真租ルスケスに狙いを定めようとしている諸君等に対し、吸血鬼との戦い方云々を講釈するのは実におこがましい話だ。君達は現在の人類の中で対吸血鬼戦に最も習熟したハンター、または最強類の吸血鬼集団と言えよう。

 であるので、ここでは戦事から少し離れ、異なったアプローチで吸血鬼というもの眺めてみようと思う。

 そもそもこの文章を書こうと考えたのは、戦力をほとんど諸君等によって殲滅させられたルスケス一党にあって、その生き残りに興味深い名前を見つけたからだ。クラリモンドの事だ。多分知っている人も居るだろうが、彼女はとある怪異譚における登場人物の1人なんだ。まさか彼女までもが実在しているとは思わなかったので、実は少し嬉しかったりする。命の危険に身を晒して戦う君達には大変申し訳ない話だが。

 ところで吸血鬼というのは、出自において概ね以下の分類で区分け出来る。

 

.フィクションの登場人物。

.歴史上の実在者。

.名も無き市井の人々から吸血鬼と化した者。

 

 前々世紀で行なわれた「血の舞踏会」以降に吸血鬼となった者は、概ね『3』に相当するはずだ。ノブレムや壊滅した仕える者共等の若い吸血鬼達である。概ね150歳を越えない彼らは、考え方が比較的柔軟という印象がある。尤も私はノブレムの吸血鬼ばかりを見てきたから、この認識には主観がある事をご容赦願いたい。

 ならば150歳以上、「血の舞踏会」以前の吸血鬼はどうかと言えば、やはり伝統的存在という括りが妥当だと私は考える。例えばレノーラがそうだ。ノブレムという革新的集団を率いる彼女だが、極力上下関係に注意を払うよう、心掛けているのがよく分かる。こういう言い方をレノーラは快く思わないだろうが、彼女は古い吸血鬼なのだ。

 しかし彼女やヴラドのような存在は貴重だ。前の決戦で一挙に数を減らした古い吸血鬼達は、最新の血の舞踏会を経て滅亡へと向かわんとしている。尽く討ち死にするという意味ではない。世代交代を経て、吸血鬼の代表格としての立場から、彼らは完全に身を退くであろう。

 永らく人間が天敵としてきた彼らだが、滅び去る者への郷愁を込めて、古い吸血鬼達について考えを巡らせて行きたいと思う。

 

フィクションの登場人物

 レノーラの真名であるカーミラ以外にも、実は物語から飛び出した吸血鬼はそれなりに居るのだ。それも先のクラリモンドを始めとする、ルスケス一党の側だ。敵味方を含め、彼らの名と出自を挙げてみよう。

 

○レノーラ(=カーミラ・カルンシュタイン)

 ⇒カーミラ(1872年 シェリダン・レ・ファニュ)

○クラリモンド

 ⇒死霊の恋(1836年 テオフィル・ゴーティエ)

○ベルタ

 ⇒骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼(1828年 エリザベス・グレイ)

○ロドルフ

 ⇒骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼(1828年 エリザベス・グレイ)

○ヴァーニー

 ⇒吸血鬼ヴァーニー(1847年 ジェームズ・マルコム・ライマー)

○ヴァルダレク

 夜ごとの調べ(1894年 スタニスラウス・エリック・シュテンボック)

 

 こうして列挙すれば分かるだろう。彼らの出自は1800年代の発行物に集中している。そして1897年、とどめの一撃とも言えるブラム・ストーカーのドラキュラが発行される訳だ。ヴラド公については歴史上の実在者に分類されるので、この場ではスライドしておこう。

 伝えられている話と実際が大きく異なっている、という顛末は吸血鬼の世界にも当てはまっている。もしもレノーラがフィクション通りのカーミラであれば、それはもうレズビアンであるはずだが、実際の彼女にそのような性向は認められない。クラリモンドに至っては、ちょっとだけ生き血を分けてもらうだけで生き永らえる、吸血鬼と言い切るのが微妙な乙女なのだよ、「死霊の恋」では。しかも物凄く可愛い。実際は他の吸血鬼同様、人間の咽喉を捌いて無数の牙でむしゃぶりつくという、実も蓋も無い代物だ。

 色々と異なる点はあるにせよ、かようにフィクションと実在が交錯する様は興味深い。以前シャロン女史が吸血鬼の自己顕示志向について解説をしていたが、吸血鬼とはそのような気質を持つのである、という解釈について私は疑問を抱いている。三席帝級達が復活し、上記掲載した面々を眺めていて、ふと気付いたのだ。

 出版年月日に目を留めて戴きたい。カーミラやドラキュラに比べて、一部を除いて三席帝級達の物語が出版された年の方が早いのである。前の血の舞踏会が終結したのは、はっきりとしていないが1800年代初頭。上記掲載中最も古い、1828年出版の「骸骨伯爵、あるいは女吸血鬼」よりも前の事だ。

 レノーラとヴラド公が、敢えて人間に自身の物語を提供した事は周知の事実だ。その理由を、継承実験を受けた若い吸血鬼が聞いている。我は未だこの世に居ると知らしめ、他の吸血鬼を恐怖させる為だと。

 ここからは私の想像だが、血の舞踏会以後、サマエルの意を受けたカスパール辺りの情報操作(と言うよりも嫌がらせという形容が近い)が既に始まっていたのかもしれない。死んだ上級吸血鬼達の名を再び世に出す事で、ルスケス一党未だ滅びずと喧伝する為に。誰を相手に? 勿論名も無く市井に潜んだ下級吸血鬼達に向けて、だ。そのようにして、彼らは時が来るまでに人材を参集していたのではないだろうか。その結果が『仕える者共』だったのだ。

 だからレノーラとヴラド公が自身を主人公とした物語を提供したのは、意趣返しが多分に込められていると私は思う。『ならば私達はここに居るぞ』と。そしてノブレムという特異な集団が形成された。

 もしも想定が当たっているならば、実に因縁深い話だと思う。もしも互いが生きていれば、ヴラド公に仔細を問うてみたいものだ。

 

歴史上の実在者

 ヴラド・ツェペシュ、ジル・ド・レエ、そしてバートリ・エルジェーベト。何れも君達が向き合ってきた強大な存在で、巷で語られている彼らの姿は残虐非道、その手は赤黒い血に塗れている。

 違うところがあるとすれば、生前は極めて優秀ながら暴君でもあったヴラド公が、むしろ吸血鬼となってから暴力性を薄めたのに対し、ジルとエルジェの性格は一貫して狂気の沙汰と言う以外に無い点であろう。

 特にヴラド公とジルが何故そうなったか。それについては解が出ている。次席帝級として能力的に完成されながら、ヴラド公は人の心を持つ自分を深く見詰め直してしまった。それはサマエルやルスケスにとって、待ち望んだ姿ではない。だから能力的には一枚劣り、且つ不安定な人格のジルを更に追い込み、結果望み通りの怪物に仕立て上げたという訳だ。しかし結局はジルも、人としての弱さに溺れて破滅への成り行きを辿ってしまった。どうも天使達は、人間の心を甘く見すぎる傾向があるようだ。

 ところで、復活したは良いがハンターとノブレムに滅ぼされてしまった三席帝級の内、「フィクションの登場人物」以外に「歴史上の実在者」が居る。

 勿論、ジルやエルジェなどに比べれば知名度などは底辺に近い代物だ。しかしどうも見た事があるような名前だったので、ちょっと文献をあさってみたら、出て来たよ。

 ヴェルツェーニ、そしてウージューヌ。2人とも19世紀半ば、つまり1850年前後の、当時吸血鬼として世に喧伝された者達である。

 ヴェルツェーニは、良くあるタイプのシリアル・キラーだ。女性の首を絞めるという、ただそれだけで性的快楽を得(つまり強姦をしておらん)、殺した女の肉の柔らかいところを持って帰り、家で焼いて食べていた。まあ、こいつは銃で頭をぶち抜いてもいいだろうと思える変態野郎だ。

 しかしウージューヌは、ある意味上記の輩を更に上回るド変態である。『色白女子の柔らかい肉が食べたい!』⇒『噛み千切るのは大変なのでハサミ購入』⇒『しかし中々出会いが無い』⇒『ならば自分の二の腕で我慢我慢』。こんな経緯でもって、自分の腕の肉を切り取って食っていたそうだ。そう言えば色々と大変な出来だった日本映画「野生の証明」でも似たような場面があったな。えげつない空腹に耐えかねたレンジャー隊員が、正気を無くした挙句にナイフで自分の腕を抉り、その肉を貪り食うんだ。役者の演技のお陰だろうが、あれは何だか上手そうだった。いかん、変態どもの事を考えている内に、書いている内容がおかしくなってしまった。

 まあ、ヴェルツェーニ達については、カニバリストという扱いで表面上は片付いてしまう。当時は精神医学が現在ほどには発達していなかったので、異常な行動を示す者には「悪霊憑き」「吸血鬼」というレッテルを貼り付けてしまうのも予想の範疇だ。

 しかし問題は、実のところ根深い。それはこういう事だ。

 

・1800年代初頭実在し、且つ滅び去った三席帝級の名前が、

・その少し後の時代に出現した。

・しかも度を越えたカニバリストとして。

 

 これを偶然と考えるほどに私は暢気ではない。

 恐らくだが、私はこれも先に述べた情報操作の一環だと考えている。三席帝級達の名を喧伝する為に、文献として残る分、小説という形式を取るのはまずまずの手段だが、もっと短絡的な方法もあるという事だ。

 それは同じ人名の一般人を狂わせ、とびきり異常な犯罪行為で世間を騒がせるやり方だ。正直自分の予想が外れて欲しいと心底思っているのだが、多分それらは正解である。全くもって、悪魔の所行という他に無い。

 

 しかし、もう直ぐ決着がつく。赤黒い血に彩られた因縁が終わりを告げる。たとえルスケスがあれだけの代物だとしても、最後に立つのはノブレムと、彼らと手を携える人間なのだと、私は固く信じているのだ。

 

 

<戻る>

 

 

 

 

 

この世ならざる者達:『古い吸血鬼達』