<愛と勇気『だけ』が友達さ>

『基本的にはね、無意味な行動というものは「無い」んだよ。行動するという事は、つまり何らかの意図があるはずなんだ。たとえ普通では想像し辛いような意図であってもね。だから、今回のアウターサンセット周辺域における模造吸血鬼の暗躍について、その意図を読み取る事がとても大事だと僕は思うんだよ』

 リヒャルト・シューベルトは巨大な頭を揺らし、けだし尤もに言った。二つ並びのチェアの隣に座るジェームズ・オコーナーは、そんなリヒャルトにぬるい眼差しを向け、何も応えようとはしない。

 言っている内容は、実にまともだった。アウターサンセット周辺に出現し始めた模造吸血鬼は極めて躍動的で、まるで「さあ現れましたがどうしますか」と言わんばかりに存在を誇示している。ドラキュラ公は「平定せよ、秩序を戻せ」とノブレムの一同に伝えたが、恐らく彼にしても、これがただの賑やかしではないのは想定済みなのだ。だから対処し、何を為そうとしているのかを知る必要がある。そう、リヒャルトは実にまともな事を言っている。しかしまともでないのは「声」と「風体」だった。

 その声は、とても張りがあって素晴らしく透りの良い、少年らしさを出しつつも美しい『女性の声』である。そして頭に、何か変なものを被っている。被り物は不動の笑顔を貼り付け、ふくよかであり、恰幅も良い。スマイリー君をプレス加工したような代物だった。どうやら何かのキャラクターらしいのだが、ジェームズは何が何だかさっぱり分からない。分からないから黙っている。しかし分からないままにしておくのも癪だったので、遂に聞いてしまった。

「一体お前は、何なんだよ」

『ええっ、僕を知らないの?』

 ジェームズによる右ストレートが被り物の旨そうな左頬に決まった。モグッ、という奇妙な擬音と共にリヒャルトの顔が無様に凹む。

『凹んだぁ!? 何て事をするんだ。凹んだじゃないか。折角パン屋のおじさんに作ってもらったのに!』

「パンを被っていたのかよ。って、その顔は全部パンなのか」

『そうさ。子供に受けのいいキャラクタだと聞いたからね。ちゃんと声も工夫したよ。戸田恵子ボイスチェンジャーを買ったんだ(注:調べてみましたが、そんな玩具は現実にありません)。我が友、ハンターの風間君が結婚もしていないのに子持ちになったのは知っているかな? その子が新祖ジュヌヴィエーヴに一時預かりと相成ったワケ。そうなると僕としても情操教育に一枚噛んでみたくなるじゃない。で、これを一本決めてみた。そして締め出されて今に至る。何故なんだろうか。何故なんだろうね? こんなに上手く件のキャラを再現出来るのに』

 言って、リヒャルトは頭に手をやり、ガサゴソと回した。ガポッと引っこ抜ける音と共に、被り物と胴体がきっちり分かれる。ジェームズに差し出し、リヒャルト曰く。

『さあ、僕の顔をお食べ。食べ進めると、びっくりするものが出てくるよ』

 ジェームズは被り物を小脇に抱えて立ち上がり、二階窓を開けて盛大に放り捨てた。

『何て事を! 食べ物を粗末にする奴は』

 庭で被り物が何か喚いているが、ジェームズは容赦なく窓を閉めた。そして残された胴体はオロオロと歩き回り、あちこちに体をぶつけつつ階段を降りて行く。

 ジェームズは疲れた。そして思う。何故だと。俺は何故、こうも毎回リヒャルトのくだらない出し物に付き合わされるのかと。

 

新アジトにて

「御提案通り、彼は締め出しておきました」

「全くもって賢明な判断だと思う」

「貴公には物理面での多大な助力を頂いておりますゆえ。貴公のお子なりますれば、その健やかなる成長の妨げになる事は、私としましても除外するに躊躇はしません。かの者、悪意はありませんが趣味が底辺を彷徨っております。何にせよ、ミラルカをしばし預かる事に関しては御安心下さい。養育費としては些か大き過ぎる金額でありますが、戴きましたお金は大切に使わせて頂きます」

 新祖ジュヌヴィエーヴは丁重に頭を下げた。赤子となったミラルカと、彼女の養育費を預けに来た風間黒烏は、形式がかったジューヌの応対に首を傾げた。吸血鬼から人間へ戻るという大変革を経た彼女は、風格を伴った人格へと変貌しつつある。奇妙な話だが、月給取り階級の頃の方が、まだ人間味があったと思える。

「ミラルカを預けたのは、この子の安全を確保する為だけじゃないんだ」

 風間はジューヌに抱かれるミラルカの寝顔を眺め、立ち上がって言った。

「女性として子育てに携わる。それは人として立ち返る貴女に良い影響を与えるだろう。それを期待している」

「御助言に感謝致します。私も、今の私に躊躇を感じる向きは、無いではありませんゆえ」

 立ち去る風間を見送り、ジューヌは表情が伺えない目をミラルカに向けた。こんな自分でも安心しきって身を預けるミラルカを、ジューヌは不思議に思う。

「何と、珠のような子である事よ」

 ジューヌは別室にミラルカを寝かせ、応接室に戻って控えていた吸血鬼達を招き入れた。人間とは言え、新祖である自分に牙を突き立てる考えがそもそも有り得ない彼らだが、ミラルカの存在に動じない者は極一部でしかない。

 レノーラを始めとした一同が続々と着座する様を見、不意にジューヌは眉をひそめた。

「リヒャルトは何処に?」

「パンに挟まった頭が上手く取れないらしい。予め言うが、突っ込まないでくれ。もう話すのも面倒臭い」

 ジェームズが目元を押さえて言葉を搾り出し、ジューヌも敢えてそれ以上は聞かなかった。そしてレノーラに目配せをする。ジューヌが形式的な統率者になり、ヴラド公が復活成った今であっても、ノブレムの実戦面でのリーダーはレノーラである。彼女は腕を組み、仲間達1人1人に目を向けて言った。

「アウターサンセットの戦いは楽ではない。敵は量産型の吸血鬼が主ではあるけれど、これを指揮する者が厄介だわ。リヒャルトとジェームズの見立てでは、Bという者であるらしいわね」

「件の場所での模造吸血鬼の動き方は、統率があまりにも取れている。兵の使いに関しては、一番上手い奴らしいからな。尤も、これは消去法の話だぜ。使える者共も随分数が減っちまった。今はBと」

「それにGが居るッスよー。シーザ・ザルカイちゃん」

 椅子に寝そべる勢いで深く腰掛けつつ、カスミ・鬼島が相変わらずの調子で言った。

「出て来ますよ、彼女。ノブレムへのお披露目って奴でしょーね」

「お披露目?」

「彼女、間違いなく帝級になってます」

 その言葉に、場が静まり返る。前回も彼女とは接触しているカスミの言う事であるから、確度は高い。

「…もしも帝級が出て来るのであれば、対処は私が」

「自分に任せて貰えないですかね?」

 カスミが有無を言わさずレノーラの台詞を遮った。Gとの因縁に関し、カスミのそれは余りにも深い。キティが何気にカスミの背を軽く叩いてやる。飄々としていながらも、カスミは純粋で一途だ。事への入れ込み方が破滅と表裏一体に思える。落ち着いて、心を保って。掌にそのような意思をキティは持たせたが、当のキティも幾ばくかの不安が無いではなかった。

「一体何時まで続くのでしょうか、この戦いは。ひたすら際限なく殺し合って。かつて人間であったという意味では、彼らも同じ者ではないのかと思うのです」

「本当の意味での敵は、ルスケス以外には居ないと私は思っている」

 キティの言わんとするところを汲み、レノーラが静かに言った。

「ルスケスを倒せば、全ての吸血鬼が新祖の系統となる。私達が争い合う理由は名目上無くなるわ。しかし其処に辿り着くまでを凌がねばならないし、もしも戦後を考えるのであれば、かつての敵と手を携え合う事は難しいでしょう。一旦爆発した憎悪を打ち消すのは簡単ではないから。それはかつて人間だった私達に当てはまると思う」

 

 アウターサンセット警邏に向けた各々の役割を確認し、場は解散となった。応接室を去ろうとするレノーラを、ダニエルが呼び止める。

「この新しいアジトについてだけど」

 ダニエルが言った。

「これはハンター側に何処まで秘匿されているのかな?」

 ダニエルの問う意味に多少の理解を要したものの、レノーラは滑らかに答えた。

「この屋敷の提供に関わった2人のハンター。私が把握しているのは、それだけね」

「こうした秘匿はハンター、ノブレム間の信頼関係を損なうに至る、という考え方はどうだろう」

 彼の言葉にレノーラは目を丸くしたものの、2、3頷いてダニエルの肩を叩いた。歩きながらしゃべりましょうと言い置き、「頑丈なオバケ屋敷」の階下へと向かう。

「そういう考え方が出て来てもおかしくないくらい、人間との協力関係が進んでいるという事ね。我ながら隔世の感がある」

「危惧するのは一体感の喪失だよ。敵は問答無用に強い。一枚岩になっても対抗しきれるかどうか」

「私は、決して一枚岩になる必要は無いと考えるわ」

 ギョッとした目を向けてくるダニエルを、レノーラは含み笑いを伴って受け止めた。

「吸血鬼とハンター、人間には、やはり埋めきれない溝があるのよ。その溝を認識しつつ、協調を保つというのが私の考え方。尤も、その溝を埋めつつあるのが月給取りであるあなたのような人達なのでしょうね。私はその流れを好ましいものとも考えている。でも、このアジトの場所をハンター側にある程度開示する、というのは反対だわ」

「どうしてだい?」

「そもそもこの屋敷を提供したハンター自身が、その意向を条件にしていたからよ。彼らはあらゆる形での情報流出に対し、極めて慎重だわ。だから開示に関しては私より、彼らの許可を得る必要があるという訳。尤も」

「尤も?」

「敵の情報網は侮れない。この場所、何時まで隠れ家に出来る事か」

 レノーラは外へ至る扉を開け、視線を左右に回した。そして敷地の壁面の植え込みで、がさごそと何かを隠す被り物男を見つける。被り物ことリヒャルトは、視線に気付いて狼狽しつつ、掌をブンブン振り回し曰く。

『何も隠してないから! 予備の頭なんて隠してないよ!』

「まだ戸田恵子の声なんだ」

「前の話の続きだけれど」

 フォローを入れるダニエルとは対照的に、レノーラは突っ込み待ちが露骨なリヒャルトをキッパリと無視し、早速用件を述べた。

「矢張りリーダーの件は受けて貰えないのね?」

「君は王道。私は邪道だからね」

 被り物の口に手を突っ込み、ボイスチェンジャーを外してリヒャルトが答える。

「邪道が王道に成り代わるのは禁じ手だ。君が理想とするものを叶える為の道程は真っ直ぐ続いていて、だからみんな迷わず共に歩いて行ける。私はまあ、何しろ寄り道が大好きな性分だからなあ。本当に駄目だなあ」

「自覚はあるのね」

「しかし、邪道と王道が手を組んで、外道を潰すのが戦い方としては面白い。これからもフラフラしながらついて行きますぜ、姐さん!」

「…頼りになるのか何だか分からない言い方だけど、ありがとう。私もようやく、あなたの目指す方向を理解しつつあるのかもしれないわ。その奇妙な被り物に、どういう意図を込めているのかは分からないけれど」

 言って、レノーラは顔をしかめた。しまった、と思う。ようやく被り物に言及してくれたと、リヒャルトが心底嬉しそうな顔をしたからだ。元々被り物も馬鹿みたいな笑顔であったが。否、これは余りにも失礼である。

 

アウターサンセット・夜

 夜間外出禁止が発令されたサンフランシスコであるが、そもそもアウターサンセットの周辺域は外に出る人間が居ない。市長の判断でかなりの範囲に避難勧告が出されている。地域近辺の家々は、たとえ鍵を閉めて閉じ篭っても、全く安全ではないからだ。そう遠くない内に、人々の口の端にも話題として上るだろう。災害は、人のような形でやって来ると。

 それでも、敵が野生の肉食獣を上回る危険な手合いである事は、騒動を防止する意味で伏せられている。だからこの異常状況にあって、全市民が危機感を共有している訳ではない。不用意にアウターサンセット近辺に出掛け、そのまま行方不明になる者が後をたたない現状だ。加えて恐ろしいのは、敵の活動領域が少しずつ広まっている点だった。

 早急にこの状況を解決しなければならない。それは市当局も重々承知している。しかし、これに対抗出来る組織は、この街において2つだけなのだ。

 ハンター、そして穏健派吸血鬼集団、ノブレムである。

 

 ノブレムがアウターサンセットの警戒に就いてから、市の警戒態勢は一層厳しいものとなった。これまで以上に人々の流入を抑え込む事で、敵の出方をコントロールする狙いがある。加えて、この場で繰り広げられるのは、人外同士の戦いだ。不用意な一般市民の存在は、邪魔以外の何ものでもない。

『…と言う訳で、出来る限りのお膳立てはしておいた。他にバックアップが必要だったら、遠慮なく言ってくれ』

「ありがとう、警部補。しかし吸血鬼同士の戦いに、人間が関われる部分は少ないでしょう」

 レノーラはマクベティ警部補との通話を切り、改めて仲間達と面を合わせた。

 一旦、この場にはアウターサンセット警邏に参加する者が全員集まっている。イーライ、フレイア、カスミ、キティ、ジェームズ、ダニエル、被り物。

「まだ被ってんのか」

『人気の無い夜道にパン頭の男が現れたら、ファンタジーだと思うんだ』

「トワイライトゾーンだろ。それはともかくこの戦い、敵の統率者を潰すというのが最低勝利条件な訳だが」

 ジェームズが声を落として皆に言った。

「正直、そいつがどんな形で現れるのか皆目見当もつかん。そもそも容易く現れるかも不明だ。よって、俺は雑魚を徹底的に潰す側に回る。名前付きを殺るのは、レノーラ達に任せた」

「敵はレノーラが参戦するという事を、恐らく承知しているのだろう?」

 イーライがジェームズの後に続く。レノーラは、小さく頷いた。

「それを踏まえたうえで、敵の出方を確かめる必要があるわ。それでは、ここからは二手に別れて行動を開始。ただし敵を発見次第、速やかに連絡して全員が集合する事」

「戦力の分散は分断化にも繋がるが…敵を誘い込む必要もあるな」 

 そしてノブレムの面々は、アウターサンセット周辺域を左右に分かれ、探索行動を開始した。ヴラドが率いるアウターサンセット内部進攻班は既に先行を遂げており、つまり此度はノブレムの総力を挙げた、二箇所連動の作戦行動という訳だ。

 戦力的には厳しいダニエルは、最も戦闘能力の高いレノーラと共に居る。とは言え、それが即ち安全に繋がる訳では、全く無い。敵が女帝を潰せるだけの手段をぶつけてくるとも限らないからだ。それでもダニエルとしては、心から信頼する者と傍に居る事で、幾ばくの安堵はあった。少し緊張が解れたついで、思うところをレノーラに聞く。

「それにしても、さっきの集まりは一体何だったんだい? あれは既に話し合った内容の復習でしかない。何故わざわざ全員が集まって二度手間な事を?」

「私達の手の内を敢えて見せる為よ」

 想定外の答えに、ダニエルは我が耳を疑った。構わずレノーラが続ける。

「もう戦いは始まっているのよ。私達はこの領域内に入ってから、早々と監視対象となっていた。全員が揃っている事を確認して、敵は既に動いている。でも、その動き方を想定出来れば、戦いの主導権を握る事が出来る。敵は狡猾だけれど、それを上回る捻くれ者がノブレムには居てね」

 言って、レノーラは振り返った。想定通り、自分のチームが1人足りなくなっている。

 

異形有り 其の一 : カスミ キティ フレイア イーライ

「敵の本拠地と言やぁ、そりゃこの壁の中だろうよ」

 一体、敵の出所は何処なのかと思案するキティに、フレイアは聳え立つ漆黒の覆いを見上げながら、唇を歪ませて答えた。

「アウターサンセット全域が奴らの手に落ちた今となっては、連中は八方何処からでも飛び出して来る。神出鬼没のゴキブリを家捜しするようなもんだ。全く、面倒くせえ」

 フレイアの口調は相も変らぬ刺々しさで、この警邏活動を面白く思っていないのは明白だった。来たるGとの対峙に意識をやっていたカスミが、フレイアの言い方に興味を傾ける。

「フレイアさん、余程人間の為になる行動が嫌なんスね」

「ジューヌが統率者になった今でも、私はハンターとノブレムの馴れ合いは認めない」

「じゃあ、何故ノブレムに居続けるんです? 離反する機会も、無いではなかったでしょーに」

「ルスケス一党に属するなんざ御免だね。強い自分以外はカスだ、ってのが連中の矜持だもの。それに、確かに私は人間が作った服を着て、人間の編み出した文明を享受して日々暮らしている。そう言えば、そんな説教を前に食らったな。そいつは正直面白くないが、自分はノブレムに居るべきなんだって、間違いなく思う。大体ルスケス一党は品が無さ過ぎる」

「品が無いって、面白い言い方ですねえ」

 カスミはケラケラと笑い、笑い顔のまま皆に言った。

「実は、ちょいとジェイズに足を運んでいたんですよ。あそこの神さん、キューって奴に問い掛ける為に」

「何だって」

 イーライが驚く。

「ハンターの根城にだと? 余程の特例を除けば吸血鬼は入れないだろう」

「実際入れませんでした。だから外から怒鳴りつけてやりましたね。人間とは何。人間の尊厳とは何。吸血鬼に尊厳は有りや否や。わたしと人間の相違は。わたし達は、一体何故ここに居るんでしょうか!」

 

『君が納得出来る回答を出すのは、吾には無理ですね』

「答えられないんだ。神様のくせに」

『神ゆえに答えられないのです。人間ではないものに、人間の苦悩を理解する事は出来ません。苦悩から解脱するにはきっかけを要するのでしょうが、それはきっかけでしかなく、答えを見出すのは何時だって孤独な人間自身の力に拠る。吾はそう思いますね』

「先程から人間を連呼されておられますが、わたし、吸血鬼なんスけど」

『吸血鬼と人間の違いは、呪われているかそうでないか、その一点のみです。それは吾々にとって決定的な差でありますが、君達と、ハンターを始めとする人間との関わり合いを見れば、もしかすると楽観的に考えて良いのかもしれません。そう、君達と人間の目線ならば、等価の存在足り得るという訳です。人間とは何ぞや。それは自省し、前を向く強大な力を持つ奇妙な二本足の生き物。尊厳とは何ぞや。強大な力そのもの也。これは飽く迄、個人的な見解です。差し当たって人間と吸血鬼には先の一点以外、大して違いが無い。そう思えるのは気のせいでしょうか』

 

「答えたんだ。ハンター達の守り神が吸血鬼の問いに」

 キティは感心の声を上げ、困ったような顔になっているカスミを見た。そして述べる。

「尊厳の解釈は様々だと思う。ひとそれぞれ、と言えるのかもしれない。キューにも個人的な見解があるように。私にとっての尊厳は、出会えたひとを愛する心かな」

「…随分ナイーヴな考え方ですね」

「そう? 私には、とても難しい事に思えるわ。私達は何時だって簡単にいがみあって、吸血鬼と人間の殺し合いが延々と続いて。だから愛するという心に至るには、大変な努力を要するのよ。私達吸血鬼にも愛する、と言うか相互理解の力がある。ノブレムは、愛する為の努力を諦めない集団なのよ、きっと」

 カスミの肩に手を置こうとし、しかしキティは弾かれたように周囲を見渡した。彼女同等、高い力を持つ戦士級の面々が一変した状況に気付き、自ずと円陣を形成する。

 囲まれた。それもかなりの数に。その中に、明らかに異なる存在感を発揮する個体が居た。

「シーザぁ」

 心底嬉しそうにカスミが呟く。楽しむ暇は無いでしょうにと、心中でキティが溜息をついた。そして携帯電話をレノーラに繋ぐ。しかし受信したレノーラが発した言葉は、危急を丸出しにするものだった。

『すまない、そちらに行けそうもない! 押し寄せてきた!』

「おい、キティ、電話を切れ。いよいよお出ましだぞ!」

 イーライの強い口調に応じ、キティは目線を一点に向けた。

 暗闇の中を、人影が進み出て来る。やがてその姿が月明かりの下で露となる。キティの顔が、嫌悪のあまり強張る。

 

亡霊達 其の一 : ジェームズ ダニエル レノーラ

 携帯を切り、懐に仕舞う動作の最中、レノーラは右足で直上一直線に蹴り上げた。その一撃で跳躍してきた模造吸血鬼の頭が吹き飛ぶ。両掌の指から超硬度の爪を突出させ、レノーラが瞬時に姿を消す。

 敵は模造吸血鬼。何れも標準的戦士級。二足歩行生物としては桁違いの速さを有する人外達は、しかし次元が全く異なる速度のレノーラを相手に翻弄を強いられた。手足と首が情け容赦なく空を舞い、集団の合間に垣間見える揺らぎのような影。ジェームズとダニエルにも、最早レノーラの正確な姿は視認出来なかった。

 攻め寄せる量産型をジェームズとダニエルが片っ端から拳銃で打ち倒し、その周囲を駆け巡りつつレノーラが蹴散らして行く。あっという間に取り囲まれ、間を置かずに急襲を食らった一行は、このシンプルな陣形で戦いを優勢に進めていた。

「凄いね」

「何が」

 ダニエルが新しい銃弾を装填する間、背中越しのジェームズに向けて言う。対してジェームズは狙撃への集中を極限に高め、応える言葉も素っ気無い。

「レノーラが凄い。これだけ長く戦い続けるのを見るのは初めてだ。本当にエルジェ以上なんだ」

「基本前線には出ないからな。次席帝級戦は特例だし、何しろ相手が悪かった」

 しかしその特例も、こうしてレノーラが積極的に前へ出るようになった事で意味を無くした。ジェームズはそれを口には出さず、涌いて出る模造吸血鬼を相手に手際良くヒットし続けた。

 そう、敵はこれでもかと沸いて出る。

 この3人を仕留めるという意思の表れであるにしても、模造吸血鬼はあまりにも多過ぎた。前回のアウターサンセット戦でも相当だったが、この只中でレノーラが機械の如く屠り続けるその数は、既に20や30では効かない代物だ。

「おかしい」

「うん、おかしい」

 ジェームズの呟きに、意図を察したダニエルが同意する。2人は模造吸血鬼の攻勢そのものに、少しずつ違和感を覚え始めていた。

 こうして敵の領域に入ったからには、敵が自分達を待ち受けるという展開も当然念頭にあった。その通りに敵が数で押し寄せ、自分達は十分以上に対抗し続けている。しかし、敵の攻撃に必殺の意図が見えないのだ。心が空っぽの出来損ないしては極めて良い動きであるものの、それを小出しで投入しては、レノーラと自分達に殺戮される一方ではないか。まるで、このくらいの規模が丁度良いとでも言うかのように。

 そして2人は気が付いた。敵の包囲が、突破は困難なれど十分に防げる程度である事に。

「時間稼ぎか!」

「ここに釘付けにする為? でも、仲間と合流させないだけにしては」

 戦力を無駄に消耗し過ぎている。

 と、レノーラが滑り込むようにして姿を現した。

「第一波は終わったようね」

 額にかかる髪を払い、レノーラが無表情に言う。

 ジェームズとダニエルは、何時の間にか周囲から模造吸血鬼の姿が全く見えなくなっている事に気が付いた。放射状に死屍累々が重なる戦いの場に、立っているのは彼ら3人のみである。夥しい損害を出した挙句、模造吸血鬼は撤収してしまったのだ。

「何がしたかったんだ。連中、大した時間も稼げなかったぞ」

「敵の本命は、別にあるという事ね」

 拍子抜けするジェームズを諌めるように、レノーラは間断なく周囲を見渡しながら言った。

「…意図が曖昧な忙しい攻撃。真の狙いをぼやかす、断続的な攻勢。容赦なく手駒を消費しても価値がある戦果とは何?」

「謎かけみたいな言い方は止せ。今はイーライ達に合流するのが先だろうが」

 苛立ちをレノーラにぶつけ、ジェームズは足を踏み出した。が、その挙動が金縛りの如く食い止まる。

「…何だ?」

 背筋をぞわぞわしたものに撫でられ、ジェームズは拳銃を胸に当てた。ダニエルも不安げな顔で住宅街の先にある深遠を見詰める。レノーラは2人を宥めるように息付いた。

「レノーラ、先刻第一波と言ったね? じゃあ、これが第二波?」

「どうしてもここで時間を費やして欲しいようだわ。この戦い方を考えた奴は」

 ぬ、と、黒い塊が三方向から姿を現した。男、男、女。血色と生気を無くした、それでいて凄みのある面立ちを向け、敵は正三角形の中央にレノーラ達を留める格好で立ち止まった。

「レノーラ」

 女が、か細い声で言った。

「久し振り。レノーラ、久し振り」

「クラリモンド」

 レノーラは女の名を口にし、左右に目を走らせた。

「ヴァーニー、そしてヴァルダレク」

「知っているのか?」

「久し振り、だって?」

「最終決戦で死んだ、大昔の三席帝級よ」

 ジェームズとダニエルは、絶句した。

 

アンナマリ・シュタイケン 其の一 : リヒャルト another

「さあ、早くこっちへ!」

 SFPDの警官に急き立てられるようにして、シニアスクールと思しき少年達の一団は、慌てふためきつつ一軒家向かって走った。呆れた話だが、こうして物見遊山でアウターサンセット周辺をうろつく命知らずが、未だに後を絶たない。情報が極度に制限された状況下では、噂話だけが突出し、真偽の程を曖昧にしてしまうのだろう。たとえ現実に行方不明者が続出する状況であったとしても。

 そんな彼らを保護すべく、唐突に建てられたそのセーフハウスは、実は魔力がかった代物である。ハンター側に属するマフィアの一員、イゾッタ・ラナ・デ・テルツィが厚意で供した『頑丈なオバケ屋敷』だ。この世ならざる者の侵入を防ぐ、魑魅魍魎が徘徊する只中にあっては唯一無二の安全地帯。マクベティ警部補の息がかかった一部の警官が管理し、今宵は少なからずの不心得者を救出している。吸血鬼同士の戦端は既に開かれてしまった。こうなると、最早一般人は狩り取られる贄でしかない。

 少年達を連れてきた警官は、彼らの背中を押して屋敷の手前で立ち止まった。敷地の中では完全武装の警官達が彼等を家屋に招き入れ、その間も周囲への警戒を怠っていない。その中の1人、婦警が進み出、敷地に入ろうとしない警官の元へと向かった。

「ありがとうございます」

「まずい状況だよ。彼らは敵の一団を目撃している。見つからなかったのは運が良かった」

「戦いになるとは、警部補から聞いています。あなたがどういう人なのかも。正直、とても信じられないけれど」

「まあ無理もない。日常から一挙に非日常だからね。もう君達も外には出るべきじゃない。家屋の中に朝まで引きこもるんだ。可能の範囲内で、君達はやれる事をやったよ」

「あなたは?」

「状況の許す限りは避難誘導を…いや、もう刻限だ」

 言って、警官は携帯電話を取り出した。バイブレーションがきっちり3回でなりを潜める。それは警官が最も懸念していた事態を知らせる合図だった。警官は婦警を促し、自らの荷物を持ってくるように頼んだ。何しろ彼は、敷地の中に入る事が出来ない。

 応じて婦警は、当惑の面持ちで『それ』を抱えてきた。敷地の間際から差し出される『それ』を受け取り、警官は頭に被った。スマイリー君をプレス加工したような被り物。声の出演、戸田恵子。

『さあ、準備はOKだよ!』

「何の準備か分かりません」

 

 アウターサンセット周辺で騒動を起こす。そしてノブレム、ないしはハンターを引き摺り出す。それは極めてシンプルな陽動作戦だ。

 そうして戦力を引っ張り出し、釘付けにするその間、つまるところ敵の真の狙いとは、吸血鬼のもう1人のリーダー、新祖の抹殺であった。既に彼らの新たなアジトは特定されており、其処がジャパンタウンの只中であろうと、敵は何らの呵責なく攻め潰す準備が整っている。今までそれをしなかったのは、ヴラドを始めとする強力な集団が駐在していたからである。ノブレムが一斉に動き出すとなれば、いよいよ本拠地侵攻の火蓋が切られるのも自然の流れだった。

 ただ、全員で一斉に本拠地を空けるという状況は、恐ろしく不注意であった。敵側の中で、これを奇妙と捉える事が出来たのは1人のみ。

 

 新祖ジュヌヴィエーヴは、テディベアのぬいぐるみを手に取り、正面から見据えている。彼女はハンターの風間から、赤子のミラルカを逃す為のアイテムも受け取っていた。ロンパールー○。ぬいぐるみを残して人間の本体を別の場所に飛ばす事が出来る奇妙なアイテム。たった今ミラルカは、サンフランシスコで最も安全な場所、ジェイズ4Fに飛ばされた。恐らく向こう側では、カーラ・ベイカーが面倒を見ていてくれるだろう。
 ジューヌは溜息がちにぬいぐるみを椅子に置き、窓縁で外の様子を伺う少年に声を掛けた。

「どうです?」

「来るぜ、Bが来る。独特の気配が俺にも分かるよ」

 少年は外に目を向けながら、携帯電話をジューヌにかざした。

「連絡は入れた。もうすぐ助けに来てくれる。それまではどうにか持ちこたえてみせるぜ」

 と、少年はジューヌの返事を待たずに窓から地上へと躍り出た。すぐ目の前で、不可視の壁に光の明滅が鋭く走る。キン、という甲高い音と共に、敵は黙々と敷地内へ入ってきた。総勢5人。並の手合いでは接近も叶わぬこの屋敷を、力で押し通る事の出来る集団、という事だ。

「おや、懐かしい顔」

 集団の先頭から、低い女の声が発せられる。この攻め手の中心核、Bは仮面を外し、対峙するかつての仲間、エドアルト・クレツキを真正面からねめつけた。

「D、元気だった?」

「俺はDじゃない」

 エドが山刀を腰から抜き、縦に構える。Bを前に平常を保とうとするものの、どうしても刀身が震えで揺らいでしまう。その恐怖を完全に見透かし、Bは微動だにしない連れ合い達を、余裕綽々の体で紹介した。

「こちらの皆様は、模造吸血鬼の上位階級だ。かつて血の舞踏会の終幕で、アーマドに皆殺しにされた三席帝級のお歴々。さあ、お名前を仰って下さい」

「ラングレ」 「アンジェラ」 「ベルタ」 「ロドルフ」

 くかかかか。と、乾いた笑いが三席帝級達から漏れ出た。エドは愕然とする。自分が知っている模造吸血鬼は、戦士級ばかりだ。これだけの上位階級が仲間に加わった、等という話は終ぞ知らない。そもそも、模造吸血鬼に上位などというクラスがある事が初耳だ。言われてみれば、確かに模造吸血鬼特有のぼんやりした雰囲気が、帝級達からは感じられない。無表情で、何一つ心の在り処が見当たらなかったが、鋭く、険しく、一切の躊躇が無い。そう思わせるだけの尋常ではない威圧感が連中にはあった。

「さて、ここで私は考える」

 エドの焦燥を楽しみつつ、Bは勿体ぶった調子で言った。

「アウターサンセットにノブレムを呼び込み、その隙に彼らの根城へと攻め、もう1人の祖とやらを略取する。この程度の事はノブレム側も予想をしたであろうよ。故にこちらは、三席帝級を4人も連れてきた訳だ。ところが守り手はD、お前1人だけ。ここまで守りを手薄にしたからには、何か創意工夫でもあるのかい?」

「さあ、知らねえな」

 Bは饒舌にしゃべっている。それに対してエドは調子を合わせるように腐心した。向こうが話に乗っている内は、時間を稼ぐ好機である。

「ただ、お前らが来る事は前提だった訳だ。この時点で好き放題にされる展開は有り得ない」

「ノブレムの連中がのこのこと引き返してくると? おそらくそんな暇は与えられていないだろうな。『彼』は単独で奇妙な動きをしているが、彼と、お前だけで私達に対抗しようというのは、些か虫が良過ぎる」

「負けない」

 言って、エドは右手を水平に掲げた。

「俺達はお前らに負けない」

 エドは右の掌に強風圧を発生させ、軽く跳躍し、予め開けられていた屋敷の扉へと飛び込んだ。バタン、とそれが閉じられる様を前にして、B達は特に対処を見せない。迎撃に出てきたと思われたエドが、あっさりと逃げてしまったのは、あからさまに奇妙であったが。実のところ、この屋敷を力で叩き潰すのは、今の彼らならば難しい事ではなかった。直ちにそれをしないのは、雑魚など何時でも始末出来るという奢りもあったが、それ以上に壁を乗り越えて植え込みに落ち込んだ『それ』に注意が傾いたからだ。

 植え込みからガサゴソと音がし、ひょいと不恰好な被り物が顔を出す。

『こんばんは、良い子のみんな!』

 パッと手を挙げて挨拶を寄越し、被り物男はいそいそと植え込みから這い出して、訳の分からない威嚇のポーズを向けてきた。表情の薄かったBの顔が、口の端を吊り上げて邪悪な笑みを形作る。

「待っていたよ、リヒャルト」

 

異形有り 其の二

 恐らくGであった者は、体を不自然に傾けながら、足を引き摺るようにしてこちらに歩んで来た。

 既にGの顔は街頭の下に晒されていたものの、手入れの全く行き届いていないバラバラの前髪、その下にあるべきはずの目が見当たらない。鼻も無い。口はある。吸血鬼が本性を露にした際、剥き出される牙と巨大な顎部から、よだれをぼたぼたと垂らしている。最早吸血鬼と言うより、姿形は化け物としか形容のしようがない。Gは立ち止まり、包囲を狭めつつあった模造吸血鬼達の足をも止めた。そして覚束ない口調で曰く。

「しかく。それにみかくときゅーかく。これらをるすけすさまはおとりあげになりました」

 Gは肩を揺らして、唸り声を上げる。それは笑い声とも取れるし、嘆きとも取れる、複雑な情感がこもっていた。

「それにいたい。からだが、すごくいたい。わたし、つよくはなったけど、たいちょーがどーもそれにおいつかない。ふくさよーなんだそーですよ。このふくさよーをいやすには、とにかくころせと。のぶれむだろーがはんたーだろーがにんげんだろーが、ころしまくってひゃくにんめにはなおっているよと。だから、わたし、がんばっておまえらぶっころします」

「違うよ、シーザ、それ違います」

 心を寄せる手合いがかような異形に成り果てても、カスミは努めて冷静にGへと話しかけた。

「それは副作用じゃなくて、呪いですから。シーザ、ルスケスに面白半分で利用されているという自覚はあります?」

「ルスケスさまをわるくいうのはやめてほしーな」

 Gが片足で地団駄を踏む。単なる苛立ちの表現ではない事は、ノブレム側の全員が咄嗟に理解した。すぐさま跳躍してその場を脱した直後、先に居た地面から、得体の知れない尖った岩が無数に突き上げられる。それを合図に、バラバラと模造吸血鬼達が押し寄せてきた。

 と、放たれた火球が敵の一団を燃え上がらせ、或いはその進撃が押し潰されるようにして食い止められる。異能を行使したフレイアとイーライは、家屋の屋根を八艘飛びに移動し、模造吸血鬼から一旦の距離を置いた。

「ざっと5倍~6倍は居るぞ。連中、どんだけ量産型を用意してやがるんだ!」

 ジャラジャラとチェーンを垂らし、フレイアが離れた位置のカスミとキティにも聞こえるように吼え上げる。もしもこの戦いの着地点が彼らの壊滅であるとするならば、それは随分と分の悪い話だった。

「どうする!?」

「どうするも何も、取り敢えず応戦するしかないわ」

 全方位に向けて神経を尖らせ、キティが呻くように言った。先の攻撃で一旦攻勢は止まったものの、誰1人として倒してはいない。模造吸血鬼も首を掻き獲らねば死なないのだ。そうなると地獄の接近戦に赴くしかなくなる。あの物量に包み込まれたが最期である。

「退却しながら戦うしかあるまい。そうやってレノーラ達と合流する」

 努めて冷静にイーライが言った。

「問題はGとやらだ。見立て通り、あれは呪いを受けて帝級に進化している。あんなものと数を頼みの連中にタッグを組まれては堪らない。カスミ、勝算はあるのか?」

「特に思い当たらないです。でも任せて下さいな」

「そうか」

 カスミの返答は果てしなく不安な代物だったが、イーライは咎めるでもなくG対策をカスミに任せた。あの一団を相手に正面から激突するよりは、まだ機会があるからだ。全ての模造吸血鬼を引き受ける役回りを担い、イーライとフレイアが姿を消した。Gとの因縁が深いカスミは彼女を引っ張り出し、集団戦からの孤立を狙う。実際のところで言えば、戦力比で危機的状況にあるのはイーライ達よりもカスミの方であった。帝級という存在は、戦いの趨勢を引っ繰り返すだけのポテンシャルを備えている。

 カスミは小さく舌を出して唇を舐め、眼球を隣のキティにぎょろりと向けた。

「死にますよ、あなた」

「死ぬもんですか。どう考えても、1人でGに対抗するのは無理無茶無謀の三無策よ。それに、カスミだって死ぬつもりは無いんでしょ」

「ええそうですよ。まだやらなけれ

ばならない事が残っているから!」

 2人が左右に分かれて飛び退ると同時に、今居た屋根が下の家屋ごと破片を撒き散らして粉砕された。案の定、カスミにつられてGがこちらに狙いを定めている。周囲の模造吸血鬼は、イーライとフレイアの派手な異能攻撃による陽動に引っかかり、どうにかGの切り離しが成功しつつあった。

「何はともあれ、接近しないと」

 カスミが呟く。彼女の異能、「加圧機械」は、最接近して対象に組み付かねば、その常軌を逸した胆力を発揮出来ない厄介な代物だ。ただ、Gはあまり動いてこない。先程自らが言っていた、「体が痛い」事に起因するものかもしれなかった。確かに異能の乱れ打ちを仕掛けてきているものの、付け入る隙を見出せる可能性がある。

 その考えを同じくし、キティがハンドサインをカスミに寄越す。

『自分が仕掛ける』

 キティはそのように告げ、建物が形作る影にその身を沈めて行った。応じてカスミも地上に降り立ち、Gに対して回り込みを挑む。

 遠目のGは、立ち尽くしたままだった。2人の動作に反応する気配もない。しかしその実、自身の存在を彼女にしっかり捉えられているとの自覚がカスミにはあった。

 

亡霊達 其の二

 レノーラがクラリモンドと呼んだ女は、虚ろな眼差しを傾け、改めて3人を視界に置いた。他のヴァーニー、ヴァルダレクも三角形の頂点から一歩も身動きをしていない。

 ジェームズとダニエルは、申し合わせたように顔を見合わせた。レノーラの言う通り、もしも3人全員が帝級であったなら、この段階でチェックメイトを迎える可能性は、客観視すればかなり高い。それでもレノーラは三席の中で最強に位置する存在であり、ジェームズも既に並の戦士クラスを飛び越えている。ダニエルにも極めて特殊な異能が備わっており、つまりこの戦いの結末は、やってみなければ分からないという事だ。

 しかし、クラリモンド達は一向に仕掛けてこなかった。まるでこちらが、次の一手に逡巡する様を見透かしているかのようだ。3人をこの場に釘付ける意図によるものだろう。そして沈黙を破ったのは、クラリモンドであった。

「昔の友達のよしみで言います。レノーラ、それから貴方達も、ルスケス様のもとへお帰りなさい」

 極めて慇懃な態度でもって、クラリモンドは言ってのけた。レノーラは反応しない。代わりにジェームズとダニエルが、ドスの効いた言葉を返す。

「何を言いやがるクソアマ」

「降伏は無いよ。話が一切通じない相手に降伏も何もあるか」

「この状況で、そう言われましても」

 クラリモンドは困ったような仕草で頭を掻いた。

「今ならば、ルスケス様も慈悲を下さるそうです。この街全体を巻き込んだ戦いは、それとは知られずに決着がついております。人間は、何時の間にか負けたのです。最早この街はルスケス様と、それ以上に巨大な御方の手中に落ちたのです。かような輩と手を組んで、抗い続ける意味が何処にあります? もうすぐ御主様に抵抗する皆々が、膝を屈するか屍を晒す世界が到来するでしょう。そのようなものに巻き込まれ、敗北の屈辱に塗れる前に、優性種たる吸血鬼の栄光を我らと共に享受するのが、賢い生き方ではありませんか」

「先程から流暢にしゃべる貴女に聞きたいのだけれど」

 レノーラはクラリモンドを制し、上から見下すようにして言った。

「クラリモンド、確かに私にとって、貴女は吸血鬼の中では唯一と言っていい友人だったわ。それは私と貴女が、似たような苦しみを抱えていたからよ。今でも貴女と決裂するに至った最終決戦の事は、私の心残りとなっている。そんなクラリモンドに問う。何故私を『レノーラ』と呼ぶのだ?」

 クラリモンドは、問答でも仕掛けられたような面持ちで首を傾げた。レノーラが何を言っているのか、心底分からない風である。しかしダニエルは、レノーラの言わんとするところに気が付いた。レノーラとは後々の偽名であり、その頃の彼女の本名はカーミラ・カルンシュタインだ。クラリモンドはカーミラではなく、レノーラと呼び続けている。つまり目の前の女はクラリモンドを名乗っているが、過去のそれとは異なる別物、という事になる。

 ドス、と、何かを突き破る鈍い音が後ろから聞こえた。

 何時の間にか後方一直線に伸長していたレノーラの爪が、ヴァーニーの喉元を食い破っている。一体何が起こったのか分からない顔で、ヴァーニーの首は胴体から切り落とされていた。

 ヴァーニーの首が落ちるより早く、ヴァルダレク目掛けてジェームズが跳躍する。咄嗟にヴァルダレクが全身の硬化を図るも、彼の異能『蛮族』は、最接近した状態で対象の異能力を無視する事が出来る。足を差込み腕を捩じ上げ、首元に銃口。ほんの一瞬であったが、ジェームズの指先に別の何者かの指が重なる錯覚を見る。躊躇なく引き金を絞る。零距離から放った銃弾がヴァルダレクの首の肉を根こそぎもぎ取った。

 ジェームズは僅かにたじろいだ。これは拳銃弾一発に許される威力ではない。自らに何らかの異様な力が上乗せられた、とも思えた。しかしジェームズは考えるのを止めて、残るクラリモンドに狙いを定める。しかし彼女は既にジェームズの目前に到達し、ナイフを真横へ振り切る寸前であった。

 首へと振り抜かれる前に、レノーラが横から割って入った。手元を食い止められながらも、クラリモンドが不自然な体勢から横薙ぎの蹴りをジェームズに放つ。その一撃でジェームズの体を胴から真っ二つに裂き、同時にクラリモンドは自身を拘束にかかるレノーラの腕を掴んだ。

 掴んだ位置から、瞬く間にレノーラの肉体が腐食を始める。拘束を振り解こうとするも、クラリモンドも伊達に三席帝級ではない。肩を侵され、いよいよ首を腐らせようというところで、いきなり腐食の進行が停止した。クラリモンドの足首を、匍匐の格好のダニエルが何時の間にか掴んでいる。ダニエルには、異能の行使を中途で打ち切る力があった。

 レノーラの膝が立ち、クラリモンドの腹部を中段の蹴りが抉る。内臓と骨を砕きながらクラリモンドが吹き飛ばされる。住宅の壁面に穴を穿つ勢いで叩きつけられ、そのまま摺り落ち、しかし彼女は自身の姿をひどく曖昧なものにし始めていた。

「後悔しますよ」

 その一言を残し、クラリモンドは霧と共に消えた。

「…やはり模造品だわ。昔の彼女は、あんなものではなかったから」

「つまり偽者という事?」

 レノーラに手を取られて立ち上がる途上、ダニエルは彼女に聞いた。対してレノーラは首を横に振る。

「いいえ、模造されてはいるけど、本物でもある。他の量産品と同じ、魂の再利用という奴かしら。ただ、個体の力が三席帝級という違いはある」

「話に聞いたミラルカと同じもの?」

「彼女ほど優れてはいない。三席としても劣化しているように見受けられる。ただ、他の量産型とは違って、かなり自律的に動けるみたいだわ。全く、厄介なものを矢継ぎ早に」

「話に夢中になるのは結構だが、俺にも気を回してくれないか」

 と、胴が上下に分かれてしまったジェームズが、か細い声で救いを求める。ごめんなさい、と口にして、レノーラはジェームズの上半身を下半身のところへ持って行き、傷口同士をあてがった。

「あと少しでくっつくわ。その後はイーライ達と合流ね」

「…何時もながら、吸血鬼のこういうところが嫌だな。プラスチック模型の接着じゃないんだから」

 

アンナマリ・シュタイケン 其の二

 Bは即座にリヒャルトを指差し、何事かをブツブツと呟いた。それと同時にリヒャルトの足が止まる。狭い四角形の中に閉じ込められたかのように、リヒャルトの体がくるくると一定の位置を歩き回り始めた。

「どうやっても君を殺す事は出来ない。ただ一つの例外を除いては」

 何らかの術式をリヒャルトに施し、Bはひどく冷静な声音で言った。

「この戦いは、吸血鬼の新たな祖をどうにかしたい御主様と、君を殺してしまいたい私の思惑による合作だったのよ。だから本当の狙いは新祖にあった。それを見抜いてくる程度の事態は、当然私も予想していたわ。でも、アウターサンセットに戦力を大きく割いて、こちらをこれほど手薄にするなど、正直考えていなかった。あの恐ろしい君の力で、ノブレム本部への強襲部隊を一網打尽に出来ると見たのなら、それは些か君らしくない判断違いというものよ」

 自分の言葉に何も応えず、ひたすら狭い空間を右往左往するリヒャルトに、Bは微かな不審を覚えた。が、事を起こさねば話は前に進まない。Bが片手を挙げ、それを合図に模造帝級達が大量の黒い槍を発生させた。狙いは直ぐ傍、ノブレムの屋敷だ。片手を振り下ろし、一斉射の開始。槍は尽く屋敷の魔力が打ち消したものの、妙に生物的な震えが建物全体に発生する。

「あと何回持ちこたえるかな」

 Bが言った。

「あの新祖とやらとD程度では、屋敷を消し去った後に私達を押し返す事は出来ない。頼みは君だが、君の力は対象を視覚に置く必要があると見た。それを封じる手段を私が持っていないと思ったなら、それは見込み違いだわ。その狭い空間の中で、君の感覚は一切が曲げられている。つまり目の前の私達が見えていない。さあどうする。リヒャルト、本当にどうしようもないのか?」

 Bの言葉は王手を宣言するものだったが、それとは裏腹に、彼女の心は黒い陰りに覆われつつあった。それは彼女の本能的な危機意識に拠るものだ。対象物を木っ端微塵に粉砕するリヒャルトの力を封じた時点で自分は勝つと信じていたものの、それが手筈通りに進んでいる状況にBは懸念を覚えていた。あの曲がった感性の持ち主に全て引っ繰り返されるのではないか、と。目前の王手に溺れず、その感覚を維持出来るだけでも、Bは優秀な戦士と言えた。

『なるほど。何を仕掛けてきたのか分からなかったが、そういう手段だったのね。上手いこと「かかった振り」が出来て僥倖僥倖』

 音声合成の声が聞こえた。リヒャルトではなく、先の植え込みの辺りから。

 咄嗟にBが身を捩ってその場を離脱する。直後に『極振動』がリヒャルトを消し去り、模造帝級の全てを粉砕した。首を落とすも何も、全身ごと消されれば吸血鬼も死ぬ。Bは判断が早かったお陰で、下半身が消失するのみに留まった。しかし負った打撃は当然ながら深い。

 地面を拳で叩き、不自由な上体を引き起こし、Bは植え込みからむくりと立ち上がる影を見た。それは瞬く間に人間の形を作り出し、被り物の男の姿となる。その被り物を外し、リヒャルトは首を鳴らしつつBの元へと歩み始めた。

「君が私に御執心である事は承知していた。何とも毛色の変わった趣味ですね」

 速やかに復元されつつあるBの下半身を見ながら、リヒャルトが言う。

「だから当然、私の力を封じる方策を考えるだろうと思ったよ。しかし君は、私が首と胴体を切り離して動けるという点にも注意をすべきであった。この敷地に入った時点で、頭を挿げ替えていたという訳です。『中身』がある方を植え込みに隠す、とてもシンプルな戦法です。さようなら。生かしては帰さない」

「ああそうかい」

 Bが笑った。心底嬉しそうに。そして顔を屋敷へ、その中に住まう新祖に向け、大音声を放った。

「この男は吸血鬼を飛び越えた怪物だ! そう仕向けたのはお前だ! お前らの中で一番人間になりたかったこの男は、結局人間にはなれずに怪物のままお前と共に息絶える! 吸血鬼という種を救うなどと偽善を言って、結局お前は最も愛する者すら救わない悪魔じゃないのか!?」

 リヒャルトは血相を変えて屋敷を見上げた。窓縁から顔色を真っ白にしたジューヌが自分達を見下ろしている。結果、Bにとっては起死回生の逃走する機会が生まれた。

 Bが即座に体を霧に変え、その場の離脱を試みる。が、今まで行動を起こさなかったエドが、屋敷の中から強風圧を発生させる。勢い霧状の体のまま、Bは壁面に激突した。術式が強制的に解除され、Bの体が地面に叩きつけられる。

「そうか。Dはこの時の為に」

 迫り来るリヒャルトを見返すBの顔は、妙に安らかな諦観があった。良かった、心底良かった、とでも言うかのように。Bの口が開く。

「私の名前はアンナマリ・シュタイケン」

 皆まで言わせず、リヒャルトはアンナマリの首を刎ね飛ばした。

 因縁深い手合いであったが、その結末はあっさりしたものである。リヒャルトは屋敷に攻め寄せたアンナマリの部隊を、文字通り瞬殺してしまったのだ。しかしリヒャルトの面持ちは痛恨の極みを露とし、その顔を屋敷から下りてきたエドにも向けようとはしなかった。

「最後にやられたよ。このアンナマリと名乗る女は、ジューヌの心を抉ってきた。こんな事をしてくるとは思わなかったな」

 エドは労う言葉もかけられず、屋敷を見上げた。ジューヌは窓縁から姿を消している。恐らく彼女も、今頃リヒャルトと同じ顔をしているのだろうとエドは思った。

 

やがては哀しき

 G、シーザ・ザルカイは、力を心の拠り所としていた。吸血鬼になった時点で、彼女は人間である証の全てを失っている。それは家族であり、人としてのプライド等だ。それらは自分に力さえあれば無くさずに済んだものだと、シーザは頑なに思い込んでいる。自身の傷口に塩を刷り込もうとする輩を、全て薙ぎ倒せるだけの力が欲しい。それがシーザという吸血鬼の中心軸にあるものだった。

 よって、彼女はカスミに対して複雑な愛憎を抱いている。同属嫌悪の一語で表すのは簡単だが、実際のところ、一体何処が似ているのか、シーザはあまり自覚していなかった。それは恐らくカスミも。

 しかし2人は良く似ている。今ひとつ吸血鬼という怪物になりきれていない、人とこの世ならざる者の中間に位置する者同士、という点において。

 

「えんきょりせんわあああ、とてもふりだとおもうんですけどおおお!」

 怒鳴りながら笑いながら、シーザは自分を中心にしてトルネードを巻き起こした。瞬く間に周囲の家屋が突風に巻き上げられ、爆心地のような空間が形成される。

 家屋を盾にしながら接近を試みていたカスミは、その一撃で大きく後退を余儀なくされ、更に飛ばされまいとアスファルトに這いつくばらねばならなくなった。瞬時に突風が消滅し、打ち上げられた瓦礫がバラバラと地面に落ちてくる。遮るものが無くなった視界の先に、シーザが居た。月明かりの下でぽつんと聳える異形の立ち姿は、陰湿な絵画の趣がある。頼りない小柄な体をゆらゆらと揺らし、シーザは奇妙な笑い声と共に言った。

「あなたをころしたいのです。あなたをころせば、わたしはもひとつさきにすすめるとおもうのです。いいかげん、けりつけましょうやかすみさん」

「嗚呼、ペラペラとよくしゃべる娘ですねえ」

 カスミが左に最高速度で走る。応じてシーザが手近の鉄筋を数本引き千切る。

 弧を描いて接近して来るカスミに対し、シーザは無造作に投槍の要領で鉄筋を放り投げてきた。軽くステップを踏んでそれをかわすも、時間差で投射された鉄の棒が、カスミの腹を正確に貫いた。人間ならば即死だが、吸血鬼は死ぬ事が出来ない。苦痛に喘ぎ、胃に溢れ返った貴重な血を盛大に口から吐き、カスミは片膝を屈した。

「じかん、かけるつもりないです。しね」

 動きが止まったカスミを始末するのは、シーザにとって易い事である。シーザは彼女の周囲から突き上げられる大量の鋭い岩をイメージした。それらでもってカスミの体を肉片一つ残らず砕いてくれると。しかしその一撃を行使する寸前、背後からシーザの後頭部を拳銃弾が撃ち抜いた。

 身体損傷からの回復が常軌を逸して早い帝級でも、脳を掻き回されれば思考が一旦停止する。シーザは大きく穴の開いた額を押さえ、言葉にならない呻き声を上げた。速やかに回復する途上で背後を顧みる間に、今度は鉄のチェーンが上半身に巻きついてくる。

 そのまま引き摺り倒そうと試みたキティであったが、即座に両足を踏ん張って山の如く不動となったシーザに対し、舌を巻いた。やはり一対一でどうにかなる手合いではない。瞬く間に回復を自身に施し、数秒もせぬ内に自分の首は飛ばされる。よってキティは躊躇しなかった。彼我の戦闘能力差は十分心得ていたし、何より差しの勝負を挑むつもりが彼女には無かった。

 意識を覚醒させたシーザが見たものは、自身の影へと沈み込んで行くキティの姿であった。この力そのものよりも、全く気取られずに背後を取ってきた相手にシーザは驚いた。そして一気に姿を消した判断の早さにも。その判断の意図とは、またも背後からの衝突に拠るものだった。

 鉄棒を引き抜いたカスミが低い位置からのタックルを仕掛け、シーザは彼女諸共地面に向かって頭から突進する羽目となる。カスミの手足が踊るようにシーザの体へと巻きつき、狙いであった「加圧機械」の拘束が遂に始まる。

「は、な、れ、ろ!」

 吼え声を上げ、シーザがあらん限りの力を尽くして拘束を外しにかかるも、効果の範囲が狭いゆえに、カスミの異能は局所的状況において絶大だった。万力の如く締め上げてくる手足は抵抗する力の一切を封じ、双方で凄まじい胆力のせめぎ合いが繰り広げられているも、傍目にはただ抱き合って寝転がる風にしか見えていない。

 キティは引き離された模造吸血鬼がこちらに向かいはしまいかと注意しつつ、静かな力の応酬を見守った。一見すればカスミの優勢は固そうであったが、相手は帝級に進化したシーザである。何をしでかすか分からぬ相手に対し、果たして自分が介入する余地はあるのかと自問する途上、キティの耳はボソボソと呟くカスミの声を聞き取った。

「家族がみんな居なくなった。希望の新天地が地獄と化した。ならば地獄の住人になりきって、この有り様を良しと捉える価値観を手に入れてしまおう。そうすれば、こんなに苦しい思いをしなくて済む。そうでしょ?」

「は、な、せ」

「自分達、こんなに似た境遇じゃあないですか。理解し合える可能性だってありますよ。独りぼっちは嫌でしょ?」

「う、る、さ、い」

「ルスケスの側もノブレムも所詮は吸血鬼。おんなじ化け物同士ですよ。でも、化け物にだって助け合いたい心がある。ノブレムにあって、ルスケスに無いものです。シーザはあそこに、居るべきじゃないッスよ」

「う、る、さ、い!」

 シーザが叫び、腹這いの地面から鋭い岩を突き上げる。岩はシーザ諸共背中のカスミを撃ち抜き、2人は胸を串刺しにされる格好で宙に浮いた。2人が口から大量の血を吐き出す。

「首、狙えませんね。この位置だと」

 えずきながら、カスミが言葉を絞り出す。

「シーザの首も、飛んじゃいますからね」

「うっとおしい。ああ。うっとおしい。じゃまだ。うせろ。なんで、なんで、こんなに、わたしは」

「自分から目を背けたいからッスよ」

 この体たらくとなってもなお暴れていたシーザが、その一言でぴたりと動きを止めた。

「私は、貴女。どうしても捨て去りたい、でも失いたくもない自分。それは、多分、私にとっても同じの」

「きゅーけつきか、にんげんか、いったいあんたは、どっちなんですか!?」

「分かんないです。だから、私も、困っているんです」

 不意に拘束が緩み、カスミの手足が力なく垂れ下がった。どうやら蓄積した打撃に持久力を損なわれたらしい。シーザは即座に岩を引き抜き、血相を変えて突進するキティに掌を向けた。キティの体が不可視障壁に衝突し、反動の勢いで弾き飛ばされる。続けてシーザは、カスミの首を引き千切ろうと、喉元を掴み上げた。

 しかし其処から先、ひと思いに握力を加えるだけの事を、シーザは躊躇した。表情というものがほとんど表せなくなった顔ながら、開き切った顎が少しずつ収まり、人間のそれへと戻って行く。

「う、あ」

 と、何某かの言葉を発しようとするも、シーザは何も思い浮かばなかった。その隙に頭頂へポンと掌が置かれ、シーザは糸の切れた操り人形の如く倒れ伏してしまった。

「大人しく効いてくれたわね」

 カスミ達の加勢に間に合ったレノーラが、掌を握っては開きつつ呟いた。

「久々にきつい催眠を施した。個人差はあるけど、一週間くらいは目を覚まさないはず」

「助かったわ」

 キティが体を引き摺りながらレノーラ達の元へ歩み寄る。その道すがら、続々と集結して来る仲間達の姿を認める。イーライとフレイアは、上手くレノーラの隊と合流出来たらしい。模造吸血鬼の集団を、彼らは追い払うか駆逐する事に成功したのだ。

 キティは寄り添うように倒れているカスミとシーザを見下ろし、複雑な面持ちの顔をレノーラに向けた。

「…このまま、シーザという帝級をノブレムが幽閉しても大丈夫かしら。多分カスミは、それを望むでしょうけど」

「私ならば、今の内に素っ首を掻き獲る。しかしこの戦いは彼女らのものである、とも理解する。新祖ジュヌヴィエーヴに、この救い難き者を救う御力お有りか否か、確かめてみたい気持ちもある」

 レノーラは小さく笑い、肩を竦めてみせた。

 

カーテンコール

「申し訳ありません。ミラルカをほんの僅かですが、危険な目に合わせてしまいました」

「いや、約束通りきっちり守ってくれた」

「キュー殿も約定通り預かるとは言ったけど、やはり人間の赤子相手に戸惑ったみたいね。折り良く私と伊邪那美さんが居て良かったこと」

「日ノ本の国母に面倒を見て頂けるなんてね。日本人の俺としては、この子がちと羨ましいぜ」

 風間はカーラ・ベイカーとミラルカを伴い、ノブレムのアジトを再訪していた。今一度ミラルカを新祖の元へ預けに来たのだが、当のジューヌは複雑な面持ちを隠そうとはしていない。

「既にこのアジトの位置はルスケスの一党に把握されております…あらら」

 風間からミラルカを預かった途端、ミラルカは火が点いたように泣き出した。赤子を抱え、ジューヌがおろおろと歩き回りながらあやし始める。

「ミルクは飲みましたね? おむつも湿っておりません。ああ、困った事」

 結局、ジューヌはミラルカをカーラに託す事となる。その途端、ぴたりと泣き止んだミラルカを若干恨めしげに見詰め、ジューヌは改めて風間と目線を合わせた。

「先の話の続きですが、ここは彼女にとって安全地帯ではなくなりました。私がお預かりするにも限界があると見ました。こうして来て頂き、信頼を示して頂く事を有難く思いますが、ミラルカを匿うにあたっては如何になさるか御再考下さいませ。その際は頂きましたお金もお返し致します。$1000ほど使ってしまいましたが」

「分かった。熟慮のうえ、どうするかを決めさせて頂く」

 それまでは、再びミラルカも新祖の庇護の下である。先のルスケス一党の攻勢は、向こうにとっても甚大な損耗を被る結果であった。再度事を起こすには今しばらく時間を要するだろう。そう、今しばらくは。

 カーラと共に帰り支度を整える途上、風間はベビーベッドに寝かされたミラルカを見入るジューヌに声を掛けた。

「ミラルカが泣いたのは、多分貴女の心を見抜いたからだ。今の貴女は、千々に心を乱していると見受けられる」

「…そう思われるのであれば、その通りなのでしょう」

「何があったかは問わない。それでも、俺は貴女に感謝している」

「感謝ですか?」

「ミラルカを救い、俺の心も救ってくれた。あのまま彼女と死に別れていたら、俺の心は閉じてしまっていたような気がする。貴女の力はもしかすると、貴女にとって重荷であるかもしれんが、少なくとも人を救う事が出来る。それは自負していいはずだ」

 風間とカーラを見送った後、ジューヌはベビーベッドの傍に佇み、何気にミラルカの小さな額に掌を当てた。寝息を立てる彼女を見詰め、ぼそりと呟く。

「先ずは、出来る事から」

 

 ジューヌは、敵側の帝級であるシーザが拘束されている一室の扉を開いた。中では先の戦いに参加した一同が勢揃いしており、ヴラドも円座に加わっている。リヒャルトの姿を認めるも、彼は腕を組んで目を閉じ、身じろぎ一つしていない。ジューヌはリヒャルトから視線を外し、起立して一礼するヴラドとレノーラに片手を挙げ、言外に着座を促した。

 して、椅子に束縛されているシーザの前に立つ。彼女は未だ昏睡しており、首をがくりと項垂れ、無警戒な身を一同に晒していた。隣ではカスミがシーザの手を固く握っている。ジューヌは見下ろす格好で、ひたすらシーザの頭頂から爪先をじっくりと見詰めた。

「助けられますかね?」

 カスミが顔も上げずに問う。

「助けられないとこの娘、速攻で殺されちゃうんです。どうにかして下さいよ、新祖様々なんでしょ」

「カスミ、その言い方は無いでしょ」

「構いません」

 咎めるキティを宥め、ジューヌは微笑を口元に浮かべて言った。

「もしも救う事叶わず、この娘がヴラドかレノーラに首を討たれたとして、お前はどうなさるのです?」

「分かんない。でも愛想を尽かします。吸血鬼、ノブレム、人間、何もかもを」

「それが正しい心の成り行きなのでありましょう。これよりこの娘、シーザと申す者に仕込まれた呪いを除去する手段をお教えします」

 カスミは驚き、顔を上げた。何か縋れる手段は無いのかと心の片隅で思いはしたが、まさかルスケスの呪いを解除する手段を、ジューヌがいきなり口にするとは思わなかったからだ。

 しかしジューヌが話を続けたその手段とは、聞くにつれて全身の力が抜けるかのような、あまりにも困難な代物だった。

「先ず、この娘を予め私が陣を施した一室へ隔離して下さい。そしてこの娘の精神が覚醒するのを待ちます。覚醒後、私がこの者の精神に3日をかけて直接干渉致します。精神への干渉は離れた位置からでも出来ますので、私がこの娘の前に現れるのは、しばらくの間は有り得ないでしょう。恐らくこの娘、精神に破綻を来たしかけるでしょうが、何があっても部屋から出してはなりません。出たが最後、全てが水泡に帰します。そして3日の後、この娘から一滴残らず血液を抜きなさい。一体どうやって、と問われれば、創意工夫と実力で、とだけ申しておきます。甲斐あって抜き取りに成功すれば、この娘は再び昏睡致します。その間に時間をかけ、カスミ、お前の血を輸血の要領で彼女に分け与えなさい。お前まで昏睡してしまわぬよう、焦らずゆっくりと。その為の器具は、以前の『実験』のものが残っておりましたね。結果、この者は帝級に至る呪いを喪失し、元の戦士級へと戻るでしょう。異能の類も全て無くします。しかし本当の問題はその後です。見ればかの娘、ルスケスへの依存が深い。結局心を救えるか否かは、お前とその者の心の関わり合いにかかっています」

 場は沈黙に包まれた。3日間の精神干渉の最中に逃走される。血の抜き取りに失敗する。輸血の間も、大人しくしている可能性は低い。そして全てが終わっても、彼女がカスミと共にある選択をするかは定かでない。どれを取っても、失敗即御破算の危険を大いに孕んでいる。

「でも、それでもしもシーザが敵の支配から離脱出来れば、相手を1人倒すより、何倍も大きな成果になると思う」

 沈黙に耐えかね、ダニエルが希望の言葉を口にした。が、ジェームズは顔をしかめて彼に応じる。

「今は一旦収まったが、敵の攻勢は激化するぞ。そのややこしい手順の最中に戦闘が勃発する可能性だってある。もしも呪いの解除に失敗したら、やばい混乱を引き起こしかねないぜ」

 一同の視線がカスミへと集中した。結局のところ、行動に移すか否かは彼女の判断に拠っている。当のカスミは、唇を噛んで深く思案をしている風である。シーザへの対処に意識が向かっていた彼等の思考を、しかし無感動な声が現実へと引き戻した。

「そう、また戦いが始まる。血の舞踏会の開幕をルスケスは決意した」

 ざわ、と声が上がり、また静かになる。先程から一言も発していなかったリヒャルトが、薄目を開けて視線を一点に、何も無い空間へと合わせ、その実はっきりとした口調で皆に告げた。ヴラドが身を乗り出し、問う。

「まことであるか」

「ああ。彼は吸血鬼による一斉蜂起を近い内に宣告するだろう。その意図、湧き立つような気が私にも察知出来る。その感覚は新祖ジュヌヴィエーヴも共有しているはずだ」

 リヒャルトに促され、ジューヌは小さく頷いた。それに満足した訳ではないのだろうが、リヒャルトはふらりと立ち上がり、黙して語らず部屋を辞して行った。去り際の扉を開く僅かな間に、ジェームズは彼の顔を垣間見、悪寒で背筋を震わせた。

「馬鹿な。何て嬉しそうな顔をしてやがる」

「あれが彼の本性です」

 ジューヌは瞼を伏せて俯いた。さり気にレノーラが、彼女を皆から隠すように座り直す。涙はあまり人前で見せたくないとの、ジューヌの意思を察したからだ。

「戦いを心から楽しむ戦闘機械。しかしそれに溺れれば自分は終わる。だから人間らしい感情の発露を、過剰な手段で周囲に見せる。でも、私が少しずつ人間性を薄めてしまうから、私と魂で繋がっている彼も、本来の姿に立ち返りつつあるのです。私は何と惨い事を」

 嗚咽を伴い、訥々とジューヌが語る最中、また扉が開かれた。

 スマイリー君をプレス加工したような被り物の男が立っている。声の出演(省略)。

『大変です。二階でミラルカが泣いております。あやしに行く許可をば戴きたいと』

 皆まで言わせず、ジューヌの飛び蹴りが被り物に炸裂する。それは見事な三二文人間ロケット砲であった。

 

 

V1-6:終>

 

 

○登場PC

・カスミ・鬼島 : 戦士

 PL名 : わんわん2号様

・キティ : 戦士

 PL名 : ウィン様

・ジェームズ・オコーナー : 戦士

 PL名 : TAK様

・ダニエル : 月給取り

 

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

 

 

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ルシファ・ライジング V1-6【やがて哀しき吸血鬼】