膨張

 ゲストハウスの攻防が終息し、ジェイコブ・ニールセンからの連絡が繋がったのは午後8時を回ってからだった。防衛側には全くと言っていいほど損害は無かったものの、襲撃してきた側のフレンド達に関しては被害甚大であった。

 死者は最低限に抑え込まれたが、重軽傷者が続出している。また怪我を負わなかった元フレンドにしても、正気づいて以降の錯乱状態は厄介だった。重度の洗脳状態からいきなり解放されたのだから致し方ない。今後彼らの精神的なケアは市当局側の仕事となる。

「始める前より終った後の方が厄介だよな。だから戦争ってのは嫌なんだ」

『同感だ。マーサ本部の陥落からそれなりに時間は経過したが、今もって事態収拾の為にハンターも走り回っている。休み無しってのは正直きつい』

「無理やりにでも休んでくれよ。後方にみんなが控えているから、こちとらも覚悟を決めてやりあえるんだからさ」

『そうもいかん。吸血鬼の大集団が侵攻を仕掛けるまで、残り数時間。MEWSのコンソールはこちらにあるから、バックアップは任せてくれ。情報提供を寸断無くやらせてもらう。戦闘に集中しなけりゃ、お前らが死んじまう』

「助かる。しかし死ぬとか言わんでくれよ、縁起でもない。一仕事終えたら、まあ一杯やるさ」

『その時は手製のつまみを出す。冷凍食品じゃないぞ』

「マジか。そいつは不安だ。楽しみにしているよ」

『お前らの帰還をジェイズで待つ。絶対勝てよ』

 ジェイコブからの無線が一旦切られ、砂原はヘッドセットを外し、控えるハンター仲間に椅子を向けた。

「という訳で情報提供はジェイコブ一括だ。働き者に感謝だな」

「ああ。情報は命と等価だ。状況の変化に対応しつつ、俺達は対吸血鬼戦に集中する」

 拳を打ち鳴らし、風間が気合の声を発した。既にハンター達はエントランスに集結しており、各々が武装を開始して臨戦態勢への準備に入っている。カールグスタフを軽々と抱え、フレッドは異形の立ち姿とは裏腹の、理性を感じさせる声音でもって静かに言った。

「俺達の配置は既に頭に入っている。尤も敵の侵攻状況に応じてアドリブを効かせる訳だが。さて、敵さんはどういうルートで攻めて来るだろうな?」

「大戦力で攻め立てて、ノブレム主戦力を引き摺り出すのが常道だろうな。地上はアウター・サンセット⇒ジャパンタウンの最短一直線ルートを使うと見た」

 ブラスター・ナックルを装着しつつ、風間が答える。しかし表情に些かの曇りがある。

「どうしたよ?」

「問題は敵側の隊長役だ。こいつの性能如何で模造吸血鬼は『速いだけのゾンビ』じゃなくなる。次いで帝級の異能攻撃も危険だ。模造帝級でもそいつを使ってくる。『力任せのゾンビ』をいなすのは難しくないが、考える敵は厄介だ」

「なるほど。確かにアウター・サンセットの緒戦では、こちらも痛い目を見ましたな」

 ディートハルトの言葉に風間が頷いた。あの戦いでは模造吸血鬼の統率の有無が極端な差になって表れていた。そして帝級はあのエルジェだ。単純に比較出来るシチュエーションではないが、大いに参考になる。

「つまり、こちらの事前想定を上回る準備が敵方に為されている可能性があると、そう仰る?」

「そうだ。しかし『ジュルジュ』に関してはあらゆる状況に応用が効くよう配慮したつもりだ」

「今までだって、敵さんに意表を突かれない事なんてあったかよ。それでも勝ってきたのは、更に思考で上回ったって事だろ」

 フレッドは風間の肩を叩き、玄関の真正面にどっかと腰を下ろした。合わせて全員の目が外へと向けられる。

 MEWSが侵攻を探知した時点で、状況は一挙に静から動へと動く。彼らの目は、獲物を狙い定めた猛獣のそれへと変貌しつつあった。

 

 帝級1人。戦士級2人。月給取りが2人。そして何だか分からないのが1人。新祖を護るノブレムの人員は以上である。各々が新祖系列としての異能持ちであり、仕える者共との戦いを一人も余さず経てきた熟練揃いだ。全体としての戦闘能力は高い。しかし、この防衛戦におけるノブレムの役割は、本拠地での防御に集中する事である。つまり積極的な攻勢はハンターが担うのだ。身体能力にあかせて躍動的に戦うのが信条の吸血鬼、殊に戦士級、はっきり言えばフレイアにとって、それは自尊心をいたく傷つけられる話である。午前零時が刻々と迫る頃合に何をか言わんやであったが、リヒャルトは今更むくれ顔のフレイアを宥めにかかった。

「何しろ敵は数を揃えているからね。単独の戦闘能力に頼る戦い方をしていたらフクロだよフクロ。その点を鑑みると、知恵を回して一網打尽策をぶつけにかかるハンターの方が、攻撃力としては分がある。それに後衛がしっかりと構えていれば、彼らも安心してヒャッハー出来るという寸法。さあフレイア笑ってごらん。君が笑うと泣く子も黙る」

 フレイアは返事代わりに狙い澄ましたフックをリヒャルトの腹に捩じ込んだ。げあ、と呻いて腹を押さえ、ひょこひょこと飛び跳ねるリヒャルトを見、フレイアの眉間に益々しわが寄る。

「くせえ芝居は止めな。痛くも痒くもないくせに。言われなくても、そんな事ぁ分かってるさ。しかしジューヌを護るこの戦い、主導権を人間に握られるってのが、どうにも面白くない。作戦に参加しておいて言う事じゃないってのは百も承知だけど、面白くないと思うくらい、別にいいじゃないさ!」

「…それは正に、吸血鬼の物の考え方だ」

 マリーアがフレイアの手を取り、落ち着いた声で語り掛けた。受けてフレイアは、困惑もありありと曰く。

「何言ってんのマリーア。吸血鬼は吸血鬼の考え方をするもんだろ」

「つまり、敵側も似た考え方をしている。それがジュルジュという作戦の骨子なんだ。吸血鬼同士が激突するこの戦いにおいて、敵は人間を添え物程度に見る可能性が高い。理由は君と同じだ、フレイア。君は心の何処かで、未だ人間を見下している。見下しているから、人間を端役扱いにしたがる」

「それが狙い目なんだよ、フレイア。こんな風に吸血鬼と人間が大規模な連携行動を取って防衛戦に挑むのは前代未聞のはずだ。戦いにおいて傲慢は身を滅ぼす。彼らと共に戦って、僕らは人間の力の程を思い知っているけれど、多分ルスケス一党はピンと来ていない。人間に対する注意力の散漫は、間違いなく死に直結するだろう」

 ダニエルまで加わって、戦士級のフレイアはぐうの音も出ないまでに論破された。全くもって反論が出来ず、フレイアはプイと顔を逸らし、雑な座り方でソファに身を沈めた。そんなフレイアの頭を優しく撫で、しかし太股を蹴り返されて再び飛び跳ねつつ、リヒャルトは成り行きを楽しそうに見ていたレノーラに、何時もの調子で話しかけた。しかし、その内容は辛らつである。

「レノーラ、君も同じだよ。君は模造帝級をなめているだろ」

 瞬時に場の空気が固まった。レノーラの人徳も関わる事だが、ノブレム内部で彼女が正面きって諭されるという状況は、これまでほとんど無い。レノーラは少し驚き、直ぐに意見を求める目をリヒャルトに合わせた。

「どういう事?」

「『同時に3体が相手でも勝負出来る』という文言。前回、君達や私が彼らに勝ったのは虚を突けたからだ。ただ一度の手合わせで、彼らが昔に比べて劣化していると言い切るのは、些か楽観に過ぎると思うのだ。何をしてくるのか分からないのはお互い様なんだよ、レノーラ。絶対に彼らを侮ってはいけない。そのような心構えでは死ぬぞ」

 畳み掛けるリヒャルトの前に、ダニエルが立ち塞がった。

「大丈夫だ」

 決然と曰く。

「レノーラは必ず僕が護る」

 場の空気が、また違った意味で固まった。ダニエルは真正面からリヒャルトを見据えていたものの、やがて困惑を表情に浮かべ、肩を落として俯いた。

「…月給取りの力がどれだけ及ぶのかは分からないけれど」

「いや、今のは気概を強く感じたよ。何か出過ぎた事を言ってすいません」

 恐縮し合う2人の間に、レノーラが立つ。ダニエルの肩に手を置いて「ありがとう」と述べ、彼女はリヒャルトに頷いた。

「確かにその通りだわ。私は自ら敵を見誤ろうとするところだった。助言に従い、重々注意を払おうと思う」

「それを聞いて一安心だ」

「逆に、お前はどうなんだ?」

 と、イーライが苦い顔で話を挟んできた。

「居たの?」

「殴るぞ。ルスケス一党が地下から攻め込んで来るのは間違いないのか?」

「100%とは言わないが、それに近いはずだ。ここが王氏の事務所で、尚且つ下界への出入り口であった事を、ノブレムの面々は誰も気付いていなかっただろう? 私もハンターの風間に地下防衛戦について話をされるまでトンと忘れていたよ。連中は陰険だから、そういう所を突いてくる。何しろ陰険だからね」

「言葉がブーメランのように返ってきているぞ。しかしそうなれば帝級が来る。どんな規模になるか見当もつかん。それを1人で相手にするつもりか。不完全不死者の身空で慢心を引き起こしていないか」

「大丈夫だよ、イーライ。罠をいっぱい張って貰ったし、基本的に私は、常に敵の方が強いという心構えで挑んでいるからさ」

 もう直ぐ未曾有の戦が始まるという時に、前線に立つ戦士級達はリラックスしたものである。と、マリーアは嘆息と共に思った。

 自分はジューヌを守護するという大役を、恐らく単独で担う事になる。この面々が容易く突破される状況は想像し辛いが、当然のようにここまで到達される可能性はゼロではない。本部第一階層の応接間、特に話にも乗らず無表情に座っている新祖ジューヌを眺め、ふとマリーアは、彼女の額を軽くノックした。

「思ったよりいい音がしないな」

「こらこら、叩かない叩かない」

 ジューヌが、ぎこちなく笑った。

 

『そう、良くやりましたね。彼女を褒めてあげて下さい』

「多分、賞賛の言葉を聞いている余裕は無いだろう。カスミはロザリオと『加圧機械』を駆使して抑え込みつつ輸血するという、離れ業を始めたばかりだから」

『その前に、どうやってシーザから血を抜いたのです?』

「凄まじかったよ。正気を失った彼女を抑え込んで、太い血管が走っている場所に切り込みを入れる。何しろ相手は帝級だ。だからカスミは、分業で挑んだんだ」

『分業?』

「カスミは『加圧機械』で実力行使し、俺が彼女からロザリオを借りて、要所要所で抑え込む」

『彼女は上手い方法を考えましたね』

「ところがロザリオの効果は持続が効かない。カスミは前に3日間拘束し続ける事が出来たけれど、彼女の実力が高かったからだ。俺はどうやら、彼女ほどの格が無い。止められるのはほとんど一瞬だった。その空隙を縫って、カスミはズタボロにされながら喰らいついていたよ」

『そうでしたか。そうまでしてシーザを』

「ああ、救いたいらしい。でも、もしも実験が失敗したら、彼女の首を刎ねてくれ、ともカスミは言った。考え方が読みづらい彼女だが、リアリストでもあるという事だ。新祖ジュヌヴィエーヴ、あんたは俺を『鞍替え』させる事が出来たが、シーザに対してはまだ無理なのか。正直、気の遠くなりそうな道程なんだが」

『お前の場合は、そもそも仕える者としての立場に疑問を感じる素地がありました。そして自ら考えて結論を出すという柔軟性も。実は鞍替えというのは、私に敵意を持つか否かはさして問題ではないのです』

「そうなのか」

『肝要であるのは、ルスケスに身も心も依存するという状態からの心理的脱却。それを察知出来れば、私は彼女の系列をこちら側に引き込む事が出来ます。帝級という呪いを剥離させる手順は極めて難儀でありますが、真の意味での救済はカスミの心如何にかかってくるでしょう。彼女の献身が報われますように。お前も力の及ぶ限り助けて上げて下さい』

「分かった。あいつに伝えてくれないか。カスミを手伝うという選択肢の提示に感謝すると」

『伝えましょう』

 携帯電話を切り、エドはおびただしい血飛沫がこびりついた室内を顧みた。奥ではカスミとシーザが向かい合う格好で着座している。全身の血液を抜かれるという荒業を施されたシーザは、今のところ再度の昏睡状態に陥っている。一方のカスミはと言えば、暴れ回ったシーザに全身を切り裂かれ、衣服はほとんどはぎれと化し、満身創痍の体でありながら自らの血をシーザに分け与えている。こうして輸血を続ければ、何れシーザは目を覚ますだろう。何度目かの苦闘がまた始まるという事だ。シーザは牛の血を飲み終えてパックを床に放ると、カスミは掠れた声でシーザに語り掛けた。

「ルスケスの呪い、それに対してカスミの血。押し付けているという意味では、実はどっちもどっちなんですよねー」

 シーザの瞼が細かく震える。カスミは力なく笑った。

「だから、どっちかを選ぶ事なんてない。シーザは、シーザ・ザルカイなんでしょ?」

 

 模造帝級は前回の血の舞踏会で討ち死にした者達と、本質的には同一ではない。模造帝級とは、かつてサマエルが決戦の後に自らの手元へと招いた三席帝級の魂を再利用し、且つ強化を施したものだが、その肉体は他の模造吸血鬼同様、仮初の寄せ集めで作られている。肉体と魂は表裏一体で、生まれ持った体が最も適合する魂の容れ物であるのは当然だ。つまり適合が不完全である事を、レノーラやヴラドは見抜いたうえで、劣化と評した訳である。

 しかしながら、その力を侮る事は出来ない。彼らは自律的に行動し、自身の判断で自身の能力を操れる。その当たり前に思える事が、普通の模造吸血鬼には出来ないのだ。加えて、彼らはノブレムと仕える者共との戦いを踏まえており、敵の力の程を深いところまで理解していた。よくも知らない相手に勝つ事は出来ない程度は、彼らも承知している。

 アウター・サンセットから域外に進出した侵攻部隊は、一度放射状に広がって東へと進軍した。そしてジャパンタウンへの接近と共に包囲を狭め、数にものを言わせて押し包む。其処までは、模造帝級達が共通認識したうえでの行動だった。その先は多方向一斉による同時飽和攻撃という展開が、吸血鬼的戦闘様式の常套手段である。しかし、それに『待て』を言う者が現れた。

『何でだ、「隊長」』

 既に部隊は拡散し、模造帝級達は一般戦闘員を十数人後ろに控えさせ、各々が小隊を形成する形を取っている。模造帝級の1人、ハインガットは、離れた場所に居る「隊長」に呼び掛けた。帝級達は全員、意思伝達を思考で繋ぐ事が出来る。つまりルスケスの寵愛著しい「隊長」も帝級である訳だ。

『何故一度形成した小隊を、中途から反故にしてしまう必要がある?』

「帝級が下っ端を引き連れて、それぞれが孤立した小隊で戦を仕掛ける。なんてのは、各個撃破のいい的だわ」

『ならばわざわざ、7つの小隊を最初に作ったのは何故だ』

「似たような戦い方が、人間の領域だった頃のアウター・サンセットで実行されている。その時は間抜けな一隊が先行して潰された。意図をもって兵隊を使い捨てるのは結構だが、意味も無く削られるのはただのアホだよ。この行軍、間違いなく途中から敵に察知される。そして小隊を形成した多方向一斉攻撃と認識するわ。そう思って貰えれば御の字という事よ。戦いは出来るだけセオリーを外してしまうのが望ましい」

『では反故にした後は、どのようにすると言うの?』

 別の帝級、エステリタが問う。

「その時になってから指示を出すわ。君達は雑多な個性が設定されているように見えるけど、その実はとても画一的だ。つまり『こうして欲しい』という要望への解釈と実行が素晴らしく早い」

『褒めているようには聞こえんぜ』

 ヴェルツェーニ。

『言われるがままの自動人形という事かよ?』

 ウージューヌ。

 フン、と隊長は嘆息をついた。

「私は褒めも貶しもしない。ただ事実を言っているだけ。自動人形、結構な事だ。ルスケス様の為に勝てるなら、生きるも死ぬもどうでも良いであろう。ところでクラリモンド、生前はレノーラと因縁があったようだが、今になってそれを思い出さぬよう、注意しなさい」

『何を言っているのです?』

 と、クラリモンドが率直に疑問を呈した。

『私はレノーラとクラリモンドがかつて友人だった、という知識以外に、彼女との関係性を保持していません』

「そう、それでいい。君達に感傷は存在し得ない。最後にウィギントン。戦いの只中で、あまりはしゃがないように」

『分っかりました!』

「分かっていない。まあ良い。以上、その時に連絡する」

 隊長が会話を打ち切ると、脳裏に浮かぶ模造帝級達の濃密な気配が霧消した。

 彼女の外見は十代半ばであったものの、荒んだ口元と猛禽の目つきが、百戦錬磨の体を醸している。実際の年齢は相当のものなのだろう。だから不意に浮かべた笑みには、複雑極まりない意図が伴っていた。

 ノブレムとハンターは、ヴラドやレノーラからの情報によって、恐らく模造帝級の陣容を知っている。しかし自分の存在は把握出来るだろうか? それを思うと、隊長は悦楽に浸れた。相手の思惑を超えてみせるのは気持ち良い。そして自身の思惑を相手が上回ってくるのは更に愉快だ。

「楽しみだわ」

 敢えて口に出し、隊長は恍惚とした表情を浮かべた。

 

Shall we dance

『来たぞ』

 事はジェイコブの手短な第一声から始まった。

 時間は午前零時10分前ジャスト。案の定、ルスケス配下の侵攻部隊は、全員がEMF探知避けの黒装束を身に纏っている。しかし巧妙に配置された監視カメラが吸血鬼達の位置を割り出し、本部エントランスのモニタにも迫り来る敵の部隊の様子が克明に表示された。

「凄いな、これは」

 砂原が食い入るようにモニタに見入る。つられて他のハンター達も腕を組みつつ、ずらりと並ぶ吸血鬼の位置表示を凝視した。

「まるで鬱憤晴らしみたいだ。あのアウター・サンセット攻防戦が余興みたいじゃないか」

「残念な話ですが、これも余興其の二です」

 口ほどに感情を表に出さず、ディートハルトが淡々と述べる。

「ルスケス一党が本気を出すとすれば、それはルスケス自身が出陣する折でしょう。新祖抹殺という目標の下で、出来るだけ広範囲の虐殺を後ろから楽しむ」

「ルスケスの心情をトレースするのが上手いな」

「それは嬉しくない感想ですな」

「どうする、風間」

 フレッドが風間に問う。

「位置情報は把握したぜ。俺達は出るのか」

「待ってくれ」

 モニタを覗き込む風間は訝しい顔をしている。

「ちょっと様子がおかしい」

 

 別室のノブレム面々も慌しく動き始める。レノーラと戦士級達が続々と得物を手に取る中、ジェイズやハンターとの繋ぎ役も担うマリーアは、矢継ぎ早に情報を送ってくるジェイコブと無線で対話をしていた。

「表に出ない方がいい、とは?」

 不意に上がったマリーアの言葉に、庭先へ出ようとしていたレノーラ達の足が止まる。マリーアは彼らに手を挙げて制止を求め、更にジェイコブとのやり取りを続行した。

『探知からしばらくは連中も突き進んでいたが、今は足が止まっている』

「午前零時と同時に突貫する為では?」

『それにしては随分距離を置いている。何か裏がありそうだ』

 

「そう、何か裏がある」

 額に脂汗を滲ませ、風間が呟いた。

「必要以上に距離を空けての待機。午前零時と同時に行動開始」

 顔を上げて、風間が皆の顔を見る。

「異能による遠距離攻撃。それも複数からの集中打」

「なるほど、エルジェですな」

「あれはきつい思い出だわ…」

 ディートハルトと砂原が、アウター・サンセット攻防戦を思い出して得心した。しかし『頑丈なオバケ屋敷』の対異能防御力は強靭である。加えてハンターによる強固な結界が張り巡らされてもいる。エルジェ級の異能攻撃の乱れ撃ちを食らったとしても、本部が陥落する事は、まず無いと言っていい。

 ただ懸念があるとすれば、敵が勢いに任せていない点だった。侵攻部隊は明確に戦術を意識して行動している。つまり敵の頭は、人間同様の思考形態でもって襲撃を企図しているという事だ。

「最初に叩くだけ叩いて、一挙に寄せてくるってとこだろうよ。今の時点は、取りも直さず防御だな。おい、風間、聞いているのか」

「ああ、聞いている」

 風間は口元に手を当て、思案に耽った。僅かであるが、このシチュエーションに既視感を覚えたからだ。

 

「そうか、そう来たか」

 地下下水道の暗闇に1人佇み、リヒャルトは無線を通じてレノーラからの連絡を咀嚼した。

「レノーラ、恐らくだが、これは模造帝級の考え方ではないように思うよ」

『どういう事?』

「前回の戦いを踏まえて対策を施す、というのは模造でも出来るだろう。しかしどうやら敵の中に、対策を更に発展させるという意図を持っている奴が居る。ルスケスは統率者である『7人目』を用意したらしい」

 

 予定通り、隊長は小隊編成を解除して侵攻部隊をバラバラにしてしまった。彼女は自分達の接近と位置関係が既に知られているものと認識している。敵は自分達がどのように寄せて来るかを予め把握する術を持ち合わせているはずだ。反EMF装束はその一環だが、これにて一安心と考えるほど隊長はポジティブではない。索敵の重要性を、彼らは深く理解している。よって彼らの遠目を潰すというところから、隊長は本格的な戦いを始める事とした。

「命令を申し伝える」

 暗闇の中、傅く模造吸血鬼に囲まれ、隊長は帝級を含めた模造達に向けて思考を拡散した。

「午前零時丁度に合わせて遠距離からの攻撃を開始。狙いはノブレム本部を中心とした半径200m範囲を目処。攻撃と同時に戦闘員共は進軍再開。帝級は彼らのバックアップを当面とする。可を告げるまで接近戦は控えよ」

 隊長はバックライト機能のついた腕時計を見詰めた。午前零時まで残り僅か。

 秒針を見詰め、刻々と迫る分針の一致を手前にして、隊長は無意識にもう片方の手を挙げた。そして声と共に、その手を振り下ろす。

「撃て」

 

 午前零時を境に静寂が破られた。

 ノブレム本部の周辺に、何本もの火柱が立ち昇る。加えて突発的な暴風が重なり、都合火炎嵐が周辺域を焼き尽くす。

 落雷が低空から絶え間なく放たれる。建物がガラガラと崩れ去って行く。本部は自身の防御能力と結界によってびくともしていないが、どうやら外では高震度の地震が発生しているらしい。

 ハンターやノブレムの者達が幾度も見てきた遮蔽物を突き抜ける黒い槍も、数百本の規模で落とされた。一方では白色のブリザードが出鱈目に放射し、路面も建物も問わずに凍結させ、バラバラに打ち砕いて行く。

 凄まじい勢いで破壊の波が押し寄せる外の状況を、ハンターとノブレムは、ただ無表情に見詰めていた。

『…おい、お前ら』

 ジェイコブから繋げられた無線が、乾いた声で状況を告げる。

『本部以西300m圏内のMEWSが9割以上喪失したぞ。俺達は目を潰されたに等しい』

 モニタからは敵の位置表示が全て消え失せていた。それでもハンター達は、ジェイコブほどには動じていない。

「エルジェほどではありませんな」

「ああ。エルジェほどじゃない」

 ディートハルトと砂原の言葉は虚勢が由来ではない。ただ事実を述べているに過ぎなかった。風間は息をついてEMF探知機を作動させ、データグラス上の表示を確認する。明確に6つの電磁場異常を確認。帝級である。異能行使の際は、さすがに帝級でも「振れ」をコントロール出来なかったのだ。

MEWSの表示から帝級共は然程動いていない。が、模造吸血鬼の姿は相変わらず確認出来ず」

「つまり、下っ端を先に押し立てて来るって事かよ?」

 フレッドの問いに、風間は頷いた。

「帝級は補助役に徹すると見た。初手は模造吸血鬼で削る算段だ」

「じゃあ、この馬鹿騒ぎは一旦静まるな。それを合図に高速ゾンビが寄せて来やがるぜ」

 言いながら、フレッドは扉の傍に立った。風間、砂原、ディートハルトも膝を曲げて突貫の体勢に入る。と、階上からレノーラがエントランスまで降りて来た。

「バックアップをさせて貰う」

「助かる」

 風間に頷き、レノーラは掌を正面、やや左側に掲げた。狙いは遮蔽越しの外。

 そして唐突に喧騒が止んだ。

 直後、外から突き上げるような爆音が轟いた。仕掛けたのはレノーラだ。ゆっくりと掌が右へ移動すると共に、炸裂音も連続。家屋や建物が順を追って木っ端微塵に吹き飛ばされる。しかしそれは攻撃の意図を伴っていない。

 フレッドが扉を押し開いた。合わせてハンター達が滑るように外へと走る。

 レノーラによる派手な援護射撃に紛れ、ハンター達は夜闇の下、静かに反撃の牙を剥いた。

 

Dirty Dancing

 初撃の段階で言えば、双方に想定の狂いが生じる展開となった。

 ルスケス一党は侵攻直前に監視網を粗方破壊する事に成功したものの、彼らにはそれと同時に、周辺域に潜伏した敵の殲滅と仕込まれたトラップ類の除去という思惑があったのだ。しかし防衛側はノブレム本部内に戦力が全て待機しており、結果先の強大な遠隔攻撃は何ら敵に打撃を負わせる事が出来なかった。

 そしてハンターとノブレムの側も、監視網の破壊までは予想済みであったものの、破壊された箇所から侵攻ポイントの目処をつける目論見が崩れていた。破壊があまりにも大規模であったからだ。加えて、模造吸血鬼は反EMF装束で探知機の察知から身を隠し通している。

 しかし何れが有利な状況かと言えば、ハンター・ノブレムに分があった。どれだけ破壊活動をされたところで、侵攻する方角に制限が加わる地形条件に変化は無い。ハンターが仕掛ける一網打尽策は、ルスケス一党が全く想像もつかない手段の行使であった。

 

『おかしい』

『おかしいぞ』

『おかしいわね』

 模造帝級の間に疑問符が一斉に駆け巡った。彼らは7人で一つの吸血鬼とも言える情報連携が組まれており、1人の発した情報が即座に全員の認識となる。帝級達は模造吸血鬼の侵攻が不意に停滞した事に、即座に気が付いたのだ。

『状況を』

 隊長が問う。ウージューヌがリアクションを返してきた。

『模造共が道路上でぐるぐる走っているぜ。まるで道に迷ったみたいに』

『結界の類か。一時撤退させる』

『いや、待て』

 ウージューヌは更に困惑を告げた。

『粗方退く事が出来んぜ』

『何だと?』

『退けた連中も後方で右往左往よ。どうなってやがる』

『かかっているのは何人』

『二十余人』

『そいつらは見捨てる』

 隊長が言い切った途端、ジャパンタウンの一角におびただしい閃光が炸裂した。直後に爆発音が轟き渡り、噴煙が直上に渦を巻いて吹き上がる。

 その爆発は不自然である。爆音の規模から察するに、周辺への爆風被害は相当のものになるはずだった。しかし爆風の地上反射波は区画の最小限に留められ、融合波面に至っては筒状になってしまっているのが爆煙の吹き上がり方から分かる。仕掛けられたのは、並のトラップではない。跡に残ったのは、奇妙に狭い範囲内で薙ぎ倒された建造物。それに原型を留めぬまでに砕け散った模造吸血鬼だったものである。

『何よこれは』

『何が起こった?』

『4分の1が喪失』

『黙れ』

 思考を錯綜させる帝級達に、隊長はぴしゃりと言い放った。

『他にも仕掛けられている。帝級は引き続き支援』

 

 トラップ屋敷と、考案した風間は呼称していた。

 頑丈なオバケ屋敷を母体としたそれは、「操り手が自在に形状を設定出来る」という仕様を上手く解釈し、周辺の路面等に溶け込んで透明になる、というからくりが施されていた。先のジェイズ・ゲストハウス防衛戦でも、フレンド相手に実績を残している。かように貴重な前哨戦があったにも関わらず、ルスケスはその戦いそのものに全く興味を示していなかった。新祖、ノブレム、ヴラドという敵への認識に凝り固まり過ぎた、最悪の失態である。

 加えトラップ屋敷は、それそのものが酸化プロピレンを燃料とした気化爆弾の本体でもあったのだ。幾ら頑丈な模造吸血鬼とは言え、首はおろか全身を粉微塵に打ち砕かれれば死ぬ。都合、ルスケス一党は本格的な戦闘に入る前に、約4分の1の模造吸血鬼を一撃で失ってしまった。

 気化爆弾の炸裂と同時に、ハンター達は既に次の行動へと移っている。模造吸血鬼は別ルートを選択して再度進撃してくるはずだ。が、仕掛けられたトラップ屋敷は残り三方向にて残存している。多くを削ったとは言え、まだまだ模造吸血鬼の数は優勢だ。そして思惑通り、別のトラップ屋敷に引っ掛かった一団がある。

「しかし少ないぜ」

 先行して単独で偵察していた砂原が風間に無線を繋ぐ。

「10人といない。その後に入り込んで来るのも見当たらない」

『仕込みに気付いたか。その場から離れろ。起爆する』

「了解」

 砂原が「逃げ屋」の脚力を活かし、脱兎の如く離脱する。遮蔽に飛び込んで身を伏せてから数秒、再度燃料気化爆弾に火が入った。閃光。炸裂。業火。押し寄せる爆風を覚悟したものの、砂原の所には拡散した熱風が吹き込むのみである。母体のオバケ屋敷は、物理的損壊を可能範囲内で食い止めてくれていた。

『無事か』

 風間。

「大丈夫大丈夫」

『戦果は』

「不味そうなバーベキューが向こうに転がってるさ」

「良し。合流」

 砂原は即座に場を離れた。大量の吸血鬼を相手に一箇所に留まるのは危険だ。

 結局それが最適の手段である。徹頭徹尾、ハンターは機動戦で吸血鬼達に立ち向かっていた。肉体的な速度では優勢な敵であっても、地の利と適切な移動手段を保ち続ければ、ハンターならば五分以上に持ち込む事が出来る。

(さあ、どうだ。どうするよ吸血鬼)

 走りながら、砂原が思う。戦術では人間が数枚上という事実を、敵は身を持って思い知ったに違いない。しかし馬鹿みたいに力押しの突撃を続けるほど、吸血鬼の頭は悪くないのもまた事実だ。

 背中にぞくりと走る悪寒につられ、砂原は空を仰いだ。

 星空の中に幾つかの歪みが見える。否、幾つかというレベルではない。数十、又は数百。

(『黒い槍』かよ)

 咄嗟、砂原は周囲に符呪を張り巡らせて結界を構築した。しかし『黒い槍』は矛先を別方面に向け、集中的に降り注いでいる。どういうんだ、と呟きかけ、砂原は即座に敵の意図に気が付いた。

 

「残り2箇所のトラップ屋敷がやられた」

 風間は淡々とその事実を無線で述べた。

 トラップ屋敷は4方向の侵攻路を塞ぐという規則性でもって事前に配備されていた。それらは最初の遠隔攻撃を耐え抜いている。屋敷そのものの防御力が高かったから、というのもあるが、相手の攻撃は広範囲で、命中打が然程無かったからでもあった。

 しかし帝級達は規則性を見破り、『この辺り』という目処を立てて異能攻撃を集中させてきた。そうなればトラップ屋敷とは言えひとたまりもない。敵の一団に頭の良い者が居る事を風間は認めた。認めたうえで、風間は全く動揺しなかった。想定の範囲内であるからだ。

「第二段階へ移行」

 風間が無線を飛ばす。

「打撃戦で模造共を削る。たった今『巻き菱』の一つに敵が引っ掛かった」

『分かるぜ』

『ええ、分かりますよ』

「位置関係が分かるのか?」

 風間の問いを受け、フレッドとディートハルトが難なくという風に半笑いで答えた。

『でけえ足音でどたどた走ってやがる』

『全く、夜中に近所迷惑な』

「頼りになる五感だな」

 風間もつられて笑った。

 

 地上の激戦が序盤の佳境に差し掛かるその頃、地下における模造吸血鬼との戦いは、既に決着がついていた。

 事前に張り巡らされた指向性地雷の数々は、思惑通り地下下水道と下界が重なるポイントで大いに威力を発揮し、進出する模造吸血鬼を尽く肉塊へと変えていた。しかし10体を打ち砕いたところで、地雷の発動もぴたりと止んでしまう。当初の位置から一歩も動かずに居たリヒャルトは、それ以上「模造吸血鬼の」侵攻は無いものと判断し、無線を全員に一方通行で繋いだ。

「模造吸血鬼は全員お亡くなりになられたよ。しかし数が少ない。帝級もまだ来ない。本当に来ないかもだ。念の為お地蔵さんのように待ちの一手。折を見て地上の支援に向かうのでヨロシクね。私は全く問題なし」

 無線を切り、フウとリヒャルトは溜息をついた。牛の血真空パックをグラスに注ぎ、次いでソーダ水で割って飲む。炭酸の泡が血と交じり合って変態的等と愚痴った後、リヒャルトは暗闇に視線を戻して呟いた。

「模造帝級にも上級と極上級が居るとヴラド先生が言っていたよ。思うにその違いは、オリジナルの体が残っているか否かだと思うのだ。ほら、サマエルがルスケスと共に、ペドフィリアとマダムビッチの死体を掻っ攫ったって話が、割と前半のリアクションに書いていたじゃありませんか。で、私は君に問う。上級、極上級、君はどっち?」

 下水道の空間に、リヒャルトの間延びした、それでいて冷徹な声音が響き渡る。しばらくしてから、クスクスと笑う声が返ってきた。その声は下水道の何処かから発せられていたものの、位置を特定する事が出来ない。声は空気を伝播せず、直接頭に飛び込んできたからだ。

『支援を呼んだ方が良かったのではなくて?』

「呼ばない」

『あら、そう。私は他の模造帝級に「隊長」と呼ばれている。でも、あなたなら分かるのではないかな。あなたなら、私が誰か。で、問うわ。私は一体、誰でしょう?』

 

 レノーラは全身を大きく震わせた。息を呑んで外の戦況を見詰めていた面々の内、マリーアが彼女の異変に気付く。

「レノーラ、どうしたのだ?」

「訳の分からないものが来たわ」

 曖昧な言葉を返し、レノーラは自分を見詰めるジューヌに目線を合わせた。

「援護を」

「駄目です。彼に任せなさい」

 ジューヌがやんわりと不許可を出し、合わせて忸怩たる表情を浮かべ、言った。

「ルスケスめ」

 

 リヒャルトはわざとらしく頭を掻いて悩んだ挙句を装いつつ、あっさりと解を出した。

「随分声が若くなったものだな。吸血鬼B」

『失敬ね。アンナマリという名がある。私はアンナマリ・シュタイケン。あなたに素っ首掻き取られ、その後地獄から舞い戻った女』

「ついでにアンチエイジングか」

『前よりも随分強くなったわよ。で、ここで相談なんだけど、戦いはもう少し待って貰いたい。模造吸血鬼を操るのも大変なのでね』

「断ったらどうなるのかな?」

『地下戦を放って地上に出るけど、その方がいい?』

「君とは前から話をしたいと思っておりました」

『ええ、私も。話の前に、もう一つ問うわ。私は一体、何でしょう』

 リヒャルトの顔から表情が消えた。アンナマリは、自分が正解を出す事を承知で聞いている。下衆が、と内心毒づき、リヒャルトは言った。

「ルスケスとジューヌ。元は同じ天使を由来とする存在。ならばルスケスにも出来る可能性はあると前から危惧していたよ。お前は『真祖の恋人』だ」

『ああ』

 妙に官能的な溜息が頭に響く。リヒャルトにとっては、おぞましい代物だった。

 

Dancer in the dark

 まだ戦いは序盤を過ぎる頃合である。

 この段階になって判断すべきではないが、ルスケス一党がこちらにまで手を回す可能性は低いものとエドは想定した。主戦場から離れた屋敷から見ている限り、ルスケスの側が一気呵成に嘗め尽くすという展開にはなっていない。現時点、マーサ本部の手前で侵攻は食い止められている。恐らくハンター達の反撃が有効に作用しているのだろう。そして地獄の近接戦闘に持ち込まれるのは時間の問題だ。ハンターの中に高位の禁術遣いが居るのだが、エドの目から見ても件の2人は尋常の存在ではない。

 この場所にシーザ・ザルカイが幽閉されていると知っても、捨て置くであろう。奪還するゆとりなど与えられるものか。

 そのようにエドは考えた。尤も、たとえシーザを発見されたとて、かかる手段は奪還ではなく抹殺である事を、彼はまだ知らない

(それにしても…)

 エドは屋敷の周辺を観察した。模造帝級の遠隔攻撃は、エド達の滞在するオバケ屋敷近辺にまで及んでいた。結果、周辺状況が惨憺たる有様にあって、この屋敷だけが無事である。少し注意を払えば、その様が不自然である事を即座に理解するだろう。出来るだけ長居をすべきではない。

 とは言え、それが叶うか否かはカスミにかかっている。

 輸血を開始してから既に5時間以上が経過しており、その間はシーザの意識が朦朧であったゆえ、特段異変は起こらなかった。しかしカスミが自らの血を分け与えるという事は、自身の力を削ってシーザを回復させるという意味にもなる。過度に疲労が蓄積せぬよう、輸血は極めて慎重な分量で行われていたものの、シーザの全身から血を抜くという前作業は並大抵ではなかった。時折カスミは牛の血を含んでいたが、それでも体力の補填は不完全である。翻ってシーザは今にも起きて来そうなほど、瞼を頻繁に痙攣させている。

(待てよ。瞼だと!?)

 今になってエドは気が付いた。当初のシーザは目鼻を喪失した状態であったはずだ。それが何時の間にか目にあたる部分が形成されている。ルスケスの呪いが打破されつつあるのは間違いない。高揚しかけたエドの心が、ぱちんと開いたシーザの目を見て凍りついた。彼女の瞳は、形容し難い狂乱で掻き乱れていた。

 シーザの喉元から、けだものの雄叫びが迸る。今宵が戦場ではなく静寂の街並みであったなら、間違いなく大猿叫は帝級の居場所まで到達していただろう。

 しかしそうやって延々と叫ぶのは、シーザが指一本動かす事すら出来ないからだ。輸血をしながら、カスミは真祖のロザリオによる呪縛を延々と行使していた。相手を束縛する代わりに、自らもびた一文動けない。途方も無い気力を要する所行でありながら、カスミは何時も通りに飄々と語った。

「ハイ、残念でした。残念でした」

 シーザは言葉のような咆哮を喚くのみである。カスミは構わず続けた。

「まあ聞いて下さいな。そうやって喚いたところで、話をしなきゃ前進も後退も出来ないでしょうに。前にも言いましたけど、似てますよね私達。だから分かるんですよ。でかい力を背景にした主従関係なんて、誰とも結びたくないんだって。でも、ルスケスが本当に怖いから、そうやって忠誠を誓うという設定を心の中に作る、とかとか」

「う る さ い」

 吼えるのをピタリと止め、シーザは怒りを込めて短く言い切った。カスミはと言えば、満足そうに笑う。

「リアクションありがとう。で、設定に添う形でルスケスに心酔する訳だけど、依存する対象が出来ると仮初の幸福を覚えますよね。寄っかかる柱があると安心出来ますもの。でも、あんたが依存しているルスケスは、あんたを愛し、頼りにしようなんて考えはこれっぽっちも無い。だって、自分以外は全部カス以下の人だから」

「こ ろ す」

「本当はシーザも分かっているんでしょうが」

 カスミの声音が、何時の間にかシーザに負けないくらいに張り上がっている。これからが正念場なのだと、エドは解釈した。

 

 砂原が事前に仕込んでいた人感センサー込みの血界煙幕は、大通りを避けて侵入してきた模造吸血鬼の一団に対し、見事に効果を発揮した。見るからに吸血鬼の挙動は衰えたが、煙幕の第一目標はそれが主たる目的ではない。的に当て易くする為だ。

 誰が合図するでもなく、三門のカールグスタフが一斉に轟音を発した。死人の血や銀化で強化を施した榴弾が、模造吸血鬼の塊を木っ端微塵に吹き飛ばす。極度に強化された肉体を持つ吸血鬼とは言え、その物理的破壊力は容赦が無い。再生の暇を一切与えず、カールグスタフが絶え間なく火を噴き続ける。瞬く間に四肢と首が弾け飛ぶ阿鼻叫喚が、住宅街の一角を制圧した。

『目立つな、これ。滅茶苦茶目立つな』

『それが目的でもあるんだよ』

『馬鹿騒ぎに出来るだけ参加してくれるのが望ましい』

 黒い動甲冑に身を包み、一定の距離を置いて砲門を模造吸血鬼に向ける三人が、無線越しに多少気を抜いた言葉を交わした。砂原、風間、そしてフレッド。

 通常複数で取り回すカールグスタフを、彼らは動甲冑ガーシムでもって銃の如く単独運用する荒技を披露していた。尤もフレッドの肉体能力は、補助動力を必要としない段階にあるのだが。

 暴力的な数の優勢に対し、ハンター達は大火力での対抗を選択した。少なくとも妙な異能力を使って来ない模造吸血鬼に対しては、距離を空けた砲火の集中打は著しい効果を発揮出来る。対吸血鬼戦で恐ろしいのは、不意打ちで懐に潜り込まれ、優勢な肉体能力で捻じ伏せられる展開だが、準備万端を整えれば接近戦に持ち込まれない戦い方が効果的だ。つまり銃火器の力がものを言う。

(この状況は敵にとって予想外だろうか)

 装填、発射を繰り返し、風間は場を冷静に見極めた。向こうが考えていた攻撃力の中心は、ノブレムの帝級と戦士級であるはずだ。ハンターが前面に出て、燃料気化爆弾や無反動砲を駆使して挑むとは、よもや思うまい。

 それにしても、吸血鬼達に全く動揺が伺えないのは気がかりだった。一方的に榴弾で弄られるという凄まじい損害を受けながら、模造吸血鬼達の様子はあまりにも淡々としている。

『寄って来やがった』

 フレッドが呟くと同時に、カールグスタフを左翼方面に向ける。目論見通り、銃砲火の派手な応酬につられて新たな模造吸血鬼の一隊が接近していた。初撃で相当に削ったとは言え、まだ押し包めるだけの戦力を敵は保有している。遠距離砲撃のみでそれらを御する事は難しいと判断し、ハンター達は行動を第二段階に移した。

 拡散してハンター達に対する包囲網を形成しようとする模造吸血鬼の集団の、その横合いから散歩の途中とでも言わんばかりにディートハルトが現れた。右腕に呑み込ませた突撃銃をだらりと伸ばし、不意の出現に対処が遅れた吸血鬼達を、ディートハルトはひどく面白そうに凝視している。

『絶対夜道で会いたくないよ』

 砂原の呟きに合わせるかのように、ディートハルトが無造作に突撃銃を発砲。その場から全く動かずにバーストを繰り返し、模造吸血鬼達が続々と撃ち倒される。隙を縫って襲い掛かられるも硬化した体で突貫を受け止め、逆に1400℃の炎熱を送り込む。一斉包囲同時突撃に対してブリザードの嵐でもって対抗し、氷結した吸血鬼を根こそぎ粉砕する。

 ガーシアの高位取得者であるディートハルトの力は、今や帝級の異能力と互角かそれ以上だ。模造とは言え戦士級の吸血鬼集団を相手に、ディートハルトは単独で圧倒的な殺戮を繰り広げた。

『嫌な感じですな、どうも』

 周囲を地獄と化しながら、ディートハルトは何でもないように溜息をついた。

『帝級の支援が途絶えました。どう見ますか?』

『俺達をここに釘付けにして、ノブレムの本部を狙う』

 と、風間。

『初歩的な陽動だ。真の狙いは本部にあるのだから。そしてもう一つ』

『もう一つ?』

『異能を消してEMF探知機の察知から逃れ、致命的な間合いまで詰める』

『当たりだよ』

 砂原がぽつりと言った。何時の間にか、彼の間近に吸血鬼の男が立っていた。帝級である事は、醸す異質な雰囲気で分かる。得体の知れない微笑と共に、帝級・ヴェルツェーニがナイフを振り被った。

 ボッ、と、大質量の物体の衝突音が短く聞こえる。次の瞬間に、砂原の目の前からヴェルツェーニが消失した。代わりに居るのは、ハイキックを放った姿勢を戻すフレッドである。

「手応えが薄い」

 舌を打ち、フレッドが身構える。

「囲まれたぜ。支援する。包囲を抜けろ」

「助かる」

 即座にその場を駆け去った砂原を意識し、次いでフレッドは「飛翔」で直上の空に身を投じた風間に、片手を挙げて合図した。

 二人が上手く抜けた事を確認し、フレッドは敵の包囲が自分と、それにディートハルトを中心にして形成されていると理解した。積極的に動いていた模造吸血鬼も躍動を止め、何処かに潜む帝級と行動を合わせようとしている。

 帝級はこの陣形を作る為、静かに接近を図っていたのだ。そして残った模造吸血鬼を、攻撃も出来る便利な肉の盾として活用するつもりなのだろう。

『禁術遣いだ』

 フレッドとディートハルトの耳元に、出所不明の囁き声が聞こえてきた。

『化け物だ』

『化け物め』

『人間の出来損ないが』

『異能に食われて死ね』

『死んでしまうがいい』

 嘲けり、囃し立てるかのような声と声を、2人は凄惨な笑い顔で受け入れた。

「確かに人とは言い難い」

「しかし出来損ないの血はまだ赤えんだぜ」

「奴らの血は何色でしょうか」

「素っ首引き千切って確かめてやる」

 帝級達の気配が、徐々に濃厚となる。応じてフレッドとディートハルトは、呻きとも歯軋りとも言い難い、獣の唸り声を口から漏らし始めた。

 

 闇夜の空を一瞬で駆け抜けた人影を窓越しに視認し、ダニエルはレノーラ達を顧みた。

「ハンターの風間だ。欺瞞煙幕ってやつを第三階層に投擲したよ。つまり、こっちの方に敵が来るって事だよね?」

 ダニエルの言葉を受け、フレイアとイーライ、それにレノーラが立ち上がった。ここを陥落させる腹積もりであるならば、攻め手は間違いなく帝級である。

 対するノブレム本部の防御は強固だった。計三層の雑居ビルと、その前後左右に配置された建物の全てが、強化されたオバケ屋敷という念の入りようである。先程最上階に投擲された欺瞞煙幕は第五段階に到達する代物で、これにて上空からの侵攻に対する防備が整った。地下下水道はリヒャルトが抑え込みを継続しており、つまり模造帝級の侵攻路は地上に限定された訳だ。

「レノーラ、敵の位置は読めるかい?」

 目を閉じて意識を集中させているレノーラにダニエルが問う。対してレノーラは、首を横に振った。

「巧妙に姿を消している。気配が一切感じられない。彼らが使う異能の一つだわ。こうなると風間のEMF探知機も通用しない」

『いや』

 風間からの無線がノブレムに繋がる。

『東の屋敷に1人引っ掛かった。屋敷にもカメラを仕込んで正解だったよ』

1人?」

1人だ』

「そう」

 レノーラは東に細く絞った目を向けた。1人、というのは如何にもである。ノブレムの主戦力を引き摺り出し、別働隊が何かを仕掛ける算段が透けて見える。

「先ずは私が」

 1人で行く。そう言い掛けて、レノーラはダニエルと目を合わせた。彼の瞳が、否の意思を強く込めているとレノーラは知る。イーライ、それにフレイアもだ。レノーラはリヒャルトの言葉を思い出し、頭を掻いた。

「駄目ね、どうも。自分でどうにかしてしまおうという癖がまだ直らない。みんな、私を助けてくれる?」

「勿論だよ」

「少しはあてにしてくれ」

「全員でフクロにしてやろうじゃない」

 皆の手を差し伸べる言葉に微笑んで頷き、レノーラは再び風間に無線を繋いだ。

「引き続き監視をお願い。必ず他の奴らが別方向からの突破を狙ってくる」

『任せろ。こちらも援護射撃の準備は出来ている』

「最速で片付けてくるわ。マリーア、新祖の事をお願いね」

「心得た」

 ジューヌの傍に控えつつ、落ち着いた様子で短く答えるマリーアに、レノーラは満足げに頷いた。彼女の異能であれば、屋敷の防御が突破されても、十分以上に時間を稼ぐ事が出来るだろう。それだけの力の程を、マリーアはジルとルスケス相手に見せられたのだから。

 レノーラが踵を返す。その両脇をフレイアとイーライが固め、ダニエルは彼らの一歩後ろをついて屋敷の外へと向かった。

 ダニエルはレノーラの後ろ姿を見ながら安堵した。今の彼女に相手を下に見る気配は一切窺えない。速攻を決め、すぐさま翻って新祖を護り抜こうという、あるのはその一念だけだ。ならば自分もレノーラを護る事に集中しようとダニエルは改めて心に誓った。

 東側の屋敷の扉を押し開き、レノーラを先頭とする集団が大股で邸内を突き進む。程なくして、異物が目の前に現れた。初老の、凶暴な目をした帝級だ。名はハインガット。

「レノーラ、久しいな」

 カーミラと呼ばない偽者が、さも親しそうに言った。

「道に迷って困っていたところなのだよ」

 言い終える前にハインガットの膝が折れる。イーライに過重圧を仕掛けられたのだ。そして間髪置かずにフレイアが発した火球が模造帝級の周囲で破裂した。全身を焼かれながら崩れ落ちそうになるハインガットに対し、レノーラが一気に距離を詰め、拳で胸を撃ち抜いた。引き抜き、そのまま首を捻じ切ろうと締め上げる。

 これだけの動作に3秒とかかっていない。終わった、とダニエルは快哉を上げた。しかし直後に絶句する。

 ハインガットの首が落ちない。レノーラほどの実力者が、王手詰みの状況に持ち込んでいるにも関わらず。更に信じ難い事に、ハインガットはレノーラの拘束を外しにかかっていた。

「硬化したな。しかもそれだけではない」

 ぞろりと牙を剥き、レノーラが言う。

「帝級が使う『狂乱』は一味違うぞ」

 逆にレノーラの手首を締め上げ、ハインガットも出鱈目な数の牙を見せた。「狂乱」は一部の戦士級が会得している、身体能力を跳ね上げる為のブースターだ。通例帝級の段階にある者には備わらないはずだった。今のハインガットは、確実にレノーラを上回る肉体能力を保持していた。

 それでもレノーラは硬化させた爪でハインガットの手を切り落とし、ゼロ距離からのミドルキックを鳩尾に捻じ込んだ。吹き飛ぶハインガットの姿が拡散して消える。霧と化して場を離脱したのだ。

 しかしハインガットは、まだ居る。彼とて屋敷に一旦入ったからにはおいそれと出られない。この場の何処かに漂い、単独で全員の始末を狙う腹なのだ。そうなれば間違いなく、先ずは殺し易い者を優先するだろう。

 ダニエルを中心にし、3人が円陣を組む。

「落ち着いて。近くに来れば分かる」

 想定外の状況を前にして、レノーラの声音は十分冷静だった。

 

 抑え込んでいる、という言い方は正しくはあったが、リヒャルトによるアンナマリとの対峙は、敢えて留まる意思を見せる彼女に対して、極力刺激を与えないという消極的意味合いが強かった。

 敵は真祖の恋人、自身と同じ不完全不死者。戦場におけるその存在が如何に厄介かを、同じ立場のリヒャルトは重々承知していた。戦闘能力だけならば、ノブレムやハンターにも強大な面々が揃っている。ルスケス一党に見劣りする事はない。しかし死なない相手と戦えば、最終的に敗北するのは確実に「死ぬ方」である。

 ルスケス一党がこの戦を仕掛けるにあたり、新祖の恋人である自分に対してどのような対策を講じてくるかについて、リヒャルトは予想を重ねていた。前回のようなノブレムやハンターが前面に突出した隙を突くなどという戦術は、本部で強固な防御を築く此度では通用しないと、彼らも承知していたはずだ。大群を率いて数的に劣る自分達を孤立させるのも手段だが、少なくとも新祖ジューヌが死なない限り、リヒャルトは前面に立ち続ける事になる。根本的な対処策について、攻め手の立場に立って考えれば講じてくるのは自然だ。

 そして出した結論は、不完全不死者に不完全不死者をぶつける、というものだった。

「私としては模造帝級の何れかが『恋人』になるんじゃないかと思ったんだけどね」

『私が一番模造帝級を上手く操れる。というのは、私の自信過剰に由来しない事実よ。あなたは、私が復活する可能性もあるかもしれないと知っていた』

「下っ端の面倒を見る係としてね」

『どうせなら「面倒見る係」と「恋人」の両方を兼ねた方が効率的でしょう?』

 リヒャルトは返事をせず、何処にいるとも知られずに声だけを飛ばしてくるアンナマリを忌々しく思った。

 この状況に陥って、明らかに不利を被るのは自分達だ。不完全不死者を仕留めるには、『祖』の息の根を止める必要がある。その最短距離に居るのは『真祖の恋人』の方だった。しかも真祖が次席帝級を遥かに上回る化け物であるに対し、新祖ジューヌは奇跡を顕現出来る人間なのだ。何れの難易度が低いかは明白である。

『私の事を考えているの?』

 と、アンナマリは心底嬉しそうに言った。

『いいわ。私の事だけを考えて。そしてどうやったら私を排除出来るか、狡猾な頭脳で悩み抜いて。凄く興奮しちゃうわ』

「前から思っていたが、君は私と違う意味で変態だよ」

 等と言いながら、若干の違和感をリヒャルトは覚えた。彼女が不完全不死者である事は、間違いなく真実だ。論理的に説明が出来なくとも、同じ気配を持つ者としてはっきりと察知出来る。しかしその一方で、何かがおかしいとも感じられた。アンナマリと自分には、何処かに決定的な差が存在していると。

 それでも、そろそろ潮時であるとリヒャルトは判断した。現状で主導権はアンナマリが握っている。彼女は何時でも対峙を打ち切って外に出る事が出来るのだ。そしてノブレムとハンター達の戦闘に乱入すれば、バランスが大きく傾いてしまう。自分は彼女を食い止める為、追い縋るのみに終始する。強固な防御策に不必要な穴が空く。

 動くとすれば絶対に自分からだ。リヒャルトはそう決意した。

 

Wild Style

 シーザの顔に目が戻り、そして今、鼻が形成された。異形と化していた彼女の顔形が全て元に戻る。即ちそれは、ルスケスに仕掛けられた呪いの喪失を意味するのだ。

 カスミの苦闘は遂に実を結んだ。しかしある意味、ここからが始まりでもあった。

 蓄積する疲労に耐えかねて首を下向きに傾ぐという、カスミの僅かな隙をシーザはここぞとばかりに突いてきた。

 ロザリオによる拘束を突破し、雄叫びと共にシーザがカスミに組み付く。押し込まれて2人の体が床に叩き付けられる。咄嗟の出来事で対応が遅れたエドの目前で、カスミの腕が蛇のようにシーザの首へと巻き付いた。

「来ないで!」

 と、慌てて駆け寄ろうとしたエドをカスミは声を張り上げて制した。都合2人は、抱き合いながらのたうち回る格好となる。シーザの口から、怒りと嘆きの言葉が迸った。

「私とルスケス様の繋がりが! 私が私である為の繋がりが! 酷い、酷いよ、酷い!」

「鼓膜が破れそうなので、もう少し小さい声で喚いてくれませんかね?」

 言いながら、カスミは徐々にシーザを腕力で押し返し始めた。

 カスミの体力は体から損なわれた血液によって大幅に削られていたものの、帝級ではなくなったシーザよりも、今や格が上である。加えてカスミには『加圧機械』があった。組み合う形に持ち込まれれば、勝利するのはカスミである。ただ、カスミの今の体力では、ほんの僅かな差である事には違いない。

 最終的にカスミはシーザを床に組み敷いた。そしてエドに、牛の血のパックを所望する。

「ごめんなさいね、両腕を外したら一貫の終わりなもんで」

「こんなんで回復出来るのか?」

 エドに牛の血を含ませてもらいながら、カスミは首を横に振った。そしておもむろに、口移しでシーザに牛の血を捩じ込んだ。

 意表を突かれて反抗出来ず、シーザの目が大きく剥かれる。二口流し込まれた後、シーザは咳き込みながら盛大に血を吐いた。顔にかかる牛の血を拭いもせず、カスミは困ったような表情を浮かべた。

「おかしいな。魔法の粉のおかげで獣臭さは無いはずなのに」

「何しやがるんですか、このクソガキ!」

「クソガキはお互いさまだと思うんスよ。シーザ、私達、子供なんだから、支配したりされたりする関係を、繋がりと称する事に反抗したっていいじゃないですか。物凄く近くに居ながら、お互いを尊重し合う方が、ずっといいもんだって思いませんか。だから私達、家族になりましょうよ」

「家族?」

 シーザは暴れるのを止め、力なく笑って見下ろすカスミの目を凝視した。

 

 砂原は瓦礫の狭間に身を隠し、禁術遣いと吸血鬼達が対峙する場を、呼吸を詰めて観察した。

 現状、砂原は模造帝級を含めた全ての敵性存在に対し、彼らの目を見事に欺いている。「逃げ屋」の力は、この世ならざる者からの隠身にも長けているからだ。しかし、何かがきっかけとなって真横に吸血鬼が立つ様を想像すると、砂原の背中に怖気が走る。高位禁術取得者ではない自分にとって、吸血鬼の最接近は即ち死である。

(さて、どうやって援護をしたものか…)

 砂原は一見棒立ちをしているようにしか見えない、2人の禁術遣いに注目した。

 フレッドとディートハルトは、当然ながら立っているだけではない。八方全域から仕掛けようと狙ってくる模造帝級と配下達の、その位置を特定すべく神経を研ぎ澄ませているのだ。そして砂原は、彼らが自分の存在に気付いている事も把握している。

 とどのつまり、トリックスターに成り得るのは正しく自分なのだと砂原は考えた。

 この場は奇妙な均衡状態にある。フレッドとディートハルトの力量が破格である事は敵側も承知しているはずであり、しかし静かな対峙を続けるのは十分勝算を見出しているからだ。一方が初手を出し誤れば一挙に不利を被る展開になる。そしてハンター側から有効な初手を出せるのは、敵に存在を勘付かれていない自分である。

 そして、砂原は気が付いた。自分の位置から然程距離を置かず、闇と瓦礫に紛れて奇妙な形のものが身を潜めていると。状況が許せば、砂原は腰を抜かしていただろう。

(おいおいおい、どえらい近くに居やがったよ。怖え、超怖え)

 そう思う反面、砂原は口の端をにやけさせた。そしてためらう事なく手榴弾の安全ピンをその場で抜いた。

 

 欺瞞煙幕第五段階の効力を封じた手榴弾が、砂原の手により炸裂する。

 彼の間近に居たのは模造帝級のウージューヌ、それに配下の戦士級が2体。2人の禁術遣いに意識を傾けるあまり、砂原の奇襲への対処が遅れ、彼らは揃って「罹患」した。それはこの世ならざる者、霊体すら逃れ得ぬ呪的な病だ。ウージューヌの膝が傾ぐ。戦士級が膝を地に付ける。瞬時に転換した状況を、禁術遣い達が見逃すはずはない。

 煙幕から脱兎の如く離脱する砂原と入れ違いに、フレッドとディートハルトが一挙に距離を詰める。腕に飲み込んだ突撃銃で、ディートハルトが戦士級2体の頭部を破壊。煙幕の只中に突入したフレッドが、顔を上げたウージューヌの首をもぎ取る。

 体を反転させて構えるフレッドの傍に、僅かに遅れてディートハルトが立つ。一瞬で模造帝級を含む3体を屠った彼らを前にして、機会を逸せど吸血鬼達の反撃が始まった。

 禁術遣い達の頭上に膨大な数の黒い槍が、穂先を下に向けて発生する。一時に落下してきたそれらを、フレッドとディートハルトは避けた。傍目には瞬間移動をしたかのような速度で位置を変え、互角の勢いで追随する2体の帝級と各々が激突。フレッドは受け止めた。ディートハルトは首を狙って来た大型ナイフをイゾンの硬化能力で弾くも、桁違いの腕力でもって体を半回転させられる。地面に上半身が衝突。真上から振り下ろされた刃を、ディートハルトは体を霧にして反故とした。

「大丈夫か」

「ええ、まあ」

 距離を置いて再度出現したディートハルトが、拳と蹴りを無数に繰り出す格闘戦へともつれ込んだフレッドに問う。2人の声は無線を介していない。接近戦の真っ只中にあって、度を越えて発達した聴覚で声を拾いあうという離れ業を2人は披露していた。

「妙だ」

「確かに妙ですな」

 ディートハルトが即座に跳躍する。潜んでいた3体の模造戦士級が、彼の居た場所に殺到。其処へ向けて突撃銃の狙いを定め、連射。戦士級が申し合わせたように散開し、三方向から拳銃弾がディートハルトを狙う。硬化してはじき返す。

 その間にフレッドと帝級の格闘戦に、残るもう一体が割り込んできた。ほとんど五分だった趨勢が一気に傾く。フレッドの肩口にナイフが深く斬り込まれる。裏拳を真横一直線に振り抜き、フレッドはようやく2体を間合いから引き剥がした。

 帝級2体が一旦距離を取る。またも模造戦士級が瓦礫の狭間に潜む。都合、双方は申し合わせたように一旦小休止を取る格好となった。

「エステリタ」

「ヴェルツェーニ」

 模造帝級が己の名を名乗る。対してフレッドとディートハルトは、ほぼ同時に鼻で笑った。

「てめえらの名前なんざどうでもいい」

「吸血鬼は無駄に自己顕示欲の強い者が多いようですな」

「まあ、そう言わないで頂戴」

 奇妙な親しさを伴い、エステリタが言った。

「私達には高貴なる吸血鬼としての誇りがあるわ。殺し合う間柄にも相応の敬意を払うものよ。誰にやられたか分からずに死ぬお前達への憐憫、とも解釈を戴きたいわね」

「もしかして、アホですか?」

「リサイクル品風情がでかい口を叩くんじゃねえよ」

「お前らはどうなんだ。この吸血鬼状の奇怪生命体どもが」

 ヴェルツェーニがケラケラと耳障りな笑い声を上げる。

「禁術持ちというのは、どいつもこいつも薄気味悪い。分不相応の力を体に入れて、そいつが収まりきらずに奇形となって表出するという訳だ。戦う為だけに蠢く肉塊め」

「ペラペラとうるせえ、模造品」

 背中を丸め、目を細め、フレッドが低い声を発して恫喝した。

「その肉塊に、肉塊とされる前の気分を教えてくれよ。欲望に任せて人間を食って、人外に成り果てた外道共が。こんな体でも、どうやら俺は、まだ人間だ。人間並みに怒りの感情が残っている。訳も分からずお前らに殺られた人々に代わって、ボロカスにぶちのめしてやるぜ」

「…さて、全く相容れない者同士の対話を、そろそろ結論に導きましょう」

 猛りかけていたフレッドをやんわりと抑え、ディートハルトは帝級達を見下しつつ言った。

「奇妙な戦い方を仕掛けてくるものだ。それにこの会話。時間稼ぎの意図が見え見えですよ。で、本部には帝級が3人向かった訳ですな?」

「4人だ」

 ヴェルツェーニが睨みながら曰く。ディートハルトは多少躊躇したものの、それはおくびにも出さず更に畳み掛けた。

「ついで言えば、お前達の力はおかしい。シャイタンの系列では最強のフレッドと、模造帝級が五分に持ち込めるのは理屈に合わない。察するに、『狂乱』ですかな?」

「御名答」

「正確に言えば、『狂乱しっ放し』なんだがな」

 ディートハルトの口元が歪む。なるほど、高位の禁術取得者が対抗してくる事を、敵は当然の如く想定し、準備していたのだ。そして敵は、まだ全貌を見せていない。しかしながら、それは自分達とて同じ事である。人間である事を捨てにかかった高位禁術取得者の恐ろしさを、彼らは模造であるがゆえに忘れたのだろうか?

「動かないで」

 と、エステリタが声を上げる。フレッド、ないしはディートハルトに言ったのではない。

「其処の人間、ハンター。もう私達の目を逃れる事は出来ない。妙な動きをしたら死ぬわよ?」

 地に伏せ、P90を抱えた格好のまま、砂原の体が硬直した。既に身を一度晒した後では、帝級相手に「逃げ屋」の隠身は通用しないという事か。息を呑み込む砂原の耳に、今度はディートハルトの声が響いた。

「我々を前にして、そのような真似は出来ますまい。もう直ぐ始まりますから、もう直ぐ。さすれば上手く遊撃して下さい。砂原氏ならば出来るでしょう」

「そうはいかない」

 エステリタの目が怪しく揺らいだ。

 咄嗟、ディートハルトの思考が高速で回転する。帝級が用いる異能の内、彼女が何を選択してくるかを想定する為に。

 ヒプノテス系列。人間の精神に干渉する異能。恐慌。発狂。強制命令。最悪の場合は即死。

(いかん!)

 しかし既に、エステリタの異能は発動していた。

 

 トラップ屋敷の凄まじさは、内包する燃料気化爆弾が所以の全てではない。出す、と考えた瞬間に有無を言わせず出現させる臨機応変さが真骨頂である。

 その特性を風間は熟知したうえで、ノブレム本部に迫る吸血鬼を相手に、ほぼ単独で防戦を繰り広げていた。

「まだ来る」

 瓦礫の隙間を縫って侵攻する模造吸血鬼の一団を、「飛翔」でもって空の人となった風間が目ざとく発見した。即座にトラップ屋敷を仕掛けて吸血鬼達を封じ込める。起爆。

 直上に吹き上がる爆炎が、裂断された吸血鬼の五体を骨まで焼き尽くす。成果のほどは見るまでもない。風間は狙撃を避けるべく本部第三階層まで一気に身を退いた。EMF探知機をON。反応無し。息をつく。状況を整理。

 既に相当数の模造吸血鬼をトラップ屋敷で粉微塵にしたものの、肝心の帝級はなりを潜めている。否、攻撃は仕掛けてきているのだ。模造の戦士級を前面へと押し立てる間に、帝級は風間に一切位置を悟らせる事なく、徹底した遠距離攻撃でオバケ屋敷に攻撃を加え、本部を守る内の3つを破壊してしまった。残るはレノーラやダニエル達が帝級のハインガットと対峙する東の一つのみ。防御をほぼ丸裸にされた格好だ。

(つまり、模造戦士級は徹底して防御を剥がす為のおとりになったという訳か)

 風間は冷笑するしかなかった。敵は本部を露出させた時点で目的は達成したと思っているだろう。しかしながら風間もまた、敵を1人残らず殲滅するという確固たる狙いを持っており、それは達成されつつある。恐らく、配下達は現時点で壊滅状態に近い。模造戦士級を惜しみなく使い捨てるという敵の意図を、散々に利用出来たのは皮肉だった。帝級達は模造品など幾らでも再生が効くと思っているかもしれないが、別の場面での戦いが勝ちで終われば、彼らが夜の月を見る事は最早無い。

 ただ、厳しい状況は未だ続いていた。

 レノーラ達がハインガットとの戦いに手こずっている。彼女らは即座に戦いを終わらせ、取って返すつもりだったのだ。それが成し得ない今、この段階で本部の防御に回れるのは自分かリヒャルトのみである。そして当のリヒャルトも、金縛りにでもあったように地下から出られないでいた。敵は不完全不死者だ。彼女との対話を、リヒャルトは無線で流している。恐るべき手合だが、もう彼に任せる以外の手段がない。都合風間は、ディートハルト達と連携して帝級と戦う算段が崩れた。本部を何としても護らねばならないのだ。

 無線で帝級の配置はある程度把握出来る。ディートハルト、フレッド、砂原が相手にしているのは3体。レノーラやダニエル達のところが1体。リヒャルトの向き合う想定外が1体。つまり本部突貫を虎視眈々と狙っているのは2体という訳だ。

 その2体は狡猾である。帝級らしく強大な力を存分に振るってくる方が、まだ分かり易い。しかし彼らはこちらの隙を伺い、ないしは隙を作り出そうとし、闇に紛れて今も息を潜めている。それでも、彼らが力を行使しようとしたその時に、必ずEMF探知機は反応を返してくれるはずだ。風間はひたすらその時を待った。この沈黙から察するに、模造戦士級の手持ちは恐らく払底している。残る手段は彼らが自ら打って出るのみである。そして、EMF探知機に繋いだイヤホンが、けたたましく警戒音を発した。

(距離5メートルだと)

 データグラスに映る反応ポイントを確認し、風間はSG552を引き起こした。

 風間は本部第三階層の内部に居る。反応は水平位置5mの範囲内。つまり敵は宙に浮かんでいるのだ。自分が第三階層で待機している事を、間違いなく相手は見越している。然して、敵は些か軽薄な声を風間に寄越してきた。

『こんばんは。こんばんは。んんん、中に何が隠れているのかなぁ?』

「ふざけやがって」

 反射的に呟く風間に対し、女の声はさも嬉しそうに言葉を返した。

『おや返事が。はじめまして、ウィギントンと申します。お名前は何と?』

「風間」

『ああ、知っていますよ。ルスケス様に目をつけられた人ですね。実に名誉な事ですよ。風間さん、あなた、殺すのが実にお上手でしたよ。よくもまあ、普通の人間があれだけ吸血鬼を殺せたもんです。素晴らしいの一言』

「いいから用件を言え。俺は忙しい。宗教の勧誘なら間に合っている」

『あははは。面白いなあ風間さんは。いや、特に用件というのは無いんですけど、私は昔からお喋りが大好きなんです。喋っていれば御飯三杯はいける口でしてね。ま、吸血鬼だから御飯は人間3人分というところですが。取り敢えず少し話ましょうよ。死ぬのは後からでも出来るでしょ?』

 物狂いが。

 風間は朗らかな声の向こうに何も無い空っぽな心を見通し、忌々しく唾を吐き捨てた。対してウィギントンが、相手のリアクションにお構いなしに喋り続ける。

『興味があったんですけど、何で吸血鬼の味方をするんです?』

「俺はお前らの敵だが」

『そう、敵でいいんですよ、吸血鬼と人間は。決して相容れぬ者同士、という関係性が一番しっくりきます。なのにレノーラに協力なんかしたりして、私は極めて残念です。あんな連中、放っておけばいいんですよ。奴らが生きようが死のうが、あなたには何の関係もないじゃないですか。そうだ、この場で回れ右をしてくれるなら、殺すのをやめたっていいんですよ? ルスケス様に怒られるかもしれませんが』

「首から上をザクロにしてやる」

 ベキ、と建物内にひしゃげる音が響いた。第三階層に何らかの干渉が仕掛けられている。言うまでもなくウィギントンの仕業だ。

『もう一回言いますよ。ここから出て行った方が、いいと思うなあ』

「嘘だな。出た瞬間に仕留めるつもりだろう。問いの答えだが、シンプルな話だ。害を為してくる連中と戦い、そうでない者と手を組む。そいつは人間とこの世ならざる者の区別よりも優先する。もがきながらマシな未来を目指して進み続ける奴らに手を差し伸べよう。翻って、ただ面白おかしく殺戮するしか脳の無いお前らは皆殺しだ」

 部屋の四隅の柱が折れる。どうやらPKでもって第三階層ごと握り潰す腹らしい。風間は迷う事なく外へ繋がる扉を蹴り開け、手榴弾を投擲した。

 瞬く間に拡散する真っ赤な煙から、口元を抑えつつウィギントンが離脱した。そして追い打ちの銃弾を数発胴体に貰い、体をがくりと傾がせて落下する。その途中、血煙を突き抜けた風間と目が合った。ウィギントンの口の端が曲がった。

「ははは、あはははは!」

 ウィギントンの耳障りな哄笑に顔をしかめ、風間は「飛翔」の角度を一気に下向け、地面に降着して遮蔽に身を隠した。ウィギントンは血界煙幕を多少吸い、強化済の突撃銃で弾を捩じ込まれている。帝級と言えど弱体化したのは間違いない。ただ、彼女は間違いなくとどめを刺しに来るだろう。

(敵の意図に敢えて乗るか…)

 風間は銃身を擦り、隠身に没入した。未だ現れぬもう1体は、恐らく本部に取りついている。ノブレムの者達の力を信じないではないが、極力高速で片を付けようと風間は覚悟した。

 

「あら、あなたは誰?」

「失敬な奴だ。勝手に入ってきた分際で。そちらから名乗るのが道理だろう」

 新祖ジュヌヴィエーヴの前に立ち、マリーアは侵入者に対して気丈に言い放った。

 目の前に居るのは女帝級だ。本来であれば、決して一対一で向き合ってはならない手合いである。しかし全ての防御をすり抜けて侵入を果たされた今、真祖の間近にあって彼女を護れるのは、最早自分を置いて他に居ない。

 それにしても物憂げに立つ女帝級の、姿形だけは何とも美しい。エルジェが毒々しい薔薇とすれば、彼女はスミレのように可憐だった。それでいて、敢えて隙を作り無防備を装うしたたかさも感じられる。マリーアは直感的に、彼女は人間の頃に高級遊女だったのだろうと察した。

 模造帝級は肩を脱力させ、頬を淫靡に緩めて、鈴の音の声で答えた。

「それはそうね。失礼しました。クラリモンドといいます。主の命を受け、あなた達の主の首を狩る為に参りました」

 クラリモンドは優雅に膝を曲げて会釈し、逆に名を問うてきた。

「マリーア・リヴァレイ」

「素敵な名前ですね」

 クラリモンドが目を細める。マリーアの背筋が大きく震えた。淀んだ瞳を見れば分かる。この女に正常な精神は宿っていない。

 マリーアは微動だにしないジューヌの肩に手を置き、負けじとクラリモンドを睨み付けた。クラリモンドも佇んだまま、その場から一歩も動かない。この場にただ一人留まった自分が、どのような隠し玉を持っているかを推し量っているのだと、マリーアは解釈した。

 ただ、敵がその気になれば新祖と自分、2人揃って簡単に首が飛ぶのは間違いない。クラリモンドという女帝は、この世ならざる者の方向感覚を極端に捻じ曲げるこの屋敷の中を、あっさり通り抜けるほどの実力者なのだ。彼女の気が変わらぬ内に自身の持てる最大の力を行使する。マリーアは躊躇なく『魔女』の力量を発揮した。彼女の瞳が蜃気楼のように揺らぐ。

「お前とは何時ぞやに会って以来かな?」

「…そうでしたか? ええ、久しい気がします」

 かかった。

「ともあれ、少し落ち着こう。何か飲むか? いいワインがある」

「そうしたいところだけど、何だったかしら。私は忙しいのです。そう、其処に座っている方を」

「クラリモンドの友人だろ?」

「ええ、その方は私の友人です」

「では座って話そう」

「分かりました」

 クラリモンドが大人しく手近のソファに腰掛けた。彼女から一切視線を逸らさず、マリーアも対面に座る。敵対する相手に、自分が仲間だと強制的に認識させる異能『魔女』は、ルスケスにすら僅かでも通じる力がある。三席帝級に通用しない訳がない。それでもマリーアは油断しなかった。彼女は突出して異常なものを内包している。オバケ屋敷の呪縛を破るなどという芸当を披露できるのは、並大抵の代物ではない。

 自分が出来るのは場を繋ぐ事だとマリーアは考えた。既に自分は無線でアラートを出している。レノーラ達や外のハンターは、危急の状況を察知しているに違いない。援護が来るまでを耐え抜けば勝ちだ。マリーアは更に気合を高め、古い友人に接するが如く話を続けた。

「レノーラも元気にやっているよ」

「レノーラ? ああ、カーミラの事ですね。私も会いました。相変わらず、こうと決めれば梃子でも動かない人でした」

「付き合いは随分古いのだったな?」

「ええ。彼女と私は似ていたのです」

「何処が」

「人間の男を愛した、という事です。私が人であった頃、春をひさいで刹那の恋を繰り返したものですが、死んでもいい、と思える殿方に会えたのは、皮肉にも吸血鬼になってからでした。でも、私はその方に裏切られて人間に絶望し、カーミラは愛する事を最後まで貫きました。愛に見捨てられなかった、とも言えましょう。ですので実を申せば、私は『レノーラ』が心から憎い」

 クラリモンドの纏う空気が変化した。まさか、とマリーアは思う。否、間違いない。『魔女』の力が、少しずつ打ち破られようとしてい。クラリモンドは眠たげな目でもってマリーアを見据え、言った。

「この屋敷を迷わず抜けられたのは、事前に『こういうものが有り得る』と知っていたからです。知っていれば、私ならば対処が出来ます。このビルはこの世ならざる者の認識を捻じ曲げ、方向性を見失わせる。という事は、捻じ曲げられないよう心に防御を施せばいい。人間が使う結界に似ています。心の壁とも言えます。吸血鬼は人の心を攻撃する術に長けている者が多いのですが、心を護る手段を持つのはごく僅かです。しかしマリーア、あなたは私の力を凌駕しました。現状、あなたの束縛から離脱出来ているのは2割程度です。本当に恐ろしい人」

 つまり2割は自由を得、更に割合を広げつつあるという事だ。マリーアの全身から汗がしとどに流れ始めた。今のところ、クラリモンドの攻撃の意思はマリーアに向いていない。首を刎ねられるのは最後の最後、『魔女』が完全に破られた時だ。しかしそれまでにクラリモンドが力を行使する余地は間違いなくある。マリーアは瞳を横にずらし、静かに座っている新祖を目の端に置いた。彼女に目を向けられるのはまずい。そしてマリーアの懸念は、現実のものとなった。

「何故逃げないのですか?」

 と、クラリモンドは新祖に言った。

「そろそろ危機的状況に陥りつつあると理解しているのでしょう。逃げないと、あなた、私に殺されますよ」

「逃げる必要がないからです」

 ジューヌは女帝到来以降、初めて口を開いた。クラリモンドは言葉の意味を図りかね、更に畳み掛けた。

「見たところ、あなたに攻撃的な力の類は見受けられません。この状況であれば、あなたはただの人間にすら殺される程度の御方です。逃げる必要がない、とは、あなたが私を排除出来るという意味ではない。あなたはどのような意図をお持ちなのですか」

「あなたは可哀想な人です。仮初の生を受け、生前の苦痛だけを引き摺って稼動させられる哀れな下僕」

「それは私の望む答えではありません」

 クラリモンドが懐に手を差し込む。咄嗟マリーアが立ち上がろうとするも、クラリモンドに空いた手を向けられた途端、金縛りにあったように身動きが出来なくなった。

「PKか」

「あなたの影響下では、この程度しか出来ません。しかしこれを使えば彼女を仕留められます」

 クラリモンドは拳銃の銃口をジューヌに向けた。対するジューヌは、動じる気配が一切見当たらない。穏やかなクラリモンドの顔に険が浮かび上がる。躊躇無く彼女は引き金を絞った。

 

 マリーアからのアラートはダニエルと他の3人も把握していた。一刻も早く援護に向かわねばならないのは4人とも分かっているのだが、目の前の状況がそれを許してくれない。

 ハインガットは間近に居る。にも関わらず、姿形はおろか気配すら消去し、この部屋でダニエル達の抑え込みに成功していた。「近くに来れば分かる」とレノーラは言っていたが、鑑みるにそれは果たせていない。つまり分かった時点で誰かの首が飛ぶ展開が容易に想像出来る。そして反撃するよりも早くハインガットは消えるかもしれない。或いは討ち取れる可能性もある。ハインガット、ダニエル達双方にとって、今はやってみなければ分からないという状況なのだ。ハインガットが仕掛けて来ないのもそれが所以である。

 模造帝級達は、各々が何らかの得意技とでも呼べる個性を所持しているのだが、ハインガットの場合は、どうやら隠身の系統に長けているらしい。沈黙したまま息を詰めているレノーラの背中を見、ダニエルはそのように察した。彼女ですら位置を特定出来ないのが、ハインガットという皇帝級の力であった。

(拙速は禁物だ)

 と、ダニエルは気を引き締めた。

 確かにマリーアは気掛かりだが、自分達が彼女を置いて出向いたのも理由があっての事だ。彼女の支配力を突破するのは三席階級では困難を極める。それに新祖の安全も、ハンターの風間は二重三重の仕掛けで確保している。焦ってこの陣形を自ら崩すのは愚策である。

 ただ、マリーアの力にも制限時間が設けられている。だからこのまま両者が竦む状態を続けて良いはずはない。そして新祖の事にしても、絶対に安全とたかをくくる事をしてはならない。

 短時間で思考を巡らせ続け、ダニエルは結論を出した。自分が状況を打開するのが最良であると。

 ハインガットの警戒対象は、次の格付けが為されている。レノーラ。フレイアとイーライ。最後にダニエル。月給取りである自分の戦闘能力を格段に下に見るのは、悔しいところだが当然だ。恐らくハインガットは、最も殺し易い相手としか見ていないだろう。ダニエルを中心とした陣形にしても、真っ先に殺害対象となるのを防ぐ為のものだ。

 つまり、ダニエルはハインガットの虚を突く位置に居り、彼もその点を重々理解していた。ダニエルは、ハインガットの隠身能力を反故にするだけの力を有している。『御破算』。対象の異能力行使を消去する、局面によっては凄まじい威力を発揮する異能である。

 ただ、それを実行するには対象を目視しなければならない。以前は直接触れねばならなかったから、進化しているとは言えるのだが、肝心の相手は全く見当たらなかった。ダニエルは両目を見開き忙しなく眼球を動かした。

 どうにかして、この部屋の何処かを漂うハインガットを見つけられないものかとダニエルは考えた。隠身に隙のようなものが何処かに。しかしレノーラが分からないものを自分などが。と、ダニエルは心を挫きかけた。

(いや、違う。そうではないだろう)

 レノーラを護ると自身が言った事を、ダニエルは思い返した。たとえ一から十まで優秀な人物であったとしても、その人の手助けをしようというのであれば、何がしかの部分で対象を凌駕する必要がある。それだけの才能が自分に備わっていると、慢心ではなく事実として考えているからこそ、ダニエルは彼女を護る事を決意したのだ。

 だから必ずハインガットに対し、先手を取ってみせる。ダニエルが意を決したその時、想定外の事態が発生した。

 突如、ハインガットが陣形の隣、レノーラの真正面に出現した。それが双方の意図から全く外れていた事を、レノーラとハインガットの驚愕する面持ちが如実に示している。

「レノーラ!」

 ダニエルが叫ぶと同時にレノーラが腕を真横に振り切った。一体何が起こったのか分からない。そんな顔でハインガットの首が宙を舞う。切り離された胴体がガクガクと揺れ、膝を屈し、倒れ伏す。

 決着は呆気なく、一瞬でついた。極度の緊張から解放され、ダニエルの膝から力が抜ける。しゃがみ込みそうになった彼を、フレイアが手を差し出して支えた。

「やるじゃん、ダニエル」

「よくやったぞ」

 イーライに頭を掴まれて些か雑に揺らされたダニエルは、彼らが何を言っているのか分からず困惑した。そんな彼にレノーラが、苦笑交じりで助け舟を出す。

「あなたの異能が場を転換させたのよ。『御破算』がハインガットの隠身を打ち破った」

「何だって? でも、ハインガットを見つけていない」

「あなたは進化した、という事よ。目視せずに、周囲で異能力を行使しようとする対象をキャンセルに導く事が出来る。先の出来事は、そうとしか説明がつかないわ」

「そんな事が」

「さあ、ゆっくりしてはいられない。マリーアと新祖を助けに行きましょう」

 レノーラは踵を返し、仲間達を伴って本部へと急いだ。

 

『お前に言われて調べてから、奇怪な話だが初めて気が付いたよ。俺を含めてみんなが。この動乱で死んだ敵味方の死体は、都度安置所に入れていたんだ。しかし新しい死体を運び込む都度、前の死体が消えていた事を誰も知らなかった。いや、欺かれていたと言うべきだろう。こっちが感知しない内に死体を取られているのも異常だが、もっと恐ろしいのは普通なら安置所が死体で溢れ返るっていう、発想そのものが消されていた事だ。奴は、サマエルは、心の侵略をとっくに始めていたんだ。改めて思うぜ、俺達は何て奴と戦おうとしているのかと』

「大丈夫だよ、マクベティ警部補。私達の戦おうとする心まで、敵は折る事が出来ていない。戦おうとする限り、私達は敗北しないのだ。共に戦おう、警部補」

 警部補と繋いだ無線を切り、リヒャルトは顔を上げて闇の虚空を睨んだ。そして何処からともなく声が聞こえてくる。

『消えた死体の中には、当然ながら私のもあったのよ。どう、凄まじいでしょ? あなた、とても分の悪い戦いの只中にあるって事なのよ』

「はいはい、左様でございますか」

 アンナマリの挑発を受け流したものの、リヒャルトは予想もしていなかった情報にげんなりしていた。極上級の模造帝級を作る為には、オリジナルの死体が必要という仮定の根拠を得る為、警部補に裏取りを依頼した結果がこれだ。やれやれ、全く、よくもまあ。と、敵対するものの巨大さを改めて知り、リヒャルトは半ば呆れた。が、この期に及んで弱音を吐くつもりもない。

 取りも直さず、今はアンナマリへの対処である。

 彼女は今に至っても動きを見せる気配が一切無い。自分をここに留め置く事で、彼女自身の狙いはほぼ達成されているからだ。リヒャルトもマリーアからのアラートは把握しており、つまりそれは本部への侵入が遂に始まった事を意味していた。間違いなく、アンナマリの方もそれを承知している。

 もしもアンナマリが動き出すとすれば、侵入した模造帝級が尽く返り討ちにあった時だ。その可能性は高いだろう、というのがリヒャルトの見解である。オペレーション:ジュルジュにおけるノブレムとハンターの戦い方は、精強そのものである。必ず彼らは模造帝級に負けはしない。

 しかしアンナマリは別格だ。不完全不死者など、どうやっても勝てる相手ではない。故に彼女を侵攻の切り札にしてはならない。リヒャルトは腹を括り、おもむろに立ち上がった。

「出て来い! 姿を現せ、卑怯者!」

『あなたに言われたくないわね』

「この変態吸血鬼め!」

『それこそあなたに言われたくないわね』

「君は一体何処に居るんだ!?」

『さあ、何処でしょう。探しに行けば?』

「で、勢いに任せてこの場を離れると、君は真上の本部にあっさりと上がれるようになるのだな。忘れちゃならんのは、君の大目標が新祖抹殺にある点だ。よって私は確信する。君が居るのは、ここだ」

 リヒャルトの胸元から膨大な閃光が放たれた。明かり一つ無い闇がマグネシウム発光で瞬時に照らされ、浮かび上がるのはサングラスをかけたリヒャルト。湿気たコンクリートの下水道。突如の過大な光量に目をやられ、反射的に目元を手で覆うアンナマリの姿。

 下水道の過剰な暗闇はこの奇襲を成立させる為、敢えて準備されていた。その事実に気付く前に、アンナマリの顔をリヒャルトの手が鷲掴む。

「第一回の自分のアクトをパクりました!」

 リヒャルトの『極振動』が、アンナマリの首から下を消し飛ばす。首だけのアンナマリは笑った。笑いながら見る見るうちに、体を復元させて行く。

「言ったでしょう!? 私が不完全不死者だと! 私が嘘を言ったとでも」

 皆まで言わせず、リヒャルトは二発目の極振動を射出した。出来上がりかけたアンナマリの体がまた消える。躊躇の表情を浮かべる彼女の首を正面に掲げ、今度はリヒャルトがゲタゲタと笑い、恐るべき速度でもって地下下水道を走り出した。

「このまま一緒にサンフランシスコの端までLet’s GO!」

 幾ら不死だろうが、体を復活させようが、首を確保して胴を消し続ければ反撃は出来ない。あまりにもシンプルな力技に、アンナマリは絶句した。

 

La ronde

「吸血鬼になっちゃった人達はみんなそうだけど、私達、家族が居ませんよね。その事で私達、心のバランスがどこか傾いちゃってると思うんですよ。私とシーザが一番似ているのは多分そこ」

「傾いたバランスを元に戻す為に、私達同士が家族になろうって訳ですか」

「そんな大層な話でもないッスよ、シーザさん。今の自分達を否定するつもりなんて無いんです。でもね、体が傾いてしまったら寄りかかるものがあったっていいじゃないですか。実を言えば私を支えてくれるものは、仲間達には申し訳ないけれどノブレムには無い。そしてシーザにとっても、それはルスケスじゃない」

「私の心を勝手に決めないで下さい」

「でも事実でしょ。だってルスケスはシーザを頼っていないもの。異形の戦闘員にして、戦場に放り出してニヤニヤ笑っているだけじゃないですか」

「嘘だ」

「嘘じゃない。頼って、愛着を寄せていれば、シーザに苦痛を与えて罪悪感の一つもなく状況を面白がるなんて出来るはずがありませんよ。そんなものが支えに、家族になれる訳がない。それでもルスケスに依存しようとするのは何故?」

「あの方しかいないから」

「怖いから、でしょ」

「怖い?」

「ルスケスは私も怖いです。次元の違う化け物だし、心にあるのは悪意だけだもの。悪意を持った自然災害ですよ、あれは。人の理屈が全く通用しない、意思疎通の成立しないものと向き合うなんて、考えただけでも恐ろしいッス。ましてやそんな奴の配下になれば、きっと私の心は圧壊させられてしまいます。シーザもそう。だからシーザ、今は壊されてしまう寸前の、千載一遇のチャンスなんです。私はシーザを救いたい。今、私を突き動かしているのは、ただそれだけ」

「…私は、ルスケス様が恐ろしい」

「ええ、本当に」

「あんな恐ろしい方に逆らうなんて、誰であろうと出来るはずがない。カスミ、あなたの仲間達はきっと全員殺されてしまう。私の仲間達がそうだったみたいに。カスミはどうするのですか。あんなルスケス様と、本気で事を構えるつもりなんですか」

「さあ、どうでしょうね。かかる火の粉を振り払う必要があるなら、そうするしかないッスね。でも、このまま引き篭もってやり過ごすというのも手段かも。ねえシーザ、ずっと二人でこの部屋に閉じ篭りましょうか?」

「馬鹿を言わないで下さい。こんな辛気くさいとこは御免ですよ。私は世界を見たい」

 シーザが笑った。その笑顔を見るのは初めてである。カスミが知る彼女の笑い方は、もっと引き攣り、切羽詰る雰囲気があった。歳相応の少女らしい笑みだと、カスミもつられて頬を緩ませる。

 しかし瞼を伏せ、シーザは心苦しさを表に出してきた。声を細かく震わせ、訥々と言う。

「どっちが姉で、妹なんです?」

「多分私が姉」

「いや私が姉」

「じゃあ双子って事で」

「まあいいでしょう。歳も似たようなものですし」

 組み合った体を解き、向き合って座り直し、シーザが手を差し出して、カスミも彼女の手を握った。顔は真っ青で、手の震えも尋常ではない。それでもシーザの目には力があった。行き先を覚悟した人間の目だ。カスミは、ようやく悪戦苦闘が決着したと知って、危うく脱力しそうになった。

「これを言ってしまったからには、ルスケス様に離反を表明したも同じ。私が死ぬか、ルスケス様が滅ぶか、未来は二つ。D、じゃなくてエド、居るんでしょ?」

「さっきからずっと居るよ」

 シーザの呼び掛けに対し、何時の間にか部屋の隅に立っていたエドが応じ、2人の元へと歩み寄ってきた。シーザが彼に問う。

「何故ノブレムの側についたんですか?」

「自分が自分である為だ」

「ノブレムに居て、良かったと思ってますか?」

「間違いなく、俺が俺で居られる場所だ」

「そうですか」

 シーザが片方の手を伸ばし、エドとも手を繋げる。カスミとエドの真ん中で、シーザは泣きそうになりながら、それでも自らの意思を決然と表明した。

「怖いです。本当に怖い。でも、この恐怖に苛まれて生きる事は、やっぱり出来ないです。戦わなきゃ。怖いけど、それでも戦う。たとえ死んでも、私は生きたって叫びながら死にたい。2人とも、私を助けてくれますか?」

 エドが頷く。カスミはシーザの小さな肩を抱き寄せた。

 

 エステリタが砂原に行使した異能は、対象の精神への強制介入である。それは彼を操り、P90の銃口をくわえさせて上顎から脳天を吹き飛ばすという、情け容赦のない内容だった。

 帝級は尽く人間を見下してはいるものの、だからと言ってハンターを甘く見ていない。禁術遣いは直接的な脅威だが、そうではないハンター達は肉体的な能力で圧倒的なハンディキャップを抱えている。よって、知恵を尽くして弱いところを見抜き、的確に其処を突いた戦い方を仕掛けてくるものだ。その際どさをエステリタも承知しているので、砂原を放置するという愚かな真似はしなかった。

 ただ、異能行使即決着と判断するのはエステリタの傲慢である。

 まさか自らの異能が砂原に全く通用しない等と、彼女は露ほども思わなかった。砂原は既に『無心』を使用していたのだ。無心はありとあらゆる精神攻撃を、一時的に精神を無くす事で無効化する。通じていないと気付いた時には遅かった。砂原の放った銃弾は、既にエステリタの真正面から襲い掛かるところであった。

 顔を庇った腕に鉛弾が三発命中。強化と死人の血の効力込み。エステリタの膝が折れる。「来る」と察知し、エステリタの全身が硬化した。想定通りにフレッドが空気を裂いて間合いを詰め、首元を掴んで地面に叩きつける。エステリタが至近距離から黒い槍をフレッドに撃ち込む。げひ、と、呻きとも嘲笑ともつかぬ声を漏らし、フレッドは更に握力を加えた。エステリタが目を見開く。鋼よりも強固な肉体の、その首元に僅かなひびが入り始めたからだ。

 ヴェルツェーニが突貫する。ディートハルトが阻む。周囲から模造戦士級が飛び出し、帝級達の援護を試みる。其処へ砂原による魔術植物の調合・第五段階、『幻魔』が行使された。出現したのは、ルスケスの幻だ。戦士級達の足が竦む。止まったところを狙い、砂原のP90が戦士級の頭蓋を立て続けて破壊。

 しかし最後の3体目に届く前に、ヴェルツェーニが幻魔を手刀で切り裂いた。ディートハルトが追い縋り、ヴェルツェーニに向けて突撃銃を連射。かわされる。その間に戦士級が砂原を狙って突貫。弾幕を張って対抗するも、尋常ではない速度で蛇行され、狙いが全く定まらない。直後、戦士級の足裏が砂原の腹を抉った。ミシミシと嫌な音を立てながら上半身がくの字に折れ、宙へと浮かされる。しかし砂原は後方へ弾き飛ばされながらもP90を執拗に撃ち続け、遂に戦士級の首から上を銃弾でもぎ取った。

「貴様の身体能力では役者不足よ!」

 ヴェルツェーニが吼える。彼の腕が鞭のようにしなり、八方からディートハルト目掛けてハンマーのような拳が叩き込まれる。肘を立ててガードする隙間から、ディートハルトの目が覗く。その瞳に焦燥は無い。高揚も無い。ただ必要な事をやろうとする透明な意思の色があるのみだ。それがヴェルツェーニの癇に障る。腕に炎を宿らせ、高熱を注ぎ込まんと拳を引く。応じて合わせ鏡のようにディートハルトも拳を引いた。

 勢い、互いの拳が激突する。炎がうねりながらディートハルトの右腕から全身へと一瞬で侵食。ヴェルツェーニが哂う。しかしすぐさま引き攣った。ディートハルトが腕に仕込んだ手甲に見覚えがあったからだ。模造帝級は昔の自身とはほぼ別人だが、人格の趣向とそれなりの記憶が残っている。その記憶がヴェルツェーニの精神的外傷を抉り出した。

 それは拳闘の技術だけで立ち向かってきた人間が、愛用していた手甲である。その人間は吸血鬼を、帝級すらも、道に塞がる障害物のような目で見ていた。手甲に仕込まれたからくりで、どれだけの吸血鬼が恐るべき殺され方をされたのか。最初に吸血鬼達は、屈強とは言え人間の限界を越えない彼を嘲笑っていた。しかし彼は拳闘士の構えでもって突進し、信じ難い事に人間の力で帝級すら撲殺してみせた。圧倒的な殺戮を繰り返す彼に対して、最後には誰も彼もが恐れを抱くようになった。

「ひ」

 と、ヴェルツェーニが息を呑む。ブラスター・ナックルの仕込み火薬に火が入る。莫大な数量の散弾が発射口から噴出する。散弾はヴェルツェーニの腕を呑み込み、肩口から腹のあたりまでを食い破り、都合彼の上半身の3分の1程度を破壊した。ディートハルトが体を炎上させながら膝を屈するその間に、ヴェルツェーニが恐慌しつつも後方へと瞬時に退く。その目の前に、巨大な異形がエステリタの首を片手にぶら下げて出現した。

 フレッドが果物をもぐようにヴェルツェーニの首を引き千切る。そして両の手の生首を掲げ、胸の前で衝突させる。血肉と脳漿を瓦礫の上にばら撒いて、フレッドは掌に残る肉塊を打ち捨てた。

「グゲ」

 彼の口から、得体の知れない音が発せられた。そして短く、ゲッ、ゲッ、と、声とは言い難い奇妙な発音を喉元で鳴らし続ける。音からはとてもそうは思えないのだが、フレッドは笑っていたのだ。

「はい、其処まで」

 満身創痍のディートハルトが、フレッドの肩に手を掛けた。同時に音がぴたりと止む。彼の瞳に理性が戻る。

「あぶねえ。危うく心が飛びかけた」

 フレッドは頭を掻きながら、振り返る途中でその場に尻餅をついた。普通の人間ならば即死に至る重篤な火傷を負ったディートハルトも、やはり両足を維持出来ずに仰向けの格好で倒れた。

「大丈夫かよ」

「まあ、このくらいは。しかし修復に時間がかかりそうですな。そちらは?」

「あの女、黒い槍を死ぬ寸前までぶち込んできやがった。さすがにきついわ。で、砂原は生きてんのか?」

 2人が砂原の居る方を見遣る。応じて、よろよろと片手が挙げられた。砂原は拳を突き上げたつもりだったが、敢え無く手が空を仰ぐ格好となる。

「買ってて良かったプロテクター。あれが無ければ内臓破裂だ。しかし痛え。超痛え」

「多分骨が折れておりますな」

「やばい、内臓に刺さっていないだろうな」

「ンな事になってりゃ、とっくに血の泡ぁ吹いてるぜ」

 軽口を叩き合ったものの、既に彼らの意識は次の戦場に向いている。

 押し寄せる戦士級と帝級を力で跳ね返す事に成功したものの、矢張り無傷という訳にはいかなかった。それでも敵の攻勢は未だ止んでいない。ノブレム本部を護り切らねば、この局面で勝利したとは言えないのだ。

 各々で『治癒』を施しつつ、3人のハンターは無理繰りに体を立ち上がらせた。

「心を維持するのが難しくなってきやがった」

 ぽつりとフレッドが呟く。

 高まり過ぎた禁術遣いの力は、人間性を餌にして成長するかのようだった。砂原は嘆息をつき、ディートハルトは肩を竦めた。

 

 街路に偽装したオバケ屋敷を出現させたうえ、符呪で結界を張り巡らし、風間はウィギントンの攻勢から一時的に逃れていた。既に包み隠さず電磁場異常を撒き散らしているウィギントンは、これ見よがしにふらふらと宙を舞っている。自分を無視して本部に侵入したであろう別の帝級と合流するかと風間は思ったが、観察している限りその様子は見当たらない。敵は、きっちり風間を仕留めてから本懐を遂げる腹積もりなのだ。

 息を詰め、敵を想う。

 恐らくウィギントンは自分の居る位置を、凡そで見当がついているのだと風間は想定した。もしも自分が彼女の立場であれば、空間をあけた異能攻撃の連打で屋敷ごと敵を吹き飛ばすという、最短距離の選択をする。しかし吸血鬼の考え方に拠れば、恐らくそのような効率的手段を取らないはずだ。

 彼女にとって、風間は餌だ。

 敵はここに至るまで、普通の人間達を発見出来ていない。既に粗方が避難を終えているのだから当然だ。よって随分と腹を空かしている事だろう。そんなウィギントンにとって、遊べるうえに美味しく食べられる格好の獲物が風間という訳だ。折角の御馳走を、彼女は欲を抑えて五体バラバラにしてしまうだろうか?

 結論。ウィギントンは防御を剥がし、接近戦で風間を仕留めにかかる。

 風間はSG552を静かに置いた。データグラス表示。ウィギントンは既に間近。

 ガコン、と、屋敷に重質量物の衝突する音が響く。ガン、ガン、ガンと繰り返される都度、その衝突は確実に屋敷の存在をあやふやなものにしていた。次いで風間の張った結界にも、感覚的には亀裂のようなものが入る。防御は残り十秒も保てば御の字の有様だった。

 風間はガーシムの動力が快調に稼動している事を確認し、更に両腕を覆うブラスター・ナックルの具合を見た。充分だと風間は満足した。

(脇を畳め。拳を面前に上げろ)

 拳闘士の構えを取る。

(姿勢を低く)

 重心を落とす。

(腕で打つな。全身で打て。全身全霊の殺意を込め、一撃に全てを賭けろ)

「外されたらどうすりゃいい?」

(笑って死ね)

「ああ、そうかい」

 風間は苦笑した。そして訝しい顔になる。

「何だ?」

 呟くと同時に、風間を護る防御の全てがもぎ取られた。敵は帝級、ウィギントン。月明かりに照らされる細身の小柄な立ち姿。両手をだらりと下げて爪を獣のように伸ばし、彼女は風間を突き上げるような目で睨み上げた。その様に、つい先頃までの浮ついた雰囲気は無い。風間はウィギントンの瞳に怒りを見た。そして、幾ばくかの恐怖も。ウィギントンが言う。

「お前、何で出て来たんですか。お前は」

 風間には訳の分からない言葉だった。構わずステップを前後に軽く刻む。応じてウィギントンの肩が少しずつ吊り上がる。空気まで振動するような激怒の感情を露とし、彼女もまた一歩を踏み出した。

「殺戮鬼め。お前に私の友達が、いっぱい殺されたというのに、またお前が」

「それがどうした」

 ウィギントンに対して、風間が唾棄と共に言い放つ。

「人と人との繋がりを破壊し尽くしたのは誰だ。嘆きと恐怖を踏み台にして我が世の春を謳歌したのは誰だ。お前らだ。報いを受けろ」

「断罪してやる」

 ウィギントンの背中が曲がる。猛獣が獲物に襲い掛かる直前にも似た跳躍の、一歩手前で風間がぼそりと呟いた。

「『鈍化』」

 彼女の挙動が歪む。

「『加速』」

(粉砕しろ)

 突進。

 唸りを上げて飛んで来る「加速」のついた左フックを、ウィギントンは「鈍化」しつつも獣の反応速度で弾いた。行く先を失ったブラスター・ナックルの散弾が、敢え無く虚空にばら撒かれる。

 しかし風間は即座に左腕を引いた。そして釣瓶の要領で、下から右の拳を猛然と撃ち上げる。顎部を捉えたと同時に二基目のブラスター・ナックルが点火。噴出した散弾がウィギントンの首から上をズタズタに引き裂く。アッパーカットを打ち抜いた後、彼女の頭部は跡形も無く消し飛んでいた。

 ゆっくりと仰向けに斃れるウィギントンに背を向け、風間は構えを解いた。顔から滴るものを上腕で拭うと、黒甲冑が真っ赤に染まる。汗ではなく、ウィギントンの血飛沫だ。きちんと布で拭き取る為、役目を果たしたブラスター・ナックルを外そうとし、不意に風間はその手を止めた。口に出して問う。

「誰だ?」

 自分を駆り立てようとしたのは。

 しかし風間には見当がついていた。それは恐らくこの武器に、ブラスター・ナックルに宿る執念である。

 

 ルスケス一党の吸血鬼達が拳銃を使うのは、ノブレムという異端集団の戦い方に合わせる為であった。その案には間違いなくアンナマリの意図が強く反映されている。

 ただ、帝級という異能の塊とでも言うべき存在が、瑣末な鉛弾の飛び道具を切り札として使うのは、マリーアにとって予想外である。クラリモンドの放った銃弾は、ジューヌの眉間を違える事無く撃ち抜いた。しかしながら、其処からクラリモンドの側の想定外が露となる。

 ジューヌは驚いた顔のまま己が額に手をやり、傷痕を擦った。

「ちょっと、びっくりしました」

「何で」

 クラリモンドは絶句した。

 自らが金縛るマリーアを見る。相変わらず厳しい顔で自分を見据えていた彼女が、目を合わせた途端、口元を僅かに緩ませた。クラリモンドは自分が謀られた事を理解した。

 何で、と今一度思う。新租には度を越えた奇跡を顕現する力が備わっているものの、肉体そのものは普通の人間に変わりないと、クラリモンドはアンナマリから事前に知らされていた。つまりその情報が間違っていた可能性がある。しかし一方で、何かがおかしいともクラリモンドは勘付いた。マリーアの心理的拘束が段階を経て解除されるにつれ、ようやく攻撃的異能の発揮が可能となる。躊躇わずクラリモンドは、ジューヌを中心とした局地的トルネードを巻き起こした。

 過大な風速がジューヌの体を捻り切り、あらゆる部位を巻き上げる。が、血は一滴も噴出しない。音を立てて床に転がるジューヌの躯へと走り寄り、クラリモンドは破片の一つを手に取った。

「これは、作り物」

 クラリモンドが呟く。自分が今まで話し、攻撃を加えていたものは、新租を精巧に模した人形であったのだ。何と面妖な事をと呆然とするクラリモンドが、階段を駆け上がる足音に気付いて正気に戻った。マリーアが隙を突いて自身のPKから離脱している。同時にクラリモンドは、上層部分の気配も察知した。どうやら本物は上の方に居る。

 慌ててマリーアの後を追う。しかし動転した感情に判断力を阻害され、クラリモンドの空間認識がオバケ屋敷の防御力で歪められる。幾ら走っても狙いの位置に辿り着けないと知り、ようやくクラリモンドは精神防御を自らに施した。そして程なく、マリーア達が居ると思しき客間の前に立つ。

 扉を腕の一振りで無造作に破壊し、クラリモンドは室内へと一歩を踏み出した。中には身構えるマリーア。そして空いた椅子が一つ。

「新租は何処です」

「もう此処には居ない」

 嘘です、と言い掛け、クラリモンドはマリーアの言う通りであると思い直した。確かに先程感じた新租の気配が、更に直上に察知出来る。掌を掲げて窓を枠ごと無形の力で破壊し、クラリモンドは大穴から上空を見上げた。

 居た。最大目標が上空凡そ100m超の空中に。超高速で駆け上がった為か、催す吐き気で真っ青になった顔も視認出来る。

 と、背後から拳銃弾が立て続けて撃ち込まれ、クラリモンドが前のめりにつんのめる。マリーアの狙撃である事は承知だったが、クラリモンドは彼女への反撃を思考から消し去り、最優先抹殺対象、新租ジューヌ目掛けて大きく跳躍した。

 空気を切り裂いてジューヌの元へと突っ込む途上、その姿が不意に目視出来なくなる。代わりに落ちてきたのは、小さな黒い塊だった。すれ違いざまの一瞬でそれを引っ手繰る。クマを模した人形だ。クラリモンドは、心底落胆の溜息をついた。新租の気配は、最早何処にも感じられない。

 クラリモンドは模造帝級同士の精神感応を試みた。誰からも返答が無い。というより、存在の一切が把握出来ない。それの意味するところは全滅である。その点については有り得る話だとは思ったものの、真租の恋人であるはずのアンナマリからも応答が無いのはクラリモンドにとっては意外だった。何らかの異常事態が発生したものと、クラリモンドは認めざるを得なかった。

 最高到達点から自由落下に移行する一秒弱の間に、街灯が全て消えた闇夜のジャパンタウンを見下ろす。

 激しく戦い合った戦場は其処に見当たらず、ひっそりとした静寂のみが窺える。自分以外の模造吸血鬼は全て討ち取られたものとクラリモンドは解釈した。

「さて、どうしたものか」

 動揺は無いが、彼女は対応に窮した。新租を殺すという命令を遂行するのは今や不可能だ。何の手品を使ったのかは分からないが、周辺一帯の認識出来る領域で彼女を発見する事が出来ないからだ。不測の事態に判断を下し、対処の命令が出来るアンナマリも居ない。

(自分で判断しなければならない、という事かしら)

 そして直下から土煙が上がり、こちらへ目掛けて急速に跳ねて来たものを確認し、クラリモンドは自嘲気味に笑った。

「やっと分かりました。あなたがカーミラである事を」

 

Save the Last Dance

 アスファルトを叩き割って地面に着地し、レノーラは手に持ったクマのぬいぐるみと目を合わせ、小さく息をついた。

「レノーラ! 大丈夫だった?」

 と、一足遅れてダニエル達が駆けつける。彼らに手を挙げて問題無い旨を伝えるレノーラが、幾分苦い表情で告げる。

「クラリモンドは霧になって逃げたわ。前と全く同じやり方を許すとは、私も詰めが甘い。それにしても」

「どうしたんだい?」

「逃げる、という選択は意外だった。命令を遂行するだけの模造吸血鬼の行動じゃないって事よ。次のクラリモンドは、昔みたいに厄介な娘になるかもしれない」

 レノーラは気を取り直し、マリーアの前に立った。彼女の肩に手を置き、「ありがとう」と言う。

「よく時間を保たせてくれたわ。新租の直衛をマリーアに任せたのは正解だった」

「私としては、多少複雑な気分だ。あそこまで敵に食い込まれる、という展開にはなって欲しくなかったから」

「それも『ジュルジュ』という作戦の範囲内なのよ。どの道ルスケス一党は、新租を滅ぼすなんて出来はしなかった」

「その新租は何処へ?」

「彼に答えて貰おう」

 レノーラは背後を親指で指した。突撃銃を案山子のような格好で背負った風間が、疲労困憊の体を引き摺るようにし、瓦礫の中から現れる。

「新租ジューヌは一番安全なところに居る」

「ジェイズ・ゲストハウスか」

「いや、そうじゃないんだ。何処とも説明のつかない場所。はっきり言ってしまえば、認識出来るこの世界から彼女は消えたのさ」

「何だって!?」

「『消滅』を仕掛けたよ。クマ人形にした直後にね。ロンパールー○は人形を身代わりにして対象を任意の場所に飛ばす訳だが、その行き先を『消滅』させた。こうなりゃルスケスはおろか、サマエルにすら捕捉出来ん」

「何と手の込んだ事を」

「既存のアイデアを組み合わせたまでだよ。しばらく待てば彼女は帰還する。それまで警戒は怠らないようにしよう」

 言いながら、風間は地面に腰を下ろした。その傍らにレノーラが立ち、握手を求めて手を差し出す。軽く握手を交わした後、風間とレノーラは破壊の跡が広がるジャパンタウンの一帯を眺めた。

「心から感謝する。珠玉の勝利をもたらしてくれた事に」

「どういたしまして。しかし凄い景色だ。よくも犠牲が出なかったもんだ」

「本当に。しかしルスケス自身の力はこんなものではない。私も本気になった奴を見た事は無いけれど」

「気をしっかり持とうぜ」

「そうね」

 少し距離を置いて周辺の状況を確認するノブレムの仲間達を、レノーラは頼もしく見詰めた。一方では風間が立ち上がり、帝級と戦士級の一団を向こうに回したハンター達を見つけて手を振っている。この共闘が続くのならば、ルスケスとの戦い、そして例えば、それを乗り切った以降の在り方についても、レノーラは希望を抱かずにはいられなかった。

 ただ一点、レノーラと風間は不安を共有していた。

 同じ不完全不死者を相手にしたリヒャルトの行方が、依然掴めていない事に。

 

「お、風間とレノーラだ。何だよ、腕が一本も欠けてないじゃないか」

「物騒な事を言うな」

「どうやら、我々はこの局面を凌いだようですな」

 重い足を引き摺りながら、砂原とフレッド、そしてディートハルトが、未だ健在のノブレム本部を目指して歩を進める。

 戦いは、一体を取り逃がしたものの模造吸血鬼の全滅という形で幕を下ろした。これにて血の舞踏会は一旦小休止を迎える事となる。

 しかしながら、クライマックスの幕開けは先で控えている。今度は間違いなくルスケスが直接出向く事となろう。ヴラドを中核としたアウター・サンセット襲撃部隊の成果如何で、その難易度も大きく変わる。

 それでも、砂原はジェイコブに無線を繋ぎ、オペレーション:ジュルジュの終結を弾んだ声で報告した。確かに戦いはまだ続いているにしても、終結への道程を自分達は着実に進んでいると、確信をもって言える。我々は勝ったと、今は誇りに思うべきだ。

『お疲れだったな。時間が許せばジェイズに戻ってくれ。少しでも骨を休めてくれればいい』

 応答するジェイコブも、また軽やかな声だった。

「何か酒でも用意してくれよ。ジム・ビームがいいや」

『障りの無い程度に奢るよ。約束通り手製の食い物も出す』

「どんなだい?」

『丸いパンを切って、間に焼いたハムを挟む』

 砂原は、ノーリアクションで無線を切った。

 

 

VH1-7:終 H7終了時以降、最終のVH3に他シナリオと合流します>

 

 

○登場PC

・カスミ・鬼島 : 戦士

 PL名 : わんわん2号様

・風間黒烏 : スカウター

 PL名 : けいすけ様

・砂原衛力 : スカウター

 PL名 : M原様

・ダニエル : 月給取り

 

・ディートハルト・ロットナー : ポイントゲッター

 PL名 : みゅー様

・フレッド・カーソン : ポイントゲッター

 PL名 : 白都様

・マリーア・リヴァレイ : 月給取り

 PL名 : 蒼夏様

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

 

 

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ルシファ・ライジング VH1-7【La Danse Macabre】