<生き残りは3人>

 自身が負けた、ないしは失敗したと認識した時、人間が取る対応は概ね二種類に分かれる。失態を認めずに腐るか、それを受け入れて反省し、次に繋げる為の糧とするか。

 差し当たってルスケスは、そのどちらでもない。と言うよりも、自分が負けたという事実すら彼は認識していなかった。

 サンフランシスコで復活を遂げて以降のルスケスは、概ね敗北続きの状況である。それを踏まえたうえでも、此度の敗北は決定的とすら言えた。過去の第三席を復活させた高級模造吸血鬼を、1人を除いて全て失う。更にその下の模造吸血鬼は全滅。アウター・サンセット区域の餌(人間)には全て逃げられる。とどめに『第二の石柱』を破壊された結果、ルスケスの不死性はジューヌ系統の吸血鬼に対して無効となり、且つ新たな模造吸血鬼を一体たりとも補充出来なくなった。ルスケス一党の現行戦力は当のルスケスを含めて、たったの3人である。

 完膚なきまでの敗北。状況を客観視すれば、誰しも思うところだ。しかしルスケスにとっては、そうではなかった。

 何故なら、ルスケスはルスケスだからだ。かの邪悪な天使崩れは、今の境遇に対して屈辱なるものを一切感じていない。むしろアウター・サンセットという狭いくびきから解放され、せいせいしたという按配だった。

(敵対するもの。そうでないもの。みんなまとめて木っ端微塵の刑に処す)

 ルスケスとは、こんなものである。彼は破格の実力と凶暴性を一片の曇りなく自負する、底無しに能無しの化け物なのだ。

 ただ、それでも、彼は若干ながら変化しつつあった。精神にほんの僅かな変容が発生していた。その深刻の度合いについて、ルスケスに自覚は全く無い。

 

 サンフランシスコの北西、プレシディオ地区の高級住宅街は、ルスケスが到来してから数分とたたずに地獄と化した。既に中心から北東区域の『人間の領域』は人口飽和状態である。この世ならざる者達による一斉攻撃は既に凌いだものの、その後の混乱の最中で押し出されるように西方へと避難した市民が、プレシディオには少なからず居た。市警は事後処理に追われた挙句、彼らを押し留める事に失敗したという訳だ。

 そこにルスケスがけたたましく笑いながら現れた。その後、なるべくしてそうなった。

 吸血鬼の親玉のルスケスであるからには、新鮮な人間の血を胃の腑に納めるというやり方でエネルギーを補給する事も可能だが、彼はそのようなまどろっこしい手段は基本的に用いない。「これ」と目視した手合いに対して、指一本触れずに全身の体液もろとも魂を吸い上げるのが常套であった。それも1人や2人ではない。数十、或いは目視が許す範囲で数百数千の人間をいちどきに干物と化す事が出来る。

 豊かな緑と共にあって、高級住宅地として名高いプレシディオの住宅街の只中、累々たる干からびた屍が路面を埋め尽くす死の世界を前に、ルスケスは侮辱ともとれるゲップを吐いた。

「ああ、いいよ。いい。超いい感じ。体の奥から何かが漲る。そんな気がする昼下がりの街角ときたもんだ」

 ガキゴキと音を立てて首を鳴らし、ルスケスは乾いた死体を踏み砕きながら、ゆっくりと歩を進めた。して、指を鳴らし配下を呼び寄せる。ほぼ一瞬で2人の女性型吸血鬼が両脇に跪いた。真租の恋人、アンナマリ。模造吸血鬼から別物へと進化したクラリモンド。2人を睥睨し、ルスケスは大仰に言った。

「飯食ったかえ?」

「戴きました」

「合わせて20匹ほど」

「宜しい。栄養補給万全なれば、またぞろ『さあ、俺達と一緒に遊ぼうぜ!』ってなものよ。しかし減ったな。大いに戦力を減じせしめられたな、ええ? まさかこのまま僕達、負けてしまうんでしょうか?」

「いえ、負けません」

「この街で今の御主に対抗出来る者は居りますまい」

「はっはっは、買いかぶり過ぎである。俺なんてさぁ、あれでさぁ、兄者に色々と手数を封じられているもんでさぁ」

 言って、ルスケスは爛れた目を北の海に向けた。瞳を絞って僅か1秒、海中から突き上げるように水柱が噴き上がる。どう見ても数百mは立ち上ったそれを、さもくだらなそうにルスケスは掌で宥めた。普通であればプレシディオを嘗め尽くす津波が押し寄せるところを、ルスケスは瞬時に元の凪いだ海に戻してしまった。ケッ、とルスケスが呻く。

「これが出来ぬ。ナマモノ相手に異能を使えぬ。色々出来るんだけどな。天変地異のフルコースとかよ。先の栄養補給も兄者曰く、間を置かねば駄目だってさ。全く、面倒くせえったらありゃしねえ。ありゃしねえが、仕様が無え。兄者の取り決めは絶対であるという事よ。時にアンナマリちゃん、この小奇麗な街で人死にはどのくらいだったの?」

「500人弱であります」

「ならば残り9500人くらいはオモチャに出来るという寸法。僥倖僥倖。鬼の肉弾戦をぶちかまして小一時間くらいか。兄者ー! そのくらいは別にいいであろう!?」

 等と喚き、ルスケスは耳をそばだてた。しかし返事は無い。肩を竦める。

「ノーリアクション。随分と混乱気味の御様子。また懐かしいところに行かれた事よなあ、兄者は。ならば仕方あるまい。兄者の御為、時間を稼いで再降臨の支援としゃれ込むぜ。我ら一党、人間どもの中心域を…なあアンナマリちゃん、中心とはどの辺りなんだい?」

「ユニオン・スクエアという中心部の公園があります」

「じゃ、そこを目指す。徒歩で。ゆっくり歩いて、歯向かう者もそうでない者も片っ端から殺す。殺しちゃう。で、アンナマリとクラリモンドは遊撃戦だ。のんびり歩く俺の周りで自由にやるが良い。どうせハンターだのノブレムだのがやって来るから、上手く立ち回ってそいつらも殺してしまえ。特にアンナマリは、あのクッソむかつくド畜生を抑え込め。あいつは超うぜえ」

「心得ました。此度こそは必ず」

 暗い笑みを浮かべて返答するアンナマリを満足そうに見遣り、次にルスケスはクラリモンドに目線を合わせた。

「クラリモンドは幾らでも戦って良いが、汝は普通に死ぬる身空よ。であるから、勝手に死ぬ事を許さぬ。おめえだけはヤバくなったら逃げても構わん」

「いえ、逃げはしません。我が命に代えてもお供を」

 と、皆まで言わせず、クラリモンドの首がルスケスに掴まれる。そのまま引っ張り上げられて驚くクラリモンドの目を睨み、ルスケスが声を低めて恫喝する。

「歳とって耳が遠くなったのかよ? ヤバくなったら逃げろと言っておろうが。口ごたえをすんじゃねえぞコラ」

 掌を開いて拘束を外し、咳き込むクラリモンドを見下ろしつつ、ルスケスは頭を掻き毟って続けた。

「クソ。クソが。どうもおかしな感じであるぜ。クソが」

 ブツブツと呟くルスケスの後姿を見、続けてクラリモンドはアンナマリと顔を見合わせた。アンナマリは眉間に皺を寄せており、恐らく自分も同じ顔をしているのだろうとクラリモンドは思った。先の一戦以降、ルスケスの様子があまりにも奇妙である。以前であれば間違いなく、「死ぬな、逃げろ」等とは言わなかった。敵味方の死の尽くを心底面白がるのが、ルスケスという怪物の性根であったはずだ。

「で、如何なされます」

 気を取り直し、アンナマリが進言する。

「これより侵攻を開始致しますか? 連中は戦後の混乱状況から立ち直っておりません。今ならば突き破るも容易いでしょう」

「んー。そうさなあ」

 ルスケスは首を回し、アンナマリ達から視線を外した。明後日の方角を見ながら、片手を挙げる。つまり否だ。

「一旦アウター何とかへ戻る。おめえら、先に戻れ」

「何と?」

「くどい。戻れ」

 続けざまの言葉を呑み込み、アンナマリはその場から消えた。同時にクラリモンドも身を退く。この場に1人となったルスケスは、彼女らの気配が完全に失せた事を確認すると、固定した視線の方角に向かい、踵で地面を蹴った。

 直後、数十mほど離れた位置に降着。ルスケスは道路に停められた1台の車の傍に立った。そして車体に足の爪先を引っ掛け、ひょいと無造作に持ち上げる。

 車体の下には腹這いの格好の生存者がまだ隠れていた。若い妊婦だった。蹴り上げられた車が一回転して路面に叩き付けられ、その派手な音に女が大きく体を震わせる。今や完全に姿を晒してしまった女は、もうどうしようもないという顔を少しずつ上げ、それでも怯えきった声でルスケスに哀願した。

「どうか、どうか、どうか…」

「どうか? どうかとは何か。おめえは俺に何を期待しておるのだ。腹の肥えた雌ガキが。まあいいや。行けい。私の気が変わらぬ内に行けい」

 ルスケスは女の襟首を掴み、立たせてやると指を中心街へ、つまり人間の領域へと向けた。女の恐怖は頂点に達していたが、それでも生存本能に従い、ふらつく足取りながらその場を離れて行く。

 女の後姿を見遣り、ルスケスも背を向けた。また頭を掻き毟る。

「何だこりゃ。何なのだ、これは」

 

ハンター・サイド

 本来であれば封鎖域外であったプレシディオにおける惨劇について、ハンター達は後からその実態を知る事となった。たった一人の生き残りが市警察に駆け込んで、事の全容が明らかになるという後手の回りだったのだ。

 先頃の戦いは確かに勝ちの結果で凌いだものの、人間の側も無傷という訳にはいかない。都合、次のアクションを起こすのが遅れたのは致し方なかった。加えて、壊滅と言って差し支えない状態のルスケス一党が、即座に反転攻勢に出るなどとは完全に想定外である。

 加えて、彼らの殺戮は途轍もなく素早かった。五百余人を死に至らしめるに要した時間は、生き残りの証言通りであれば、5分少々。ルスケスがどういう代物かを承知していれば、然程不思議ではない出来事である。

 

 怒りに燃えたフレッドが獣の咆哮を絞り出し、椅子を派手に蹴り上げた。このままではジェイズの店内を破壊しかねない勢いであったので、ディートハルトがやんわりと、しかし徐々に力を込めてフレッドの肩を掴む。ディートハルトの憤りも大概であったが、彼は努めて冷静に言った。

「まあ落ち着いて下さいよ。今は。今だけで結構ですので」

「野郎、殺す! ブッ殺してやる! 八つ裂きにしてやらぁ!」

「ええ、ええ。粉微塵にしてくれますよ。全く、血の雨降らしてやりますよ。下衆共めが」

 プレシディオの壊滅を受け、必死に怒気を宥める異形2人の傍らで、他のハンター達が沈鬱の表情で苦い酒を交わしている。ジンの3杯目を砂原に注いでやり、風間は額を押さえて言った。

「完全に虚を突かれたな」

「応対出来ないよ、あれでは。市民達が非常線をはみ出した事も、あんな素早さでルスケス共が反撃してきたってのも」

「俺達もあれだけの攻勢を受けた後だからな。この悔しさは腹に溜め込んで、次の戦で吐き出してやる。しかし、2つほどあからさまに妙だな」

「たった一人とはいえ、人間を見逃した点かい?」

 ウィスキーを舐めながら黙っていたドグが、不意の呟きで話に割り込んだ。

「確かに妙だ。それもアウター・サンセットでやりあった時からな。奴ぁ悪意を持った自然災害だったはずだろ。自然災害は赤ん坊だって見逃しゃしねえ。なのに奴は、聞いた話だがヴラドとエルヴィ嬢にとどめを刺す前に間を置いた。子飼いの『恋人』とやらの敗北に錯乱した。そして妊婦に情けをかけた。どういうんだ?」

「精神的、というより、存在そのものに何らかの変容が発生しておるのでしょう」

 ようやく落ち着いたフレッドを伴い、ディートハルトも会話に参加する。

「問題は、その変容が一体どの段階から始まったと見るべきかですね」

「新租の誕生を受けてからでは? 奴にでかいインパクトを与える事象と言えば、それくらいだと思うが」

 砂原の言に、ディートハルトが首を傾げる。

「それはどうですかね。ドグ、我々の中では貴方が一番ここ最近のルスケスを見ていますが、どう思います?」

「いや。変わったと感じるのは、ごく最近だ」

「奴が変わろうが情を持とうが、そんな事はどうでもいい。殺すだけよ。今まで奴がやってきた生臭え所業は不変だからな。存在そのものが万死に値する。絶対この世に居ちゃならねえ手合いよ」

「…その点についての考察は、ノブレムに任せた方が良さそうだな。彼らの立ち位置の方が解に近い。それにフレッド、気をつけろ。真の意味でルスケスを殺せるのはノブレムなんだ」

「分かっているよ、風間。俺らの役回りが、ルスケスを限界まで追い込む事だってのは。それよりさっき言っていた2つの妙な点だが、もう一つは何だ?」

「ああ、それなんだが」

 風間はグラスを置き、背を丸めて一人一人の顔を覗き込んだ。

「幸運な妊婦の話じゃ、人間の領域の中心部を目指すと奴は言った。ユニオン・スクエアだ。目的は撹乱。サマエルの為に時間を稼ぐ」

「殊勝な心がけだなあ。手下の鑑だ」

「それが妙なんだよ。これまで手を変え品を変えて連中が仕掛けてきた、その最大目標は何だ?」

「…そうか、新租抹殺ですな」

「それを放棄するとは思えねえな」

「まさか、ブラフかよ」

「そう見た方がいい。絶対に奴は、やると決めた事を覆さない。ルスケスの侵攻に対して防御を敷かせ、当の奴は必ず蹴たぐりをかましてくる。狙いは新租だ。新租さえどうにかすれば、当面ルスケスを倒せるのは余程の大物しか居ない」

「ならば妊婦を逃がしたのは、わざとという事になりますな?」

 なるほど、言い得て妙である。しかしながら、それもやはり違和感を覚える話だった。切り出した風間も、実はそう思っている。理論立てて推測を進めてはみたものの、肝心のルスケスは存在自体が非論理的な代物だ。わざわざ妊婦1人に情報をリークさせるような、遠まわしの手法を用いてくるだろうか?

 そしてその疑問は、頭の中に飛び込んできた下劣極まりない喚き声にかき消された。

『良い子のみんな、元気かな!? 今度はユニオン・スクエアで俺様と握手だ! その直後に即死の嵐だぜッ! クソ共がッ!』

 件の如く、サンフランシスコ全域への宣戦布告である。反射的に一同は耳を塞いだものの、けたたましい哄笑が頭の中を引っ掻き回してくるのは防げない。

 しかしこれで状況は確定した。ルスケスは対抗する者達を一定のルートに集中させる腹積もりである。今のがブラフだ。

 そして例の妊婦は、本当にただ逃がしただけだったのだ。ルスケス自身に発生した変容は、間違いなく本物らしい。

 

ヴァンパイヤ・サイド

「…死ね」

 エルヴィは形の良い眉をひそめ、たった今脳裏に発生した騒音の主に向けて短く悪態をついた。

 当然ながらルスケスの布告はノブレム一党の頭の中にも飛び込んできた訳だ。ヴラドは何とも言い難い面持ちとなったが、それでも首を振って話を切り出した。これからの事だ。

「諸君、決戦だ。いよいよ次で全てが終る。奴か、或いは新租の血統の何れかが滅するという結末をもって、伝説の幕が閉じる」

「伝説ですか」

 ロティエルが肩を竦める。

「我々も伝説上の登場人物になるのですな」

「そうだ。吸血鬼という種の存亡を賭けた戦いの中の、諸君らは中核的存在だ。伝説という表現以外に見当たる言葉が無い。その厳しさ、凄まじさは敢えて言うまでもないが、我々の為すべきは唯一つ。新租ジュヌヴィエーヴを守り、真租ルスケスにとどめを刺す」

「ルスケスの狙いは、何処までもジューヌという訳だね」

 ダニエルがため息交じりに呟いた。

「あいつは無為の殺戮を楽しむけれど、その楽しみもジューヌが居ては達成出来ない。ユニオン・スクエアに攻め込むというのは、凡そ嘘なんだね?」

「一直線に向かう素振りは見せようが、新租を匿う位置を特定次第、一挙に行動を起こす。分かりきった事だ」

「この街で最大の防御力を有するのは、やはりジェイズ・ゲストハウス、その4Fという事になるのだろうが」

 マリーアがヴラドに問う。

「4Fの古い神々は私達の新祖を匿わない、というスタンスだ。であるなら、どうやって守る?」

 言って、幾度も仕える者共を撃退した屋敷、その居間の天井を見上げてマリーアは嘆息をついた。

「多分、ここはもう無理なんだろうな」

「2度に渡って戦った末の結論だが、奴は大破壊をもたらす異能を行使しないのではなく、出来ない。サマエルに制約を掛けられているのだろう」

「制約など、あのルスケスならば無視するのでは?」

「それは無い。天使というのは序列を重んじるものだ。成れの果てたるルスケスもそうであるし、翻って吸血鬼も、古くからの者であれば上下関係に気を配る」

 そう言われてマリーアは、レノーラとジュヌヴィエーヴの関係が新租覚醒以後でいきなり逆転した事を思い出した。ジューヌに傅く自分をさも当然という風に受け入れるレノーラに仲間達は面食らったものだが、つまり彼女は自分達とは異なる伝統的な吸血鬼なのだ。

「では、一から十までルスケスの戦い方は肉弾戦であると?」

「その通り、と断言する。だから守備に徹する場合、攻め手のルスケスの持てる手段に限りがある、というのは有利に繋がると期待しても良い。注意せねばならんのは、ルスケスの桁が外れているという事だ。そのうえ奴は、遂に自らの真の姿を見せなかった」

「…次席殿、率直にお聞きします」

 腕組み、考え込む風だったレノーラがヴラドに問う。

「どうすれば勝てるのですか。あのルスケスに」

「既に我々はルスケスを抹殺する素養を備えている。であるので、勝つ事は出来る。しかしどうやってと問われれば解は無い。それでも幾たびもの戦を経て生き残ったのが諸君だ。今の諸君は吸血鬼として屈指の存在である。そしてノブレムという集団が人間との連携を選択したにも意味はある。手を貸すハンター達を全面的に迎え入れよ。彼らの戦闘能力と創意工夫を受け入れよ。さすれば、勝ちの目が見えよう。加えて言うなら、奴に起こりつつある変容を、何らかの有利に転じられる可能性はある」

「変容…」

 ルスケスの精神性に何らかの変化が発生したという情報は、当然ながらノブレムの側にももたらされている。先のアウター・サンセット戦でも、ルスケスが奇妙な情動を示す様をヴラドやエルヴィ、ロティエルといった面々が目の当たりにしていた。一言で述べれば、人間性の発露というところだ。

「悪い冗談ですよ」

 エルヴィが牙を軋らせながら呟いた。

「今更人間性を見せるなどと。正気をなくした殺戮王の分際で。そのような事で、罪の重さが軽くなりはしませんわ」

「左様。奴の心に如何様な変化があったとて、迎える末路は無惨とせねばならぬ。しかしながら着眼点は、その心の変容とやらだ。凡そ動揺なるものを知らぬルスケスだが、これにて虚を突く機会が見えた。それを考察するにあたり、何ゆえ奴がかような有様になったか、その理由だが」

「其処からは私が話しましょう」

 静かに着座していた新租ジュヌヴィエーヴが、片手を挙げてヴラドを抑え、彼の話を引き継いだ。

「きっかけは『真租の恋人』の出現です」

「あの、アンナマリとかいう奴ですか?」

「そうです。『恋人』といいますのは、はっきり申せば祖の護身を担う完璧な下僕の事です。祖の支配下にあって不完全ながら不死を得、その代償として『恋人』には存在の変質が発生します」

「…君の『恋人』の性格が、少々変わり始めている事に関係あるのかい」

「関係、と申しますか、正しくそれです。私とルスケスの魂は、元は同一のものでした。ただ、こうしてそれぞれが独立した存在となったからには、一方を排除して自分が単独の者になりたい」

「かつて天使であった頃のように?」

「ルスケスは情を捨ててルスケスになりました。私は彼が捨てた情そのもの。紆余曲折を経て2つが並び立ち、我こそが正統と宣言する。『恋人』とは、無くした片割れを取り戻したいと欲する本能が現出した代物なのです。ルスケスの恋人は、恐らく情念のかたまり。そして私の『恋人』は冷酷且つ無慈悲。『恋人』がルスケスと私から大きく影響を受けているように、逆もまた然りなのです。恐らくルスケスは今の『恋人』に依存しております。かような様になったというのも、むべなるかなという事です。ルスケスの精神に決定的な打撃を与えられるとすれば、それは『新租の恋人』の抹殺となりましょう」

 一同は我が耳を疑った。『恋人』と称する不完全不死者が死に至る唯一の手段は、『祖』の滅亡以外に無いという事だったはずだ。首を傾げ、エルヴィが新租に言う。

「ジューヌ、それは不可能のはずでは。抹殺と言っても、一体どうやって」

「どうすればいいのか私にも分かりません。ヴラド、お前にも分からぬのでしょう。『恋人』という罠をルスケスに張ったお前ですら」

 新租は強い憎悪を孕む目でもってヴラドを睨んだ。先程は躊躇だったが、此度の一同はどよめき、驚愕した。対してヴラドは、ただ静かに頷くのみである。

「新租の側に『恋人』が出現する可能性が高い事は、遥か昔から予測していた。翻ってルスケスの側には有り得ぬとも。そして実際に『恋人』が出現すれば、ルスケスがどうするかは手に取るように分かっていた。あれは敵の『恋人』を面倒に思い、翻って自分に『恋人』が居たならば便利な手駒になるだろう、と。結果、新租を模倣して自らも『恋人』を得、それが彼奴の弱点となる。確かに私は、そのようになる事を予め承知していた。しかし『恋人』同士が戦い合い、その動向にルスケスが気取られる事は想定していても、『恋人』を抹殺する手段など、祖を仕留める以外には」

「いいえ、あります。何故なら、あの人がそう思っているからです。私を生かしたまま自分だけが死に至る抜け道は、必ずあると。そして彼のそのような心が、私には見えるようになってしまった。私はただ、あの人を愛していたかっただけなのに。ヴラド、私はお前を恨みます」

 

 ここはまた別の一室である。鞍替えを果たしたシーザが、カスミと共にひっそりと逗留している部屋だ。

 彼女は既に戦う事を選択したゆえ、この場で大人しく膝を抱えるつもりは無かった。しかしながら戦闘能力という点での心許なさは否めない。よって彼女はルスケスとの戦を遂行するにあたり、自らが最も効率的に動ける手段を模索すべく、エドアルトとリヒャルトを招いた。

「最大戦力をルスケスにぶつけるのは当然として、残る2人の女帝級が厄介です。で、私からの提案ですが、私はクラリモンドって奴に集中しようと思います」

 机上に広げた街の詳細な地図を前に、シーザは淡々と自身の希望する役回りを述べた。

「いや、でもさシーザ、クラリモンドだって破格に強いッスよ?」

「ええ、強いでしょうね。間違いなく圧倒的に私の方が弱いんですよ。だからエド、大変申し訳ないのだけど、私を手伝ってくれません?」

 シーザはカスミに苦笑交じりの顔を見せ、次いでエドアルトを真摯な眼差しで見詰めた。エドが簡素に答える。

「分かった。いいよ」

「いいんだ。って、お前らちょっと待って下さいよ。帝級って奴らを見くびり過ぎちゃいませんか!?」

 半ば悲鳴のカスミに対し、エドとシーザが妙に達観した表情で応じる。

「連中の恐ろしさは心底知っているよ。俺達は元仕える者だから。シーザと協力したところで、手が届くとは思えないね。しかしルスケスに総がかりで仕掛ける仲間達に、外からちょっかいをかけさせる訳にはいかない。倒せなくとも、時間を稼ぐくらいは出来るかもだ」

「カスミ、これは私なりの打算なのですよ。例えばルスケスと直接対決するとしたら、私、何か真っ先に面白い死に方をさせられそうじゃないですか。だから援護って役回りも、結構美味しいと思ったの。次いで言えば、対ルスケス戦には人間も参加するはずです。私は彼らの仲間を、少々殺し過ぎました。私を知ってる人が居たら、ただじゃ済まさないでしょう」

「死にますよ、あんた」

「死ぬのは怖いです。でも、無意味に死ぬのが一番怖い。同じ死ぬなら『やった!』と言って死にたい。勿論生存する事を諦めはしないけど、まあそんな感じですよ」

「…リヒャルトのとっつぁん、先刻から黙ってますけど、何か言ってもらえませんですかね?」

 頭を掻き毟りつつ、シーザは取り憑かれたように地図を凝視するリヒャルトを、胡散臭そうに見遣った。気が付いたリヒャルトが顔を上げて言ったものだ。

「はい?」

「聞いてなかったんスか」

「いや、聞いていたよ。つまり私にはもう1人、アンチ・エイジングの申し子、アンナマリの相手をして欲しいって事だろう?」

「聞いているようで聞いてないじゃありませんか」

 そうは言っても、それは規定路線に近い展開だと、シーザだけではなく他の2人も考えていた。敵は存在自体が反則技とも言うべき不完全不死者を飼っている。ノブレムの中で対抗出来るのは、この妖怪くらいのものだ。努めて楽観的にリヒャルトは言った。

「ま、死ぬ事はないさ。死なせはしないよ。危険度で言えば、ルスケスとぶつかる方が大層なはずだ。そんな彼らを脇から支える。女帝級2人の介入を阻止する事で。脇から支える役回りだから脇役って言うんだね。いいじゃないか脇役。結構いいもんだぞう。でも、脇で静かに息を引き取るなんて寂しいじゃないか。明るく行こうぜ野郎共。さあ、肩でも組もうゼ」

「何で?」

 と、皆まで言わせず、リヒャルトはエド、シーザ、そしてカスミを招き入れ、何となく4人一列で肩を組んだ。肩を組んで何をするでもない。ただぼんやりと天井を見上げるだけという収まりのつかなさである。

「これ、楽しいよ。楽しいよこれ」

「然程でもないです」

 どうも突っ込み役は性に合わないと自覚しつつ、カスミは小さくため息をついた。

 女帝級2人を排除する方向で動こうとする集まりの中で、さて自分は何を果たさんとするのか、と。

 

ようこそパーガトリーへ

 かつてのルスケス一党の本拠地である古城の地下、真下界の状景は、一点を除いて相変わらずだった。

 その一点とは一時消滅と相成った石柱の跡地だ。其処にはマティアスの勘働きが言うところの『入り口』が、空間を歪めつつ今も居座っている。

 石柱消滅の殊勲を挙げたマティアスと梁が次に取った行動は、ジョーンズ博士を伴い、その入り口を調査する事だった。ハンター・サイドとしては、息を吸って吐くかの如く当然の仕事である。

 とは言え、幾ら上下左右から眺めまわしたところで、何が分かる訳でもない。そもそも領域自体が想像を絶する有様である。其処に出現した歪曲空間が、一体何を意味する代物なのか。観察した程度で類推するなど出来はしまい。其処でジョーンズ博士は言った。

『マティアス君が反射的に「入り口」と感じたのは、実に的を射た洞察だと思うのだ』

 聞いたマティアスと梁は、真下界の澱んだ空を思わず見上げた。ああ、分かってますよ、入るんですよね、と。見て分からないものは、行動を起こして確認するしかない。それは重々承知している。だから博士の躊躇無い言い方に、2人は賭けに出る腹を括った。

 

 トンネルを抜けると、其処は○○だった。

 物語のプロットとしては定番だが、案の定『入り口』を抜けたその先には、彼らが金輪際見た事の無い光景が広がっていた訳だ。

 其処は真下界とも全く異なる世界である。少々まばらで、然程動き回るにも苦労の無さそうな雑木林の只中に彼らは居る。形だけを刈り取れば現実と大した違いも無い、至極ありきたりな眺めであった。

 しかし、この世界の色彩は非常に薄い。まるで白黒のフィルムに、多少光彩の滲みが浮き出ているだけのようだった。やはりこの世界は、決定的に非現実的な場所なのだ。更に言えば、とても静かだった。ここは林だが、人間世界の林はここまで無音ではない。

「何処ですか、ここは」

『煉獄』

 間髪入れずに返ってきた答えに驚き、マティアス達が振り返る。其処には『入り口』と同じような『出口』があり、その隣の少し奥まった位置に、何とも形容のし難い人影が立っていた。一応は人の形であるものの、体と周囲の景色との境界線が曖昧な、例えれば亡霊のような立ち姿である。確信は持てないが、声色から察するに女であるらしい。

 女は指で『出口』を指し示し、極度に感情を排する調子で言った。

『帰りなさい。ここは君達のような者が来るべき場所ではない…おや?』

 女が不意に、躊躇とも感嘆ともとれるような声を発し、するすると近付いて博士の前に立った。

『あの方の記憶が、少し混じっていますね?』

「あの方とは、あの方の事かね。『あの男』とは言わないのだな?」

『その呼び方は、あの方に対して余りにも無礼です』

「正しい感性だと思うよ。しかし私がジーザスの記憶持ちである事を一目で見破った君は、つまり天使の血統という訳だね」

『血統、と言うよりも、本来は天使の者です。今は見るべくも無い有様ですが。尤も性別が存在しますゆえ、天使としては下々の格という事です』

「なるほど、天使戦争の生き残りという事か。私はヘンリー・ジョーンズ」

「マティアス・アスピと申します」

「梁明珍ヨ。差し支えなければ、お名前を教えて欲しいネ」

『名乗りを戴いたうえで申し訳ないが、私にも恥じ入る心がありますので、それはご容赦願いたい。ゲートキーパーと呼んで戴いて結構』

 ゲートキーパーは博士の存在に免じて、退去への強硬姿勢を取り敢えず緩めた。

 博士の言う通り、彼女は天使戦争の敗残兵だった。それもサマエル側である。

 ゲートキーパーは、この場所の事を煉獄と言った。其処は天国と地獄の狭間にある場所だ。カソリックの教義においては、天国行きを約束されながらも不完全な信心をもつ人間の魂が、最後の試練を迎える場所、という事になっている。そして実際のところは、案の定違っていた。ここは人間世界の闘争意欲を、更に凶暴にして拡散させたような世界である。

 煉獄では戦いこそが日常だった。昼夜の概念が無く、皆眠る事無く戦いに明け暮れている。眠りはせずとも飢餓は容赦なく存在し、しかしこんなところであるから食物は存在しない。ならばどうすれば生き延びられるのか。

『戦って殺して相手を食うのです』

「食うてしまうアルか。それは食欲をそそらん話アルな」

『魂を我が物とする、という言い方が適切かもしれません。君達が言っていたルスケスですが、仰る通り煉獄の王でした。そもそもルスケスというのは、元来のこの地に居た種族の事です。かつて同胞だったあ奴は、飢えに任せて彼らを一人残らず喰らい尽くしてしまいました。その折に、彼らの持つ力と凶暴性まで我が物とし、結果見下げ果てた性根の者になったという次第。しかしそれから後、あ奴はここから出て行きました』

 言って、ゲートキーパーは『出口』を指差した。

『これは煉獄と異界を結ぶゲートです。これほどの代物を作り出す事は、あのルスケスでも出来はしません。その途方もない方の手引きによって、あ奴は煉獄からいきなり居なくなってしまいました。そしてゲートだけが、ずっと残り続けているのです。しかし、ここの存在を知った煉獄の住人が異界へと抜け出すのは危険です。私はゲートに陣取り、その出入りを監視する役回りを自らに課しました。それが御父上に反逆という立場を取ってしまった事への、私なりの懺悔なのです』

「出入りと仰いましたが、かつて私達以外にゲートから入ってくる者もいた、という訳ですか」

『いました。自分の世界と煉獄を繋ぐ術式を知った者が少数ながら。尤も、大半はお帰り戴いております。少し前であれば、相当に神経質な物の語り手を自称する者が到達していました。ラヴクラフトという名です。ご存知ですか?』

「…ああ、ラヴクラフト。有り得る話だなあ。しかし大半は、ですか。大半という事は、帰らなかった者も居る訳ですね」

『居ます。それも先刻の事です。私の力では到底及びもつかない御方が。かつての私の御主、サマエル様です。戦の最中ではサタンと称されていましたが』

 3人は息を呑み、顔を見合わせた。

 現在ツイン・ピークスで器のみが存在しているサマエルは、その魂を何処かへと避難させているとの事だった。それがこの煉獄であった、という訳だ。ゲートキーパーは当惑の気配も露に言った。

『サマエル様はひどくお疲れあそばし、狼狽もなされていました。そして力を蓄えねばならぬと仰っておられました』

「力を蓄えるだと?」

『殺して相手を食うのです。この一帯に居た煉獄の住人達は、私を除いて尽くサマエル様に食い尽くされました』

「どうりで異様に静かな訳だ。然るに君が栄養補給の対象から除かれたのは何故かね?」

『昔のよしみ、というところでしょう。加えて後からの侵入者を排除するという役目を期待されたからです』

 一瞬、一同の血の気が失せた。しかしゲートキーパーは、彼らに対して敵対的な意識を向けてはこなかった。あくまで想像の範囲だが、ある種の仲間意識を持ってくれているようにも見える。あのサマエルをどうにかせねばならないと、その一点で共通認識を持っているからかもしれない。ゲートキーパーは彼らの意図を汲んだように言った。

『案内しましょう。恐らく今なら大丈夫です。サマエル様は今、休んでおられます』

「戦って食って疲れて寝た訳アルな?」

『そうです』

 

 ゲートキーパーに引き連れられて向かった先は、時間的には歩いて30分というところだった。行けども行けども似たような景色が続く中で、突如として視界が開ける。其処にサマエルが居た。

 木々が外向きに薙ぎ倒され、クレーター状と化した地面の中心で、サマエルは仰向けに身を横たえている。その姿は奇怪なものだった。左腕が肩口から消失しているものの、形状だけで言えば四肢と頭を持つ人間のような姿ではあった。しかし無毛、剛毛、甲羅、又は鱗などが、体の至る箇所を無秩序に埋め尽くし、果てにサマエルの顔には目鼻口耳が存在していない。一見の印象を言えば、躊躇無く化け物と断じる事が出来た。

『煉獄の住人を無差別に食されましたので、あのような姿になられた次第です。ここに飛び込まれた時点では、もっと曖昧な形でありました』

「そう言う君も随分と曖昧な姿かたちだが、どうした事かね?」

『他の存在を食う事をやめたからでしょう。私は色々と疲れました。ただ、食う事をやめて存在が希薄となった今も、ゲートの突破を狙う者達との戦いを継続出来ます。もしかしたら御父上からの力添えを戴いているのかもしれません。そうであれば、このうえなくありがたい事です』

 ゲートキーパーはため息らしきものをつき、一行の前に進み出た。

『で、どうなさるのです。戦うのですか。あのサマエル様と』

「私達がサマエルとどういう関係にあるのか、理解されている訳ですね」

『君達が何を志向する者なのかは察しているつもりです。これでも天使の端くれですゆえ』

「アナタ、あのノッペラボウさんに、元は仕えていた人アル。ワタシらを敵視しないアルか?」

『あの方は変わられました。今や、私が心から尊敬申し上げていたサマエル様ではありません。あの様を見れば確信も致します。サマエル様は魂の相当の部分を欠損なされておられますが、それを遂げた者が君達の中に居るのですか?』

「…いや、もう私達の世界には居ない。あの恐るべき存在は、何処かへと消えてしまったよ」

『ならば忠告致します。君達は勝つ事が出来ません』

 その直後、一行はゲート近辺に逆戻りしていた。ゲートキーパーの所行である。彼女は初めて会った時と寸分違わぬ仕草でゲートを指し示した。

『帰りなさい。むざと殺される事はありません』

「奴を放置するとどうなる」

『君達が死にません。取り敢えずは』

「その後、万の単位で人死にが出るだろう。そして奴の王国が一つの街から誕生する。その王国ではあらゆる命が奴の統制下に敷かれ、生きる事と死ぬ事を制御されるのだ。捨て置く事は出来ない。そして今、私達は千載一遇の機会を前にしている。違うか」

 博士に言われて、ゲートキーパーは腕を組んだ。彼女とて、この状況を放置して良いとは思っていないのだ。しばらくの思案の後、彼女は腕を解いて皆に言った。

『一つの方策を提案します。私の命を賭して、このゲートを消滅させます』

「消滅? つまり、サマエルを煉獄に閉じ込めるのですか。それに貴女は、死ぬと仰る」

『魂の使い所と判断しました。これぞ御父上の思し召しかもしれません。しかしゲートの消滅には時間を要します』

「どのくらいアル?」

『君達の感覚で言えば、1時間弱です』

「思ったより短いアルな」

『しかし確実にサマエル様は、ゲート消滅の実行に気付かれます。私の魂が飽和した時点で確実に。直後にゲートは消滅しますが、その一瞬さえあればサマエル様には充分です。一息にゲートに到達し、消滅前には突破を果たされます。ですから私がゲート消滅に取り掛かる間、少なくともサマエル様の行動を遅らせるくらいに、徹底的に弱らせる必要があります。私には、それを一体どうやって行なうのか、想像する事も出来ませんが』

 おもむろにゲートキーパーは地面から椎の実を一つ拾い上げ、爪先で何かを書き込んだ。

『次にここに来られた時、これをお渡ししましょう。持ち主が望むか、或いはゲートが消滅する直前で強制的に、ゲートを抜けて元居た世界に戻る事が出来ます。もしもサマエル様と戦って、通じぬと知った時。ないしは奇蹟的に追い込んで、これまでと思われた時。或いは1時間の制限を迎えて志半ばに。どのような形であれ、ゲートから帰還する事は出来るでしょう。しかし決して肌身離さぬように。そして、死んでしまわぬように』

 

「大変ですね、これは」

「大変アル」

「いや全く、大変な事だな」

 一先ず煉獄から真下界へと戻り、3人は揃って膝を折りかけた。

 この真下界も大概の景色だが、煉獄に比べれば色合いはある。それに度を越えた緊迫感というものも無い。棺桶が平面を埋め尽くす狂った状景に安堵するとは、正しく笑い話だった。

 取りも直さず煉獄行きで分かった事は、サマエルの魂の在り処が其処であった、という事だ。元天使のゲートキーパーという、中々に協力的な存在が居る事も分かった。そしてその先をどうするか、である。

「ゲートの消滅ですか。実にありがたい話ですが、対処療法という気もしますね」

 マティアスの指摘は、博士や梁も思うところである。

 確かにゲートが消滅すれば、サマエルは煉獄にしばらくの間封じられる事となるだろう。しかし問題は、かつてゲートを作った張本人が、間違いなくサマエルであるという事だ。

「つまり時間をかければ、サマエルはまたゲートを作ります。1000年、100年、或いは存外の短期間か」

「ゲートキーパーの自己犠牲頼りというのも、何かこう、もどかしい感じがするアル」

「同感だな。当座の危機を凌ぐ最後の手段と考えた方がいいだろう。そうなると、やはりあれが決定打になりそうだ」

「ロンギヌスの槍ですか」

「…『虚無の神』無き今、あのサマエルと真っ向から対峙出来る代物と言えば、確かにそれが一等に挙げられるネ」

「問題は、ロンギヌスの槍の使いどころだろうな。あの槍を必要とする局面は、これから同時多発的に起こってくる。対して槍は一本だけだ」

 博士は後ろ手を組んで、スタスタと先を歩き始めた。しばらくして、ひょいと振り返ったその顔に、然程悲壮感は浮かんでいない。

「槍を託された者の意思を尊重しよう。どのような形になるにせよ、私は悪い結果になるとは思わんね」

「ポジティブだなあ」

「それが人間のいいとこなんだよ」

 博士は普段通りの、もしかしたらという期待を持たせる笑みを浮かべた。

 

 

VH3-7:終>

 

 

○登場PC

H5-7:真下界篇

・マティアス・アスピ : ガーディアン

 PL名 : 時宮礼様

・梁明珍 : マフィア(庸所属)

 PL名 : ともまつ様

 

VH1-7:血の舞踏会篇

・カスミ・鬼島 : 戦士

 PL名 : わんわん2号様

・風間黒烏 : スカウター

 PL名 : けいすけ様

・砂原衛力 : スカウター

 PL名 : M原様

・ダニエル : 月給取り

 

・ディートハルト・ロットナー : ポイントゲッター

 PL名 : みゅー様

・フレッド・カーソン : ポイントゲッター

 PL名 : 白都様

・マリーア・リヴァレイ : 月給取り

 PL名 : 蒼夏様

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

 

VH2-7:アウターサンセット篇

・エルヴィ・フォン・アスピヴァーラ : 戦士

 PL名 : 朔月様

・ドグ・メイヤー : ポイントゲッター

 PL名 : イトシン様

・ロティエル・ジェヴァンニ : 戦士

 PL名 : Yokoyama様

 

 

<戻る>

 

 

 

 

 

ルシファ・ライジング VH3-7【メタモルフォーゼ】