よもやま四景・滋賀編

 

 三重県伊賀市の余野飛行場は、滋賀県との丁度県境だったそうで、甲賀市とは目と鼻の先でした。

 本編くちなわ谷における激闘忍者合戦の如く、伊賀市と甲賀市でも大体500年くらい前から、血で血を洗う血みどろの死闘が繰り広げられています。時折外から聞こえてくる撃剣の軋みや人の怒号、火縄が炸裂する発砲音に阿鼻叫喚。警察は何処だ。自衛隊はどうした。多分、そういう行政サービスの範疇外にある土地柄なのでしょう。嘘だけど。

 という訳で、私達は琵琶湖行きを前にして、愛東町にあります道の駅、マーガレットステーションで一旦休憩を取っております。道の駅というのは私には初めてで、地産の農作物やら民芸品なんかを売っている、ローカルSAって感じの所です。音羽君や藤林君、それに百々目さんという面々は、琵琶湖に遊びに行きがてら、ここに立ち寄ってアイスクリームを食べるのが決まり事だったようで、この凍えそうな日にラプティっていうアイスクリーム屋へすっ飛び、がたがた震えながらアイスを貪っております。馬鹿だなあ。

「アイスクリームじゃなくて、ジェラートですよ、ジェラート」

 そんなのどうでもいーよ藤林。

 それはさて置き、そのジェラート、矢張り地産の果物や野菜を材料にしていて、結構美味しそう。寒いけど。という訳で、私も買ってみることにしました。寒いけど。

「風霞ぁ。ラプティ行くんなら、あたしの分も買ってきてよ。はい、トリプルサイズで300円。フレーバーは任せるからさ。じゃあ、宜しくね」

 こうやって唐突に文脈へ割り込んで、唐突に要件を告げて唐突に去って行くのが神楽って女なのよ。取り残された私の手には300円が握られています。軽くムカッときましたが、まあいいでしょう。今日は普通に観光を楽しめる最後の日だし。私は気を取り直してラプティの扉を開きました。この寒いのにジェラートを買う客が結構並んでいて、辟易です。

 成る程、品揃えは確かに面白いのね。牛乳。これは普通。ティラミス。へえ。ベリーA。ストロベリー。この辺りが妥当かしら。胡麻。ふうん。むらさきいも? 日本酒? 味噌? なんだこれ。まあ、珍味の類なんだろうけどさ。支払いは自販機で買うチケット方式だったので、取り敢えず私は最後尾に並びました。本当に長い列です。並び終えてチケットを買って、接客係にチケットを渡すべくまた並ぶ。そうしてやっと買えたと思ったら、今度はジェラート二つ両手に持って、一体どうやって扉を開けりゃいいのよ。つうか取りに来いよ神楽。今頃彼女は、土産物屋を物色しているはず。藤細工が可愛いのよ、だってさ。はは、結構女の子らしい所があるじゃない。だったら女の子らしく気を利かせて、ジェラートを取りに来いよ神楽。沸々と心に黒マグマが湧き出てくるのを自覚しつつ、ようやく自分がチケットを買う段になりました。神楽が渡した300円を投入口に入れて、いざボタンを押そうと思ったら、トリプルサイズの料金は350円でした。

 

「はい、味噌・味噌・味噌のトリプルコンボ」

「何よこれえっ!?」

 店内に轟く神楽の悲鳴を他所に、別枠に設けられた休憩室では、大鳥や東田、それにシャーリーという面々が優雅にハーブティーを楽しんでいた。ここは客が自分で煎れる形式の無料試飲室であり、にも関らず利用する客は然程多くなく、結構な穴場なのだ。

「それにしても私の登場する場面では、必ずと言っていい程お茶が絡んでくるのは何故なんでしょう」

「イギリス人と言えばお茶だろうという、強い思い込みによるものじゃないの?」

 愛東町は伊賀市から滋賀県彦根市に至る道程の丁度半分に位置している。ここまで来るのに、約一時間。つまりこれからまた一時間、コンテナの中に詰め込まれる訳だ。三人が揃って溜息をつく。

「でも、琵琶湖から8時間くらい、名神と東名を走る事に比べれば楽なものですよ」

 そう言って大鳥が取り繕う。よくよく考えれば取り繕いにも何にもなっていない。

「それにしても、琵琶湖ですか…。聞けば日本で一番大きな湖なのだそうですね」

 と、シャーリー。

「前に鳥人間をテレビで見た時は、海で行なわれているんじゃないかと思いましたけれど、本当に広いのですね」

「まあね、滋賀県全土の三分の二が琵琶湖だから」

 四分の一です東田さん。

「それだけ大きくて、湖だから波は静か。ああいう競技をやるにはうってつけの場所ってわけ」

「楽しみです。どんな所なのか。あのコンテナさえなければ」

「いや全く」

「何時か伊賀も、ここにも、また来れる日があれば良いのですが。その時はコンテナ抜きで」

「本当に」

 コンテナへの複雑な思いはさて置き、彼等は今年の7月、高い確率でこの地方にやって来る。その時は鳥人間コンテストに参加する為の、非常に忙しい道行きとなるはずだった。今、この時のように、ゆっくりとたゆたう時間を楽しむ余裕は、恐らくは無い。何時か城輪町という場所の特殊な風習、輪楔者と呼ばれる人々による砦のようなシステムに変貌が起こるとするならば、また楽しみの為にここへ来る事も出来るだろう。夢のような話では、あるのかもしれないが。

 そろそろ立つ時間になった。7月に人力飛行機が乱舞する湖を、これから彼等は目の当たりにするのだ。しかしながら其処へ辿り着く為にはコンテナに乗り込まねばならない訳で、やっぱり三人は揃って溜息をつく。

 

「今、百済寺ってのを通り過ぎた」「右手に金剛輪寺。有名なんだぜ」「左手に多賀大社。ここも由緒あるんだよな」

 運転席とコンテナは有線で繋がれていて、御親切にも運転手の平田から、運転実況が矢継ぎ早に伝えられてくる。有名どころをガイドの如く説明してくれるのはありがたいが、生憎密閉されたコンテナからは何も見えず、ストレスは溜まり行く一方だ。そうこうする内に、停止したトラックがバックを始めた。信号による停止ではなく、つまり現地に到着したという事だ。

 コンテナが開かれ、外に出ると、右手はすぐに琵琶湖だった。

「琵琶湖ですね」

「まーな。相変わらずの琵琶湖だな」

 昔から見慣れている藤林と音羽は、特に感慨も無く呟いているのだが、さすがに初見の仲間達にとっては、目を奪われる景色だった。

 舞台となる松原水泳場からは、北と南に果てを確認する事が出来ない。西の対岸すら遥か向こう側にあり、湖と言うよりは、内海の風情があった。湖面は少し強い風を受けて白波を寄せているものの、そろそろ落ちる頃合の陽を受けて、茜色が穏やかに映えている。冬の季節は山も雪景色となり、北側を囲む山脈は白く彩られ、巨大な湖がなみなみとたたえる水面とのコントラストは、著しく鮮やかと言う他に無い。

「うわ。水鳥がいっぱい居る」

「ペンギンマスクの仲間だ」

「ああ、ペンギンマスクの仲間だな」

「あの鴨、美味しそう」

「やめとけ、琵琶湖は捕獲禁止だから。つうか情緒の欠片も無い事を言うんじゃねえ」

 少なからず岸に出て、微妙に距離を置く水鳥達を眺めに行く仲間の輪には加わらず、風霞と神楽は呆然と立ち尽くしていた。二人は城輪町から外に出るのが、物心ついてより此度が初めてである。

 風霞が隣の神楽の指を握り、神楽も風霞の掌を握り返す。

 伊賀は山間の町で、やはり緑豊かな山間部を擁する城輪町と何処となく似ていたが、琵琶湖は何処にも有り得ない、琵琶湖だけの絶景があった。

「これが、外なんだわ」

「ええ。世界は広い。あの岸の先にも世界がある」

 言葉少なに、互いが感慨を口にする。城輪町の中で始めから終わりまでを生きていれば、ともすれば自分達と社会の関わりが、とても曖昧に感じられる時がある。しかし琵琶湖は実際に目の前にあって、仲間達が水鳥と戯れる様を見、湖面が色濃く夕陽に染まり行く時間の流れを体感出来れば、自分達は世界に放り出された小さな二人なのだと、確と思い知れる。

 7月になれば数多くの人々がここに集い、牧歌的な熱戦が繰り広げられ、自分達はその一員となる。喜ばしい、と思う。とても喜ばしい事だ。

「よし、ここで3時間の休憩に入る。各自節度をもって自由行動を取り、規定の時間厳守の事。以上」

 言って、風間は大きく欠伸をし、目を擦ってコンテナの中に戻った。おくびにも出さないが、生徒の引率は負担が大きいのだろう。横になると、すぐにいびきをかき始めた。

「ちょっと待って」

 アメリアが真っ青な顔できょろきょろと周囲を見渡した。

「ここ、マクドナルドが無いんだけど!?」

 と言うより、湖岸以外には何にも無い。ここで三時間、水鳥達と遊んでいろと。何じゃそりゃ。どうしろっていうのよ。不平不満の雨あられ。と、運転席の扉が開き、目つきのすこぶる悪い男が、首をカキコキと鳴らしながらこちらに歩いてきた。運転手の平田だ。まともに姿を現したのは、これが初めてである。平田は携帯を見せながら、面倒くさそうな声で彼らに言った。

「タクシーを呼んでやる。近場に彦根城と、キャッスルロードって観光名所があるぜ。白壁といぶし瓦の店が揃っていて、飯も結構旨いのがある」

「でも、タクシー代なんて持ってないんだけど」

「そんくれえ俺が行き帰りを出してやるから心配すんな。もうすぐ夜だ。彦根城のライトアップは中々のもんだぞ」

 見るからに柄の悪い男だったが、平田は意外に親切である。何事かと身を硬くした一同が一息ついて安心した所で、ソレは助手席の窓からニュウと顔を出してきた。何かと言えば、袋だった。正しく言えば袋詰めの何か。分かる人には分かる。間違いなく死体袋だ。

『夜でありますか? 夜は私の独壇場! 袋から這いずり出して夜の帳をさすらう私は、例えて言うなら蝶々から蛹。或いは芋虫から卵』

「引っ込め、どあほう。まだ午後四時だ。食欲無くす腐乱ヅラを、皆さんの前に晒すんじゃねえ」

 飛び出た頭らしきものを押し込み、向き直った平田が、まあ、気にすんなと、でへへと笑って無理やりに取り繕う。

 …何だ今のは。この男も何処か怪しいとは思っていたが、それ以上に訳の分からないものが運転席のスペースに潜んでいる。こんな連中と往復の道程を共にするのかと思うと、背筋がドン冷えになる彼らではあったが、案ずる事は無かった。何しろ平田とその物体は数日後、よもやま荘に居つく事になるのだから。

 

 

筆:黒井秋彦

 

 

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