物語の綴り手の個人的な事情によって、結末に至るまで今しばらくの猶予が出来た。よって私、ヘンリー・ジョーンズの雑記もあと少し継続する運びとなった訳だ。

 だからという事でもないのだが、此度は趣向を変えてみたい。本稿は様々なこの世ならざる者達を取り扱うのが本来の筋だが、今回の私の切り口は『場所』である。煉獄だ。

 そう、あの煉獄だよ。ルスケスがあんなものと化した根本原因であり、サマエルが這う這うの体で逃げ込んだ所だ。君達と、そして私自身にも問う。煉獄とは何だ?

 一般的に言われる煉獄とは、言わば魂の修練場だ。死せる人間の魂の行き着く所は天国か地獄、という事になっている。聖人と称されるくらいの善き人間は天国へ直行し、悪人と他宗教信者と不信心者は地獄行きだ。どれだけ良い行ないを積んでいても、指定された神を信じねば連続殺人犯並みの悪であるらしい。気合を入れて指定された神を拝むのが天国に行くコツと言えよう。

 しかし拝むに際して気合が不足する等、地獄に行くほどの悪党ではないが、さりとて聖人には及ばない人間はどうなるか? 死んでからもう一回、信心をやり直す為の試練を課される必要がある。それが一般的に言われるところの煉獄、という訳だ。

 しかしこの煉獄、皆も知っているだろうがカソリックだけの定義なんだ。正教会やプロテスタントは「そんなものは無い」と言っているし、他宗教に至っては言わずもがなである。

 一方でもっともらしく設定が為されていながら、他方では全否定される、又は存在そのものが理解されていない奇妙な世界。そういった人間による設定の綱引きが行なわれた挙句の果てなのか、我々がつい先頃知った煉獄の実情とは、暴力的なまでの混沌世界であった。全く、煉獄とは一体何なのだ?

 

煉獄についての考察

 これまでの経緯の中で出て来た煉獄に関する情報から推察すると、どうやら其処で行なわれているのは、ただひたすらに戦いであるらしい。「ルスケス再考」でも書いたのだが、名も無き元祖新造天使(やはり妙な言い回しだ)の1人が、煉獄での激烈な戦の果てにルスケスと化してしまった。生みの親がサマエルならば、煉獄はルスケスの育ての親と言えよう。

 ここまで書けばお馴染みの台詞を想像して戴けるかもしれない。またしても人間による設定と現実が乖離していると私は言ってしまうのだった。煉獄で善徳を積む為の苦行を経て天国へ、という設定はきっぱりと彼方へ去り、繰り広げられているのは弱肉強食を唯一の法とする生存競争。弱い奴が死ぬ!などという取捨選別は、いかにも「敬虔な信者以外は全員地獄行き」と言い切る「敬虔な信者」が考えそうな、ザックリ感に満ちている。おっと、今ので色々と敵に回したかもしれないな。

 私は設定と現実の乖離が発生する現象を、『設定の混沌』と定義する事にした。

 名も無き神が他の古い方々とは異なり、完全に人間の想念のみで形成された存在である事は、既に有力な仮定として御存知の向きもあろう。ならば煉獄という世界も、人間の想念による産物ではないかと私は想像している。だったら天国と地獄もそうじゃないかと言えるのだが、書き出すときりが無いのでそれは脇に置いておこう。

 煉獄の設定は名も無き神が行なったのではなく、確実に人間の誰かが教理として創造したものだ。しかしある人物が「こうである」と声を上げれば、また他から「そうではない」と返ってくるのが世の常だ。右へ倣えで全会一致とならない強烈な個性が人間の強みであり、神の領域に至らぬ要因とも言える。意見の不一致に対し、互いがじっくり話し合って一つの意思に統合するという、成熟した精神性を人間は未だ保持していない。それでも相手に対して幾分かの認められない箇所を残しつつ、私達は妥協して折り合いをつけるという、他の動物には無い稀有な能力がある。

 しかし能力の限度を超えた不一致の果てに何が起こるかと言えば、概ねの場合は諍いだ。高い確率で殺し合いにもなる。私達の生きる現代社会が、その惨状を雄弁に物語っているだろう?

 設定の混沌とは、人間の意思疎通が決して完全には成立しないという意味合いを内包している。人の意思の壊乱、混沌。そうした設定の混沌が、煉獄にも発生したと考えるべきであろう。正に宗派対立・人種間対立・身分の対立、互いを理解する事が出来ないゆえに起こる致命的な戦いの、煉獄は映し鏡となってしまったのだ。

 

煉獄で生きるもの

 煉獄でルスケスは、ルスケスという種族を食い尽くしたという話だ。想像し辛い事だが、これはつまり煉獄にも原住生物が居るという意味に他ならない。

 その原住生物が一体何なのかと考えると、これもまた人間による想像の産物であったと私は解釈している。あるいはもしかすると、死せる人間の魂が彷徨い、紛れ込んで煉獄に行き着いた事もあるかもしれない。種族としてのルスケスがあったならば、別種族が存在しているのは確実だろう。尤も現在は、広範囲一帯の原住種族をサマエルが全て喰らったという話だが。

 こうなると、煉獄に赴こうという勇気あるハンター諸君には、以下の点に留意して欲しい。

 元は愛もあり、情もあった新造天使がルスケスと化したのは、種族ルスケスを食った事が発端要因だと私は考えている。何故なら原住種族とは、人間の想念が形となって出現した代物で、同様に想念の産物である天使がそれを喰らえば、精神に多大な影響を及ぼすだろう事は想像に難くない。闘争と我欲、怒りや狂気といった人間の闇を取り込み、ルスケスは更なる漆黒の闇となったのだ。この仮定に拠って、私は嫌な事を言わねばならない。ルスケスとは、人間の心の悪そのものなのさ。

 同じ事がサマエルにも言えると思わないか?

 確実に。そう確実に、サマエルは変容をきたしているはずだ。君達がこの先で対峙しようとするサマエルは、君達の内の何人かが知る超然とした存在ではないと私は見る。闘争と我欲、怒りや狂気を、今のサマエルは知っている。ルスケスと同じく、サマエルは原住種族を食ってしまったのだから。ゲートキーパーという、諸君らに協力する天使の残党が極めて理性的である事実は、その想定を別方面から補完してくれている。彼女は永く「食う事」を止めている。食わない事によって、彼女は副次的に理知を保つ事が出来たのだ。

 結論から言えば、サマエルは一時的かもしれないが、闘争的で凶暴になっている事が予想される。直接やり合うに際しては、非常に危険な存在になったと言えよう。

 しかしながら、これも含めておいて欲しい。ある一面において、サマエルの精神は非常に人間に近くなっている。通常天使達は人間への理解が薄い代物だが、サマエルは敵対的ながらも、幸か不幸か理解の目が出来つつあるという事なのだ。それをどうやって活かすかは、君達次第だ。一体どういうところが人間に接近しているのかを、よくよく想像してみてくれ給え。

 

 

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この世ならざる者達:『煉獄とは何だ』