<天知神社について>
※天知神社とは、よもやま荘と同敷地内にある、色々曰くありな所です。この設定を使って色々と遊んでみる所存でありますが、取り敢えず以下に神社の成り立ちをば。
◇ 天知神社の由来
天知神社は、元は無縁寺と呼ばれる公界所のひとつで、定住せず旅を続ける公界往来人の集まる場所であった。
よってここにいつ寺社ができたのか、詳しい経緯は判然としない。
ただ、地元の昔話には、「天知山に鬼入る話」というものが残っており、ここが何らかの特別な場所とされていたことがうかがえるだろう。
天知の社が地元、城輪郷の文献に現れたのは、文禄元年(1593年)のことであり、徳川家康の江戸入府に際して正式に神社として認められたと思われる。
社伝によれば、「地元住民の心を安んじてこの社を建てる」。とあり、その後の八王子千人同心設立に先んじて住民の心つかもうとしてのことかも知れない。
いずれにせよこの神社の特異性は、千人同心出陣に際しての神事に留まらず、自弁で武器甲冑を携えて参陣するように明記されていることだろう。
昔話にもあるように、この山には鬼がいて、これを退治るために山の民が集ったとされている。
見方によれば、この「鬼」と「山の民」はいずれも同じ存在である。
この山が本来公界所であったことを鑑みれば、鬼(=山の民)を抑えるための神社であったのではないか、とも考察する余地がある。宮司によれば、この神社は山より出でる鬼を抑えるために建立されたと口伝があるそうだ。
なお、輪楔者としての見地でこれを考慮した場合、この地に集っていた公界往来人(山の民も含む)が輪楔者であった可能性は否定できない。
◇ 祭神
天知神社の祭神は「十二神将(十二神明王)」とされているが、輪楔者から見ると、明らかにこれはアーキタイプと呼ばれるウルボーデン時代の英雄たちの立像である。
由来にも書いたが、近世以前の隣接者たちのコミュニティーの一端を垣間見るようで非常に興味深い。
八十神学院歴史学講師・風間史浪(PL・山本圭介)