御機嫌よう、諸君。私はジェイズ・ゲストハウスに逗留するヘンリー・ジョーンズだ。

 本来この項はデブラ・シャロン女史が執筆を請け負う事にはなっているのだが、如何せん今のサンフランシスコは外部との通信手段が完全に遮断されており、都合彼女からの連絡が途絶えてしまった。しかしながら続出するこの世ならざる者達を向こうに回す糧とするには、事前に知識を得ておく事は必須である。

 よって僭越ながら、サンフランシスコ範囲内限定で、この項の更新を私が買って出た次第である。こういう形でもハンター諸氏の役に立つ事が出来るのであれば、それだけで私がこの街に来た甲斐はあったというものだ。

 

ダエヴァの成り立ち

 さて、ダエヴァである。

 ダエヴァについては第5回時点、現在進行形で私が命を狙われており、諸君等の為と言うより、むしろ自分の為に必死こいて対処を練らねばならんという訳だ。しかしながら一端頭を冷やす猶予があるならば、物事の考察を焦るは禁物だ。敵を知り、己を知れば百戦危うからずと言う。まずはダエヴァが、どういう成り立ちのものであったのかを再認識するところから始める事としたい。

 影の姿を取って人間を何処までも追い詰めて切り刻むという、形だけを見れば厄介な化け物の一つでしかないダエヴァだが、本来の立ち位置と語源を考慮すると実に興味深い手合である事が分かる。ダエヴァ、というのは英語の無理繰りな発音であり、本来はダェーワという言い方が近い。ゾロアスター教におけるアフラ・マズダーを主神とする善神群に対する悪神達だ。

 尤も悪神とは言え、善悪二元論が中核となるゾロアスター教において、実のところダエヴァは言葉通りの悪という意味を持っていない。確かに彼らは疫病の蔓延や堕落への誘いといった所行を行なうのだが、そういうものを克服しつつ善なる方へ向かわんとするのがゾロアスターの考え方なのだ。つまりダエヴァは善神を崇める人間達が、乗り越えなければならない壁のような存在だった、という訳だ。

 そもそもダエヴァ(daeva)という言葉から気付く方も居るだろうが、これはインド神話におけるデーヴァと語源が同じなんだ。存在の意味合いが所変わって全く異なっているのが面白いではないか。次いで言えば、ラテン語のdeusとも語源を同じくしている。つまり神だ。同じ言葉が所によって変化し、様々に意味が変わって行く過程を追って行くのは本当に楽しいのだが、今は現実の脅威としてのダエヴァに集中しよう。どうも私は話が脱線しがちであるな。

 で、そんなダエヴァも衰退したゾロアスターの思想を象徴するかの如く、『厄介なこの世ならざる者の一つ』になってしまった。もしも彼らに思考する理性があるのならば、実に屈辱的な状況であろう。しかし同情はしない。こっちは死ぬか生きるかなのだからな。

 

ダエヴァへの対処

 本来ならば、彼らにも悪神としての姿形があるはずなのだが、どういう訳か今の彼らは蠢く影のような姿を取っている。

 影すら切り裂く力の持ち主であれば彼奴らを斬る事も出来ようが、そんなマンガみたいな設定はH6にしか適用されん。現実問題、あの姿のままではこちらも攻撃を加える事が出来ないのだ。

 そう、今のままではダエヴァを仕留める事は出来ない。悪魔祓いが通用する種別の者ではないし、聖水は勿論の事、銀すら通用しないだろう。何しろそれを通用させる為の、例えば霊魂にすらある「実体」がダエヴァには無いのだからして。

 一応、身を守る事は可能である。霊符の結界の守りは概ね万能であるし、高確率でソロモンの環に一時封じる事も出来よう(ただし付加機能の「悪魔祓い自動執行」は無効であるので要注意だ)。五角結界という奴は、恐らく閉じ込めながらある程度の打撃を加える事も可能だ。しかしそれらは、根本的な解決にはならない。何しろ連中は、元々神だ。結界類は何れ突破され、五角結界の打撃も間違いなく致命には至らない。

 こうなると、銀や聖水の打撃が通るように工夫する必要があるだろう。一体どうすればいいのかって? あるんだな、これが。方法が。

 実際出くわした者達ならば覚えているだろう。ダエヴァは強力な光源に照射されると、一瞬だが実体を晒す。その一瞬の間であれば、銀でも聖水でも塩でも通用し、奴らの力を削る事が出来るだろう。光源は、白熱電球程度では駄目だ。ハロゲンランプくらいの輝度が必要になる。自動車のヘッドライトに使っている奴だ。掌サイズのハンドライトもあるので、それを持っておくといい。ちなみにハンドライト程度なら、お金出して買って下さいという無粋な事は言わないので安心して欲しい。アクトで所持する旨を書いておいてくれればOKだ。

 ただ、そうやって削り倒してもダエヴァの最終的な打倒には至らない。力を弱めるだけであって、奴らは基本的に不死身なのだからして。加えて危険な格闘戦を延々と続けるリスクも孕む。疲弊するのはどちらが先か、火を見るよりも明らかだ。

 最終的な決着が必要である。それが何なのかを考えねばならないな。私は、恐らく解が間近にあると見た。

 影は光に照らされて浮かび上がるものだ。しかし、彼奴らを疲労困憊に追い込み、その挙句に強大な光を当ててやれば、恐らく奴らは消滅する。多分その光は、私達が所持出来る物理的な光源発光体に拠るものではない。もっと力強く、しかも温かな光が必要なのだ。

 

 

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この世ならざる者達:『ダエヴァ』