<帰り道>

 チャイナタウンには、ハンターに協力的な王広平が経営するダイナーがある。都合、ハンター達はサンフランシスコの滞在費用を捻出する為、ここで働いている者が多い。ハンターへの支援を大っぴらに出来ない王による、これも配慮の一環である。

 しかしそのダイナーで働いているのは、ハンターや一般の勤め人だけではない。ジェイズのマスターの口利きで、人外の者も実はそこそこ稼ぎに来ている。ノブレムの吸血鬼達だ。

 その内の1人、ジュヌヴィエーヴは、シフト勤務が終わって帰宅の途についている。この後ダニエルが交代でやって来るはずだったが、タウンを出た所ですれ違う頃合にも関わらず、今日は彼の姿を見掛けない。

「おかしいですね」

 ジューヌは首を傾げ、傍らを歩くマリーア・リヴァレイにその疑問を告げた。

「まあ、そんな事もあるんだろう。偶にはさぼって遊びたい事もあるさ」

「ダニエルは、そういう人ではないと思いますけど」

「じゃあ体調不良」

「吸血鬼が?」

 マリーアの受け答えは如何にも適当である。気もそぞろという風で、ジューヌの言葉が耳を素通りしているようだった。

 そもそもマリーアは、ダイナーに働きに来ていた訳ではない。事件の噂話を仕入れる為、人が集まる店にわざわざ足を運んだのだ。しかしこうして帰宅するジューヌと肩を並べているという事は、重要な情報は然程も得られなかった訳だ。数少ない情報を整理しながら歩くのも、マリーアはいい加減疲れてしまった。

「…犯人の意図が分からないな。あれだけの事をしでかした動機って奴が見当たらない」

「仮に吸血鬼だとしたら、食欲を満たすためでしょう? 或いは自己快楽」

「無論それもあるだろうよ。でも、事件後の結果が凄く作為的なんだ。ハンターによるノブレムへの疑心。それに対するノブレムの反感。たった一発で上手く互いが嵌められた、という気がする」

「しかし今の所は互いが慎重であるように努めています。レノーラもジェイズも、理性的です」

「だから、もし犯人が何らかの意図を持っていたとしたら、とどめの一撃を仕掛けてくるかもしれないと思うんだ。平衡を決定的に崩す致命的な何かを」

 こうして一緒に帰っているのも、当の2人は知らないが、その「何か」を防ぐ一環である。レノーラは複数行動とルートの一本化を、働きに出ている者に奨励している。先鋭化したハンターの襲撃から身を守る為だ。現時点、ジェイズに所属しているハンター達は極めて理性的で、自ら攻撃を仕掛けて来る者は居ない。しかしジェイズに所属していないハンターならば、どうだろう? それを憂いた吸血鬼の1人が、上記の防護案をレノーラに上申したのだが、彼の懸念は想定通り最悪の形で現実化した。

 サンフランシスコは繁華街を出てしまえば基本的に住宅地で、夜がとても静かになる。住宅地を夜中に徘徊する者は極めて少なく、確かに得体の知れない犯罪者が獲物を待ち構えている事もあるだろう。尤も、月給取りとは言え吸血鬼ならば、並の人間など容易く御せる。吸血鬼のナイトウォークは、本来の力が発揮出来る分、むしろ昼間よりも安全である。

 しかし通りの真向かい、坂の上に立っていた者は、並の存在ではなかった。その者を見て、2人の足が止まる。

 つば広の帽子を深く被り、顔は奇妙な仮面で覆われている。灰色のコート。片手に持つのは、首をかき斬り易くする為に湾曲させた鎌。

「ハンターか!? だったら話を」

「駄目」

 「それ」を説得しようと進み出かけたマリーアを、ジューヌが肩を掴んで止めた。手から肩に伝わる震えが尋常ではなかったので、マリーアは驚いて彼女を顧みた。

「もう駄目だわ。せめてマリーア、おまえだけでも逃げて。私の方が長生きしたのだから」

「何を言っている」

「あれはリーパーよ」

 ジューヌが絶望的な声音で、その名を口にした。

「鎌を使う仮面の者。遭ってしまったら絶対に助からない」

「奴を見た事があるのか?」

「10年前に。他の集団を懐柔しに行った時、あれが襲い掛かる場を遠くから見た。文字通りの死神」

 それでもジューヌはマリーアを押し退け、自らは前に立ち塞がった。不可避の死を前にした者の命を賭けた善意だったが、それを甘受するマリーアではない。

「だったら、せめて一緒に戦おう」

「馬鹿を言わないで。諸共死ぬ事はないでしょう!」

「馬鹿はジューヌだ!」

 叫ぶマリーアの右足が、音も無く吹き飛んだ。片足は大腿部の一部を残して跡形も無くなり、マリーアがバランスを失って倒れ伏す。リーパーが左手から何かを発射したらしい。

 リーパーは鎌を携え、ゆっくりと近付いてきた。倒れたまま呻くマリーアの側に跪き、彼女を庇いながら恐怖の目を向けるジューヌを、リーパーは淡々と睥睨する。マリーアを見捨てて自分だけ逃げる頭は、ジューヌには無い。そのか弱い良心にも、リーパーは無頓着に見えた。容赦なく命を刈り取る者。死神。リーパーが鎌を振り上げた。

 が、通りの脇から突進してきた塊が、リーパーの鎌持つ手を掴み取った。そしてもう片方も抑え込む。都合リーパーの両腕を、彼は満身の力を込めて拘束した。

「おまえは!?」

 ジューヌが驚きの声を上げた。自分達を護る為に肉の盾となったのは、ノブレムの浮遊クラゲことリヒャルト・シューベルトだったのだ。自分を含めて、皆から役立たずの烙印を押されていた、あの男が。

「おお、何と私は美しい。ちと出来すぎの絵面である。さあ御婦人方、戦いは戦士がするものだからして、とっととこの場から退きなさい。この私の為の状況からすれば、君達は絵的に大変邪魔」

 リヒャルトは相変わらずの口調だが、その言葉程に余裕は見て取れなかった。信じ難いが、戦士級の腕力をリーパーは徐々に跳ね返そうとしている。言われるままにジューヌはマリーアを担ぎ、それでも幾度と振り返りながら、その場を脱して路地を走り抜けて行った。

 彼女等の姿が消えたと同時に、リーパーの片膝が胸の位置まで上がる。そして踵をリヒャルトの鳩尾目掛けて蹴り込んだ。その一撃でリヒャルトの下半身が宙に浮く。腹からメキメキと何かが砕ける音を聞きながら、それでもリヒャルトは掴んだ手を離さない。今度は脇にミドルキックをぶち込まれ、ようやくリヒャルトの体は空を舞って地面に激突した。

 しかしすぐさま立ち上がり、大量の血を吐きながらも、彼は2人が逃走した路地とリーパーの間に立った。ふっ、と抜ける声をリヒャルトは聞く。リーパーが鼻で笑ったらしい。戦いの狭間に出来た一瞬の隙をリヒャルトは見た。彼にとって、これは好機である。

「いやー、どうにもお強い! 小生恐れ入りました。無礼は謝りますので、ここは一つ愚かな私めを見逃してやっては頂けませんでしょうか?」

 リヒャルトは揉み手すり手でひたすら頭を下げ、ご機嫌を取り始めた。対してリーパーは無反応。

「あなたがかの有名なリーパーさんですね? 小生、名前をデンジャラスゾーン・スピードメータ(仮名)と申します。何でもジェイズに関わらず、独自で活動しておられるとか。ノブヒルの惨殺事件も調査中なのでしょう? 本当にご苦労様でございます。で、ここで申し上げたいのが、ノブレムの吸血鬼に犯人は居ないって事! フリスコの片隅で、野に咲く花のようにひっそりと暮らしている私達が、あんな大それた事をするはずがありません。色々疑いを持たれているのは重々承知しておりますが、何卒今一度あの事件を洗い直して頂きたい! で、事の次第がはっきりするまでは、ノブレムへの攻撃をどうかお控え下さい。平に平にお願い申し上げます!」

「お前は」

 リヒャルトによる三文芝居を、リーパーはその一言で遮った。声が予想外に高い。女だ。

「お前は、自分の願いが何一つ通用しない事を知っている。承知の上で下手糞な芝居を打つのは、あの2人が逃げる時間を稼ぐ為だろう」

「おやまあ、分かっているなら話は早い。では率直に言おう。この件から一旦手を引け。そしてジェイズに合流したまえ。ジェイズと連携し、私達とも協力し合って、あの事件を解決するのだ」

「それも通用しない事を、スピード、お前は知っている。この件の経緯を、粗方想定しているのだろう?」

 リーパーは鎌を気楽に構え、刃の裏でトントンと軽く肩を叩いた。実際に相対して分かったのだが、リーパーは明らかに手加減している。戦士級の自分を仕留めるなど、彼女にとって造作も無い。時間稼ぎに乗ってくるリーパーの意図は見えないが、一つだけリヒャルトは心の中で快哉を上げた。リーパーは自分の名前を間違って憶えてくれたのだ。今後何かしらいい事があるかもしれない。生きて帰れればの話だが。

「お前達が大事にしている月給取りが、ハンターに殺される。ハンターと吸血鬼の対立は、これをもって決定的となる。スピードはそれを恐れた。そして月給取りを護る為に手を尽くした。連中の帰宅ルートを変えたのは、お前の案だな? そして丹念に彼らの行き来を遠巻きに観察した。私が出張ってくる事を、お前は予め読んでいたんだ。私の背後に何があるかも含めてな。全く、恐ろしいよ。実はノブレムの事は外部から監視させていたんだ。その中にお前の事も出ていた。1人遊び呆けて愚にもつかない戦士級が居ると。そいつの目は節穴だ。お前は強力な策士だ。私からも聞かせてもらおう。何故月給取りを護ろうとする。ジューヌとかいう奴は、お前を大層嫌っていたはずだ」

「あら、そんな事まで調べられているのね」

「仲間と歩きながら、お前の悪口を言っていたとさ。私から言わせれば、ジューヌとやらにお前ほどの価値は無いな。にも関わらず、お前はこれから死なんとしている。あの無価値なフランス系を護って。何故だ?」

「君の目も節穴だ。リーパー程の者が、くだらん事を言う」

 収まった吐血の痕を拭い、リヒャルトは晴れやかな笑顔を見せた。

「月給取りは夢であり、希望だ。宝だ。何も光熱費を払ってくれるからではない。彼らは人間と吸血鬼の繋がりを象徴する存在になるかもしれんのだ。ともすれば忘れてしまう人としての温かみを、人同士が結ぶ絆を、思い起こさせてくれる者達だ。そんな彼らを護る為に戦士級が居る。首チョンパは嫌だが、命を殉ずる価値が彼らにはある」

「…視野が広く狡猾で私心無く、死を前にして笑うときたか。敵に回すのは最悪だ。早めに出会っておいて良かったよ」

 リーパーは姿勢を正し、鎌を目前に立てた。騎士の礼だ。リヒャルトに対し、相応の敬意を見せたというところだろう。

「頼みがある。サングラスをさせてくれ。お気に入りなのだ」

「良かろう」

 リヒャルトが愛用のレイバンをつける様を見届け、いよいよリーパーは前傾姿勢を取った。そして嘲るように彼女が言う。

「お前には2つ見落としがある。1つは、自分と私の力量差を見誤った事。もう1つは、スピード程にジューヌは賢くなかった事」

 咄嗟、リヒャルトは背後へと振り返った。少し離れた家屋の影から、ジューヌが心配げにこちらを伺っている。マリーアを何処かに隠してから様子を見に来たのだろう。リーパーが長話に付き合ったのは、ジューヌがまた戻って来ると踏んだからなのだとリヒャルトは気が付いた。リーパーが勝ち誇ったように笑う。

「仲良く死ね」

「嫌です」

 リヒャルトが掲げた掌から、爆発的な閃光が発した。まともに見たリーパーが目を覆う。

「これしき」

 それでも前に出ようとするリーパーの行く手を、今度は煙幕が包み込む。全く分からない所から、スモークグレネードが放り込まれたのだ。リーパーが厄介な煙を潜り抜けた頃には、リヒャルトとジューヌの姿は既に無かった。

「動くな、警察だ」

 銃を構えながら、制服警官がリーパーの元に歩み寄って来る。リーパーはその様を漫然と眺め、呟いた。

「これが、あの女の望む未来か」

 

 リヒャルトがスクラップ置き場のバイトでコツコツと集めたマグネシウム粉は、とっぱちの目潰しとしては役に立った。ただ、とどめに煙幕が投げ込まれていなければ、リーパーから逃げ切る事は出来なかったはずだ。リヒャルトは冷静な頭で事の仔細を振り返った。

 傍らではジューヌが、ダストボックスに隠したマリーアを引き上げている。生ゴミとしばらく時間を共にしたマリーアは、恨めしそうな目をしていた。彼女の足は案の定、修復されている。これならば3人揃ってアパルトメントに帰れるだろう。ジューヌがそう言うと、リヒャルトは気の無い生返事をした。

「どうしたのです?」

「あの煙幕は気が利いていたのでね。誰のプレゼントか、ちょっと興味が湧いてきたよ」

「まさか、戻るつもりなのですか!?」

「君だって戻ってきたではないか。それに大丈夫、もう戦いは終わった。そんな気がする今日この頃である。君達は帰りたまえ。全速力で。必死こいて」

 身を翻して歩み去るリヒャルトを、ジューヌが呼び止めようと手を差し伸べるが、彼の興味は煙幕の主で一杯らしく、彼女の挙動に気付きはしなかった。蚊の鳴くような声の「ありがとう」も、恐らく耳には届いていないだろう。

 

 惨殺事件に端を発する一連の出来事に、ハンターとノブレムは深く関わり始めているのだが、実は既に戦いが仕掛けられていた事に気付いていた者は数少ない。

 しかしながら今日、長い戦いの第一戦に、彼らは勝利した。

 ハンターは惨殺事件の犯人がノブレムの者でない事を知り、ノブレムは全く別の吸血鬼組織が存在する事を知った。明確な敵の存在を、彼らは知ったのだ。

 そして敵が企んだハンターとノブレムの決定的な亀裂は、未然に閉じられた。それが後々大きな意味を持つ事を、今は誰も知らない。

 

 

<VH1-1:終>

 

 

○登場PC

・マリーア・リヴァレイ : 月給取り

 PL名 : 蒼夏様

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

 

 

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ルシファ・ライジング VH1-1【私達には夢がある】