血の継承実験

 それは実に奇妙な絵面であった。

 かの古城へと侵攻する我等に対し、吸血鬼の側はドイツ製のカノン砲を並べ立てて迎撃を開始したのだ。本来その重火器は、攻め寄せる吸血鬼を押し留める為、決死の思いでアーマド側が使っていたものである。今や吸血鬼とアーマドの立場は逆転した。彼等にとって、我等こそが化け物なのだ。カノン砲の操作を命じられているのは、哀れな事に只の戦士階級なのだろう。生き残ったアーマドの数少ない兵達は、尽くそれらを殺し尽くす力を備えている。正面から進撃する小さな一団を、無駄と知りつつ砲撃する彼等の心境如何ばかりか。

 轟音と共に続々と着弾する榴弾をものともせず、吹き飛んでくる鉄片も構う事無く、アーマドの精鋭達は口笛を吹きながら隊列を守り続けていた。口笛の音色はとても明るく、まるで山野へ花を愛でに行くかのような風情がある。しかしながら、そのような人らしい感性の一切を喪失した彼等の奏でる音色は、デス・マーチとでも形容すべきものだった。

 先頭を行く貴人が、榴弾の直撃を振り抜いた腕で弾き飛ばす。方向性を直角に捻じ曲げられた榴弾が、僅かな間を置いて炸裂する。爆風と破片の乱舞が押し寄せても、口笛の音は途切れる事が無い。成る程、と思う。この口笛は、これから死に逝く彼等が最期に遺す、ささやかな人間性の発露であったのだ。だから止める訳にはいかない。これより後、まことの怪物になるまでは。

「今更、であるが」                                                                                                                        

 隣を歩く教授に言う。

「私は鬼だ」

「しかしここまで来られた。貴公の助力無くば、我等の望みは半ばで潰えていた。貴公はこのような結末を迎えると我等に全てを打ち明け、我等はそれを受け入れたのだ。何ら問題は無い。我等は斃れても、未来がある。貴公に託せると皆が理解しているから、我等は恐れる事無く戦える」

「…ありがとう、教授。我が友よ。この場で真祖は倒せぬと、承知のうえでありながら」

「しかし貴重な時間を稼ぐのだ。我等の人生よりも尊い貴重な時間を。貴人も、皆も、私も、腹は括った。暴れるよ、存分に」

「真祖は先の世で、必ず滅ぼす」

「残された吸血鬼と、未来の人間に全てを託そう」

 それが、教授と真っ当に交わした最後の会話である。

 誰よりも穏やかな性根の持ち主だった、しかし今や見るも無惨な異形と化した貴人が抜刀し、倣ってアーマドの戦士達が続々と得物を構えて行く。貴人が切っ先を吸血鬼の防衛線へ目掛けて振り下ろす。それを合図に、アーマドによる最初で最後の正面突撃が始まった。

 

 エルヴィ・フォン・アスピヴァーラが身を起こすと、隣に居たジュヌヴィエーヴは既に寝台に座り込み、顔を掌で覆って嗚咽を漏らしていた。彼女に寄り添い、エルヴィが肩を抱き寄せる。

 感受性の強いジューヌの心が、この夢を見せた者の情感を全て受け入れたのだと、エルヴィは理解した。エルヴィにしても、それは驚くべき感覚である。次席帝級であった反逆者、ヴラド公が、其処まで親密な心を人間達に寄せていたとは。

 しかしエルヴィは、悲壮な戦いが始まる手前でヴラドと教授が交わした会話の、一言一句を心に留めている。それは聞き逃せぬ話であった。折り良くカーラ・ベイカーがトレイにお茶を載せて部屋に入って来た。エルヴィが思うところを投げ掛ける。

「カーラ、私達は夢を見ましたわ。彼とアーマドの夢を。彼等は全員、真祖を倒せぬ事を承知していたのですね」

 お茶をテーブルに載せる手が止まる。カーラは悲しげな顔をエルヴィに向けた。

「そうだったの…。私も其処までは知らなかったわ。今の私の行動は反逆者によって企図されたものであるのは分かっていたけれど。あの御方の性分では、この先の展開を心に留め置く事が出来なかったのね」

「いよいよこの戦い、負けられぬものとなりましたわ。アーマドは吸血鬼にとって殺戮者でありながら、同時に吸血鬼を人間諸共救わんとする気概を持っていたと知りましたから。しかしカーラ、貴女は禁術を復活させ、ハンターにアーマドと同じ轍を踏ませようとしています。力に抗するには力が要ると、理屈では分かる話なのですが。率直に申しますと、カーラ、私達に勝ち目はあるのでしょうか?」

「私達は、勝つわ。その鍵を握るのは人間と、吸血鬼。そして彼女」

 言って、カーラは泣き腫らすジューヌを、ただただ見詰めた。

 

カーラ邸の日常

 前回の襲撃以降、敵対的吸血鬼集団・仕える者共は目立った動きを見せていない。

 ノブレムとハンターが防御を敷くこの邸宅で与り知らぬ事態が進行している事を、このまま見逃すほど彼等は暢気ではない。前回以上に守りは強固となり、ハンターと吸血鬼は誰1人気を抜いてはいなかった。恐らく。

 恐らくというのは他でもない。昼間にこの邸宅の前で記念撮影をする観光客が、妙に増え始めたのだ。確かにこの邸宅は、様々な人種と年齢層が出入りをする風変わりな場所であったものの、当然のように観光客の目当ては他にある。

 居るのだ。この家には。アレが。

 

「うあっ。居た居た。マジ居た」

「あはは、めっちゃ格好悪ー」

「本物のタイヤ使ってるし。普通ビニール製だし」

「塗装頑張んなよオジサーン。チョー受けるんですけど」

 等々日本語が通じないと思い込み、口々に言いたい放題言いながら、夏休み旅行と思しき日本人大学生の小集団が、カーラ邸をバックにデジカメをセットした。そしてカメラに収まるのは笑いを堪えるのに必死な日本人の面々と、妙なポーズを取るビバンダムである。書き損じではない。ビバンダムである。ミシュランタイヤのマスコットキャラクター。白いタイヤが積み重なった独特のデザイン。イベントに駆り出されるビバンダムは通常ビニール製なのだが、カーラ邸の彼は白く塗りたくった本物のタイヤを重ねて作られていた。正気の沙汰ではない。

『マリーナ地区の風光明媚なお屋敷に、ブッサイクなビバンダムの着ぐるみを着たパフォーマーが居るらしい』

 ほとんど都市伝説のように噂が流れてしまっていたのだが、現にマリーナ地区のカーラ邸には奴が居た。噂を目当てに物好きな者達が、冷やかしがてら見物に来るというのが、ここ最近の日常と化していた。

 手を振って去って行く大学生に手を振り返し、ビバンダムは重そうな体を右に左に揺らしつつ、邸宅の窓際に設えたベンチに「よいしょ」と座った。可哀想な事に、ベンチが軋んだ悲鳴を上げる。

「おい、ビバンダム」

 タイヤを蹴り上げ、男がどっかと隣に腰を下ろす。根が真面目なジェームズ・オコーナーとしては、苦虫を噛み潰した顔になるのも致し方ない。特に腹に据えかねるのは、ハンター達がぬるい視線をビバンダムと、勢い余って自分達にも向けてくる事だ。そしてとどめの一撃がやって来る。名を呼ばれたビバンダムは不思議そうに首(?)を傾げ、おずおずと自分を指差した。自分の事? と言わんばかりのジェスチャーに、ジェームズのイライラは沸点に達しかけた。ビバンダムが言う。

「失敬な。私には由緒正しい真なる名前が」

「うるせえぞビバンダム! お前は1回分丸々ビバンダムと呼ばれやがれ! このビバンダムが、口が裂けてもお前の本名なんか言わねえよ!」

「そう怒りなさんな、ジェームズ君。ほら。牛の血をあげよう。刻んだモロヘイヤをトッピングしてみました。これでも飲んで、機嫌直して」

 断る代わりに殺気を込めた目線をくれてやると、ビバンダムは慌てた調子で肩を竦め、牛の血の入ったグラスにストローを差した。そしてタイヤの隙間に吸い口を捩じ込み、ジュージューと音を立てて牛の血を吸い上げる。

「うん、飲めるな。ドロッとしていて中々オツだ。いや、本来であればゲボハアと吐き出すのがお約束なのだが、カスミ君謹製の魔法の粉を加えるとアラ不思議、意外と飲める代物になるのだよ。カスミめ、あの天才め。ボケ封じとはいい度胸ではないか。それにしても重宝する粉であるよ。ジェームズ君も一度試してみる事をお勧めしよう」

「また防衛戦が始まる」

 ビバンダムの戯言をきっぱりと無視し、ジェームズは言った。

「奴等は妙に手を抜いてやがる。徐々に圧力を加える方針らしいが、どうもその意図が分からねえ」

「それは多分、そういう決まり事になっているからではないかな?」

 意表を突いた真面目な答えに、ジェームズが目を丸くした。

「モロヘイヤが当たったのか?」

「モロヘイヤは体にいいんだぞう。それはさて置き、ハンター側からの情報で、興味深いものがあったのだ。ジルやエルジェがカスパールと繋がっているのは明白だが、彼等の交わした会話の内容が注目に値する。ジルとエルジェの出番を、カスパールが抑え込んでいるのさ。あの気位の高い連中が、悪魔ごときの指示に沿うのは面白い。と言うより、カスパールの御主の意向に沿うというのが正解かな。物凄く楽観的な物言いだが、彼等は僕らが全滅するまでは戦わない気がする」

「ならば、何故わざと生かす?」

「この先の大戦闘を演出する為ではないかな。嫌な想像であるがね」

「そんなものを演出して何になる」

「良く分からないが、パワーバランスを保ちたいという意思を私は感じるね。力が拮抗する状況を延々と続ける。拮抗状態とは、現状維持も意味する。この街を、このままの形で維持させる事こそが、御主とやらの真の狙いではないだろうか。ポテチン」

「何故ポテチン」

「ちょっとスマイルが欲しかったのでね」

 ジェームズはビバンダムの右頬にストレートを見舞い、それから腕を組んで考えた。

 現状維持という考え方は興味深いが、一方では否定したい自分も居る。カーラ邸を巡る争いは、自分達は元より、仕える者共に取っても命を賭けた戦場なのだ。もしも敵が総力を傾けるにせよ、敵の本当の力とは、即ちジルとエルジェが居る状態だ。彼等を投入しなければ、如何な異能使いの仕える者共と言えど、確実に死人が出るだろう。しかしハンターからの情報に拠れば、まだ帝級の出番は無いらしい。

 使い捨てにされたFの最期を思い出す。彼等は駒なのだ。そして自分達に対しても同じ認識なのだろう。決して負けてはならないと、ジェームズは固く誓った。

「勝つぜ、絶対に。迎撃してやる。ビバンダム、そんなお前でも頼りの戦力だ。気合を入れろよ」

「任せておきなさい。いざとなったら、背中のタイヤがぱかっと開いて、即応態勢もばっちりさ」

「このまま脱がないつもりか」

「うん」

「て言うか何故着ぐるみを」

「人間を直視しない為の配慮というのが3割くらいだ」

「後の7割は」

「趣味」

 ジェームズはビバンダムの顔面にローリングソバットを叩き込んだ。

 

 当然のように吹き飛ばされて地面に叩き付けられた拍子にタイヤが衝撃を吸収してバウンドし、「したっ」と元の姿勢に戻るという、実に面白い遊びをビバンダムは発見した。倒れてはバウンドして起き上がる行為を延々と繰り返すビバンダムは、窓越しでも視界に入ってくるのが鬱陶しい。ケイト・アサヒナはカーテンを閉め、改めて居間に集ったハンター、そしてカーラに向き合った。一つ離れた部屋には、吸血鬼達も待機している。

 こうして意思疎通を図る短い時間は、ハンターと吸血鬼の双方にとって貴重だった。カーラ邸の防衛という共通の目的を持って、それなりの時を共に過ごしているものの、両者の価値観の違いは歴然としている。思うところを率直に言い合わねば、信頼の醸成など出来はしない。殊に、ハンター側が禁術という対吸血鬼戦能力を開花させ始めた今となっては

「勿体ぶった話は苦手だから、単刀直入に言うわ。アーマドが使っていた禁術という力、まさか敵の掌の上で踊らされた挙句に掴まされた代物ではないでしょうね」

 あからさまなケイトの言い方に目を丸くしたものの、カーラは薄く微笑んで先を促した。

「下界の絡みで、一部のハンターがカスパールに『超能力覚醒剤』というものを渡されたそうよ。力を得るが、それに伴うリスクが発生する。その点で禁術と良く似ているとは思うのよ。人間としての自己の崩壊に繋がる、というパターンがね。この力、カスパールが絡んでいる可能性は?」

 既に禁術について共に考察したディートハルト・ロットナーが何か言おうとするのを、カーラは片手を挙げてやんわりと抑えた。この場は、自身の口から答えるべきだとカーラは判断したのだ。

「無い、と断言してもいいでしょうね。禁術は、かつて次席帝級だった反逆者が、苦肉の策として人間の側に持ち込んだものよ。まずは吸血鬼と互角に渡り合う為に。その力の系統は、悪魔のそれとは異なるもの。ここではない、何処かから引っ張ってくる異能力なのね。それに反逆者は、たとえ第2級の悪魔が相手でも、付け入る隙を与えないでしょう。彼は確かに心強い味方だったけれど、同時に真祖に次ぐ恐るべき吸血鬼でもあったから」

「成る程。それでは、その反逆者は、今何処に居る?」

「この家の地下だけれど?」

「勿体ぶった話は苦手と言ったわ。そういう意味で言ったのではないと、あなたならば分かるはず。反逆者の魂は、今何処に居る?」

 その言を聞き、ハンターと吸血鬼達は少なからず動揺した。確かに、反逆者の遺骸は首が落とされていない。首が落とされなければ、吸血鬼はほぼ永遠に生き続ける事が出来るのだ。それにも関わらず骸と言い切るならば、その魂は何処かにある、という事になる。

 対してカーラは、申し訳なさそうに頭を下げた。

「ごめんなさい。それも言えないわ。私は貴女達に対して、2つの秘密を持っている。それは情報が漏れれば致命傷となる程の」

「…その回答は予想していた。承知の上で聞いたのだから、謝る必要は無いわ。それにしても2つ、か…」

 と、フレッド・カーソンが大きく息を吐いた。その態度に苦笑の色を見、ケイトは若干気を悪くする。

「何?」

「どうでもいいや。禁術にリスクがあろうがどうでもいい、って事だ。禁術で仕える者共と渡り合えるのは間違いない。強くなって、強くなって、そして殺すのよ。奴等を尽く。元よりハンター、普通の人間じゃねえ俺様が、ちょいと道を踏み外すだけよ」

「禁術を追求した挙句の果てに、結局アーマドは真祖を殺せなかったわ。今は必要な力かもしれないけれど、禁術に耽溺するのはいただけない」

「中途半端こそ俺にゃいただけねえな。何、真祖にとどめをブッ刺せないにしても、カーラ女史には何か隠し玉があるんだろう?」

「ええ、あるわ」

 カーラはあっさりと答えた。

「それがもう一つの秘密。でも、もうすぐそれがみんなにも分かる時が来るでしょう。ところで、フレッドさん。恐らくだけれど、貴方はクルト・ヴォルデンベルグ男爵の域にまでは至る事が出来ないでしょう」

「ほう、そりゃまた何故?」

「禁術が最終の局面に至るには、心の枷を外さねばならないから」

「抽象的な言い方だな。例えば殺戮をとことん極めて心を空の域に持って行くとか、そういうもんでは駄目なのかい?」

「駄目でしょうね。貴人には、あの姿にまでならなければならない動機があったから、というところだと思うのよ。動機と言うよりは、愛かしら。全てを失っても悔いが残らない愛。尤も、私は貴方には貴人のようになって欲しくはないわね」

 

 その会話は壁を隔てた隣の部屋に居る、吸血鬼達の元へも届いていた。彼等の中からは、ハンターとの共闘を強く意識する革新派が誕生しつつあったものの、例えばイーライやフレイアといった実力者は旧来通りの守旧派である。

 禁術という人間側の切り札が出された状況は、当の守旧派にとって面白いものではない。面白い、と言うよりも脅威を感じさせたと言い換えるべきだろう。禁術の力は、彼等自身も敵とする仕える者共に向けられるとは言え、それを額面通りに信じるつもりは、イーライとフレイアには無かった。

「仕える者共を殺し、真祖を殺し、そして次はどうなるんだ? 吸血鬼を抹殺する力をもって、彼奴等はそれを抱え込んだまま墓穴に入るとでも言うのかい」

 上機嫌なフレイアを見た事のある者はこの場に1人として居ないのだが、相も変らぬ仏頂面で彼女は誰にともなく言った。ウォッカを飲みながら、目を細く据わらせながら。

「そうだな…。力を持てば、それは使わずにはいられないだろう。吸血鬼は世界中の何処にでも居るし、手っ取り早く言えば、連中の隣の部屋で酒を飲んでいるという訳だ」

 フレイアのグラスにウォッカを注ぎつつ、イーライは珍しく相槌を打った。殊、禁術遣いの人間達に対する印象について、イーライとフレイアは同様である。

 その様を見ながら、ダニエルは軽く焦燥を覚えた。自身も禁術については危険視をする1人であったのだが、それにしても状況は逼迫の度合いを増している。仕える者共の実力は、前哨戦で存分に味合わされたのだ。最早ハンターとノブレムが互いを不審の目で見ている暇は無い。共闘せねば、諸共に負ける。率直な気持ちで、ダニエルは2人に伝えた。

「後の事は、後の事だと割り切るしかないよ。少なくとも僕の見立てでは、この邸宅に滞在するハンター達は理性的だと思う」

「理性的? ハンターが? 首狩り共が?」

「フレイア、まあ聞いてくれよ。例えばハンターの中では、フレッド・カーソンが突出して凶暴だよね。しかしそのフレッドも、心の野獣をコントロールする事が出来る男なんだよ。だから今回、僕は彼と組んで防衛戦を試みてみたいと思う」

 その言を受け、イーライとフレイアは怪訝な顔をダニエルに向けた。その反応は予想の範囲内である。

「…吸血鬼ではなく、人間に背中を預けると言うのか」

 イーライが、イーライらしい事を言う。

「人間と吸血鬼の共闘は、既に開始しているんだ。それを更に推し進めてみる。理由は、そうしなければ勝てないからだ。勝てなければ、レノーラが理想とする所は潰えてしまうだろう。折角ここまでやって来たというのに。レノーラは幸せになって欲しいし、僕等にも幸福を享受する権利がある。これは千載一遇の機会なんだよ。だから僕は、力が数枚落ちる月給取りではあるけれど、戦うよ。勝つ為に」

 ダニエルにその気は全く無かったのだが、彼の言葉は2人の心にグサリと来た。戦い向きではない月給取りのダニエルが決を下したと言うのに、自分達は何時まで躊躇しているのか? と。

 

「シャーベットを作ってみたさ! それも牛の血で!」

 真剣味の漂う部屋の空気というものを読まないのか読めないのか、カスミ・鬼島が勢い良く扉を開け、トレイ片手にズカズカと入ってきた。てきぱきとテーブルに真っ赤なシャーベットを並べ、自らもフレイアの隣にヒョイと腰を下ろす。フレイアは露骨に迷惑そうな顔をカスミに向けた。

「その余計な創意工夫はよしとくれ。ビバンダムのしたり顔を思い出す」

「まあまあ、そう言わずに食ってみて下さいよ。何分私、天才ですから」

 言って、カスミは牛の血シャーベットをスプーンで着々と口に運ぶ。顔をしかめてフレイアも倣い、しかし一口目で益々眉間に皺を寄せる。意外に食えた。不条理ではあるが、そう思えてしまうのがフレイアにとって幾分悔しい。

「いけるっしょ? 吸血鬼の味覚は鈍磨しているけれど、嗅覚は異常発達しているんすよ。だからほんの僅かであるけれど、人間の血に似た匂いを醸し出す漢方薬剤をちょちょいと混ぜてみましたってワケ」

 時折話題に出て来る魔法の粉とは、つまりそれの事だった。本物の人間の血とは異なり、吸血鬼の常習性を煽らないのが美点である。そういう代物をあっさりと作ってしまえる才能をカスミは持っていた。皆の自分を見る目が変わった事に気を良くし、カスミは上機嫌でもって会話を楽しむ事にした。またぞろ観光客との記念撮影に応じているビバンダムを除き、カーラ邸の吸血鬼達が集結するちょっとしたサロンという催しが始まった。

「イーライ、貴方は何時からレノーラと行動を共にしているんです?」

 いきなりカスミに話を振られ、イーライはシャーベットを食べる手を止め、彼女を凝視した。

「今更どうしてそんな事を聞くんだ?」

「いや、そう言えば知らねーなーって思ったから。こうしてノブレムなんて酔狂な集団に属してみたけれど、思いの外、仲間の事なんて知らねーなーって思ったものですから。人に過剰な関心を寄せるつもりもありませんが、命のやり取りを共にする仲じゃないっすか。私達。で、どうなんです? イーライはレノーラと一番付き合いが古いんでしょ?」

「…彼女と会った年は覚えている。1850年だ。俺はアイダホの西部開拓民だった」

「1850年…と言えば、レノーラが北米に渡って間もない頃だね」

 とは、ロマネスカ。

「そうだ。吸血鬼にされてから20年以上は過ぎていた頃だと思う。何せ吸血鬼は人間を捕食対象とする生き物だ。相手が誰であろうと空腹を抑える事が出来ん。あの頃は若かったから、その境遇はとても辛いものだと考えていた。そんな折に、彼女と出会った。『人を殺めずに飢えのみを凌ぐ術は、無くもないのだ』。彼女はそう言って、俺を最初の仲間とした訳だ」

「やっぱり古株さんなんだー。この場で年齢が160歳を越えているのは、ロマネスカと貴方だけですもんね。その頃のレノーラはどんな人だったんですか?」

「どうと言われても、考え方は今とほとんど変わっていない。だが、もう少し硬い雰囲気ではあった。口調もぶっきらぼうで柔らかみが無い。今は意識して落ち着いたしゃべり方をしているが、時折あの頃の話し方に戻る事があるだろう?」

 それから彼等は、次々と自身の身の上を仲間に打ち明けた。ノブレムに加わって後、人間であった頃の生活を話題にする事は一切無かったのだが、何故か堰を切ったように思い出話に花が咲く。

 フレイアはデトロイト出身の家出少女。ロマネスカはハプスブルグ君主国時代のハンガリーで、ブドウ栽培農家の次男坊であった。カスミは家族旅行中に略取されて吸血鬼化した日本人。米西戦争時代にはアメリカ陸軍下士官という身分で、その後吸血鬼と化し、偶然レノーラ達と共にハンターと戦ったのがジェームズ。ジェームズと同じく150歳のダニエルは、ノブレムの一員としても、実は月給取りとしても古株の1人である。フィンランド貴族が出自のエルヴィは、16歳の時に吸血鬼化した経緯を、よく覚えていなかった。

 ああ、そうなんだ、とカスミは思う。誰も望んで吸血鬼になったのではないという背景を、自分同様皆が背負っていた。吸血鬼という立場になった事を恨みがましく顧みるつもりは無いが、せめて自分を吸血鬼とした者は、自分の行く末を見守る責任くらいは取ってくれよとカスミは思う。そうでなければ、今頃は普通の高校生であった人生に、焦がれる気持ちが芽生えてしまう。だから吸血鬼である私を肯定してみせろよ、と。

「…私はフランス系のカナダ人だったけれど、世界大恐慌で家が没落して…」

 自身の境遇を話しながらも、ジューヌはちらちらと窓の外に目をやり、心ここに在らずの風だった。外ではビバンダムが男の子を肩車しつつ写真に撮られている。昼間に山ほど牛の血を飲んで血の渇望を抑え込むのは彼の常套手段であるものの、人間とあまりにも接近し過ぎる様が見ていて危なっかしい。きついゴムの臭いで人間に対する血の執着は和らぐだろう、とはビバンダムの意図であったが、エルヴィはジューヌの脇を軽く肘で突き、彼女のしたいようにするよう促した。

 頷き、ジューヌが足早に部屋を出て行った後、一斉に皆が溜息をつく。ケタケタと笑うカスミを除いて。

「面白ーい。正に美女とビバンダムー」

「何で? 何であの娘がよりにもよってビバンダムなんかに?」

「前から幸薄いとは思っていたけど、男に関しては壊滅的なセンスを持ち合わせているよ、彼女」

 ジューヌがビバンダムに一際心を寄せているのは、既にノブレム内でも周知の事実である。確かにビバンダムはビバンダムなのだが、それでも恋愛感情とは一度火が点いてしまえば条理をも押し通るものである。たとえ相手がビバンダムだったとしても。ジューヌがビバンダムに一頻り説教し、揃ってベンチに腰掛けるまでを見届けて、おもむろにカスミは一枚の札を差し出して皆に見せた。

「これ、仕える者共のアジトに入れる鍵みたいなんですけど」

『何!?』

 一同が揃って驚きの声を唱和した。それは、以前地下下水道でエルジェから渡されたものである。エルジェはカスミの首を切り飛ばす代わりに、自らの懐に飛び込ませる術を彼女に与えたのだ。

「何故奴は、敵に利する物品を渡すんだ?」

「さあねえ。あの人も不条理が体の成分の大半を占めていますから。誰か欲しい人、居ます?」

 等と言ったものの、ここに居るのはカーラ邸防衛の為に揃った吸血鬼達である。実のところ、1人だけそれを必要とする者が居るには居たのだが、此度はその者とカスミに一切接点が無かったのが運の尽きであった。

 

吸血鬼の聖域

「良かった。あなたが私と同じ行動目的で」

「私がアクトを遅刻していたら、反則的判定が下されるところでしたな」

 すえた臭いの地下下水道を、ロティエル・ジェヴァンニとキティが肩を並べて歩いて行く。2人の行く先は、下水道の『扉』を越えた先にある『真下界』。カスパールが率いる悪魔の一党とは、また別の場所であるらしい、仕える者共の根城だ。

 キティは其処に至る通行票を所持していなかったのだが、幸いロティエルが同じ目的で行動していたのが功を奏した。票は一枚でも1人くらいは同行出来るのだが、ロティエルはしばし考え、札を一枚彼女に手渡した。

「え、良いのですか?」

「2枚持っていますので。こういう物品は分散しておいた方が後々宜しい。さあ、行きましょう。夜は吸血鬼の時間。仕える者共も一層活発に動いているはずですからな」

 2人は足早に歩を進め、扉のある位置の前に立った。ロティエルが前回のやり方に沿い、票を壁に押し当てる。青白い光が明滅し、歩き出したロティエルの体が壁にめり込み、『向こう側』へと消えた。その様は凡そ尋常ではなかったが、キティも意を決し、彼に倣って壁に我が身を押し進める。

 目を開くと、深い森があった。両脇を木々に遮られた小道が真っ直ぐ伸び、その遥か先には然程大きくもない城を見る事が出来る。キティは息を呑んでから、木陰で背を預けるロティエルに言った。

「ここは、地下ではないのね」

「左様、地下ではありません。別の場所です。恐らくは人為的に作られた異形の空間。さあ、道を歩けば目立ちますから、茂みの中に入ってしまいましょう」

 ロティエルはキティを促し、道を外れて森の中へと分け入って行った。

 茂みは茂みで、普通であれば行く手を遮られて立ち往生するのだが、彼等は猿類以上の身体能力を持つ吸血鬼である。低い雑木を乗り越え、時には木々を伝い、一直線に城のある方角を目指して進んで行く。こうなると運動能力の差でキティが先行する形になるのだが、この真下界に関して言えばロティエルの方が深い認識を持っている。彼が追い着くのを待ち、キティは手を差し出して高い木の枝の上へと引っ張り上げた。

「ふう。なかなか大変な道行ですな。吸血鬼とは申せ」

「向こうに捕捉されていなければ、ゆっくり進んでも問題無いわ。少し休憩を取りましょう。先は長いもの」

 キティとロティエルは牛の血の真空パックを取り出し、旨くも無いが栄養剤代わりに飲み下した。鳥の鳴く声と、羽ばたく音が同時に聞こえて来る。

 森であるから鳥くらいは居るだろうが、ロティエルは首を傾げた。以前に森を覗いた際は、とても静かな夜であった。それこそ生命活動の一切を感じられない程の。しかし今と以前とでは状況が違うらしい。まさか、と思う

(まさか、少しずつ、この世界も変化が出て来ていると言う事か?)

「で、ここから先の方針なのだけれど」

 口を拭って、キティが話しかけてくる。考え事を打ち切り、ロティエルは彼女の小柄な体に目を向けた。

「あの城を調べるのよね、貴方は」

「調べるのはこの空間の状況そのものを、と認識しておりますよ。しかしながら、あの城は実に象徴的な建造物です。矢張りあの城への侵入は欠かせませんな」

「敵に出くわす可能性もあるわね」

「だから慎重に行くのです。道なき道を進みながらでも」

 成る程、と言って、キティはしばし考え込んだ。しかし顔を上げて言った台詞に、ロティエルは呆気に取られてしまった。

「仕える者共とコンタクトを取れるかな?」

「何と…。失礼ながら、卿は正気ですか?」

「正気も正気。この場所については、彼等の方が良く知っているはずよ。仕える者共という一括りの中で、彼等にも個性があるのは情報として分かっているわ。その中にはどうやら、話せる者が居るらしいのよ」

「なりません。少なくとも此度だけは。ここが敵の懐であるのは承知のうえでしょう。そう、彼奴等は立場上の敵であるのです。みすみす自ら危険を晒す訳にはいきません。何しろここには、恐らくエルジェと、更に容赦の無いジルが滞在しているのですから」

 ロティエルの明快な否を前に、キティもそれ以上は言わなかった。票を渡したロティエルが潜伏を最優先で考えているのだから、自分もそれに従う必要がある。

 しかしキティは周囲に目配せし、す、と手を挙げた。身動きをするなというジェスチャーだ。その意味を察し、ロティエルは顔を蒼ざめさせた。

 何かがこちらに向かって接近している。次第に木々を踏み抜く音が大きくなっていた。その不注意な歩き方には、自身の存在を露骨に知らせる意図が感じられる。この場でロティエルとキティ以外に誰かが居るとすれば、それは仕える者共を置いて他には居ない。キティは拳銃を抜き、音の方角へと狙いを定めた。だが音の主は、殺気を向けられた状況を知り抜いたうえで、世間話の気楽さで声を掛けてきた。

「キミ達か。久し振り。レノーラやみんなは元気にしている?」

「ヴィヴィアン?」

 銃口を下げたものの、キティは思わずロティエルと顔を見合わせた。ヴィヴィアンが獅子身中の虫を狙って仕える者共の側に寝返ったのは、ノブレム内でも知る人ぞ知る話であったが、その彼とこのような形で再会するとは2人も思っていなかった。それは彼にとって、大きな危険を伴う行為であるはずだ。

「光の明滅が見えたよ。こんな夜だもの、随分と目立っていた。次に潜入する際は、他の連中に見つかる可能性を憂慮した方がいい」

「つまり、今回の侵入は?」

「大丈夫。見つかっていない。尤も、森に潜めばそうそう簡単には見つからないと思う。ボクの場合は、ほら、勘が鋭いから」

 愛想の良い顔で、ヴィヴィアンは2人の居る枝にひょいと飛び乗って来た。今や表向きの立場は違えど、こうして隣同士に座ると、心の奥底で仲間と居る安堵を互いに感じられる。ヴィヴィアンは何処かリラックスした雰囲気を纏いつつ2人に言った。

「今晩は珍しく、一同全員が屋敷に滞在しているよ。エルジェとジルは、多分城の方に居るとは思うけれど」

「城ですか。あの城に入った事は?」

 ロティエルに問われるも、ヴィヴィアンは小さく首を横に振った。

「無いね。配下のボク達であっても、あの城への立ち入りは厳しく制限されているから。今は怪しまれる行動を慎む時期だからさ。しかしキミ達が侵入する分には問題無い。ただし、絶対見つからないように注意して」

 枝を飛び降りて、ヴィヴィアンは2人を見上げた。

「まだその動きは無いけれど、次はそれなりに面子を揃えて挑むらしい。追って情報はハンターの1人に逐一渡すから。それでは、どうか頑張って」

 言って、ヴィヴィアンは道のある方角へと走り、その姿を2人の前から消した。

 

「よう、V2。散歩はもうおしまいかい?」

「…偵察だよ。何か侵入したのかと思ったけど、気のせいだったね」

「珍しいな。君の勘働きが違うとはね」

 Aから掛けられた軽口をいなし、ヴィヴィアンは空いた丸テーブルの1つに手を掛け、腰を下ろした。

 屋敷のフロアで、仕える者共は思い思いにくつろいでいる。Fという仲間の1人が首を刎ねられた後にしては、随分と冷たい事だとヴィヴィアンは眉をひそめた。あの戦いの直後に憐憫の情を見せたのは、Eという黒人女性ただ1人であったのだが、彼女にしても今はカードゲームに興じていて、余りにも割り切りが早い。ノブレムの者達であれば考えられないリアクションだ。

 そう言えば、と、ヴィヴィアンは物思いに耽るDにも目を向けた。まだ年若い彼は、ノブレム側の狡猾な吸血鬼の罠にはまり、一時拘束されるという大失態を犯してしまった。それからの彼を見る皆の視線は、一様に嘲りの感情が含まれてしまっている。が、D個人はそれを気に病む気配は無い。何か別の事に考えが行っているらしい。そう思うヴィヴィアンの根拠は、所謂勘働きではあるのだが。

「V2、こっちに来てカードでもやらないか? 辛気臭くする事も無いだろう、Dじゃあるまいし」

 嫌味な奴だと思いながらも、ヴィヴィアンは誘いに乗る事にした。こういう場は世間話を絡めて情報を聞き出し易い。A、B、E、それにいけ好かない中華系のCが囲むテーブルにやって来て、ヴィヴィアンは心の中だけで吹き出した。ババ抜きをしていた。子供か。しかしヴィヴィアンは、意識を瞬時に打ち消した。このテーブルには、D同様に人の心を読む異能持ちが2人居る。普段から何を考えているのか分からないBと、それにEだ。

「…そうそう、A、前回の襲撃には恐れ入ったよ。キミがあれだけの力を持っているとは思わなかった。ボクの方が見誤っていた」

 カードの小山を手に取り、ジョーカーが入っているのは気にも留めず、努めて景気良くヴィヴィアンは言った。

「率直に尊敬に値する。強いというのはそれだけで素晴らしい事だからね」

「ほう、随分としおらしいな。ま、あれが私の精一杯という奴でね。本当にヤバいのは、他に居たりするのだが」

 意味ありげにAが笑う。隣のBからカードを抜きながら、ヴィヴィアンは敢えてその話題に入り込むのを止めた。自分の筋書きのみに集中しなければ、心を読まれる。奥底の翻意を気取られる。

「ボクも強くなりたいよ。どんどん強くなって、間抜けなノブレムとハンター共に痛恨の一撃を与えてやりたい。ボクもエルジェ殿から力を分けてもらいはしたけれど、まだまだ不十分だね。どうすれば君みたいになれるんだ?」

 帝級吸血鬼の持つ異能を、既にヴィヴィアンも与えられている。それはエルジェが理解出来ない古吸血鬼語を呟きつつ、掌を額にかざすという至極簡単な儀式を経て得られる代物だった。同じ女帝級のレノーラも、似たような魔術めいた力を皆に分けていたものだが、エルジェのそれとは系統が明らかに異なっている。力の大きさと、それ以上のリスクの巨大さにおいて、エルジェの場合はスケールが違うのだ。何か別の要因が介入しているはずだ。ヴィヴィアンの見立ては、カスパールという悪魔の絡みである。

 それにしてもAの返事は、ひどく凡庸なものであった。

「経験を積む必要があるだろう。牛歩の如くであったとしてもだ。システム的にはアイテムを買うような形になる訳だが」

 得体の知れない笑みを保ったまま、Aが応えた。

「それに力を過信し過ぎない事だ。でなければ心が崩壊するぜ、Fみたいに。ああなったら駄目だ。使い物にはならない。もしも手っ取り早く私を凌駕したいならば、もう少し待つといい。もう直ぐ真祖の御帰還を私達は迎える事になる。頼めば帝級にして貰えるぞ。私は御免だが」

「真祖の帰還? 何時?」

「もう直ぐだよ。もう直ぐ」

 其処まで言って、Aは不意にカードを置いて起立した。他の者達も続々と彼に倣う。何事かと思ったが、ヴィヴィアンも即座に気が付いた。屋敷に来たのだ。女親分が。

 扉を蹴り開け、エルジェは相も変らぬ正気の伺えない目でもって皆をねめつけ、開口一番こう言った。

「こんばんは、可愛い糞虫共!」

 とても挨拶とは言えない言葉を放り投げ、エルジェはソファに飛び乗って、ごろりと寝転んだ。元貴族の立ち居振る舞いではない。

「ホテル暮らしに飽きて城暮らしに切り替えたはいいけれど、こっちも段々飽きてきたわ。真祖のお住まいを占有するのもどうかと思うしねえ。だからそろそろ、地上に君臨したい。頑張れお前等、負けるな糞虫共。私が恙無く月光浴を楽しめるか否かは、お前達の馬車馬の如き働きにかかっている。期待しているわ、諸君!」

 つまり、次回も予告通りにエルジェは戦闘に参加しない訳だ。もしも彼女が出向けば、レノーラが黙ってはいまい。逆にレノーラも帝級の介入を恐れ、カーラ邸の戦闘に参加しないという微妙な状況である。輸血用パックの血を不味そうに飲み、エルジェはパックを投げ捨てて、自暴自棄気味に言った。

「嗚呼、不味い不味い。人間の首をかっ飛ばして血を啜りたいわあ。ところでお前達に朗報が一つあるのよ。少し前にFが死んだわよね? あの使えないトンチキに代わり、新しいお友達をみんなに紹介するわ。入りなさい」

 パチン、とエルジェが指を鳴らす。その動作と寸分違わず、フードを被った男が扉を開いて入って来た。のろのろとフードを外し、男が虚ろな眼差しを仕える者共に向ける。その面子の中で、顔を引き攣らせたのはヴィヴィアンのみだった。

「Fに代わる心強い味方、その名もF!」

「おめでとう!」

「おめでとう、F」

「歓迎するわ!」

 拍手喝采の中を、Fがゆっくりと歩んで来る。ヴィヴィアンは、ただただ言葉を失った。

「誰だっけ?」

 Fが問う。

「俺、誰だっけ?」

「Fだ。君の名前はFというのだよ」

 Aの返答にFがぼんやりと頷いた。

「そうか。俺はFなんだな」

 そんなはずがあるか。

 間違いなくFは、自分が見る前でノブレムとハンターの連合に倒されたはずだ。その死体を仕える者共が奪還したという話も聞いていない。そもそもFは首を刎ねられており、こうなると吸血鬼としては完全な死を迎えている。

 しかし目の前のFはどうだ。何から何まで、Fそのものである。それでもヴィヴィアンは、彼の素振りと情感の損なわれた顔を見比べ、矢張り異なると判断した。この男は、Fを模した別の何かだ。

「別の何かという言い方は、正しくないかもしれないわね」

 肩に置かれた手の冷たさに、ヴィヴィアンは怖気を感じた。何時の間にかEが隣に立っている。集中を削いだ自分にEが興味を向けたのだ。心を読まれた。

「彼は生まれ変わったのよ。新しいFに。だから誰も彼の死を悲しまなかったわ。だって、帝級の皆様が彼を甦らせて下さると知っていたから!」

 意識を漏らすまいと必死に集中したものの、Eの言葉に微かな疑問をヴィヴィアンは感じた。死んだ吸血鬼を甦らせるなど、果たして帝級でも出来るのかと。そもそもジルとエルジェも、一度死んで復活した者達ではなかったか。

 ふと違和感に駆られて、ヴィヴィアンは顔を傾けた。この場にあって、自分同様に笑顔ではない者が居る。彼は声を出さずに唇だけを動かしていたものの、何を言っているのかはヴィヴィアンにも読み取る事が出来た。

『嫌だ。こんなのは嫌だ』

 確かにDは、そのように言っていた。

 

勃発

「…ハンター達が動き出した。ノブレムの連中も。全方位警戒態勢に入った。あと、ビバンダムは…」

「ビバンダムは?」

「ベンチで寝ている。また月給取りの女に説教されている」

 双眼鏡を外し、ヴィヴィアンは背後に控えるBに言った。

 仕える者共によるカーラ邸の監視は一ヶ月近く、昼夜を通してほぼ毎日のように行なわれている。それも現行での最高性能を想定したEMF探知機の範囲外からだ。仕える者共は、ハンターの装備についてかなりの知識を得ているらしい。

 カーラ邸への攻撃を宣告しておきながら、彼等は未だ具体的な動きを見せていない。チームを変えて、四方から監視を続けるのが日課の状態である。だからヴィヴィアンのハンター側への定期連絡も些かマンネリ化している。何しろ事前の打ち合わせすら、する気配が無い。どういうつもりなのかとヴィヴィアンは訝しんだ。

 しかし、ヴィヴィアンは意識をカーラ邸への警戒へと集中させた。今回初めて組んだBは、心を読み取る異能持ちである。下手な考え事をすれば、自らの真意を見抜かれてしまう。ヴィヴィアンはそれとなく、興味本位を装ってBに尋ねた。

「暇だね。一体何時になったら戦うというんだい。これじゃ寝返った意味が無いよ」

「まあ、焦る事は無いわ。敵を騙すにはまず味方から、という話もある」

 心臓の鼓動が跳ね上がりそうになった。Bは素知らぬ風に言葉を続ける。しゃべらない女だと思っていたが、実際は饒舌である。

「こうしている限り、主導権は私達が握ったままだわ。そう、戦いは主導権を握れるか否かにかかっている。それさえ抑えれば、瑣末な部分での勝ち負けに一喜一憂する必要は無い。最終的に勝てればいい。実際、この戦いはそのように推移していると私は認識するわ。ある一点を除いて」

 Bはがさごそと音を立て、カチリとライターを点火させた。振り返って見れば、煙草の煙を口から吐き出している。

「煙草を吸うのかい。吸血鬼なのに」

「癖よ。人間の頃の。で、その一点だけど。そいつは尽く予想の範疇を外れている。常に先手を取るのが奴の基本方針だわ。それがどれだけ危険かを認識しているのは、どうも今の所は私とミラルカ殿だけらしい」

 ヴィヴィアンは首を傾げた。抽象的な物言いで、何を指してしゃべっているのかが分からない。Bが続けた。心なしか、口調が踊っている。

「そいつは馬鹿でもなければ、馬鹿の振りをしている訳でもない。馬鹿な自分を楽しみながら刃を舐める策士よ。そういう切れ者を血祭りに挙げる瞬間を想像すると、心がときめくわ。だから私は、確実に始末する手段を考えた。今夜実行する」

「今夜だって?」

「そう、今夜。私達はカーラ邸への襲撃を、今夜実行する。既に段取りを済ませているわ。V2、君はすぐ其処の下水道に戻って、控えているAから詳細を聞きなさい」

 言って、Bはその場から一瞬で姿を消した。

 ヴィヴィアンは、愕然とした。謀られた、と思う。情報漏洩に関して、仕える者共は自分を信用していなかったのだ。

 

 扉を蹴り開ける勢いで、フレッドがカーラ邸の居間にハンターと吸血鬼を引き連れて入って来た。人間と吸血鬼が面を合わせないようにするという不文律を、守っている場合ではないらしい。本を読んでいたカーラが、目を丸くして立ち上がる。

「どうしたの!?」

「もうすぐ奴等が来るぞ! あんたは確実に安全な地下で待機していてくれ!」

 半ば強引にカーラを押し出し、フレッドは歯を軋らせて一同に鬼のような形相を向けた。

「情報屋が裏をかかれちまった。奴等も力押しを頼みにしないってこった」

「以降の情報は?」

 ケイトが拳銃に弾層を装填し直し、フレッドに問う。

「最初の連絡があってから5分程だが」

 と、折り合い良くフレッドの携帯にメールが着信した。急ぎ内容を確認し、フレッドが内容を大声で読み上げる。

「三方向  A,V2  B,D  C,E,F,G」

 其処までだった。送信主は余程急いでいたか、メールを送るにも隙を見ねばならなかったのか。その内容で分かったのは、敵が三方向から寄せてくる事、仕える者共が全員出動する事、そしてもう一つ。

「ちょっと待て」

 ジェームズが掠れ声で遮った。

「Fってのは何だ。前に首を飛ばした奴じゃないのか!?」

「…分からん。しかし死んだはずの帝級が甦ったんだ。何を繰り出すか知れたもんじゃねえ」

 ともかく、メールの送信は地上に出てからしか行なえない。つまり仕える者共はすぐ傍に迫っている、という事になる。事態は逼迫していた。

「それじゃ、決まり事の通りにやろう」

 この場にあって、落ち着いた声でダニエルが言った。

「やる事は決まっているよ。連携して防衛するんだ。さあ、フレッド君、ディートハルト君。僕等の意気を見せようじゃないか」

「ああ、そうだな」

「さて、禁術が如何程の助けとなるや。出来るだけ力を尽くし、後は神にでも祈りましょう。そんなものが居れば、ですが」

 3人が頷き合い、それを切っ掛けに全員が持ち場へと散って行った。

 警戒は全方位に対して行なわれる。少なくとも仕える者共の接近は、EMF探知機で捕捉が出来るはずだ。注意すべきところは、敵がチームを3つに分けている点である。主力は4人からなるC班であり、それを前面に押し立てて来るのが常套であろう。そしてAとBが横を突く。人員はカーラ邸の方が上回っているものの、個体の能力で凌駕するのは向こう側だ。間違いなく厳しい戦いになる。

 

「打って出るか守勢を敷くかは状況次第。如何なる状況にあっても、私がすべきはバックアップ。背中は私に任せておきなさい」

「力強い御言葉に恐縮するが、吸血鬼の輪の中で平気でいられる度胸には更に恐れ入るぜ」

 円陣を組む吸血鬼の輪の中に、ぽつんと紛れ込むケイトを横目にジェームズが言った。対してケイトは、相変わらずの無表情で素っ気無く返す。

「何故恐れ入るのかが分からない。私達は仲間だ」

 はっ、とフレイアが鼻で笑った。如何にもぞんざいなリアクションであるものの、少なくとも小馬鹿にした笑いではない。

「人間が仲間面かい。いいねえ。期間限定ならば、手を組んでやろうじゃないさ」

「フレイア?」

 エルヴィが目を丸くしてフレイアを見た。人間嫌いの最右翼が言う台詞ではない。フレイアはジャラジャラとチェーンを鳴らしつつ、少しは面白そうに言った。

「人間は嫌いだが、負けるのはもっと嫌いだ。何を最優先すべきかは分かっている。戦士だからさ」

「変わりましたのね、フレイアも」

「変わる? 私は何も変わっちゃいない。このケイトとかいう女の首を噛み千切らないのは、戦いの方に気が向いているからに過ぎない。前に治療をして貰った事なんざ恩に感じるもんか」

「ツンデレだ」

「ツンデレですわ」

「ツンデレだな」

「次、ツンデレ言ったらお前等コロス」

 とは言え彼等も、人間との連携を真剣に考えて行かねばならない段階に来ていた。現にこの場に居ないダニエルも、フレッドやディートハルトといったハンターと、強力なトライアングルの形成を試みている。殊戦闘に関して言えば、彼等ほど密に吸血鬼と人間が協力し合うパターンは、反逆者とアーマド以来かもしれなかった。

「吸血鬼は戦術を使って戦うが、どうしても戦い方は力に任せたものになってしまう」

 自戒を込めて、イーライが呟く。それは吸血鬼となってしまった者に備わる、ある種の特性のようなものだ。

「人間の戦いに馴染むべきだな。吸血鬼という別の生き物になった時点で、俺達はかつての脆弱だった自分を忘れてしまっている。彼を知り己を知れば百戦危うからず」

「孫子ね」

「差し当たって、ノブレムの中で身の程を知り尽くしているのは奴だろうが…ところで、ビバンダムはどうした」

 イーライに言われて、ようやくこの場にビバンダムが居ない事に皆気がついた。と言うより初手の緊急招集の時点から放っておかれていた。悲惨である。

「まさか、この期に及んでまだ寝てんのか! あいつぶっ飛ばす。絶対ぶっ飛ばす!」

 カンカンに肩を怒らせつつ、ジェームズが件のベンチに向かってから10秒後。彼は顔を更に赤黒く変色させつつ戻って来た。

「ビバンダムの中の人が居ねえっ!? このカセットレコーダを残してよお!」

 憤懣やる方ない調子で突き出すレコーダからは、漫画みたいなイビキがエンドレスで流されていたのだった。逃げたのか。まさか。誰しも思う。ビバンダムならば有り得る話だ。そうも思う。しかしながら、遠慮がちに手を挙げて事の次第を話したのは、ジューヌであった。

「実はビバンダム、夜の間は中身が抜け出していたんです。仕える者共を逆に監視する為に」

「え? でも、さっきだって彼に話しかけていませんでしたか?」

「ごめんなさい、エルヴィ。彼に頼まれて芝居を打っていました。実は抜け殻のビバンダムとしゃべっていました。ごめんなさい」

「ああ…そう…」

 エルヴィが脱力する。

 結局、あのトンマな着ぐるみと過剰な観光客との触れ合いは、使える者共の注意を欺く為のブラフであった訳だ。実にビバンダムらしい手の込んだやり口だが、更なる真の狙いは其処から先にあった。ジューヌの携帯電話にメールが届く。送信主はビバンダム。

『ファンストン・プレイグラウンド。敵一隊捕捉。2人。襲撃準備確認。仮面付。アルファベット不明。機を見て先制攻撃開始。カーラ邸の防衛宜しく。ジューヌは体育座りで待て』

「…何て奴なの。1人で相手する気?」

「相手が2人なら奇襲が決まるかもしれねえ」

「少なくとも1人を確実に潰す腹だろう」

 ともあれ、三方向の一つが支障を来すのは、カーラ邸防衛の面でも好都合である。幸先の良さに意気軒昂となる一同と比して、しかしジューヌの顔色は次第に青ざめていった。

 根拠は無い。しかしジューヌは、彼が首を刎ねられるビジョンを強く想起したのだ。

 

古城へ

 地上において使える者共が全員参加する攻撃が始まるとなれば、当然真下界の方はがら空きになるはずだ。真下界に滞在し続けて機を伺っていたロティエルとキティが、うってつけのチャンスを見逃さずはずはない。彼等は行動を開始した。

 目指すは真下界の象徴的な建造物、古城である。周辺をある程度偵察して分かった事だが、森を抜けてから古城までの距離には、かなりの規模の草原が広がっていた。雑草が生い茂る荒れた草原は、所々に土が深く抉れたような痕跡が大量に見受けられる。その要因については、更に城へと接近すれば自ずと分かった。朽ち果てたカノン砲が並んでいたのだ。相当に激しい砲撃が実行されていたらしい。

「何なのかしら? これ」

 キティが過ぎる疑問を率直に口にした。

「ここは吸血鬼の根城よね? 吸血鬼がカノン砲を使っていたって事?」

「…分かりませんな。元は人間の城を、吸血鬼側が乗っ取ったというのは考えられますが。その際に人間が迎撃した痕かもしれません」

 ロティエルは取り敢えず思いついた答でお茶を濁した。そして未だ先にある古城をよくよく凝視する。優先すべきは、カノン砲の考察よりも城の観察だった。使える者共が続々と小道を抜けて出払ったのは視認済みであるものの、これ迄の展開で彼等の戦いに基本的に介入しない、しかし恐るべき強敵があの城には居座っている。ジルとエルジェ。2人の帝級だ。あれに出張られたが最期、仕える者共全員と交戦する方が生き延びる機会があると思い知る羽目になるだろう。

 しかしながら、こうして城ばかりを監視している時間は無い。ロティエルは意を決し、キティを促して前進を開始した。

 が、数歩と歩かず、叩き付けるように身を伏せる羽目となった。何かが城から飛び出して来たのだ。

 それはほとんど一瞬で草原を駆け抜け、森の中へと消えて行った。その一部始終を草陰から見据え、姿が見えなくなった後、ロティエルとキティの全身から、吸血鬼にしては珍しい脂汗が滴り流れる。2人の鋭敏な視覚は、その者をエルジェと認識した。そしてエルジェが一度だけこちらに顔を向け、唇を禍々しく歪める様も。

「どういう事?」

 掠れた声でキティが言う。

「見つかったはずだわ。エルジェは何故見逃したの?」

 その問いには応えず、ロティエルは小刻みに揺れる手で懐の通行票を取り出した。それは前回、他ならぬエルジェ自身が彼に渡したものだ。

「エルジェには意図があるようですな。見てみよ、と。あの古城を」

「何の為に」

「行けば分かるかもしれません」

 2人は道行きを続行した。

 エルジェの行為には一貫性が無い。不倶戴天の敵として君臨する傍ら、先の態度は明らかな利敵行為である。存外あの一派も、裏で様々な思惑が蠢いているのかもしれないとロティエルは判断した。

 城に辿り着く。城壁がぐるりと城を囲み、その終端にはたった一つの開閉門がある。門は固く閉じられたままだ。無論、正面から堂々と入るつもりは無い。城壁は高いが、戦士級の2人に飛び越えられぬ高さでもなかった。

 壁を飛び越え、中庭に着地する。庭を隔てて中世欧州の建造物が、然程大きくもない端正な姿で鎮座していた。城はひっそりと静まり返り、ロティエルとキティの他に動く者の気配は無い。頷き合い、2人は建物の中へと足を踏み入れた。

 第一印象で言えば、ひどく殺風景だった。石造りの広いフロアには部屋らしいものが存在していない。見えるのは上階、そして地下へと続く階段、それに奥の壁に埋もれる、威圧感の塊のような巨大な扉。ロティエルが扉を見に行き、キティは階段を上って2階へと歩みを進める。

 階段を上がりきると、無愛想な石畳とは異なった、絨緞敷きの間になっていた。幾つかの部屋もある。恐らくは居住の区域という意味合いなのだろう。それらの部屋を確認して回るのが、この場においては常套なのだろう。しかしキティはそれをせず、踵を返して階段を下り、1階へと戻って行った。丁度折り良く、ロティエルも帰って来るところだった。

「謁見用の部屋のようですな。奥に玉座が鎮座していました。一体誰が座るのかは分かりませんが…どうなさいました?」

 ロティエルは怪訝な顔でキティを見た。元から白い彼女の面が、更に色を失って蒼くなりかけている。唇を震わせ、キティが言った。

「ジルが居たわ。廊下のど真ん中で、立ったまま眠っている」

「…それはまた器用なものですな」

「冗談事じゃないのよ」

「失敬。つまり、見つかっていない、という事ですな?」

「多分」

 僅かに逡巡したものの、ロティエルは最後に地下を確認する腹を括った。何しろエルジェが居らず、ジルも眠りについている。ここで引き返すのは安全策だが、今のところは何も情報を得ていないに等しい。慎重に、極限まで音を消し、2人は地下に連なる階段を下った。

 螺旋状の階段は、延々と続いている。幾ら地下とは言え、常識の範疇を越える深さを2人は下り続けていた。そしてようやく地下に降り立った時、2人は常軌を超えた景色を見る事となる。

 地下の状景は、無限であった。区画の区切りが肉眼では見渡せない、広大かつ異形の空間であった。そして床面には、数え切れない数の棺が等間隔で並び置かれている。吸血鬼の嗅覚が、紛れもない死臭を嗅ぎ取った。信じ難い事だが、棺の全てには遺骸が納められているらしい。

 鼻をもがれるかと思わんばかりの地下世界を、それでも2人は歩いた。全く同じ有様が限りなく続く、発狂しかねないこの景色にあって、只一つ、異なるものを見出したからだ。

 それは光である。ほの昏いばかりの地下で鈍い色を発する光。暗闇の中の光に対し、人は反射的に心の安寧を見出すものだが、その光にかような温かみは無かった。ただ、そういう輝度を持っているだけのように見えた。ようやく2人が、光の大元に辿り着く。

 石柱だ。表面にびっしりと複雑な紋様が描かれている。よくよく見れば、それが紋様ではなく文字の類だと分かった。しかし、使われている文字は象形に似て非なる代物で、何を書いてあるのかはさっぱり理解出来ない。

「古吸血鬼語という奴でしょうか?」

 と、ロティエル。

「どうなのかしら。もしかしたら、天使とか悪魔とかが使っている言葉なのかも…」

 何気にキティは、石柱に手を伸ばした。しかし彼女は、触れる少々手前で指先を留めてしまう。

「どうしました。触らないのですか」

 問うてきたロティエルに対し、キティは困り果てた表情で答えた。

「ここから先に進めないのよ。まるで無形の壁が立ちはだかっているみたいに。適切な例えかは分からないけど、ハンター達が使う結界に似ているような気がするわ。強度はこっちの方が桁違いだけれど」

「結界ですと? 結界の源は、神聖のものですぞ。まさか、この石柱と棺桶の世界が、神聖に属するとでも?」

 元々思考を放棄したくなる状況であったが、ロティエルの脳は益々混乱を来した。

 この地下世界には、確実に意味がある。仕える者共、エルジェとジルの本拠地の、その直下に位置するというだけで、この地下世界は大きな意味を孕んでいるはずなのだ。しかし、その肝心の意味がさっぱり分からないでは仕方が無い。

「一先ず帰還しましょう」

 溜息をつき、ロティエルが言った。

「まずはこの情報を持ち帰りましょう。そして情報を総括して考察しましょう」

「そうね。他で動いているハンターの情報も加味した方がいいわ。もしかしたら、意外なヒントを見出せるかもしれない」

 

 

VH2-4a:終>

 

 

○登場PC

・エルヴィ・フォン・アスピヴァーラ : 戦士

 PL名 : 朔月様

・カスミ・鬼島 : 戦士

 PL名 : わんわん2号様

・キティ : 戦士

 PL名 : ウィン様

・ケイト・アサヒナ : ポイントゲッター

 PL名 : TAK様

・ダニエル : 月給取り

 

・ディートハルト・ロットナー : ポイントゲッター

 PL名 : みゅー様

・フレッド・カーソン : ポイントゲッター

 PL名 : 白都様

・ジェームズ・オコーナー : 戦士

 PL名 : TAK様

・ヴィヴィアン : 戦士

 PL名 : みゅー様

・ビバンダム(仮名) : 戦士

 PL名 : ともまつ様

・ロティエル・ジェヴァンニ : 戦士

 PL名 : Yokoyama様

 

 

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ルシファ・ライジング VH2-4a【ファンファーレ・a】