば、其処に居るのはギターを持った渡り鳥。

「誰?」

「うう、幾ら目立たない性格だからって、忘れてしまうなんてあんまりです」

「雷華、居たの?」

「ひどい。さっきからずっと後ろに居ましたのに…」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしてギターを脇に置き、大鳥は懐から封筒を取り出して、そっと神楽に手渡した。封筒を切り、中を覗いた神楽の目が丸くなる。

「どうしたの、この現金」

「一番お金がかかるのが主翼だと聞いて、私に出来る貢献を考たのです。家庭教師をやっております」

「そうか。雷華、頭イイものね」

「加えて夜の城輪町で流しの弾き語りを少々」

「ああ、そう…」

「ま、何はともあれ、チったぁ気が楽になったさね。早速改造作業開始と行こうかい」

「私は歌で応援しましょうか?」

「弦の替わりに熱線カッターを持ちな。火傷しないように気をつけて」

 かしましくも三人少女による加工作業が開始となった。志すはしなやかさ。女性らしいセンスの所以であるのだが、剛性への配慮に関しては、もう少し工夫が足りない。それでもこれは、取り敢えずの試作段階である。弱点は後から見つけて直せばよい。幸い大鳥のおかげで、コストもそれなりに抑えられるのだから。

 

<尾翼:音羽仁壬>

 生物は個体生命だ。二つで一つの生命体なんてもんは無え。人間だってそうだ。生まれ落ちた瞬間から火葬にされるまで、人間てのは常に一人きりなんだ。

 そうは考えても尾翼改造担当が音羽一人のみという寂しさを埋めるに至らず、むしろ音羽の空しさは増す一方の有様。いや、尾翼ってのも大事なんだぜ? こいつがしっかりしなきゃ、旋回も上昇もままならないんだからさ。おーい。誰か俺の心の声を聞いてるかあ?

「大丈夫、私がついています。音羽さんの心の声、しかと受け止めましたですよ」

 そう言って他には目もくれず一応の加工が上がった尾翼部分を凝視しているのは、烏丸。幽霊。幽霊だけが友達。不図そんな言葉が過ぎった己が頭を、音羽がしたたか殴る。ふざけるな。俺にだって友達くらいは居る。見くびらないで欲しい。

「…で、尾翼のデザインはお前の目から見てどうなんだ」

「鋭いですね」

 言う通り、尾翼デザインは音羽の意思を汲んでシャープなものになった。緩やかに回ればいい旋回はともかく、殊に上昇下降の操作はパイロットからの伝達が素早いものでなくてはならない。音羽は何の気無しにリアを摘み、僅かに口の端を吊り上げた。

「ちょっと重いな」

「素材に手を入れていませんしね」

「それを言うならワイヤーからの接続も少々心許ない。コイツぁ全くいじらなかったもんでさ」

「仕方ありませんよ、今回はお一人だったのですから。ここまで仕上がっただけでも僥倖ではないですか」

 

<プロペラ:シャーリー・エルウィング 神代風霞>

 作業そのものは単純だ。主翼面積の拡大に伴い、プロペラの大きさも若干引き上げる。他のチーム同様、プロペラも複数のパーツを接着する作業である為、これは比較的容易に形を組む寸前までが出来た。むしろ大事はここからの作業、仕上げの加工になる。風圧を人力飛行機の先頭でダイレクトに受けるプロペラは、杜撰な作りでは空力性能に支障をきたしてしまう。

 そういう意味では、シャーリーの配置は的を射ていた。何しろ几帳面な性格と調和を重視する人柄。表面のやすりがけで凹凸を無くし、カーボンクロスの貼り付けに塗装と、肌理細やかさが要求される仕事を確実にこなして行く。しかしそれは、相方にも同じくだった。

「繊細でいらっしゃるのですね」

 塗装の手を止めずに、シャーリーが風霞に言った。対して風霞も、クロスを慎重に覗いた格好のまま混ぜ返す。

「私、まだ17歳なんだけど」

「いえ、年齢の話ではないのですが」

「ああ、やっぱりボケが利かない。まあいいや。繊細ですって? ンな馬鹿な。繊細な奴の部屋にカップラーメンのカラが散乱する事ぁ無いでしょ?」

「仕事振りを見れば分かります。単調な作業ではありますが、集中が途切れていません。指先の動きから、優しさが感じられます」

「やめてよ、肌が粟立つじゃない。拙い仕事でみんなからギャアとか言われたくないだけなんだから」

「それは私も同じです。迷惑はかけたくありませんから。もう少ししたら、お茶でも淹れましょう。適度な休息も、集中の維持には肝要ですよ」

 と、他愛無い会話を交えながら、仕事は着々と進んで行く。こうしてさしたる失敗も見当たらず。二人はペラ加工をやり遂げてしまった。

 変なイベントとは無縁の組み合わせであったので、何だか描写も淡々としている。余計なイベントだらけの作成チームもあると言うのに。

 

<フレーム:双月響 赤城烈人 東田小百合 アルフェッタ・レオーネ 山根まどか>

「っしゃあ気ィ入れていくぞオラア! 鮒寿司LOVE!」

「鮒寿司LOVE!」

 円陣から意味不明の気合が轟き、何処の体育会系かと見まごうばかりだが、その実はフレーム作成班の面々である。ただ、誰も彼もが格闘万歳腕力上等というだけの。彼らに共通している改造コンセプトは『頑丈』。これはその通りで、フレームは全てのパーツを背負う屋台骨である。そういう意味では体の頑丈さに定評のある、かの5人が集まった事については正に適材適所であった。よくわからない論理の筋道ですが。

「ふうん、強度も重量も今ひとつかもな」

 そんな事を呟きながら、双月がバラされたフレームを腕組みしながら見下ろしている。しゃがんでいた傍らのアルフェッタが、双月の顔を見上げて曰く。

「そうかい? 重さはともかく、結構作りはしっかりしていると思うけどね」

「木材とアルミニウムの組み合わせなんだよ。一貫性が無い上に無駄も多い。ここは一つ、CFRPに全面交換と行かねぇか?」

CFRP?」

「カーボン繊維強化プラスチックの事だ。テニスラケットから航空機の素材まで、色んなとこで使われてる。勿論人力飛行機の素材にも。強度に比べてコスト安。柔軟性もある上に加工し易いときた。とは言えアリモンだの発注品だのを使うとまだ高ぇ。ここはウィンドノーツみたいな上位チームを見習って、プリプレグシートから一丁自作と洒落込むか。幸い、フレームの形状は簡単だ。俺等でもパイプへの加工は何とかなるかもしれねぇ…って何で瞳をウルウルさせてやがる」

「感動した。あんた、やれば出来る子じゃない。ほっぺにbacioしたいぐらい」

「やれば出来るは余計だぜ。それからbacioってのは勘弁だ。何かこう、いやな予感がする。大体俺だってお前、人力飛行機部員なんだぜ?」

「あ、知らなかった」

「おい」

 結局作業は、明日以降一からやり直しになるのだが、そんなやり取りがあるとは露知らず、赤城は取り急ぎ一直線に仮組みされたフレームを、作業場の外でフンガアと担ぎ上げるのだった。

「どおだあ!」

「何が」

 東田が冷静に突っ込む。

「俺が持ち上げている間に作業するンだ!」

「取り敢えず下におろした方が作業し易いんじゃないかな」

「そうだな」

 素直に頷き、フレームを下ろす。改めて五人揃って、フレームを観察。

「素材云々は別の話として、接続の仕方が問題だな。一番負荷がかかってくるのは、ここだろうし」

「エポキシ樹脂ってのを、一度試しに使ってみる? ペンギン、シリンジ用意」

「ペンギンではなくてよ。わたしの名前はペンギンマスク」

 本名がそんな奴は世界中の何処にも居ないのだが、ともあれ山根は東田に言われてシリンジを手に取り、エポキシを封入しようとした。しかしペンギンマスクはペンギンぐるみであるが故、あの羽みたいな手では上手く行かない。何度やっても取り落とすので、山根は肩をすくめてこう言った。

「駄目だわ。この道具、ペンギンマスクに非友好的なんだもの」

「つうか脱げ」

「嫌。何でペンギンマスクである私が道具に合わせなきゃならないのよ。道具がペンギンマスクに合わせるべきだわ」

 東田が深々と溜息をつく。そして人格第二モードへスイッチオン。山根の肩に手を回し、そのまま首元をハグして股座に足を差し込んで左羽根を捻り上げてマスクの顎に手をかけて完全にホールド。

「てめえマスクをもいでやる」

「ひああああすいませんごめんなさいマスクだけは堪忍して下さい」

 思わず赤城が頭を抱えた。これでは前回とほとんど同じパターンではないか。面子もほとんど前回同様なので、どうしてもプロットが似てしまうのですよ。

「お前らいい加減にしないか! アルフェッタ、あんたも山根にギブアップを問う前に、二人を引き離して下さいよお願いだから。双月! お前、この状況を放って一体何処へ?」

「プリプレグシートを城輪町内で調達出来るか、ちょっと先生に確認してくる」

「ああ、それはご苦労さん」

 確かに赤城は、このチームを支えにかかっていた。何しろ極端に個性が突出したこの集団、各々は極めて真面目でも、真面目さのベクトルは見事に明後日を向いている。そんな彼らを纏め上げる役目を、自然赤城が担う羽目になったのは、生来の面倒見のよさと「俺が支えるから」と言ってしまった所以か。

 それからほぼ一ヶ月、「やっぱり丈夫に!」「剛性重視!」「努力友情勝利!」をスローガンとして作業が進められる。

 努力はした。友情も芽生えた。しかし勝利したかどうかは、その後のテストフライトの結果如何である。

 

<コクピット:矢上ひめ子 アメリア・リンドバーグ 燕子花満月 藤林源治>

 燕子花が足りない部品を取りによもやま荘へ戻ってきた所、腕を組んで思案顔の音羽と鉢合わせた。片手に封筒。例の匿名希望さんによる仕送りらしい。

「まただ。郵便受けの中に入ってやがった。直に持って来ているとしか思えん」

「ふうん。ところで、よもやま荘にお客さんは来てたの?」

「いや、ずっと一階に居たけど、客なんて来なかったはずだぜ」

燕子花が坂の向こうを指差して曰く。
「さっき、それっぽい女の人とすれ違ったよ。ここ、よもやま荘から一本道でしょ。多分封筒の御本人じゃない?」

「何だって!?」

 言うが早いか、音羽が坂向こうへすっ飛んで行く。見かけた後、タクシーを拾っていたから追いつけないんじゃないかなあ、と言いたい本人はもう居ない。仕方なく燕子花はよもやま荘に入ろうとして、もう一度振り返った。その女の人を、どうも見知っているような気がしたからだ。

 

「やり直し」

 という矢上の冷静な一言で作業が始まった。

 それは非常に尤もな話で、何しろ人力飛行機のヘッドに相当するコクピット部分は、どう見ても一世代前のスタイルだったからだ。

「いやね、アップライト(所謂自転車型)はいいのよ。今でも採用しているチームが結構あるし。でも空力性能は飛行機全体の構成がアップライトに適したものじゃない、つーかその辺の事に頓着してない作りだから、相当に落ちるのね。故にここはリカンデント(所謂足漕ぎボート型)に改めましょう。こっちの方が洗練された形になるし、パイロットの負荷が軽減されて長距離を狙えるはずなのよ」

「そうなると、最終的にはコクピットだけじゃなく、全体の構造が全くの新設計って事になりそうだよね? 各パーツとの空力特性的リンケージを考えると」

 とは、アメリアの言。図面を引く役目は彼女が担っており、実の所を言えば今回の作業全般に対して、ある程度の設計思想の影響を及ぼしたのも、矢上と、そして彼女の仕事だった。

「それはそうよ。どう考えたって、正直にレイヴンスをこのまま改造するだけで飛ばそうってのは、飛行性能以前に強度的に問題ありだもの」

「各パーツが各々『これ』と思う改造を施したって、全体のバランスが取れてなきゃ。独立したエリート部隊を揃えた軍隊が最強って訳じゃないしね」

「その辺りに関しては」

 設計図に見入っていた烏丸が受けて曰く。

「今後は全体的な設計方針の統一化というのも選択肢にすべきでしょうね。元々原型機に拘る必要はありませんし、転用出来る所は転用するという事で。レイヴンスを利用するのは、専らデータ取りとコストダウンの兼ね合いでもありますから」

 ともあれ、作業が始まった。コクピットの形状が大きく変わるという事は、即ち他のパーツもそれに合わせた形での変更も必要となってくるが、コスト的な話もあって追々調整を取って行く事となる。まずはコクピット。駆動系統を外し、バーティカルからホリゾンへの改造。操縦桿の再設定。パイロットスペースの再構成。

「これ、居住スペースが小さ過ぎじゃないの?」

 矢上が燕子花の作業に目を丸くする。例えば彼の隣で手伝っている藤林の体は、どう贔屓目に見ても足がはみ出してしまいそうだ。

「スペースが小さければ、飛ぶのに有利なんでしょ?」

 とは、藤林の言。

「そりゃそうだけど。その辺はパイロットの体格に合せないといけないわよ。そもそも本来は、パイロットサイズに合わせて機体構成の何からを考えてゆくべきなんだけど、まあ、この辺は最後の最後で突貫調整をするとして…って、成る程、このサイズに見合う人物は」

「そう、現時点で一番飛ばしそうなパイロットの有力候補」

 

<テストフライト>

 城輪町は、それ自体が周囲から独立した、ひとつの共同体といった様相を呈している。その中心たる八十神学院であれば、人力飛行機が滑走訓練を出来るくらいの運動場はあった。

「まずは自力で離陸が出来るかどうかがポイントなんですってね?」

 着々と組み上げを続ける双月に、シャーリーが問うた。

「そうだ。これが出来なきゃ、高台から離陸した所で話にならねえ。全然推力が足りてないって事だもんな」

「それにしても…こうして実機を見ると、予想以上に大きなものなんですね。それに本当に美しい…」

 シャーリーは改めて、完成一歩手前の人力飛行機を見詰めた。

 何しろ翼長は、小学校のプールよりも少し上回る位の長さがある。これは以前のレイヴンスよりも大型化しており、その上全体重量はある程度の軽量化に成功しているのだ。空力的にも洗練の度合いを増し、素人目には、トリコン上位陣の機体に比しても遜色は無いように思える。

「翼のたわみが何とも怖いわね…あれ、途中でボキンといっちゃいそうで」

「あのたわみも計算の内にはいるんだとさ。尤も、剛性的に課題は残したまんまだったしね」

「其処んとこは、ちょっと心配」

 主翼担当の神楽とリコが、期待半分不安半分で見守る中、組み上げは終わった。滑走する人力飛行機と併走する者が配置に付く。コクピットの真後ろに音羽と藤林。左翼に赤城と東田。右翼にアルフェッタと山根。山根は相も変らぬペンギンマスクだが、『こうでなければ潜在能力を発動出来ないのよ』と言われては頷くしかない。

「ほら、アルフェ、わたしを見に一般の観客があんなにたくさん!」

「いや、それは無いと思うんだけど。でも本当に集まったわね。物見遊山の皆さんが」

 何時の間にか、運動場のあちらこちらで部活動の中途と思しき者達が、こちらを指差しながら続々と集まりつつあった。

「駄目。私、ああいうのは駄目。衆人環視の中で何か事を起こすって言うのが」

「あんた、先月の金策レスリングで俺をブン殴ってたじゃないか。大丈夫、俺らよりももっと緊張している奴が居るって」

 と、東田と赤城が見遣る先には、ガチガチの歩行でもってコクピットへ向かうアメリアが居た。普段の明るい口元が一文字に結ばれ、飛び出したアホ毛も何だかシオシオの体たらく。

「大丈夫だよう。人力飛行機部で何度も似たようなフライトはやっているじゃない」

 肩を叩く矢上にを強張った笑顔を返し、アメリアはコクピットに乗り込んだ。

「アメリアぁ。機体をぶっ壊したら皆で徹夜作業になるかもねぇ…ってぐはあ」

 からかう風霞に燕子花のXチョップが炸裂。という遣り取りも耳には入らず、アメリアは自分用に設えられた狭い空間に、足を伸ばして座り込んだ。

 不図見上げると、燕子花の飾ったリボンが風に揺れている。何とも場違いなワンポイントだと思ったが、これはこれで微笑ましくはある…と思いながら、アメリアはリボンに何やら言葉が書いてあるのを見つけた。

『マイペース』

 アメリアの緊張が嘘のように和らぐ。

「プロペラ、ローリングスタート」

 短く呟き、ペダルを踏み込む。若干重い。ペラの回転速度が十分に回る。今度は軽い。変速機構が頭に思い浮かぶ。

「5、4、3、2、1、ランニングスタート!」

 アメリアの号令に合わせ、併走者達がゆっくりと機体を押し出した。徒歩から小走りへ、そして疾走へ、加速を上げる。

 機体の重さが急に軽くなったように思えた途端、アメリアの体が不意に浮き上がった。落ち着いて操縦桿を引く。更に上昇。

「滑走距離が長い」

 とは言ったものの、矢上は実際にレイヴンスが重力から解放される様に魅入られてしまった。それは他の者達も同じく、言葉が無い。ギャラリー達が立ち上がって、人の腰ほどの高さを飛ぶ羽を目で追った。滑空時間は短いものだったとしても、ああいう巨大なものが人の力だけで浮かび上がるのは、神秘的ですらある。

「想定飛距離は!?」

 赤城達が着陸したレイヴンスを宥める一方、シミュレーションソフトを走らせていたノートを、残りの一同が覗き込む。

682m』

 皆が顔を見合わせた。

「どう解釈すればいいの?」

「普通に、凄いですよ。初飛行でここまで飛ばせるのは、他チームでも早々無いはずです」

 上気気味の顔で、烏丸が応える。

「ただし天候やパイロット技能は投影出来ないソフトですし、実戦ではどんなアクシデントがあるのか分かりません。10年前なら、優勝候補になれると思いますが」

 まだまだ1kmへの道は長いという所か。ともあれ今は、右手を強く掲げ、肩を組んで歩いて来るアメリア達を、出迎えてやらなくてはならない。

 

 その後、矢上から下記のような各パーツへの開発提案が為された。

1.尾翼部位のVテール化。

2.素材の見直しも含めた総合的な軽量化。

3.後流対策としてのカナード採用。

4.プロペラ推力アップの為の、駆動系、ペラ形状の見直し。

 以上、全体としてはリニューアルではなく、ほぼ新型機再製造という流れになる。とは言え流用出来る部分は再利用が為されるはずであり、コストと製造時間の節約という考え方は残されている。相変わらず費用の面では苦しい戦いにはなりそうだったが、後は各パーツ、或いは全体の開発に関る者達が、この提案に沿うか更に良いアイデアを捻るか、各々で思考を続けるという事となった。

 

「それでは、そろそろパイロットの選出に入りましょう」

 烏丸の提言は、様々に波紋を呼んだ。拳を固めて快哉を上げる者、顔を見合わせて頷き合う者、そして早速挙手をする者。

「僕もパイロットに立候補します」

 どよ、と皆がどよめく先に居たのは藤林源治。先だってのレイヴンスの、コクピットには到底収まらない男。

「こら藤林。そんなでかい図体で、パイロットとは生意気な。大体今まで存在感ゼロだったくせに、最後の最後で目立とうとしおって」

 項をぐりぐりしてきた風霞の手をやんわりと退けて、静かに藤林は語った。

「僕がこれに関わったのは、最初は単に面白そうだと思ったからです。でも、全員で仕掛かるこの機体製作を経てみると、これを自分の手で飛ばしてみたいと、そんな風に思えるようになりました。やるからには、みんなの希望が込められた機体で、栄光って奴を見てみたいと思いましてね」

「そう、機会は全員に公平なのです。我こそはと思った方は、是非立候補して下さい!」

「でもさ、人力飛行機部員はともかく、実際に飛行機を操縦した事のある人なんて、そうそう居ないじゃん。パイロット選出ったって、未経験者にはいきなり不利なんじゃないの?」

 熱弁を奮う烏丸に、風霞が尤もな突込みを入れる。それにつきましては、と出掛かる口が横合いから不意に止められた。風間先生だった。

「勿論考えはある。やっぱ飛行機には全員慣れといた方がいいだろう。操縦桿を握るってのがどんなに楽しいものか、皆で経験しておかないとなあ!」

「先生、やけに楽しそうですね」

 確かに風間は笑いが止まらないといった風情である。ぐるりと見回し、勿体ぶって曰く。

「今週の金曜日、正確には土曜日の午前0時、全員で出発するから準備しとけ。おやつは特別に500円まで許可する!」

「そりゃまた唐突な」

「一体何処へ?」

「三重県伊賀市だ!」

『何だってー!?』

 音羽と藤林が、文字通り引っ繰り返って椅子から転げ落ちた。其処は彼等の生まれ故郷である。

「地元のウルトラライトプレーン愛好会に、俺のツテがあってな。彼等の協力を得て、ウルトラライトプレーン全員試乗会&第一次パイロット選抜会を決行する! 地元に2泊、月曜日の朝6時に八王子帰着予定ときたもんだ。どうだ、まいったか」

「…あの、何ゆえ伊賀市?」

「背後霊が地理に明るいからだ!」

「学院側の許可は? 余程の事情が無い限り、外泊許可を出さないのがセオリーでは」

「押し切った!」

 全員の顔から血の気が失せた。ゲリラだ。間違いなくこの人はゲリラを敢行するつもりだと。

 

<続く>

 






今月のアクト補足




第3回アクトフォーム




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第二回:第2リアクション:『1kmへの道』