<エルヴィ・フォン・アスピヴァーラの当惑>

「この実験の結果によって」

 エルヴィが言った。

 先の仕える者共との一戦から三日が過ぎ、直後の混沌とした状況は一旦落ち着きを見せている。だからエルヴィとジュヌヴィエーヴは実験の後に、Fとの戦闘で乱れた庭の手入れを手伝うくらいのゆとりを持つ事が出来た。

「少なくとも月給取りのジューヌは、人間に最大限接近するか、あるいは人間そのものになるという事ですよね?」

「ええ、そうなりますね」

「でしたら貴女がこの実験に参加されたのは、人間になりたかったからですか?」

 庭土を埋め直していたジューヌは、改めてそれを問われて一瞬返答に窮してしまった。が、気を取り直して応じる。「そうよ」と。

「私は人間の血を啜りたいとは思わなくなっています。だから自分が吸血鬼である事に、あまり必然性を感じないのです。むしろ損なわれた多くの感覚を、人としての感性を取り戻したいと願っています。だからなりたいのです。人間に」

「そうですの…」

「でも、どうしてそんな事を?」

 今度は逆に、エルヴィの方が躊躇した。余計なお世話だとも思えたが、これは彼女の将来に関わる話だ。意を決し、エルヴィは切り出した。

「人間になる。つまり吸血鬼ではなくなるのです。そうしたら、貴女は吸血鬼という存在自体から縁を切り、人間の社会へと足を踏み出さねばならなくなります。彼とも会う事は叶わなくなりますのよ?」

「彼?」

「リヒャルトです。好きなのでしょう? 彼の事が」

 それを聞き、ジューヌの動作がゼンマイの切れた細工人形の如く綺麗に停止した。して、しばらくもすればブンブンと首を横に振るのが実に分かり易い。

「だだだだ誰があんな変変変変態なんか」

「そういうベタなリアクションは結構ですから。私はただ、貴女には幸せになって欲しいだけですわ。でも、その手段を決めるのは貴女以外には居ません。どうか、よくお考えになって」

 自分の言葉によって、ジューヌは胸に手を当て、考え込んでいる風だった。彼女の悩ませる事は本意ではないので、エルヴィとしては聊か辛い。

 エルヴィは溜息をつき、己が右の掌を見詰めた。相変わらず其処には、黒い点が不自然に浮かんでいる。それは以前より大きくなっている訳ではないが、色合いを更に深くしているような気もした。この事は、まだきちんとカーラに相談していない。

 それと言うのも、この微妙な変化を然程不審に思わない自分が居たからだ。明らかに継承実験を受けての変化であるにも関わらず。奇妙ではあるけれども、これを当然とも思えてしまう。

(一体何故?)

 

『我が系列よ』

 

 その声は自問に応えた、と思えた。とても穏やかな声だった。エルヴィは驚き、周囲を見渡して、掌を眺めたまま微動だにしない自分を「見下ろした」。

「私は、私を見ている!?」

 体の外にある自分は、間違いなく自分だった。ならば今、自らの真下に位置する自分とは何なのだろう。

 と、「体の方」に変化が起こった。

 右の掌から、黒い何かがコールタールのように流れ始め、微動だにしない自分にゆっくりと手を伸ばして行く。コールタールはその内に全身を包み込み、しばらくは馴染ませるようにのたくっていたが、徐々に形と呼べるものを作り始めた。

 その形は、一言で言えば異形であった。蝙蝠のような羽を背中に形成し、頭部の髪は硬質化して無数の棘の如き有様となった。手と足は最早エルヴィの頭身を無視して、強く、長く、たくましい。また、手足の先端からは鳥状の巨大な爪が突出している。その役割は、何かを掴んで引き裂く以外に他は無い。

「これが」

 エルヴィは直感で、それが何を意味するのかを知った。

「これが吸血鬼という種の、本来の姿…」

 

『その姿、恐れる事は無い。まことに恐るべきは心なのだ。汝に心があれば、即ち汝は汝である』

 

「エルヴィ、どうしたんですか、エルヴィ!」

 肩を強く揺すられ、エルヴィはようやく我に返った。傍を見れば、ジューヌが心配そうに自分の顔を覗き込んでいる。

「いきなり金縛りに合ったみたいになりましたよ。どうされたのですか?」

「…いいえ、何でもありませんのよ。ちょっと疲れてしまったのかしら」

「大丈夫?」

「吸血鬼に体調不良はありませんものね」

 言って、エルヴィは小さく笑った。

 しかし、自分が見たものの暗示を思うと、その笑顔も幾分の陰りを見せる。

 

 

VH2-3特:終>

 

 

○登場PC

・エルヴィ・フォン・アスピヴァーラ : 戦士

 PL名 : 朔月様

 

 

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ルシファ・ライジング VH2-3特【禁忌】