<出発の前に>
地下に潜む真下界の更なる地下、その番犬たる巨人を倒す為に挙手をした者は、ハンター、吸血鬼を含めて総勢6人。
その出立を前にヘンリー・ジョーンズ博士は、イゾッタに教えてもらった最近のお気に入りスポット、帝国公園ことインペリアルパークに彼らを招待していた。招待と言うほど大層なところでもないが。
「鳩が一杯寄って来るぞ。鳩の餌やりは実に面白いな」
「博士、暇な老人の遊びに興じる暇は無いはずですが」
一頻り鳩にパンを与えて楽しんだ後、改めて博士はハンター達に向き合った。ちなみにロティエル・ジェヴァンニは仲間とは言え吸血鬼の戦士階級であるので、少し離れた位置に立っている。その姿は何だか寂しい。博士は『7人』を前にして、困り顔で言ったものである。
「さて、本題の前に問題です。この中で1人だけ仲間はずれがいます。それは誰でしょうか?」
皆々は無言のまま、一同の中にあって1人だけ小柄な少女を指差した。一斉に指差された格好の郭小蓮は、当然ながらうろたえる。
「え、何で? 何でですか?」
「何で、ではないぞ。小蓮君、君は違うアクト選択をしているのに、件のクイズに参加するとはどういう事なのかね?」
「だって、出されたクイズは解いてみたくなるのがクイズマニアの心意気じゃないですか!」
ちなみに郭にはクイズマニアという人物設定は存在しない。仮に当たっても賞品無しという事で、この場は取り敢えず彼女込みで進行である。
古城地下の対ティターン戦に挑む彼らにリラックスして貰う意図でもって、博士はちょっとしたクイズを出題している。曰く、『ティターンに致命傷を与え得る、ある物質とは何か?』。
◎回答一覧
・風間黒烏 : 金
・斉藤優斗 : 岩塩
・砂原衛力 : 青銅
・ディートハルト・ロットナー : 石
・マティアス・アスピ : 琥珀
・ロティエル・ジェヴァンニ : トルマリン
・武士の情け : 青銅
「何か、私、凄い言われようなんですけど」
「武士の情けは俺と同じ答えか。自分で言うのも何だけど、こんなもんで特攻とか怖過ぎだろ」
「皆々、回答の根拠はしっかり読ませてもらったよ。それぞれが実に興味深く、真面目に答えて頂いた事に感謝を申し上げよう。それでは正解発表だ」
博士は、滅茶苦茶嬉しそうな顔をしつつ、声を張り上げて回答者の名を呼んだ。
「ロティエル・ジェヴァンニ君! どうして離れたところに居るのだ。こっちゃ来なさい」
「いや、吸血鬼ですし。でも、ええっ? トルマリンが正解なんですか?」
まさか、自分が正解だったとは信じ難い様子で、ロティエルは首を傾げつつ歩み寄って来た。博士が笑いながら曰く。
「自分と全く同じ事を別の人が考えていたというのは、かなり嬉しいものなのだよ。そう、トルマリンは熱で電気を帯びる性質がある、別名電気石と呼ばれるものだ。しかもただのトルマリンではない。クロム混じりのパライバ・トルマリンなのだ。凄く高いんだぞ。ティターンの天敵、ゼウスが行使した雷の力だが、実はトルマリンは、彼の威光の残り香という説がある(※LRのオリジナル設定です)。いや、正直当たりが出るとは思わなかった。普通出ないだろう、トルマリンなんて」
そして博士は、ロティエルに賞品を手渡した。ロティエルはまじまじと『それ』を見詰め、笑いと困惑が入り混じった複雑な顔で言った。
「何ですかこれは」
<戦う男達>
たろすけ。
名前も意味不明だが、それが親指サイズの剣のミニチュアである点も、また意味不明であった。
博士から貰ったその賞品を、ロティエルは困り顔でかざして見ていたものの、やがて上着のポケットに仕舞った。こうして博士がわざわざ手の込んだ渡し方をしているのだから、それなりに意味のある物品なのだろう。しかし当の博士に謂れを問うと、『内緒である!』等と子供じみたリアクションが返ってきた。叩いても息を吹きかけても、遠くに投げ飛ばしても変化は無い。ロティエルは危うくバテそうになった。
気を取り直し、大きく距離を取った位置を歩む集団に目を遣る。彼らと自分は目的地を同じくしていた。しかし彼らは人間であるがゆえに、物理的にも精神的にも間を取る必要がある。その意味で人間との連携を向上させるのは、これ以降も至難であろうとロティエルは想像した。
しかしながら今のところ、見据える先は同じである。吸血鬼の頂点、ルスケスを滅ぼす。その前哨戦として、件の古城に乗り込む訳だ。敵はティターン。屹立する巨大なもの。強さの程は計り知れないが、やるしかない。
ルスケスとその一党が根城としていた真下界は、風のそよぎや虫の音、鳥達のざわめきが再現された偽物の世界である。その世界における真の主達は、既に活動の場をアウターサンセット周辺域に移しており、今のところは無人の野と化している。
それでもハンターとSWATの一行は、設えられた道を使わずに森の中を古城目指して進行した。ここにおいて自分達は闖入者であり、生殺与奪の権限を最初から把握していない。慎重を重ねて然るべき状況だった。
先導はマティアスが担い手である。すでに先行潜入を果たしている彼は、少なくとも一帯の地理について他のメンバーよりも明るい。
「…仕える者共が根城にしていた屋敷もあるのですが、本当に寝泊りするだけのようで、意味のある場所ではありません。尤も連中が戻って来ないのであれば、我々が逗留する事も出来ると思います。ともかく、真下界で意味があるのは古城。いや、それも虚ろのものでしょう。その地下空間こそが、真下界と言えるのかもしれません」
言いながら、そのマティアスは後方で追随する仲間達を顧みた。以前の潜入時は吸血鬼ロティエルと自分のみという心細い人数であったが、今やハンター4人、吸血鬼1人、それにSFPDのSWATが5人と、相当の人数を揃えている。遂に市警の一部が本格的に参入するというのは、実に頼もしい事である。マティアスはそう言って笑おうとしたが、出来なかった。つまりハンターは、警察と連携するまでに追い込まれたとも言い換えられるからだ。
「着きましたね」
マティアスはそびえ立つ城壁を見上げた。以前に見たものと変わらない、古城の状景が其処にある。マティアスはハンドサインでロティエルに合図を送り、応じて彼は城壁を易々と駆け上がった。上からロープを下ろす為だ。正門をこじ開けるのも出来ないではないが、大きな音を立ててリスクを高める真似は避けたい。
「しっかりとした石の感触だ。嫌だな、どうにも。存在しているのに存在し得ないってのは。一体ここはどういう場所なんだ?」
壁に足をかけてロープを伝い、よじ登りながら斉藤がマティアスに問う。
「アーマドとルスケス一党による最終決戦の場を模しているのでしょう。この状景には間違いなくルスケスの意図が絡んでいますので」
「成る程。口では色々出鱈目な事を言っているが、つまり奴にとっては余程こたえた記憶なんだろうな、これは」
城壁の上に立ち、斉藤は城内の建造物を上から見下ろした。
決戦時の破壊の痕跡は見当たらない。同じ轍は二度と踏むまいとの意思が表れているのだろうか。だとすれば今一度この場所で、ルスケスには屈辱に塗れてもらう。斉藤は、そう決心した。
「まるで地獄に続く螺旋階段だな」
SWATの内の誰かがそう呟いた。それは言い得て妙である。古城内部から更に地下へと続くこの階段は、現実から圧倒的に乖離した場所へと至る。その場所は理解の度を越えていた。数々の信じ難いものを目の当たりにしてきたハンター達には、非常識に対する耐性がある。しかし優れたスキルを有するSWATとは言え、想定を大きく上回る異常事態には狼狽もあろう。
「一つ言い置きたいのは、こんなところで死んでくれるな、という事だよ」
市長直々に小隊の指揮権限を与えられている風間が、ラウーフ分隊長に言った。
「市警はサンフランシスコ市民の為の組織だ。全長20m弱の化け物と砲撃戦の末に討ち死にするのは正道から逸れ過ぎている。これまでと判断したら、俺達の生死に関わらず撤収して欲しい」
「それは命令ですか?」
「そうだ」
「了解しました。しかしながら、我々にも市民を守り抜くという矜持があり、此度の戦いもその矜持に繋がっているものと私は理解しています。故に負けるつもりはありません。負けないとは、つまり全員が生き残るという事だ。私達にはそれを実現させるだけの戦闘能力があるのです」
「前回の吸血鬼達との戦をもって腹を括られたのであれば、再度頭の切り替えが必要だと思いますよ」
横からディートハルトがラウーフに言う。
「この世ならざる者との戦いは、常にセオリーから外れています。スムーズに進行する戦闘は皆無です。これからハンターも含めて、尋常ではない光景を目にするでしょう。それを前にしても動揺を極力逓減させて平常心に努めれば、死ぬ確率は低くもなります」
「アドバイスに感謝します」
頭を下げ、分隊長が何時もの無表情に戻る。ここに至るまでの小隊の態度に、風間は感心した。悪夢のような吸血鬼との集団戦を経て、彼らは異常状況をかなりのところまで呑み込んでいた。呑み込みの早い者が選抜された、とも言える。かような戦への参入を不本意に思っているかもしれない、というのは杞憂だと風間は思い直した。自分達同様、彼らはプロである。
「来た来た、遂に来た。地獄の一丁目に御到着」
深遠を下り続け、辿り着いた地の底に一歩を踏み出し、砂原がヒョウと奇声を発する。
仄暗い明度の下で、何処までも続く棺の群れを前に、矢張りSWATの面々は言葉が無い。そして一行が標的とするものは、苦も無く見つける事が出来た。
此処から遥か先に、若干異なる色の薄い明かりが見える。その直ぐ傍に、『それ』は居た。膝を抱えた格好で、まるで眠っているかのように動きが見えない。紛い物のティターンは、その巨大な体躯の程が遠目からでも理解出来た。
砂原が腰に提げた短剣に手をやって眺める。ジョーンズ博士が一行に託したトルマリンナイフは如何にも小さく、武器としては頼りないの一語だった。これをあのデカブツに突き立てろとは、中々面白いジョークである。砂原は少し笑った。そして目を据わらせた。離れていたロティエルが、飲み干した牛の血の真空パックを無造作に放り捨て、ハンター達と位置を合わせる。
「start」
風間が短く告げ、一行は前進した。銃火器の射程範囲を確保する為だ。
歩を進めるにつれ、ティターンに僅かな挙動が見え始めた。ひくひくと肩を揺らし、それでも面を上げる様子は無い。頃合良しと見て、風間は片手を挙げた。
結界持ち達が符を周囲に張り巡らし、霊的に強固な陣地を形成。機関銃、無反動砲の設置を開始。
「重いですね。さすがに」
ロティエルの右手が風間に貸与されたカールグスタフを、ガーシアの異能でもって呑み込む。SWATのチャン隊員が砲弾を装填。もう一門はラウーフとスナイデルが準備を整える。その間にも機関銃の銃口が続々とティターンへと向かう。迎撃態勢完了。
銃火器の全てには強化が施されていた。この世ならざる者に対抗出来る、考え得る限りの強大な打撃力を一行は有している。圧倒的な胆力を行使するだろうティターンに対し、ハンターはそれを上回る破壊力で対抗する策を取ったのだ。通例のハンターの戦い方とは随分趣が異なるし、それゆえの奇妙な愉悦をハンター達は感じていた。
「来るがいい」
斉藤が血走った目を剥き、ティターンを睨む。
ティターンがおもむろに立ち上がった。その挙動は人間らしい関節の仕組みを伴っておらず、軟体の塊がそのような形状になる、という印象だった。事前に風間が言っていた、『悪霊を練り固めたゴム人形』との表現は的を射ている。
やせ細った体躯。目と鼻と口を必要としない顔面。天を突く巨体。問答無用の怪物。ティターンは「気をつけ」の姿勢を維持し、くるりと正面をハンター達に向けた。
<開戦>
強化が施されていたのは手持ちの武器だけではない。ハンター達は、その多くが最早超能力に近い術式の類を会得している。
彼らは初手から魔術植物の調合、第二段階、『鈍化』をティターン目掛けて一斉に行使していた。よって本来のティターンが持ち得ていた、図体に似合わぬ恐るべき速度が相応に削られており、これが初手のアドバンテージを奪う切っ掛けとなる。
ティターンは直立姿勢のまま重々しく右足を持ち上げ、真横に第一歩を踏み出した。足裏が着地する際の地響きが、ハンター達の元へと届く。それだけの衝撃をもってしても、ずらりと並べられた棺が粉砕する様は見て取れない。物理法則の狂った真下界において、ティターンは重力を嘲笑う存在であった。ほとんど倒れ伏す勢いで体を直角に曲げ、巨人は手足を子供のように振り回しつつ、出鱈目な疾走を開始した。
応じて陣地側の銃火器による一斉射撃が始まった。ティターンの常軌を逸した速度は想定の範囲内であり、それを見越して減速を強いている。大量の銃弾は回り込みを仕掛ける巨体に尽く命中し、ティターンは足を取られて盛大に転倒するかに見えた。が、腕がゴムのようにしなって地面を叩き、くるりと体を前転させる。手と足の区別はティターンにとって意味が無い。何事も無かったかのように、また走る。
其処を目掛けてカールグスタフが放った砲弾が二発続いて命中。炸裂。爆発。腰にあたる箇所を大きく削ぎ取られ、遂にティターンは頭から突っ込む形で倒れ伏す。その間も銃器が火を噴き続け、ティターンの周囲は着弾による爆煙がもうもうと立ち込め始めていた。
と、煙を割って白い塊が飛び出した。ティターンが腕を伸ばし、一直線の軌道で拳を陣地に撃ち込んで来る。しかし幾重にも張られた結界が直撃を逸らし、拳は空を切って直上へと駆け上った。そして拳を開き、今度は虫を叩き潰すように振り下ろして来る。
結界と掌打が衝突した。力と力は拮抗するも、襲い掛かる風圧を耐えるのは厳しい。吹き飛ばされまいとハンター達は身を丸め、銃撃に僅かの間が出来た。ティターンが掌で陣地上空を包み込み、一息に握力を加えて握り潰そうと試みる。その間に倒れていた本体がバネの如く起立。陣地に吸い寄せられるように、ティターンははしゃいだ仕草で猛然と走り寄って来た。
機関銃が真上に銃口を向け、巨大な掌に次々と大穴を穿つ。突撃銃と無反動砲がティターンの本体へと照準を切り換え、格段に当て易くなった的に銃砲弾を捩じ込む。掌を跳ね上げ、体を躍らせ、遂にティターンは襲撃を諦め、一気に後方へと跳躍した。
よろめきながらも降着を成立させ、おもむろにティターンは「待て」の要領で掌を向けてきた。執拗に撃ち込まれる銃弾に対抗すべく、ティターンの掌が上下左右へと拡大し、直角の盾を形成する。ティターンは自分と盾を切り離し、体育座りの格好で一息をついた。捩じ込まれた銀と対獣、対霊の毒を癒す為だ。盾への攻撃に意味が無いと悟ったハンターが銃撃を一時停止したのに気付き、ティターンは盾の影からこっそりと顔を出す。
ティターンの顔の、口にあたる部分が上下に割れる。出来上がった空間は両端をいやらしく曲げ、つまりティターンは、とびきりの笑顔をハンター達に向けて来た訳だ。
「きめえ、クッソきめえ」
砂原が嫌悪も露に悪態をつき、P90を翻す。
ほんの僅かであるものの、戦いに空隙が生まれた。その間にも忙しく銃器への装填が繰り返され、彼らの目は絶え間なくティターンの動向を観察している。この集団には過剰な自信や不要な恐れといった、落命に至る隙というものが無い。あるのはひたすら戦闘を遂行する平板な精神。それのみだった。
傍目には何れの側も決め手を欠いているように見えるが、実際はそうではない。ティターンはハンター達の攻撃を受け、一旦の守勢を選択したのだ。ティターンは本能としての狡猾さを有しているものの、それは反射的な対応に留まっており、状況を的確に読み取る能力に欠けている。よって『食える』と判断すれば、勢いに任せて食らいついてくる。
怒涛の攻勢に出られなかった時点で、ティターンが被った打撃の深刻さが計り知れる。だから隙を見せているのは、ティターンの方だった。思考能力が欠如している故に、かの巨体は次の一手を出しあぐねる状況に陥っていた。それはハンターにとって絶好の機会であった。
とは言え、幾ら銃器による打撃を負わせても、それはティターンに致命傷を与える事が出来ない。このまま火力で叩きに叩いても、最終的に弾切れという形で消耗し尽くしてしまう。蹴倒して地に這いつくばらせ、そのコアにトルマリンナイフを突き立てる。それが唯一の勝利条件であった。
ならば、ハンター達の取るべき手段は、唯一つ。
<戦いの安全圏>
「初回の大攻勢は、どうやら終息のようですな」
ロティエルがやおら立ち上がり、ハンター達に言う。彼の両手にゴム手袋がはめられている様を見て、マティアスが首を傾げた。
「何です、それは?」
「ガレッサのアンジェロ君に分けて貰った聖水をポケットティッシュに浸し、棺の中の遺骸に被せていた訳です」
事も無げにロティエル曰く。
「敵も打撃を被った際、『魂の補填』をするかもしれない。ないしは糧としている魂を棺の中に留める。という思いつきですな」
「ティッシュが幾らあっても足りないでしょう」
「其処は『無限のポケットティッシュ』です故。否、それ以前に棺が多過ぎてかないません。残念ながら無駄骨でありました」
「いや、考え方のアプローチとしては的を射ている」
装填の手を緩めず、前方を睨みながら風間が言った。
「初回の砲撃は様子見だ。この攻撃がどの程度通用するか」
「結果は?」
「間違いなく効いている。しかし見たところ、負った打撃の修復は魂の補填では行わない。あの巨体を形成するエサは一定数量を維持しているみたいだ」
「だから蓄積したダメージを回復するのに時間がかかっているらしいな」
斉藤が後を継ぐ。
「つまり畳み掛ければ、奴が膝を屈する機会が生まれる」
彼の一言を区切りに、この集団は攻勢へと転じる段階に入った。それは頑強であった護りをある程度弱体化するリスクも孕んでいる。『結界』への集中を捨てて別の手段を取る事になるからだ。それでも虎の子のSWATへの護りを放棄する頭は彼らには無い。要はティターンの攻撃への意思を拡散させればいい。
「超々近距離からの包囲打撃戦ですか。あんな化け物相手に、正気の沙汰とは思えません」
ディートハルトが口の端を歪め、哂う。
「いや、楽しいですね。本当に楽しいなあ」
「SWATの役回りは遠距離からの支援砲撃。ハンターと吸血鬼は殴り込みを仕掛ける。ここからは何時も通りの創意工夫だ。正体不明のこの世ならざる者相手に、決まり手は存在しない」
SG552を提げ、風間が口早に仲間達へと告げた。
「これより各自判断の元に突撃を敢行。固まって一網打尽の憂き目を見ない為だ。一騎駆けは戦の花と言う。各人鋭意奮闘努力せよって奴だ」
「それはありがたい。色々と仕込みを考えていましたので」
マティアスの台詞を最後に、戦闘集団から言葉が消えた。
ティターンは身体を構成する得体の知れない物質の内、数十分の一を切り分けて人間の銃砲撃から身を守る盾としていた。盾と巨体は常に同一であり、物理的に言うところの視覚を共有している。尤も、ティターンの身体組織は全てが『目』の役割を果たしており、つまり戦場のほぼ全方位をティターンは視認していた。死角から狙うという戦法が、この巨人には通用しない。
よって、ハンター達の挙動の異変を最初に察知したのは、彼らに相対する盾の方だった。一塊の中から何人かがバラバラに飛び出し、こちらに向かって走って来る。ティターンは思考能力が決定的に欠如しているものの、剥き出しの本能と感情のようなものはあった。遠目に映る、小さな足で必死に駆けて来るその様は、人間の視点で見れば矢鱈に遅いネズミのような代物である。ティターンは吹き出した。そして哄笑を轟かせた。
その耳障りな笑い声は空間中に響き渡り、ハンター達の鼓膜をビリビリと震わせる。ゲタゲタと笑いながら、ティターンは立ち上がった。同時に盾もサイズを引き上げる。そして前進を再開。
ティターンは銃砲火を見くびってはいなかった。現に初回の集中攻撃で、力が大きく削られた事実を巨人は理解している。思考能力の欠如は侮りを消し、また恐怖をもティターンから霧消させていた。よってその場の状況に合わせた行動を、ティターンは自動的に選択した。つまり火線の集中を盾で防ぎ、こちらからも接近して直接的かつ圧倒的な力の行使を至近距離から振るう。自身のアドバンテージを生かすという意味で、その選択は概ね正解だった。しかし、ティターンは一つの間違いを犯してしまった。
接近戦闘に自身が引き擦り込まれたという事実を、察知出来なかったのだ。
ティターンの視点からは、地をヨタヨタと走って来る者達の内、不意に2つが浮き上がったかのように見えた。それらが左右二手に分かれ、大きく弧を描く。両端から飛行しながら一挙に距離を詰めてくる。
右から捻り込むように「飛翔」の最大速度を叩き出し、SG552を力任せに持ち上げ、風間はティターン目掛けて出鱈目に発砲した。狙いも何もあったものではないが、何しろ的は大きく、数を撃てば何処かに当たる。加えて銀の祝福を可能最大限にまで施された銃弾は巨人でも痛い。ティターンは鬱陶しい羽虫を振り払うかの如く、ぞんざいに腕を振り回してきた。応じて風間が「飛翔」を停止。慣性落下に任せて次の霊符を取り出す。「遠隔」。
ティターンの二の腕と風間の体が、「遠隔」の行使で」大きく弾かれた。再度の「飛翔」で風間が軟着陸する一方、ティターンの上半身が体勢を崩す。続けざまに頭を押さえつけられる格好で、その巨体が膝を屈した。砂原が直上を取り、P90の連打を浴びせたのだ。
膝を付いたまま、ティターンが身を丸めた。頭頂、両肩、そして両の腕にボコボコと瘤が浮き上がる。
「何だありゃ。気持ち悪いな」
銃撃の手を緩めず、砂原が毒づいた。見下ろす彼の目に、瘤が続々と切っ先を狭めて棘と化す様が映る。砂原の顔が蒼ざめる。何をして来るかの予想がつく。反対位置の風間がハンドサインを送って来た。
『逃げろ』
直後に無数の棘が一直線に距離を伸ばす。棘とは言えど一本が木の幹ほどもあるそれが、風間と砂原に反撃を試みたのだ。当たれば串刺しではなく粉砕だ。2人は身を翻して退避するも、棘は蛇行を繰り返して執拗に追い縋る。
と、ティターン正面の盾が、陣地からの一点集中砲撃によって大穴を空けた。空洞目掛け、斉藤が真正面から突撃銃を叩き込む。すぐさまお返しの棘が斉藤を狙って延伸する。スカウターの反応速度と「加速」の相乗でもって、斉藤は瞬時に避けてみせた。
ティターンの上半身は、今や不恰好なウニの如き有様となっていた。既に風間と砂原も地上の人である。立体機動による攻撃が、立体的な反撃によって無効化されたからだ。地上であれば、少なくとも下方からの攻撃は無い。
ロティエルは戦士の速度でティターンに肉迫した。銃器持ちの発砲は即座にティターンの反攻を呼び込み、彼らもおいそれとは接近が出来ない。「加速」でもって辛うじて逃げてはいるが、如何にも厳しいとロティエルは見た。尤も、接近し続けるロティエルをティターンは見逃していない。
疾るロティエルの至近に棘が一本打ち込まれた。避ける。また打ち込んでくる。これも避ける。受けては避けるを繰り返し、遂に100を超える棘が広範囲の面を制圧すべく襲い掛かってきた。たまらずロティエルが「韋駄天」でもってその場から姿を消した。100m以上を瞬間移動した彼が見たものは、地面に間断無く突き刺さった針山であった。
「さすがに死にますね、吸血鬼でも」
ロティエルが舌を打つ。
そして近接戦闘を挑んだ面々が包囲する中央で、ティターンがやおらに立ち上がった。体をよろめかせ、その巨体を維持させる。最早姿形は圧巻のグロテスクを顕示していた。どうやら二本足のようではあるものの、その全身は突起する棘で覆われ、形容し難い有様となっている。
ロープを括る手を止め、マティアスはしかめ面で屹立するティターンを仰ぎ見た。
「セカンドモードへの変態終了ですか」
手を振り上げ足を持ち上げ、やたら行儀良く前進を再開するティターンは、おぞましいの一語である。しかし、それでも、ティターンは空を飛ぶ事無く地に足をつけている。あれだけの異形であっても自分達同様、重力に身を縛られた存在なのだ。
ならば打つ手は少なからずあるものだ。マティアスは身を低め、自らの仕掛けの総仕上げに取り掛かった。
無数の棘が全方位への反撃を開始する。
ティターンは敵対する者達の位置関係を全て把握していた。しかしながら、取り付こうと試みる前衛達は意外に素早い。周囲を飛び回るスズメバチを相手にするようなものだ。加えて四方八方への攻撃はティターンの集中力を削ぐ一方であった。棘を撃ち出しては延々と避けられる展開に陥りながら、しかしティターンは全く動きのない一団へと意識を傾け始めていた。SWATとディートハルトが居る陣地へと。
棘による連打が徐々に厳しくなりつつあるのは、最早明白であった。絶え間なく射撃を繰り返しながら、ラウーフ分隊長がその事実を冷静に口にする。受けてディートハルトは、何でもないとでも言うかのように肩を竦めてみせた。
「面倒ですが、撃墜するしかありませんね」
「撃墜?」
「まあ見ていて下さい」
言って、ディートハルトはガーシアの異能でもって、機関銃を右手に呑み込ませた。鉄の銃身が鼓動を打つ。銃口を持ち上げて斜度をつける。押し寄せてきた棘の一斉射へ目掛け、銃口を小刻みに揺らしながら応射。棘がまとめて爆散する。分隊長は驚嘆したが、懸念も呈した。
「しかし数が多過ぎる」
「弾をばら撒けるのが機関銃の強みでしてね」
ディートハルトは短く応え、また発砲した。畳み掛ける寸前の棘が砕け散る。新たな棘が引き出される間も無く撃ち抜かれる。弾帯から小気味良く配給される銃弾を、ディートハルトが尽く棘に命中させる。彼の顔が禍々しく歪んだのを合図に、機関銃の弾幕が防御から攻撃へと切り替わる。
銀の祝福にガーシアが上乗せられた銃弾の威力は、皆殺しの意図を持って行使したであろう数多の棘を、これでもかと粉砕して行った。ティターンの前進が止まり、後退が始まる。防戦一方だった前衛集団が、ここぞとばかりに反転攻勢を開始。
斉藤が調合薬を取り出し、風間が欺瞞煙幕をティターンの間近に放り込む。直後、ティターンは2つの幻を見た。
一つは厳めしい立ち姿の老人。もう一つは自分自身。
ティターンに感情は無い。故にそれらを見て恐怖するという情緒は発生しない。よってそれらを天敵と認識するのは本能に拠っていた。ほとんど反射的に右腕を後ろへと引くティターンに対し、老人ことゼウスは静かに巨人を見据え、自分自身を模した何かは、映し鏡の如く腕を引いてきた。
2体の巨人の拳が唸りを上げ、互いの顔面に激突。双方が仰け反る。たたらを踏んで拳を持ち上げ、半身を若干逸らし気味に構え直し、ティターンは自らの幻に向け、綺麗な軌道を描くハイキックを放った。違う事なく首から上を刈り取られ、幻のティターンが煙を噴いて消滅する。瞬時に掻き消えた煙の袂、何時の間にかゼウスが距離を詰め、その場に何をするでもなく立っていた。
ティターンが咆哮する。声と言うより地鳴りのような音を轟かせる。傍目には狼狽を表現する挙動であったが、なお正確に言うならば、次の行動を見失う程のインパクトがゼウスにはあった、という事だ。故に全身が目であるはずのティターンは、後じさる先に張られていたロープの存在に気付く事が出来なかった。
奇妙な事だが、棺はただ置かれているのではなく、地面に固定される形で据えられていた。よってマティアスが張ったロープは両端を頑強に結わえる事が出来、このロープに足を引っ掛け、つまづいて素ッ転ぶという未来予想図が。
ブチ。
「あ、踏み千切られた」
全長10cmの小人が張った木綿糸に足を取られ、人間が転倒するか否かという事だ。マティアスは若干脱力した。
しかし状況は意外な方向へと転がって行く。
突如、ティターンの体が無形の壁に弾かれた。反動で逆方向に体が傾くも、また何らかの作用が働いて押し戻される。マティアスが準備した『通路』にティターンは入り込んでしまったのだ。長大な2本のロープに結界符を貼って地面に敷き、目視不可の狭い回廊をマティアスは作り出していた。
トランポリンで出来た壁に数回弄ばれ、遂にティターンはバランスを崩し、仰向けの格好で倒れて行く。その様は余りにも無防備で、且つ致命的だった。
<猛攻>
腹を見せて仰向けに転がる。野生動物の世界で言えば、それは絶対服従か既に死んでいるかを意味している。ティターンは何れでもなかったが、この様を前にした人間と吸血鬼の反応は、動物の攻撃本能を剥き出しにする代物であった。陣地から絶え間なく噴き続ける機関砲とカールグスタフの支援を背に受けて、遂に前衛が最接近に成功する。
「気を抜くな、何をしてくるか分かったもんじゃない!」
叫ぶ斉藤の声は、自らが叩き込む突撃銃の連打によってほとんどかき消されてしまった。終わりだ、と思った時点で敵が想像を越えた反撃を仕掛け、大打撃を被るという展開は、この世ならざる者との戦いにおいて、嫌と言うほど経験している。ましてやティターンを作り出したのは、捩じくれた魂の持ち主、ルスケスなのだ。空の弾倉を捨て、斉藤が観察眼をくまなく発揮する。初回の一斉射に劣らぬ総攻撃を受け、ティターンは痙攣を繰り返し、未だ次の行動に移る予兆が見えない。
上空では砂原と風間が縦横無尽に飛び回り、舐めるように銃弾を浴びせ続けている。既にロティエルはティターンに取り付いて、拳銃を捩じ込み矢鱈に撃ちまくっていた。ディートハルトとマティアスの支援射撃も絶える間が無い。遂に斉藤も、警戒を薄めて攻勢に出た。
『一気にカタをつける』
『了解』
斉藤が送るハンドサインに風間が応じ、2人はアズライルの鎌を取り出した。ミラルカの形見とでも言えるそれは、ことに霊的存在に対して絶大な力を有している。上空と地上から一気に距離を詰め、2人はアズライルの鎌で巨大なティターンの体を抉った。
パン、と弾ける音と共に、ティターンの構成組織の一部、即ち邪悪な魂が消し飛んだ。回復する気配は無い。この鎌はティターンにダメージを与えるどころか、体の一部を消すだけの力を有しているのだ。斉藤と風間は互いが見えない位置に居たが、その瞬間各々の意識を共有した。
「コアを!」
斉藤が叫ぶ。
応じて風間が動いた。ティターンの弱点、コアがあると思われる胸部中央へ。その間にも、斉藤は無我夢中で身体組織を切り裂いて行く。アズライルの鎌で胸部を割り続け、コアを露出させれば王手詰み。斉藤はシンプルで過酷な戦いに耽溺しながらも、その音を聞き、敢えて心に冷水を浴びせた。
手を止め、耳をそばだてる。
キン。コン。キン。と、固いものが擦り合うような音が、恐らくはティターンの体内から聞こえていた。次第にその音は間隔を狭めている。斉藤は割り続けたティターンの体の奥に、激しく飛び回る虫のようなものを垣間見た。一瞬の光景であったが、それが何なのかを斉藤は理解した。
散々ティターンの体内に捩じ込んだ銃弾。鉄片。
斉藤が後じさる。ティターンが何をしてくるのか、ようやく理解したからだ。ティターンは、受けた攻撃を全て返す腹なのだ。その攻撃は、結界では防げない。
「伏せろ!」
ティターンの傍から離脱し、斉藤が喚く。
「逃げろ!」
斉藤が喉を枯らして声を張り上げ、自らも頭を抱えてその場に伏せた。尋常ではない絶叫を聞き、攻め手も一挙に退避行動を取る。一呼吸置いて、ティターンは膨大な一撃を放ってきた。
銃弾と鉄の破片が高速で全方位に撃ち出される。それは最も五月蝿い攻撃を仕掛けてきた、『飛翔』持ちの排除という意思がこもる反撃であった。体内に溜まった異物の全てを盛大に吐き出し、ティターンはまた静かになった。戦いの場も、また同じく。
範囲があまりにも広範に過ぎた散弾は、そのほとんどが上方向へ目掛けて放たれたのが不幸中の幸いだった。斉藤が跳ね起き、忙しく首と眼球を回して周囲の状況を確認。
ティターンがゆっくりと体を四つん這いの恰好へと移している。立ち上がろうとしているらしい。その周囲で状況の変化に応じ、回り込みを仕掛けているロティエル、マティアスが見える。陣地の側もディートハルトを先頭に辛うじて健在。しかし斉藤は脱兎の如く走り出した。倒れ伏す砂原と、腕を血で塗れさせた風間を確認したからだ。
「大丈夫か!?」
「然程大丈夫でもない」
滑り込んできた斉藤に、砂原が顔をしかめて答える。例の一斉射をかわしきれなかったらしく、砂原は体の数か所を銃弾に穿たれていた。事前に準備していたボディアーマーのおかげで、内臓器官の重要な部分にダメージは一切無いものの、出血が酷い。
「くそ。痛みが段々引いてきた」
「しゃべるな。止血する」
「斉藤は砂原を連れて陣地へ退避。『治癒』の行使を」
風間は二の腕に突き刺さった鉄の破片を、呻き声も漏らさず引き抜いた。タオルで肩口を強く縛る風間に斉藤が問う。
「退かないのか?」
「片腕がまだ使える。さあ早く」
砂原の止血を手早く終え、斉藤は彼を背中に担いだ。風間の傷口も尋常ではなかったが、斉藤は敢えて度外視した。何しろ状況は一刻を争う。
斉藤と砂原が容赦なく離脱する様を横目に置き、風間はアズライルの鎌を利き腕ではない手で構え直した。
既にティターンは、上半身を起こして膝を立てていた。風間が舌を打つ。折角ここまで追い込んだにも関わらず、戦いは仕切り直しを余儀なくされてしまった。散々に捩じ込んだ霊的なダメージによって、初期の速度がティターンには無い。翻って自分達も、先の一撃を被って態勢を立て直す途上だ。前衛から斉藤と砂原が離脱し、自らも浅くはない手傷を負う展開は、ティターンと比して消耗の度合いが五分と風間は見た。戦いは、まだ続く。
ティターンが立ち上がり、茫洋とした巨躯を誇示してきた。応じて風間も鎌を後ろ手に引き、半身を落とす。そして飽くなき突撃への第一歩を踏み出したその時、状況が一変した。
ティターンが足を掬われ、またも仰け反ったのだ。残った足で支えにかかる巨人に相対し、異物が直線にそそり立つ様を風間は見た。鈍く青みがかる剛直な異形は、剣と言うにはあまりにも巨大であった。刀身、少なく見積もって10m弱。
「何だ!?」
驚愕する風間の視線の先で、彼以上に驚いているロティエルが、それでも莫大な重量を有するはずの青銅の塊を、水平へと構え直している。
ロティエルにしても、こんなものを己が携えるとは想定外だった。気付けば自身の10倍近い大きさの青銅剣を手にしていたのだ。思うところがあるならば、それはジョーンズ博士が託してきた、剣を模したミニチュアに他ならない。
「たろすけって、そうか。これは」
人間サイズでも扱えるように設えられた取っ手を握り締め、体を半回転させて剣を真横に振るう。
「タロスの剣」
ティターンが踏みしめるもう片方の足目掛け、加速をつけてタロスの剣が水平に薙ぎ払われた。脛を真っ二つに両断され、轟音と共にティターンが再度背中から落ちる。その途端、タロスの剣は役目を終えたとでも言うかのように、ロティエルの掌に収まった。
前衛が一斉に動く。陣地からの支援砲撃が再開され、前衛がティターンに取りつくその時まで、正確にその体を抉り続ける。これを逃せば機を逸するの覚悟を持って、先ずはロティエルがティターンの上半身に飛び乗った。
真下に向けて拳銃を撃ち続け、コア目掛けて走るロティエルの目の前に、「飛翔」でもって降着する風間の姿が見えた。アイコンタクトの交差。不思議と吸血本能はざわめかない。あれは目的が共通する同志との認識が上回る。目標は胸部中央。ティターンが形成された際、最初の中核部分は確かに其処だった。
風間がアズライルの鎌を振り上げ、右へ左へと切り刻む。傷口は深く抉り進められ、やがて濃い血の色の紅玉が露出した。風間がトルマリンナイフへと持ち替える。ロティエルもナイフを逆手に跳躍した。
2人は、ほぼ同時にナイフをコアへと突き立てた。悲鳴とも、怒りの咆哮とも取れる猿叫が、全周囲から響き渡る。一頻り吠え声を上げた後、やがてティターンは、ぷつりと動くのを止めた。
「…終わったのか?」
ナイフを握り締めたまま、風間が問う。
「そのようですな」
ロティエルは頭を振り、苦笑で風間に応えた。
しかし彼の顔に、少しずつ不審が浮かび上がる。それは風間も同様で、眉をひそめて手に持つナイフを凝視する。確かにティターンは断末魔を上げ、動作がが停止した。ならば魂を形とした虚ろ身が、何時までたっても消えないのは何故だ?
その途端、ティターンの体が大きく波打った。聞くに堪えない怒号がまたも響き渡る。不自由な体をのたくらせ、身を捩って暴れるティターンに、取りつく風間とロティエルもたまったものではない。これでは大地震に翻弄されるようなものだ。
「効いておらんのですか!?」
「いや、打撃は確実に与えているはずだ!」
突き立てたナイフを支えに、弾き飛ばされまいと2人が必死に堪える。その傍らに、ごろごろと人影が転がってきた。
「すいません、ちょっと遅れました。往生際が悪いですね、どうも」
マティアスだった。ロティエルにしがみつき、額の汗を手の甲で拭っている。そして、やおらトルマリンナイフの柄を持ち、フッ、と気を吐いてコアに刺し込んだ。
がっ。
と、奇妙に生々しい呻き声が短く聞こえる。天を掴み取るように両手をさし伸ばしていたティターンは、やがて大の字の恰好へと両腕を落着させた。地響きが鳴り、それきり戦場は静寂を迎える。ティターンの体が、嘘のようにその場から消失した。
都合3人の前衛達は、空中に浮かぶ格好となる。当然ながら、落下。
「…今度こそ終わったのか?」
「今度こそ、そのようですな」
「最低3人以上の攻撃が必要だったという訳ですか。もしも以前同様、自分とロティエル氏のみだったら、一体どうなっていたんでしょうかね」
打ち付けた体を摩りながら、3人は立ち上がった。陣地から1人、2人と、こちらに歩んで来る姿が見える。斉藤に抱えられながら、弱々しいながらも手を振ってくる砂原の姿もあった。
手を振り返し、風間はようやく安堵の息をつく。あれだけの化け物と相対しながら、負傷者のみで戦い終えられた事に。攻撃の主軸を組み立てた者が抱える独特の焦燥感からは、こうして全員が無事であると確信したその時にしか、解放を得る事が出来ない。
ふと風間は、ミラルカの寂しい笑顔を思い出した。
<輪廻の門 2>
銃砲火の嵐と巨人の猛威が激突した戦いの痕跡は、今や何処にも見当たらない。あるのは無限に続く棺の列、それにぼんやりと光を放つ石柱。つまり、ティターンを除けば振り出しの景色に戻った、という事だ。
まるで費やした努力が全て反故にされたと言わんばかりの光景であったが、ティターンという壁を取り除いた結果は非常に大きい。この場所を一行の側が一時的にでも占拠すれば、それはつまり石柱の持つ役割に対し、有形無形の介入が出来る事を意味している。
大量に湧いて出る模造吸血鬼や怪物の類を食い止められるか否かは、一行の対処如何にかかっているのだ。
「取り敢えず、順当に勝ったな」
「ああ、順当だった」
「余計な怪我はしたがね」
「かなり手間取りはしましたが、良かったですね」
風間、斉藤、砂原、そしてディートハルトが何でもないように頷き合う様を見て、マティアスは著しく脱力した。
「何です? 規定通りと言わんばかりの言い方ですね」
「仰る通り、これは規定路線だよ」
半ば呆れ口調のマティアスに対し、風間が真顔で応える。
「敵はでかいが一体で、対処手段も予め分かっている。山のように準備を持参出来るうえ、やり方はシンプルに絞れるという訳だ」
「何をしてくるか分からないアウターサンセット戦に比べれば、マシだったね」
「それにエルジェが居ない」
「あのクソ化け物、二度と会いたくはありませんな」
如何にも戦慣れしている風の彼らに対し、マティアスは舌を巻いた。以前の戦いでは余程の地獄を見たらしいですね、との言葉を、しかし喉元に留め置く。彼らが醸し出す安堵の気配は、つまり1人の犠牲者も出さずに済んだ事に拠るものだからだ。彼らは悲惨なものを少し多く見てしまったのだろう。そう思えば、抜けた体に新たな精力が漲ってくる。此度は良い戦い方であった、という事だ。
と、マティアスは掌を眺めて立ち尽くすロティエルに目を向けた。近寄って何事かを問うと、ロティエルは困った顔で言った。
「あまり戦士級に近寄って欲しくないのですが、不思議と吸血衝動が発生しませんね。…これを見ていたのですよ」
ロティエルが小さな剣のミニチュアをマティアスに見せる。先の戦いで規格外の巨大な青銅剣と化した代物だ。他の者達もやって来て、興味深く覗き込む。
「性格悪過ぎでしょう、ジョーンズ博士という方は。事前にどういうものかを教えても問題無いでしょうに」
「もしかすると、教えないには意味があったのかもしれないぜ?」
と、斉藤。
「どういう事です?」
「こいつの真価はきっちり発動した訳だが、存外人によってはただのミニチュアだったのかもしれん。邪な者には使いこなせない、とかね」
「試されていた可能性がある訳ですか」
「そうだったら、ロティエルは良い吸血鬼って事だよ」
「良い吸血鬼ですか。面白い事を仰いますね。気分は悪くありませんが」
笑って、ロティエルは何気に巨大化した剣の姿をイメージした。そしてイメージ通りにミニチュアは突如10mを突破し、集まっていた一同が揃って腰を抜かした。
「何だあ!?」
「事前に言えよ!」
「いや、出すつもりはなかったのですが。しかしこんなにあっさり具現化するとは」
慌てて元の姿をイメージし直すと、タロスの剣は元のミニチュアサイズに収まった。後から分かった事だが、この剣は戦車を叩き潰せる力がある。物理的破壊力だけを取れば最強だ。しかも操り手が高位戦士級のロティエルである。彼が敵性存在であったなら、ハンターにとって最悪の組み合わせと言えるだろう。
それを踏まえて、ジョーンズ博士はタロスの剣の素性を黙っていたのかもしれない。つまり、ロティエルならば大丈夫なのだ。
「皆さん、機材を纏め終わりました。そろそろ本命の場所へ向かいましょう」
横からラウーフ分隊長が声を掛けてくる。少し話し込んでいる間に、SWATの面々がテキパキと動いてくれていたらしい。が、風間は首を傾げ、自身の指揮下にあった彼らの前に立った。
「ここからはハンターの領分だ。何が起こるか、俺達にもよく分からない。先に撤収してくれていい」
そう言うと、ラウーフは部下達の顔を見、僅かな間を置いて頷き合った。視線を風間に戻す。
「何が起きているかを知りたいのです。我々はこの事態に、既に深く関わりました。戦う相手が訳の分からないもの、というのは困ります。これからも意義有るサポートをさせて頂くべく、同行許可を願いたい。これは我等の総意であります」
「…貴方とは旨い酒が飲めそうだ」
「一応ムスリムですので、コーヒーで勘弁して下さい」
風間とラウーフは肩を組み、呵呵と笑い合った。
「あれに触れるか否かを分ける境目は、実を言えば曖昧なんですよ」
地下空間での滞在には一日の長があるマティアスが、石柱目指して歩く一行に説明する。
「人間は間違いなく触れます。吸血鬼は弾かれました。恐らく悪魔の類も。ただしカスパールは例外でしょう。それにルスケスも」
「あれは厳密な意味での吸血鬼とは別物なんだろうな」
「そうでしょうね。天使の眷属という説は、最早間違いのないところでしょう」
「触ったら、どうなるんだ?」
「意思が流れ込んできます。あれは確実にサマエルの意思でした。この石柱は、サマエルの思想と言うか、そういうものが具現化したような代物なんですよ」
マティアスが立ち止まる。それに合わせて仲間達も行進を停止した。
目の前にそびえ立つ石柱からは、無機質でありながら有機的な、あたかも脈を打つような気配が感じられる。彼らは無言で石柱を取り囲み、間断なく周囲に気を払いつつそれを見上げた。
「気をつけろ」
斉藤が言う。
「何か仕込まれているかもしれん」
「最大の壁は撤去されたが?」
「ルスケスだぜ? 奴と接触すれば嫌でも分かるよ。あれは邪気の塊が二本足で歩くような代物だ」
「しかしながら、こうも考えられますよ」
二の腕をまくりつつ、ディートハルトが斉藤に応えた。
「あれは陰湿ですが、切り替わりがとても早い。ティターンなどというとんでもない代物を出した時点で満足しきり、その後がどうなろうと知った事では無い、と考える」
「ああ、それは有り得ます」
「ティターンを破った今、ルスケスがここに帰還する事も考えられるが」
「どうでしょうね。奴は今、地上を平らげる事に興味が集中しています。存外ここの事はどうでもいいのかもしれません。何せ奴は、サマエルを除けば自分が最強の生物だと信じ込んでいますから、配下や涌き出るこの世ならざる者共は有象無象と認識しているでしょう」
言って、ディートハルトは石柱に手を伸ばした。斉藤が驚き、声を上げる。
「触るのか!?」
「何もしなければ、何も起こらないという事ですよ。それに禁術を宿した我が身、果たして人間と認識されるか否かに興味があります」
ディートハルトは、掌をゆっくりと押し当てた。結界の反発は無い。掌から、微かなぬるさが感じられる。
しばらくその格好のままでいたものの、ディートハルトは怪訝な顔となった。
「何も感じられません」
「声が流れ込んでいませんか?」
「何も。ふむ、ガーシア持ち故の無反応なのでしょうか」
言って、ディートハルトは仲間達を顧みた。ほのかな光の下で、全員の顔が青みがかって見える。否、全員の顔が、明確に蒼白となっていた。初めて背筋に悪寒が走り、ディートハルトは真上に目をやった。
石柱から大量の、透き通った手が伸びて来ていた。それらは優雅に腕を揺らし、手招きをしながら、ディートハルトの顔を包み込もうとしている。
『おいでなさい』
声が聞こえた。男とも女とも言い難い、得体の知れない声が脳に直接届いてきた。
『さあ、我が懐へ』
『苦痛と悲しみの無い楽園へ』
『また肉を得る喜びに至るまでのひと時を安らぐ、魂の休息場へ』
『さあ』
その声は、少なくとも人間達の全てに聞こえている。その声には抗い難いまやかしがあった。皆、立ち尽くしたまま声すら出せない。ディートハルトも。しかし彼が包み取られる寸前、その声が届かない唯一の者が、ディートハルトに体当たりを敢行した。
弾き飛ばされてしたたかに体を打ち、咳き込むディートハルトが見上げるその先に、膝を落として身構える吸血鬼ロティエルの広い背中があった。ロティエルは振り返らずに言った。
「危ないところでしたね。魂を持って行かれるところでしたよ。さしずめ、棺が一つ増えるってとこでしょうか」
「…然る後にこの世ならざる者への仲間入り、ですか。成る程、ルスケスが放っておく訳だ。奴は人間ごとき、石柱にどうするものでもないと考えているのでしょう」
不意に人間達が正気付いた。眩んだ頭を振って、風間が手短に指示を出す。
「斉藤さん、コンポジションC-4」
「了解」
斉藤が頷き、SWATから譲り受けたプラスチック爆薬を石柱周囲に偽装設置し始める。不用意に接近して信管を作動させれば、鉄をも破壊する爆風によって、木っ端微塵に打ち砕かれる。普通の肉体の持ち主であれば。
「物理的手段ではその石柱、破壊は出来ませんよ」
腕を組み口元に手を当て、難しい顔でマティアス。
「それに、ここに戻って来る者が居るとすれば、自分達以外にはルスケスです」
「どっちも壊せないのは折込済みさ」
風間が言う。
「言うなれば意思表示だ。俺達は何時でも何処でも牙を突き立ててやる。もしもこの罠を何者かが見るなら、それを思い知るがいい」
風間が踵を返す。一仕事を終えた斉藤も。それを機として一行は、石柱に背を向けて帰途へと歩んだ。彼らは前哨戦を勝利で終え、次の戦いへの準備に移る事となる。
結局この戦いの始めから終わりまでの間、吸血鬼が真下界へ戻ってくる事はなかった。後々アウターサンセットへ威力偵察に出た者達からもたらされた情報によれば、どうやらかの地区は完全にルスケス一党の本陣と化しているらしい。つまりそれは、真下界に勝るとも劣らぬ異形の空間が形成された、という事だ。
相変わらず予断は許さぬものの、今の所は真下界のかなりの範囲を動き回る事が出来る。其処で一行は、行きがけに目にした仕える者共の屋敷を、前線基地として設定した。前回のアウターサンセット戦と、ノブレムによる周辺地区への侵攻の結果、既に仕える者共は1人を除いて壊滅状態に陥っている。主が居なくなった屋敷ならば、有効活用しない手は無い。
「ちっ、いい屋敷に住んでいたもんだ」
ラウーフに背負われていた砂原が、彼から降りつつ複雑な顔で毒づいた。確かに屋敷には欧州の古い豪農といった趣があり、広々として実に勝手が良い。寝室から居間から十分に部屋数が揃っている。
「機材の仮置き場としては、まあ使えるかもしれんが」
「次に来た時、敵が戦力をいくばくかでも回してくる可能性があるとするなら、この屋敷にはそれなりの意味があるのかもしれない」
一行は思い思いの場所に座り、ようやく僅かな間ながらも休息を取る事が出来た。応急の手当てしか出来なかった砂原に出来る範囲での処置を施しつつ、話題は先の石柱へと流れる。
「確かに、自分自身が引き込まれる感触でしたな」
大きく息をつき、ディートハルトは先程の経緯についての感想を述べた。
「それは文字通り、敵の懐に飛び込む事を意味する。大吸血鬼、ヴラド公は、敢えて死中に活を求めよと申されたのですか、マティアス?」
「ええ。論戦を張れ。精神戦を挑めと。つまりあの石柱に、敢えて魂を引き込ませる」
「ウネウネした気色悪い手に弄られるのか。嫌だな」
「全くです。あの訳の分からない代物の中の、どうなっているかも分からない世界で、サマエルをやり込めるという難行に挑まねばならない。昔も今も、ヴラド公は情け容赦が無いってとこですかね」
端々で苦笑が起こり、速やかに場は静かになった。
件の石柱は、地下空間に封じられた死人の魂を管理する為のものだ。しかしながら生きている人間の魂であれば、管理の制約にも抜け道がある、という理屈なのだろう。命ある人間には、強い力がある。それは、我は生くる者也と断言出来る意思だ。ヴラドは言った。心一つを武器にせよと。
とは言え失敗すれば、先にロティエルの言っていた通り、新しい棺への仲間入りだ。次にここに来る者は、相応の覚悟をしなければならない。相互の共感という概念の一切が抜け落ちた、サマエルの思想を相手とするのだから。
「疲れた」
ようやく体を楽にしてもらった砂原が、がくりと項垂れつつ曰く。
「次いでに言うと腹減った。こんな辛気くさい場所とはおさらばだ。飯行こうぜ。飯。出来ればジェイズ飯じゃないとこで」
「先ずは病院に行くべきでしょう」
「こんなもん、唾つけておまじないでもすれば治るって」
「実際おまじないは効くよな」
風間が笑った。
「良し、決めた。打ち上げをしよう。遊べる時は遊ぶもんだ。ロンバートの近くにいい店がある。俺の奢りだ」
「おお、さすが稼ぎ頭」
「たかれたかれ」
「ジャンジャンたかれ」
「はて、吸血鬼の自分はどうしたもんでしょうね」
「酒は飲めるんだろ? ジャックダニエルのシングルバレルをケースでお持ち帰りすればいい」
一息に気を切り替えたハンターと吸血鬼を見遣り、ラウーフは苦笑気味に部下達と顔を合わせた。どうやら彼らも心を同じくしているらしい。皆、肩を竦めて笑っていた。
(死して屍拾う者無し。故に今を生きるに躊躇無し)
成る程、ハンターという人種は自分達とは違う。ラウーフはそのように思った。彼らは例え落命しても、死んだという事実すら記憶されない。弔いもされない。それを突き詰めた先の結果は、この世ならざる者への仲間入りか、爆発的な生命力を持つに至るか。この場の彼らは、後者なのだろう。そういう者でなければ、あの得体の知れぬ巨大な存在に対抗する事は出来ないだろう。
打ち上げには部下共々顔を出そうと、ラウーフは決めた。ハンター達の道行きを、彼としても見届けたい思いがある。
<VH1-6:終>
○登場PC
・風間黒烏 : スカウター
PL名 : けいすけ様
・斉藤優斗 : スカウター
PL名 : Lindy様
・砂原衛力 : スカウター
PL名 : M原様
・ディートハルト・ロットナー : ポイントゲッター
PL名 : みゅー様
・マティアス・アスピ : ガーディアン
PL名 : 時宮礼様
・ロティエル・ジェヴァンニ : 戦士
PL名 : Yokoyama様
ルシファ・ライジング VH1-6【屹立する巨大なもの】