よもやま一景

 

このよもやま荘という学院寮に住む寮生、あるいは人力飛行機製作絡みで遊びに来る者達の中で、ある集団が形成されようとしていた。音羽仁壬、アルフェッタ・レオーネ、燕子花満月、藤林源治。音羽と藤林は故郷を共にする友人同士であるが、一応は各々が初対面の同士である。それが引き寄せられるようにしてつるみ始め、今もこうして何をするでもなく、顔を付き合わせる事だけが目的のような、他愛ない話題で腕を組んでいる。何故か。

それは揃いも揃って、わんわん将軍の魂持ちであるからだ。

「で、よもやま荘って場所においては、ぼくは風間先生がリーダーって事でいいと思うんだけど」

燕子花の言い方には深く思慮した風も無かったが、アルフェッタと藤林は酷く納得したように云々と頷いた。

「そりゃあ学校の教諭だもの。普通にあたし達を指導する立場だわ」

「それに年齢もいっちゃってますしね」

「いや、駄目だ。そんなんじゃ俺は認めない」

反論する音羽の言に、またか、と三人は溜息をつく。群れの中にはこうした反抗心旺盛な者が居て、何かとひと波乱を起こそうとするものだ。腕を振り回す彼を三人で宥めにかかる、という役回りも彼らの間では既に完成されていたりする。

「立場とか年齢なんか、例のトリコンプロジェクトにゃ関係無ぇもん」

「じゃ、何がリーダーの資質なのさ」

「力だ! と言いたいとこだが、対応能力と答えておくぜ。先の状況を見据えた深くて広い視野。急の変化にも合わせられる判断力。お前ら、風間先生が酒食らって俺らの話を聞いてんだか聞いてないんだか、よく分かんない姿以外を見た事あるか?」

 9月も後半に入り、そろそろそよぐ風も肌寒い。夕暮れに向かう頃合のよもやま荘は、古式ゆかしい天知神社の傍という事もあって緑が深く、秋の虫の音が旺盛に響き、喧騒の中の静寂と言える風情。

「お前ら何かしゃべれ」

「いや、意外にまともなことを言ったので」

「俺がまともな事を言わねえとでも」

 ヒュウ、と遠くから口笛が聞こえ、四人が一斉にその方向へ顔を向けた。続けてヒュッ、ヒュッと短く刻んだ口笛が。どうやらあからさまに自分達に向けられていると気付く。四人は顔を見合わせ、再びそちらを見る。

「呼ばれたのかねぇ?」

「ええ、多分」

「畜生、ふざけやがって」

 先頭切って肩を怒らせ、音羽が大股で寮の玄関に向かい、その隣で小走りの燕子花は随分と楽しそうだった。首を傾げながら藤林が続き、肩を竦めてヤレヤレと、アルフェッタがトリを歩く。

「口笛で呼んだのは誰だクラァ! 俺達ゃ犬じゃねえんだぞ!」

「何? 誰? 呼んだ? ぼく呼ばれた? 何か楽しい事? それとも御飯?」

「犬ですかね、やっぱり」

「どう見ても犬だよ、あたし達」

 そうして4人が裏庭から回り込み、玄関先で見たものはビニールの塊だった。粗大ごみの日ではない。バラされた過去の実験人力飛行機、レイヴンスの小分けされた一群である。そうこうする内に、ヒイ、ハアと息を切らす音と共に、双月響が新たな塊を運んできた。中身を傷めないよう、慎重に地面に下ろして、かはあと大きく気塊を吐き出してから、双月がジロリと4人をねめ回す。

「皆さん、今日は何の日かご存知でありますか?」

 一斉に首を振る扇風機が4台。

「レイヴンスを公界往来実践塾校舎の一階作業場に運び出す日だって、前の会合で決まっていたんだが、それも忘れてたんだな?」

 首振り人形が4体。ガクンと頭を垂れ、双月がじっと固まる。そして搾り出すようにこう言った。

「学校まで担いで行きやがれ」

「大八車は?」

「ンな物は無い!」

 

 堀校一は学院教師であり、JRA学園高等学校教諭でもある。恰幅が良いと言うより肥満体の、御年60歳。力仕事には向かない。

「あかん、もうあかん。やばい、心臓破裂するわ。ワシの動脈パンパンやわ。風間先生、こらワシみたいのんにさせる仕事ちゃいまっせ」

 作業室から皆が集まる教室へと向かう道すがら、息も絶え絶えの堀が隣を歩く風間史浪に愚痴る事一頻り。単によもやま荘に住んでいるというだけで、人手不足を理由に堀までもが借り出された、という次第。人力飛行機プロジェクトに関わっていないのに。まあまあと宥めてすかして、風間は立て付けの悪い教室の扉を開けた。

 既に一人を除いて一同が着席しており、皆がぺこんと頭を下げる。片手を上げて席を探す風間の後ろから、拭いても拭いても滝のような汗を流す、暑苦しい事この上ない堀が入って来て、皆々が挨拶も忘れて気持ち後ず去った。入っただけで部屋の体感温度が2、3℃上がったような錯覚を覚えるのが凄い。着席した堀の両隣が各一人分空いたのは言うまでもない。

「さて、本日はご苦労さん」

 皆が落ち着いた所で、風間がおもむろに切り出した。

「運び出しが終わって、明日以降日取りを決めて作業をやってく訳だが、その前に全員でイメージトレーニングと洒落込もうぜ」

「イメージトレーニング?」

「今日は日本テレビで鳥人間コンテストを7時から放映する日だ」

 おお、と感嘆の声が上がった。そう言えば先程から、烏丸弥生がふゆふゆと落ち着き無く浮遊しているのは、そのせいだったかと気付く。

「取り敢えず飯を食いながら鑑賞しようや…って、飯はまだか?」

「はい。もうすぐだと思うんですけど。運び出しで手一杯で、料理作るのあの娘に任せちゃったから」

 神代神楽が風間に応える。その表情は、心なしか青ざめているような気がしないでもない。

「今日の料理当番は誰だ?」

「風霞です」

 全員の血の気がサアッと引いた所で神代風霞が扉を蹴り開け、ドスドスと音を立てて侵入して来た。肩にビニールをぶら下げ、両手に鍋を持ち、エプロン姿もそのままに、怒髪天を貫く面構えで「作ってきてやったぞコン畜生奴等あッ!!」と喚く姿が勇ましい。

「誰も、誰も手伝ってくれないってのはどういう事!? 出来たら出来たで、みんな居なくなってるし! 大体藤林と仲良しワンちゃんカルテット! あなた達口笛で呼んでやったのに、シカトこいてんじゃないわよ犬野郎!」

「あの無礼な口笛はお前のかーッ!?」

 ギャアアアア、と風霞と音羽による凄惨な罵り合いが始まったのはさて置いて、ともかく恐る恐るといった調子で、皆がビニールの口を解き、鍋の蓋を開けた。握り飯と野菜炒め。それだけ。

「この炒め物、肉が入ってないんですけど」

「しょうがないじゃない! 冷蔵庫にそれだけしか無かったんだもの!」

「握り飯の形がガタガタなんですけど」

「そりゃその日の天気によって大きさも変わってくるわよ!」

「何か、不味そうなんですけど」

「コンビニにダッシュして来い人非人ドモがああああ」

 最早神楽でも手に負えないレベルで風霞が発狂開始。と、其処へ静々とシャーリー・エルウィングが、暴走状態の風霞の傍に立つ。そっと差し出す、お茶を一杯。

「取り敢えず喉がお渇きでしょう? お茶でも飲んで落ち着かれては」

「あ、こりゃどうも」

 一口でお茶を飲み干し、風霞がホウと息をつく。しばらくもせず、顔から険が取れ威きり上がる肩が静まり、次第に笑みが、非常に不自然な笑みが口元を曲げ始め、風霞はアハアハと笑いながら、酔ったように体を揺らしつつ着席した。眼鏡をクッと鼻筋から上げて、何食わぬ顔のシャーリー・エルウィング。慌てて皆が、先に配られたお茶の香りを嗅ぐ。

 非常に長い前振りだったが、ともあれ第30回鳥人間コンテストが始まった。風霞による独特の、率直に言ってクソ不味い料理に舌鼓を打ちながら。否、舌がドラムを滅茶苦茶に叩くと言うべきか。

 

 鳥人間コンテストは今年で30回目の節目を迎えていた。過去、びっくり日本新記録という番組の1コンテンツから始まったこの番組は、今やアマチュア飛行機野郎がトップクラスの技術を競う、世界的にも稀に見る、非常にハイレベルな大会である。

 次回初参加を目指すトリコンプロジェクトチームがエントリーするのは、人力飛行機部門。そろそろ人力飛行機ディスタンス部門が始まろうかという頃合に、烏丸がススと前に出、皆に解説を始めた。

「実の所を言えば、今現在もレベル的には人力飛行機とは言え数百mの飛距離がザラなのです。ほとんどのチームが1kmの壁を突破出来ず、琵琶湖の水面に落着してしまいます。しかし、ほんの数チームが、キロメータの壁を破れる精度を高めたチームが、今や数十kmの途方も無い戦いを繰り広げているのです。現在、私が目している三強は、東北大学ウィンドノーツ、東京工業大学マイスター、そして飛距離36kmのモンスターチーム、日本大学航空研究会。技術、操縦技能、そして何よりも貴重な経験を豊富に積んだ、何れ劣らぬ強豪集団であります。皆さん、特にこの3チームを注意して御覧になって下さい」

 そしてディスタンス部門開始。ウィンドノーツ登場。小気味良い操縦士の号令と共に、飛行機が発進。ぐらりと低い所まで落ち込んだが、持ち直す。それでも高度は低い。低いはずだったのだが。

「凄い。俺もトーシロだけど、この操縦士が凄いのは分かる。高さが一定のまま全然ブレない」

「機体と操縦士の技能が完全にリンクしてるって感じ。さっきからこの人、足攣ったとかしんどいとか、無駄口叩いてばっかだけど、逆にそうやって集中を維持しているみたいね。ホント凄いわ、この人」

 赤城烈人と東田小百合が感嘆の声を上げる一方、画面上では竹生島付近からのターンが成功し、スタート地点への帰路に入っていた。

 大記録が誕生する。という期待をもって皆が見守る中、しかし残念ながら中途で機体が落水する。それでも飛距離は、約28.63km。

「これは、勝負あったかもね」

 とはペンギンマスク。もとい山根まどか。ペンギンぐるみは腰掛けるには適しておらず、ふんぞり返ったような格好で曰く。

「ええ。本当ならば優勝決定と言っても差し支えないレベルなんですが…」

 こちらは対照的なスーツ姿の大鳥雷華。彼女が口ごもるのも無理は無い。これだけの記録を出しても、まだ後ろにはマイスターと日本大学が控えているからだ。

 そして画面は各チームのダイジェストへ。あまり飛距離が伸びなかった面々である。

 翼が折れ、フレームが曲がり、あまつさえペラが崩壊し、ありとあらゆる失敗が画面上で繰り広げられ、その中には驚いた事に、マイスターの名があった。飛行禁止区域進入による失格、との事である。魔が指した、としか言い様が無い。

 いよいよトリを努める、日本大学が登場。烏丸ががぶり寄りでテレビに張り付き、見るだに彼女の一押しというのが分かる。日本大学機が押し出され、高台を離陸。

「…凄い! 今のを見ましたか、皆さん!」

 驚愕の顔を皆々に向け、感極まったように烏丸曰く。

「高台からの離陸直後、全く水平を保ったまま発進している。機体重量で少しは沈むのが当たり前なのに! こんな美しい離陸は知らない。これが優勝するチームの飛び方…って、あれ!? 駄目、そっちの方角には行かないで!」

 一転して半ば悲鳴の烏丸が見る先では、他チームが取ったコースとは逆の、つまり多景島の方角へと、日本大学は機首を切り換えていた。画面上では風向きなど分からないし、日本大学が何をもってこの方角としたのかも、知る由は無い。ただ、それが失策であったのは、操縦士の序盤から激しく呼吸する様を見ていれば伝わる。落水。飛距離5.45km。決して短い距離ではないのだが、通例の日本大学のレベルに比すれば、これは完全に失敗したフライトとなった。第30回大会は、ウィンドノーツの圧勝にて幕。

 番組が終わって、取り敢えず風間は席を立った。

「ま、見てりゃ色々と問題点が見えてきただろ。各自、よくよくそれを考えて、以降の開発に繋げるように」

「…何か具体的なアドバイスはありませんか?」

「おいおい、俺だってこっち畑の人間じゃねえんだぜ? んなもん勝手にやってくれや。各人の自主性に任せ、面白い結果を出す事を期待する。以上」

 言うだけ言って、風間はさっさと出て行った。

「何だありゃ。面倒事は御免だとでも言いたそうじゃねえか」

 音羽が舌を打ってブンむくれる。其処までの態度は取らなかったが、他の者達も顔を見合わせ、訝しい顔になった。そんな彼等を諌めたのは、意外にもこの人。堀教諭。

「みんな、風間先生の事を悪うに思ったらあかんよ。本当は学院側な、一時金どころかエントリーを認めん所まで決めかけとったんやで」

 驚いた風の面々に、尚も堀が訥々と続ける。

「風間先生はな、あんまり学院の上の方には覚え目出度きとちゃうねん。ま、そらワシも一緒なんやけど。それでも生徒の貴重な自主性の為や言うて、下げとうもない頭を下げとったんやから。みんなの見えん所で、先生言うんは頑張っとるんや」

 未だ汗を拭きながら、堀教諭も退場。黙って腕組む音羽の肘を、藤林が突付いてみたり。

「さて、急がねばなりませんね」

 テレビの上で正座の格好の烏丸が、難しい顔で曰く。

「人力飛行機開発もさる事ながら、もう一つの重要要素を、そろそろ育成に入らなければ」

「育成って、何?」

「操縦士の選抜です。今回の結果は、これが非常に左右していると私は見ました」

 出た。人力飛行機そのものと共に、チーム最高の花形、正操縦士。たまらず快哉を上げるのは、アメリア・リンドバーグと矢上ひめ子。共に昔からの人力飛行機部員で、彼らは操縦士になる為に部に入ったと言っても過言ではない。

「遂に始まるんだ! ああん、撃墜王の血が騒ぐ〜。しかもテレビに映りっぱなしなんて、ど、どど、どうしよう。汗が流れても落ちないスキンケアを考えねば」

「やだやだやだ、あたしもパイロットになりたいよう。でも、アメリアがどうしてもって言うんなら、取引次第で考えないでもないかも」

 アメリア・矢上によるベタベタショーはさて置いて、烏丸が冷静に一言。

「確かに人力飛行機部員の方は、知識と技量がありますので今の時点では有利かもしれません。しかし、大事であるのは来年の時点で、誰が一番遠くに飛ばせられるかに尽きます。機会は全員に公平だと考えて下さい。ただ、やる気をだして頂けるのは、非常に嬉しい事であります」

 フッ、と烏丸の姿が消えた。何時に無く素っ気なく見えるのは、想定外の結末に考える所があったからか。ともあれそれを合図に、この場はお開きと相成った。

 

「あー、ラーメン食いたい」 「いいね、ラーメン」 「やっぱラーメンだよ」 「あたし、お腹空いちゃった」 「…それらは私の飯に対する嫌味かい」

 各々が自分の寮へと帰る道すがら。夜も10時を回ってとっぷりと更け、さすがに今の時間の学校は、静かで圧迫感を醸していて、ちょっと怖い感じがする。

 不図、先を歩いていた一人が立ち止まる。見上げた先は、実践塾の校舎。一室に明かりが灯っていた。

「消し忘れた?」

「いや、風間先生が閉めて行くって言ってたから」

「何をしてんだ、あの人」

「もしかしたら居残って、私達の為に色々と準備を整えてくれているのかもしれません」

 教室からの明かりはぼんやりと優しい色を醸し、気をつけて帰れ、と言外に伝えているような気がする。

 誰ともなく回れ右。向かう先は、先程まで居た校舎。もう一汗踏ん張りながら、ビニールを外している風間の姿を想像すると、自然に足取りも軽い。

校舎の玄関に入り、廊下を歩き、向かった作業室の方から聞こえてくる、それはどういう訳か大爆笑。しかも複数。一同、狐に抓まれつつ扉をオープン。

 笑い声の主は、ネクタイを鉢巻代わりの手拍子風間。上半身真っ裸で腹にへのへのもへじの、かつ歌い踊る堀。そしてほとんど下着同然の格好で踊り倒すリコ・ロドリゲス・ハナムラ。全員顔真っ赤。転がる酒瓶数知れず。扉向こうで唖然呆然の一同を認め、三人揃って『いよう!』と呼びかけてまた爆笑。

「おう、おまえらあ、帰ったんじゃねえのかよう! 今日は、もう、あれだ、無礼講だあ。取り敢えず、何か面白い事やった奴は、評価点をゲットだぜえええ

 扉がゆっくりと閉められ、フェイドアウト。

 

 

筆:黒井秋彦

 

 

戻る