「でさあ、この工場、BGMが変なのよ。普通、何かそれらしいイージーリスニングとかあるでしょ?
ここは『どろろん閻魔くん』とかヘビーローテーションでかかってんの。何処の有線だっつーの。でろでろばあに合わせて一列縦隊のおばちゃん達がバッテリーの組み付けやってんのがもう、笑いの波動を押さえ込むのに大変ってゆーか、仕事自体ががバリつまんないとこを除いたら、中々楽しい職場だわ、ここ」
パン屋のアルバイトの昼休みを狙い撃つようにして、藤林源治(ふじばやしげんじ)の携帯に、またも神代風霞(くましろふーか)からコールがかかって来た。話す内容は具にも付かない代物で、その上くどい。しかし文句は言えない。言ったが最後、理不尽に怒った挙句、厄介な事に、ヘコむのだ。僕以外に友達、居ないんですか。そりゃ言ってみたい。言ったが最後、もっと大変な事になる。
ここではタダで牛乳が飲める。何故ならヤバイ粉塵から体の内側を守らなきゃならないから。実にどうでもいい風霞の薀蓄を遠くに聞きながら、藤林は嘆息する。幽霊に誘われてトリコン挑戦というファンタスティックな話の始まりは、まず資金集めをどうにかするという、ひどく現実的な作業から第一歩を踏み出した。こんな冗談くさい話に結構な数の学院生徒が参加し、今は自分も彼等同様、夏休みの貴重な時間を金策に費やしているのだ。
不図思う。他の有志達はどうしているのだろうと。自分同様、何となく首を傾げながら真面目にアルバイトをしていたりするのだろうかと。
藤林が心配するまでもなく、確かに彼らは真面目に金を集めていた。手段そのものが真面目かどうかは、また別の話である。
『ぎにゃああああ』
等というあまり聞いた事の無い悲鳴が屋内から聞こえ、矢上ひめ子(やがみひめこ)は自らの目論見が初手から転んだ事を確信した。
所有する山を手放して道路や住宅地に化かす、所謂土地成金が八王子にも結構居る訳で、そういう家に矢上は目を付けた。幽霊騒ぎでひと山ふんだくろうという、これまた言葉にすれば身も蓋も無いが。
策を弄し仲間を集め、いよいよ決行相成り、まずは先様を恐怖のズンドコに陥れるべく、先鋒の烏丸弥生(からすまやよい:本物)がどろどろどろと成金邸宅に忍び入る。そして運の良い事に、この家は「当たり」だった。
血相変えて玄関から飛び出してきた烏丸の、後ろに家主と思しき禿げ上がった親父が、これまた鬼の形相で「あわわわわ!」と吠え倒しながら突進してくると言う、更には頭にカラーを巻いたままのおばさんが、半泣きで「お父さん落ち着いて!」と宥めてすかして、果たしてこの状況をどのよう収拾すれば良いのだろう矢上さん。
「あー。あれは、お犬様に取り憑かれているのかな?」
ポリポリと頭を掻きながら、他人事のように矢上曰く。化け猫とはよく聞くものの、化け犬は珍しい。
「あんた、どうすんのよ。そりゃあたしも巫女だけどさ、お犬様が相手となっちゃ、こりゃもうどうにか出来る道理も無いんだけど」
呆れ口調で神代神楽(くましろかぐら)が混ぜ返す。そう、犬は古来より魔に対する霊格が高いとされ、しかも非常に情が深い。死んでからはむしろ飼い主の守り神にもなってくれるのだが、一旦敵に回すと恐ろしい事になる。
大層な門構えから一歩も出ずに吠えまくる親父はさておき、よよと泣き崩れるおばさんに事情を聞く。もう半年も丑三つ時はこんな感じで、病院に行っても何ともならんのだと。きっと一年前に死んだ愛犬「タロベ」が親父に取り憑いているのだと。見た所お嬢さんは神社の方のようですが、どうか宅を払って頂けませんかと。それ以前に、こんな時間に悪の首領と巫女と幽霊と落ち武者が徘徊する状況を少しは疑えと。
「そういう訳で藤林君、説得の方はお願いだよ☆」
矢上が朗らかに落ち武者役の藤林に言った。即座に展開を立て直す所は、さすがと言うべきなのだろうが。
「何で僕が」
尤もである。
「あなた、わんわん将軍の魂持ちでしょ!? だったら犬同士で話し合うのが、ここは筋ってもんじゃないのかな?」
そんな理屈には絶対頷きたくなかったが、藤林は仕方なしの体でもって、低く唸り続ける親父の真向かいに何となく立った。しばし思案。
「ワン」 「ガウッ」 「ギャーッ!? 噛まれたあああ!!」
事態は振り出しに戻る。烏丸が怯えて神楽の中に潜り込み、神楽が慌てて刀を抜き放ち、一体どうすりゃいいのと矢上に怒鳴り、矢上は矢上で御幾らで請け負いましょうかとおばさんに聞き、おばさん曰く「百万円!」の言を取ってしてやったり、二の腕を噛み付かれたままのた打ち回る藤林に、張り切って声援を送ってみた。
「そのまま頑張って! 相手の怒りを昇華させて!」
小娘、後で覚えてろ。と、藤林の心に闇が灯り始めた頃合、親父ことタロベがパッと飛び退り、庭の方へ走り去ってしまった。追い駆けてみれば、広い庭にしても不釣合いなほど大きい、石の塊が鎮座していた。その周りを忙しなく、グルグルと歩き回るタロベ。
「…何なんですかあ、これ。どうも、石の下を気にしているような気が」
「ああ、これはタロちゃんを祭る為に、宅の主人が建てましたものでねえ。タロちゃんが好きだったお昼寝用ナイスポイントの真上に、総御影石の特注品を」
「藤林君、発破用意」
手早く土を掘って発破を埋め込み、暴れるタロベを引き摺って藤林が伏せた。ズン、と鈍い音と共に砕けながら引っ繰り返る御影石。おばさんによる盛大な悲鳴をさて置いて、矢上は爆破跡を掘り返した。出て来たのは古ぼけた、土まみれの汚いゴムボール。それをみるやタロベがいそいそと駆け寄り、嬉しげにボールを咥えて庭を縦横に走り回る。と、バタと倒れ伏す親父の背中から、ぼんやりしたモヤのようなものが浮かび上がった。それは小さな犬の形を保って、元気良く青みがかった夜空へと駆け昇って行った。
「…チワワかい」
脱力しつつ藤林が呟く。
取り敢えず、結果オーライ。得意満面の矢上がおばさんとの交渉を再開するも、すぐさま顔面蒼白の羽目になる。破壊した御影石の代金を、口約束の額から差し引かれる事となったからだ。それでも、一晩で稼いだにしては随分と実入りの大きいものだったが。
そんな情景を横目に、神楽は短く息を吐いて抜き身を鞘に納めた。そう言えばガタブルの烏丸が自分の心に潜ったままであったのを思い出し、神楽は口に出して優しく彼女に語りかける。
「さあ、地元の自縛霊達に、埋蔵金か何かは無いのか聞き出して頂戴」
『そんな、絶対嫌です。だって幽霊、超怖いんですもの』
突っ込み所は色々あるのだが。
普通、新生活の引越し時期と言えば大抵は春先なのだが、本年度の八十神学院では夏休みの真っ盛りに人の出入りが激しい。何故か。
それは「運命準備委員会」が9月からスタートするからだ。
そんな訳で、降って湧いたような引越しシーズンを利用し、東田小百合(あずまださゆり)と赤城烈人(あかぎれっど)は引越しのアルバイトに血道を上げていた。血道を上げるとはあんまりな言い草だが、8月の酷暑を重い荷物を運びながら走り回る彼らの姿は、甲斐甲斐しいを通り越して鬼気迫るものを感じさせる。
彼らへの引き合いは実に多かった。理由の一つには価格安がある。引越し業者に物を頼めば、それはそれで結構な金額が張るのだが、搬出さえどうにかすれば、彼らの仕事は数千円で済んでしまう。翻れば彼らも数をこなさねば纏まった額が稼げない、という事になる。
赤城は柔道部、東田は空手部。強靭筋力筋力強靭筋力強靭。肉体労働の申し子たる二人にとって、これも修行の一環だと思えばどうという事はないような気がしないでもなかった。
「…地味かな。私達の稼ぎ方ってば」
「ああ、地味かもな。しかしこういう縁の下の力持ち的な役回りは、結構いい。ヒーロー的に、かなりいい。」
休憩時間の合間、きつく冷えたジンジャーエールを数秒で飲み干し、一息ついて二人は改めて今の我が身を振り返った。
「いや、勢いでアメリアの話に乗っかったんだけど、人力飛行機。考えてみれば、もっと人力飛行機部が主体で金稼げよって思わない?」
「そりゃ尤もだな。でも、今年からトリコン参加を強行するとなっちゃあ、やっぱ引く奴も居たんだろ? それは考慮の外としても、今の集まりは人力飛行機部が中心であるには変わらない。俺達は人力飛行機部を中心としつつ、しかし独立したプロジェクトチームなんだよな」
「ま、やると決めたから勿論やるんだけどね。客が処分したかったアイテムも結構貰えたし。本チャンのフリマに出すネタが充実してきたじゃない。さあ、いよいよだわ。私もフリマ、覗いてみようかな」
「…噂をすれば、だ。音頭取りが来た」
二人が座り込む木陰の向こうから、金色に輝く髪の少女が、力一杯手を振り回して駆け寄って来た。アメリア・リンドバーグ(-・-)。一連の企画の、ほぼ立案担当と言っていい存在である。
日曜日のフリーマーケットは大層な賑わいで、出し物を見て回るだけでも大変だった。何処かで一息入れたいと誰もが思うのだが、大概は何処かに座り込んでコンビニか屋台で買ってきた軽いものを済ませる程度。とても落ち着けるものでもない。
そういう場所に、いきなり英国風喫茶室が出現すれば、大方は意外に思うだろう。衝立はあるものの中の様子はよく分かり、簡素ながら品の良いセッティングが為されたスペースに佇むのは、金の髪、メイド服、凛と立つ、紅茶の本場からやって来たイギリス人少女。
案の定、最初は客が入らない。
自分の方が場違いなのではと尻込みするのが日本人の感覚ではあるが、それでも疲れ果てた親子連れが、如何にも恐る恐るといった按配で入って来た。
「いらっしゃいませ、お客様。空いているお席へどうぞ」
淀みない日本語に誘われて着座した親子の傍で、軽く膝を曲げた英国少女が、品書きを静々と差し出した。眼鏡越しの瞳から伝わる労わり。弓なりに微笑む口元。所作から滲み出る品の良さ。ここはとても和める場所なのだと、ようやく親子連れが肩の力を抜いた所でスイッチオン。
あれよあれよと客が入り、あっという間に喫茶室は満席になった。誰かが突破口になれば、安心して自分達も倣い出すのが日本人であり、こういう所がとても可愛らしいと、シャーリー・エルウィング(-・-)は口には出さず笑みを零す。
「スゲエ。席が全部埋まってんじゃねえか」
シャーリーの給仕が一通り落ち着いた所で、隣のスペースから少年が一人喫茶室に入って来た。フリマの販売係、双月響(そうげつひびき)。シャーリーが差し出した紅茶を一礼して飲み干し、双月は衝立に背中を預けて、げんなりと呟いた。
「駄目だ。俺には向いてねえ」
「売れないのですか?」
「アメリアとカキツバタ、俺を置いて何処かに行きやがってさ。猫に小判。双月に接客。俺はもう駄目だあ」
天を仰いで嘆息する双月が、改めて喫茶室の客の入りを確認した。本当に、感心するほど繁盛している。居心地が良過ぎて、回転率が低くなっているのが多少気になる点であったとしても、だ。
「しかし、スゲエ入ってるのな。何、サービスで足裏マッサージとかやってんの?」
「そういう特殊風俗の喫茶室ではありませんから。でも、要は心の持ち方なのでしょうね。お客様がこの一時を楽しまれるように、私も一時を楽しむ。お互いが充実した時間を楽しめるような心構えこそが、良い接客の基本だと思います」
「俺、愛想が無えから難しいや」
と、いきなりマイクのハウリングが耳をつんざいた。驚いて顔を上げればここからでも見える、白いマットのジャングルが。怪訝に集まる耳目の先を見、双月の膝がカクンと崩れる。小指を立ててマイクを片手に、声を張り上げるアメリアが其処に居た。
「赤コーナー、燃える赤毛のイタリアン跳ね馬! アルフェッター、レオーネー!!」
ビッとアメリアが指差した先、レオタード姿のアルフェッタ・レオーネ(-・-)は、応えて高々と拳を掲げた。何故、フリマ会場でプロレス興行。そんな事はどうでもいい。何だか客は引いている。そんな事もどうでもいい。とにかく本命のフリマスペースに客を集められればそれで良く、ついでに言えば本興行にも御捻りを投げて貰えればもっと良い。
「青コーナー、南極出身の南極忍者! ペンギンー、マスークー!」
片羽を元気良く挙手し、四方にクルクルと愛敬を振りまくペンギンぐるみの少女を見て、集まった客は更に引いた。地球温暖化による南極の居住環境悪化を憂い、その危機を救うべく来日した南極少女という設定だが、本名は山根まどか(やまねまどか)。
「アイアム、イチバーン!」
アメリアからマイクを引ったくり、アルフェッタが高々と吠え上げる。何が何でも盛り上げようと頑張る様は、見ている分には微笑ましいものがある。
「ジャパニーズ、ニバーン!」
と、指を突き付けた先にはペンギンマスク。
「違うもん! わたしサウスポーラーだもん! 大体イタ公のクセに、メリケンくせえ事言ってんじゃないわよ、赤パスタ!」
「何だとう! 生魚を頭から貪る生き物が! 動物王国逝きの準備はオッケー!? 」
こんな罵倒合戦も、一応はシナリオの範疇。こう見えても息の合った親友同士。プライベートではとても仲が良い、はずである。
ゴングが鳴った途端、初手からペンギンマスクが頭から突っ込んだ。鳩尾を抉る様にロープまで吹き飛ばし、続けざまミッションに持ち込むべく再突貫した所で、アルフェッタの狙い済ましたソバットが横合いから飛んできた。咄嗟受身を取るも、筋力に遠心力が加算した重い蹴りが、容赦無くペンギンマスクをマットに叩き付ける。
おお、と観客から感嘆の声が上がった。色物かと思えば、意外にリアルバウト。しかもかなりレベルが高い。これは留意して見ようと思わせるには十二分の熱戦が展開され、次第に見る側のボルテージも上がって行く。
が、上がったのは観客だけではなかった。リング上の二人はショーレスラーではない、本物の格闘家である。それなりに気を使っていた力加減も、度重なる打撃の蓄積で有耶無耶になり、所謂闘争本能に火がついてしまった。ペンギンマスクが裏投げで頭から落とし、アルフェッタのラリアットがどう見ても首を捥ごうとしている有様を認め、一観客を決め込んでいた東田と赤城が慌てて仲裁に入る。そして間の悪い事に、逸らされたアルフェッタの正拳突きが東田の顔面にヒット。
「…てめえら、イイ度胸してんじゃねーのよコンニャロー!」
東田、本性丸出しで喚きつつブン殴った相手が、何故か赤城。
「売ったな? 俺に喧嘩を売ったな? ヒーロー的には、売られた喧嘩は買うのが道理!」
「スポーツ柔道に喧嘩なんて出来るのかねえ赤城さああん」
「何スカしてんだアルフェッタ! 空手部でアタイの○奴隷にしてやるから覚悟しとけ」
「あ、マスクを引っ張らないで。マスクを取られたら私、普通の女の子になっちゃう」
こうして全員大暴走。
取り敢えず目論み通り観客は盛り上がり、中々の収益も得るには得たが、双月が決死の覚悟で試合を終わらせた頃には、全員ボロボロ、満身創痍、死屍累々の体たらく。
「や、大繁盛じゃないか、双月くん」
「…お前、一体何処へ行ってたんだ?」
双月が恨めしげに見上げる先には、満面笑顔の燕子花満月(かきつばたまんげつ)が、クラブを持った両手を腰に当てて立っている。
「スマイルだよ、スマイル」
口の端をニッと吊り上げる仕草を見、双月は少々うろたえながらも強張った愛想笑いでもって接客を再開した。
隣の喫茶室、プロレスイベント興行と、集客の工夫を色々と重ねたおかげで、本命のショップ運営は相当に当たった。東田と赤城が集めてきた不要雑貨のお陰で、品揃えは潤沢だ。潤沢な品揃えの店には、当然人が集まる。ついで言えば、双月の売り子振りも中々堂に入ってきた。人間、経験を積めば不得手も得手となるものだ。
「よし、もう一押し。さあさあごらんあれ、ジャグラー・カキツバタの稀なる美技を!」
ひょいと6本のクラブを中空に放る。出鱈目に落ちてきたクラブ達が瞬く間に一定の規則性をもって、燕子花の手わざの中で舞い踊り始めた。まず、子供がくらいつく。そして親御さんが足を止める。そうやって集まってきた人達に、双月が品揃えを披露する。このコンビネーションで、更に出し物の回転率が上がった。
(やった。始まってみれば適材適所。あたしって結構、人を見る目はある方?)
小気味よく品物を捌きながら、アメリアは心中で快哉をあげた。
アメリアの強みとは、とどのつまり人付き合いの広さである。友人たちに声をかけ、根回しを張り巡らせ、準備万端整えて、これでフリマイベントが上手く行かねば嘘だ、というぐらいアメリアは頑張っていた。それもこれも人力飛行機で空を飛ぶ、夢のまた夢の為。
こうして彼らは個人出展のスペースとしては破格の額を稼いだのだが、これが人力飛行機の開発費に雲散霧消してしまうというのも、些かの諸行無常ではある。
フリマも成功裏に終わり、すっかり出来上がった一行が打ち上げの場に選んだのは、大鳥雷華(おおとりらいか)がバイトをしている某マクドナルド。夜も遅くに破顔大笑。ソフトドリンクで万歳三唱。ビッグマックを食い倒す彼らの代金は大鳥持ち。仲間達が楽しんでいるのを見る分には、まあ、良いのだが、それでもやるかたない気持ちになるのもむべなるかな。何だか店長の視線が痛い。溜息の似合う女、大鳥雷華。
「雷華ちゃん、ほら、売り上げ20万越えちゃったんだよ!
あはははは。ほとんど元手ゼロなのに、凄いよね。これもみんな頑張ったおかげって言うか、むしろあたし自身に商才ありなのかな? なのかな?」
アルコールも入ってないくせに、アメリアの言行は泥酔女のそれに近い。そうですね、凄いですよね、と相槌をうちつつも、大鳥は「だったら食事代ぐらい自分が持ちやがれですよ」と思う。言いだしっぺは自分なので、それは口には出さない。モップを使った床掃除にも、ついつい不必要な力を入れてみたが、そんな事をアメリアが知る由はない。
数日後の夕刻。学院寮「よもやま荘」、音羽仁壬(おとわひとし)の自室。現金書留を手にとって眺めながら、音羽は訝しく思案していた。
資金援助の呼びかけとして、音羽は殊に人力飛行機部の社会人OBを中心に、彼らへ要請の手紙を送っていた。残念ながら、ほとんどが断りを入れられるか無視された。トリコン出場が極めて現実的な話ではないと判断されたか、或いは詐欺の類だとでも思われたのか。
(何つーか、ケツの穴が小せえ。こちとら正々堂々住所氏名年齢を明かしているっつうのによ)
等と苦虫を噛み潰した数日の後、何とも正々堂々としていない現金書留がやってきた、という次第。送り主の住所と氏名が書いていないのだ。しかし、これはおかしい。万一の賠償の為、郵便局は無記名を受け付けてくれないはずだし、そもそも配達員の手渡しが原則である現金書留が、何故か共同ポストに入っていた。
中には一万円札が数枚。そしてこんな内容の短い手紙。
『どうか頑張ってください。私は諦めてしまいましたが、皆さんを応援しています。』
「筆跡から察するに…こりゃ女かな」
取り敢えず封筒を懐にしまい、音羽は寮の食堂に向かった。今日は人力飛行機部とその有志達が一堂に集う、初の会合日である。
音羽が部屋に入る頃には、会合は和やかに行なわれていなかった。
シャーリーが食堂を簡易喫茶室にして、手製のスコーンやお茶などを振舞っているのは良い。実に良いのだが。
「あ、音羽くーん! 先に一杯、やらせてもらっているれす~」
「おっとり刀で真打気取るんじゃねーわよげひゃひゃひゃひゃ」
奥の席でウィスキーをストレートで食らっているアメリアと風霞から目を背けたその先では、タンクトップに日焼けした肌を剥き出したリコ・ロドリゲス・ハナムラ(-・-・-)が、神楽を相手に持ち込んだ禁制品の武器類を紹介していたりする。念の為、彼らは全員、高校生。
「アンタ、相手の懐にカチ込むのがスタイルだろ? だったらチャカは小さくしときなよ。グロック26。掌コンパクト。フルマガジン740g。銃で格闘戦やるんならコレさ」
「握り込んだら薬指も余りそうね。てか、あたし別に人殺しをやるつもりは無いから。面白い形だから、部屋に飾ってもいいけど」
「何だい。飾るだなんて、勿体ない」
「むしろ使う機会があるのかと言いたいわね」
「あるさ。何かやばいよ、この学校。凄くきな臭くって。アタシの出番も増えるって話さ」
ククと笑いを漏らしていたリコの表情が一変し、素早く銃器をしまう。ついで風霞がウィスキーをテーブル下に隠す。音羽の後から入ってきたのは、風間史浪(かざましろう)。学院教師。
「ハナムラ、ボストンバッグは床に置け。鉄の塊は重てぇだろ」
開口一番、風間はリコの頭を撫で、おもむろに硬直する風霞の隣に座った。テーブル下からウィスキーを取り出して一口含み、それが合図となって、改めて第一回の会合が始まった。
「取り敢えず、学院側にはナシつけといたぜ。臨時金を出すとよ」
紅茶を勧めたシャーリーに片手を挙げて礼を言い、風間はウィスキーを紅茶に軽く垂らしながら続けた。
「更にトリコン出場決定時にもう一回出る。まあ、滋賀までの往復旅費くれえに考えといた方がいいぜ」
「学院側も、よく出してくれましたね」
「まあな。基本的には俺らを外に出したくない風だったが、捩じ伏せた。忘れちゃならんのは、ここは教育の場なんだよ。表向きでもそれを謳うんなら、譲るとこは譲れってこった。俺も頑張ってんだからさ、ハナムラも風霞も程々にしといてくれや」
言いながら風間は、全員から預かった軍資金をテーブル上に広げた。
「804,577円」
おお、と感嘆の声が上がった。
「凄い。かなりの額だ」 「これなら肉がしこたま食えますね」 「琵琶湖で豪遊ってのもありのような気がしないでもないような」
と、はしゃぐ面々が居る一方、難しい顔の者も居る。
「全然足りないんじゃないかな」
とは矢上の言。次いで赤ら顔のアメリアがフォロー。
「例えば鳥人間コンテストの人力飛行機部門に出てくる上位陣なんて、純粋な製造費だけで150万突破れす。交通費雑費その他諸々も含めたら、300万円もザラの世界れす」
「つまり参加は出来ても、参加出来るだけって事か…」
浮ついた気分に冷や水を浴びせられ、一同は黙り込んでしまった。そう、昨今の鳥人間コンテストは、大学の理工系が高い技術力を披露する発表の場と化している。良くも悪くも、娯楽の要素が入り込む余地は無い。物見遊山で参加すれば、大恥をかくことになるだろう。
「でも、あたしは純粋に飛ぶことを楽しみたいし、同時に戦える機体を作りたいのれす」
呂律の回らない舌でアメリアが言い、頷いて神楽が後に続く。
「このまま製作に入ったら、あたし達は多分行き詰まる。資金が全てとは言わないけど、それでも気合でどうにかなるもんじゃない」
神楽は、じっと考え込んでいる風の烏丸に目をやった。
「無理を承知で埋蔵金なんて言ったけど、そうでもなければまとまった資金なんて出せるはずがないって、あたしは言いたかったのよ。あたしはあたし達の創意工夫を存分に発揮して、その上で戦いに行きたい。弥生、本当のところはどうなの?
あたしはあんたが、まだ奥の手を隠していると思っているんだけど」
はたと全員が烏丸を注視する。当の烏丸は二、三回頷いて、スクと立ち上がった。
「あります。奥の手はあります。どうしようも無くなった時の為の保険とするつもりでしたが、神楽さんのお陰で考えを改められました。戦いに行く為の手段を、今から皆さんに御披露致します」
言って、烏丸はスタスタと食堂を出て行き、一行が慌てて後に続く。お茶を片付けてからそちらに行きますので、というシャーリーの声を後ろに聞き、階段を上り、左に曲がり、向かった先は210号室。
「僕の部屋じゃないですか」
うろたえる藤林を尻目に、ぞろぞろ入って行く御一行様。
「それでは皆さん、畳の撤去をお願い致します」
「何だってー!?」
と叫ぶ藤林を尻目に、問答無用で畳がはがされ、板張りが効率よく取り外され、遂に真っ暗な一階の物置に通じてしまった。
「あれは、開かずの物置!?」
たまらず風霞が悲鳴を上げる。
「開かずの物置?」
「…掃除用具を廊下に下げてから、誰も利用しなくなった禁断の物置よ」
「何で他の事に利用しなかったの? 色々置けるでしょうに」
「だって面倒くさいし」
階下に懐中電灯が向けられ、真っ暗闇の室内から、巨大なものが浮かび上がってきた。烏丸が誇らしく指を差し、得意満面で曰く。
「私によります最終設計機です。作りは10年前で思想的に古い箇所も多々ありましょうが、それでもデータ取りやカスタマイズでかなりの仕事が出来るはずです。今日、たった今より私達は空へ羽ばたくのであります。涙と汗と怨念の結晶、『レイヴンス』と共に!」
「…ビニールの固まり?」
「だって小分けにしないと6畳に収納なんて出来ませんし」
それはさて置き、一同は再び考え込んでしまった。この機体をどうやって外に出すか、その算段である。
「クレーン」
「そんなもん、備え付けの民家なんてあるか」
「でっかい釣り針を糸で垂らして、せえので釣り上げるのはどう?」
「どんな竿と釣り針なんだよ」
「やっぱり梯子を立てて、一個ずつ持ち出すしか無いか。一階に運ぶのがまた大変だけど」
「その間の僕の住環境はどうなるのでしょうか」
不図階下に灯った蛍光灯の明かりに、一同が目を丸くする。見ればケホケホと咳き込むシャーリーが、エプロンの裾をパンパンと叩きながら、一同を見上げている。埃の具合で潤むシャーリーの目は、何かとても困った生き物を見ているような。そしてこうも言った。
「普通に一階から出せば良いと思います」
その通り。
後に開かずの物置は、ようやく物置としての役割を取り戻したそうだ。
<続く>
第一回:第2リアクション:『渡り烏たち』