<ルスケスの余興>

 食用牛の牧場は傍目には牧歌的な景色だが、当の食用牛達にとって、其処は楽園ではない。それでも牛達は待ち受ける未来に対して無頓着だ。翻ってアウター・サンセットに囚われた人間達も、少し似た状況に置かれている。

 彼らはルスケスが放つ毒気に染まり、既に正常な思考能力が損なわれ、日々をただただ食われ、死んで、生き返るという狂気のサイクルに留められている。しかし、吸血鬼の食用動物としての存在意義にむしろ喜びを見出すよう、思考形態が組み替えられている点が家畜とは異なっていた。

 ただ、ルスケスにとっては面白くない。自身で人間の思考をそのように差し向けておきながら、喜んで首を差し出され、それを貪り食うというサイクルが延々と続く様に彼は飽いていた。しかし今のアウター・サンセットを統治する仕組みをルスケスに指示したのはサマエルだ。サマエルの意向を逸脱してまで、恐怖に慄く人間を乱虐に狩るという頭はルスケスには無い。

 よって、サマエルの定めた規則に反しない程度で、時折彼は悪辣な催しを披露していた。

 

 模造吸血鬼と人間達が仲良く肩を並べ、ぐるりと円形に取り囲む中心に、拍手喝采を浴びてにこやかに手を振るルスケスと、ガタガタと震えながら跪く大柄な男が居た。

 男は仲間と共に重犯罪を繰り返し、市警にマークされていた凶悪犯だ。しかし昨今の混乱は追跡をかわす千載一遇の機会である。また市の人口が集結する港湾地区に留まれば、監視を更に強化した市警に捕まる可能性が高まる。かような理屈で男が仲間と選んだのは、市民が撤収を終えた地域への潜伏であった。

 市当局は非常線域外への進出を厳禁とする旨を繰り返していたのだが、彼らは多くの市民同様、域外がどれだけ危険かを根本的に理解していなかった。むしろ濁水に馴染む淡水魚のように、上手くやって行けるものだと勘違いしてしまった。結果、濁水に潜んでいたのは獰猛なワニの群れである。

「それではー、残すところ最後の1人となった訳だがー」

 芝居がかった口調で、ルスケスが朗々と述べる。

「ウィギントン、この者の罪状を言うがよいぞー」

 促された女、新たな三席としてこの世に舞い戻った吸血鬼が、姿勢を正して一礼し、早口で捲くし立てた。

「細かい罪状、例えば窃盗の類は数え切れませんので割愛します。殺人罪6犯。危険運転致死傷罪1犯。逮捕・監禁罪11犯。傷害罪数えるのが面倒くさいので割愛。強姦罪及び強制わいせつ罪22犯。ええ、それから」

「もういい、もういい。眠りそうになったぞよ。しかしまあ、よくもまあである。よくもまあ、上手い事捕まらずに逃げ切れたものであるな、ええ? 今はこうして俺様の隣でお行儀良く座っちゃってる訳だけどネ」

 男の頭をポンポンとはたき、ルスケスはゲタゲタと笑った。対して男はひたすら汗と涙と鼻水を垂らしながら地面を見詰め、リアクションを一切返さない。以前にかような行いをされれば、半殺しでは済まさない凶暴な男であったが、隣に居るルスケスは凶暴という言葉の範疇を超えていた。当初自分以外に生け捕りにされた仲間は6人居たのだが、最初に反抗的な態度に出た者がルスケスによって大量の肉片に切り分けられた。ナイフを使わず、指一本で、瞬きの間に。それ以降、ルスケスの下僕達と餌が集まる場に引き立てられ、彼らは『裁判遊び』なるものを強いられた。最終的に出る判決は、決まって『面白い死に方刑』である。そうして残ったのは、男ただ1人。絶対に自分は助からないという事実を目の前で見せ付けられた男は、生来の粗暴さが綺麗に消し飛び、恐怖から解放される為に早く死んでしまいたい、とすら願うようになっていた。しかしルスケスはそれを許さず、男の前に回って目線を上げさせ、涼やかな笑みと共に魔王の言葉を語り聞かせた。

「おめえ、俺の琴線にビビっと来る奴を1回やっておるな。あれだ。押し込んだ家の主を死ぬ寸前まで痛めつけ、息も絶え絶えの親父の前で娘をレイプするってやつ。しかも9歳ときたもんだ。で、最後にどっちも殺すとかひでえなあ。アハハハ。本当ひでえなあ。俺はね、そういうね、力で何でも蹂躙するという考え方が大好きなんだよ。財力、権力、暴力で、人を思うが侭に出来ると考えている奴は大好きさ。しかしそれ以上に、そういう者が叩き伏せられ、子羊ちゃんのように怯えた目になっちゃうところがもっと好きなのだよ。おめえ、実にいい目をしているぜ? いや、良かった。久方に堪能致した。兄者が定めた、問答無用で殺していいリストに入っている豚共が、自分から来てくれるとは重畳重畳。それでは判決を言い渡す」

 ルスケスはスクと立ち上がり、人差し指を一本立てた。

「模造共、1時間かけて生かしたまま食うがよい」

 即座に進み出た模造吸血鬼に抱え上げられ、男が聞くに堪えない悲鳴を上げつつ奪い去られて行く。遠くに聞こえる狂気の宴を心地よさげに聞き、ルスケスはおもむろに指を鳴らした。彼の前に、ずらりと新たな三席帝級が控える。ルスケスはしかし、落胆の嘆息と共に言った。

「少ねえなあ、おい。何だこりゃ。いきなり半減とはどういう事であるか。ともあれ汝等、出し物は面白かったかえ?」

『はい。素晴らしい余興を賜り、ありがとうございました』

 一言一句を余さず、帝級達が唱和する。ルスケスは大きくあくびをし、すかさず用意された椅子に腰を落ち着けた。そして朗らかに曰く。

「ま、本当のお楽しみはこれからだ。しかし減ったな。向こうもなかなかやるじゃねえか。この規模で血の舞踏会たぁ、ちいとばかり不本意であるが、仕方ない。限られた人的資源で不断の努力を遂行する所存です。して、おめえらの成すべきを述べる。心して聞くがよい。一つ。先ず新祖とやらを殺せ。これが最大目標。これが終ったら舞踏会一時閉幕。一つ。その途上に居る人間を出会い次第殺せ。一つ。歯向かうノブレムを殺せ。一つ。歯向かうハンターも殺せ。一つ。ノブレムにとっ捕まった何とかっていう使えないオモチャも殺せ。一つ一つって、全然一つじゃないですね。とにかく殺せ。殺すのだ。殺せ殺せどんどん殺せ。殺して殺して殺しまくれ。殺す事こそが脆弱なアイデンティティの確立に大きく寄与するという事よ。即ち我ら、恐怖そのものとなりてこの街に君臨す。ただ、ちょっと心配なのはおめえらのオツムが少々鈍いってとこだよネ。である因って、慈悲深き俺様々が心強い助っ人を与えて進ぜよう」

 何時の間にかルスケスの隣に、まだ幼く見える少女が傅いている。ルスケスは満足そうに彼女の頭を撫で、おもむろに額に口づけをした。

「汝、敵の出方をどう見るか?」

 ルスケスに優しく問われ、少女が微笑みと共に答える。

「ヴラドはアウター・サンセットに来ましょう。ルスケス様に対抗出来るのは自分のみと思い込んでおりますゆえ。新祖を称する者は根城を動きますまい。下がれば沢山人間が死ぬのを分かっていますので。つまり、動けないとなれば防御を敷きます。かつてない規模の防御を敷き、迎撃を試みるはずです」

「左様か。なれば苦戦を強いられるという訳であるか」

「はい」

「良いな。良いぞ。その慎重さは俺には無い。戦を率いるには適材だ。兵を預ける。上手く操れ。今一度機会を与えた我の期待に応えよ」

「心得ております」

 

ジャパンタウンのオバケ屋敷

 その中華系は「アイヤーッ!?」と叫んで腰を抜かした。実際の中国人が「アイヤー」と叫んだ場面など終ぞ見た事はないのだが、彼はファンタジーの中に存在するベタ中国人そのものである。

「御主人御主人、ホラ見てあれ、御主人のビルが通常の三倍になってるアル。これ、とてもとてもお得なシチュエーションよ」

「騒ぐな、梁。状況を知ればお得などとはとても言えん」

 でっぷりと太った体をちょこまかと動かし、忙しなくしゃべる梁明珍を、王広平は辟易の面持ちで見下ろした。

 其処はかつて、王が経営する不動産会社の事務所が入る雑居ビルだったのだが、数ヶ月ほど前からノブレムの新たな本拠地として貸与されている。ビルそのものを頑丈なオバケ屋敷と化すという意表を突いたやり方は、かつて彼の部下だった者が王に提案したものだ。城鵬の奇妙で魅力的な微笑みを思い出し、王は不意に目頭を熱くしたが、直ぐに何時もの無表情を取り戻した。

「報いねばならん」

「御主人?」

 不思議そうに見上げる梁には応えず、王はノブレムのアジトへと足を踏み入れた。

 

 ルスケス配下による総攻撃は、既に決定事項としてノブレムとハンターの間で周知となっている。

 敵は新たに模造とは言え三席帝級を配し、並みの戦士級も凡そ100体を揃えている。漫然と構えて迎え撃つだけでは、簡単に突破されてしまうだろう。ゆえにノブレムとハンターは、当然のように知恵を絞った。その一つが、アジトの増強である。

 本来の雑居ビルの上に、更に強化を施したオバケ屋敷を二つ設置する。何とも豪快なアイデアだが、何しろ敵は上下方向から立体的に攻めるだけの身体能力を有する手合いだ。これに対抗するという理由において、極めて説得力のある改築だった。

 王と梁は本来事務所であった第一階層から更に上、第二階層までの階段を上った。この第二階層にノブレムとハンターが最大の守護対象とする、新祖ジュヌヴィエーヴが滞在している。吸血鬼と人間の抗争の歴史に終止符を打つ力を有する、文字通り宝のような存在だ。

 既に新祖の居場所はルスケスの側に特定されており、であるならば後方に退くのが常套ではあったが、その途上でサンフランシスコ市民達がルスケス配下の餌食になるのは必至である。それを新祖と彼女を護ろうとする者達は良しとしなかった。ならば徹底抗戦である。

 第二階層、応接室の扉をノックし、王と梁が入室する。既に室内は対ルスケスで動く者達が、戦士級の吸血鬼を除いて勢揃いしていた。一斉に向けられた視線に無論敵意は無いのだが、ここまでの戦いを経てきた面々の眼力には筆舌に尽くせぬ凄みがある。それら全てを受け止め、王は軽く手を挙げた。

「遅くなって済まない。市当局との調整に時間を取られた。状況報告を行う前に、私の部下を紹介する」

「梁明珍アル! 皆さんヨロシクの事! こうして御主人様にお呼ばれする前は中華街で肉饅頭売ってたよ。梁菜館の肉饅頭とても美味しいアル。お近付きの印に当館の肉饅頭たんと持ってきたよ。みんなで仲良くワケワケするアル!」

 言って、梁は机上にアタッシュケースを置き、中にぎっちり詰まった肉饅頭を披露した。途端に饅頭臭くなる室内ではあったが、誰一人眉一つ動かしていない。ただ、空気を読む能力が著しく欠けた太り過ぎの男を、何とも残念な目で眺めるのみ。王曰く、こんなのでも極めて優秀な男である、との事だ。

 白板の前に立っていた風間黒烏が軽く咳払いをし、全員の着座を見計らってから述べる。

「こうして一同に介して頂いたのは他でもない。俺達はルスケス陣営との大一番を、概ね3つのルートで挑む事になる。俺達の目指すところは同一だが、さりとて相互で連携を取る訳ではない。ただ、どのように戦いが推移するのか、それぞれの役回りを頭に入れておく事に意義はある。改めて戦いを俯瞰で眺める。それが会合の狙いだ」

 風間は肉饅頭を手に取って噛り付きながら、簡易なフローチャートをペンで白板に書き付け始めた。

「美味しいアルか!?」

「ああ、うまいよ。それでは新祖防衛戦から説明を始める」

 

新祖防衛戦 『オペレーション:ジュルジュ』

「ここ、ジャパンタウンは然程大きな区画ではない。そしてごちゃごちゃと家屋が建ち並んでいる訳でもない。モールとかセンターなんかの比較的大きな建造物が目立っている。王先生の事務所は区画のほぼ真ん中に位置して、ここに到達するには四方向からの進路に限られている。結論を言えば、比較的見通しが良く、侵攻方向を限定出来て、守り易いって事だ。ただ、この戦いを遂行するにあたり、新祖防衛と並び立つ目標を設定する。本作戦で模造吸血鬼と三席帝級を、一人残らず殲滅する」

 風間の言葉を聞き、王は思わず立ち上がった。吸血鬼がどのような手合いかは、ハンターと深く関わった王も弁えている。それだけに、風間の言わんとするところに王は我が耳を疑った。が、新祖防衛戦に参加しようという者達は、特に驚いた顔を見せていない。ノブレムの面々もそうだ。王は、既に方向性が決したこの場において不適切である事を自覚しながら、敢えて風間に聞いた。

「本気か」

「こんな事を嘘では言えんよ。この戦いの勝利条件はそれしか無いんだ。恐らく奴らには撤退するという頭が無い。仲間の死体が溢れ返ろうとも最後の一兵まで攻めてくる。模造吸血鬼を絶滅させない限り、対ルスケス戦を控えても一区切りをつけられはしない」

 風間の言う事は尤もである。王は頷き、着座した。この戦いは真祖と新祖の、二つの系列の生き残りを賭けた生存競争でもあるのだ。こちらが死に物狂いになるのは当然だが、ルスケス陣営も決死の覚悟で向かってくるのは間違いない。

(…死に物狂い、か)

 言葉には出さず、王はハンターの内から2人を横目に置いた。果たして彼らをハンターと言い切れるものか、王にも自信が無い。

 フレッド・カーソンとディートハルト・ロットナーは、共に吸血鬼由来の禁術を深く習得しつつある。対吸血鬼戦を優位に進める為だ。しかし、その代償は目に見える形で現れていた。

 フレッドの姿形は、最早怪物と言って差し支えないものになっていた。手足から生える巨大な爪。折り畳んではいるが背負う巨大な蝙蝠の羽。そして額に突き出した角。そしてディートハルトも、一見すれば普通の人間であるものの、決定的に何かが違っていた。霊的なセンスに乏しい王ですら、ディートハルトが人間に良く似た異形と化しつつある事が理解出来る。2人は座して理性を感じさせる雰囲気を纏っているが、それは鉄格子の向こうで大人しくしている猛獣みたいなものだった。もしも格子が取り払われた時、一体どうなるのだろうか。苦心惨憺の末にルスケスを滅ぼしたその後は?

「では、話を続ける。どのようにして敵を殲滅するか」

 王の逡巡を察した訳ではないが、結果として風間は場の空気を落ち着かせた。

「先ず、広範囲の電磁場探知システム、MEWSで敵の侵攻位置を丸裸にする。位置情報の把握に関しては、向こうが持っていない俺達のアドバンテージだ。レノーラ、帝級は電磁場異常を抑え込めるよな?」

 問われたレノーラが頷く。

「ええ。自在に」

「それじゃ模造吸血鬼は?」

「無理でしょうね。知性を持つ戦士階級でも厳しいのに、操り人形風情にその才覚は無い。ただ、固有電磁場を隠す衣装を全員が纏う可能性もあるわ」

「その為にMEWSは監視カメラを併用しているのさ。MEWSならば帝級も追える可能性が高い。で、ノブレム本部の防御はジェイズ防衛戦同様、この後で前後左右にオバケ屋敷を配置する。ここを基点にハンターとノブレムは迎撃態勢を取る訳だ。帝級に対してはハンターとノブレムの主軸が当たる事になるが、模造吸血鬼はトラップ屋敷で出来る限りの殲滅を図りたい」

 トラップ屋敷とは、後のジェイズ防衛戦でも使用していた、街路に偽装した頑丈なオバケ屋敷の事だ。加えて高圧力で充満させた酸化プロピレンを燃焼させる事によって発生する、自由空間爆発も引き起こせる。早い話が、燃料気化爆弾の炸裂だ。

「オバケ屋敷内部の爆発であるから、周辺の破壊はある程度留められるというのは、本当だろうな?」

 苦笑しつつ王の曰く。

「市長が絶句していたぞ。おかげで資材調達に手間がかかった」

「ま、周辺住民は居なくなっているし、こちとらも暴れ放題出来るって訳だ。しかし、しかし何だな」

 話を差し込んだ砂原衛力が、不意に苦笑した。

「俺達、どんどん兵隊さんになってないか? 気分はもう戦争だよ。ルスケスとその上のサマエルが仕掛けてきた戦争だ。くそったれめ、侵略のツケはきっちり払わせてやる」

 拳を打ち鳴らす砂原を見、レノーラは感慨深い面持ちになった。

 これまでも人間と共闘という立場を取っては来たが、事前に詳細な連携作戦を組んだうえでの組織戦というのは、恐らく初めてのはずだ。長い吸血鬼の歴史上においてもそうであろう。

 ノブレムという組織を立ち上げ、遂にここまで辿り着いたのだ。その一助となった男の肩に、レノーラはポンと手を置いた。今まで硬い表情で話を聞いていたダニエルが、思わず肩を跳ね上げる。

「な、何?」

「ありがとう。これからも頑張って行きましょう」

「どういたしまして…という答えでいいのかな。そりゃ勿論頑張るさ。レノーラの為にも、ノブレムの為にも」

 風間の話は、既に帝級の対策へと進んでいる。

 敵の三席帝級は模造吸血鬼の上位階級と称して差し支えないのだが、その実力はやはり帝級のものである。トラップ屋敷を軸にした戦いは模造吸血鬼に対して大きく効果を発揮するだろうが、三席相手では読みが難しい。詰まるところ、これも実力と戦法を駆使しての戦いになるだろう。

「敵がノブレム本部まで寄せてくるとすれば、そいつは帝級という事になるだろう。連中の異能と身体能力は破格だ。立体的な攻勢を仕掛けてくるのは間違いない。だから本部の中へ突入される状況も十分有り得る。その際に新祖殿は手はず通りに頼む。マリーア・リヴァレイは彼女の直衛を」

「分かった。何処まで出来るかは定かではないが…」

「あんたの異能は破壊的ではないが、その分効用対象が異様に広い。俺としては打ってつけの役回りだと思うよ。で、問題は地下方面からの侵攻だが」

 風間は訝しい顔でジューヌに問うた。

「何故この場に奴が居ない? あいつの吸血衝動はゼロのはずだが」

「申し訳ありませんが、バイオリズムに変調をきたしているとの事です」

「何だそりゃ」

 

 昔に比べれば随分穏健になったとはいえ、今でもノブレムの戦士級は人間との距離の置き方には注意を払っている。

 応接室で行われている会合は、ノブレムの戦士級達も居間のモニタで見ていた。向こうでの話題がリヒャルト・シューベルトに移ったので、一同は極端な隅に座る彼を注視した。

「バイオリズムとは、どういう事ですかな?」

 と、ロティエル・ジェヴァンニがリヒャルトに問う。しばらくの間を置いてから、小さな声が返ってきた。

「精神的な体調不良さ。どうも揺れ幅が大きくてね。こういう時は、あまり顔を見られたくないんだよ」

 自身が言う通り、彼は顔を俯けて仲間達にすら表情を窺えないようにしている。先の戦い以降、時折リヒャルトはこのような状態に陥る事があった。新祖ジュヌヴィエーヴが祖としての完成度を高めて行くにつれ、彼女の魂の結束者であるリヒャルトもまた、変化が起こり始めている。ただ変化と言うより、立ち返るとの表現の方が正解かもしれない。

(気をつけろ、リヒャルト)

 ヴラドが自分に向けた警告をリヒャルトは思い出した。

(比較するのは不適切であるし、無礼を承知のうえで言う。お前は、何らかの部分がルスケスに酷似している)

 それを聞いた時リヒャルトはカラカラと笑い、只今も喉の奥から声が漏れそうになった。が、それをどうにか堪える。自分が今、凄まじい顔になっている事を自覚したからだ。

「大丈夫?」

 と、フレイアが肩に手を掛け、心配そうに言った。はたとリヒャルトが顔を上げる。ロティエルとイーライもフレイアを凝視する。直後、大爆笑。フレイアは唖然としたが、みるみる内に顔が真っ赤に染まり、目を吊り上げて怒声を放った。

「私が『大丈夫?』と言ったら何故笑われる!? 全く理解出来ないんだけど!」

「いや、随分と変わられたものですな、と」

「設定上ではノブレムからの離反者第一号だったのにな」

「ありがとう。気持ち良く笑ったおかげで、いい感じのコットン気分になりました」

 散々な言われようであるが、居間の雰囲気が柔らかくなったのは間違いない。気を取り直し、戦士級達は各々の役回りについて話し合った。

 フレイアとイーライは、共に地上での迎撃をレノーラ、ダニエルと共に行う。対吸血鬼の大規模な集団戦に本格的に参加するのは、ノブレムとして、ないしは個人としても初の経験である。しかしながらハンターとの共闘を幾度も経ており、その戦い方に馴染む自信は2人にもあった。問題があるとすれば、地下である。

「風間という作戦指揮者は、地下に主力が配置される可能性に言及しているぞ。それをお前1人で対抗というのはどうなのだ?」

 イーライが懸念を呈する通り、地下からルスケス一党が寄せてきた場合への対処は、リヒャルト単独で遂行する手筈になっている。リヒャルトは人差し指を立て、チチと舌を打った。

「心配する必要はないさ。模造如き千切っては投げて、ビーバーよろしく下水道に人柱ダムを作ってみせようぞ。何しろ私はノブレム最強の吸血鬼だからして」

 リヒャルトが偉そうにふんぞり返る。対して他の面々からのリアクションはゼロ。

「あれ、突っ込みは?」

「いや、事実でしょうな」

「お前は既にレノーラを凌駕している。多分、戦士級という枠もお前には意味を成していない」

「吸血鬼と言うより、かんばり入道並みの微妙な妖怪だよ、アンタって人は」

「おお、かんばり入道様と同列に扱われるのは光栄です。それはさて置き真面目な話、敵は私を不完全不死者だと承知している。実力云々はともかく、敵にとって私が対処に困る存在である点は自覚しているよ。だから有効な対抗策を必ず考えてくると思うんだ。私が居るところを狙って、多分その策は行使される」

「何をして来るのか、想定は出来ているのか?」

 問いに対してリヒャルトは何か言いかけたものの、頭を振って肩を竦めた。そして取り繕うように、ロティエルに話題を振る。

「私よりもロティエル卿、君の方が危地の只中だろう。アウター・サンセットの戦いは考えるだに地獄だ。ヴラドが居るという事実も、決定的なアドバンテージにならないくらいにね」

「否定出来ませんな。目標は石柱の破壊。阻むは真祖ルスケス。サマエルに継ぐ桁違いと一戦を交える」

 ロティエルは深く息をつき、モニタを見た。画面の中には、風間に代わってアウター・サンセット戦の概要説明を始めたヴラドが映っている。前回の威力偵察は、手練手管が相応に揃った状態にも関わらず、終始圧倒される展開になったという事だ。

(それでも石柱の破壊が成れば勝ち目も見える。考え得る手段を駆使するしかありませんな)

 ロティエルは懐から、剣を模したミニチュアを取り出し、じっと眺めた。

 その途端、ロティエル以外の全員が悲鳴を上げて床に伏せる。そのミニチュアの真の姿が全長20m弱、タロスの剣である事は既にノブレム内にも知れ渡っていた。

 

アウター・サンセット侵攻

 ルスケス陣営の全戦力が出払うジャパンタウンへの攻撃は、同時にノブレムとハンターの側にも千載一遇の好機であった。確かにアウター・サンセットにはルスケスが控えているものの、対ルスケスに集中する一方で、石柱破壊という敵側にとって致命的なカウンターを挑む事が出来る。問題があるとすれば、そのカウンターをルスケス自身が重々承知している点だ。

「エルヴィ・フォン・アスピヴァーラ。ドグ・メイヤー。そしてロティエル・ジェヴァンニ。先ず、この三方に敬意を表する」

 ヴラディスラウス・ドラクリヤが最初に言ったのは、かの地区の侵攻に参加する者達への謝辞であった。口数の決して多くない彼が、このような言い方をするのはとても珍しい。

「敵が襲撃を仕掛けてくる日時は分かっている。それを踏まえ、私達は事前に本部を離れる。そして模造共が本部への侵攻を開始する機会と同期し、こちらもアウター・サンセットへの逆侵攻を敢行する。それまでの模造共の動向は、先に風間が言っていたMEWSというシステムがあてに出来るだろう。幸いハンターのドグが参加してくれるゆえ、進行途上で奴らに鉢合わせる可能性を低減出来るはずだ」

「その参加陣容であれば、接敵しても容易く排除出来るのでは?」

「模造共と交戦する事は避けたい。理由は我らの接近をルスケスに知られたくないからだ。奴はアウター・サンセットから動く事はしないだろうが、何らかの破滅的な干渉を域外へ仕掛けてくる可能性は捨て切れぬ。加えて直前まで奇襲という体裁を保ち続けるようにもしたい。そしてアウター・サンセットに侵入を果たして以降の戦術だが、エルヴィが提出した案を基軸にしようと思う。それではエルヴィ、内容の説明を宜しく頼む」

 いきなり名指しされたエルヴィは若干狼狽したものの、直ぐに顔を引き締めてヴラドの後を継いだ。

「先ず申し上げたいのは、この戦闘行動に参加する全員の意思が統一されている点で幸いであった、という事ですわ。その意思とは即ち、石柱の破壊を第一とし、ルスケスとの交戦を極度に抑えるというものです。まだルスケスには及ばない私達ですが、件の石柱を破壊する事でようやくその芽が出るのです。よって順番を違える事はなりません」

 以上を踏まえ、エルヴィは分かり易く攻め手を二手に分ける案を出した。ヴラドを機軸としてルスケスを阻み、機を見て彼以外の全員が石柱の破壊を目指す。

「対ルスケス戦において現時点、勝負の計算が出来るのはヴラド公御一人です。私達は公のバックアップに専念致します。ルスケスは私達の真の狙いが石柱破壊にある事は百も承知ですが、その手順を『ルスケスを抑えてから事を始める』という形に見せかける事が肝要ですわ。奴は攻め立て、調子に乗るでしょう。その慢心が最大値に達した時が勝負です」

『ルスケスは、ああ見えて狡猾ですぞ? かようにこちらの思惑通り、慢心に由来する不注意を見せるでしょうか?』

 別室のロティエルが、マイクを使って疑問を呈してきた。エルヴィがヴラドの顔を見、頷いてから応える。

「不注意を期待するのではなく、こちらから作り出すという形です。私は『守護者』に至るまでに、ヴラド公の記憶を追随しました。ですので、ルスケスの思考パターンもある程度把握しています。彼はふざけた性格ですが、存外に冷静沈着である事も。ただ、言うなればスズメバチの気性にも似ているのです」

『スズメバチとは?』

「あれは凶暴な攻撃性を持つ昆虫ですが、何かに夢中になると他には目もくれなくなります。奴はヴラド公との戦いに、明らかな耽溺を前回見せていました。それは他への注意力を大なり小なり散漫にしていた、という事です」

『なるほど』

「公との打撃戦とは全く異なる系統の行動が複数発生すれば、ルスケスの対応にラグが生じるものと私は考えています。無論、そんなものは直ぐに立て直してくるでしょう。だからその機会の一撃に、私達は全てを賭けるのですわ」

「それが外れたらどうなる?」

 と、今迄成り行きを黙して聞いていたハンターのドグがエルヴィに言った。

「恐ろしく難易度の高い勝負になるのは承知のうえだが、俺自身は失敗という結末は有り得ないと考えているぜ」

「…今迄お話をしましたのは、アウター・サンセット域内における吸血鬼陣営の行動です。貴方は含まれておりません」

「何?」

 意表を突く台詞を返され、ドグは一時言葉を見失った。が、エルヴィの顔は至って真面目である。

「ルスケスは吸血鬼と人間の合力というものを、些か見くびる考え方をしています。私としましては、其処も利用出来るものと捉えているのです。即ち、ヴラド公を核としたノブレム選抜隊が主力であると思わせれば、ルスケスによる貴方への認識は低下します。貴方は単独で別働隊を担えるだけの実力者です。ルスケスにすら通用する猛毒を貴方は所持してもいます」

「つまり、域内に入った後は別行動を取るという事か。その方が成功率を高められると」

 ドグは前屈みの姿勢を取り、手を組んで不敵に笑った。我が意を得たりと言わんとする趣が表情にはあった。

「実を言えば、そもそも域内以降は潜伏して侵攻するつもりではあったんだ。きつい言い方をするが、可能な限り派手にやりあってくれると助かる。殊勲を挙げるのは俺でもあんた達でも構わん。要は石柱を破壊出来れば結果大満足だからな」

「全く同感ですわ。そしてもう一つ、行動を共に出来ない理由があるのです」

 エルヴィはドグの元に近付き、一枚の霊符を手渡した。

「こりゃ、『半径500mの説得』じゃねえか。何で吸血鬼が持っている」

「ガレッサ・ファミリエのアンジェロ氏から預かったものです。仰る通り、吸血鬼が持っても意味を成しませんわ。機会を見てこれを使用し、囚われた市民達を逃して頂きたい。ただ、もしもこれが市民達に通用しなかった場合は」

「その時は?」

「私達は彼らを見切ります。彼らに引き摺られる形で作戦を失敗に終える訳にはいきません。ただ、ハンターの思考形態とは相容れないであろうとは自覚致しますわ。ゆえに、各々が独立して行動するのが望ましいと私は考えるのです」

 それは敢えて口に出す必要は無かったはずだが、彼女は言外に『市民にとって最悪の事態が発生する際の責任所在は自分にある』と言っている。市民を救う手段を提示しながら、吸血鬼側の認識を包み隠さず露出したエルヴィという吸血鬼に、ドグは既視感を伴う感嘆を覚えた。まるでレノーラと話をしているようだと。

 

真下界に纏わるよしなし事

 水平線が向こうに見える海原の如く、延々と棺が整列する鬱世界、真下界行きは独特の戦闘様相を見せる事となる。

 幸いにして物理的な主戦場は地上に移っており、真下界において同時進行で吸血鬼や悪魔などを相手にする必要は無い。アウター・サンセット逆侵攻のようにオペレーション:ジュルジュと歩調を合わせず、先行して行動を開始する事も出来る。

 しかし一切の破壊手段が通用しない件の石柱は、サマエルの思想が形になったような代物だ。これを相手にする為に銃は要らない。術式も必要としない。通用するのは、心だけだ。思想と言っても良いだろう。人間の心一つでサマエルの精神に戦いを挑む。それは難行の一語に尽きた。

 マティアス・アスピはとっくの昔に腹を括っていたものの、それでも苦い笑みを浮かべて応接室に集まる面々を前に言った。

「ハンターの戦いは通例であれば、先ず解を探り出すところから始めます。この世ならざる者との戦いは、概ねの場合対人戦闘の常識が通用しません。しかし彼らも無敵ではない。必ず事態を終結に導く解が存在します。ウェンディゴは心臓を焼けばいい。悪魔は悪魔祓いで地獄にお帰り頂く。そして圧倒的な天使が相手でも、天使殺しの武具が存在する。それがこの世の条理ってもんです。この世ならざる者とは言え、この世に出て来てしまったからには、この世の条理に従わねばならない。この世に滅せぬものの無き、ですよ。然してあのでかい石の柱ですが、正直言えば解の見当がつきませんね」

「同時に解は広く存在する、とも言えよう」

 自ら発する言葉に埋もれかけたマティアスに、ヴラドは手を差し出した。

「結局のところ、全人類が統一した意思を表明する事は不可能なのだ。人間の思想は雑多で、どれを取っても同じものが無い。そういうバラバラな思惑をどうにか寄せ集め、この世界は限界点に近い場所をふらつきながら前へ前へと進んで行く。ただ、それこそが強みなのだと私は考えているのだ。諸君らも薄々感付いているであろうが、この世ならざる者は個性が希薄だ。行動の優先順位は自身の考えに拠らず、『自身はこういう者であるから、こうする』という具合なのだ。人食いのあやかし風情然り。一見人間的に見える天使や悪魔もそうだ。吸血鬼も例外ではない。吸血鬼は人間の血液を食する。よって人間を襲って食う。一言で言えば、吸血鬼はそういう生物である」

「しかしノブレムは、自らの意思で人間の血を捨てた集団です。なるほど、強烈な個性の集団である理由が分かりますね。ノブレムは『そういう生物』という範疇を飛び越えた存在なのでしょう。敵に回すのは、随分と厄介ですね」

「そうだ。ノブレムは強靭な集団だ。雑多な思想がやがて合わさり、一つ所を目指して雪崩れ込む者達だ。その強さが分かるゆえ、私は人間の恐ろしさをも理解する。翻ってサマエルは、根本的に人間というものを理解していないと私は見る。彼奴にとって人間は、人間と称する十把一絡げの個体なのだろう」

「人間の多様性を認めていない、という事でしょうか」

「認めていないのではなく、理解していない。ないしは理解するという才覚が欠如している。名も無き神がいずこかへ消えて以降、未だ天使達も右往左往の状況だ。しかし彼らは天使であるがゆえ、自身が迷うという状態にある事を、概ねの者が知らないのだ。だから自身が定められた天使としての役割に猛進してしまう。ミカエルとルシファは黙示録を進行させ、サマエルは人間の庇護者たらんとする、という訳だ」

「つまり『そういう者である』というくびきを破る事が勝利条件になりそうですね。しかしヴラド殿は天使の思考形態に随分とお詳しい」

「我もまた天使に由来する穢れた血統である」

「ヴラドさんが『そういう者である』という縛りから解放されたのは、やはりヘルシング卿との対話を経たからでアルか?」

 いきなり間延びした声が入り込み、一同が意外の面持ちで梁を見た。肉饅頭のおっさんが何故そんな鋭いところを突く、と言わんばかりの顔と顔。梁は分かり易く鼻白んだ。

「ワタシだって事前に勉強くらいするアルよ。城君を交えて昨今の情勢を茶飲み飯食い語り合ったものでアル。それはさて置きヘルシング卿がヴラドさんに語ったのは、凡そ夢見がちな未来予想図であったと想像するネ。吸血鬼だって話せばきっと分かってくれるさ!みたいな。聞きながらヴラドさんは思った。こいつ、この先こんな調子で大丈夫なのか?」

 ヴラドは目を丸くして梁の言葉を聞いていたものの、やがて相好を崩して微笑んだ。久方にヘルシングの事を思い出したからであろう。そして梁に言う。

「そうだ」

「自分が手助けをする必要があるのかもしれない、と考え始めた」

「そう、その通りだ」

「自分ではなく他種生命体の思考を意識し、協調する自意識の勃興。考えるという過程を踏まえ、アナタは『そういう者』ではなくなったアル。独立した個性を持った、偉大且つ普通の人になったアル。ただ、このシチュエーションは幸福な一例に過ぎないの事。何を言ってもサマエルは恐らく『そういう者』のママ。しかし錯乱を引き起こせばしめたモノ。あいつの思考形態に一撃をぶち込んで、然る後にワタシらは意気揚々と帰って飲茶と洒落込むネ。日々是好日アル」

 当初彼が同道すると聞いた時は引いたが、なるほど、王が懐刀として連れて来る訳だとマティアスは思った。自分同様、梁も確固たる思想でもって石柱に挑もうとしている。要は我を信じる事だ。これといった決定打が想定出来なくとも、全てが決定打に成り得るとは、そういうものなのだろう。

 

見捨てられたシーザと

 ノブレムのアジトからは北部方面へとそれなりに離れているものの、さりとて人間が退避している領域からは大きく距離を置いている。カスミ・鬼島が逗留する頑丈なオバケ屋敷は、そんな場所にある。

 オバケ屋敷はハンターの風間から譲ってもらったものだ。この世ならざる者に対する防御力が高いその屋敷で、カスミは元仕える者共の1人、Gことシーザ・ザルカイの呪いを解く難行に挑もうとしていた。

 後から分かる事であるが、シーザがノブレム側に確保された時点で、ルスケスは彼女に見切りをつけていた。飽いた玩具を捨てると言い換えても良い。つまりシーザも抹殺対象になってしまったのだ。オバケ屋敷は主戦場にはならないだろうが、模造吸血鬼が嗅ぎ付けてくる可能性も無い訳ではない。襲撃を加えられれば屋敷は耐えるだろうが、時間をかければ屈服の恐れもある。

 ほとんど単独で、しかも呪いの解除という厳しい仕事を並行しながら屋敷を防御するのはあまりにも厳しい。ジャパンタウンの防衛戦に最大戦力を割くにしても、ノブレムは可能の範囲内で彼女に配慮を示した。

 

 ジューヌが特殊な陣を施した一室の扉が音を立てて開いた。

 奇妙な紋様が天井と床、壁面の全てに描かれた部屋の真ん中に、少女が1人と異形の者が1人、向かい合わせの格好で椅子に座っている。エドアルド・クレツキは扉を閉め、背中を向けた格好のカスミに声をかけた。

「調子はどう?」

「正直ダルいです」

 カスミはげっそりした顔で振り向き、言葉通り疲労困憊の笑みをエドアルドに見せた。

 この屋敷には、護衛としてエドが派遣されている。彼もまた元仕える者であり、今は真祖系列への鞍替えに成功してノブレムの一員だ。元仕える者同士という意味では、その人選に意図が込められているのは間違いない。

「すごく助かるしありがたいとも思うんですけど、ちょっと水を差しますね。エドは言われてここに来たんですか?」

 カスミの問いにエドは頷いた。

「ああ、そうだよ。しかしここに来ようと決めたのは俺だ。頼まれたと同時に、俺は『どうする?』とも問われたんだ。だから俺は『そうする』と答えた。仕える者の時の俺は自らの意思表明をしなかったし、またする事も許されていなかった。かつてそういう者だった俺が、自分で選択してここに居る。俺はあんた達を助けたいと思った。だからここに居るのさ」

「そうですか」

 カスミは再びシーザを凝視した。レノーラが施した催眠に加え、死人の血の毒が全身を回っている。しかしながらシーザの帝級としてのポテンシャルが、それらを跳ね返すのは時間の問題だ。具体的に言えば、今日この時に彼女は覚醒する。ジューヌはそのような予言めいた言葉をカスミに伝え、エドを派遣したという訳だ。そして予言は、程なくして現実のものとなった。

 シーザの顔には目と鼻が失われていたものの、小さく身じろぎする様は目覚めを有体に表現している。シーザは顔を揺らし、真正面のカスミを認めて反射的に牙を剥き出したものの、その奥に居るエドの立ち姿に気付き、攻撃態勢への移行を止めた。

「Dじゃありませんか。D、D、あいたかったですよ、D。いままでいったいどこへ」

 其処まで言って、シーザはぽかんと口を開けたまま凝固した。ルスケス陣営において、彼は概ねハンターかノブレムに首を獲られたのだろうとされていた。シーザはD、それにEとは比較的親しく、二人の死を大いに嘆いてもいた。だからエドとの再会は、拘束という屈辱的状況を一時忘れられる望外の喜びであったものの、程なくしてシーザはエドの存在感に変容が生じていると気がついた。ルスケスの系列から外れた者になっている、という事だ。新祖ジューヌ系列への鞍替えを知り、シーザの纏う雰囲気に激怒の感情が渦を巻き始める。

「D…あんた、うらぎったな。わたしとルスケスさまをうらぎったな…」

「そうだ。自分の意思で、考えに考えて裏切った。Gではなくシーザ。その姿になったお前は、考える事を放棄したんじゃないのか」

「な ん だ と」

 対峙する間にも、エドは携帯電話で外部に連絡をつけていた。連絡先は新祖ジューヌである。エドは携帯を畳み、カスミに告げた。

「来るぜ」

「分かりました」

 直後、シーザの喉からけだものの咆哮が迸った。新祖ジューヌからの精神干渉が始まったのだ。即座にカスミが強化された真祖のロザリオを握り締める。これにてカスミが身動きをせず、また視線を逸らす事をしない限り、シーザは指一本動かす事が出来なくなった。

「さあ、シーザさん、私の話を聞いて下さいな」

 カスミは程なくして、吸血鬼としては珍しく全身から汗を滴らせ、精一杯朗らかに言った。

「他人に干渉するなんて、面倒くさいったらありゃしない。でも、やっぱり私はシーザを救いたいんスよ。神は自ら助くるものも助けやしないんですから、精一杯努力するくらいの足掻きは見せませんとね。さあ、私の心、あなたに届け! なんちて」

 口調は相変わらずの調子だが、カスミが全身全霊を傾ける様はエドにも分かった。これから3日間、あの二人は一歩も動かずに真正面から向き合い続けるのだ。自分が出来るのは、ささやかなサポートと見守り、護る事ぐらいであると自覚し、エドは静かに部屋を辞して行った。

 

吸血鬼のあした

 一見するとジューヌは普通の状態に見えた。居間の方に集まった吸血鬼達にふるまうコーヒーを淹れながら、彼女は軽い雑談に応じている。シーザへの精神干渉を行使する真っ只中である事は皆も承知しているのだが、あまりにも泰然自若としているジューヌは神がかりの存在であった。

 よってエルヴィは彼女を気遣いたくとも、それが出来ないでいる。『恋人』であるはずのリヒャルトは彼女の入室と同時に席を立った。二人がここ最近会話をしている様子をエルヴィは見た事が無い。まるで倦怠期を迎えた夫婦のようではないか。

(何をやってんですか、あの妖怪首もげは)

 と、文句の一つも言いたくなったものの、個人的な話に関わるのは気が引け、エルヴィは何となく黙ったまま今に至っている。そしてやるせない感情に気を取られ、不意に語りを始めたジューヌへのリアクションが遅れた。

「私達がハンターの風間氏から提案を受けている事は御承知の事と思いますが、皆さんはどのようにお考えですか?」

「え、何がです?」

「ノブレムが日本に渡る事についてです」

 それは他でもない、戦後についての話だった。

 ルスケスとの直接対決すら先に控えている状況で、戦後の成り行きを語り合うのは時期尚早、という意見も無いではなかったが、話を受けたレノーラは見据えておくべきとの風間の考えに同意している。ジューヌの後を継ぎ、レノーラはコーヒーを飲みつつ皆に語った。

「彼の提案によれば、私達は食用牛の畜産から直売店、又は直営レストランという、食肉の生産加工販売を担う会社の運営を任せて貰えるそうよ」

「企業の社員になるって事ですよね? そんな資金が何処に」

「持っているそうよ、彼は」

「凄いですね」

「安定的に牛の血を、それも合法的に得られるうえ、日本ならば今のところ吸血鬼がマークされる危険性も薄い。確かに私達はサンフランシスコ市当局と協調しているけれど、戦後も良好な関係が維持出来るとも限らない。何故なら、この街を拠点としていないハンターにとって、未だ吸血鬼は危険極まりない人食いなのだから。楽観的な考え方をすれば、この街は危険性の薄いノブレムの存在を黙認してくれるかもしれないけれど、一歩範囲から出れば矢張り吸血鬼にとって戦野でしかない。無論日本でも私達は風間からの監視対象になるけれど、それでも首刈り鎌の刃を砥ぐハンターがゴロゴロ居るアメリカよりは安全と言えるわね」

「皆さんはこの戦いを勝ち抜いた時点で、人間に立ち返る道を自動的に歩む事となります。それは人間社会を構成する一員になる、とも言い換えられます。しかし私の死をもって突如人間に戻るでは、混乱が発生する事態も否めぬでしょう。皆さんには準備期間が必要であるとの風間の言葉に、私も納得した次第です」

「御二人はその話、お受けしたのですか?」

 エルヴィの問いに、レノーラとジューヌは揃って頷いた。次いでヴラドに視線が集中する。彼は肩を竦め、さも愉快そうに言った。

「汝らは自由である。戦いが終われば、考える通りにするが良い。ただ、ノブレムとしてはその方針を受諾するという事だ。汝らは未来を選べ」

 ノブレムの指導層は軒並み風間の提案を好意的に捉えている。一同は各々顔を見合わせた。実行性と理念を鑑みれば、日本行きは確かにノブレムにとって良い話だ。しかもそれは強制ではない。気がある者は来られよという、選択肢の中の一つである。放浪の身空から会社員へ鞍替えというのは、おかしな感じでありつつも魅力的だ。

「私は行ってみたいと思う」

 真っ先にポジティブなリアクションを返したのはマリーアだった。

「行った事が無い国なので興味があるしな」

「シンプルだなぁ」

「しかしそれが良い。吸血鬼になってからこの方、そういうシンプルな楽しみというものを味わった事が無いんだ。吸血鬼の終わらない日常を延々と繰り返すより、勢いをつけた変化を起こして新しい環境に挑戦する方が、精神衛生的にも良いだろう」

「なるほど、吸血鬼の精神衛生とは面白いですな。私はもう少し考えを留め置くとしますよ」

「ロティエル、お前は会社員然とした姿がはまるかもしれんぞ。しかしフレイアはスーツ姿の想像が出来ん」

「うるさいよイーライ。私だって吸血鬼になる前にウェイトレスをした事くらいある」

「何日保ちましたかな?」

「2日」

「あなたにしては中々頑張りましたわね。私は、どうしましょうか」

「どうするのだ、エルヴィは」

「内緒」

 未来について語るのは、吸血鬼であっても明るくなるものだと、新祖ジュヌヴィエーヴは微笑ましく彼らを眺めた。次いで、傍らのゆりかごで眠る赤子の額を撫でる。元はミラルカだったその娘は、今は美里と風間に名付けられている。風間ミラルカってのはあんまりだろう、と彼は苦笑していた。その彼に再び美里を預けられ、本部防衛戦が始まるまでは彼女を世話する日々がまた始まる。その中で思うのは、多分自分自身のあしたであろう。

 ジューヌは目を閉じ、心の中から呼び掛けた。

『聞こえている?』

『聞こえているよ』

 

人間の成り行き

 別の準備にかかる為に出て行った風間を除いて、ハンター達は応接室に残り今一度防衛戦と他方面の戦のすり合わせを行っていた。その最中、ふとフレッドがカカと笑い声を上げる。

「何だ?」

「いや、向こうの部屋から吸血鬼達の他愛無い雑談が聞こえるのが面白くてな」

「妙に前を向いた話をしていますね。会社勤めの吸血鬼というのは、ノブレムならではかと」

 ディートハルトも相槌を打つ。何を言っているんだお前らと言い掛けたものの、ドグは思い直して肩を竦めた。この2人の五感は、上位禁術取得者特有の突出を始めている。ドグ自身もサマエルによる洗脳対策として最低限の禁術を得ているので、感覚的にそれが理解出来た。

 それでもドグは、既にこの世ならざる者の領域に踏み込んだ2人を複雑な面持ちで眺め、言う必要も無い事を敢えて言った。

「俺は禁術って奴を道具だと思っている。そういう割り切りがハンター的思考手段だと思うぜ。翻ってお前らは、ハンターとしては特異だ。今更言うのもなんだが、何故そこまで?」

「勝つ為だ」

「左様、勝つ為ですな」

 フレッドとディートハルトの答えは至ってシンプルである。

「敵は巨大だ。天を覆うぜ。ならば対抗する為に手前の力を格上げする。それこそ究極の域に持って行く必要がある。戦人の本能に従った結果がこれだ」

「実際、ハンター的な戦闘手段を模索すると選択肢が極端に狭まるのです。私としては実利を考えた結果と言えるでしょう」

「いいのかよ、それで」

 砂原が声を落とし、半ば咎める調子で言った。

「とんでもないとこまで来ているのは、あからさまに分かるぜ。戦いが終わった後はどうなるんだ。これ以上突き進んだらどうなる。俺だって、進み過ぎた禁術取得者の末路は知識として知っているぞ」

「滅ぶだろうな」

「左様、滅びますな」

 全く動じる様子も無く、2人はあっさりと答えを返した。

「ハンターっていう異端の生き方を選んだ時点で、まともな死に方が出来ねえくれえは覚悟のうえよ。しかし死に意味はあって欲しい。ルスケスという桁違いの首級を挙げる、その寸前まで追い込む事が出来りゃ、結構な満足を得られるさ。そう、俺は命を無駄に消耗する訳じゃねえ」

「私はあと一息で取り返しのつかないところに到達出来そうですよ。フレッド氏からは若干遅れる事にはなりますが。さて、どうしたものか」

 己が身の成り行きに腹を括り、頓着すら失せたように見えるフレッドとディートハルトに、ドグと砂原はそれ以上何も言わず、実務的な話を再開した。彼らの様子を第三者的に眺めていたマティアスは、梁と目線を合わせて相互の思惑の一致を確認し合う。

 ハンターとは何か?

 ハンターとは人とこの世ならざる者の境界線上に立つ者だ。境界を踏み越える者と留まる者、その両方が目の前で言葉を交わしている訳だ。人間の心を持ちながら、双方の心理は傍目にも相容れていないのが見て取れた。それでも最短距離での勝利と生存を両立させる為、常識の度を越えた受容性をハンターは持つ。そういった感覚の有無が、ハンターと普通の人間の大きな差異を表すのだろう。それは人智を超えた怪異に対するに際しては強みである。

 しかし、ハンターのままではサマエルの思惑を上回る事は出来ないかもしれない。それがマティアスと梁が抱く認識の一致だった。人外との戦いに特化した強靭なハンターに対し、サマエルは理解を深めつつあるからだ。

 生まれ、暮らし、そして死ぬ。脆弱で、卑近で、健気な。サマエルにとってはただそれだけの庇護対象である人間が、どれ程の心を持つに至るかを知らしめなければ、サマエルを乗り越える事は出来ないのだ。

 

戦人二人

 ノブレムのアジトの直下にも地下空間は広がっている。それは下水道であるし、かつてカスパールによって構築された膨大な下界でもある。真祖防衛戦及び模造吸血鬼撃滅作戦、オペレーション:ジュルジュは、敵が数の優位を存分に活用してくる点を鑑み、地下空間からの侵攻というシチュエーションを当初から想定していた。

 敵は恐らく下界を使うだろう。そもそもここは王広平の事務所であり、庸の幹部連が設えた下界への進入口の一つがある。その重大な事実を風間とリヒャルトは気付いていた訳だ。そして二人は、王に了解を得て下界侵入口を完全に潰した。施されていた特殊な術式を反故としたのだ。こうなると残された選択肢は、別の下界出入り口を経た下水道からの侵入である。

 それらを踏まえて風間はリヒャルトの考えに基づき、膨大な数の指向性地雷を下水道に設置し続けていた。下水道と下界が交差する地点がターゲットポイントだ。下水道への侵入、即発動。極めて理に適う方針に沿ったトラッピングである。が、風間は些か不審な思いを、作業を共にするリヒャルトに向けていた。

 

「聞こえているよ」

「何だ? 藪から棒に」

 不意に声を上げたリヒャルトに風間が問う。でへへと笑って、リヒャルトは答えた。

「ジューヌと話しているのさ。彼女とは脳内会話が出来るまでに結束が進んでいるのだよ。いや、照れちゃいますねどうも」

「…傍目一言も口をきいていないように見えた理由はそれか」

 共に人間性からの乖離が進みつつあるのではないかと、リヒャルトとジューヌに関しては懸念されていたのだが、どうやら彼らは彼らなりに、積極的に対話を行なうという処方を考えていたらしい。

「それならそうと他の連中に言えよ。レノーラあたりもめちゃくちゃ心配していたぞ。で、彼女とは何を話しているんだ」

「大した事でもないんだ。将来の話を諸々。君、風間きゅん」

「きゅんとか言うな」

「面白い提案をしてくれてありがとう。ジューヌも随分乗り気になっていたよ。新天地で商売人とか。しかし嬢ちゃん育ちの彼女であるゆえ、また別種の苦労を味わうものと予言しよう。売り上げノルマ未達の恐怖に恐れおののく新祖様とか、想像するだけで笑顔になるよ」

「お前、何処まで性根がゲスなんだ」

 呆れたように言って、風間は再び作業に没頭した。その最中で、ずっと気になっていた事がある。リヒャルトが企図した罠そのものについてだ。考え方は確かに理に適っているのだが、順当過ぎるのだ。風間の知るその男は、もっと虚を突いたやり方を好んでいたはずだ。その疑問を率直にぶつけると、リヒャルトは肩を竦めてこう言った。

「割り切ったよ。これはフツーの模造吸血鬼対策だ。多分あいつら、面白いように引っ掛かると思う」

「つまり帝級対策は別に考えていると」

「それが結局思いつかなかったのさっ!」

「おいおいおいおい」

「いや、その話は後回しにするとして、風間先生」

「先生とか言うな」

「もしも私の想定通りであれば、残存帝級の大半は地上から侵攻を仕掛けてくると思う」

「どういう事だ」

「私は可能な限り、相手に自分を見くびって貰えるよう心掛けてきたつもりだ。油断した相手を制圧するのは楽だもの。しかし不完全不死となってからは、どうも勝手が違う。何か要注意人物に思われているみたいで心外なんですよ。で、仮に自分が自分を倒すにはどうすべきかを考えたんだ」

「新祖を倒す。それしか無えだろ」

「そうなんだよ。だから其処に至る工夫をアレコレしなきゃならないんだ。で、発想を変えてみた。私を力で押し切る必要は無い。どうせ倒せないんだから、抑え込んで無力化してしまえばいい。それも必要最小限の戦力で。その間に別方面の主力が新祖抹殺に注力する。確かに模造だが、奴らも帝級だ。レノーラは奴らを少し見下しているような気がするよ。とても危険な事だ。きっと地上は地獄のような戦いになる」

「そんな事は百も承知だ」

 風間はさも当然という顔でリヒャルトに応えた。

「それでも勝つよ、俺達は。その為の不断の努力は怠らなかった。奴らはハンターを添え物程度に思っているようだが、肉体的弱者がハンディキャップを補う工夫の数々を舐めているという事だ。地獄を見るのは奴らだ。そして必ず俺達は生存する。地を這い泥水を啜って生き残る。死んだ俺の先輩は悟ったような顔でスマートに逝っちまったが、俺の魂はそいつを許さんときている。ズタボロになろうが生き残れば勝ちの目はあるが、死んだら間違いのない敗北なんだ。そうだろ、兄弟」

「そうだな、兄弟。あの作戦は皆殺しの気概に満ちている。あれは奮い立つものだ。私達は勝てる」

「…少し話を戻そう。先刻抑え込んで無力化する、という風に言っていたな。リヒャルト、お前は不完全不死者を戦力から除外する手段を思いついたのか?」

「うん。一応の根拠はあるが、仮定でしかない。だから君にだけ話しておこう」

 リヒャルトは風間に、自身の思惑を飄々と話した。

「まさか」

 聞き終えた風間は、言葉を失った。

 

緞帳を上げろ

 そして満月の日がやってきた。

 シェミハザによって人間の領域は既に奥深くまで攻め込まれ、サマエル信徒によるジェイズ・ゲストハウスへの侵攻も遂に始まった。そしてハンター有志による、マーサ本部へのカウンターアタックの同時敢行。

 しかしルスケス的な考え方に拠れば、それらは自らが催す血の舞踏会の、言ってみれば前座であった。無論、サマエルとしては何れかの重要度が劣るという企図は無い。ハンターとそれに与する勢力の暫時的な脆弱化、加えて市全域を騒乱状態に陥れ、自身の影響力を一息に拡大する。それらがサマエルによる大本の狙いである。

 ルスケスはサマエルに対して絶対的忠誠を誓っているものの、基本的に彼が志す理想世界というものには興味が無かった。何時如何なる時であろうと、ルスケスの破壊的行動の原動力となる根源は、『面白えか否か』なのだ。彼はサマエルの思惑が停滞しようと、更には傅く配下達が憐れにも首を刎ねられようと、そんなものはどうでもよいと捨て置く事が出来る。決死の戦いを続けて這い上がってきた者達の努力を、笑いながら木っ端微塵に打ち砕く未来予想図が、むしろルスケスの楽しみである。

 よって、彼は大敗の報を聞かされても、「あ、そうなの?」で済ませてしまった。

 シェミハザの分け身の崩落。ジェイズ・ゲストハウス防衛完遂。マーサ本部陥落。天使達とフレンドの壊滅。『破壊』の完全離反。シェミハザ本体の一時行方不明。サマエル陣営にとって、何れも取り返しのつかない規模の敗北である。

 それでも、ルスケスは大あくびをしてから耳穴を穿った。その勝利にはあんまり意味が無いよと。その気になれば、自分はサンフランシスコ全体を焦土と化す事が出来る。次いでシェミハザという堕天使は自身に匹敵する存在である事をルスケスも承知していた。サマエルに至っては、ルシファやミカエルと同格だ。それはサマエルが単独で文明を崩壊に持ち込める力量を所持している、という事でもある。

 チェックメイトに向けてあと一息、というところで盤を引っ繰り返される絶望とは、果たしてどんなものであろう?

 ルスケスは下卑た笑みを口元にたたえた。外界から切り離されたアウター・サンセットの青空に、満月が頂点を目指して浮上する。人差し指を月に向けて掲げ、ルスケスはその先をジャパンタウンの方角へ、ゆっくりと振り下ろした。

「やれよ、クズども」

 侵攻開始の合図はぞんざいである。ルスケスは、ヒャハと笑った。

「新祖を名乗る紛い物を殺せい。そして出来る限りその過程を面白うせい。破壊と殺戮にかけては人間に比肩し得るもの無し、等という傲慢をウルトラ暴力で叩き潰せい。しかし考え無しは駄目だ。汝ら雑魚は考えるのがどうも苦手によって、総指揮はこの者に一任とする。なんちゃって帝級どもは、こ奴の意に逆らうでないぞ」

 ルスケスは傍らの少女の肩に、優しく手を置いた。応じて少女の口元が吊り上る。真っ赤な口腔から白い牙を覗かせ、宣告。

「それでは、進軍始め」

 

 ジュルジュとは、オスマン帝国との緒戦においてヴラドが攻略したドナウ沿岸の城砦の名称である。この戦いで得た総勢2万の捕虜を、ヴラドは街道沿いに串刺しにして並べ、敵の士気を挫くという凄まじい所行を実行している。串刺し公の二つ名の、それが由来だ。

「一人も生かして返さぬという事か」

 ヴラドは作戦を企図した風間の気迫を思い、かつての苛烈な自身とも重ね合わせ、己が心を静かに奮い立たせた。

 マーサ本部陥落の報を受けて沸き立ったのも束の間、対ルスケス陣営に挑む面々は、満月の午前零時に向けて各々の役割を果たすべく、行動を開始した。

 ヴラドの一行は模造吸血鬼と入れ違う形でアウター・サンセット域内を目指す。考え得る最高の武装を身に纏う面々に比して、当のヴラドは甲冑すら身に着けない軽装だった。

「擦れる音はさせたくない。それにルスケスとの格闘戦に甲冑はむしろ邪魔である」

 如何にも無防備に見えるヴラドにロティエルが進言し、返ってきた答えが上記だった。さもありなんと、ロティエルは納得した。

「確かに防具も武具も、然程意味が無いかもしれません。ヴラド殿は、御自身が傑出した兵器そのものと言えますな」

「然り。さりとてルスケスには遠く及ばぬ」

「それでもやりますか」

「やるのだ」

「…実はお聞きしたかった事があるのです」

 と、エルヴィが2人の会話に割り込んだ。

「この戦い、無論負けるつもりはありませんわ。しかし勝ったその後、公はどうなさるおつもりなのです? 先の日本行きの話の際、公は身の振りを一切仰いませんでした」

「身の振りか」

 はは、とヴラドは乾いた笑いを漏らした。その素っ気無さに、エルヴィは幾分の焦燥を感じる。ヴラドは恐らく、自身の先行きに見切りをつけるつもりなのだ。ヴラドは彼女の心を汲むかの如く諭した。

「私は伝説上の吸血鬼だ。伝説は伝説のまま終わるのが良い。教授が息絶えた時、全てを終えた後はそうあろうと心に誓った」

「…愛してらっしゃったのですね、ヘルシング卿を」

「愛とは様々な形があるものだ。かの者の為なら命を捧げようぞと、思えた者に会えた私は幸せであった。しかし汝らは生きるのだ。そして吸血鬼の終焉を見届けよ」

 ヴラドは其処で話を区切り、雑居ビルの出口に向かった。既にエントランスでは、同道するハンターのドグが待機していた。真下界に赴くマティアスと梁も。新祖防衛戦の参加者達とは、既に挨拶を済ませている。ルスケス陣営に対抗する者達は、これより三者三様の戦いに赴くのだ。何れか一つが失敗しても、取り返しは困難を極めるだろう。

「じゃ、行こうぜ」

 あっさりとドグが述べ、彼らは戦野の真っ只中に繋がる扉を押し開けた。

 

 

VH0-7:終>

 

 

○登場PC

H5-7:真下界篇

・マティアス・アスピ : ガーディアン

 PL名 : 時宮礼様

・梁明珍 : マフィア(庸所属)

 PL名 : ともまつ様

 

VH1-7:血の舞踏会篇

・カスミ・鬼島 : 戦士

 PL名 : わんわん2号様

・風間黒烏 : スカウター

 PL名 : けいすけ様

・砂原衛力 : スカウター

 PL名 : M原様

・ダニエル : 月給取り

 

・ディートハルト・ロットナー : ポイントゲッター

 PL名 : みゅー様

・フレッド・カーソン : ポイントゲッター

 PL名 : 白都様

・マリーア・リヴァレイ : 月給取り

 PL名 : 蒼夏様

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

 

VH2-7:アウターサンセット篇

・エルヴィ・フォン・アスピヴァーラ : 戦士

 PL名 : 朔月様

・ドグ・メイヤー : ポイントゲッター

 PL名 : イトシン様

・ロティエル・ジェヴァンニ : 戦士

 PL名 : Yokoyama様

 

 

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ルシファ・ライジング VH0-7【舞踏会前の小休止】