<少女、シーザ・ザルカイ>
アウター・サンセットの激戦から逃れ、シーザは1人、血塗れの体をふらつかせながら歩いていた。体に捩じ込まれた膨大な銃弾は全て排出したものの、後に残る死人の血のダメージは甚大である。
「うう、痛い。痛いよ、痛いよ」
子供らしくベソをかきながら、シーザはたった1人の我が身を嘆く。仕える者共の中で好き勝手にやってきたつもりだったが、今は殊更に仲間の姿が恋しい。特にDとEは、とことん他人に無関心な仕える者共の中でも、自分に優しくしてくれていた事を、今更ながら思い出す。
その2人も今は居ない。Dは前の戦いから消息を絶ち、恐らくノブレムに殺されたのだろうと判断されていた。しかし模造吸血鬼として戻って来ないのは何故なのだろう。Eに至ってはシーザの目の前で、頭を残酷に吹き飛ばされて死んだ。あの親切なEに、何と惨い事を。だからシーザも報復として、幾人かの人間を血祭りに挙げた。そのお返しの一斉射撃に晒され、自分は今に至っている。
怖い、とシーザは思った。怖い、怖い、人間が怖い。吸血鬼の餌でありながら、圧倒的な数の暴力を彼らは有している。大集団かつ1個の巨大な生命体なのだ、人間は。その力を前にして、シーザは成す術も無かった。
力が欲しいと、シーザは心底思った。何者をも寄せ付けない、圧倒的な力が欲しい。その為には、ともかく逃げなくてはならない。シーザは人間が追跡してくるかもしれないと怯えつつ、少しは動けるようになった体で走った。そして、後少しで出入り口のマンホールに到達するというところで、彼女は人気が失せた闇夜の通りの先に、佇む小柄な人の影を目の当たりとする。
「シーザ・ザルカイ」
影が呼びかけてきた。シーザの全身が総毛立つ。その声を片時も忘れた事はない。カスミ・鬼島だ。この広い街で、こうして2人が出会えるのは、吸血鬼同士の特殊な絆の故である。しかし今のシーザには、矢張りカスミも脅威の対象であった。
「何ですか、あんたは。こんなところで」
声を震わせ、シーザが言った。
「どいて下さいよ、カスミさん。私はただ、家に帰りたいだけなんですよ」
「私はただ、話をしたいだけなんですけどね」
カスミが応える。ゆっくりと歩みを進めながら。身構えるシーザを前に、カスミは努めて笑顔を保ちながら続けた。
「戦うよりも、話し合ってみたいんですよねー。相互理解って奴。多分私とシーザは、価値観が共有出来ると思うんですよ。だから、ね、私と一緒に行きませんか?」
「何処へです」
「ノブレムの隠れ家。大丈夫、絶対手出しはさせませんし。手出ししたら、そいつを私がぶちのめしますし」
「敵同士じゃないですか、私達」
「それを変えてみようって言ってるんですよ、シーザ」
「お断りですよ」
ありったけの胆力を振り絞り、シーザがチャージを仕掛ける。しかし普段の爆発的な身体能力は、度重なる戦いによって大きく損なわれていた。故にカスミが御するのは容易い。カスミは落ち着いて半歩位置をずらし、あっという間に回り込んで彼女の背後を取った。腕を脇に差込み、羽交い絞めを極める。振り切ろうと試みるも、シーザは愕然とした。拘束が全く外れない。ここまでの腕力差は無いはずだ。
「『加圧機械』って力なんスよ。ネーミングセンス、最悪ですけどねー」
カスミは暴れようとするシーザを完全に抑え込み、彼女の耳元に口を近付けた。
「とにかく、一緒に行きましょうって。後の身の振り方は、それから考えて結構ですから」
「嫌だ」
シーザが嗚咽と共に拒絶の言葉を発する。
「嫌だ、嫌だ、話し合いなんて嫌だ。私は、戦って、勝って、生きるんだ。そうじゃないと私は死んでしまう。死んでしまうんですよ、カスミさん! だから誰にも負けたくない。負けないような、力が欲しいんです」
シーザが抱える闇の深さを、言葉の数々を聞いてカスミは知った。彼女の戦い勝つ事への欲望は、恐らく人間時代の精神的外傷に起因している。ならば尚更捨て置けないと、カスミは彼女を引き摺るようにして歩き始め、しかし不意に足を止めた。と言うよりも、止まった。
身動きが取れない。体の自由が損なわれた。否、体の自由を「乗っ取られた」と言う方が適切か。カスミの意に反し、彼女の腕はシーザの束縛をあっさりと解放した。つんのめって前に倒れ伏すシーザの前に、何時の間にか白い物体が聳え立っていた。見上げるシーザの顔が少しずつ安堵の笑みを形作り、対してカスミは大きく目を見開いた。真祖、ルスケスが、事もあろうに彼女らの前に現れたのだ。
「力が欲しいとな?」
ルスケスはその身を宙に浮かしたまま、眼球だけでもってシーザを見下ろした。
「G、力が欲しいのかえ?」
「はい、真祖さまあ」
駄目だ。とカスミは叫んだ。その声が口から漏れる事は無かったが。その誘いに乗ってはいけない。乗れば死ぬよりも恐ろしい目に合わされる。しかしその警告は届くはずも無く、カスミの見る前でシーザの体は、真祖の懐へと包まれた。そして真祖、ルスケスの瞳が、今度はカスミに向けられる。
「異種系統か。まあ、面白い事。しかしながら、望むならば俺様の下へ立ち返る事も出来よう。お前はなかなかに興味深い性根の持ち主である事よ。どうだい、一緒に来るかい。と言うか来い。G子と一緒に、愉快な事をさせてやるぜえ」
パン、と軽薄な音と共にカスミの意思が途絶した。彼女の体が崩れ落ちてアスファルトに伏せ、そして直後に手足をだらりと下向けて浮かび上がった。
そのままカスミを連れ去ろうというルスケスの腹であったが、しかしその意図は結局叶わなかった。街灯が作るカスミの影の中から何かが飛び出し、彼女を奪って脱兎の如く消え去ったからだ。
「おやおや?」
ルスケスは躊躇したものの、すぐさまからからと笑い声を上げた。
「珍妙な手品である事よ。誰かは知らんが、おめえもかなりの愉快ちゃんだなあ。てめえら、興味があるなら俺様の縄張りに来い。仕えたくば何時でも仕えさせてやろう。丁度下僕共も数を減らしちゃったしネ。力も欲しけりゃくれてやる。毎日がエキサイティングである事よ!」
「全く、私が居なかったら、間違いなく篭絡されていたわね」
カスミを肩に背負い、キティは生涯最高速度を叩き出しつつ遁走していた。『影女』の行使は、逃走に全神経を集中していたお陰で、多少なりともルスケスを出し抜く要因成り得た訳だ。仮に攻撃の意図をルスケスに向けていたら、自分はどうなっていたか分からない。
しかし、今更ながらにキティはゾッとした。その気になれば、ルスケスは今の時点でも自分達を捕らえる事が出来るはずだ。それをしないのは、単なる気紛れか、他に原因があるのか。キティは追撃の手が無いものと判断し、速度を徐々に緩めて立ち止まった。カスミをそっと脇に横たえ、自らもぺたんと腰を下ろす。
「真祖自らの勧誘を受けるなんて、大した光栄ね、私達」
皮肉混じりの言葉を呟くも、カスミは気を失ったままで何も応えなかった。キティは溜息をつき、空を見上げた。
ともあれ、自分達は真祖に目を付けられてしまった。ルスケスの注意を引くという事がどれだけのリスクを背負うか、今のところ想像がつかない。しかし今後の行動には十二分の注意を払おうと、キティは心に決めた。
そして、キティは眉をひそめた。アウター・サンセット方面の状景がおかしい。何時の間にか、巨大な漆黒の壁が区画を覆うように聳え立っているのだ。キティは立ち上がり、その建造物とは言えない代物が発する禍々しい気配を察して、小さなその身を震わせた。
「あれが、ルスケスの言っていた、縄張り」
口に突いて出た言葉は正解である。ルスケスが自分達を放っておいたのは、あれを作り出す事を優先としたからだったのだ。
間違いなくルスケスは、かの場所に居座っている。そして恐らく、シーザ・ザルカイも。
<VH3-5特:終>
○登場PC
・カスミ・鬼島 : 戦士
PL名 : わんわん2号様
・キティ : 戦士
PL名 : ウィン様
ルシファ・ライジング VH3-5特【ふたり】