よもやま五景・霞ヶ浦編

 

「霞ヶ浦はとっても広い湖です! 湖面積220km2 と、茨城県全体の4分の3を占めております! ちなみに琵琶湖は滋賀県全体の3分の4! 琵琶湖さえ無ければ日本一の湖だったのに! 畜生、琵琶湖さえ無ければ!」

 司会進行の屠龍さんが何を悔しがっているのかは分かりませんが、取り敢えず茨城に占める霞ヶ浦の面積は約25分の1、琵琶湖のそれは6分の1です。間違った情報を駄々漏れにするのは良くないと思います。オーニソプターをオーソニプターと間違えるのも良くないです。

 申し遅れました。僕は藤林源治です。誰? そりゃご尤も。黒井秋彦管理担当ウルトラミニマムPBM「バードマン!」の第4回、僕の出番は影も形もありませんでしたから。何でも、僕の存在をすっかり忘れていたのだそうです。あんまりです。

 僕らは今、正パイロット第二次選抜戦の舞台、茨城は霞ヶ浦まで来ております。茨城は筑波山とか小さな飛行場とか、ハンググライダーやULP、軽飛行機を飛ばす環境がよく揃っていて、関東地方の飛行機愛好家のメッカでもあります。しかも前にあった地獄の伊賀旅行に比べればずっと快適な道行きで、だったら一次選抜もここでやっとけよと思われるのも当然で、僕もそう思いました。

 しかし僕らは正規の活動にかこつけて、よくよく城輪町から出られるもんです。この時期の本編では、信徒だ書記だと上を下への大騒ぎ。城輪町はほとんど戒厳令下という有様なのに。まあ、バードマンはパラレルワールドみたいなもんだと御理解頂ければ幸いです。

 風光明媚な霞ヶ浦の、ここは京成マリーナ(現ラクスマリーナ)という、ヨットや遊覧船なんかが停泊している所です。K社さんは京成さんと交渉して小型のクレーン船だの水上バイクだのを持ち込み、今回の第二次選抜戦のお膳立てをしてくれた訳で、何だか企業としての腹に一物が見え過ぎです。大体ここは観光地で、何だかんだで見物人が集まり始めました。彼ら目当ての新製品ゲリラお披露目くさいなあ。司会の屠龍さんも、人が増えてやたら元気になってきたし。一頻り人力羽ばたき機「バラビェイ」が如何なるものかを楽しそうに説明して、屠龍さんはハッチを閉めました。いよいよ羽ばたき機が実飛行します。

 バラビェイがゆっくりと、そして次第に刻むようにして羽ばたき始めました。こうして見ていると分かるのですが羽ばたきの仕組みは、リリエンタールとか大昔のオーニソプターと違って、鳥の構造に出来るだけ近づけようとしているのがよく分かります。所謂人間で言うところの手首と上腕、そして前腕を構成する3つの関節は鳥にもあって、それを曲線的かつしなやかに上下させるのが羽ばたきなんですけど、バラビェイもその動作を機械構造で実現しているみたいです。軽量と強度が未知のレベルで両立しないと不可能であるのは僕みたいな素人でも理解できます。正直、これは凄い。羽ばたく速度も何だか凄い。何時の間にか羽の上下運動が残像を見せるまでに高まっています。人力なのに。

 パッ、とバラビェイがクレーンから切り離されました。落ちません。ホバリングしたままです。不条理な光景です。バラビェイが少しだけ両翼を前傾させると、機体は若干機首を下に向けて、確実に前進して行きます。何だこりゃ。

 機首がどんどん下向き、バラビェイは湖面目掛けて加速。早い。でもこのままだと湖に突っ込む! と思ったら、バラビェイはクイッと翼を後ろに倒し、合せて機首がのけぞるようにして上を向きました。そうして、今度は空に向かって駆け上がります。成る程、これを繰り返して飛行を維持する訳ですか。トリコンに出てくるチームハマハマの羽ばたき機と、考え方は似ているなあ。

 見ている間にバラビェイは上へ下へと飛行を繰り返し、旋回行動を開始しました。この辺りになると、そこかしこから乾いた笑い声が漏れ始めています。もう笑うしかないって言うか。そうしてクレーン船まで戻って、吊り下げられているフックの位置に高度を合わせると、ガチンと音を立ててバラビェイが引っ掛かりました。何人かの息を呑む音が聞こえ、多分僕もその一人。パイロットの腕前は常軌を逸しています。上下動が不安定なオーニソプターを、あんな風に手足の如く扱えるなんて。そうこうする内にハッチ開放。コクピットから立ち上る湯気。何で湯気。湯気の出元は、よろよろと立ち上がる屠龍さんの全身でした。凄い汗。前髪が顔に張り付いていますよ屠龍さん。

「えー、このように、バラビェイは今迄の飛行機では有り得ない独特な飛行を実現する、ものごっつい楽しい乗り物です! ちょっとばかりきつい運動になるけれど、ダイエットにもなるし、慣れればきっと大丈夫!」

 あなた以上に慣れている人は居ませんよ屠龍さん。

「さあ、皆さんにも乗って貰います! 『どうせ明日のパイロット候補しか乗らないんだろ』等と思った君は、ポンチ! こういう面白い事はみんなで体験しなければ! まずは栄光の一番目から行ってみよう!」

 全員顔面蒼白。誰も彼もあんな機体の返し方が出来るはずも無く、湖に落っこちるのを前提にして僕らは空を飛ばされるんだ。屠龍さんは懐から何やらを取り出し、掌の上でコロコロと転がし始めました。そうして、ほぼ一列に並んだ僕らを左から指で数え、僕の位置から三人目位の所で、彼女の人差し指がピタリと止まる。

「ハイッ、其処の金髪眼鏡のお嬢さん、貴女は栄えある初の社外搭乗者に選ばれました!」

「ダイスですね!? 今、ダイスで適当に私の事を選んだのですね!?」

 シャーリーさん、ご愁傷様です。

 

「すみません。このスピードメーター、何故100kmまであるのでしょうか」

「いやあ、軽量サーボモーターのアシストとか積んだら、それくらいの速度は出してしまうかもしれないじゃない?」

 それはもう、人力の範疇を超えています。と、シャーリー・エルウィングの声なき声が、心の中で木霊する。

 バラビェイのコクピットは多くの航空機がそうであるように、着座出来るスペースがとても狭い。狭いコクピットには操縦桿、ペダル、最低限の計器類等、以前に試乗したウルトラライトプレーン以下の装備しかない。それはつまり誰でも操縦出来るように配慮されている、という事なのだろう。

 シャーリーは控えめに操縦桿を操作してみた。上昇・下降・旋回は通例と同じ機能だが、所謂ラダー的な動作は、恐ろしい事に体重移動で行なう。これはもう限りなく自転車の感覚に近い。変速も五段まである。一体どういう仕組みの変速機構なのかが気になる所だったが、両翼が生き物のように関節を曲げる様を思い出し、シャーリーは考えるのを止めた。設計者は恐らく天才であり、そういう人間の思い付きを想像する事は不可能だ。

「それじゃ、頑張って。水に落ちてもプカプカ浮いていられるし、救助態勢は万全。墜落したって全然問題無いからね!」

 無責任な台詞を言うだけ言って、屠龍はハッチを閉めた。クレーンが機体を陸から引き上げ、湖上へと移動を開始。水上バイクの面々も、慌しく動き始める。

(お父さん、お母さん。私は東の果ての国で、鳥みたいな飛行機に乗って湖に沈もうとしています)

 シャーリーは十字を切って腹を括り、操縦桿を掌で包んだ。ペダルを踏みしめ、力を込めて回し始める。

 地道に開発行動を支えてきたシャーリーだが、偶にこうした面白イベントに駆り出され、その都度空を飛んでいる。他の人達が支障なく仕事を進め、そのサポートを行なう事に喜びを見出す性格は自分でも十分承知しており、それでも空を飛ぶのは、純粋に楽しい。不図、パイロット候補達に憧憬を抱く事もある。だから今度も楽しんでみようとシャーリーは心に決めた。両翼のバタバタを見ていると、その気持ちに些かの揺らぎが生じてしまうのだが。

 一段ずつ変速が上がり、五段目に入る。自分でも相当の高速で回しているつもりだ。何となく、重力が和らいだような感覚を覚える。大丈夫、もう飛べる、と、バラビェイの誘いが聞こえるような気がした。従って、左手を伸ばし、フック解除。

 ガクンと機体が降下した。思わず息を呑む。が、降下は数十cm程度で緩まり、バラビェイはじりじりと機体の高度を下げて行く。操縦桿を前傾。合わせて機首が下降。斜め下に突っ込む形で、バラビェイが前進を開始。

 面白い、とシャーリーは思った。旅客機でもULPでもない、オーニソプターの飛び方は実に生々しく、まるで自分が翼を持ったかのようだ。

 もっと飛びたい。遠くへ。高みへ。

 高揚感が全身を包み、両足にかかる負荷を消し飛ばす。応えてバラビェイは空を蹴り、瞬く間に湖面へと接近。屠龍に倣って、シャーリーは操縦桿を後ろに倒した。機首を上げ、高度を取って、また下降を繰り返すべく。しかし、いきなりペダルが過剰に重くなった。

「あらら」

 と言う間にバラビェイは首を上向けたまま湖上にとどまり、次の瞬間力尽きた鳥の如く、腹打ちの格好で落水した。深く沈み、また浮き上がる。呆気に取られたシャーリーが見たものは、水で洗い流されたガラスの向こうから、自分の機体に接近する数台の水上バイクだった。

「いやー、惜しい。前進する所まではパーフェクトだったんだけど。上昇する際は変速を軽くしなきゃ」

 ハッチを開いて手を差し伸べる屠龍が朗らかに言う。しかしそんな事は事前に教えて貰いませんでしたと、シャーリーの突っ込み。

 

 僕らは京成マリーナから程近い、『水郷』という国民宿舎に宿を取ってもらいました。そう、何と今回は宿付きなのです。前の伊賀行きは寺だの僕や仁壬の家だの、或いはトラックのコンテナ等、個人的には全く旅気分に欠ける宿泊だったのですが、さすが企業のバックアップ。1泊2食付6825円。帰ろうと思ったら1時間ちょいで帰れるんだけどなあ、等と呟いた風間先生の口が寄ってたかって塞がれたのは言うまでもありません。

 五人部屋の和室には、僕と仁壬、藤倉さんと燕子花君、それにパイロット候補の双月さんが居ます。夕食を食べて大浴場にも入って、布団の上でもくつろげて、素晴らしい事にこの部屋には、窓があります。ちなみに僕の住んでいる下宿の部屋には窓がありません。お暇がありましたらHPのよもやま荘見取り図、2階のページをご覧になれば分かるでしょう。「この部屋の方が忍者風情には充分」と、黒井が勝手に指定した部屋です。恨みます。

 しかし、窓はいい。窓の一番良い所は、外の景色が見える点です。窓からは夜の霞ヶ浦が眺められ、対岸の輝きが沿いながら連なる様の、魅惑的な美しさが分かります。輝き一つ一つに人の生活がある。忍の者が闇に生きて闇に沈むのだとすれば、僕が行く先はあの明かり達でありたいと思いながら、下からせり上がって来た陰鬱な女の顔を見て、僕の意識は途絶しました。

 

「おーい、源治。生きてるかあ?」

 音羽が白目を剥いた藤林の体を揺する手前、当の女が窓枠に手をかけ、ひょいと部屋の中に着地した。百々目葵。音羽と藤林の、かような言い方は恐らく存在しないだろうが、忍者友達である。

「失敬な。ワタシの顔を見て気絶するなんて」

「いや、普通に入って来いよお前。それにしても葵、お前も来てたのか? トリコンの参加メンバーじゃないのに」

「だって面白そうでしたし。城輪町にも、いい加減飽きていたのですよ」

 仏頂面で音羽に返し、百々目は仰向けになった藤林の体を軽々と背負った。

「風間先生、ラーメンを食べに行くそうです。ギトギトの濃い奴だとか。折角だから、ワタシ達も便乗しましょう」

「夕飯食っただろうに」

「行かないんですか?」

「行かないと誰が言った。みんな、行くよなあ?」

「そろそろお腹が減ってきたところだよ!」

「消費効率がいいな、お前」

「僕も行くとしますか。ラーメンは別腹とも言いますし」

「飲んだくれた後のオッサンみたいな言い草だな」

「悪いが、俺はパスするぜ。ここで体重を増やすのは致命的だからな」

 各々が立ち上がった室内で、双月は一人布団に包まった。正パイロット候補の一人としての立場は、皆も充分承知している。

 全員が大騒ぎで部屋を出て行った後、双月は照明を落とし、目を閉じた。思い返すのはバラビェイのテストフライトである。今迄に扱った経験の無い操作感覚は、何度か繰り返せば要領を得る事が出来た。問題は、あの羽ばたきを持続させる体力だ。

 第一次選抜の折はULPという事もあって、技術的・感覚的な分をセレクトされていたのだと、今にして分かる。そして今回重視されるのは、恐らく筋力、筋持久力だろう。他の候補の面々が徹底的に体力を引き上げたのに対し、自分は苦手な技術面をカバーするように練習を重ねてきた。苦戦は免れないと思う。

 しかしながら、双月は最終戦を目標に据えている。最後の競争は、体力、技術、感覚の全てが問われるものになるだろう。だからこそ不得手な部分を無くせるよう、心を砕いてきたのだ。

 俺は、飛びたい。みんなが作った、あの美しい飛行機で。

 沸々と湧いてくる希望をなだめ、双月は疲労した筋繊維に休むよう強制した。今宵は、決戦前夜。

 

 

筆:黒井秋彦

 

 

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