AM3:15>

 伊吹の山地から薄っすらと窺える蒼みに、夜明けの近さを感じられたとしても、未だ松原水泳場は煌々と輝くライトの光が連なっている。既に2日目参加チームの機体は粗方完成しており、闇夜に浮かび上がる人力飛行機の群れは、静かな息遣いで事を待ち構えているかのようだ。

 起床した神楽と矢上、それに双月が大渡鴉の陣地に向かう頃合には、レイヴンスⅡも完全な姿を浜辺に晒していた。

 離れた場所から居並ぶ人力飛行機の只中に件の機体を見ると、改めて威容というものを感じさせてくれる。細く巨大な主翼、大型のV字尾翼、独特のリカンベントタンデム。どれを取っても類例の無い、大渡鴉のオリジナルだ。プロペラをツンと上向け、湖岸を前にして羽を広げるその様は、まるで誇り高い鳥の姿のように感じられて、3人はちょっとだけ笑った。

 

「…大渡鴉のパイロットチームだ」

「ああ、あの二人乗りの」

 ウィンドノーツの陣地は、プラットフォームからは観客席寄りの浜辺にある。都合、駐車場から陣地に向かう際は彼らの手前を通る事になるのだが、通り過ぎる3人を目ざとく見つけたのは、遅めの間食を取っていたウィンドノーツの面々だった。

「しかしパイロット、2人ともデカイぞ」

「うわっ、スーツから筋肉が浮き出てる。物凄い絞り込んでるし」

「普通だったら丈が小さくて軽いのを選ぶんだけどな」

「レイヴンスⅡだっけ、あれの機体重量もかさんでるはずだし。だから重量は脇に置いてパワー重視」

「試みとしては面白いけど…多分飛距離はそんなに伸びないよね。重量がかさめば、タンデムでも人力程度の出力だから、確実に揚力は減退するもの」

「さあ、それはどうやろ」

 ポツンと呟かれた一言に、メンバーが一斉に声の主を見詰める。前年の優勝パイロット、本年はナビゲーションを担当する宮内が、海苔巻きを齧りながら続けた。

「外見の独特さに目が行きがちやけど、あれの内部構造、知っとる?」

「さあ?」

「オフィシャルからそいう事、別に知らされないし」

「俺、実は直に大渡鴉の先生さんに聞いたんやけど、可変ピッチとオートマを連動させとるってよ」

 宮内の言葉に、一同は物を口に運ぶ手を止めた。確かに可変ピッチは、他のチームで試験的に導入が為されているのだが。

「オートマティックドライブ!?」

「出来るのか、人力で」

「現にそういう機体に仕上げた結果がレイヴンスⅡや。ピッチの変更が手動やなく、恐らくはスクーターの要領で自動切り替えをする。オートマを有効化させるには、間違いなく原動力に相当なパワーが必要となるはずやけど、それを満たせるだけの力を例の2人が持っていたとしたら」

「レイヴンスⅡは、巨大機にも関らず高速度で飛距離を稼ぐ、か」

「ランドグリズも大概な性能だったな。あれをモノにしているんだから、或いは」

「それでも」

 宮内はお茶を飲み干し、背筋を伸ばした。徹夜の体があちこちで軋み出しても、目の色に疲労の影は全く見当たらない。

「それでも俺らが連覇する。新しくて凄腕の挑戦者を歓迎しよう。そんでもって、錬度の差ってもんを発揮して、今後の糧としてもらおうやないか」

 王者の台詞に、仲間達が頷いた。

 

 パイロットチームが陣地に着いた頃には、1:00から仮眠を取っていた面々も起き出していた。頭と体の気休め程度の睡眠は、起き抜けの状態だけを見ると、通しの徹夜よりも疲労倍増の感がある。明らかに全く寝ないよりマシなのだが、それでも矢張りマシはマシ。そんな彼らの口から突いて出る言葉はと言えば、

「眠い」

「だるい」

「しんどい」

 毎度お馴染みの三連単語。

「ああ、レイヴンスⅡ、もう出来てますわ」

 シンシアががっくりと膝をつき、もう手が加えられる場所が無い、完成したその機体を眺めた。自分達が仮眠を取り始めた時点では、あともう一息という所まで詰めていたのだが、結局完成成った瞬間には立ち会えなかった訳だ。拍子抜けもいいところである。

 とは言え、ブルーシートで座り込む開発メンバーも、呆けた様は似たり寄ったりだった。松原水泳場にレイヴンスⅡが全容を晒した時点で、一年を費やした開発陣の仕事は、ひとつの幕を下ろしたのだ。これから最大のトライアルが待ち構えているのだと分かっていても、放心してしまうのはどうにも止められない。

「おはよう、みんな」

 神楽がキビキビとした足取りでレイヴンスⅡの傍に立った。双月と矢上はコクピットを覗き込み、フライトの打ち合わせを始めている。開発チームが枯れた声ながらも挨拶を返し、これにて大渡鴉は全員が再集結した。

「で、疲れている所を申し訳ないんだけど、みんなにお願いがあるの」

 神楽はマジックペンを取り出し、主翼のコクピットから見上げられる場所にサラサラと何事かを書いた。

「寄せ書きをお願いできる? きっとフライトの只中では、もう駄目なんだって、くじけそうな時があるかもしれない。そんな時に励まして貰えるような言葉が欲しいのよ。みんなの言葉を持って行って、あたし達、琵琶湖の空を飛んでくるから」

 神楽は晴れがましい笑顔で、そして真摯な目で皆に頼んだ。請われて顔を見合わせるも、仲間達は直ぐに頷いた。

「いいね、寄せ書き」

「こういう大イベントにはつき物かもね」

「レイヴンスⅡに、一丁気合を入れてやるか!」

 ようやく開発メンバーの目に力が戻ってきた。レイヴンスⅡに関してはやり尽したと思っていた彼らにとって、まだ有意義な作業が残されていると実感できるのは嬉しい事だ。そして各々がペンを取って、思い思いに自らの心を文字に換えていった。

one for all…日本語の方が目に飛び込み易いかな」

「うん、やっぱりみんなって言葉を使いたいよね」

「きっと姉さん達だったら」

「少年誌の黄金三原則を書いとくか」

「む、わらわときたら、端っこに書いてしまったか」

「イタリア語だけだと分かり辛いかねぇ」

「ちょっと平凡ですが、わたしのは素直に書きますよ」

「…奇跡なんて研鑽努力の末に発揮出来る現実なんだよな」

「私達は私達に勝利するのですわ」

「フライングペンギン・ビーアンビシャスってとこかしら」

「あー、めっちゃ勝利の美酒を飲みたいわ」

「やり尽した結果ってのを俺に見せてみろ、生徒共」

「俺からパイロットに送る最高のアドバイスだっ!」

「じゃあ私もアドバイスを男らしいフォントで!」

「みんなやたら文字がでかいな」

「うう、私のアドバイスが端っこで地味」

「俺達の心も琵琶湖の空ってな」

「へへ、一番と書いておけば、言霊が乗り移ってくれるかもね」

「この機体、きっと凄い速さで飛んでくれますよ」

「この一世一代が終わった暁には…」

「右から左へ、っと」

「お願いだから生きて帰ってねぇ」

 あっという間に埋められてゆく文字達を前に、燕子花は腕を組んで考え込んでいた。それはもう一人、リコも同じで、こちらは眉間に皺を寄せつつペンが進んでいない。

「リコちゃん、書かないの?」

 と、燕子花。

「そりゃお互い様だろ。次いで言うと彼女の事をどう書こうか、悩んでいるのもお互い様だろ?」

 それは図星だったので、燕子花は笑ってしまった。吹っ切れて、率直な気持ちをそのまま書き綴る。リコの方もそれに合わせて丁寧に書き込み、全員分の寄せ書きが主翼の一角を占有した。

「よしっ、スイッチが入った!」

 顔をピシャリと掌ではたき、リコが着ていたTシャツとハーフパンツを勢い良く脱ぎ捨てた。周囲の者が度肝を抜かれるも、マッパになる訳は勿論無い。豹柄ワンピースウェストカット、一度見たら網膜に焼きつくその姿。

「リコっ!?」

「その格好は…」

「おうよ、下着代わりにずっと水着さね。昨日の晩から着っ放しだぜ」

「水着女王だ」

「水着女王のお出ましだ」

 畏れ慄く仲間達を後目に、リコは「水ごりする!」と言い置いて、未だ闇夜の琵琶湖の水辺に走り去り、そのままエイヤと飛び込んだ。

「いかん、海難救助! この場合は湖難救助!」

 ヒーローの血が騒いだか、赤城もシャツを脱ぎ捨てファウレッドスーツで突進する。

「着てたのか、赤城」

「Tシャツの中にどうやって隠してたんだ?」

「実は、あたしも水着着ているのよね」

「私も」

 破顔大笑で泳ぐリコと、スーツが水を吸って早速沈み始めた赤城の面白げな空気に呑まれてか、水着着用の者達がいそいそと服を脱ぎ、我も我もと湖に入って行った。まるで酔っ払いの集団入水である。

「…風間先生、これ、止めさせた方が良いのであろうな」

「ええ、まあ。でも、俺も10年若けりゃ一緒に飛び込んでたかもしれないと思うとなぁ…」

 引率の先生2人は何となく徒労感を覚えつつ、生徒達のはしゃぎ振りを眺めるのだった。

 その後、オフィシャルからこっぴどく絞られたのは言うまでも無い。

 

AM4:00>

 雲母による本日の朝食は、きざみ葱が入っただけの素うどんだ。ここに来て雲母は、今まで考えていた栄養バランスを捨て、炭水化物を効率良く摂取出来る一品を用意した。これは当然ながら2人のパイロットの持久力向上を考えてのメニューである。マラソン選手がスタート前にバナナや米類を食べるように、人力飛行機部門のパイロットも瞬発力ではなく持続するスタミナが求められる。うどんは低脂質かつ高炭水化物である為、このような場面においては定番のメニューと言えるだろう。

「…肉うどんというのは駄目だったんですか?」

「駄目です。胃腸の機能を炭水化物の分解に絞らせた方が、吸収効率を向上させてくれますからね」

 すげなく雲母に答えられ、藤林が肩を落として椀を受け取る馴染みの風景も、これで見納めになる。大渡鴉陣地での自炊は、一番手のレイヴンスⅡがフライトを終えた時点で終了となるからだ。メンバーの健康維持を食事の面でサポートしてきた雲母は、一通りの責務を果たし終えて満足げな顔をしていた。

「この白いヌードルは、お椀の一杯が大体300kcalですから、お二人は3杯くらい食べておいた方がいいですね。それも出来る限り汁気を減らして」

 栄養学の教本を読みながら、シャーリーがアドバイスを送る。対して神楽と双月は、朝からそんなに食えたものではない。

「いや、確かにあっさりしてるんだが」

「少し時間を置いてから食べるのもいいでしょう。今だけは食事と言うより、燃料補給くらいに考えた方が宜しいかもしれませんね。私達の方は、応援を完遂出来る程度のエネルギーがあれば十分ですけれど」

 燃料補給とは、言い得て妙かもしれない。2人はレイヴンスⅡの重要なエンジンだからだ。普段から仲間達のメンタルケアに心を砕いてきたシャーリーが、事ここに及んでパイロットチームを、そして自らをレイヴンスⅡが構成するモノの一つとして割り切っている。こういう場面でも決戦は近いのだと、双月は改めて認識した。

 

 自らが啜り込むうどんに全く注意を払わず、風霞の目は明々後日の方角を向いていた。その目が見るのは仲間達やレイヴンスⅡではない。プラットフォームの向こう側、遥か先の湖面状況だ。

「藤倉君」

「何です?」

「ごめん、風の向きがよく分からない。少し明るくなったから、波自体は見えるんだけど」

 風霞は本番でレイヴンスⅡに風の状況を伝える為、オルトルートの天眼通を用いて湖面の波から風向きを知ろうとしたのだが、この湖の波は浜辺に寄せてくる海とは異なり、内に進むほど複雑な様相を呈している。

「しばらくは一定の波が続いたと思ったら、中途で波同士が絡み合ってしまってね」

「それが琵琶湖で人力飛行機が長距離を狙うのに難しい所なんですよ。琵琶湖は四方を相当規模の山地で囲まれていますからね。山からの風は吹き降ろすものですが」

 藤倉は椀と箸を置いて、両掌を端から鼻先に接近させ、交差した。

「違う方角から吹いてきた風がぶつかり合ってしまう。そして混ざり合った風は別の方向性をもって風力を増す」

「ああ、人力飛行機が風に煽られて右往左往するのは、そのせいか」

 成り行きを藤倉と共に見守っていた水城が、ポンと手を打ち頷いた。人力飛行機は一様に竹生島という北北西を目指してフライトするのだが、その過程で全く別の方向に機首が向いてしまうのは、どのチームでも付き物である。それはパイロットの技量のせいでは決してなく、極度の軽量化を目指した人力飛行機が、急に向きを変えた風力の影響をダイレクトに受けてしまうからだ。

「でも、複雑なポイントが予め分かればいいじゃないか。其処を避けて飛べばいい。って、短絡か?」

「そんな事はないですよ。でも、恐らく飛べば飛ぶ程、そこら中で風は乱れているでしょう。それを逐一報告するというのは」

「私は風の実況中継をしゃべりまくる羽目になる訳ね。何て言うか、おもろないって言うか」

「いえ、そうして貰えると、あたしとしても助かるかな」

 と、情報チーム3人の会合に出席していた矢上が、堂々巡りに入り込みそうになった会話を遮った。

「藤倉君がオフィシャルから提供されるデータをこちらに流すのは、とても参考になるのよ。進行ルートを計画する上では、是が非でも欲しい情報だし。でも、あのデータは大まかな向きと風力を算出するだけのものだから、風が入り組んだ状態までは表示出来ない。アクシデントが発生するポイントを予め知っておくのは、パイロットに注意を促せるという一点で、とても有利だからね」

「とどのつまりは、パイロットの腕任せ?」

「そりゃそうよ。双月君はレイヴンスⅡの舵取りとして、大渡鴉で最高の人材だもの。絶対的に信用出来るわ」

 言い切って、矢上は立ち上がった。頬に受ける風を感じようとしたのだが、生憎微風すら感じられなかった。浜辺でこの有様であるにも関らず、風霞は奥に行くほど複雑な波があると言う。

「完全無風状態はテイクオフの際には好都合だけど…難しいフライトになるかもしれないね」

 ナビゲーションを務める矢上の言は重い。その彼女のサポート役を果たす難しさを、情報チームの3人は改めて痛感した。

 

AM5:00>

 太陽が昇った訳ではないが、周囲はすっかり明るくなっている。それにつれて昨日のような暑気も高まっており、相変わらず湿気の濃さと相俟って息苦しい限りだ。それでもこの頃合になると熱心な観客が少なからず集まり始め、詰めの作業に入った各チームと共に、昨日の忙しくも楽しい風景が其処彼処で見られるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『2日目、午前5:30頃の風景。作業の邪魔をしないように注意しながらの撮影でしたので、構図もへったくれもありませんですね。現実世界での一番手、東京大学F-Tecは下段中央の写真ですから、こちらの世界での大渡鴉はこの位置に陣を取っていた、という訳です。ちなみに下段右端の赤シャツ部隊が、東北大学ウィンドノーツ。去年の優勝パイロット宮内氏もここに居ます。案の定、小柄で体格のいい人でした』

 

 そんな何処にでも人が居る状況では、静かな場所を探すのも一苦労だ。双月と神楽は雲母に自転車を借り、わざわざ保養センター近くの駐車場まで自転車を走らせる羽目になった。何をするかと言えば、精神修養である。

 其処は林に囲まれており、水泳場に来た客向けの有料駐車場だった。だからトリコン参加チームは勿論、無料駐車場が確保されている観客達の車は停められていない。2人の修養は木刀を用いるので、当然ながら誰も居ない場所は一番都合がいい。

 一頻り素振りを繰り返して体を解した後、2人は向かい合って正座し、木刀を脇に置いた。所謂居合抜きを仕合うのだ。

 無論、剣の使いは神楽に分があるのだが、双月も最終特訓の頃から更に腕前を上達させていた。純粋に機先の取り合いが勝負を制する居合ならば、元々武道に長けた双月の能力を駆使した、五分に近い勝負に持ち込める。この仕合も先手を取ったのは神楽だったが、剣尖が到達するまでに双月は木刀で弾いてみせた。

「もうひと仕合」

「終わろう。そろそろメディカルチェックの時間が近い」

 時間を見れば、既に5:00を回っている。メディカルチェックは5:30から始まるので、確かに早めに陣地へ戻った方が良い。双月から木刀を預かり、神楽は自転車の荷台にヒョイと座った。双月がサドルを跨ぎ、都合小柄な自転車が大柄な2人を乗せる様は、実に健気である。

「神楽、もう話をしている時間は無いかもしれないから、今の内に言っておこう」

 自転車を軽快に走らせながら、双月が言う。

「何?」

「良い一年だった。俺や、俺達には様々な可能性があるのだと分かった、良い一年だった。最後に君と組めて、楽しかったよ」

「それは今言う台詞じゃないわね。全てが終わって、また始まるまで。ほんの僅かな時間に立ち止まる時、あたし達はこれまでの事を振り返りながら、これからの事を語らうのよ」

「そうだったな。俺達は、まだ終わっていない」

 自転車は2人を乗せ、仲間達の元へと走って行く。速度と熱気が加速する、湖岸道路の早朝を。

 

AM5:30>

「はいっ、それでは着ぐるみ装着!」

 リコによる号令一発、応援団が各々の着ぐるみに潜り込み、お馴染みの真っ黒クロスケが十一体出現する。

「蒸し暑い!」

「早くも汗だく!」

「何かこの中臭い!」

 風霞と古雅による特製の着ぐるみは、冬の防寒対策も万全なのだ。応援団は口々に呪詛の言葉を吐きながら、景気よく流れるラジオ体操第二に合わせて、応援前の準備運動を開始した。マイナーな第二の音楽と共に、黒モコの着ぐるみ達がビヨンビヨンと飛んだり跳ねたりする様は、実に理不尽かつシュールだ。何だか分からないけど怖いチーム、という印象操作を周囲へ及ぼす事に、大渡鴉応援団は成功したのである。

「尚更蒸し暑い!」

「もう汗でどろどろ!」

「何か臭いでトリップしそう!」

 可愛い造形の口から罵りの言葉を連発しつつ、一同は集まって円座を組んだ。全員が着ぐるみに身を包んでいるので、最早誰が誰だか分からない。一人だけ、模様の異なる白黒ツートンカラーは山根なのだとかろうじて分かる程度。

「時は来ました!」

 配布されたゲータレードをストローでジュージュー飲みながら、山根は羽を振りかざして皆に訴えた。

「わたし達の応援の総決算! 短い日数ではありましたが、練習に練習を重ねてシンクロニシティ構築に腐心してきたのは、全てこの日の為なのです!」

「ランドグリズの応援は脇に置くの?」

「まあ、昨日のは好き勝手に踊っていたからね」

「あと少し、あと少し皆さんの力をお借りしたい! 見事10万円ゲットの暁には、わたしは母なる南極に召されるであろう!」

「要は里帰りするって事ですね」

「まさか、10万円を里帰り費用の足しにするつもりじゃないだろうな」

 等々、何時もながらこの面子が揃うと、騒々しい事この上ない。しかし、この陣容で挑める最後の応援となるのは確かだった。気合は十分であり、良い加減で正常な感覚も喪失し始めている。本番で自らを爆発させる準備はOKなのだ。

 そして振り付け担当、燕子花によって黄色いポンポンが配られた。これを羽にくくりつけてチアリーディングを敢行する。正直、男連中には小っ恥ずかしい限りなのだが、着ぐるみを着込んでしまえば、どうせ誰だか分からない。早速ポンポンを装着して踊り始める者が出る始末。着ぐるみが無ければ異様な世界が出現していた事だろう。

「そう言えば、青空先輩のチビロボどもは、音声をちゃんと変えてんだろうな?」

 一頻り踊り回って落ち着いたのか、音羽が青空謹製のチビキョロロボを手に取った。昨日は録音ボイスが見当違いな台詞を捲くし立てており、振りを一致させる本日のチアリーディングで、それをかまされた日には致命的である。

「大丈夫やってば。こんどこそウチのオリジナルソングを収録してあるさかい、ちょっと見たってや!」

 と、チアリーディングには参加しない青空が、ロボの尻に備え付けたスイッチを入れる。興味に駆られて皆が覗き込む視線の先、音羽の掌でチビロボが激しく手足を振り回し始めた。

『♪飛んで飛んで回って回って 何処まで行くのレイヴンスⅡ そっちは多景島 方向が逆 針路変更 軌道修正 遅れた分は取り戻せ 力づくでも取り戻せ 取り戻さなきゃ また友達が減っちゃう レイヴンスⅡ レイヴンスⅡ 愛と勇○だけが○達さ(JASRAC対策) それ以外は ラララ基本的に敵♪』

「却下」

「録り直し」

「ええーっ!?」

 慌てて新しい歌の作詞に目を白黒させる青空はさて置いて、リコがコホンと咳払いし、改めて皆々と目を合わせた。

「さて、ランドグリズはアタシ達の応援のお陰で現時点大会新記録な訳だが」

「言い切ったな」

「この調子でレイヴンスⅡに、いい風を送ってやろう。何もかもやり尽くしたアタシらに、応援っていう手段が残されているのは嬉しい限りじゃないか。アタシらの持つ全てを出し尽くして、一応援完全燃焼でコトに臨むべし!」

「円陣用意!」

 赤城の掛け声一発、一同が一斉に輪になって肩を組んだ。

「レイヴンスⅡ! ファイッ!」

『応!』

 朝も早くから、元気の良さでは他チームを圧倒する大渡鴉だが、陣地全体の暑苦しさも圧倒的で、何だか其処だけ客があまり寄り付かないのだった。

 

「今日の主役ってあの子達なの?」

 縁のある彼らを応援すべく駆けつけた士渡夫妻も、何となく大渡鴉の陣地を遠巻きに眺めていた。が、メディカルチェックを終えたパイロットチームを見つけるや、手を振って挨拶を送る。応じて彼らも走り寄ってきた。

「…いよいよね」

「はい!」

「初参加でも、遠慮なく優勝していいんだぜ」

「飛ぶからには、そのつもりです」

 言葉少なであったが、夫妻は彼らに、彼らは彼ら自身に、確固たる自信を持ったやり取りを交わす。

 

「お、マイクロバスが到着か」

 平田は弓月と共に、忙しく駐車場に停まったマイクロバスを出迎えに行った。降りてきた人力飛行機部OB一同に会釈し、同じく降車した運転手の香車に、軽く手を上げて挨拶をする。

「御苦労さん」

「本当に御苦労なのは、大渡鴉だけどね」

「さあ、昨日に引き続いて、彼らの真価って奴を拝見するか」

 

 鶺鴒弥生は、夫と共にレイヴンスⅡを俯瞰出来る場所で立ち止まった。浜辺に居並ぶ人力飛行機達の中でも、彼らにとってのレイヴンスⅡは、抜きん出て誇らしげに見える。

「やっと僕達も、空を飛ぶ事が出来るのかもしれない」

「あの子達がレイヴンスⅡと名付けてくれた事に、感謝するわ」

 出来る事なら、2人は何時までも眼下の景色を眺めていたかった。

 

 こうして有形無形で大渡鴉に関った、全ての人達が一つの場所に集結した。

 その中心に居るのは、双月、神楽、矢上。そしてレイヴンスⅡ。紅白のパイロットスーツに身を包んだ2人と、傍から彼らを支えにかかる少女の元に、握手の手が惜しみなく差し伸べられる。

「ひめちゃん、頑張ってきて」

「ランドグリズに負けないくらいの記録を叩き出してくるわ」

 アメリアは矢上とハグを交わし、次いでレイヴンスⅡを見上げた。つられてアルフェッタと燕子花もレイヴンスⅡの傍に立つ。機体の完成と同時に、もう話す事も見る事も出来なくなってしまった少女の心は、レイヴンスⅡと共にあるのだろう、と、彼らは信じて疑わない。

 アメリアが手を伸ばして主翼を撫で、アルフェッタはフレームを軽く叩き、燕子花はコクピットに額を押し付ける。これから短い一生を遂げに行くレイヴンスⅡを、やり方は違えど労わる気持ちは同じだった。

「さて、写真を撮りますか!」

 昨日同様、手合はレイヴンスⅡを前にした記念撮影の準備を開始した。しかし今度は大渡鴉はおろか、OBからK社社員から士渡夫妻まで、全員をファインダーに収めるのだ。ちょっと自慢出来る規模の記念撮影になるのは間違いないが、そうなると出遅れて自分だけが映りませんでした、等と言うケアレスミスは無くしておきたい。パイロットチームを中心に据え、レイヴンスⅡの周りに人々を配置しながら思案に暮れる手合の目に、先程からしきりにレイヴンスⅡをデジカメで撮っている男性が映った。

「すいません、其処の方。宜しければ、わたし達の記念撮影のシャッターを切って頂けませんか?」

「え、僕がですか!?」

 水色チェック柄のシャツを着た男が、手合に促されて三脚の前に立った。湖を背にして目の前を見れば、行儀よく座って自分を見詰める瞳が80以上。誰でなくとも、尻込みする状況だ。

(…昨日から写真、ブレまくりやったからなぁ。これを失敗したらシャレにならんぞ。三脚付きやから、大丈夫やろけど)

 男は一息吸い込んで、ファインダーを覗き込んだ。狭い視界に映し出される光景は、とても絵になっている。珍しい形の機体だったので、記念に撮ろうと他チームよりも多めにシャッターを切ったのだが、かの機体を作成した面々に囲まれた姿は、自分が撮ったどの写真よりも輝いて見えた。本当に美しい人力飛行機だと、男は思う。特に応援するチームも無いまま見物しに来たトリコンだったが、今日は大渡鴉とレイヴンスⅡのシンパになろう、とも。

「それでは撮りますよ。スマイル下さーい。はい、チーズ」

 滞りなくシャッターを押した瞬間、不図男は違和感にかられた。そんなはずは無いのだが、コクピットの上で小柄な女の子が、満面の笑顔で座っているように見えたからだ。

 

AM6:00>

『これより鳥人間コンテスト、人力プロペラ機ディスタンス部門を開催致します』

 アナウンサーの放送が大会会場に鳴り響く頃、大渡鴉とレイヴンスⅡは、既にプラットフォーム上にあった。トップバッターのメリットは、フライト待ちの為に体力を削られないという一点に尽きるが、翻って真っ先に風の状況を試されるというデメリットも並存している。他のチームのフライトを参考に出来ないのであれば、当然ながら今まで蓄積してきた技術と経験を信じる以外に無く、当然ながらそれは大渡鴉が最も承知している所だ。

「静かだな」

「ええ」

 言葉短に、双月と神楽は初めて立ったプラットフォームの感想を述べた。静かとは、風の事を言っている。起きてから今の時間に至るまで、結局風らしいものは頬に感じる事は出来なかった。公式でも風力ゼロの告知が為されている。事前に矢上が言った通り、確かにスタートコンディションは抜群に良くなるだろう。しかし先に進むほど風が入り乱れているのは間違いなく、尚更気を引き締めてかからねばならない。

 後方では、昨日に引き続き随走者がスタンバイしている。大渡鴉からは藤林、手合、雲母という面子に古雅が加わり、そしてOBから鶺鴒弥生が参加して、総勢5名という陣容だ。形はどうあれ、弥生はかつての目標であった鳥人間コンテストの、晴れてプラットフォーム上に立つ事が出来たのだ。期待ではちきれんばかりの表情からは溢れ出る喜びが感じられて、そんな彼女の様子を見る2人にも、嬉しさがこみ上げてくる。

「えーと、神代神楽さんに双月響君やったね?」

 と、司会の今田が2人に声をかけてきた。昨日アメリアが言っていた通り、自分達ともネタ振りの為の軽い世間話するつもりなのだ。神楽は愛想良く挨拶を返し、双月は如何にも困った風に頭を下げた。こういう知らない人とのフリートークは、大の苦手なのだ。

「しかし2人乗りって凄いなあ。もう1チーム、芝浦工業大学もそうなんやけど、何しかごっつい主翼になるんやね」

「本当ですねえ。昨日の滑空機部門の一番大きい機体でも、弟分に見えますもんね」

 驚く今田にアシスタントの東原が相槌を打つ。こうしてプラットフォーム上にレイブンスⅡが身構えると、はみ出した両翼の長さが半端ではないのが分かる。この1機でスペースのほとんどを占有する事になるのだから、撮影スタッフが機体に触れないように立ち回るのも、一苦労に見えた。

「これでも、ギリギリに詰めた大きさなんです」

 神楽が2人に、分かり易く説明を始めた。

「最初にタンデムありきで始まっていますから、機体重量の増加はどうしても避けられません。支える為には主翼長が長大化します。そしてそれも機体重量アップの原因になってしまいますので、結局重量、強度、揚力のバランスが一番秀でている大きさが、この主翼という訳です」

「なるほど。そう言えば2人とも、他の選手に比べると体重ありそうやもんな。あ、ごめん。女の子には失礼やな」

「いえ、事実ですよ。レイヴンスⅡをまともに飛ばすには出来る限りのパワーが必要になりますから、それを満たせるだけの体作りに心血注いだ結果ですので。まあ、出来ればもっと優しい形に体を戻したいっていうのが本音ですけどね」

「女の私から見ても格好いいですよ、神楽さんの体型」

「お世辞でも、そう言って頂けると安心できます」

「本音ですよう。だって、相方の双月さんにも負けてない筋肉じゃないですかあ。何て言うか、体つきからして息もピッタリなお二人ですよね」

 息もピッタリ、という所で今田の両耳が僅かに動いた。良いネタ発見、と言わんばかりの顔で2人に問う。

「そう言えばお二人はパイロットのコンビやけど、プライベートではどんな感じなん?」

 矢張り来たか、と、神楽は心の中で溜息をついた。年も同じ同士で男女のパイロットという事になると、この手の質問はありがちだ。こんな時、風霞が傍に居れば訳の分からない受け答えで場を引っ掻き回してくれるだろうが、生憎と彼女は応援団の一員でプラットフォームには居ない。仕方なく、このプロジェクトに限ってのコンビです、と無難に答えようと口を開きかけるも、不図神楽は考えを変えた。

「それは、双月君から答えて貰いましょうか?」

 突如神楽から話を振られ、今まで黙っていた双月が肩を跳ね上げた。受け答えを彼女に任せて楽な思いをした報い、という所だろうと双月は解釈し、すっかり困り果ててしまう。

 こういう場面で気の利いた台詞を捻り出せないのが自分なのだと、双月も自覚している。しかしながらこの空気、どんな答えが返ってくるのか興味津々の司会陣を見ると、何かウケを取った方が良いのだろうと、余計な考えが頭にもたげてきて仕方ない。神楽を見れば、口元を曲げたいやらしい笑い方をしていて、双月は大人気なくムッときた。俺がこんなに困っているのにお前と来た日には、と。だから双月は、このように切り返してやった。

「彼女は親同士が決めた婚約者です」

 さあ笑え。自らの機転の良さに、双月は思わず胸を張ってしまったが、返ってきたのは底無しの沈黙だった。今田、東原、撮影スタッフ、大渡鴉の仲間達、鶺鴒弥生、後ろの方で控えている東京大学の皆さん、そして神楽に至るまで、全員が全員、同じ口の開き方でポカンと双月を見ている。

 あれ、何で笑わないんだ。双月が言おうとする前に、今田が素っ頓狂な声を張り上げた。

「ええええっ! そうやったんかあ!?」

「いや、違う。今のは冗談であって、彼女は大渡鴉だけのパートナー」

 今更言っても、もう遅い。

 

 観客席の手前では、既に大渡鴉が各々の配置についている。両方の羽を後ろ手に、足を両肩の位置に広げて直立不動。正にこれぞ応援団という規律の正しさだったが、如何せんキョロ顔の着ぐるみ着用では程々に間の抜けた空気を醸していた。昨日から彼らを知っている観客は、今日も何か妙な事が始まるに違いないと、間違った方向で期待を抱いており、絶え間なく彼らはシャッター音の洗礼に晒される羽目となる。

 それにしても、この体勢で「待て」を食らうのは大変だ。曇天模様の空と言えど、気温が30℃を切っているとは言えど、この蒸し風呂具合はたまったものではない。湿度は雨が降ってもおかしくない程高いにも関らず、これから晴れ間が見えてカンカン照りになるそうだ。

(良かった。朝一番で、まだしも良かった)

 大鳥は心底思った。これで太陽が照り付けていたら、冗談抜きでバタバタと人が倒れる有様になっていただろう。現に1人、体が前後にユーラユラと櫂を漕いでいる者が居る。あれは恐らく、シャーリーだ。決して体が丈夫な子ではないのにと、大鳥は彼女の健気な頑張りに涙した。

 後方でペーソス溢るる物語が展開する一方で、前方に陣取る者達は至って元気だ。先頭のリコ。二番手にアルフェッタ、赤城、音羽といった体力自慢の御一同。山根も体力ならば人十倍なのだが、彼女は人ではなくペンギンなので暑さが弱点、故に除外。特にリコの頑強さは目を見張るべきものがあり、さすがに赤道間近のベネズエラ出身、少々の暑さはものともしない。

 リコはひたすら一点を見据えていた。プラットフォーム上に待機するレイヴンスⅡを。

 かつて自身もパイロットを目指し、才能の片鱗を見せつつも落選した経験のあるリコにとって、この応援に賭ける気合は誰よりも入っていた。あの人力飛行機にありったけの気を注ぎ込んでやれば、きっと自分も、レイヴンスⅡと共に空を飛べるのだろう。

(夢を見せろ、もう一度)

 リコの瞳は、太陽のような希望に満ちている。

 

 矢上は観客席から離れて、リポーターの荻原と共に湖上の人となった。レイヴンスⅡが長距離を飛ぶ事が出来れば、モーターボートを駆って併走する。仲間達と共に居る事が出来ないのは少し寂しいが、ナビゲーションという最重要の立場を、矢上は冷静に理解していた。

「こうしてボートに乗って長いけど、多分君は最年少のナビゲーターだな」

 荻原が汗を拭きつつ、軽快に話しかけてきた。

「でも、オフィシャルの方で色々聞いたけど、レイヴンスⅡは技術の塊みたいな機体なんだってね? そういう機体を外から操るのが君な訳だ。どんなナビゲーションをするのか、楽しみにしているからね」

「何しろ初めての経験だから、期待されるとちょっと困るんですけど」

 苦笑しつつ、矢上が応える。

「でも、双月君と神楽さん、レイヴンスⅡの導き手になれるのは、あたししか居ない。それは信じているんです。絶対に」

「その意気だよ。ナビゲーションは自信に溢れてふんぞり返っている方が、指示を貰うパイロットも却って安心出来るってもんさ。その調子で頑張るんだ」

 荻原の檄に頷きながら、矢上はハーバーに居る藤倉と無線で連絡を取った。

「湖面状況は?」

『駄目ですね。プラットフォーム上と同じ、無風状態を表示しています。矢張りオフィシャルからの情報は、ワンテンポ遅いです』

「それでも針路を取るには、その情報を当てにするのが現状のベストなのよね。機械エンジンの飛行機じゃないんだから、情報の遅さにナーバスになる必要も無いわ」

 言いながら、矢上は嘆息した。後は琵琶湖全域の波を「見る」事が出来る風霞の異能、この2つが情報源となるのだが、突発的なアクシデントに対抗するには、矢張り心許ない。前に矢上は双月君を信用する、と言った。しかしそれに加えて頼りになるのは自らの経験則なのだと、矢上は強く認識した。

 

AM6:15>

『現在、プラットフォーム上は、八十神学院・大渡鴉。パイロットは、双月響さん、神代神楽さんです』

今田:「お二人ともパイロットという事で、何と今回はタンデム、二人乗りの機体なんですね」

東原:「滑空機部門ではフォーミュラで参加されていた大渡鴉さんですが、人力飛行機は本当に大きな機体ですよねぇ」

今田:「そうなんですよ。見て下さい、このプラットフォームから大幅にはみ出した翼を。正にハヤリのメガサイズですね。大渡鴉はフォーミュラクラスでも好成績を残してるんですけど、どうですか、今回の人力飛行機は」

神楽:「そうですね、フォーミュラではパイロットも頑張ってくれて。あたし達もいい機体に乗ってますんで、彼女に負けないような成績を出したいと思います」

今田:「大渡鴉は初参加のチームなんですが、ここまでを見ると今後にも期待を持てそうじゃないですか。ちなみに、何と皆さん、このお二人はパイロットのコンビであり、プライベートでは婚約者同士なんですよ!」

双月:「いや、あの、違いますから」

東原:「素晴らしいですねぇ。琵琶湖の空で絆を確かめ合うんですね」

双月:「だから、さっきのは冗談だと言ってるじゃないか。神楽、お前からも何か言ってくれ」

神楽:「お願い、尻拭いは自分でやって」

小杉:「今田さん!」

今田:「はい、何でしょうか」

小杉:「こちら、観客席の方では滑空機部門に引き続いて、大渡鴉の応援団が勢ぞろいしていますね。御覧下さい、これが三分の一は留学生の皆さんです!」

今田:「また全員着ぐるみで分からんやんけ!」

吉田:「今回は前回と違うダンスなんですよね。ほら、ポンポンも準備して、チアリーディングをするとの事なんですよ。自分らの作った飛行機並みに、彼らの応援は気合入ってますからね。期待して下さいよ。それでは大渡鴉さん、やっちゃって下さい!」

 

注:話の途中ですが、皆さんの心の中には様々なチアリーディングがあるのだと思います。そんな思い入れを私の文章で乱してしまうのは、如何にも申し訳ないではありませんか。よって以下のダンス描写は皆様の想像力をお借りし、「御自身が想像するチアリーディング」でもって補完を宜しくお願い致します。

 

リコ:「Soooo…Here we go!」

大渡鴉:「R! A! V! E! N! S! Ⅱ! Ha!」

アルフェッタ:「何処までも!」

満月:「遠くまで!」

音羽:「琵琶湖の果てまで飛んで行け!」

アルフェッタ:「もっと遠く!」

満月:「更に遠く!」

山根:「敦賀を越えて限界突破!」

水城:「そりゃ行き過ぎ」

大渡鴉:「R! A! V! E! N! S! Ⅱ! Yeah!」

大鳥:「偶には面白い事の一つも言ってみた方が、精神衛生上健康にいいですよ?」

大渡鴉:「GoGo双月! Please make a smile!」

赤城:「いい筋肉だ! とてもいい筋肉だ!」

大渡鴉:「神楽! 神楽! 漲る力で漕ぎ倒せ!」

チビロボ一同:『♪回って回って飛んで飛んで 何処までも行こうレイヴンスⅡ 目指すは竹生島 方角は正常 微速前進 蒼天航路 速いぞ速いぞ 力づくの速さ 速く飛べば 多分友達が増えます レイヴンスⅡ レイヴンスⅡ 友達百人出来るかな それ以外は ラララ基本的に他人♪』

風霞:「さあみんなっ、準備はいいかな!?」

百々目:「大渡鴉恒例の万国ビックリショー」

シャーリー:「こ、これから、締めの大技を、ハァハァ、疲労致します~。あ、疲労じゃなくて披露でした。駄目、もう限界」

リコ:「そンじゃ一丁、ブワーッと行くかあ!」

 

 リコの号令一下、アルフェッタと赤城、リコでトライアングルを形成。その中央に走り込んで来た山根が跳躍。3人、それに合わせて一斉に反動を開始、直上へ山根を投擲。 山根、体を丸めてクルクルと回転し、最高点に到達。また落下に入った彼女の体を下の3人がクッションをつけてキャッチ。びよん、と前に放り出された山根が綺麗に着地。『したっ』とポーズを決める。さすがに観客ビックリ仰天。拍手喝采大喝采。

 

リコ:「まだまだっ、こんなもんじゃ済まないよ! それではみんな、健康美を御開帳!」

 

 一斉に着ぐるみ達が膝を付き、もごもごと体をくねらせた次の瞬間、中からパッと人の形が飛び出した。

 豹柄ワンピース、真紅のビキニ、白いAラインワンピース、空色ツーピースのセパレート、黒のセパレート一張羅、青のストライプワンピース、競泳用スイムウェア、セーラー服の下にスクール水着、ペンギンカラーのビキニ(マスク着用)、妖艶くノ一、ファウレッドスーツ、普通にTシャツと学校ジャージの下、しかしながら女子一同、粗方水着の上に大渡鴉のTシャツを羽織り、全員が一斉にポーズを決めた。

 

大渡鴉:「みんなの汗と努力の結晶! Let‘s go レイヴンスⅡ!」

 

 幕。

 とは案の定ならなかった。朦朧とする意識の中で、不図シャーリーは己が体に目を向けて、へなへなと腰から崩れ落ちる。

 

シャーリー:「Tシャツが、Tシャツが汗で体に張り付いちゃってます…」

 

 存分に汗を吸ったTシャツは、みっちり体のラインにフィットして、下から水着が透けて見える非常にマニアックな風景を作り出していた。水着姿を晒すよりも、実に扇情的な状況である。シャーリーの言で、気付いた女子一同が慌てて体を隠すも、もう遅い。ブラックマヨネーズの2人は、親指を立てて爽やかに微笑んでいる。美味しい。君ら、絵的に凄く美味しいよ、と。

 

今田:「…どうですかお2人とも、今の応援は」

双月:「何言っていいのか分かりません」

神楽:「あたしもです」

今田:「俺もやな」

 

三浦アナ:「はい、それでは実況席に移ります。野口さん、大渡烏はフォーミュラ部門で大会新記録となる素晴らしい成績を出した訳なんですが、初出場で凄い活躍をしてますよねぇ。今回はディスタンスにも参加していまして、このレイヴンスⅡはどう御覧になりますか」

野口:「まず目に付くのはリカンベントタンデムという独特のスタイルなんですが、パイロットの体格を鑑みても、パワーで押し切るというのがコンセプトなんでしょう。それに付随して色々な新機軸を打ち出しているようですね」

三浦アナ:「可変ピッチペラと、何とオートマティックドライブでしたか。いや、オートマというのは大会史上初の試みになると思うんですけど、これは果たして上手く行くものなんでしょうか」

野口:「わかりませんね。色々と技術を盛り込み過ぎてますので、機体の剛性なんかはどうかと思うんですけど。しかし、ランドグリズの羽ばたき機構なんて恐ろしいものが、短時間とは言え曲がりなりにも成功している訳ですから。正直、私もこのチームに関しては下手な事が言えないんですよ。何をしでかすか分からない。それが今言えるコメントでしょうかね」

三浦アナ:「野口さんも未知数と答えた初出場・大渡鴉。今後が楽しみなチームになりそうですね。さあ、それでは人力プロペラ機ディスタンス部門。注目の一番手、レイヴンスⅡのフライトが始まります!」

 

AM6:30>

「プラットフォーム上は相変わらずの無風」

「操作・駆動系統、機器類はオールクリア。双月、神楽、共にコンディション上々」

『スタートからフルパワーでペラを回して、出来るだけ加速をつけて空中に放り出して。特に尾翼からのプッシュは細心の注意を払うように、随走者には注意を宜しく。取り敢えず、あたしの方から言う事は何もないわ。出来るだけ先の時刻で会いましょう』

「了解」

「了解」

 矢上との無線を絶って、2人のパイロットは狭いコクピットの中で体を固定した。係員の白旗は未だ掲げられていないが、その間に出きる事は幾つかある。神楽は5人の随走者に向けて声を張り上げた。主翼右に雲母、手合。左に古雅、弥生。そして最後尾に藤林。

「スタートは最速で行きます! 全重量は200kgオーバー、ペラで推進力が上がっても堪える重量だから注意して! 特に藤林君はベクトルを最後まで一定にして、力の方向を傾けたりしない事! 昨日のランドグリズ、みんな最高だったわ。あたし達も最初に最大の勝負が来ます! 全員で力を合わせて乗り切りましょう!」

「分かりました」

「頑張って」

「気合入れるわよ!」

「飛んで、レイヴンスⅡ」

「こりゃ重い仕事だ!」

 口々に応じる彼らの言葉に満足し、神楽はフットペダルに両足をかけた。前方のコクピット、双月も同じ姿勢を取っている。後は白旗が揚げられるのを待つだけだ。

「神楽」

 前を睨み据えた格好のまま、双月がポツリと言った。

「何?」

「…いや。言いたい事は、心の奥にしまっておこう。全てが終わってから、言わなければならない事だってある」

「そう」

 神楽は何となく空を見上げてみた。彼女のコクピットからは視界を遮る形で主翼が張り出していて、直前に書かれた寄せ書きが元気良く踊っているのが分かる。まともな景色は左右から伺える程度で、後は短いのか、長いのかは分からないが、フライトの間中は双月の後姿を見て過ごす事になるのだろう。双月の操縦を信じるように、双月も自分の出力を信じている。リカンベントタンデムはそんな配置になっているのだと、神楽は特異なフォルムの持つ意味を認識し直した。

 風は凪ぎすら無い曇り空。気温は決して高くないが、充満する湿気と昇る太陽に引き摺られて、不快指数が増して行く。2人の体力はその程度を織り込み済みで、今日この日まで鍛え抜いてきたのだ。準備万端。最高の仲間達。幾多の協力者。後は結果を見せるだけ。

「10年間の執念を昇華しなさい。レイヴンスⅡ。烏丸弥生」

 呟いた神楽の眼前で、双月がスッと片手を上げた。係員が右手に白旗を持ち替えて、振り上げたと同時に双月が軽く手を前に傾ける。

 2人は完璧に同じタイミングでフットペダルを押し込んだ。回転は少しずつ加速を増し、足の回す速さが急激に忙しくなる。その過程で、漕ぐ力が軽くなっては重さが戻り、それを駆動機構が順調に繰り返しているのがダイレクトに伝わってくる。オートマティックドライブは機能良好。プロペラの回転速度がワンマンのそれを遥かに凌駕する所まで高まった。心なしか、体全体が軽い。

「カウント開始!」

 双月の宣告を受け、5人の随走者が一斉に左足を引いた。

「5、4、3、2、1、GO!」

 5人が勢い良く走り出す。瞬く間に機首がプラットフォームを越え、立て続けて主翼が宙に開放される。支えていた4人は縁から転げ落ちんばかりに倒れ込み、その傍らをフレームが凄まじい速さで抜けて行った。尾翼担当の藤林が踏ん張りを利かせ、機体全体を押しの一手で放り出すと、レイヴンスⅡは完全にプラットフォーム上から消え、その巨体が空のものとなった。

「綺麗…」

 眼下に見える景色は蒼色をなみなみと湛えており、コクピットからだと湖の方が移動しているように錯覚してしまう。神楽はペダルの速度を全く下げずに、心だけをその景色に奪われていた。

「まあ、上手く行ったな」

 対して双月の声音は冷静そのものだ。全ての思考がレイヴンスⅡの駆動に同調する今、意識は如何に長く先へ進むか、その一点のみに集中している。

(さあ、双月さん、神楽さん。私と旅を楽しみましょう!)

「短い付き合いになるが、宜しく頼む」

「お互い、良い旅にしましょうね」

 レイヴンスⅡは、はやる心の任せるままに高速性能を発揮して、遥か先への突進を開始した。

 

 今居るのがモーターボートの上だという事を忘れて、矢上はスタートを切ったレイヴンスⅡを、立ち上がって見送った。

「決まったわ…文句無しのスタートが」

 矢上の見上げる前で、レイヴンスⅡは高度を完全に一定とさせたまま、高速度で空を切り裂いていた。

 パイロット達に言葉をかけてやりたいし、湖岸の仲間とも連絡を取りたい。頭ではそうと分かっていても、現実のレイヴンスⅡは余りにも美しい。

「矢上君、座って!」

 リポーターの荻原が矢上の手を掴み、現実に引き戻した。

「長い事見てるけど、こりゃ凄いぞ。飛距離が出る、最高のスタートだ!」

 興奮した口調のまま、荻原は操縦士にスタンバイを依頼した。通常、2、300mを越えた辺りから、救助と機材回収のボートが複数台随行するのだが、レイヴンスⅡは直後からの速度が尋常ではない。モーターボート、水上バイクが突き進むレイヴンスⅡを中心として扇状に広がり、それに合わせて矢上のボートが発進する準備は整った。

 

 慌しく動き回る湖上のボート達以上に、観客席は大騒ぎとなった。

 人々のどよめきと拍手を背に受けて、見守っていたOB達は飛び上がって喜び、それ以上に大渡鴉の面々が爆発する。

「ゲルト! ありゃ飛ぶよな、絶対!」

「ああ。完璧な水平飛行。無風状態が功を奏したんだ」

 くノ一の音羽と水着のゲルトルートが抱き合って小躍りする傍では、アルフェッタと水城、それにアメリアと百々目が、早速山根を万歳三唱で胴上げしていた。

「何で? 何でわたしが胴上げ?」

 それは恐らく、胴上げし易かったからだ。

「やったな、カキやん」

「うん。何て言うか、言葉になんないよ」

 青空に肩を抱かれながら、燕子花は涙目で遠ざかるレイヴンスⅡを見詰めた。この調子ならば、自分の視界の届かぬ先で、レイヴンスⅡが役割を終えるのは間違いない。喜びよりも、寂しさの方が勝る。燕子花の頭をくしゃくしゃに撫で、青空は離れた位置から生徒達を見守る2人の先生に微笑みかけた。

 風間と葵は頷いて応え、それでも少し強張った表情は崩していない。

「こういう時は、どう言えばいいんだろうな」

「無理に表さずとも良かろう。言葉にすれば、今の気持ちが陳腐になってしまうのだから」

 疲労困憊から立ち直ったシャーリーは、介抱役の大鳥と共に、静かに成り行きを見詰めていた。が、口元からこぼれ出る笑みは、どうにも抑えが効きそうにない。

「どうしましょうか?」

「やっぱり、踊りましょう!」

 2人は手を取り合って、コロコロと笑いながら仲間達の輪の中へ入って行った。

「どうにも喜んでいる暇は無いんだけどさあ!」

 等と言う風霞も笑顔が張り付いたままだ。そうして藤倉やシンシアと共に、矢上へのコンタクトを開始する。レイヴンスⅡが長距離を飛ぶ為の、詰めの大仕事が控えているのだ。

 と、其処へ一陣の風が駆け抜けた。

 汗だくTシャツを脱ぎ捨て、リコが水着姿で岸壁を走って行く。

「レイヴンスⅡ!」

 振り回した手が、向こうから見える事はないのだろうが、それでもリコは構わず続けた。

「さあ、アタシの後を、追い越して御覧!」

 言うが早いか、リコは身を跳躍させ、岸から湖へダイブした。大笑いしながらクロールを切る彼女の後ろを、更に赤城が追いかける。

「待て、1人はずるい! 俺も一緒に湖難救助だっ! とうっ!」

 水を吸い易いファウレッドスーツの赤城も、晴れて水中の人となった。水上バイクで先回りされ、2人共ボランティアからこっぴどく叱られる羽目になるのは間違いないが、この際それは脇に置こう。

 

 神楽の規則的な息遣いを後ろ背に、双月は細かく操舵の調整をかけながら、未だ順調に直進するレイヴンスⅡの状況を俯瞰で確認した。

 この機体の重量ならば、確実に高度が落ちて行く。しかし通常人力飛行機の2割から3割増しの速度で飛行する状態を維持出来れば、落水は相当先に持ち込めるだろう。少し惰性に任せてみたい気持ちもあったが、双月は矢張り気を引き締めた。

「神楽、今の内にドリンクを少し含んでおけ。その間出力は俺が持つ」

「大丈夫。まだ渇いてない」

「まだ渇いてないから言うんだ。限界状況を出来るだけ先延ばしにしろ」

 神楽からの返事は無かったが、ストローをアタッチメントから外す音は聞こえた。少し間を置いて、双月もドリンクを口にする。既に2人の発汗は度を越えているのだが、強化し続けた持久力に陰りは全く無い。

『お二人さん、まずはおめでとう』

 矢上からの無線が入る。

『今さっき、500mを突破したわ』

「もう、そんなに飛んでるの?」

「ついさっきまで、プラットフォームに居たんだがな」

『つまりそれだけレイヴンスⅡが速い』

 

 レイヴンスⅡを追って疾走するモーターボート上、矢上が淡々とパイロットにコンタクトを取る様を、荻原は驚愕の面持ちで見詰めた。彼らは500mを飛んだ偉業に、さして注意を払っていない。初参加にも関わらず、否、回数を重ねている大学生のチームでも、500mを突破するのがどれだけ大変な事なのか。彼らのレイヴンスⅡという人力飛行機に対する信頼は、それ程までに深い。

(こりゃ、リポーター冥利に尽きる展開が拝めるぞ)

 そう思うと、荻原の心が躍る。

 

 双月は思わず眼下を見た。この距離まで来たのなら、確実に高度が落ちているはずだ。余りにも風の流れが感じられなかったので、自らはそうと気付けなかった。矢上に連絡を取る。

「外から見える高度」

『約5m。高度計と照合』

「誤差範囲内」

『出力を維持して巡航。機体の姿勢、速度、共に問題無し』

 双月は矢上の刻むような言い方に安堵した。高度はさして心配するものでもない。現状、下がるところまで下がった印象があり、このままならば今しばらく5mは維持出来そうだった。そうなるとメイン出力の神楽が心配になる。

「神楽、出力は全く落ちていないが、平気か?」

「あたしの体力を舐めてんの? こんな距離、序の口もいいとこよ」

「その元気を最後まで頼む」

「全く、地味な仕事もあったもんだわ」

「そろそろ右旋回行動を開始。プリンスホテルに御挨拶」

 双月はペダルを踏む力を一層強め、ラダーと桿を傾けた。プラットフォームからの直線上に、竹生島は無い。中途で北北西に針路を切り替えねばならないのだが、レイヴンスⅡは早めにそれを行なった。旋回は機体強度への影響が大きく、風が無い今は好機なのだ。速度の下落を最小限に抑え込み、レイヴンスⅡは緩やかに機首を傾けて行った。

 

『たった今、大渡鴉チームが800mラインを通過しました』

 放送と共に歓声がどっと沸き、合わせて大画面モニターにレイヴンスⅡの航路が表示された。穏やかな弧を描く曲線にブレは全く見られず、パイロットチームは無風状態というコンディションを、完全に自らの優位性へと変換する事に成功した。

「決めた」

「決めたって、何を」

「あたし、再来年を目途にして、鳥人間コンテスト参加の為のチームを作るわ」

 士渡素久は驚いて、我が妻の紅玉をマジマジと見詰めた。本気なのか、と問おうとするも、敢えて止める。この手の事で冗談を言う女ではないのは、端から承知だ。

「前の一次予選を通じて色々な事をあの子達に教えたつもりだけど、今は教えられている気がするのよね。幾つになっても、成長の手を止めるなってさ。だったら今度は、あたしが挑んでみたいのよ。あの規模のものを作るのは難しいけど、まずはフォーミュラから。そうすればあたしの中の、新しい可能性が見つかるかもしれない」

「それじゃ、パイロットは俺がやってやろう」

「あたしよ。だってULPの腕前は、あたしの方が上だもの」

 遠くない先で、2人は勝負を誓い合った。

 

『1kmラインを通過』

 今度は歓声と言うより、半ば驚愕のどよめきが起こった。1kmは常勝チームとそれ以外を分ける境目でもある。それをレイヴンスⅡは、アクシデントも無くあっさりと乗り越えてきたのだ。最早それは初参加という範疇で括るのは不適切で、強豪チームの一つと認識せねばならない事を意味している。

 1km突破を受け、大渡鴉応援団が狂喜乱舞に陥った。双月、神楽、矢上と、そしてレイヴンスⅡの名を連呼する一方、しかしその輪に加わらない者も居る。

「微風が北東から来ている…」

 藤倉はオフィシャルのデータが表示する風速計を、慎重に吟味した。この風は恐らく伊吹山の方角から来るもので、風速およそ1m。

『どの辺りから?』

「GPS上から計算すると300m以内ですね」

 藤倉は矢上に、取り急ぎの数値を報告する。脇で聞いていたシンシアも、ホッと息をついた。

「そのくらいなら、針路に差障りが出るものでもありませんわね」

「腕前如何で問題なく操れるレベルでしょう」

「ちょっと待った!」

 突如、風霞が素っ頓狂な声を張り上げた。彼女の目はレイヴンスⅡの、航路の遥かに先を見ている。オルトルートの異能の為せる技が、異常なものを彼女に教えていた。

「何なの、これ。ずっと先で、波が岸から逆らい始めている」

 

「双月君、もうすぐ突風が来る!」

 声を引っ繰り返らせ、矢上がパイロット達に危急を告げた。脇で聞いた荻原は、慌ててGPSの画面を見て、首を傾げる。

「突風の表示は出てないぞ?」

「前方から吹き降ろしが徐々に近づいているわ。風速と、風にぶつかる距離を割り出してもらうから、腹を括って頂戴!」

 荻原に構わず、矢上は再度藤倉に連絡を入れ、彼からの計算結果を待つ。そして受けた結果は、深刻な内容だった。

「風速6m。残り100m…」

 

「6mですって!」

 神楽が立場を忘れて悲鳴を上げた。風速6mは、km/hに換算すると19.6km/hとなる。およそ人間のマラソンペースの速度は、小枝が大きく揺れる程度ではあるが、人力飛行機が受ける影響は甚大だ。しかも現状、ほとんどゼロの状態からいきなり風速6mに跳ね上がるのだ。徐々に強まる風に対応するのとは訳が違う。

「大丈夫」

 この状況下でも、双月は落ち着いていた。風が到達するまでは残り10秒。機体を若干右に傾け、機首をほんの僅か上に逸らし、双月は突風の煽りを、むしろ受け止める姿勢を取る。

「多分、面白い事が起こる」

「面白い事って」

 呆れる神楽の目線が、不図弥生の幻を見た。双月に覆い被さるようにして自らの両腕を彼の腕に回し、振り返った弥生の顔は、ニッと口の端を曲げている。

「10、9、8、7」

 双月が勝手にカウントダウンを開始した。風の到達を知らせるものだろうが、レイヴンスⅡがどのような状況に陥るのか、神楽には皆目検討がつかない。

 ゼロ、の声と同時に、機体の速度が低下した。それよりも先んじ、神楽が反射的な対応で出力を全力上昇させる。ピッチ角が速やかに変更し、最適角で一気に空気を撹拌。機体はしかし、徐々に横滑りを始めた。何処までも持ち上げられるような感覚に、神楽は思わず息を呑む。

 間違いなく針路を外れた。間違いなく。風の勢いは少しだけ終息し、元に戻るのは一苦労だが、先に進む為にはやるしかない。

 それでも神楽は、双月が言った面白い事の意味を理解した。だから悲観する必要は、全く無い。

 

「機体の高度が、また上がった…」

 矢上は口に持ち上げていた無線を下ろし、スタート直後と同じ高さに戻ったレイヴンスⅡを見詰めた。

 レイヴンスⅡの主翼は、押し込んできた風を利用して、自らの上昇気流としたのだ。それは確かに機体が流される結果となったが、高度の確保は不利と有利の相殺的な価値がある。角度を誤れば、翼が沈むか激しく煽られて、最悪破損していただろう。その絶妙な操作を、双月はやってのけたのだ。

「天才だ。あのパイロット」

 隣の荻原が呆然と呟くのを聞き、矢上は少し違うな、と思った。最早今のレイヴンスⅡは、双月と神楽、そして自分の範疇で分業するレベルの飛行機ではないのだろうと。あれは3人の人間と機械が合力して混ざり合った、複合生命体とでも言えるものだ。

「…風の流れはどう?」

『言った通り、複雑になってきた。ぶつかっているポイントも頻繁に感じられる』

「突破しましょう。パワーで押し切る。それがレイヴンスⅡ」

『出力に減退無し。まだまだ行けるわ』

「針路変更は外から任せて。快適な空の旅路を御提供致します」

 3人の意思疎通には、些かの淀みも無い。

 

『えー、現時点の記録ですが…2kmラインを通過しました』

 プラットフォーム上は、その結果を聞いても静かなものだった。何キロ飛ぼうが、レイヴンスⅡならば不思議ではない。オフィシャル側としては、初参加の大渡鴉がこれ程の記録を出してくるとは考えておらず、後々のスケジューリングで右往左往をする状況に陥っているのだが、それは大渡鴉が気にしなくとも良い。

 随走役の面々はプラットフォームに大人しく座り込み、持ち込まれたテレビでレイヴンスⅡのフライトを、司会陣と一緒になって食い入るように見詰めている。鶺鴒弥生は不図思い立ち、夫に携帯を繋いだ。

「そちらはどう?」

『専らモニターに釘付け状態さ。相変わらず大渡鴉の子達は、応援応援また応援だけどね』

「そう。これだけの記録を出しているんだもの。一生懸命になるのは当たり前よ」

『昔取った杵柄の、血が騒ぐって感じかい?』

「…それって、私にけしかけてると考えていいのね?」

『そうさ。君さえ良ければ、大渡鴉に来年も協力したい。彼らの規定には「高校生のみ」という縛りは無いからね』

「相変わらず隙を突くのが上手いんだから」

 携帯を切って、弥生は陽が差してきた空を見上げた。曇り空と共に心が晴れて行くようで、かつての自分は、この景色を見る為に頑張れたのだろうと、ようやく彼女は思い出す事が出来た。

 

 矢上が言う程、空の巡航は快適な旅にならなかったが、それでも彼女は細かに針路の修正を加え、レイヴンスⅡが無駄にフライトを費やさないよう、最大限に腐心していた。オフィシャルからの風力計情報はプランニングとして役立っていたが、風霞の伝える湖面状況は、もう当てに出来ない。風の変化がめまぐるしく、リアルタイムの情報がほとんど意味を成さなくなってきたからだ。3人とレイヴンスⅡで、この先を乗り切るしか手段は無い。

「高度が、また落ちちゃった…」

 やる方無い顔で、矢上がレイヴンスⅡを見上げる。2.5kmを越えた時点で、矢張りレイヴンスⅡは機体重量が重力に逆らえなくなっていた。5mを切って、遠からず4mを下回る。そうなると高速性能、水面効果の両構えで、行ける所まで行く。落ちる事を前提にしてフライトを見守るのは、辛い事だった。

 

 神楽の持久力は、相変わらずの底無しだ。タンデムかつ可変ピッチとオートマによって、負担が相当軽減されたとは言え、少しパワーを落とす等という事は、彼女の頭には全く無い。あるのは高いレベルで安定した出力を提供する、それ一点のみである。

 彼女がメインとなって送り続ける出力は、この距離になっても恐るべき速度を維持させる事に成功していた。機体重量から徐々に揚力を失うレイヴンスⅡにあって、ペラの高速回転は最後の切り札である。

 そんな彼女が後ろに居てくれるのは、苦しい中での幸運なのだと、双月は改めて思う。神楽だけではなく、歪む針路を適切に正してくれる矢上、絶え間無い声援を送り続けてくれる仲間達、助けてくれた人々、そして苦楽を共にするレイヴンスⅡ。様々な助力があって、自分は今この場で航路を纏める事が出来るのだ。

「…来る。風のベクトルが変わる」

 呟くと同時、両手が勝手に機体の姿勢を操作した。応じてレイヴンスⅡが体を右に傾け、吹き込む風を受け流す。

『機首がずれたわ。左に15度修正』

 間髪入れずに飛んできた矢上の声に合わせ、桿を逆に倒す。何度繰り返したか分からない作業だが、一つの失敗でフライトは終了する。双月が抱えるプレッシャーは半端ではない。

「響」

 背後から細い声で呼びかけられた。その淡々とした声色に冷や汗を流し、双月は神楽に言葉の先を促す。

「どう? 3km、まだ越えていないの?」

「あと少しだ。あと少しで、3kmのラインを越える。随分操縦が混乱して、お前に迷惑をかけた。すまない」

「らしくない事を。アンタで駄目だったら、誰が上手く操縦出来るって言うの。それにしても、ひどい風。これじゃ、後続のチームだって絶対苦労する」

「難しいものだ。竹生島まで行くのは。気候条件が微笑んでくれれば、俺達も多少の楽は出来ただろうに」

「頑張りましょう。レイヴンスⅡは、旋回を繰り返しても全然音を上げてないんだから、負けていられないわ」

 

「…笑い声が聞こえるですよ。ヤスオの知性レスな笑い声であります」

 大渡鴉の搬送トラック、少し開放されたウィングから、二つの死体袋がひょいと顔を上げた。一つは平田の。もう一つは香車のパートナーだ。

「…? よく聞こえるな、そんなもん。例の観客席、客の声が煩いってのにさ」

 死体袋の一つが、もう一つを軽く小突くも、最初に言った方は構わずに続けた。

「心のリハビリの為に無理やり笑うのは四六時中ですが、あんな風に自然な笑い声を聞くのは初めてです。何となく、ちょっと悔しいでありますね」

 

 平田は3km突破の報を受け、ゲタゲタ笑い転げていた。自分が興味を抱き、数ヶ月を見守ってきた彼らが、まさかこれ程の者達だったとは、と。

「見たかよ、代表! あいつ等やっぱ凄えわ。押し付けられた異能なんざ糞くらえだぜ! だはははは」

「平田、笑いすぎ。しかし、努力と才能と根性で、ここまでのモンを仕上げてきたか…。明後日から我が社へのスカウトを、正式に開始する」

 弓月達の目論見は、これだった。これから徐々に開放され、異能者が外に向かってくるだろう城輪町との接点を作る為に、先んじて内部の人間を外の世界に招き入れる。それも出来るだけ、我が社の方針に沿った人材を。

 しかし彼らと交流をする中で、弓月達の考えは変わっていった。今は、純粋に彼らだからこそ仲間にしたい。彼らのトライアルを一部始終目撃していれば、似た方向性を志向する自分達の血が騒ぐ。

「だがよう、飽く迄奴等の自由意志を尊重するんだよな?」

「当然だ。無理に引き入れるような真似なんかするもんかい。俺らの目指すものを正直に話して、それに賛同してくれる奴をウェルカムだ」

「それだったら、俺がいい口説き文句を考えてありますよ」

 香車が胸を張って2人に曰く。

「今度は、俺達と火星を目指してみないか?」

 

 3kmを突破しても、応援団からは歓声が上がらなかった。レイヴンスⅡの高度は、もう1mを切ってしまっているのだ。速度は初めの頃と全く見劣りしていないのに、高度の下落だけはどうしてもリカバリーが出来なかった。

「藤倉! アタシらの応援を、向こうに繋げられるか!」

 アルフェッタが檄を発し、全員に最後の奮起を促した。差し出されたマイクを地面に置いて取り囲み、疲労困憊の体に鞭打って、大渡鴉応援団は、最後の凱歌を張り上げる。

 

『双月君、神楽さん。聞こえる?』

「聞こえる」

「何か『オギャーッ』て感じの叫び声が」

『だよねえ。口々に叫ぶもんだから、折角の応援が何言ってるのかさっぱりじゃない』

「あはは」

 この場に似つかわしくないが、3人のパイロットチームは声を揃えて笑った。

『もういい?』

「すまないな、矢上。それにみんなにも」

「嬉しかったよって伝えておいて」

『そう。それじゃ、もう切るわ。最後まで頑張ってね』

 矢上が無線を切って、コクピットはまた静寂を取り戻した。

 ありとあらゆる手段を試みてきたが、双月にはレイヴンスⅡを再浮上させる事が出来なかったのだ。皮肉にも風が再び凪ぎ、流れを捕まえる事も叶わなかった。後は機体揚力の許す限り、直進するしか手段は無い。

 低い水面を切り裂くように、レイヴンスⅡが飛ぶ。開発陣が丹精込めて作り上げたパーツは、何処も故障していない。プロペラを回す元気は、未だ2人に残されている。念は残るが、悔いは無いと神楽は思った。全てに挑戦して、全てを実現した。その結果が、この記録なのだから。

「神楽」

 双月が彼女の名前を口にする。それきり彼はしばらく黙って、神楽も敢えて彼に問う事はしなかった。

 流れる景色は、水面に近付けば近付くほど、素晴らしい速度が実感出来る。本当に良い機体だったと、心の底から思う。しかし残された時間は、もう無い。時が来た。

「ありがとう」

 双月の呟きと同時に、コクピットが滑るように着水した。

 一気に速度が下落。反動でつんのめりそうになるも、先に大量の水がコクピットを破って、クッション代わりとなった。コクピットがフレームから剥離。速度が出ていた分、主翼も衝突のエネルギーに堪え切れず、剥がれ落ちて真っ二つに裂断。片翼だけが先の方へ弾け飛ぶ。フレームが湖面に突き立ち、その体をゆっくりと水面に叩き付けた。尾翼は木っ端微塵に砕け、千切れたプロペラがゆらゆらと浮かび上がる。ささやかな距離を飛ぶ為だけに作られたレイヴンスⅡは、その役割を終えた。

 双月は神楽と共に、息を荒げながら湖面に浮上した。ライフジャケットのおかげで、何かに掴まらなくとも水に浮いていられる。周囲では取り囲むようにモーターボートが旋回し、自分達を救い上げるタイミングを測っている。

 レイヴンスⅡの残骸を、妙に落ち着いた気持ちで双月は眺めていた。これが、話の終わりというものだ。終わりとは、このように容赦の無いものだ。

 しかし双月は、傍らで啜り上げる小さな嗚咽を聞き、鋭い痛みを心に感じた。もうパイロットではなくなった自分に出来る事は、せめて彼女を慰めるくらいなのだろう。双月は掌で顔を覆い隠したまま俯く神楽を、自分の方へと抱き寄せた。

 矢上の乗る船が一度旋回して、こちらに向かってくる。神楽の髪を撫でながら矢上の到着を待つ双月が、不図視線を一点に固めた。

 破壊されて浮くだけとなった主翼の上に、一羽のカラスがとまっている。そのカラスは小さくて、優しそうな奴だった。黒い瞳が双月を映し、神楽を映し、首を傾けて矢上を見た。きっとこのカラスは、自分達の事が好きだったのだと、双月は思う。

「俺達もお前の事が好きだったよ」

 そう言うと、カアと一声鳴いて、カラスは飛び立った。双月が見送るその先に、帰りを待つ仲間達の場所がある。

 

 その後、パイロットチームはボートの上で記録を聞いた。3172m。初参加のチームとしては、前代未聞の新記録となった。

 

 

 

<8月2日 城輪町 よもやま荘>

 結局鳥人間コンテストが終わってみれば、参加した2つのカテゴリィにおいて、大渡鴉は初出場ながら大会史に名を残す好成績を獲得していた。

 滑空機部門8位、フォーミュラクラスにて1位。人力プロペラ機ディスタンス部門3位。何れも大学・社会人のトップチームに比肩する記録であり、テレビ放映の暁には八王子に八十神学院ありと、世間の口の端に上る事は間違いない。未だ学院上層部にとっては好ましくない事態ではあるのだが、城塞都市の壁も何れは朽ちるものであり、それが少しだけ早まったに過ぎないとも言える。

 大渡鴉の面々は、締めくくりの表彰授与が終わって各チーム解散となった途端、それまでの元気が嘘のように消え失せた。東京までの帰路を揃いも揃って泥のように倒れ伏し、帰着した後も丸一日はぼんやりと過ごす羽目になった。

 それでも、壊れてしまった機体や機材の後片付け等、仕事は彼らを逃しはしない。体に鞭打って一通りの残務処理をやり抜き、今日の8月2日、ようやく大渡鴉はひと足遅れの祝賀会を催す気力を取り戻した。

 

「取り敢えず終わった訳だ。よくやった、と言っておこう」

 よもやま荘の食堂、居並ぶ大渡鴉の一同を前にして、風間はハイネケンの缶を片手に腕を組み、咄々と締めの言葉を繋げた。

「こうして全員が一斉に集まる機会は、当面の最後だろう。一年間のプロジェクトは本日をもって終了し、お前らには自分の選んだ進路という、新しいトライアルが待っている。受験勉強然り、就職然り、引き続き大渡鴉で来年のトリコン参加を狙うも然り。俺達は初めて顔を合わせる前のように、また居場所がバラバラになるのかもしれないが、一個の目標の元に切磋琢磨した仲間の顔は、終生覚えておこう。何時か人生のデカイ壁って奴にぶち当たった時、多分その顔がお前らの励ましになる」

 言いながら風間は、少年少女の面立ちが何時の間にか随分と逞しくなっている事に、改めて気付かされた。この年頃は子供から大人へ急激に切り替わるものだ。一年を通じて取り組んだ活動がその一助となったのであれば、教育者として彼らを見守ってきた風間にとって嬉しい事である。

「…明日になれば面倒で大切な日常って奴が始まるんだ。それでも、今しばらく一仕事終えた余韻に浸りきるのもいいだろう。まあ、何だ。今日は楽しめ。正体を見失わない程度にな。乾杯」

 乾杯!と返してきた一同が手に持つ缶の一部に、どう見てもジュース以外の何かがあり、風間は果てしなく不安になった。

 

「例えばアルフェッタあたりが持っているのは、あれはラム酒なのだが」

「もういいや。もういいんだ。どうせ何かがあって処分を食らうのは俺なんだ」

 椅子に座り込んでずるずるとビールを啜りこむ風間の傍で、葵は苦笑いしつつ自らも缶を呷った。そうしていきなり正体を失い始めた学生達を、面白そうに見詰める。

「大丈夫、大丈夫。その時はわらわも一緒に、学院長に頭を下げるくらいはしてやろう」

「いや、それ、全然大丈夫じゃねえし」

「中途から参加したわらわが言うのも何であるが、大渡鴉はよくやった。1ヶ月後の全国ネットで我が学院の名は全国に知れようし、さすれば一年間引率してきた風間先生の評価も上がろう。それが生徒の飲酒で瞬時に灰燼と化すのもまた人生」

「洒落にならん事を言わんで下さい」

「冗談はさて置き…これからも大変だな。何せこれだけの成績、大渡鴉はシード権を獲得したのだから」

 葵先生の言う通り、大渡鴉チームは今回の好成績によって、次回鳥人間コンテストのシードチームとなったのだ。通例、鳥人間コンテストは初回の書類選考で多くのチームがふるいにかけられてしまうのだが、シードを得れば、余程の事が無い限り出場が確約される。つまり、次回参加への優先権を得たのと同義である。

「また来年、今度は違う顔ぶれも混じって琵琶湖に赴く事となろう」

「正直しんどい話だよな。でも関ったからには付き合ってやるさ」

「この先共に道行くのも楽しみではある」

 言って、葵先生は口元に悪戯めいた笑みを湛えた。

 

「いけない! 私、受験勉強をしなければ!」

 唐突に立ち上がって唐突な一言を残し、シャーリーは覚束ない足取りで己が特設校に向かおうとするも、また唐突に座り込んでラム酒とオレンジシュースと炭酸水をドボドボとグラスに注いだ。

「で、今晩のおかずは豚バラの煮込みでしたか?」

「してないから。そんな話してないから」

 シャーリーに酒を盛ると面白い事になるという話を聞き、試しにラム酒を勧めてみたアルフェッタだったが、全くかみ合わない話を延々と続けられ、今や激しく後悔をしている。

 周囲を見渡せば、それは大変な事になっていた。合法的に酒が飲める大学生は言うに及ばず、酒乱の才能がある面々は軒並みアルコールで顔を真っ赤にしている。全く、不健全だねえ。等と呟くアルフェッタは、そもそもラム酒等という危険な代物を持ち込んだ張本人である。

「本当、高校生は高校生らしく、三ツ矢サイダーでも飲んでろって話さ」

 頷いて同意するリコも、ベネズエラ名産のラムを確実に飲み下している訳だが。そもそも彼女は本当に高校生なのかという疑問はさて置き、アルフェッタは喧騒に加わらず、静かに酒を舐めるリコを不思議に思う。

「それにしてもあのテンションは一体何処へ行ったのさ? 赤城は赤城で、三ツ矢サイダーなんか飲んでるし」

 言われた赤城とリコは、揃って顔を見合わせて、フウと深く溜息をついた。

「テンションも何も、普段はこうなんだってば」

「次いで言やあ、あんだけやってサポーター賞のゲットならずってのがなあ…」

 赤城の疲れ果てた言の通り、大渡鴉は賞金10万円のサポーター賞を見事逃していた。相当のレベルの応援を披露出来たし、観客からの声援も随一だったという自負もある。賞金などは二の次三の次であったが、正当な評価を貰えなかった理由が何なのか、2人は今も引っ掛かっている。

「それにつきましては、理由が二つあります」

 ハタで聞いていた大鳥が、ウィスキーグラスをドンとテーブルに叩き置いた。

「一つは、レイヴンスⅡが20万円。ランドグリズが賞金30万円。計50万円もゲットした上、サポーター賞で上積みとなりますれば、1チームでタイトル独占し過ぎという訳です」

「うーん。確かに他のチームの参加意欲を削ぐかもねえ」

「で、もう一つは?」

 そう促されると、大鳥は赤ら顔友達のシャーリーに目配せし、応えてシャーリーも大鳥と息を合わせ、次のように断言した。

『あなた達2人が、湖に飛び込んで評価を落としたからですッ!』

 ウルトラスーパーダイナマイトショックである。応援のとどめに湖へのダイブ敢行は、それはもう審査員の心証を悪くしたに違いない。しかしながらそんな事で躊躇するくらいならば、リコと赤城は敢えて湖の人になるはずもなく、

「何だよう! いいだろ!? さらば青春の光って感じでさあ!?」

「人命救助がマイナス評価になる世界観など、世界の方が間違っているぜ!」

 かように反省する気は、全く無い。

「咄! おかげさまで打ち上げに10万円が注ぎ込めなかったではありませんか!」

 言って、シャーリーはむんずとお菓子の包みを握り、天に掲げて嘆いてみせた。

「都合よく親切なOB様から雪月花の差し入れが無ければ、今頃酒の肴は塩ですよ、塩!」

「塩と大吟醸って組み合わせ最高ですよね」

「痛風まっしぐらって感じですけどね」

 

「士渡さんから差し入れが届きました」

「中身は何!?」

「肉ですか!?」

「肉です」

「約束通り肉来たーッ!」

「伊賀牛、伊賀牛!」

「叫ばなくていいから七輪と炭持って来て下さい」

 和やかな酒宴が肉の一撃で俄かに慌しくなった。慌しくしているのは一方的に藤林と古雅なのだが、冷徹に指示を出す百々目の元で、着実に焼肉の準備が進められて行く。

「おや、音羽君。肉を取りに行かないのですか?」

 と、小皿を手に手合が炙り肉を賞味しようと立ち上がった所、お菓子を摘みながら微動だにしない音羽が目に止まった。

「いや、俺も肉を食いたいのは山々なんだけど」

 言って俯いた音羽の視線を辿ってみれば、ゲルトルートが長椅子の上で突っ伏していた。それも顔を音羽の太股にめり込ませたまま。

「…下手に立ち上がると、何かまずい事になりそうですね」

「僅かなショックで胃の中のブツをリバースでもされたら」

「仁壬くん!」

 と、いきなり横合いからアメリアが現れ、ビールを片手にビシバシと、音羽の肩を叩いて組んで揺さぶった。

「尾翼、ありがとう! 音羽くんの尾翼で、あたし、何と大会新記録でえすゲハハハハ」

 ヒャッホウとアメリアが立ち去った後に残されたのは、顔を蒼くして危険なえずきを始めたゲルトと、別の意味で顔が青ざめて行く手合と音羽。

 

「つばめさん、カチワリ売り御苦労様!」

「いや、かちわり売り以外にも御苦労様な所はあるんとちゃうか」

 肩を叩いて組んで揺さぶるアメリアに、青空は何時もの通り突っ込みを入れた。とは言え、シャーリー言う所の「肴は塩」とならずに済んだのは、青空の尽力によるものである。カチワリはうだる猛暑と、冷たいものが欲しいけど甘いのはちょっと、という客層のニーズに噛み合ったお陰で、結構な繁盛を収める事が出来たのだ。尤も、純利は酒とジュースで粗方消え去り、かろうじてオードブルが並べられるといった程度ではあったが。

「あたしだって、水着で売り子稼業に精を出したのに、その辺りの描写がばっさりカットってどういう事?」

「まあ、レイヴンスⅡが飛び終わったら、事実上この話は終わりやもんなあ」

 洒落にならない台詞はさて置き、青空は内ポケットの書類を取り出し、目を通した。

「何、それ?」

「招待状。コースマスの会社見学。昨日の今日で、あの会社もフットワークが軽いわ」

「へえ、凄いじゃない。ヘッドハンティングよ、ヘッドハンティング!」

「何言うてんの。アメリアはんのとこにも来とるはずやで。ちゃんと郵便受けを覗いてる?」

「そう言えば、私の所にも来ていましたわ」

「そうそう、あたしにも」

 シンシアと矢上が、タイミング良く書類を懐から出してみせた。つまりK社は、大渡鴉全員にコナをかけてきたという次第であり、成る程、熱意はよくよく伝わってくる。

「就職か。まだ先の話だと思っているんだけど。今年は進学か、就職かを決めなきゃならない年なのよね」

 後ろ手に掌を組み、矢上は椅子に深く背もたれた。長かったトリコン挑戦の日々が終われば、かような現実が嫌が応でも見えてくる。

「それにしても、まだ卒業が先の学生にも見学案内を出してくるなんて、ちょっと性急に過ぎません?」

 受けてシンシアはくぐもった笑みを漏らし、不図真面目な顔になった。

「次に何をすればいいのか。シンプルですが、悩ましい命題ですわね」

 それを聞いて、座の一同は黙り込んでしまった。鳥人間コンテストへの参加は、それこそ余暇を費やし、切磋琢磨し、色々の努力が報われる目標であったのだが、目標が途切れてしまった後の事は考えても居なかった。

「取り敢えず、会社見学にみんなで行くってのはどうかな!?」

 パンと拍手を打ち、明朗快活にアメリアの曰く。

「あたし達には、これから様々な選択肢があるんだもの。だから沢山の事を見て、聞いて、体験するのは、選択肢のベストを選ぶのに良い事じゃない。まずはその、コースマスへ遊びがてら見に行って見るのはどうかな。何だか楽しそうじゃない」

「それはそうなんだけど、さ」

「全く持ってその通りなんやけどなあ」

「その、会社見学の場所なんですが…」

 アメリアを除いて3人が、一斉に書類の一遍を指し示した。

『ロシア・リューリク宇宙基地』

 

「で、燕子花君。今度はみんなで何処へ遊びに行こうか?」

「しれっとした顔で脱力するような事を言わないでよお」

 珍しく静かにジュースを飲んでいるかと思えば、何のことは無い。この場で一番の元気者は山根だった。鳥人間コンテスト参加前の気力を大概のメンバーが喪失している中で、何か新しい事をやってみる気概を維持出来る所は、さすがペンギンでありマスクである。

「だって、この面子とも明日からバラバラなんて、寂しいじゃない。まだまだこの仲間達で何かをしてみたいよ」

 物憂げに息つき、山根は遥か南の方角を眺めた。太平洋からパプアニューギニアを通り過ぎ、オーストラリアを縦断するその先には、神秘の地、南極大陸があるのだ。

「例えばわたしの故郷に、みんなを連れて行きたいなあ。いや待て、南極忍者の里に門外を入れるは禁忌中の禁忌。嗚呼、皇帝ペンギン大移動の素晴らしさをみんなと堪能出来ないなんて。こう、ピッと脇を閉めて姿勢正しく歩くのよ。ピッと」

 目の前でビシッと「気を付け」されてもリアクションに困るのだが、山根の溜息は燕子花の気持ちでもある。

「ねえ、まどかちゃん」

「失敬な。わたしにはペンギンマスクという、親から貰った立派な名前があります」

「何時かこうしてみんなと頑張ってきた事も、年を取って大人になって、全部昔の思い出になってしまうのかな?」

「何を仰るウサギさん。我、思う故に我あり。そう思える場所を、証を立てれば良いじゃありませんか」

 言って山根は、何処に置いていたのかレイヴンスⅡのプロペラを取り出した。砕け散ったレイヴンスⅡのパーツの中で、唯一原型を留めていた代物である。山根はひょいと椅子から飛び降り、食堂の壁面にペラを押し付けたかと思うと、トンカチと釘でガンガン打ちつけたのだった。

「ほら、ここに来れば、またレイヴンスⅡに会える」

「多分、怒られると思うよそれ」

 

「レディース、アンドジェントルメン! 宴もたけなわとなって参りましたが、これより本日のメインイベント、マル秘お宝動画を公開致します!」

 藤倉による調子の良いMCと共に、食堂の照明が全て落とされた。何事か、と騒然とする面々の前に、プロジェクターで湖の映像が映し出される。

「ああ、あれは…」

「レイヴンスⅡが落ちた直後の映像だ」

 一瞬、シンとその場が静まり返った。ぶれ具合から察すれば、どうやら矢上がボートから撮った映像らしい。あの美しい形が見る影も無く破壊された様には万感胸に迫るものがあるのだが、この映像は全員をしんみりさせる為に出されたのではない。

「あ、人が映った」

「双月君と神楽さんが浮上したんだね」

「眺めてるな」

「うん。レイヴンスⅡを眺めてる」

 その直後、じっと映像を見ていた双月と神楽が、飲んでいたジュースを盛大に吹き出した。プロジェクターの映像の中で、2人は湖面に浮かびながら抱擁を開始したのである。矢上、硬直する2人の背後でピースサイン。

「抱き合ってる!?」

「抱き合ってます!」

「何これ。何時の間にかそういう間柄だったの?」

「初々しい。何て初々しいんだ」

「…雲母ーッ!」

 顔を真っ赤にしながら、神楽はプロジェクターを操作する雲母に向かって叫んだものだ。

「とっとと消しなさい!」

「駄目。消さないで。お陰でしばらくは話のネタに尽きないし」

「風霞姉さんもそう言ってますので、おれも今しばらく堪能させてもらいます」

 処刑処刑処刑。嫌らしい笑みを浮かべる風霞と雲母を見る神楽の脳裏に、処刑の二文字が渦を巻く。

「…双月」

 水城が親友の肩をポンと叩いた。

「春?」

「今は夏だ」

 ショックで真っ当な受け答えすら出来ない双月が、不図映像の自分の姿を凝視した。自分が顔を傾けて見詰めている先には、湖面に浮かぶレイヴンスⅡの片翼がある。

「神楽」

「何!?」

 殺気立った返事をする神楽に構わず、双月は感じていた通りの違和感を口に出した。

「カラスが居ない」

「え? 何の事?」

 見ていなかったのかと、双月は呟いた。確かにあの時、飛び立って行くカラスを自分は見ていたはずなのだが。或いは全ての終局で見た、それは夢幻であったのだろうかと。

 それはそれで良いと、双月は思い直した。たとえ映像に残らずとも、烏丸弥生という名の少女が居た記憶は、仲間達の心の内にある。それは駆け抜けてきた一年の象徴的な存在で、立場も雑多な自分達の心を繋げる絆みたいなものだ。

(俺は、何時までも変わらない絆を見つけたのかもしれない)

 不思議そうにする神楽の瞳の中に己が姿を見て、双月は自分も良い顔で笑うものだと気が付いた。

 

 こうして大渡鴉は一年を終え、人力飛行機部と統合された新しいプロジェクトがスタートする。蓄積されたデータと経験則は既に強豪チームと肩を並べる段階にあり、それからもこのチームは順々とシード権を獲得して行く事となる。

 二年が過ぎ、五年が過ぎ、そして十年の時間が過ぎようとしても、八十神学院には大渡鴉があった。

 

<2017年 3月 城輪町 よもやま荘>

「御免下さい」

 よもやま荘の玄関から遠慮がちな声が聞こえ、管理人は廊下掃除の手を休め、声の主を出迎えに上がった。

「はい、こんにちは。今日から寮に住む方ですね?」

「どうも、初めまして。電話でしか話していませんでした、雉下洋子です。何分、東京も一人暮らしも初めてで、色々ご迷惑をおかけするかもしれませんが、宜しくお願い致します」

 ひたすら頭を下げ続ける雉下を宥め、管理人は手短に自己紹介をした。

「…取り敢えず、雉下さんの部屋に御案内しますね。結構古い建物ですが、かなり使い勝手のいい寮ですよ」

 こうしてよもやま荘は、また新しい住人を迎える事となった。雉下という学院の新入生は、今では珍しくなくなった、輪楔者の血縁ですらない一般人である。昔同様、八十神学院は留学生の学院全体における比率が高めで、国際人の教育機関として全国でもそれなりに名が通っている。都合、城輪町自体も学生を主として人の出入りが飛躍的に多くなり、今や何ら変わる事の無い普通の学校と街になっていた。

「と、その前に、ちょっと食堂に寄って行きましょう。初めて来る人には、ここは結構受けがいいんですよ」

 言って、管理人は雉下を食堂に案内した。促されるままに扉をくぐり、顔を上げた雉下は目を見張った。

 食堂の壁には、大渡鴉歴代の人力飛行機のパーツが飾られていた。一面に整然と並べられたペラ、主翼の一部品の数々は、雉下の目には実に誇らしく映る。

「凄い! この飛行機達、みんな知ってます!」

「ほう、君も好きなんですか? 人力飛行機」

「はい、とても! 私、あの学校を選んだのは、大渡鴉があるからなんです」

 言いながら、雉下はパーツの一つ一つを指でなぞっていった。その仕草は控え目ながら、人力飛行機への愛情に満ち満ちている。

「じゃあ、君は学院の部活は人力飛行機部で決定な訳だ」

「いえ、私なんて入っても邪魔なだけなんで、応援だけでもしたくて。本当、全然、何も出来ませんから、私」

「そんな事。何か得意なもの、あるでしょう? 一つだけだっていいんです」

 管理人が言うと、雉下は腕を組んでじっと考え、ポツリと呟いた。

「皿洗いが上手いって、お母さんに言われました」

「そのスキルは鳥人間コンテストじゃ、とても重要なものですよ」

 笑いながら、管理人が言った。

「昔から大渡鴉は、現地の食事を完全自炊で賄うのが伝統でしてね。技術論や操縦スキルだけでは、あの大会は到底乗り切れないんです。色々な人達が結束して力を発揮するのが、鳥人間コンテストであり、大渡鴉って奴なんですよ」

「…もしかして管理人さん、大渡鴉の方なんですか?」

「ええ。結成当事からのオリジナルメンバーです」

 雉下の自分を見る目が一段と輝きを増し、管理人は苦笑を禁じ得なかった。

「今年の参加で結成10周年なんですよ。遠くに行った昔の仲間にも、本大会を見に来て欲しい所なんですけどね。何しろ連覇がかかっているし。ほら、あの写真のパネルが10年前のレイヴンスⅡと、大渡鴉初期メンバーです」

 管理人はそう言って、天井近くに掲げられたパネルを指差した。拡大された写真には、大型の人力飛行機を囲むようにして、才気走った表情の面々が所狭しと居並んでいる。写真自体は見慣れたものではあったが、こうして人に紹介する時、管理人は訳も無く郷愁にかられるのが常だった。細かく連絡を取り合っている者も居れば、疎遠になった者も居る。自分は変わらず此処に居て、みんな、何処で何をしているのだろう、と。

 頭を振って、管理人は改めて雉下を彼女の部屋に案内すべく、外出を促した。が、彼女はパネルの前に立ち尽くしたまま、微動だにしない。どうしたのですかと雉下に問うと、彼女は訝しげに管理人を顧みた。

「いや、そんなはずは無いですよね。でも、主翼の上に一瞬女の子が座っているのが見えたんですよ」

 疲れているのかな、と頭を掻く雉下の姿に、管理人は高揚する気持ちを抑えられなかった。彼女の手を取り、驚く顔をしっかりと見詰め、はちきれんばかりの喜びを胸に、こう言った。

「大渡鴉は、何時でも君を歓迎するよ」

 

 

 

<終わり>

 






表紙




TOPへ







 

最終回:7月29日:『レイヴンスⅡ』