大都市ではあるが決して広いとは言えないサンフランシスコで、ハルマゲドンの前哨戦とでも言うべき戦が始まろうとしている昨今、ここに至って事態の中核的存在の何たるかを考えるのは、決して無意味ではないと私は信じている。急激に変動する状況の合間にでも、ヘンリー・ジョーンズの雑記に目を通す事で息抜きでもしてもらえれば幸いだ。

 さて、お題は四人の貴公子である。

 私が当初この街に来た頃、ベリアルの名を聞いて助手のブラウン君が「四人の貴公子の1人」と言ったのが、関わりとしては最初となるだろう。しかし考えてみれば四人の貴公子という言い回しについて、実は私も馴染みが無かったはずだ。多分私も、バチカンを守護する天使から実情を聞いていたのだと思うが、どうもその辺りの記憶が曖昧である。

 本来の呼称は four superior princes で、とあるグリモワールで呼び出せる悪魔の筆頭格を指す言葉だ。それが失楽園の内容を更新するかの如く、実情としては天使戦争における反乱軍中枢の四人を表している。まあ、伝えられている話と実際が異なるという展開は、君達の方がよく経験しているだろう。そもそもサタンという存在の定義も、人間側の認識は一枚岩ではないな。サタンの正体はルシファだ、ベルゼブブだ、いや、神に反逆する悪魔全般の総称だ、等々。人間の想像力の権化とも言える天使達は、全く統一が出来ていない諸定義に振り回されているような気もするな。

 何れにせよ四人の貴公子とは、神に反抗する形でお伺いを立てた天使集団の筆頭格であるには違いない。この短期間にかような破格の存在達が全て関わってきたという事実は驚愕の一語だ。改めて各々の貴公子について、所見を述べてみたいと思う。

 

ベリアル

 かの虚を操る者は、既に危険性を大きく薄めたと見て良いと思う。

 彼奴は自らの意思でルシファと袂を分かち、ハンターの話によれば日ノ本へと赴いている。其処で特に何をするでもなく、ただ静かに日々を過ごしているらしい。しかも彼奴を傍に置いて監視をしているのは、あの偉大な月読尊だ。他にも有形無形の監視網が敷かれているのは想像に難くない。少し前までは敵としていた集団の真っ只中で、ベリアルが超然としている様を思い浮かべると若干愉快ではある。

 ともあれ、様々な紆余曲折を経て辿りついたベリアル自身の変容は興味深い。上位階級の天使とは、概ね思考が極端に硬直しているのが定説だが、その範疇に当てはまらない存在も居るという事なのだ。

 

リヴァイアサン

 彼奴もまたベリアルと同じく変容を遂げた天使だ。しかしベリアルが少しずつながら思考の柔軟性を会得しつつあるに対し、リヴァイアサンのそれは極端から極端へと移っている。彼奴の思想の根幹を成しているのは戦いそのものだ。それも戦いを経て勝つという結果ではなく、リヴァイアサンがこだわるのはその過程である。このアイデンティティが覆る事は、まず無いと考えて良いだろう。

 言動から察するに、リヴァイアサンはベリアルですら踏み込んでいない、天使としての自己を否定する境地に到達したのだから、実に面白い。同じ袂を分かった同士でありながら、ルシファはベリアルを未だ同志だと捉えている節がある。しかしリヴァイアサンは問答無用で敵認定だ。自分を天使ではないと断言する天使など、ルシファは全く許容出来なかったという訳だ。ま、旧約聖書を逆さまから読んでみても、リヴァイアサンが元来天使である事を想像出来る余地は無いのだがね。リヴァイアサンに対する人間の認識がそんなだから、ああなってしまったのかもしれない。

 格闘人形持ちが意を決すれば、次の戦はルシファとリヴァイアサンの衝突に介入するという、前代未聞のものとなる。この戦への参画に対し、最早助言もへったくれもあるまい。ただ、私はどうも見誤っていた。リヴァイアサンが人間に与する行動を取りはしないと今も信じているが、現在結果としてルシファによるサンフランシスコ侵攻に、あのリヴァイアサンが立ち塞がっている。その顛末は想定外だ。

 リヴァイアサンは味方ではない。それは間違いない。しかし人間には、命を削り合う敵にすら共感するという、考えてみれば驚異的な能力がある。恐らくリヴァイアサンは、レヴィンやルシンダ達との戦いを経て、それに感化されたのだ。決戦に参画する人には、それを踏まえてみる事をお勧めする。共感する能力とは、恐らく貴兄が思う以上に強大だ。少なくともリヴァイアサンには、共感を理解する才能が着々と芽生えつつあると私は思う。

 

ルシファ

 かの存在については説明する必要も無いだろう。昨今の騒乱を引き起こした張本人。ミカエルとの最終決戦を遂行し、出来れば名も無き神に表舞台へと御帰還戴く。ただそれだけの為に十億単位の人口が損なわれようとも知った事ではない。むしろそれが人類救済に至る唯一の筋道ときたもんだ。歴史上の独裁者を全て掛け合わせて極大化させた狂王と言えよう。

 ルシファによるサンフランシスコへの介入は、サマエル復活の芽が出た時点で規定事項だったのだが、まさか直接的な手段に打って出るとは私も思わなかった。サミュエル・コルトという魔人は、どうやらその状況をも想定して事前準備を行なっていたようだが。

 さて、こんなルシファ相手に戦いを挑むというのは、私見で述べさせてもらえばどうかしている。しかしジェイズの古い神々はルシファを退けるつもりだ。彼らに格闘人形持ちが助力し、リヴァイアサンとなし崩し的に共闘という形に持ち込んだとしても、私にはルシファが敗退するというヴィジョンがどうしても見えないのだ。最も神に近い天使という設定は、空想上の事ではなく事実である。

 ならばどうすればいいのかと考えれば、恐らく純粋な力勝負だけではいけない、というところが答えだろうか。ならば何らかの形で、ルシファに揺さぶりをかけるというのはどうか?

 基本的に彼奴は人間の言葉や意思など虫の羽音程度にしか考えていない。それでも、あんなルシファでも、恐怖の対象が存在するではないか。それが何かは、既に周知の事と私は思う。

 問題は、『恐怖の対象』にどのような具体性を持たせてルシファへと示すか。単なる説教では、恐らく鼻で笑われ潰される。どのような策を用いるか、説得力のある手段を考えてみて欲しい。

 

サタン

 またの名をサマエル。

 さて、諸君。この怪物を向こうに回し、君達はどのような決着をつけるかを考えている事と思う。例えば、サマエルという存在そのものを討ち滅ぼすという風にね。

 結論から言えばそれは可能だろう。苛烈な苦戦を強いられ死屍累々を乗り越え、それでも天使を抹殺出来る素養の持ち主がハンター達の中に少なからず居る事を鑑みれば、それは可能なのだ。同様にこちら側が壊滅する事も覚悟しなければならないのだが。

 ただ、ここは一つ考えを巡らせてみて欲しい。決着の先にある結末の事だ。ベストではないにしても、ベターな結末とはどういうものだろうか。

 サマエルは結局、人間に深く関わっているものの、「こうであるべき」という固定観念を緩めはしなかった。つまり人間を全く理解しようとはしなかった。挙句の果てに、この激突という訳だ。それもサマエルにとって、予定調和を粉砕されたうえでの成り行きである。ここまでサマエルを追い込めたのは君達の捨て身の行動に拠るところが大きい。

 だから戦力差に未だ開きがあるとは申せ、実のところ君達は勝利を目前にしている。あと一歩だ。あと一歩であるがゆえ、選択の主導権は君達にある。そこで自らを顧みるのだ。今の自分の姿は、敵とするものと寸分違わぬ映し鏡になってはいまいか?

 どうも私は、人にあれこれした方がいい、等と述べるのは苦手だ。苦手と言うより好きじゃない。よって随分回りくどい言葉になってしまって申し訳ない。

 しかしサマエルに勝つというのは、この段階となっては手段と称して差し支えないだろう。その先にある未来を、君達は選択する事が出来るからだ。

 

 

 

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この世ならざる者達:『四人の貴公子』