サンフランシスコにおける、吸血鬼に纏わる出来事の数々は、私としても驚く事ばかりです。

 この件は既に広範囲で知れ渡っており、本来であれば腕に覚えありのハンター達が、更に集まって来てもおかしくない事態です。しかし御承知の通り昨今の「狩り」は、この世ならざる者達の異常な躍動によって、幾ら人出があっても足りない状況となっています。ハンター各々が、自分の持ち場をどうにかする事で手一杯なのです。

 しかしながら、このような形で皆さんに情報を提供し、事態への対処の一助として戴くくらいは私にも出来ます。既に吸血鬼について深く知識を得ている皆さんに、どれだけの助けになるかは分かりませんが、かの特異なこの世ならざる者について、今一度この項で洗い直してみましょう。

 

古吸血鬼

 ディートハルト・ロットナー氏がイングランドの組織に送信された『吸血鬼との闘争と終焉』のデータは、ハンター世界にとって実に興味深い内容でありました。

 私達は現実問題として、集団を形成する現代の吸血鬼達と刃を交えている訳ですが、件の書籍で言及されているのは古吸血鬼、通称女帝・皇帝級について。今でこそ彼女、ないしは彼らは、そのカテゴリィでひと括りにされていますが、実際はカテゴリィ内でも複数の階級に分かれていました。

 それは単純に個体としての強さを目安にしています。強弱の差異は、どうやら自身が吸血鬼と化した世代によって区分されているらしいのです。吸血鬼がたった1人の真祖から始まった事は、現在最も有力な説ですが、そこから次席に位置するのは2人のみ。書籍の中では、「V」と「G」という略称で呼ばれているものが、それにあたると思われます。実は本来の意味での女帝・皇帝級とは、ここまでで打ち止め。つまり帝級は、たった3人しか居ませんでした。

 否、現実に帝級は複数居るではないかと思われる向きもあるでしょう。彼らは次席よりも下、つまり第三席という位置付けになります。次席の暗躍によって数を増やし始めた吸血鬼達の中から、真祖が特に目を掛けた者に、何らかの特殊な儀式を行使して作り出したのが第三席の帝級なのです。サンフランシスコで敵対関係になりつつあるレノーラとエルジェも、三席女帝級という訳ですね。その力は真祖や次席に比べれば数枚劣りますが、矢張り恐るべき手合いである事は、実際に相対した皆さんならばよくお分かりだと思います。

 ところで、ここに一つ疑問が残るのです。

 三席帝級は真祖自らが作り出したものである、という概念に間違いはないと思われます。ならば次席帝級はどうなのでしょう? 吸血鬼が真祖から派生したものであるならば、当然次席も真祖を始まりとしているはずなのです。しかし次席と三席には、存在の強力さにおいて大きな開きがあります。次席帝級は、第三席とは異なる何らかの特殊な経緯から出現した代物かもしれませんね。

 

吸血鬼の傾向

 吸血鬼を仕留めるには、その首を刎ね飛ばすしかない。これはハンター世界における鉄則です。

 ただ、単に敵対生物として認識する以外にも、吸血鬼は種として興味深い性質を持っています。確かに彼らは人間の価値観をある程度残している者達ですが、その行動規範には矢張り人外的特徴を見出す事が出来るのです。その幾つかを、ここで紹介致しましょう。

 

○特定人物への執着

 ケイト・アサヒナ女史が、恐るべき性格破綻者、エルジェに見初められたという話は私も聞き及んでおります。

 ここには吸血鬼らしい、厄介な特性が絡んでいます。吸血鬼は自らが認めた1人の存在に対し、大いに注意を払う傾向があるのです。「ドラキュラ」や「吸血鬼カーミラ」は空想小説ですが、この特性を確実に描写していますね。ドラキュラ伯爵はミナ・ハーカーを見初め、カーミラはローラという少女に歪んだ愛情を傾けるという具合に。

 私はここに、吸血鬼の孤独を感じるのです。彼らは不老不死の生物であるが故に、その心は人間から離れ、独特の気質を持つ事となります。自らが死なないという認識を深めると、他者の死に対する解釈が曖昧になってしまう。詰まる所は、他人への無関心です。

 しかしながら特定人物への執着は、残された人間性の発露と言えます。自分以外の他人という認識を、殊更強烈に意識する訳ですからね。

 特定人物への執着は、相手が人間であったり、同種の吸血鬼である場合も有り得ます。そのアプローチは千差万別です。純粋な愛情表現、知的興味の対象、要警戒人物というシチュエーションもあるでしょう。何れにしても、危険な吸血鬼に興味を向けられるのは厄介な事です。彼らは実に執念深く、その興味が外れる時とは、相手が死ぬか、或いは自分が死ぬか、何れか一つしかありません。

 そして執着対象の居る位置を、吸血鬼は或る程度察知する事が出来ます。それは科学的根拠の全く無い、彼ら特有の「虫の知らせ」なのです。もしも執着対象になったと自身が自覚された時は、夜に出歩くのを極力控えましょう。とは言えハンターという仕事柄、非常に厳しい話である事は察します。

 

○自己顕示傾向

 吸血鬼の心理を考察するに当たり、重要となるのは人間性を保ったまま不死身であるという点です。

 肉体の老化と精神の成長は密接に繋がっているのですが、吸血鬼には精神性をより深める老化現象がありません。ですから概ね、その気質は老獪でありながら若さも保持するという、少々風変わりな傾向が見受けられるのです。

 若さとは、野心と言い換えられるかもしれません。ですが彼らは人間社会からきっぱりと別れてしまっております。猛々しい野心を満たし、能力を発揮出来る場は何処にも無い。

 ですから彼らは、自己存在の誇示を必要以上な形で発揮する事があります。例えば先頃のノブヒル一家惨殺事件もそうですね。あの下劣な楽しみ様は、少なくとも事後の場を見た者に強烈な印象を残したはずです。その行動について裏の意図は色々と考えられていましたが、何より「私はここに居る」という宣言を発する為であったと私は解釈しています。

 その他にも、古い吸血鬼ならば肖像画を残す、自分を主人公にした小説を書いてもらう、といった手段を取っていたと思われます。存外ドラキュラやカーミラもその口かもしれません。アン・ライスのレスタトについては…私見ながら、あれは違うんじゃないかと確信する次第です。

 

 

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この世ならざる者達:『吸血鬼追補』