先のノブヒル一家惨殺事件はノブレムに属する吸血鬼達に、様々な波紋を呼び起こした。

 吸血鬼は風変わりな「この世ならざる者」だ。人間とは互いを天敵とみなす立場でありながら、そのくせ元人間としてのメンタリティを維持している。つまり価値観が人間同様に多種多様である事を意味し、人間に害を及ぼすか否かの2パターンで分けられる他のこの世ならざる者とは別物と言えた。よって事件に対する捉え方も、おおよそ千差万別である。率直に子供殺しに怒りを覚える者も居れば、火の粉が我が身に降りかかりはしまいか、それだけを心配している者も居る。そして一体何を考えているのか分からない者も。

 さしあたってその男は周囲の吸血鬼から、意味不明の行動をする男、という風に見られている。こうしてノブレムが徐々に切迫した状況に追い込まれているにも関わらず、その男はシェイカーに牛の血とタバスコと塩とパセリとビネガーとオリーブ油を混ぜ、力一杯シェイクした後グラスに注いで一気飲みし、げぼはあと台所に吐き出していた。

 

<ノブレムのアパルトメント>

「不味い! 牛の血・ドレッシング風味が大失敗!」

 口に残ったおぞましい液体を、リヒャルト・シューベルトはペッペッペと吐き出した。ダイニングに繋がったリビングでは、たむろする幾人かの吸血鬼達が、彼をぬるい目線で見やっている。フレイアによるウォッカと牛の血のカクテルにインスパイヤされたのだよ、とはリヒャルトの言だが、不味いものを更に不味くしてどうすると、それが他の者達による所感であった。

 しかし誰に何をどう思われようと、そんな事はリヒャルトには関係ない。大事なのは自分が何をするか、のみである。彼はノブレムの吸血鬼にあって、最もリヒャルトを愛する男なのだ。ロミオとジュリエットを自分に置き換えれば、それは2人とも私だ。自分の顔をおかずに御飯三杯は余裕。今度生まれ変わるとしたら、自分になりたい。そう言い切ってしまえるのがリヒャルト・シューベルト。御歳92歳である。人間の頃は、もっと真面目な男だったらしい。それが吸血鬼になった際、頭を強打して今に至っている。彼も色々と大変だったのだろう。本当に大変であるのは、頭の中身かもしれないが。

 リヒャルトは華麗に(と自分では思っている)スキップしながらリビングにのうのうと入ってきた。他の者達の腰が引ける。自分には話しかけないで欲しいという態度が露骨過ぎて少し悲しい。しかしリヒャルトは意に介さず、と言うより自分の事しか考えずに、フレイアの肩に手を置いた。彼女の肩が跳ね上がる。

「フレイア、日々是スマイルだよ。そんな普段からお小水を我慢しているような顔をして楽しいかね。まあ、楽しくないから仏頂面なんだろうが、それでも君、笑いたまえ。笑顔は家族円満の秘訣だと、無着成恭先生が子ども電話相談室で言って」

 いたよ。まで言えず、リヒャルトはフレイアによる盛大なアッパーカットを食らって吹っ飛ばされた。結局一言も口をきかずに部屋を出て行くフレイアの怒らせた肩には、しっかりとピースマークのピンバッジが張り付いていた。

 作戦成功である。リヒャルトはノブレムとそうでない吸血鬼を識別する為の目印をレノーラに上申し、それを受けてノブレム内ではピンバッジの装着が奨励されていた。それに最後まで抵抗していたのがフレイアだったのだ。恐らくであるが、かの所行がフレイアに気付かれた際には、リヒャルトもただでは済むまい。

「全く、やる事が姑息ね」

 月給取りのジュヌヴィエーヴが、即座に起立して手鏡を覗き込むリヒャルトを一瞥し、フレイアに続いて席を立った。

「ジューヌ、こうして打ち倒されてしまう私も何となく美しいとは思わないか?」

「話しかけないで。私はおまえが嫌い。こんなに大変な時に、ふざけている奴が嫌い」

 ジューヌはそっぽを向いて、さっさとリビングを後にした。残されたリヒャルトは、分からない顔を他の者達に向けた。

「私の美しさに嫉妬しているのだろうか?」

「何でそうなる」

 

「フレイア、ちょっといいかしら?」

 自室に戻ろうとしていたフレイアが、その声を受けて振り返った。そして目線を下に向ける。自信より一回り低い位置に彼女が居た。キティ。戦士級。実年齢は18歳だが、子供の頃に吸血鬼化した為、年恰好は可憐な少女そのものである。比較的フレイアとも歳が近く、2人は不思議と馬が合った。

 フレイアはキティを部屋に招き入れ、彼女に椅子を用意すると、自分はベッドに腰掛けた。部屋には書棚があり、所謂文豪の作品がずらりと並んでいる。それ以外は何もない。キティにはその自覚は無いが、吸血鬼になると情感に乏しくなるという話は、当たっているのだろうと思う。キティはテーブルに頬杖をついて、深く息を吐いた。

「全く、今回の件は迷惑な話だわ」

「私達への嫌疑かい? まあ、人間ってのはそういうもんだろうさ。共存なんざ、おためごかしもいいとこだよ」

 フレイアらしい言い回しだと、キティは思った。

 吸血鬼の地位向上を願うキティにとって、一家惨殺事件は最悪の出来事だった。この事件の犯人を一刻も早く捕まえて汚名返上の機会にしたいと、キティは心底考えている。しかし情報はあまりにも少なく、まずは身内から話を聞いて行こうと彼女は思い至った。フレイアは周囲から浮き気味の存在で、だからこそ他の者が感知していない何かを知っているかもしれない。キティは会話に角が立たぬよう、慎重に言葉を選んだ。

「共存。共存ね。私はレノーラを尊敬しているけれど、彼女の言う共存は後ろ向きに過ぎると思うの。あらゆる面で人間に譲歩して、牛の血で我慢し、それでもこうして人間は、ハンター達は私達を敵視する。私が願うのは人間同様の尊厳を吸血鬼が持って当たり前になる事」

「その通りさ。こちとらのフラストレーションも限界に近い。人間に戻るだと? そんな馬鹿な」

「でも、縦横無尽に吸血鬼が力を振るえる未来は、人間の社会に紛れている限り有り得ないのよね。だって向こうは数が多いもの。人間を敵に回すのは良策じゃないわ」

「まあ、確かにね」

「取り敢えず現状維持ね。先の事は、先で考えましょう。今は例の犯人を、何としても捕まえないと」

「キティ、あんたも人間に日和ったクチか?」

「違うわ。尊厳の問題よ。吸血鬼が人間を捕食する事を私は否定しない。そういう生き物だから。でも、ひと家族の首を皿に盛り付けて内臓を刻むなんて、其処までの出鱈目をやる奴はノブレムに居ないわ。私は吸血鬼としての尊厳を、あるべき位置まで戻したいだけ」

「ふん。大皿に載った子豚の丸焼きと、大して変わらない気もするけどね」

「子豚の丸焼きと首の盛り付けが決定的に異なるのは、悪意が介在しているか否かだと私は思う。だってあのやり口は、悪意の塊じゃない。それにもう一つ、おかしな点もある」

「おかしな点?」

「そうよ。まるでハンター達に対して、ノブレムに目を向けて下さいと言わんばかりじゃない。組織的な第三者介入の可能性が高いわ」

 ここからがキティの本題だった。

 既に吸血鬼やハンターの中にも、ノブレムではない吸血鬼集団が存在する可能性を察知している者が居る。キティもその1人だ。

「あのやり口から察するに、残念ながら犯人が吸血鬼である可能性は高いわ。でも、一切出入りの痕跡を残さずにあれだけの事をしてのけるなんて、普通の吸血鬼に出来ると思う?」

「出来ない。私達は悪霊じゃないんだ。ならば、犯人は吸血鬼じゃないんだろうさ」

「女帝級だったら?」

 漫然と床を眺めていたフレイアの瞳が、ぐるりと上向いた。

 女帝・皇帝級は吸血鬼の最強類だ。戦士級を遥かに上回る身体能力に加え、彼らには得体の知れない異能力が備わっている。犯人がその力を駆使出来る者だとしたら。キティはフレイアが興味津津に聞き入っている様子には気付かず、更に言葉を続けた。

「実は、レノーラにも聞いていたの。そういう強大な吸血鬼に心当たりは無いかって」

「彼女は何と?」

「大昔には居たそうよ。でも、人間と吸血鬼集団の最終決戦でみんな死んでしまったらしいわ。だから犯人が女帝級かもしれないって私が言うと、黙っちゃった。何処か不自然な気がするけれど。フレイア、あなた、レノーラ以外の女帝級に心当たりはある?」

「無いよ、そんなもん。あるんだったら、一度会ってみたいもんだね」

「そうね。私も会ってみたい」

 キティのそれは、相手が何を企んでいるのかを探りたいという意味だったが、フレイアは違った。

 フレイアがベッドに己が身を横たえ、キティに背を向ける。キティには見えないところで、フレイアの顔は暗い喜びに満ち満ちていた。

 

 リビングに入ってきたレノーラは、何時にも増して深刻な顔をしていた。普段は彼女から挨拶をしてくるのだが、今日は考え事に耽っているようだ。ヴィヴィアンの3度目の呼びかけで、ようやくレノーラはハタと顔を上げた。

「ああ、ごめんなさい。何?」

「…何か心配事でもあったの?」

「大丈夫よ。大丈夫。ところで何処かにお出かけ?」

 外出する格好のヴィヴィアンを見、レノーラが問う。

「ノブヒルに行ってくるよ。あの事件に関しては、とにかく手がかりが無いからね。取り敢えず歩いてみる。ちょっとした違和感とか、そういうの、ボクは察知し易いからさ」

「ああ。ヴィヴィアンは勘が鋭いものね…」

 やっぱり、と、ヴィヴィアンは感付いた。レノーラの受け答えは、何処か上の空だ。普段は隠し事などしない彼女ではあるが、今は明らかに何かを内に秘めている。それを問い質すつもりはヴィヴィアンには無かったが、こうして向き合うのも機会だと判断する。16歳の若さで、ヴィヴィアンは率直に話を続けた。

「レノーラ、敵は強いよ」

 レノーラの眉が僅かに動く。

「吸血鬼にせよ、何にせよ、それはハンターだけでなく、ボクらにとっても敵になると思うんだ。ボクらは早晩戦わなければならない。でも、このままじゃ駄目だ。もっと強くならなきゃ。レノーラ、ボクはあなたに命を救われた恩を片時も忘れた事は無い。たとえ吸血鬼になったのだとしても、こうして存在出来る幸せを、あなたはボクにくれたんだ」

「ヴィヴィアン…」

「ボクは強くなりたいんだよ。もっと強くなりたい。何れあなたを守れる程に。あなたを守れる程の力とは、即ち皇帝への道程と同じだ。レノーラ、あなたの血を吸えば、ボクも皇帝級になれるのかな?」

 場はレノーラ以外にも何人か居たのだが、ヴィヴィアンの呟きと共に、リビングはシンと静まり返った。皆、彼が何を言っているのか分からないという風である。肝心のレノーラはと言えば、じっとヴィヴィアンを見据えていた。その瞳に、特に感情の色は無い。それが逆に圧迫感となって、思わずヴィヴィアンは半歩片足を後ろにずらした。

 レノーラは目を閉じ、首を横に振る。

「違うわ。それでは皇帝になれない。普通の吸血鬼があの位に辿り着くには、真祖の力が必要になる」

「真祖? どうすればいい?」

「私の口からは、死んでも絶対に言わない。破格の力と引き換えに、恐ろしい目にあう。心が粉々に砕け散るような。私はそれを克服出来るようになるまで、途方も無い時間を費やし、大切な人を失ったわ」

 それきりレノーラは、何も語ろうとはしなかった。

 

大聖堂男子学校

 ランチを済ませたエレメンタリーの生徒達は、万国共通で底無しに元気なものだ。規律に厳しいこの学校でも、昼休みまで拘束される謂れはない。今日もさして広くない校庭を、生徒達が縦横無尽に遊び回っている。エレメンタリーとは、こういうものだ。

 ころころと校庭の隅に転がったボールを、一年生の生徒が追いかける。拾い上げて土埃を払い、ふと目を上げると、何時の間にか正面に誰かが膝を抱えて座っていた。男の格好をしていても、女の人だとはすぐに分かった。生徒が首を傾げる。ついさっきまで、誰も居なかったはず。外で知らない人と話をしてはいけないと、先生や母親から教えられていたものの、サングラスから覗く目は随分優しそうだ。それにここは学校の中だから大丈夫。生徒は好奇心に任せて、彼女に話しかけた。

「おねえちゃん、だれ?」

「マリーア・リヴァレイ。それが私の名だ」

 固い口調とは裏腹に、マリーアの言い方は穏やかだ。益々生徒は安心して、ボールを友達に投げ返し、彼女の隣に座った。

「ぼくのなまえはラッド・ジェンキンスです」

「ほう、立派な自己紹介だ。えらいねえ」

「ママにいわれたとおりにしたんだよ」

「そうか。ママは優しい?」

「パパのつぎにやさしいよ。ねえ、マリーアさんは、あたらしいリヴァレイせんせいになるの?」

「違うよ。昔は先生だったけど、今は違う」

「ふーん。じゃあ、なんでマリーアさん、がっこうにいるの?」

 マリーアは苦笑して誤魔化そうとしたが、その考えを改めた。子供に誤魔化しなどは通用しない。かつて教師の職に従事していた時、それは常識として弁えていたはずだ。

 非常に大胆な手段であるが、マリーアは殺されたアダム・マクダネルが通う学校に潜入していた。昼の力が落ちる時間、それも月給取りの自分が、高い遮蔽を乗り越えるのは一苦労であったが、何とか気付かれずに潜り込む事が出来、今はこうして生徒に話を聞く事が出来ている。

 吸血鬼や人間は関係無く、子供と深く接する人生だったマリーアにとって、子供殺しは断固として許し難い。何か糸口になるものを求めてマリーアはここに居るのだが、長居が危険である事は重々承知している。マリーアは焦り気味の心をおくびにも出さず、ゆったりとラッドに話しかけた。

「ちょっと人を探しているんだよ。私の知っている子のお友達をね。ラッド、君はアダムという男の子は友達だったのかい?」

「うん。ひっこしちゃったけど。せんせいやおとうさんがそういってたな。あいつ、なんにもいわないでいっちゃったんだ」

「ああ、引っ越したんだ。今のアダムは、遠い所に居るんだよ。ねえ、引っ越す前のアダムに、何か変わった事はなかった?」

「よくせんせいにほめられてたよ。うたがうまいってね。カーティスせんせいが、よくうたいかたおしえていたなあ」

「歌い方?」

「じつはぼくもうまいのです。せんせいがむずかしいうたをおしえてくれます。ききたい?」

「ああ。どんな歌なんだ?」

「あっ。カーティスせんせい!」

 いきなりラッドが、手をブンブン振り回して立ち上がった。その先には、初老の男性教諭が居る。名を呼ばれたカーティス先生は、優しい顔をラッドに向けたが、すぐに表情が強張った。ラッドの隣に、見知らぬ女が居る。

「せんせい、このひとがせんせいのつくったうたをききたいって! あれ?」

 ラッドが隣を見ると、既にマリーアの姿は消えている。

 当のマリーアは、脱兎の如く脱出口へと走っていた。その道すがら、自分を凝視したカーティスという先生が、唇を動かした事を思い出す。ヴァンパイア、と彼は言っていた。

(私を一目で吸血鬼と見破るとは、ハンターか? しかしハンターにそんな奴が居るとは)

 疑問がふつふつと湧いてくるものの、それは後回しだ。急いで脱出せねば、ハンターどころか警察まで相手にしなければならなくなるのだから。

 

ノブヒル・昼

 ハンターの基本行動は、概ね以下のようになる。

 事件発生後の第一段階で、普通の警察と同じように聞き込みや現場の調査を行なう。一般人である警察が見落としてしまう怪異現象の糸口を、ハンターはそのようにして見出すのだ。

 次に動くのは夜。事前調査で仕入れた情報を元に、この世ならざる者が概ね活動を開始する夜の時間帯に合わせ、ハンター達は実戦段階に入る。

 此度は事件が起こったばかりだから、多くのハンター達が昼の行動に出ていた。ノブヒルも日中の人通りは相当なものだが、見る人が見れば誰がハンターかは見分けがつくものだ。どんなに明るい性格だろうが、彼らに共通しているのは後ろ暗い雰囲気だ。社会の歯車から外れた、普通の人としての幸せに背を向けた者達。

 ダニエルはハンターと吸血鬼が何処か似ていると、ふと思った。そうして自然に湧いてくる親近感を、しかし即座に打ち消して観察を続行する。観察の対象はハンター。この事件に関わる彼らの行動を、逆に調査するのだ。

「イーライ、無理をしなくていいよ。この場は僕1人でも問題ない」

「…ありがたい申し出だが、俺の仕事は遊撃手みたいなものだ。人間に接近する者達を守らねばならん」

「レノーラが、そう命じたのかい?」

「そんなところだ」

 イーライは大きく息をつき、通りの端に俯き加減で座っていた。目の前を通る人間を視界に置きたくなかったのだ。

 ノブレムではダニエル同様、吸血鬼が力を落とす昼に行動する者達が居た。そういう者達が何らかのトラブルに巻き込まれた時、支援をする役回りをイーライは仰せ付かっている。今はダニエルに付いているが、事と次第ではノブヒル中を走り回らねばならないだろう。真面目で義理堅い男だとダニエルは思った。

 実際、彼が傍に居るのは心強い。彼はノブレムにおいて、実質ナンバー2の力がある。いかつい顔をしているが、性根も優しい。しかし案の定、怒らせると怖い男だった。以前、いらん事言いのリヒャルトがイーライの容姿を「ストロングホモスタイル」と評し、コークスクリューブロー一発で沈められた事がある。

「何だ? 何がおかしい?」

「いや、別に。今のところは、特に目立った動きは無い。ハンターも攻めあぐねている。此度の事件は厄介だ」

「人間による陰謀を考えていたのだな、ダニエルは」

「そうさ。この事件は吸血鬼、もっと言えばノブレムにとって圧倒的に不利な状況だ。もう一押しで傾いた天秤が転げ落ちるところまで、僕らは追い込まれているんだ。サンフランシスコから吸血鬼を一掃する口実としては十分以上だろう。これは人間側に、とても利する展開だね」

「だからと言って、奴等が子供まで殺すのか?」

「勿論、犯人が正体不明の吸血鬼である可能性は高いさ。そういうラインで調査するのは当然だから、僕は違う目線でこの件を追いかけてみようと思ったんだよ。物事を見るには多角的であるべきだ。そうする事で、見えなかったものが見えてくるかもしれない」

 そう言いつつもダニエル自身、人間、ハンター側の陰謀という線は薄まっていると思い始めていた。幾人かの動向を確認したものの、彼らは件の出来事に対して律儀に向き合っている。暗中模索とも言い換えられるが。そこに狡猾な思考は見受けられなかった。それでも、現在進行形でノブレムにダメージが加わっているのは事実だ。ノブレムを瓦解に追い込まんとする何らかの意思があるのは間違いない。それだけは確信出来る。

「あらあ、お二人さん、デートですか? 声かけちゃまずかったですか?」

 と、横合いから唐突に声をかけられた。日系のカスミ・鬼島だ。周囲からの評価は「糸の切れた凧」。

「…お前もコークスクリューブローで高く飛んでみるか?」

「嫌ですわ、そんな。小学生相手に」

 確かに容姿は小学生だが、歳をとって今は16歳である。

「戦士級が昼に歩き回るのは、逆の意味で危険だよ?」

 と、ダニエル。

「ノープロブレム。そう思って牛の血パックをガッツリ買っちゃいましたから。今も其処で飲みましたよ。人間共が不思議そうに見てくるのが面白かったです」

「お前という奴は…」

 イーライが頭を抱える。

「ところで、何をしているのだ」

「歩いていました」

「何の為に」

「取り敢えずです」

 如何にも呆れた、という顔を2人が向けてくるので、カスミは少々気分を害した。

「何ですか、その目は。これでもきちんと考えているんですよ? 単独行動は控えようって。先刻までヴィヴィアンと一緒に散歩していたんですから」

「散歩か」

「ヴィヴィアン? 何処だい?」

 ダニエルが視線をぐるりと回すと、カスミの言うようにヴィヴィアンが、向かいの通りに立っていた。彼はしばらく坂の上を眺めていたが、こちらを認めると車の通りを器用に避け、ダニエル達の元にやってきた。しかしヴィヴィアンは何も言わず、この場の一同を指差しながら数え始める。

「マリーアを見かけたから、4人。ボクを含めて5人。ねえ、イーライ。今日、ノブヒルに来ている吸血鬼はこれだけかな?」

「事前にレノーラから聞いていた人数には合致する」

「そうか」

 ヴィヴィアンは腕を組み、思案した。そして面を上げ、眉を潜めて曰く。

「多分だけど、他にも吸血鬼が居る。この昼日中に。それも複数」

「何だと」

 イーライは立ち上がって周囲を凝視した。他の者達も倣い、注意深く人の流れを観察する。少なくとも、見た目で吸血鬼かそうでないかを判別する手段を、吸血鬼自身も持ち合わせていない。

「確かなのか?」

 と、ダニエル。対してヴィヴィアンは、首を傾げた。

「勘だよ。でも、それはハンターとも違う雰囲気の殺気があるんだよ。ボクらは監視されている。間違いないね」

 それは由々しき事態だった。間違いない、と言い切った時のヴィヴィアンの勘は、高い確率で当たっているのだ。

 

ジェイズ・ゲストハウス

 非常に稀な例だが、ジェイズに出入り出来る吸血鬼が居る。

 強固な霊的防御で固められたゲストハウスは、大抵のこの世ならざる者の接近を弾き返す事が出来る。しかし吸血鬼の中でも極一部に、ジェイズから立ち入りを許された者が居た。ハンターの只中に吸血鬼が入り込むなど、本来は八つ裂きにされても仕方が無いのだが、少なくとも彼はジェイズにとって安全な吸血鬼なのだ。何しろ当のジェイズ・ゲストハウスが、「この者は入って良し」という判断を下したのだから。

 とは言え、大っぴらに「吸血鬼でござい」と言って酒場に入る訳ではない。その者が吸血鬼である事を知っているのは、マスターのジェイコブ・ニールセンかジョン・マクベティ警部補くらいのものだ。

 アレックス・フィッシャーは、ニカッと笑いながら扉を閉め、グラスを拭いているジェイコブと、相変わらず酒を飲んでいるマクベティ警部補に手を振った。ジェイコブが苦笑しつつ、手招きする。

「また来たか」

「酒場の繋がりは大事だからね」

 武器の手入れに勤しんでいるハンター達は、間を縫って歩くアレックスに目もくれない。アレックスはカウンターにつき、警部補の隣を陣取った。ラフに片手を挙げ、警部補が挨拶を寄越す。まだ本格的に酔ってはいないらしい。

「大変だな、おめえらのとこも」

「まあ、そうですね。レノーラさんも怒り心頭ですよ。あの一件に関しては」

「その怒りがこっちに向かわない事を祈るぜ」

「今日はどうしたんだ? 遊びに来た訳でもあるまい」

「偶にはしがらみを忘れてスコッチでも飲りたいとこなんですけどね」

 タイミング良く出されたスコッチのグラスを片手に、アレックスは本題に切り込んだ。

「ねえ、警部補さん。例の事件、死体に噛み付いた痕はあったんですか?」

「切断面に歯形は検出されていた。あんまり嫌な事を思い出させるなよ」

「ごめん、ごめん。そうか。首を切り落としてから血を啜ったのか…。俺達だったら、普通はいきなり首に噛み付くんだけど。あ、俺はそんな事しないから。で、ジェイコブさん、殺してから血を啜るってのはどうだと思う?」

「どうって言うのは?」

「吸血鬼は生き血を啜るものだ。それを死体にしてからなんて、変じゃないかって話さ。死体の血は吸血鬼の数少ない弱点の1つですよ。その弱点をわざわざ飲み下すなんて」

 なるほど、と呟き、ジェイコブはニヤリと笑って真空パックの牛の血をカウンターの上に放った。

「いい線をいっているが、惜しいな。この血は死んだ牛の血だ。そいつを君達が主食にしている点に注意してみよう」

「げ。まさか、鮮度が問題になるんですか?」

「正解。殺した直後なら、まだ問題ない。凄く大雑把な言い方をするなら、死んだ直後だったら生気が抜けていないんだ。真空パックなんてものを考え出したのは、率直に上手いと思うぞ。人間の血は時間が過ぎると生気が抜ける。その生気が抜けた血は、君達にとって毒になる。レノーラが言っていたが、不死の体に“死”が入り込むって奴だ。こいつはどれだけ強大な吸血鬼であっても相当な毒になるらしい」

「そうですか。犯人が吸血鬼じゃない論拠を考えてみようと思ったんだけど」

「気持ちは分かる。ノブレムにとっては辛いところだろう」

「残念だったな。残念記念に、その牛の血を俺がプレゼントしよう」

「ジョン、そいつは俺の持ち物なんだが。まあ、持ってけ。月給取りには、あんまり必要ないかもしれんが」

「同じ真空パックなら、献血ルームの人間の血の方が嬉しいな」

「そいつぁ、お勧め出来ん。人間の血に一旦慣れると、エスカレートしちまう。マリファナからヘロインって流れと同じだ」

「それで我慢してくれ、とはあんまりな言い方だとは分かっている。すまないな」

 ジェイコブと警部補の気遣いは有難かったが、彼らの言う通り、アレックスには辛いところだった。今のノブレムは、レノーラと共に培ってきたものという自負がアレックスにはある。その苦労を台無しにする所行を、犯人は恐らく笑いながら仕掛けてきたのだ。仮に同じ吸血鬼なら、一体何故と問いたいものだ。

「…首を切る、か。吸血鬼が唯一死ぬ手段をわざわざ行使して来たってのが、嫌だな。ところで死んだ御家族が、実は吸血鬼だったって事はありませんよね?」

 そう言うと、ジェイコブと警部補は怪訝に顔を見合わせた。勿論、そんな事はなかった。

 

奇襲

 夜も随分更けた頃合。

 ミッション地区から北に上がって東に向かう道中、吸血鬼達は敢えてノブヒルを経由する事にした。其処からバイト先のチャイナタウンは近いし、もう少し歩けば生肉加工場へ辿り着ける。

 ヴィヴィアン、ダニエル、カスミ・鬼島。彼らはこれから夜勤のシフトに入るのだ。吸血鬼と言えども、小遣いくらいは持っていたいし、光熱費は折半しなければならない。貧乏所帯は大変なのだ。金欠に喘ぐ日々を少しでも楽に過ごそうと3人が努力しているにも関わらず、ついてきたイーライは何も仕事をしていない。

『組織の不穏分子』

 3人が揃ってイーライを指差した。憮然とした顔になるも、イーライは言い返せない。何しろ本当の事だから。

「ヴィヴィアンが言っていた件が心配なのだ。これはお前達をガードしようという配慮だぞ」

「私、強いですし」

「戦士級が2人も居るんだけどね」

「イーライはきっと、仕事をしたら負けかなと思っているんだよ」

「そんなはずがあるか。俺だってバーテンダーくらいはした事がある」

「嘘だあ」

「いや、本当だ。詳しくはスーパーナチュラル2ndの第4話を」

 と、イーライが足を止める。前を歩いていたヴィヴィアンが、棒のように立ち尽くしていたからだ。

「どうした?」

「居る」

 その一言に、察しがつかない者は居ない。彼らはすぐさまダニエルを中に入れた円陣を形成し、周囲を見渡した。

 ここはまだ、ノブヒルの手前だった。ヴィヴィアンが言うところの「何か」は、彼らの行く手を遮るように展開している。「何か」は複数。五感が極度に発達した吸血鬼達にも、そろそろ敵の足音が聞こえ始めていた。周囲に一般人は居ない。誰の姿も見えない。「何か」は身を隠しながら、確実に接近を開始している。1、2、3、4。

「7人」

 ヴィヴィアンが絶句した。

「ハンターか?」

「違う。戦意が捻じ曲がっている」

「例えば、私のように?」

 ケケッ、と呻くようにカスミが嗤った。敵は同族。吸血鬼。

 一斉に包囲の輪が縮まり、敵が恐るべき速度で距離を詰めてきた。イーライがダニエルを抱えて全速後退し、その前をヴィヴィアンとカスミが固めて同じく下がる。その間にも掠めるように敵は追い縋ってくる。彼らは高速機動を仕掛けてくる敵の姿を視認出来た。男が5人。女が2人。姿形はまちまちだが、奇妙な事に全員が仮面を装着している。マスカレイドに使う、奇妙で不気味な仮面を。

「何故攻撃してこない!」

 と、ヴィヴィアン。

「じゃあ先手を打てば好都合。殺していい? こいつら殺しちゃっていいですか!?」

 言うが早いか、カスミは歯茎から無数の牙を剥き出し、呼応して目を真っ赤に染まらせ、反転して未知の集団に踊りかかった。桁違いの早さで包囲を破り、カスミが孤立した1人に襲い掛かる。カスミは「狂乱持ち」だった。一時的にではあるが、その身体能力は皇帝・女帝級のそれに匹敵する。並の戦士級であれば完全に圧倒出来るはずだ。しかし。

 首を狙ったカスミの手刀が、渾身の力で掴み止められた。そしてカスミは見る。相手の女は、露出した顎から牙が迫り出していた。そして仮面の奥に覗く、充血した目。

「お友達ですか! 嬉しいなあ!」

「狂乱持ち同士、しっぽりやりましょう!」

 ゲタゲタと笑い合いながら、ほとんど視認出来ぬ速度の格闘戦が始まる。その頃にはヴィヴィアン達も、行く手を遮られて進退が窮まっていた。

「初めまして、ノブレムの諸君」

 男と思しき者が、優雅に一礼した。ヴィヴィアンが前に進み出る。イーライもダニエルを下ろし、ヴィヴィアンと肩を並べた。

「何者だ」

 ヴィヴィアンの問いに、男は仮面を揺らした。笑っているらしい。

「何者と問われれば、我が名はAと言っておこう。B~Gまで一通り揃っている」

「ふざけるな。殺すぞ」

「では答えよう。我々は『仕える者共』」

 ヴィヴィアンはイーライと顔を見合わせ、背後のダニエルを顧みた。ダニエルは、首を横に振っている。

 彼らは一から十まで唐突だった。サンフランシスコに来て以来、彼らはノブレムが初めて接触する、ノブレム以外の吸血鬼である。差し当たって、それ以上仕掛ける意図は見受けられない。ヴィヴィアンとイーライが手にした獲物を下げる。男は、満足そうに頷いた。

「この先の先で、ちょっとしたイベントがあるんだ。取り敢えずお引取りを願いたい。その埋め合わせと言っては何だが、どうだろう。我々の仲間にならないか?」

「仲間だと?」

 途端、カスミが通りの向こうから吹き飛ばされ、ごろごろと転がってきた。息を荒げて、カスミは白目を剥きかけている。どうやら『狂乱』のリミットが過ぎたらしい。彼女が相手をしていた者も、よろよろと立ち上がりながら、しかし敢え無く倒れ伏した。

「G、しっかりしたまえよ」

 鼻で笑うAを他所に、ダニエルが進み出てカスミを抱き起こす。そして目の前の男、Aを睨み据え、言った。

「惨殺事件を起こした者に、関係しているんだな?」

「そうだよ」

「犯人は吸血鬼か。残念だ。君達は、何と惨い事をする」

「惨い? 息を吸って吐くように、吸血鬼は人を食う。おかしいのはお前達の方さ。しかし、無理をする事はない。楽になろうよ、みんなで。レノーラの言う事なんて聞くな。最後に勝つのは、我々であるしな。もう一度言おう。仲間になりたまえ」

 ダニエルは大きく呼吸し、吐き下す息と共に、Aへと言葉をぶつけた。

「くたばれ」

「お前は要らない」

 Aが爪を後ろに引く。咄嗟、ダニエルを庇うようにヴィヴィアンが出、チェーンを取り出す。しかしイーライは動かない。不敵に口元を歪め、Aを見据えている。それが意味するところを、Aは瞬時に理解した。

「退くぞ」

 仕える者共の連携は見事だった。Aの一言で彼らは来た道を猛然と逆走し、中途でGを拾い上げ、パッと散り散りになった。

 それと同時に、黒い塊がヴィヴィアン達の背後から、音も無く飛び込んで来た。立ち上がるその者を見、ヴィヴィアンとダニエルが驚きの声を上げた。

「レノーラ!?」

「良かったわ。間に合って」

 髪をかき上げつつ、レノーラはヴィヴィアンの胸元を指差した。ヴィヴィアンはハタと気付いて、首飾りを手に取る。

「お守り?」

「そう、私のまじない込み。$10のお買い得品」

「あ、僕も持っている」

「ちなみに俺もだ」

「それを持っていると、持ち主に危急が迫った時、私が察知出来る可能性がある。或る程度だけど、その場の状況も見える。持ち主が複数居れば、察知の確率が更に上がる。おかげであなた達の元に駆けつける事が出来た」

「単なるお遊びレノーラグッズかと思っていたよ」

「無駄の中に宝があるものよ」

 言って、レノーラは気を失ったカスミを背負い、皆を促した。

「帰りましょう。今日のアルバイトは休みなさいな。話したい事が沢山ある」

「敵について、かい?」

 と、ダニエル。

「そう、敵。人間の敵が人間であるように、私達もまた」

 しかし、とレノーラは思った。吸血鬼は追い込まれた存在である故、血族への共感が人間のそれよりも強い傾向にある。

 確かに彼らはひどく乱暴なコミュニケーションを仕掛けてきたが、より吸血鬼らしいと言えば、その通りの者達だ。彼らに心を移す者が、何れ出るかもしれない。それはレノーラにとって、辛い事だった。

 

 こうして危急の場に、レノーラは現れた。しかし、ほぼ同じ時間帯で発生したもう一つの厄介事に、彼女は未だ気付いていない。

 実はそれが、彼女らが言うところの「敵」の、真の狙いであった。

 

 

<V2-1:終>

 

 

○登場PC

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

・ヴィヴィアン : 戦士

 PL名 : みゅー様

・アレックス・フィッシャー : 月給取り

 PL名 : ぺここ様

・カスミ・鬼島 : 戦士

 PL名 : わんわん2号様

・キティ : 戦士

 PL名 : ウィン様

・ダニエル : 月給取り

 

・マリーア・リヴァレイ : 月給取り

 PL名 : 蒼夏様

 

 

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ルシファ・ライジング V2-1【吸血鬼の模索・2】