<赤十字ベイエリア支部>

 サンフランシスコに来てからというもの、これ程健全な場所に来た事はあったろうか、と、風間黒烏は赤十字事務所のビルを前にして、何となく立ち尽くしてしまった。

 かの一匹狼のハンター、リーパーが、風間との面会をこの場所で指定してきたからなのだが、あの後ろ暗いにも程がある女の方が圧倒的に場違いだろうと風間は思い直した。意を決し、エントランスを潜る。途端に受付の女性から声がかかった。

「ようこそ、赤十字へ。献血の窓口はこちらですよ」

「いや、あの」

 躊躇する風間に有無を言わせず、受付嬢は風間を椅子に座らせた。何処の国でも、提供される血液の量は多いに越した事はないらしい。風間は腹を括って出された書類にペンを走らせた。それにしても、リーパーは何処に居るのだろう。

「こうして善意の方が来て下さるのは助かりますよ。何分サンフランシスコでも、血液は多くて困るという事はありませんから」

「そうなのかい? いや、結構人は来ているみたいだが」

 書類の必要事項を埋めながら、風間は何となく周囲を見渡した。勿論大盛況という事はないが、この事務所はそれなりに人の行き来がある。赤十字に来る一般人と言えば、大方の場合は献血が目的であるはずだ。そう指摘すると、受付嬢は肩を竦めてみせた。

「本当、何ででしょうね。サンフランシスコは人口も多いですし、血液提供者に事欠かないはずなんですけどね。はい、それでは案内に従って2階にお上がり下さい。御提供、ありがとうございました!」

 受付嬢に促され、風間は2階の献血ルームに入った。これまた愛想の良い係員が手早く準備を始め、血液パックに連結した注射針を慣れた調子で風間の腕に刺す。

「痛くないですかー? 痛かったら言って下さいねー」

「痛いも何も、もう手遅れじゃないか」

 実際係員はプロであり、注射はチクリともしなかった。このまま5分程安静にして下さいと言われ、風間はパックに吸い上げられる己が赤い血をぼんやりと眺めた。

(…何しに来たんだ、俺は)

 献血である。という事はなく、風間はリーパーに会う為に赤十字事務所までやって来たのだ。

 リーパーが、何故この場所を選んだのかは分からない。ただ少なくとも、風間を誘い込んで闇に葬る意図は、赤十字ベイエリア支部という場所柄から察するに、考え難い事だった。

 しかし選択肢を間違えれば、一瞬で自分は死ぬ。その腹を括って、風間はこの場所に居るのだ。焦らさずさっさと出て来やがれ、と思う。

 と、部屋の扉が音も無く開いた。何気にそちらを見て、風間の表情が強張った。それは途轍もなく黒い、ただただ黒い塊に見えたのだ。しかし面を上げて真っ白な顔が覗くと、風間の気は幾分楽になった。会うべき者が、ようやく現れてくれたからだ。

「君、もう行っていいよ」

 その者、リーパーは顎を出口に向けて係員に言った。対して彼は返答もせず、更に言えばリーパーや風間の存在にすら意識を払う様子も無く、書類を抱えてさっさと出て行ってしまった。

「…俺は舞台劇でも観ているのか?」

「ここの職員は私によって、心に操作を受けている。私が居ても、その存在には気付かない。献血に来る一般人もね。ただ、お前のようなハンターには通用しない。その程度の力だ」

 何でもないように言って、リーパーは風間の正面に着座した。相も変わらぬ地獄の住人のような目つきでもって、じっと風間を見詰める。して、リーパーは退出した係員に代わって注射針を風間の腕から抜き、器具をあっさりと片付けてしまった。

「慣れたものだな」

「ああ。たまに片付けを手伝っている」

「何の為だ」

「それは話の途中の話題にしよう」

 リーパーは鼻を鳴らし、腕を組んで再び凝視の姿勢に戻った。が、その目が不意に丸くなる。風間が小さな花束をテーブルに置き、リーパーの元に差し出したからだ。

「カミツレだ。花言葉は『逆境の中の力』。良ければまた、あの可哀想な家族の家にでも手向けてくれ」

「見ていたのか。カミツレというのは和名。英語ではカモミール。蘭語でカーミレ。ふむ」

「情を理解出来る者だと俺は思った」

「随分薄れてしまったが、情感の残滓みたいなものは私にもある。あの家族、さぞや辛く恐ろしかったであろう…今度は何を並べ始めたのだ」

「ワインだ。まあ、取り敢えず一杯やろうぜ。オーストリア、ハンガリー、そして成長著しいイングランド産だ。どれがいい?」

 リーパーは並べられたワインボトルをしばし眺め、左端のものを手に取った。オーストリア産、ベーレンアウスレーゼ。

「心遣いに感謝しよう」

 そうは言うものの、彼女が自称していたように、リーパーの言葉は情感が薄かった。それでも風間は比較的和やかなスタートを切れた事に満足し、夕陽のような赤みのワインが注がれたグラスを手に取り、リーパーのそれと軽く合わせた。

 

 本日の兵糧丸は「アボカドとマグロのサラダ味」である。出来は、非常にいい。晩御飯のおかずにもなりそうだ。実際、ワインが白でなかったのが些か残念だが、ベーレンアウスレーゼとの組み合わせは上出来だった。今回は胸を張れる自信作だと風間は自負している。

 しかし機械的に兵糧丸を口に放り込み、ワインを喉に流す動作を繰り返すリーパーは、旨いとも不味いとも一切口にせず、何を考えているのかさっぱり分からない。情感と共に味覚が途絶えてしまったのだろう。このオンボロ舌の持ち主め。風間は決して口には出さず、心の中だけで毒づいた。

「さて、談笑も終わった事だし、そろそろ本題に入ろうか」

「いやいや、あんたは一切笑ってねえぞ」

「ここは私だけの縄張りだ。だからエルジェの一党がやってくる事はない。プライバシーを破ろうものなら、奴等はその代償を首で払う事になるだろう」

 さらりと恐ろしい事を言っているが、風間は冷静に彼女の言葉を吟味した。その内容は案の定、エルジェの居る組織との濃厚な繋がりを、リーパーが持っている事を匂わせている。

「その代わり、私は奴等に血液パックを定期的に提供している。吸血鬼がうろついている割に、この街にそれ絡みの被害報告が無いのは、その為だ。しかし吸血鬼にとって、人間の血は自ら動脈を食い破って啜り尽くすのが最高なのだ。何れ奴等も人間を襲い出すであろう。その時が来れば」

「その時?」

「吸血鬼の真祖の、本格的な復活だ。私は真祖に、完全に死んでもらいたい」

 リーパーは身を乗り出すようにしてきた。どうやらここからが、風間を呼び寄せた真意の吐露になるらしい。

「ハンター達に真祖の居場所を探して欲しい。真祖は間違いなく近辺に居る。私とエルジェ一党が、この街に足を運んだ理由の一つがそれだ。しかしながら真祖の居場所は、エルジェや私を含めて誰にも分からない」

「ちょっと待て。この街に居るのは分かっているのに、居場所が分からないとはどういう事だ」

「カスパールという悪魔が、エルジェに情報を提供した」

 その名を聞いて、風間は絶句した。サンフランシスコにおける一連の怪異現象は、カスパールの名を持つ悪魔が大きく関係している。それは当然のように、この吸血鬼事件にも関わり合いが合った訳だ。

「人口の割に小規模な街と言われちゃいるが、それでもサンフランシスコは広い。何か手がかりのようなものはないのか?」

「真祖が人間との決戦に敗れた後、その亡骸は忽然と消え失せたそうだ。しかしカスパールは、彼が信奉する神からこのような啓示を受けていたらしい」

「悪魔が信奉する神だと?」

 それには応えず、リーパーは千切れた紙を風間に見せた。其処には数字とアルファベットが書いてある。

『 374936

  1222524

  N W』

「何だこりゃ」

「カスパールも自嘲していた。しかし出し抜く要素はこれしかない。真祖が永の眠りから覚める前に、彼奴の体を見つければ、勝ち目が見えるやもしれん。まずは、この数字を元に調査を頼みたい」

「一つ問う。あんたは吸血鬼か?」

「そうだ。お前達に女帝級と呼ばれる者だ」

「やはりか。ならば吸血鬼のあんたが、何故ハンターの俺に与するのだ?」

「私には真祖の呪いがかかっている。この呪いがある限り、私には行動の自由が無いに等しい。貴人は真祖を倒したが、完全抹殺には至らなかった。もし今度こそ仕留められるなら、私の呪いも解かれるやもしれん。真祖を滅ぼせるのであれば、ハンターにも悪い話ではあるまい」

 要は取引であったかと、風間は頭を掻いて考え込んだ。リーパーは反逆の危険を犯してまで、ハンターである自分に情報を提供し、それ程に自らの呪いを解きたいらしい。真祖復活という恐るべき事態を前にして、風間は呑まれそうになる気を立て直し、リーパーに応答を切り出した。

「あんたの言い様は些か一方的だ。これは取引ではない。自分が出来ない事を、ハンターにしてもらう訳だからな。なれば、こちらも相応の対価が欲しい」

「対価か。言うがいい」

「二つある。まず一つ目。あんたの本名を教えてくれ」

 リーパーは僅かに躊躇した様子を見せた。が、軽く舌を舐め、その名を口に出した。

「ミラルカ・カルンシュタイン。これでいいか?」

「ああ。女を死神等と呼びたくないからな。そしてもう一つ。自分の立場が危うくならない範囲で、協力して欲しい事がある」

 

 赤十字から貰ったチョコバーを片手に、風間は太陽が燦燦と輝く表通りに出た。振り返ると、ベイエリア支部の2階にミラルカの姿は既に無かった。

 と、ポケットからバイブレーションが響く。携帯電話を取り出し、発信元を確認。その名を見て、風間の口が歪んだ。『カリフォルニアナンバーワン』

「…スピードか」

『こんにちは! 心の友よ、飯食ったかい!?』

「うるせえ。ちゃんと聞こえてるから、でかい声で喚くな。ところで、共有案の締結は上手くいったらしいな」

『何か、何時の間にか自動的に事が進んでいたよ。あっはっは。そっちはどうだい、リーパーの人とは仲良くなれたのかな?』

「厳しい奴だった。込み入った話になりそうだから、詳しい事は後でな。それより、いい加減聞きたい事がある」

『何なりと言い給え。聞こうではないか』。

「デンジャラスゾーン・スピードメータって仮名はいい加減飽きた。それに恥ずかしい。ちゃんとした名前を言え」

『そんなあ。別に言ってもいいけどさあ、折角デンジャラスな呼び名が浸透しつつあるのに、勿体無いじゃないかあ』

「…じゃあ俺が言う。リヒャルト・シューベルト。それがお前の本名だ」

『何ゆえその名を!』

「例の会合で、お前の名前が出たってよ。良かったな、てめーの名前はハンターの間じゃ轟いてるよ、リヒャルトちゃん」

『ノーッ!?』

 電話が切れた。呆気に取られる風間の目に、今度はメールの送信知らせが入ってきた。送り主は頑なに『カリフォルニアナンバーワン』。

『それはともかく、画像を送信しよう。例の会合の記念写真だ。有難く目蓋に焼付け給え。ちなみにこれを撮ったのはジュヌヴィエーヴ嬢である。彼女は最近すっかりしおらしくなってしまって、若干寂しさを禁じ得ないのだよ。恐らく私の美貌の前に諦めがついたのではないかと想像し』

 ズラズラと表示される文字列を容赦なく打ち切り、風間は画像を開いた。

 ハンターと吸血鬼が一同に会した写真だ。この先のポジティブな成り行きを想像させる、それは心躍る絵面だった。

 しかし風間は、画像の中央に座る、うっすらと微笑む女性の顔を見、息を呑む事になる。

「何だこれは…。ミラルカと同じ顔じゃないか!」

 

 

<VH2-2特:終>

 

 

○登場PC

・風間黒烏 : スカウター

 PL名 : けいすけ様

 

 

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ルシファ・ライジング VH2-2特【その女の名は】