カテドラルスクール・ガーディアンズ

 ゲイリー・カーティス。56歳。この歳になってもあくまで現場教育に拘り、生徒達や父兄、それに同僚達からの信頼も厚い、所謂「いい先生」である。

 この先生とノブヒル一家惨殺事件との関連を結びつける事は、警察機関では出来なかった。アダム・マクダネルに個人的に歌を教えているという、ただそれだけの事に懐疑を向けられる普通の人間など居るはずもない。

 しかしハンター達ならば、それが出来る。

 闇に生きて闇に死に、人とそうでないものとの間に立つハンターならば、この世ならざる者の気配を鋭敏に感じ取る事が出来る。ゲイリー・カーティスから電磁場の揺らぎを感じ取る、ただそれだけで事件の裏に潜むものを彼らは見出した。

 差し当たって彼らが目をつけたのは、カーティス先生がアダム、それにラッド・ジェンキンスに教えていたという『歌』だった。

 

「ええっとだな。例の『歌』について個人的に調べてみたんだが」

 守衛の詰め所に揃った仲間達を見回し、ドグ・メイヤーはICレコーダをヒラヒラと見せた。

 大聖堂男子学校に、警備員として潜入した面々は、ドグを含めて計4人。マティアス・アスピ、砂原衛力、そして「月給取り」のマリーア・リヴァレイ。休憩時間を利用した打ち合わせは恒例となりつつあり、ターゲット:カーティスの監視を彼らはここしばらく続けていた。警備員としての立場を学内では認知されており、当のカーティスにも怪しまれている気配はない。

 最もその存在を察知されそうな吸血鬼、マリーアは、今に至るも彼の目を欺き続けていた。彼女に施されたタトゥ「女帝のアミュレット」による人払いのお陰だ。

 先月からドグと組んでいるマリーアは、彼が例の歌をどのようにして調べたのか知っていた。それは自身の立場にも深く関わっている。テーブルに身を乗り出し、マリーアはドグに問うた。

「聞けたのか。レノーラに」

「ああ。こっそり録音しておいた奴を携帯電話で聞いてもらったよ。ビンゴだったね」

「どういう事です? 何故ノブレムの頭目に?」

 首を傾げるマティアスに、ドグは胸を張った。

「あの歌は、古い吸血鬼の言語だったんだよ。道理で何を言っているのか分からん訳だ」

「そうなのか!?」

 言って、砂原は何となくマリーアを横目に置いた。

「月給取りとは言え、ここに吸血鬼が居るんだが。何故彼女は吸血鬼の言葉が分からない?」

「…要は真祖に直接関わったか否かによるらしい。古吸血鬼語を理解出来るかどうかはね。その世代の吸血鬼と言えば、今や現存する帝級しか居ないという事だ。私のようにかなり若い吸血鬼には、あなた達同様、得体の知れない言語にしか聞こえないんだよ」

 マリーアがドグに向いて頷き、続きを促す。応えてドグは、ICレコーダの再生ボタンを押した。レノーラとドグの会話が、携帯電話から録音した割にクリアな音質で語り始める。

 

『確かに、これは古い吸血鬼の言葉だわ。よく見抜いたわね』

『状況を類推すれば、察しはつくってもんだ。それにしても美人の声だな。とてもいい声だ』

『私としては年相応にしわがれた声になってみたい。大体の歌詞が理解出来た。訳を聞きたい?』

『聞かせてくれ』

『…朝、昼、夜、どれが好き

 僕は夜が好き

 草木眠り、虫の音心地良く、梟躍動す

 夜は僕の時間、夜は僕の時間

 朝も昼も、みんな夜になれ

 さすれば僕は、全てを掌に収めるだろう

 僕の声よ届け

 主よ、僕と共に全ての夜に慈悲を

 主は偉大也、我は偉大也

『意味深だか、そうでもないのか、良く分かんねぇな』

『そう、良く分からないわ。歌詞自体に然程意味は無いように思える。問題はこれを子供に教えていたという存在ね。その存在が、意味の無い歌に何らかの力を乗せて意味あるものにしているのではないかしら』

『カーティスって先生だ。古吸血鬼語で歌っているって事ぁ、つまりそいつは吸血鬼と考えてもいいのか?』

『いえ、多分違う』

『何だって? どうしてだ』

『歌を歌って、何らかの術を施すという異能は、私の知る限り吸血鬼のものではない。吸血鬼のそれは、もっと直情的と言うか、こんな回りくどい事はしないのよ。段階を踏んで事を為すのは、魔術とか呪術に相当するものだ。かつての人間達が使っていたような』

『じゃあカーティスを、やっぱり人間だと推測する?』

『其処までは分からない。ただ、この世ならざる者にも魔術を使ってくる輩は居るわ。私としては、そのカーティスにもう少し迫ってみるべきだと思う。どうか頑張って』

 

「とまあ、こんな感じだ。結構親切なお姉ちゃんだろ?」

「勘違いしてはいけない。本質的に気安い人ではないのだから」

「しかし、判断に困りますね。カーティス本人にはどういうアプローチを試みたものか」

「ンなもん、決まっているだろう。次の犠牲者を防ぐ為に、カーティスの企みを妨害するんだよ。ターゲットが拉致されたりしないよう、今回は十分注意しないとな」

 言って、砂原は隠し撮りした生徒の写真を机上に置いた。

 ラッド・ジェンキンスは既にカーティスやエルジェ達の対象から外れている。今現在学校へ元気に通っているラッドは、本当のラッドではない。本人はゲストハウスの固い防御に護られ、ラッドを模した人形が何食わぬ顔で生活をしている。この事実をカーティスは当然把握しているはずなのだが、差し当たってどうこうする素振りは見えない。それよりも前に言っていた、新しい『仕込み』に余念がないのだろう。その対象者は、既に砂原を始めとするハンター、月給取りも把握しているところだ。

 写真の子供は、ロベルト・アルメイダという名前だった。歳はラッドやアダムと同じ頃合である。前回は辛うじて対象者を護り切る事に成功したものの、此度は対象となる事態そのものを阻止せねばならない。ここで連鎖を断ち切らねば、何時までも同じ悲劇を繰り返す事になるだろう。3人は深く頷き、砂原を見た。

「で、どうやって妨害をするんですか?」

「え?」

「え?」

「…まさか、手段を考えていなかったりする?」

 

マティアス・アスピの方策

 アルバート・ジェンキンスが自宅に戻る頃合は仕事の進捗によって雑多だが、その帰宅ルートはほとんど逸れるという事が無い。

 そして自宅に戻ればラッドが出迎えて、マリーが夕食の支度を始める。前からつぶさに観察してきた、それがジェンキンス家の幸せサイクルだった。

 マティアスは以前と変わらぬ結界をジェンキンス家に張り巡らせ、時間をやりくりして状況の監視に努めている。こうして彼らをガードする態勢を維持しているのは、ジェンキンス家が未だ吸血鬼のターゲットである事を、当の吸血鬼達に誤認させる為である。ガラス越しに映るダイニングの人影は、談笑しつつテーブルに着座している。その姿は人間そのもので、まさかそれが自律作動する自動人形等とは誰も思わないだろう。ごく一部を除いては。

『…ま、ナイフでも突き立てない限りは見分けがつかないでしょう。血の一滴も出ませんからね。血の表現を除けば、吾の人形は完璧です』

 事前に打ち合わせをマティアスが申し出、それに応じたキューの言葉を思い出す。

『完璧と言うからには、君が張る結界に対しても問題はないという事です。君達の結界は魔の者を退ける効果がありますが、吾の人形に関して言えば、その属性ではありませんね。何しろ人形を動かす思念は、他ならぬジェンキンスの幸せ一家です。もしもあの人形達が吸血鬼に襲われでもしたら、また代わりを作ってあげますよ。何しろ庸の男からの吾への寄進は、この仕事以上に破格でしたからね。しかし君、多分吸血鬼は襲って来ないと思いますよ』

『それは何故です?』

『先も言った通り、あの人形には血の気がありません。上の階級の吸血鬼ならば、その違いは直ぐに見分けるでしょう』

『つまり、美味しい食べ物の匂いがしない、という事ですか』

『芳しいトウモロコシの香りがしなければ、トルティーヤはつまらない紙って事です』

 トルティーヤと人間を比較するのはどうかと思うが、マティアスは成る程と思った。吸血鬼にとって人間は食い物だ。彼らにとっての芳しい香りとは、つまり人間の生き血に他ならない。人間が分泌する汗や体臭から、高位吸血鬼の鋭敏な感覚が血液の成分を察知するのは有り得る話だ。

 しかしそうなると、月給取り、マリーアの正体を一発で見抜いたカーティスを、吸血鬼と判断するのは順当である。しかしレノーラは、恐らく違うのではないかとドグに言っていた。ならば、カーティスとは一体何者なのだろうか?

 マティアスはメモ帳を取り出し、ある出来事の経緯を読み直した。それは自分が、子供達に歌を教えていた時の事だ。

 カーティスは歌を特定の子供に教える事によって、帝級吸血鬼の人身御供と化す何らかの儀式を執り行っている。それに対抗してマティアスは、警備員としての業務の合間、休み時間の子供達に全く関係ない歌を教えていた。これによってカーティスの歌の効力を減衰させる効果でもあるんじゃないかというのが一つの目的であったが、それは直ぐに打ち消される羽目になった。その場にカーティスが現れたからだ。

『ほう、懐かしい歌ですね。若いのによく御存知だ』

『…ええ、Kyu Sakamotoの「Sukiyaki」ですね。ビルボードチャートのトップに立った事があると聞きました』

『美しいメロディ、情緒的な哀しみに満ちた歌ですね。とてもいい歌です。しかし、子供達に理解してもらうには少々早過ぎましたな?』

『すみません、ガードマンの分を弁えます』

『いやいや、そういう事ではありません。このような形で子供達に接して戴くのは、私はとても良い事だと思っています』

 すこぶる「物分りの良い優しい先生」的な対応をカーティスは取ってきた。こちらの行動を全く意に介さないという事は、つまり減衰効果は期待出来ないと考えていいだろう。

 しかし、もう一つの目的についてはどうかとマティアスは考える。歌を教えられた子供は、もしかしたら家族にも歌ってみせているのかもしれないと彼は考えたのだ。

 マクダネル一家の事件では、家族全員が一滴残らず血液を搾り取られている。ジェンキンス家の場合も、家族全員が狙われていたと考えるのが妥当だろう。父、母、そして男の子。ターゲットにされる家族構成は、実は次なる犠牲者と思しきロベルト・アルメイダ少年にも適用される。

 歌を教えられていた子供達は、その歌を両親の前で歌ってみせ、その効果が血の伝播で波及する。そして親子丸込めで狩られる。この推測は、かなり良い線を行っている。違う歌を教える事によってそれを妨害する事は出来ないかとも考えたのだが、実の所効果の程は怪しい。もしも、家族の前で歌うのは何時もこの歌、という暗示のようなものをかけられていたとしたら? あの時のカーティスはとても紳士的だったが、その裏には絶大な自信が見て取れるとマティアスは思った。やはり、彼の歌そのものを阻止せねばならない。

 それにしてもと、マティアスは思う。何故、被害に合うのは何時もノブヒルなのだろうかと。

 カーティス先生が大聖堂学校に勤務しているから、というのは単純に過ぎる。大聖堂男子学校に通う生徒達は、何もノブヒル在住とは限らない。この学校にもスクールバスがあって、例えばプレシディオからも通学している子供だって居るのだ。しかしターゲットになるのは必ずノブヒル在住者である。アダム、ラッド、そして此度のロベルトも。こうなると、ノブヒルという土地そのものに何らかの意味があると考えるのが順当だ。

 ノブヒルにあって、他に無いもの。マティアスは考える。ここはサンフランシスコでも一際高所にあって、住んでいる人々は所謂高所得者ばかりだ。しかし人間そのものに然程の違いがあるとは思えない。例えば血が汚れるとして吸血鬼が嫌う薬物の類は、のべつまくなしに何処でも入り込む余地がある。売人は底辺の人間かもしれないが、それを高額で買う者は富裕層にも多いではないか。正にアメリカ社会の病理だ。被害に合った家族は、薬物汚染とは無縁だったようだが。

 ならばノブヒルの象徴的なものとは何だろう。マティアスは考えを巡らし、ふと学校のある方角を眺めた。

 ノブヒルにあって他にないものの一つは、大聖堂男子学校だ。そしてその裏には何が聳えている?

 グレース大聖堂。アメリカにおける最大規模のカテドラルだ。

 

ドグ・メイヤーの探索

 学校に登録されているゲイリー・カーティスの住所を、ドグはダミーであると判断した。

 カーティスの勤務時間中を狙い、ドグはカーティスの住むアパルトメントへの侵入を果たした。かなりセキュリティのしっかりしていた住居であったものの、ハンターの技能は並みの泥棒を遥かに凌駕する。おまけに其処のセキュリティシステムは、大聖堂男子学校の請負と同じ会社だったのだ。ここまで条件が揃えば、本職の「調査屋」ではないドグでも侵入は容易い仕事だった。

 監視カメラの類を避けつつ、ドグは手袋をはめ直し、身を潜めるようにしてカーティスの部屋の扉を開いた。

 室内は、凡そ人が生活している気配は無かった。男性1人が住む程度の間取りとしてはそれなりだ。ダイニングと居間、それに奥への扉は恐らく寝室。ダイニングには冷蔵庫や調理器の類があって、居間にもテレビとソファがある。戸棚には少々の酒類、グラス。最低限、必要なものは揃えましたと言わんばかりである。そのどれもがピカピカの新品のような輝きを放っている。生活を重ねたくすみのようなものは感じられない。カーティスがここを生活の拠点にしていない事は、見る者が見れば明らかだった。

「あの先生様は、何処で暮らしてやがるんだ?」

 ドグは呟き、突然姿を消したカーティスを思い出した。自分の居場所に戻ったのだろうが、まるで手品のように彼は居なくなったのだ。彼が幽霊の類でないのは間違いないが、どういう手段を取ったのか、あの時点では皆目見当がつかなかった。

 それを類推するものが、仮初とは言えこの住居にはあるかもしれない。ドグは一息つき、いよいよ寝室の扉のノブに手を当てた。鍵がかかっている。

1人しか住んでいない寝室の扉に、敢えて鍵か?」

 この先が当たりかもしれない。鍵の構造を確かめ、先端が湾曲した針を差し込む。しばらくがちゃがちゃやっていると、あっさり鍵は開錠した。寝室に侵入する。

「何だこりゃ」

 ドグは呆気に取られるしかなかった。その部屋にはベッドが無く、代わりにあるのは立ち並ぶ書棚と大量の蔵書だったのだ。ここは打って変わって、頻繁に利用した形跡がある。デスクには開いた本が放置され、万年筆が無造作に転がっている。書棚には一角には、どういう訳か不自然な凹みがある。位置から察するに、思い切り蹴飛ばしたと考えるのが妥当だろう。穏やかで真面目に見えるカーティスの、その本性の一端をドグは見た気がした。

 室内の様子をデジタルカメラに収め、ドグは何気に書棚の一冊を手に取り、パラパラとページを捲った。その途端、あまりの難解さに頭が痛くなる。ラテン語らしき言語は全て鏡面反転しており、何が書いてあるのかさっぱり理解出来ないのだ。しかし、文節に存在するその単語は、例え反転していても良く分かった。ドグの背筋が凍った。

Satan」

 ドグは慌てて本の表紙を確認した。ラテン語の知識を脳裏で駆使する。

「黒魔術と薬草における13の掟」

 その他の書籍も片っ端から確認してみたが、どれもこれもブラック・マジックとデモノロジィに関するものばかりだ。

 これらの書籍は、人間が記したものである。キリスト教的価値観に従いながら、その教義を反転させた書籍の数々。神と悪魔の存在を否定し、信仰の一切を否定する思想とは全く異なる、神秘主義の全肯定。悪魔にかしづき、その意に沿って行動する者達を、ハンターのみならず世間一般ではこのように呼称する。

「サタニスト(悪魔崇拝者)…」

 ドグはカーティスの正体に、ようやく辿り着いた。ゲイリー・カーティスはサタニストだったのだ。それも生半可な思想にかぶれた類ではない。本当に魔術・呪術を行使出来る筋金入りのサタニストだ。かつてドグは、軍役時代の南米でサタニストのカルト集団が呼び出した悪魔に小隊を壊滅させられた過去を持つ。連中がどれだけ危険な存在か、ドグは肌身で知っていた。実際に力を使える点を鑑みれば、カーティスは悪魔に魂を売っている可能性がある。そんな者が学校の先生をやっているなど、絶対にあってはならない事だ。カーティス自身をどうにかせねばならない。

 ドグは携帯電話をゲストハウスのジェイコブ・ニールセンに繋ぎ、事の仔細をつぶさに報告した。彼ならば、何か有益なアドバイスをくれるかもしれない。

『えらい奴にぶち当たったな』

 ジェイコブが言う。

『しかし話を聞く限り、俺はカーティスだけを始末しても解決に至らないと思う』

「何だって? そりゃまたどうして」

『サタニストってのは、伝統的に集団を形成するものだ。殊にカーティスのやっている事は、極めて地味だが大掛かりでもある。奴には仲間が居ると見て間違いないだろう』

「うわ。面倒くせえ」

『妙なもんに関わってしまった点は同情する。だが、カーティス1人をどうこうしたところで、サンフランシスコに巣食うサタニストを壊滅させねば事態は解決しない。何処かに彼らが集結する場があるはずだ』

「恐らくそれがカーティスの居住する場所でもあるのだろうよ。それは一体何処なんだ?」

『そればっかりは、何ともな。カーティスを徹底的にマークするしかあるまい』

 電話を切って溜息をつき、ふと、ドグは違和感にかられた。書庫の狭間に立て掛けられた全身鏡。山のような書籍にあって、それだけがどうも不自然に見える。

 ドグは鏡の前に立ち、鏡面をまじまじと眺めた。金髪碧眼、なかなかの美中年。と、自分では思っている。その美中年が、鏡に映った自分の顔が、にやりと笑った。しかし自分は笑っていない。

 咄嗟に散弾銃を手繰り寄せたが、もう遅い。ドグは鏡の中の自分に肩を掴まれ、鏡面へと引き摺り込まれた。

 そして寝室には、誰も居なくなった

 

肉迫

 終業のチャイムが鳴り、生徒達が帰宅の準備を始める中、ロベルト・アルメイダは1人音楽室へと駆けて行った。音楽室には誰も居なかったが、ロベルトは座席の1つに座り、窓から外の景色を頬杖ついて眺めた。

 今日はカーティス先生に居残りで歌を教えて貰う日だ。先生からは両親に、歌唱の才能があるので特別に面倒を見させて欲しいとの連絡が通っている。才能があると言われれば、親としても嬉しい話だった。練習はたかだか30分程度で済むし、ロベルト1人の為に帰りの車を出して貰える。正に特別待遇だ。

 帰りの生徒達を乗せたスクールバスが出発する様を窓越しに見送っていると、音楽室の扉が開いた。カーティス先生がにこやかな顔で片手を挙げ、ぺこりと頭を下げるロベルトに声をかける。

「待たせてすまなかったね、ロベルト君」

「カーティス先生、よろしくおねがいいたします」

「はは。君は本当に礼儀正しいんだねえ。でも、そんなにかたくならなくてもいいんだよ? リラックスしている方が、声にはとても良い事なんだ。それじゃ、練習を始めようか」

 言って、カーティスはピアノの前に座った。指鳴らしに幾つかの鍵盤を叩きながら、指導した通りに深呼吸を繰り返すロベルトを見て、満足げに頷いた。

「歌詞は一通り覚える事が出来たかな?」

「はい。どういういみなのか、よく分からないですけど」

「いいんだ、いいんだ。今は歌詞の意味なんて分からなくてもいい。まずは正確に歌えるようになるのが一番なんだよ。歌詞を覚えたんなら、一度パパとママの前で歌ってごらんなさい。きっと喜んでくれると思うよ」

「でも、まだきちんと歌えるじしんがないです」

「その為の練習さ。それじゃ、ピアノの伴奏に合わせて一緒に歌ってみようか。間違っても構わないから、最後まで通してみようね」

 そしてこれからピアノの演奏を始めようとした途端、「それ」はいきなり音楽室に入ってきた。

 何かと言えば、「それ」は黒マントだった。顔が青白かった。吸血鬼だった。その正体は、仮装した砂原衛力だった。踵を揃えて、目を白黒させる2人の前で敬礼。これが砂原なりに考えた、儀式に対する望外手段である。恐らく。

「こんにちは。ハロウィンの吸血鬼です。坊や、キャンディーをあげよう。ありがたく舐めなさい」

「ありがとう…でもガードマンのおじさん、ハロウィンはまだ先だよ?」

 舞台設定では、時系列的に夏です。ハロウィンは10月31日ですね。

「それはともかく」

 それはともかくの一言で、砂原は全て脇に置いた。

「見回りに来ました。自分などは気にせず、ささ、続けて下さい。ひとつ天使の歌声ってやつを。さあ」

 取り敢えず砂原は、言動と格好が面白いとロベルトには思われたようだ。興味津々で砂原を見詰めてくるロベルトに比べ、カーティスは困ったような表情を作っていた。しかし、それは何処か芝居じみているようで、その目つきには冷ややかな印象がある。カーティスは肩を竦め、席を立った。

「ロベルト君、ガードマンのおじさんは用事があるようだから、申し訳ないけれど練習はまた今度にしよう」

「ええー」

「折角残って貰ったのに悪かったね。職員室に行って他の先生に言えば、車を出してくれるはずだよ。今日はもうお帰りなさい」

 不満げな様子ではあったが、ロベルトは気を取り直して元気良く音楽室を出て行った。見送っていたカーティスが砂原の方へと向き直り、椅子を引いて彼に勧めた。

「どうぞ、掛けて下さい。何かお話があるのでしょう?」

「まあ、話って言うか何て言うか…」

 言われるままに腰掛け、砂原はカーティスに相対する。カーティスは変わらず笑みを浮かべ、言い淀む砂原に構わず続けた。

「御同僚のドグ・メイヤーさんを今日はお見かけしませんが、どうかなさいましたか」

「あいつなら今日は休みを取ったよ」

「ほう。休みを利用して、私の家を訪ねられたという事ですか」

 砂原は絶句した。

 目の前のカーティスは、何時の間にか顔から表情が無くなっている。どうやら彼は、自分達の素性に気付いてしまったらしい。あくまで優位を保ったまま、カーティスが悠然と語った。

「仲間から連絡を受けましてね。どうも警備員にしては風変わりだと思っていましたが、ハンターに肉迫されていたとは思いませんでした。前にノブレムらしき吸血鬼が潜り込んで以来、静かなものでしたからねえ」

「あんた、何者だ」

「ただの人間ですよ。忠誠心が篤い。偉大な方に忠誠を誓う者です。そしてその方は、この世の御方ではない」

「正体見たりか」

 腰に隠したナイフを取ろうとし、しかし砂原は愕然とした。体の自由が全く利かない。カーティスに先手を打たれてしまったらしい。

「椅子に座って戴いた際に、呪い袋を貼っておきました。ところで、お辛いでしょう。ハンターなる人生は。命を賭して苦労をしても、見返りなるものは全く無い。ああ、やるかたない人生だ。其処の窓から飛び降りて死んでしまいたいなァ」

 その声と同時に、砂原の体がゆっくりと動き始めた。窓の方へと。ここは最上階。体は間違いなく受身を取れない。落ちれば普通に死ぬ。

「カーティス…こんな事をして、ただで済むと思っているのか!」

「あなたが勝手に落ちるのでしょう。ま、ハンターに目を付けられたと分かった時点で、この学校ともおさらばです。お陰で私の努力がまたも徒労に終わります。どうか死んで詫びて下さい。安全な場所で、何か別の手を考えるとしますよ」

 歯を食い縛り、勝手に動く体をどうにかしようと、砂原は必死に抗った。しかしカーティスの呪いは強力である。意思に反する歩みが止まる事は無い。その背後でカーティスが哂う。実に耳障りだ。

「私に目をつけながら、対策を講じないとは変わった方ですね。きっと早死にしていましたよ。それが今日になっただけです。さようなら、砂原君」

 いよいよ砂原はその手を伸ばして錠を外し、窓を開いた。後はその身を乗り出して、地面に向かってダイブを敢行し、全てが終わる。これまでかと思ったが、しかし救いの手が音楽室の扉を蹴破って飛び込んで来た。

 咄嗟にカーティスの手が、突入してきた者に向けられる。口元が何かを呟く。呪いをかける腹らしい。同時に砂原の動作が一旦食い止まった。

 その者は背を丸め、拳を握り締め、大股でカーティスの元へと歩み寄った。カーティスの顔が歪む。相手に自分の呪いが全く効かないのだ。怒気を孕むその顔を見て、カーティスはようやく気が付いた。

「あなたは、あの時の吸血鬼か!」

「そう、私は吸血鬼だ。吸血鬼の聴覚は、侮れないという事だ」

 マリーア・リヴァレイは瞬く間に詰め寄って、カーティスの首を掴むと白板に叩き付けた。窓に足を掛けていた砂原は、その様を見て快哉をあげた。

「ザマミロ、クソ野郎! 愛してるぜマリーア! 早いとこ助けてくれ!」

「あなたに聞きたい事がある!」

「おーい」

 マリーアは月給取りだが、並の人間よりも破格の力を持っている。豪腕でカーティスを締め上げ、言い聞かせるように口を開いた。

「かつて私も教師をしていた。だから、この仕事の大変さと尊さは十分承知している。あなたは私の目から見ても、かなりいい先生だった。子供達も同僚も、皆あなたを慕っていた。演技で其処までの評価を得る事は出来ないと私は思っている」

 言いながら、マリーアは己の言い様を違うと思った。恐らくカーティスは、自分が怪しまれぬよう何らかの呪いを自身か、この学校に施しているのだ。だからハンター達も、猜疑心を抱きつつ先生としては悪くない、等と思ってしまっているのだ。自分はそのような暗示にかかっていないが、教師という存在への憧憬が瞳を曇らせているのだと自覚していた。それを分かっていても、マリーアは説き伏せる言葉を止めない。

「子供達への優しさは演技なのか? 彼らを信頼させる為の。そうでないなら、まだチャンスはある。子供を吸血鬼に差し出すような事は、もう止めて下さい。私達に邪魔をされて、実行不可能になったと断ればいいでしょう」

「…そう、その通りです。可愛い子供達を、あんな目に合わせるような事は、本当はしたくなかったんです」

 カーティスが言った。

「本当は止めたかった。しかし私に命令を下した者に、逆らうと殺されてしまう。私はあまりにもひ弱でした。あなたの言葉で目が覚めましたよ。こんな事は、もう絶対にしません」

 真に邪悪なる者は、嘘をついても良心が咎める事は無い。

 目を見ればその人となりが分かる。それをかつてマリーアは職務として身に付けていた。だから生徒が嘘をついても大概は分かるものだ。その目には必ず躊躇がある。しかしごく稀に、淀みない目で嘘をつける子供が居た。そういった、家庭環境が深刻に影響している子供達への指導は、特に念入りに行なわねばならない。彼らの心は成長の途上にあるのだ。正しい道に戻す事が出来る。

「あなたは本当に、どうしようもない、最低の奴だな…」

 マリーアは絶望的な声音で吐き捨てた。

 このようにして、居るのだ。後戻りが効かないほどに心が変貌した人間が。カーティスは自らの行ないに何ら反省する事無く、むしろ正しい行動だったと信じている。だから嘘をつくにも戸惑いの一切が無い。

「こうして吸血鬼に身をやつしても、私は子供達を教え、守って行きたいと今でも願っている。それをあなたは、お前は人間のくせに、先生のくせに」

 マリーアの口から、ぞろぞろと牙が溢れ始めた。感情の抑制が外れると、月給取りもその本性を露にする。マリーアのタガを外したのは、純粋な怒りだった。底無しの怒りだった。

「生徒達が悲しむと思ったが、もういい。彼らの為に、お前が死ね」

「そうですか。しかしあなた、そろそろ引っ張ってあげないと、彼が落ちてしまいますよ」

 猛然と振り返る。砂原の体は既に窓枠から全て出てしまい、落下するまで一呼吸くらいしかない。カーティスを突き飛ばし、マリーアは砂原にしがみついて体を室内に戻そうと試みた。しかし彼の体は、吸血鬼の腕力をもってしても動かない。逆に万力のように、じわじわと砂原が前のめりになりつつある。砂原が堪らず叫ぶ。

「マリーア、俺の背中に何かついていないか!?」

「背中!?」

「呪い袋だ!」

 言われて初めて、マリーアは両面テープで付着した奇妙な袋に気が付いた。袋をむしり取ると、砂原の体が嘘のように軽くなる。マリーアは砂原を乱暴に引き摺り下ろし、音楽室の床に投げ飛ばした。

「あだだ。もうちょっと優しくしてくれよ」

 腰をさすって立ち上がる砂原に、マリーアは何も応えなかった。忌々しく音楽室の開け放たれた扉を見据え、床を強く踏みつける。

「逃げられた。カーティスに!」

 マリーアがカーティスを追跡せんと、脱兎の如く飛び出して行った。砂原も後を追おうと駆け出した途端、鳴り出した携帯電話に足を止められる。

『私です。報告が2つ』

 マティアスだった。

『酒場のマスターからです。ドグさんの足跡が途絶えました』

「げっ!? まさか、カーティスの仲間に捕まったか!?」

『仲間ですって? 奴には仲間が居るんですか』

「奴自身が言っていた。ありゃとんでもないクソッタレだぞ。もうこの学校には居ない。本性出して逃げやがった。もう何処に居るか分からん」

『…成る程。それでは報告其の二。今、カーティスは私の10m程先を歩いています』

 

 マティアスは携帯を切って、慎重にカーティスの足取りを追った。

 外出から戻った際、足早に飛び出して行ったカーティスを見掛けたのは偶然だった。雰囲気からして只事ではないと判断し、後を追ったのは正解である。

 幾つかの路地に入る内に、マティアスは気付く。以前カーティスを追った際とは、まるで異なるルートだった。彼は自らの本拠地に戻るはずなのだが、つまりそれは道を変えても問題ない場所なのだろうか? そうこうする内に、マティアスはパタリと足を止める。

「居ない!?」

 曲がり角を過ぎると、彼の姿は何処にも見当たらなくなっていた。これでは前回の尾行と全く同じである。上下左右、あらゆる場所を見渡すも、カーティスと自分の距離で見失うはずが無い。しかしマティアスは、地面に目を留めた。

 マンホールだ。それは地下下水道に繋がっている。跪いてマンホールに触り、引き上げると、それは片手で動かせる位に軽かった。本物のマンホールならばこうはいかない。カーティスは事前に、幾つかの場所のマンホールをすり替えていたのだろう。

(恐らく、そう遠くない位置に奴は潜んでいるはずだ)

 それはマティアスの勘だった。敵はノブヒルに固執している。カーティスもまた、同じく。

 この場所は、学校からそう離れてはいない。マティアスは立ち上がり、学校を足元に見守っているかのような、グレース大聖堂を見据えた。

 

 

VH1-3:終>

 

※一部PCに特殊リアクションが発行されています。

 

 

○登場PC

・ドグ・メイヤー : ポイントゲッター

 PL名 : イトシン様

・マティアス・アスピ : ガーディアン

 PL名 : 時宮礼様

・砂原衛力 : スカウター

 PL名 : M原様

・マリーア・リヴァレイ : 月給取り

 PL名 : 蒼夏様

 

 

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ルシファ・ライジング VH1-3【この世ならざる者の詩】