よもやま六景

 

 俺にはちょっとした異能がある。そいつを得た代償として、俺は徐々に感情が欠落した人間になりつつあった。だから精神衛生に関るリハビリってヤツには凄く気を使っているんだ。積極的に人との会話を試みたり、見ている景色を言葉で表現してみたり。

 しかし磨耗する感情を呼び起こす最高のリハビリとは、俺は笑いだと信じている。笑うのは、いい。健全な快楽物質で脳内が満たされ、いい具合に全身の神経に波動をもたらしてくれる。俺はそいつを笑いの波動と呼んでいるんだが、今日も笑いの波動で気持ちよくなるべく、アニメの「幻魔大戦」を借りてきた。

 幻魔大戦ってのは、色々と凄い。地球を救う使命、全生命体の完全破壊、輪廻、転生、サイオニクス戦士等々、チャクラ全開の単語で埋め尽くされた、少々ヤバ目のアニメである。そんでもって出てる役者も凄え。善の宇宙エネルギー、フロイ役の三輪明宏は普段と言ってる事が変わらねえ。怪しいポーズを決めては消える占い師役の白石加代子は、幻魔なんぞよりよっぽど怖え。そして問題のサイボーグ戦士・ベガは江守徹な訳だが、何が問題かと言えば台詞が問題なんだ。話の終盤戦、主人公の東丈がカチンコチンの石にされちまって、それを治す為にベガが放った台詞がこれだ。

「サイキックウェーブマッサージ」

 人間、何がツボに入るか分からんもんだが、俺の場合は「サイキックウェーブマッサージ」だった。何度聞いても其処ン所で横隔膜が破裂しそうになる。よりにもよって「マッサージ」。もっと他に選ぶ単語があるだろう。観ている客からドンドン離れて行くストーリーが、いきなりにょっきり近付いてきて大爆笑。しかも言ってるのが江守徹だから、上手いの何ので破顔大笑。不意に「サイキックウェーブファッションマッサージ」という言葉が浮かんできて抱腹絶倒。

 そんな床を叩いて転げまわる幸せなひと時が、携帯電話の呼び出し音でストップしてしまった。畜生。誰だ。げ。弓月のオッサンじゃねえか。何て言うか、一挙に心が冷えた感じ。またか。また給金を減らされるのか俺。

「うぃす」

『お前、そのぞんざいな受け答えをどうにかしやがれ。給金減らすぞ』

「ああ、やっぱりなあ」

『やっぱりってのは何だ。違う。給金の話で電話をしたんじゃねえ。近頃はどんな按配だって事だ』

 という訳で、俺は世間話に見せかけた通例の定期報告を機械的にこなした。とは言え、然程以前の内容と変わらない。城輪町全体の動向は、未だ水面下に沈んでいるって感じだからな。それは、代表の方も承知の上なのだろうが。

「そいつぁさて置き、データ収集の結果はどうだったんだよ。バラビェイは売りもんになんのか? 代表さんよ」

『あのままじゃ全然駄目だな。体力を使い過ぎて、並の人間じゃ扱いきれん』

「人力じゃ出力に限界があンだよ。俺はモーター動力化を強くお勧めする」

『駄目だ、マカロフのおっさんが人力ってとこを絶対譲らねえ。とは言え、離陸と着陸をホバリングでこなせるようにしなきゃならんし、巡航時にパワーアシスト込みの半人力飛行機ってとこで手を打ってもらうさ…』

 バードマンに参加していない人が聞いても何が何だか分からない会話だろうな。そうそう、申し遅れたが、俺は平田安男。誰だか知らなくて当然の男だ。何せ運命準備委員会に参加してねえし。俺が居たのは前作の方。そう言うと更に誰だか分からなくなるマイナーキャラだったよ。

「それじゃ、もう切るよ。しかし腹が減ったぜ。今日は何を食おうかな」

『そんなもん自分で考えろ。弁当でも開いて、部屋で食え。じゃあな』

 と、相変わらずの調子で代表は携帯を切った。部屋で食え、か。成る程、今日の調査は、いよいよ学院内部だ。

 俺はよもやま荘ってとこに間借りしている、所謂輪楔者ではない人間だ。勿論、ただ漫然と城輪町ライフを満喫しにきた訳じゃねえ。狙いは、この町そのものの実態調査だ。

 ここはあからさまに妙な町だ。地図には載っているし、住民には戸籍だってちゃんとある。しかしこの町は、巧妙に壁の無い鎖国状態を昔から維持してやがる。日本の行政機構にも連中の手が回っているのは間違いない。

 基本的に町の住人は、過去の人間の異能・才能を引き継いだ人間、輪楔者しか住んでいない。それ以外の人間は、輪楔者上層部の肝いりが立ち入りを許されている程度ときたもんだ。よって俺のようなイレギュラーは、当然ながら潜在的な敵対存在という事になる。それでも俺がここに居続けられるのは、輪楔者の中にも積極的に外部との繋がりを欲する者が居るからだ。彼等の助力のお陰で、俺も単なる怪しいチンピラ風情で通る事が出来る。まあ、連中も一枚岩じゃないってとこなんだろう。

 俺ら側の目的は、最近における城輪町での変動について、詳細な情報を得る事だ。この町は攻撃を受けている。輪楔者の天敵、書記だの信徒だのいう存在に。彼らの抗争自体は、この小さい町で収まりきるならば、正直言ってどうでもいい。問題はその結果、悪い影響が外の世界に及ぶか否かなんだ。奴等の異能は色々欠陥が見受けられるものの、一般社会にとっては脅威的であると俺は認識している。

 俺の会社は航空宇宙産業という表看板で世に打って出ているものの、もう一方では強固な戦闘集団を着々と蓄えつつある。敵は書記とか、そういうもんじゃない。多分、もっと危険な奴だ。俺らは今の所、ソイツとは友好的な提携を結んでいるものの、ソイツが敵に回るのは、そう遠くない先で確定的となっている。ソイツは根深く、広く、恐ろしい。対抗するには、力が要る。その基盤は順調に整えられつつあるが、ソイツとは毛色の違う脅威がハプニング的に発生すれば、俺らの目論見に支障が生じるかもしれねえ。

 だから仮に書記の側が勝って、連中が外に対して何らかの害あるアクションを起こす可能性があるならば、俺ら側もある程度覚悟を決めて臨む必要があるってこった。尤もそいつァ余程状況が悪化した場合であり、基本的には「事実は知れど干渉せず」なんだけどね。

 それでは、行動開始。俺は携帯を別の番号に繋いだ。相手は鳥人間コンテスト参加チーム「大渡鴉」の一員だ。

『…もしもし?』

「青空? 俺、平田だけど」

『何や、平田はんか。どうしたん、こんな夜の時間に』

「いや、作業の様子でも見に行こうかと思ってさ。また差し入れを持ってってやるよ」

『あちゃあ、もう片付け始まっとるで。もうすぐ9時やさかいな』

「そんな時間か。じゃあ差し入れは今度にするわ」

『気ぃ使わせてスマンな。ああ、閉めるのちょっと待ってえ! そんじゃ、もう切るで』

「おう、またいつか」

 携帯をたたむ。つまりこれで、学院内の公界往来実践塾の校舎は誰も居なくなった訳だ。取り敢えず其処を「着地点」にして、夜の学院内を探索する。夜の学校からは、昼とは違う世界が見られるはずだ。

 

「つまりそれはバトリングでありますか?」

「だから探索だって何回も言ってんだろうがドアホ! いいからビタ一文似合わねえお姫様抱っこをされろ!」

 我ながら意味不明な出だしだ。俺は「ネグリジェ用意せねば」等と調子に乗る相棒のドタマに頭突きをかまし、無理やり体を引っ手繰って両腕で抱え込んだ。

 こいつはボルカ・ボストーカ。俺はコレとつるんで城輪町に潜入している。コレは見た目だけは美術彫刻みてえな外見をしているが、それは夜の間の話だ。日の光の中では、ボルカは死体の切れ端を繋ぎ合わせた、人間に似た肉の塊となる。そう、ともすれば俺は忘れがちなのだが、こいつは人間じゃねえ。言うなれば人造人型ブースターってとこか。正常な言語感覚からソッポを向かれた、はっきり言ってぴちがいさんなのだが、俺が異能を発揮出来るのはボルカが居るからこそである。認めたくないが、社内における俺の評価、こいつ抜きだと下の下のゲーなんだよ。言ってて自分が嫌になりました。

 俺はボルカをかき抱き、足元の空気が圧縮して行くイメージを試みた。まるでスポンジを無理やり縮めて丸い玉を作るように。で、ひょいと手放してやる。

 俺の体は吹き飛ばされるみたいに上空へ突進した。下には出発地点の神社が見え、目指す先は八十神学院、公界往来実践塾。恐らく高度300m程まで到達し、其処からは自由落下。時折体のそこかしこに風圧をかけて位置調整を行ない、実践塾校舎の屋上まで体を持って行く。そんでもって更に大きな風圧を眼下に起こすと、俺の体はトランポリンのように軽くバウンドし、弧を描いて巻き上がる埃と共にコンクリートへと着地した。

 凄えな、俺。正確には、凄えのはボルカだが。所謂「エア」を操るのがボルカの異能であり、俺はそいつを外に引き出す媒介役に過ぎない。日に日にこいつの力は大きくなりつつあり、

「近い内に空を自在に飛べるようになるでありますよ。りんたろうの如く』

 てな事をボルカは言った。こいつが言うなら、多分本当だろう。しかしりんたろうって何だ。ああ、幻魔大戦の監督か。初っ端の無駄な出だしを拾ってくれてどーも。しかし大体、空を飛ぶのはサイオニクス戦士だろうが。判り辛え例えだな。

「ヤスオちゃん」

「ちゃんを付けるな。死なすぞ」

「もうとっくに」

「もうとっくに死んでますってのも無しだ。聞き飽きた。まあいい、用件を言いな」

「何でありますかこの格好は」

 てめえ、ボルカのくせに何で的確な突っ込みを入れやがる。確かに、そう言われても仕方ねえ。俺らは忍者装束に身を包んでいるのだ。顔もすっかり布で包んで、アホかと我ながら思うね。でも濃紺色の装束は、確かに夜の闇に溶け込み易い。加えて合法的に顔を隠せるのも気に入った。何が合法的なのか分かりませんが。次いで言えば、学院内何とか谷では忍者同士が底抜け大合戦の真っ最中という面白設定。仮に見つかっても「ああ、あの人、忍者さんなのね」で済んでしまうだろう。俺、頭いい。ちなみにこの衣装、藤林忍者と百々目くのいちの予備を借りたもんだ。忍者プレイに興味があるっつったら、大層嫌な顔をしていたよ。

「この格好は何でありますか」

「しつこい。いいだろうが、偶には忍者でも」

「然にあらず。くのいちと言えばラメ。ラメと言えば由美かおるではありませんか!」

「お前、ありゃみんな変だと思ってんだから言及するな。大体あんなテラテラはリアリティ皆無じゃねえか」

 ま、夜も更け込んで忍者装束ってのも十分リアルじゃねえけどな。

 以上、字数稼ぎ終了。俺は再度ボルカを抱えて、実践塾の中庭に着地した。壁に張り付き、閉ざされたガラス窓を見上げ、鍵のある位置を慎重にイメージしてやる。その周辺の風圧をちょいと弄って、ロック解除。嗚呼、まるでサイコキネシス。サイオニクス戦士と聞いて鼻から笑うのも、何だか自戒してしまうよなあ。

 窓をそろそろと開け、枠に指を引っ掛け、俺は軽く跳躍して室内に入った。不図、見慣れた工具に気付く。ここは人力飛行機製作の作業室だ。確か1階は、ほとんどコレ系の作業スペースに改造されているんだっけか。まあいいや。取り敢えず地図を開かねば。八十神学院の大まかな見取り図は、入手するのに結構な苦労を要したもんだ。鎖国状態の城輪町の、更に機密を極めた最重要地点だからな。そうそう外部の人間に情報がリークされるはずもない。尤も、彼らが敵とするものは、随分と学院内部に入り込んじまっているようだが。

「誰だ」

 と、後続のボルカが身構えた。ヤツの紅い瞳が濁りを増し、人格が切り替わる。複雑怪奇な性格の、一番やばい所が出やがった。咄嗟俺もナイフに手を伸ばしたのだが、はたと気付いた。この作業室には、確か烏丸弥生という幽体が居るはずだ。

「待て、敵じゃねえ」

「実体が無い。正体不明。私の攻撃は物理的存在以外にも到達します」

「だから敵じゃねえって。烏丸弥生っていうただの幽霊だ。ただの幽霊ってのも妙な言い草ですが」

「敵ではないのですか?」

「くどい。違う」

「そうですか。しかしあれは幽霊ではありませんよ」

「何だって?」

 と、疑問を呈する俺には目もくれず、ボルカのヤツ、さっさと元のぴちがいさんに戻っちまいやんの。そして開口一番「わんばんこ!」と叫んだ。何時まで鶴光ネタで引っ張るんだ、お前と俺。

「…わ、わんばんこ…」

 恐る恐るといった具合にコクピットの付近から、烏丸弥生が姿を見せる。忍者装束がいきなり二人も闖入すりゃ、確かに驚くだろうさ。何しろ烏丸だし。俺が頭巾を取って挨拶を寄越すと、ようやく烏丸は安堵の顔になった。

「よかった。泥棒さんかと思いましたよ。この時期に物を壊されたり工具を持ってかれたら、それこそ致命傷です」

 …いや、見知った顔でも、こんな状況なら少しは用心した方がいいと思う。

「こんな遅くに、どうなさったんですか?」

「騒がせてすまん。夜の仕事の拠点にこの部屋を使おうと思ってさ」

「はあ。夜もお仕事ですか。大変ですねえ」

 脳天気。烏丸の性格はその一語に尽きるが、その能天気さが今は大変有り難い。それはさて置き、俺は懐の地図を広げた。烏丸もコクピットの上から興味深げに覗き込んで、不図首を傾げる。

「照明も無いのに、よくそんなものが見えますね」

「光源が少しでもありゃあ、見えるのさ。俺の目は」

 そうだ。俺の感覚は日に日に鋭敏さを増している。ボルカと組む、つまり異能者との契約は、俺に空気を操る力ばかりでなく、肉体的な強化をももたらしている。それは互いが経験を積み重ねてゆく毎に増強されるのだ。当然ながら、いい事ばかりがあるはずもない。俺はこいつと居るだけで、着実に人としての感性の深みを失ってしまうんだ。それでも、ぎりぎりの所まで、俺は頑強に人でありたい。何時かこいつとも、袂を分かつ時が来るだろう、その時までだ。等とシリアスに耽りつつボルカを見れば、あの馬鹿、烏丸の周りをフラフラしてやがんの。しかもしきりに首を傾げながら。

「やっぱり幽霊じゃありませんです」

「違うんですか?」

 と、烏丸。

「はい。しかしながら小生、大体のとこは掴んでございますでありますよ」

 君は無表情のまま得意満面なツラってのを見た事があるか? 俺はある。それも今。

「れ」

 言い出さない内にボルカの口を思い切り塞ぎ、俺は烏丸に一礼して、さっさと作業場から失敬する事にした。夜はまだ長いとは言え、こいつの無駄話を堰を切ったの如く溢れさせる時間はねえんだよ畜生が。

 

筆:黒井秋彦

 

 

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