<ノブレムのアパルトメントで>

 ミッション地区はヒスパニック系の住人が多くを占めており、市街とはまた違った明るく猥雑な雰囲気がある。

 南米スタイルの白壁の家屋と、派手な装飾で彩られた通りをかき分けて行くと、その低所得者層向け公営アパルトメントはポツンと奥に引っ込んでいた。ノブレムのアジトだ。

 ケイト・アサヒナは周囲を窺いながら、地味な建物の様子を見定めている。人気はない。昼日中は住人達も大人しくしているのだろうか。

 兎にも角にも、其処を訪れるのは腹を括らねばならない。アパルトメントの住人は、1人残らずノブレム一党の吸血鬼なのだ。幾ら穏健派を標榜するノブレムとは言え、彼らが人間と天敵の関係にある事には変わりがない。それを承知の上で、ケイトには会いたい人物が居た。組織の首魁、吸血鬼の最強類、レノーラに。

 意を決し、ケイトは歩みを進める。が、十歩も行かぬ内に、いきなり現れた背の高い男に通りの陰へと引きずり込まれた。声を上げようとした口を塞がれ、拳銃を取り出す手も抑えられる。不意を打たれたとは言え、ハンターの中でもフロントマンである自分を、男は尋常ではない腕力であっさりと拘束してしまった。ケイトの背筋に悪寒が走る。男は間違いなく吸血鬼だ。しかし壁に自分を抑えつけたまま、男は顔を反らしてケイトを決して見ようとはしない。

「牛の血・真空パックをまたも2つ空けてしまったよ」

 飄々とした調子で男の曰く。

「こうして君と目を合わせないのは配慮だ。しかしまあ、まずいな。何がまずいって匂いが芳しい。成程、ここまで接近すると吸血衝動を抑えるのが大変なのだな。ここは一つ手短に行こうじゃないか」

「誰!? 放して!」

「そうもいかない。解き放たれたハンターは、戦士級の自分でも実に手強いのでね」

 戦士級という単語を聞いて、ケイトは抵抗を止めた。この状態に持ち込めば、男は何時でも首の大動脈を引き裂く事が出来る。しかし男はそれを堪え、どうやら自分と話し合いをしたがっているらしい。力の抜けたケイトに気付き、男は拘束を外した。相変わらず明後日の方向を向いたまま。反撃の危険も承知の上だろうに、吸血鬼にしては人が良過ぎるのではないかとケイトは思った。

「もう、ノブレムのアパルトメントには近付かないで欲しい」

 と、男は言った。あからさまに不服な表情となった己が顔に、恐らく彼は気付いていないだろう。

「誰かは知らないけど。私はレノーラに話がある。とても大事な話が。吸血鬼と人間の関係を一歩前進させる為に、それは必要な事」

「おお、同志よ。君みたいな子が大好きだ。だからこそ、ここから先に行かせる訳にはいかない。君達人間は戦士級というものに対して、あまりにも無頓着過ぎる。こうして話している私も、一歩踏み外せば肉食獣なのだぞ。そうでなくともノブレムには、人間の血を吸いたくてたまらない奴だって居る。どうか私の切なる願いを聞いて欲しい。これ以上吸血鬼を刺激しないでおくれ。こんな幸運は今後無いものと、君達には弁えて欲しいのだ」

「…リヒャルト?」

 と、アパルトメントの玄関から声がかかった。ケイトの位置からでも声の主は見える。赤毛の鋭い眼の女だ。咄嗟に男がケイトの視界を遮断する位置に体を入れ替え、彼女の肩を抱いて表通りへと足早に向かった。

「まずい、一番怖いのが出てきちゃったよ。ともかく、ジェイコブ・ニールセンに相談し給え。君の望むイベントが、数日後に開催されるのだからして。君も参加するといい。すっごく楽しいよ」

「イベント?」

「デタントへの第一歩だ。表に出たら全速力で逃げ給え。私が絶妙な言い訳をする」

 リヒャルト、リヒャルト、リヒャルト! と、女は声を荒げながら近付いてくる。表に押し出され、ケイトは言われるままにその場を走り去った。一頻り走って距離を置くと、男の言う通り誰も追っては来なかった。

「…あれが、噂に聞いたノブレムの革新派?」

 ケイトはリヒャルトと呼ばれた男の言っていた事を、頭の中で反芻した。デタント。イベント。数日後。ハンター側とノブレムの間で、何か重要な接触が行われるのだろうか。気を取り直し、ケイトは仔細を確かめるべく、携帯電話をジェイコブの番号に繋いだ。

 

「実はあの子と一緒に蟻の行列を観察していました」

「ふざけるな。首を飛ばすぞ」

 リヒャルト・シューベルトの襟首を、フレイアは引き千切らんばかりに掴み上げた。

「ハンターか、ハンターなのか!? 何故おめおめと逃がしやがった!?」

「まあ、そう怒るでない。脳細胞が弾けちゃうぞ? 彼女にも今後近付かないように言っておいたから、取り敢えず矛を収め給え。彼女は別に、アパルトメントに火をつけにきた訳ではないのだよ。すごくいい子だった。それにとっても可愛い。顔は見ていませんけどね」

「ハンターが易々と近付く状況はナンセンスじゃないか。こんな狭い場所で大人しくしている私達を、あいつら、あいつらめ!」

「とにかく、落ち着き給え」

 締め上げてくるフレイアの掌を、リヒャルトはやんわりと外した。

「こうした状況を打開しなければならないと私も考えているのだよ。まずは君、本日夕刻に集会が行なわれるので、それに参加し給え。今後の方針について、ノブレムとしての発表がある」

「発表?」

「その前にリヒャルト・シューベルト・オンステージをお楽しみ頂きます」

「やめろ」

 

リヒャルト・シューベルト・オンステージ

 レノーラからの指示で、ノブレムの吸血鬼は全員リビングに集められていた。決してリヒャルトを見る為に来ている訳ではない。しかし当のリヒャルトはリビングに繋がるダイニングで、グラスに入った牛の血と、それに牛乳を掲げていた。案の定、したり顔である。

「えー、カリフォルニアで最も美しい吸血鬼である私の為に、皆さんお集まり頂いてありがとうございます。これはですね、見ての通り牛乳と牛の血です。かつて私の心の友が言いました。『何かさあ、おっぱいって血液から赤血球が濾過されて白くなったもんじゃね? したら牛乳と牛の血を混ぜても、大して変わらないんでね?』 はっはっは、坊や、面白い事を! と、一笑に付すのは簡単だが、けだし尤もであるよ、理論的には。そういう訳で、混ぜてみます。レッツシェイク!」

 シェイカーに血と牛乳を放り込み、盛大にシェイクしてグラスに開け、リヒャルトはピンク色になった液体を一気に飲み干した。そして台所に吐いた。

「血と牛乳の臭いの自己主張が凄まじいよ、心の友」

「あのさあ、ちょっといいスか?」

 どんどん冷えた空気になりつつある中で、カスミ・鬼島が勇敢にも手を挙げた。

「牛乳も血も凄いクセがあるじゃない? ただでさえ吸血鬼の感覚は鋭敏なんですから、もうちょっと配慮しないと。チャイナタウンで買った香辛料のブレンドを入れてみて下さいよ。これもクセの塊だけど、少なくとも落ち着く香りはしますから」

 言って、カスミは茶色の粉末を少しだけグラスに混ぜた。言われるままにリヒャルトが飲み干し、しかし次第に彼の顔色が変わる。

「ひどいじゃないかぁ、君ぃ! 何か普通に、ありがたい匂いがするじゃないかぁ!」

「何故怒られる?」

 と、リヒャルトの額にフォークが一本突き刺さった。また一本。もう一本。

「早く、話を、進めろ。行数稼ぎは、やめろ」

 無表情のフレイアが、手近のフォークをどんどん投げ始めている。吸血鬼とは言え、フォークが刺さると痛い。仕方なくリヒャルトは刺さったフォークを抜き、ようやく本題を切り出した。

「えー、これからノブレムとジェイズの間で情報共有案が締結されます。こちらが今後得た情報を全て提供する代わりに、向こうの情報を全て頂く事が出来るという、大変アクトが書き易くなる便利な締結です。こっちは別に隠しだてする事柄もありませんし、むしろ同じ状況を相手にしているノブレムにとっては、色々好都合と言えるでしょう。そういう訳で、よろしこ」

 その場がシンと静まり返った。

 情報の共有とは、とどのつまりハンターとの連携体制である。それは現在起こりつつある異常現象に対し、ノブレムとハンターが認識を一致して事態に当たる事を意味する。その重大さを思って皆々が絶句する中、やはり1人だけ机を激しく叩く者が居た。

「レノーラ!」

 フレイアが怒髪天を貫く顔で、レノーラに言葉をぶつけた。対するレノーラは、腕を組んで静かに彼女を見ている。

「信じられない。よりにもよって、人間と手を組むのか!? ありゃ天敵じゃないのさ!」

「ええ。今も昔も、そしてこれからも天敵なのでしょうね」

 落ち着き払った声音で、レノーラはフレイアに語りかけた。

「しかし、私達は危機を迎えている。私達とは別の吸血鬼集団は、どうやら事態を悪化させる存在らしい。彼らと同じ認識を持つ事は出来ない。ハンターが彼らと戦うのであれば、こちらも意を決する必要があるわ。何れ共同の作戦行動も、当然視野に入る」

「人間と手を組み、吸血鬼と戦うというのかい…。リヒャルト、お前の差し金か」

 フレイアは怒りの矛先を、今度はリヒャルトに向けてきた。リヒャルトは肩を竦め、不用心に彼女の元へと歩み寄った。

「フレイア、それでいい。怒る相手は私だけに留め給え。そもそも当初レノーラも、私の提言に乗り気でなかったのだ。事が性急に過ぎると。実は私もそう思う」

 リヒャルトはレノーラを見やった。レノーラは小さく頷く。続けろと。

「それでも聞くがいい。あの集団は月給取りを殺そうとしたのだ。明白な敵対行動を彼らは取ってきた」

「何を言ってんだ。あれはリーパーの仕業じゃないさ。ハンターが襲ってきやがったんだ」

「実際にリーパーと戦って私も分かった。あれは人間ではない。何しろ私の腕力を押し返し、得体の知れない術でマリーア・リヴァレイの足を吹き飛ばした。あれはあんまりであった。人間破壊兵器のウィンチェスター兄弟みたく、戦士級を容易く抹殺出来る人間は居るかもしれないが、そんな異能力を持つとなると話は別だ。ハンターの名を借りた、あれは『この世ならざる者』なのだよ。そして例の『仕える者共』とやらは、イーライ達の行く手を遮った。滞りなくリーパーに月給取りを殺させる為に」

「どれも想定でしかないじゃないか」

「そうかな? 私は事実を述べているつもりだ」

「吸血鬼が吸血鬼を敵とするなど、そんな馬鹿な」

「有り得るさ。だって私達は人間だったのだからね。人間同士が争いあうように、吸血鬼も敵対するんだ。思想が違えば、理念が異なれば。残念な事だが、仕方がない。だからフレイア、私達は前進する必要がある。多少はマシな未来を夢見る為に。私達は人に拠って生きていかねばならないんだ。人の習性として文化的な生活を求めるのであれば。この服は誰が作っている? このアパルトメントは誰が建てた? 君の好きなドストエフスキーは、多分宇宙人じゃないよ。それを思うと、私は何故か嬉しくなるのさ。つまり人間同様、私達も1人では生きていけないって事だものな」

 段々と小さくなってゆくフレイアを、リヒャルトが見下ろしているように周囲には見えた。あのフレイアが、よりにもよってリヒャルトの言葉で屈服しかけている。リヒャルトは黙ってしまったフレイアの肩に、ポンと手を載せた。

「偉そうな事を言っているが、結局リーパーには皆殺しにされかけたよ。でも、事態に介入したハンターのおかげで、全員命を拾う事が出来たんだ。私はあのハンターに、個人的な恩義がある。こんな事を言い出したのは、それがきっかけだ。しかし君が割り切れないのは当然であろう。すみません、レノーラさん、ちょっとフレイアさんをお借りします。もう少し個人的にカンバーセーションしたいもんで」

「…勝手に決めるな」

「牛の血・牛乳カクテルで一杯やろうではないか」

「あんなもん嫌だ」

「謎の粉末で美味しくなってしまったのだよ。超悔しい!」

 等々言いながら軽く会釈し、リヒャルトはフレイアを連れて廊下に出てしまった。「あ」と呟き、顔を伏せたジュヌヴィエーヴを見、レノーラがクスクスと笑う。

「レノーラ」

 半ば呆れた調子で、イーライが語り掛けてくる。

「奴は猛毒か、妙薬か、どっちなんだ?」

「どうでしょうね。でも、長いこと生きてきた私だけど、あんな人は初めてだわ」

 

ホテル・ザ・フェアモント・サンフランシスコ

「俺はサンフランシスコに居を構えてから結構長いんだけどな…」

 フェアモントの絢爛豪華なエントランスを潜り終え、穏やかに会釈を寄越すボーイ達と目を合わせないようにし、ジェイコブ・ニールセンは同行者達に消え入りそうな声で言ったものだ。

「まあ、そういう事なんだよ。察してくれ。全く、何でこんなとこで。せまっ苦しいったらありゃしない」

「ジェイズよりは広いと思うぜ。ま、力を抜けよ、チェリーボーイ」

 場慣れしたマクベティ警部補は澄まし顔である。その様を横目で見ながらケイト・アサヒナは思った。まるで近所の親父達が、何となくフェアモントでも見物しようと思い立ったみたいだ。

 勿論、そんな気安い理由でこの2人が行動を共にする事は無い。向かう先はホテル内のティールーム。待ち合わせの相手は、ノブレム。レノーラ。

「一つ聞きたいのだけど」

 ケイトが問う。

「こうしてノブレムの吸血鬼とは、時折会合したりするの?」

「まず有り得ない。俺も直接レノーラに会ったのは3回くらいしかない。一番最近のは、先月ハンター2人がノブレムのアジトに行った時だな。あれは本当に嫌だった。もし戦士級に出くわしたらと思うと」

「ま、そういうことだ。基本的にノブレムとは互いを強烈に意識しつつ、相手を空気だと思い込む不自然な状態が続いている。このままじゃまずいと双方が思ったのは、ある意味自然の成り行きかも知れねえな」

 つまり、ノブレムとジェイズのハンターが顔を付き合わせる協議は、彼らがサンフランシスコに居を構えて以来、初めてなのだ。これを開催するにあたって、ハンターと吸血鬼の有志が水面下で大きく動いており、計らずもケイトはその潮流に乗った形となる。自分は重大な局面に立ち会っているのだと、ケイトは改めて思った。

 ティールームに入ると、目当ての者達は広いスペースの隅にひっそりと座っていた。既にハンターが1人着座しており、その対面にレノーラと、恐らく吸血鬼の月給取りが2人。レノーラは目ざとくケイト達を見つけ、席を立ってツカツカと歩み寄って来た。心なしか白い顔が更に青白くなっており、表情も固い。

「ジェイ、いきなりで大変申し訳ないのだけど」

 レノーラが逼迫した声で言った。

「ここのコーヒー代を奢って欲しい。このままだと私達、飲み逃げするしかない」

 総勢7人の会合は、レノーラによる金の無心から始まった。

 

「それじゃレノーラ、今後は俺を通じて互いが得た情報を公開し合うという事で異論は無いな?」

「ええ。その方がメリットは大きいと私も判断する」

「警察の掴んだ情報は、今後ノブレムにもリークするぜ。勿論大っぴらには出来ねえけどな」

「ジェイズ・ノブレム間の情報共有案を以上で締結する」

 会合の開始早々、ものの5分とたたぬ内に、情報共有案は可決の運びとなる。あまりにもあっさりとした決着に、参加者達の腰が砕けた。

「予め全て決定済だったって訳ね?」

「そういう事だ。この案を持ち込んだ人々は、双方の代表に応を促すよう事前に働きかけていたんだな。話し合いながら結論を出すなんてのは、余程状況が混乱している時ぐらいのものだよ」

 言って、会合の決を見定めたハンター側の参加者、斉藤優斗は席を立った。隣のマクベティ警部補が怪訝な顔を見せる。

「何だ、サイトー。もう行くのか」

「興味深い集まりなんで、ちょっと顔を出したんだ。本命の仕事は他にもあるのでね」

 言いながら、斉藤は傍らのバッグからささやかなフラワーアレンジメントを取り出し、レノーラに差し出した。

「これまでの冷静な対応に、ハンターとして感謝の意を表する。それから、今後の活動の足し程度だが、受け取ってくれ」

 レノーラはフラワーに差し込まれた封筒を手に取り、中身を見て眉をピクリと動かした。$100紙幣が10枚も入っている。レノーラが内心で盛大に踊りまわっていたのは言うまでもない。隣から覗き込んだ同行者のダニエルが、はたと気付いた。

「レノーラ、これでここのコーヒー代も払えるのでは」

「心尽くしに感謝します」

 遮られた。

「有意義に使わせて頂きます。新しい洗濯機とか」

「恐らく同じものを相手にするだろう、戦友として贈らせてもらう。それでは」

「あ、待って下さい」

 ノブレム側参加者のもう1人、ジュヌヴィエーヴが斉藤を呼び止める。そして携帯電話を取り出し、彼を含めた一同をカメラに収めた。斉藤が立ち去ってから、気恥ずかしそうにジューヌが言う。

「記念写真を撮っておいて欲しいと頼まれたのです。リヒャルトに」

「リヒャルト?」

 その名を聞き、ケイトが周囲を見回した。

「その吸血鬼は知っている。この会合の事を彼に教えて貰った。彼は出席しなかったの?」

「リヒャルトは戦士級ですから、公の場には来ません。戦士級は人間との係わり合いを慎重に行なうべき、というのが彼の持論ですから」

「そう。とても冷静で慎重なのね。変人だけど」

「彼は変人ではありません!」

 声を張り上げ、ジューヌがケイトに食って掛かった。周囲の者達が驚いたように彼女を見上げる。周囲の耳目に晒される中、ジューヌは顔を強張らせ、しかし次第にその表情に当惑が広がり、ばつが悪そうに着座した。

「やっぱり変人かも」

「…それはさて置き、私の望んでいた結果にもなった事だし、少しレノーラと話をさせてもらいたい。こういう機会は滅多にないのだから。まず、一つ聞きたい事があるのだけど」

 ケイトが居住まいを正し、レノーラを正面から見据える。対してレノーラも、$100札をしつこく数える手を止めて表情を引き締めた。

「もしかして、あなたが吸血鬼の真祖?」

 ふっ、とレノーラが吹き出した。

「いえ、ごめんなさい。あまりにも突飛な質問だったから。間違いなく違うわ。真祖は男だし、既に死んでしまっている」

「アーマドとの決戦の際に?」

「懐かしい名前」

 驚くレノーラに、ケイトは自らが知り得た情報を語り始めた。

 対吸血鬼組織・アーマドと、吸血鬼集団の最終決戦。双方の壊滅。そして現代に蘇る最強類の吸血鬼。

「恐らく彼女は、第三の組織に属する者だと思う。普通の吸血鬼じゃない。早さも、力も、桁が外れている。私はそいつに愛を告白されたのよ。冗談じゃない。捕まったら色んな方法で血を絞り取られるわ。そうはなりたくないから、私はあなたの助力を欲している。そいつの名はエルジェ。バートリ・エルジェーベトで合ってる?」

 バートリ・エルジェーベトの名がケイトの口から出され、ジェイコブと警部補の顔が引き攣った。400年以上昔に実在した、旧ハンガリー王国の貴族。数百人とも言われる婦女子を恐るべき手段で殺戮した、歴史に名を残す連続殺人鬼。肝心のレノーラは、その名を聞いても顔色一つ変えていない。ただ、静かに頷いた。

「彼女は吸血鬼伝説のモデルではない。監禁されて死んだ後に、吸血鬼として復活した本物よ。狡猾で残忍な性格破綻者。でも、彼女は最後の大戦で滅ぼされたと聞いている」

「滅ぶ? 死んだという事?」

「アーマドの男が倒したわ。真祖もまた、あの人によって」

「どういう人? 女帝はおろか、真祖も倒せる人間なんて。レノーラ、あなたはその人について何か知っているの?」

「…ヴォルデンベルグ男爵。敵味方双方が、あの人の事を『貴人』と呼んでいた。私は大戦に参加しなかったから、どういう手段を使ったのかは知らない。それより、エルジェが出張ってきたというのは由々しき事よ。吸血鬼として滅んだ者が、まさか蘇るとは」

 妙だな、とケイトは思った。恐らく、彼女は嘘を言っていない。彼女もまたアーマド時代の吸血鬼であったが、最後の大戦に加わらなかったので詳しい事はよく分からない、というのは本当だろう。しかしレノーラは、明らかに貴人の話題を早々に打ち切った。貴人の事を「あの人」と言ったからには、彼を個人的に知っているはずだ。触れられたくない話題なのだろうか。それにレノーラは、復活したエルジェの話を聞いても驚いていない。彼女には、未だ腹に収めている何かがある。

 しかしながらケイトは、取り敢えず目前の危機的状況への対処を優先する事にした。

「正直なところ、あの怪物に真っ向から挑む手段を今の私達は持ち合わせていない。だから、どうか力を貸して欲しい」

 掌を組み、レノーラはケイトの提言を咀嚼している風だった。そしておもむろに顔を上げる。

「分かったわ。エルジェは、この世に居てはならない者だと私も考える。しかしハンター達、お気をつけなさい。エルジェが相手となれば、私は本気を出す。本気を出した私は、私自身でも歯止めが効かない。だからその時、私には絶対に近付かないで。何故私が荒事を戦士級に任せて奥に引っ込んでいたのか、その理由が分かると思う」

 

 その場に重い緊張が漂っているとダニエルは気が付いた。女帝級が本腰を入れて戦いに臨む事態の深刻さを、ハンター達はよくよく理解しているようだ。

 ダニエル自身も、情報流通体制の構築を望む吸血鬼の1人である。此度の会合はそういう意味では渡りに船だった。しかし話し合いは、思わぬところへ転がり始めている。レノーラ自身が戦いへの腹を括るというのは、互いが歩み寄り始めたノブレムとジェイズの雪解けムードに冷水を浴びせる行為かもしれない。彼らは口には出さないし、ジェイコブや警部補は心親しい口調で接しているものの、矢張りレノーラは恐れられているのだ。

「…ところで、僕は他の勢力にも接触していたんだよ。一応、レノーラの名代としてね」

 ダニエルは舵取りを元に戻す事にした。

「僕達はノブ・ヒルの惨殺事件に勿論関わっていないけれど、吸血鬼が犯人である事実は否めない。そうなると組織としては、閉鎖的に過ぎると自らの首を絞めかねない。今少し横の繋がりを重視すべきだと考えたんだ。そういう訳で、色んな所を回ってみたのさ」

「色んな所とは、何処に?」

「ガレッサ、ル・マーサ、それに庸」

「おいおいおい」

 マクベティ警部補が呆れたような声を上げた。

「随分思い切ったな。特に庸は俺でも近付きたくない」

「人と打ち解けるのは結構得意でね。それにちょっとしたまじないも今回は彫ってある。話の内容はICレコーダで録音してあるから、ちょと聞いて欲しい」

 

ダニエルと庸・王広平の対話

『君達の存在は庸としても弁えている。しかしここでの出来事に関しては、君達には与り知らぬ所として認識してもらいたい』

『つまり関わり合いは持ちたくない、という事だね』

『君達とてそれは同じではないだろうか。殊に今はノブ・ヒルの件で大変だと聞く』

『それはもう。ともかく、僕達が例の一件に関わっていない事は御理解頂きたい』

『詳細を知らないので、それは何とも言えない。ただ、君自身に吸血鬼の恐ろしさを伺えない点は理解する。真相はどうあれ、庸と君達は不干渉の間柄である』

『庸とノブレムの戦は、一見無関係だ。しかし、サンフランシスコ全域で起こっている異常現象は、奥深いところで何かがあるかもしれない。出来れば情報交流という面でも、繋がりがあると有難いのだけど』

『我々の一件にも既にハンターが介入しており、そちらに情報が渡っているはずだ。それを隠匿する考えは今の庸には無い。ハンターを経由するという手段であれば、それは別に構わない』

 

「ふむ。王と接触したのは正解だったな。他の幹部連中か、まかり間違って京のブタ野郎に面会したら、ただじゃ済まなかったかもしれん」

「そう? 極めて理性的な集団という印象だったけどな」

「王が特別なんだ。ともかく、今後庸とは関わるんじゃねえぞ」

 

ダニエルとガレッサ・ファミリー・シルヴィアとの対話

『まあっ、吸血鬼ですって!? あなた吸血鬼なの!? 凄い凄い! 遂に我が家にも吸血鬼が来て下さったわ! 日本で言うところの座敷わらしみたいなものでしょう!?』

『いや、それは違うと思う』

『とにかく粗茶ですがどうぞ。お菓子食べます? ギラデリチョコよ。私も人生27年、吸血鬼にお会いするなんて初めての事だわ。落ち着けシルヴィア。腹式呼吸腹式呼吸。それにしても、本当に普通の人間と同じ姿なのね。私はてっきり、吸血鬼ノスフェラトゥみたいなもんかと思っていたわ。ノスフェラトゥ知ってる? ツルッパゲで牙と言うより前歯出っ歯なインパクト大の吸血鬼。ブラム・ストーカーのイメージは、実はあっちの方が近いらしいのよね。病気を媒介するネズミのイメージを吸血鬼に託していた訳ね。でも良かった、吸血鬼があなたで。もしもノスフェラトゥのオルロック伯爵が現れたら、差し向かいでお茶を飲みながらギラデリチョコを摘んでいる場合じゃないものね。でも、トム・クルーズのレスタトだったらいいのかと言われれば、それはそれでちょっと。インタビュー・ウィズ・ヴァンパイヤについては私も語らねばならない事が沢山あるわ。まず、そもそも、原作者のアン・ライスに対する突っ込み所は』

 ICレコーダ、スイッチオフ。

 

「…この後2時間くらい、ヴァンパイヤ・クロニクルシリーズへの批判をどっぷり聞かされたよ」

「何か得るところはあったか?」

「特に無い。お土産にギラデリ・チョコレートの詰め合わせをもらった」

「そうか」

「ただ、とても居心地が悪い気がしたんだ。真向かいにいたシルヴィアではなく、あの場の何処かから、とても嫌な雰囲気が感じられたよ。どういう事かな」

 

ル・マーサを外から眺める

「実はル・マーサの事務所がある邸宅には入れなかった」

「入れない? 立ち入りを断られたのか?」

「いや、違う。その場には行ったけど、さっきのガレッサ以上に躊躇するものがあった。敷地から中へ、一歩も入りたくないという感じだったよ。どういう組織なんだ?」

 

 ダニエルの話が終わり、再び双方の交渉が始まった。

 実は情報共有案と共に、もう一つ可決を検討する事案があったのだ。それはノブレム-ジェイズ間における、非戦協定の締結である。

「ん? 今迄だって戦わないように注意していたんじゃないのか?」

 と、ダニエル。応じてレノーラが趣旨を説明した。

「そう、互いが自重するという有耶無耶な方針はあったわ。非戦協定は、それを更に強く推し進める。ノブ・ヒルの件が私達の与り知らない事件であった事実が確定した以上、ノブレムの吸血鬼は安全を保障されなければならない。ノブレム所属の吸血鬼と、ジェイズに関わるハンターは、相手に一方的な戦いを仕掛ける事を禁ずる。これを破った者が出た場合、攻撃を仕掛けた者を組織から追放する。これはノブレムのレノーラと、ジェイズのジェイコブ・ニールセンの名の下で執行される」

「それはつまり、強制力を伴う決定事項という訳か…」

 ダニエルは腕組み、考え込んだ。自分はハンターとの戦いには更々興味が無いので動揺は無いが、他の吸血鬼はどうだろう。ノブレムの中にも好戦的な者は居る。そしてそれは、ハンターの側にも言えるはずだ。互いが先制攻撃を出来ない枠組みの構築は、反発する者が出るかもしれない。

 それでも、敵と呼べる存在は確実に居る。これはノブレムとハンター達が勝ち抜く為の、言わば苦肉の策なのだ。

 今は争っている場合ではない。それは誰にも分かりきっているのだから。

 

 会合が終わって酒場に帰る道すがら、ジェイコブはコール音に気付いて携帯電話をポケットから取り出した。

『ジェイか?』

「カザマだな」

 風間黒烏からだった。彼も吸血鬼の革新派とジェイズの間を取り持つという仕事によって、この会合には一枚噛んでいた。話し合いが滞りなく進められた旨を告げると、受話器の向こうで、カザマは安堵している風だった。が、直ぐに落ち着いた声音で言う。

『以降、奴から連絡はあったかい?』

「全く無い。雲隠れしちまったみたいに。ハンター側からどう見られるか、奴も慎重になっているのだろう」

『そうか。これから奴に会うつもりだ』

「気をつけろ。確かに奴は、只者じゃない。お前さんの言う通りであれば」

『見定めなければならない。単純に言えば、敵か、そうでないのか。もしも俺が帰らなかったら、ランクルをたまには磨いてやってくれよ』

「面倒を押し付けるな。お前が洗車しろ。必ず帰って来い」

『その心意気は持っている』

 風間が手短に通話を終え、ジェイコブは携帯電話を仕舞い直し、大きく息を吐いた。

 敵の全容は未だ分からず、自分達は暗中模索の只中にある。しかし少なくともハンターと吸血鬼は、前進を開始している。此度がその第一歩であると、ジェイコブは確信していた。

 

 

<VH1-2:終>

 

 

○登場PC

・ケイト・アサヒナ : ポイントゲッター

 PL名 : TAK様

・斉藤優斗 : スカウター

 PL名 : Lindy様

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

・カスミ・鬼島 : 戦士

 PL名 : わんわん2号様

・ダニエル : 月給取り

 

・風間黒烏

 PL名 : けいすけ様

 

 

 

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ルシファ・ライジング VH1-2【はじめの第一歩】