汗と幽霊と人力飛行機
『…ここ、どこ?』
『滋賀県彦根市です風霞さん』
 そんな会話から始まった午後一時の昼下がり。八十神学院高等部二年生、神代風霞(くましろふーか)はお肌のケアを考えて、昨晩は午後11時には就寝していた。そして目が覚めると眼前には琵琶湖。周囲には唸らんばかりの人の群れ。八王子→彦根への移動手段、何故に私は琵琶湖なの、そもそもこのごった返す人波は何、諸々の疑問が浮かんでは消え、口から溢れようとするもパクパクと音にすらならず、ようやっと突いて出た台詞はと言えば、こんな状況にお決まりのあの言葉。
『そうか。これはきっと夢なんだわ』
『その通りです。これは夢なんですよ風霞さん』
 ここでようやく、神代は相槌を打つ女に気が付いた。女は二人程挟んだ前方で、振り返る事無く話しかけてきている。神代は顔をしかめた。女がずぶ濡れのジャージ姿だったからだ。セミロングの黒髪から水滴が滴り落ち、鬱陶しい事この上ない。よくも周りの人達は、クレームをつけないもんだと思う。
『私の名は弥生(やよい)です。初めまして風霞さん』
『初めましてって、何で私の名前を知ってるの。てかこれは一体何。夢ってあなた、何で私が琵琶湖の夢を見にゃならんのよ』
『いえ。これは私の夢なのですよ風霞さん。ほら、もうすぐあの人力飛行機が、湖畔の空を飛んで行く』
 わっと喝采が起こり、拍手と口笛が鳴り響く。驚いて見回した後、神代は皆が向かう視線を辿った。
 その先には、湖畔に設えられた10mの高台と、今、正に駆け出してゆく人力飛行機の、横長の大きな姿があった。サポーターが力一杯に中空へ押し出し、人力飛行機は一瞬ぐらりと下降を始め、すぐさま風の流れに乗った。操縦士はかなりの熟練者と見える。完全に姿勢を安定させて、プロペラが果敢に空気を掻き回せば、観衆から更なる歓声と拍手が巻き起こった。
『美しい。人力飛行機も、琵琶湖も、あの参加者達も観衆も、全てが渾然一体となって、明るい美しさに満ちた、ここはまるで天国のようです。そう思いませんか風霞さん』
『いや、でもこれ、夢なんでしょ』
『…八十神学院にも人力飛行機部があります』
 弥生は聞く耳持たなかった。
『勿論人力飛行機を研究して、空を飛ばんとする集まりです。しかし実際は、人材難と資金面で、屋外実験飛行も四苦八苦の体たらく。ましてやアマチュア飛行機野郎の中でも最優秀の集団が技術を競い合う、日本テレビ系列全国ネットの花形番組、「鳥人間コンテスト」、略してトリコンに出るなんて、夢のまた夢でありました。でも、私は夢で終わらせたくなかったのですよ風霞さん』
『そんなに好きなら、出りゃあいいじゃない。高校生チーム、爽やかに挑戦とか、今田耕司が煽ってくれるんじゃないの』
『いえ、それは無理ですよ風霞さん。だって私、もう死んでるんですもの』
 神代の全身が一瞬にして棒のように固まった。周囲のざわめきも何時の間にか消えた。弥生と名乗る女が、肩越しに顔を傾ける。ゆっくりゆっくりと、頬に張り付いた黒髪の隙間から

 息を過剰に吸い込んで、神代が煎餅布団から跳ね起きた。むせ返りつつも額の汗を拭う。傍らの、ガタがきてリズムの安定しない目覚まし時計の、針が差し示す頃合は丑三つ時。
「…夢か…」
『そうですよ風霞さん。そしてここからが現実の本題なのですが』


 言語化不能の雄叫びが、隣の部屋から鼓膜よ裂けよと響き渡り、それでも藤林源治(ふじばやしげんじ)は飛び起きたりせず、さりとて布団の中で足をずらし掌を付け、不測の事態に呼応出来るよう身構えた。バタンと開かれる扉の音。どたどたと駆けてくる足音。そして藤林の部屋の戸が蹴り開かれ、咄嗟対抗しようとするも藤林、殴り込んで来た神代の形相の、あまりと言えばあんまりな鬼夜叉振りに、思わず身をすくめて腰を抜かした。あっという間に首根を掴まれ、がっくんがっくんまたがっくん、渾身フルパワーで首を絞めてきた神代曰く。
「私の部屋に幽霊が出たので、とっとと退治して下さいませんかウスノロ野郎!」
「そこで何故僕にキレるのか分かりませんが、取り敢えずその手を離してくれませんか、先輩」
 はたと手を離し、えずきながら息を切らす神代は、それでも乱れた寝巻きの襟を直し、髪を撫で付け瞼を揉み解し、口元を軽く緩ませ、努めて穏やかに二の句を継いだ。
「演劇部二年生で先輩の私が、演劇部一年後輩の藤林に命令します。あの幽霊を撲殺しろ」
「いや、もう死んでる奴を殴り殺すなんて無理ですから」
 其処まで言って藤林は、不図神代の肩越しに目をやった。そして軽く会釈する。対して神代の取り繕った涼しい顔が、やっぱりガタガタと歪み始めたのだった。


 取り敢えず藤林は、冷蔵庫から冷えたお茶を取り出し茶碗に注いで、脂汗を噴出しつつ固く正座する神代に勧めた。二杯。
 何も言わずに二杯とも呷り、神代はお代わりを所望した。応えて藤林もお茶を出す。二杯。
「いや、一杯でいいから」
「でも、後ろの人にも」
「後ろに人など居ない!」
『お供え物的にはお茶があると嬉しいですよ風霞さん』
「あーあーあーあー」
 神代が耳に両手を当て、間断無く「あー」を連呼した。こうすると自分の声が頭の中で響き渡り、外の音が聞こえなくなるのだ。
『…私が怖くないのですね藤林さん』
「ええ、まあ。怖いのは、怖い心を持つ者です。見た所あなたには、それが無い」
『弥生と申します』
「そうですか。では弥生さん、事情を話してもらえますか」
 項垂れた格好のまま、弥生はこくりと頷いた。

 烏丸弥生(からすまやよい)は、10年前に死んでいた。享年18歳。彼女もまた八十神学院の生徒で、人力飛行機部に所属していた。死因は水死。独自で行なった人力飛行機の実験に失敗し、機体もろとも湖に沈んでしまったのだそうだ。人力飛行機の研究には人一倍熱心で、何時か琵琶湖へ、が口癖の明るい娘だったという。
『私はもう一度飛びたいのですよ藤林さん。でもこんな体ではサドルにも座れないしペダルだってこげません。だったら人力飛行機部が、トリコンに参加して何処まで飛んで行けるのか、せめてそれだけでも見てみたい。こんなささやかな少女の夢を、叶えてあげて下さいませんか藤林さんと神代さん』
「…あなたの話は聞いた事があります。弥生さんはこの寮の人だったんだそうですね。それも僕の隣の部屋。つまり神代先輩の部屋で住んでいた」
 神代が血走った目を上げてきた。何時の間にか話は聞いていたらしい。
「藤林、今日から私と部屋を代われ」
「嫌ですよ。ただ広いからって理由で、物置だったあの部屋を僕に片付けさせて、ちゃっかり自分のものにしたのは先輩じゃないですか。それにあの部屋の由縁は、確か先輩の御姉妹も知っていたはずですが」
「何ですって。あのアマ、髪の毛を切ってやる!」
「まあ、それはさて置き、御協力差し上げたいのはヤマヤマなんですが…。何分今の人力飛行機部は人手不足みたいなんですよ。勿論飛行機は作っているんですが、別に鳥人間コンテスト出場が目標って訳でもないみたいですし、何処までやる気になってもらえるか」
 と、ここでスクと神代が立ち上がった。拳を握り背筋を伸ばし、雄雄しく屹立するも決して弥生の方を見ようとはしない。怖いからだ。
「おい、幽霊」
『弥生です』
「もし人力飛行機部が鳥人間コンテスト、略してトリコンに出られたら、あなたどうなるの」
『多分、もうここに未練を残す理由は無くなります。思い入れから開放されて、私は鳥の翼のように羽ばたいて行くわ』
「黙れ幽霊。ともかく、成仏できるって事ね。逆に思い入れに縛られたままだと、永遠にこの寮をほっつき歩くって訳か。地獄の学園生活になりそうだわ。撲殺出来ないんじゃ、成仏してもらう以外に手段は無い」
 顎をツイと逸らし、神代は藤林を見下ろした。藤林の背中が強張る。こういう時は、ろくでもない事を仰せつかるのが常なのだ。
「本日を持って、私、演劇部から人力飛行機部に移籍するから。後のことはよろしく」
「本気ですか」
「この寮にも人力飛行機部所属の連中が居るわ。彼等を抱え込んで、決起するのよ。何としてもトリコンに出場して、この女を塵に帰してやるわ」
「そうですか。頑張って下さい。僕も応援してますから」
「何言ってるの、あなたも参加するのよ。別に演劇部在籍のままでいいから」
「ええーっ!?」
 と呻き声を上げつつも、一方で藤林は、それも面白そうだと思い始めていた。演劇部や学生生活との両天秤は如何にも大変そうではあるが、これは並で出来る体験ではない。何事にも積極性を欠いているとの自覚はあるが、こういう期待感が沸々とわいてくる感覚は、中々良い。
『…ありがとうございます!』
 三つ指ついて、弥生が深々と頭を下げた。ボソボソと覇気の無い声が現金にも明るくなったものだが、これが弥生の本来の気性なのだろう。
「で、取り敢えず始めの第一歩は何をすればいいの?」
『金です。目一杯稼いで下さい』
 神代と藤林の腰が砕けた。身も蓋も無いが、そういうものだ。人力飛行機を飛ばすには、何は無くとも多目の資金が必須なのだ。

<続く>






◎判定者より
 うらめしや。烏丸弥生です。これが目出度くも「バードマン!」の第零回導入部であります。こちらでは初回参加者の皆さんに書いて頂くアクトについて、その課題を御説明しましょう。


第一回課題:資金不足だ、どうしよう!? アクト〆切日:9月15日


 次回以降は本格的に人力飛行機の開発に入って頂く訳ですが、何をするにも資金は必要となります。まずはアクトの小手調べも兼ねて、お金を稼ぐ算段を考えましょう。
 それではアクトの例を、今回登場した二人のPCで書いてみましょう。


神代風霞:「日立バッテリー工場

 何と言うか、本当にそれでいいんですか。

藤林源治:「僕はパンが好き

 パンが軽いものだと考えているあなたはダウト。


 アクトの文字数制限はたった10文字。初回は好きに思いついたものを書いてみるのも一つの手段です。
 加えて第二回以降の中途参加の方も、まずはこちらの資金稼ぎアクトから入って頂きます。資金繰りは色々大変なんでありますよ。

 それでは、奮って御参加下さいませ!




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