<明けの明星>
其処はどうやっても普通の人間が侵入する事の出来ない、南アフリカの喜望峰付近を模倣した異空の場所であった。
感覚的なところで言えば、其処はサンフランシスコの直ぐ隣に位置している。この空間を創出した張本人、ルシファですらも、サマエルの張り巡らせた大結界を突破出来ていない。故に己が存在を間近とし、サマエルを圧迫する事がルシファの狙いであった。
ただ、その位置取りには副次的な効果も表れている。古い神と人間の合力した存在が、サマエルの結界をすり抜けてルシファの居場所に到来出来る、というものだ。ルシファにも出来ないサンフランシスコへの出入りを、彼らは現実とは異なる上層世界において、極度に限定的ながら行なう事が可能という訳だ。
ルシファにしてみれば一方的な攻撃を受ける恐れがあるという意味で、脅威と捉えるべき事象である。しかしルシファはルシファであるが故に、ただただ砂浜のチェアでくつろぎ、ビールなどを口にしていた。今の彼を倒せる者が至極僅かである事実を、ルシファ自身も承知している。つまり彼は、この世のほとんどものを歯牙にもかけていないのだ。
よってルシファは「古い神と人間の合力したもの」に対し、排除という選択肢を最初から考えていない。むしろ向き合い、意図を確認したうえで、サマエルの守らんとする場所を内部から瓦解させる道筋になるとの期待を彼らにかけていた。それもサマエルに直接対抗させるというより、その庇護下にある人間達に、壊乱を引き起こす効果が狙えると考えた所以である。
実際、アメリカで幾つか発生した街の住人同士の殺し合いには、彼の意図が濃厚に関与している。そして人格を悪魔と同一のものにするクロートーン・ウィルスを全世界に拡散し、彼は人間が相争う事で社会を破滅させる展開を現在進行形で目論んでいた。人間の結束を揺るがして対立へと仕向け、自壊に至らせるのはルシファの常套手段だ。名も無き神に最も近い天使の出自であるから、彼が直接手を下せば人の社会の大破壊は免れ得ない。敢えてそうしないのは、人間を徹底して見下すルシファの思想が根底にある。
御父上、かような代物が人間なのです。
シンプルに表現すれば、それがルシファを突き動かす原動力である。
(それを、たかがあの男の言葉に躊躇されるなどと…)
『愛しさ余って憎さ百倍かい?』
咄嗟、ルシファは自身の思考に入り込んだものに殺意を向けた。が、即座に心を平板とし、からかいの意図を送り込んできたリヴァイアサンをやんわりと咎めた。
「憎いなどという卑近な情を、私に当てはめるのは止して貰いたいな」
『ほう、今もって御父上を愛していると』
「天使として当然だ。むしろ君は、そうではないのかと問うよ」
『分からぬ。人間が俺を海の怪物と認識する昨今、かつて俺自身が天使であった記憶も希薄になりつつあるようだ。天使から離れてしまえば、御父上からも離れる事となる。寂しいが、そういう成り行きなのだろう』
「だから私達は、今一度人間に信仰の尊さを叩き込む必要がある、という事さ。あの脆弱なるもの共は、少し横槍で突付いてやれば、たちどころに上位存在へ救いを求める。御父上の愛に縋ろうと、気を入れ直して祈りを捧げる。君もかつてのように偉大な存在だと崇められるだろう」
『俺は悩めるべリアルと違って、今の俺もそう悪くないリヴァイアサンだと思っている。で、ミカエルと最終戦争か。御父上がお怒りになるとは思わんのかね?』
「むしろお叱り戴きたいものだ。正義の鉄槌を私に下して欲しい。その芽があると信じればこそ、私は兄弟との戦いも辞さないのだ」
ルシファのついた溜息には、多少疲労の色があった。ついと顔を上げると、ようやくリヴァイアサンが『向こう側』から出現する様が見える。異形の巨体が、其処彼処で大きく傷付いていた。ホウ、とルシファは驚きの声を上げた。
「君ほどの者が痛み分けか。中々に凄まじい手合いのようだ」
『まあ、強い。軽く手を合わせるに留めるつもりだったが、つい勢いに乗ったよ。向こうにも手傷を負わせたが、挙句にこのザマだ。敵は未だ原住民の崇敬と親しみを集める厄介な連中だ。今来ているのは、三貴子と称する者の一人と、その宿敵であった怪物、計二体。共に蛮族国家日本の象徴的存在でね。彼奴らに敬意を表し、次は軍団を率いて本格的に挑ませて貰おう』
「その折には、例の『人間のような者達』が加勢するかもしれないが、大丈夫かね?」
『そうなれば尚更に嬉しい。矢張り戦いは激しく、苦しいものに限る』
リヴァイアサンは巨体を揺らし、笑った。
<天性の不仲>
一気呵成に攻め込んで、ルシファが形成した領域に後一歩で侵入をば果たさん、などと盛り上がっていた日ノ本の神様、須佐之男と八俣であったが、見事リヴァイアサンに阻止されて今は仲良く軽傷同士である。またぞろ目指すところは遠退いた次第である。海洋生物のごった煮みたいな姿形の怪物にしてやられ、二人は揃って機嫌が悪いのである。互いが『お前のせいだ』と認識している都合、何故押し返されたかを反省する気配は全く無かったのである。
そう、何故押し返されたのか。そんなものは火を見るより明らかだ。この二人、全くもって共闘という意識が皆無だった。神同士がやり合うとすれば、勝敗の行方は気合如何に左右されると言っても過言ではない。元々須佐之男と八俣は日ノ本でも最大級の神格を持つ神々であり、リヴァイアサンに引けをとるどころか、状況によっては大きく凌駕するはずなのだ。しかし『敵を薙ぎ払う』というひたむきな戦意を、『こいつよりは活躍せねば』の自己顕示欲が上回ってしまったというワケ。ぽてちん。
そうなると大変辛い。リヴァイアサンは、こと戦事に関しては純粋だ。
『一番槍は俺だ』
『いや私だ』
かような言い争いを初手からおっぱじめていれば、勝てるものも勝てぬは当ったり前だのクラッカー。この有様、もしも天照姉さんが見ていたならば、額に青筋浮かべつつ、特に弟の方を滅多打ちの半殺しの目に合わせていたに違いない。
で、須佐之男と八俣は一旦退き、維持に膨大な神力を要する「真の姿」を解いていた。今はジャージ上下とTシャツ&ジーンズの『世間的には、あんまり報われていません』と言わんばかりの若者の姿を取り、自らが作り出した空域で傷を癒すべく大人しくしていた。否、大人しくしているはずがなかった。
「てめえっ、このっ、呑んだくれの役立たずが! やたら数だきゃ有る鎌首は、どいつもこいつも考えるのが大層苦手らしいな、ええ!?」
「やかましい髭ボンクラ! 何が『右へ回り込め』だよ、このドアホウ! あの時お前、マジ蹴りを私に入れただろう。お前は敵か味方かどっちなんだ!? 私が思うに、多分敵だ!」
「力の加減を間違えただけだ、きんたま小せえなあ! お前がトチ狂って9連続頭突きかましてこなけりゃ、絶対俺の勝ちだったぞ!」
「おま、お前、キッサマの蹴りで私の首が一斉に吐血する様は見たのか? あれを笑って許すほどに、私は牧歌的ではない!」
で、また喧嘩である。
そもそもこの御二人を同道させる案をぶち上げたのは天照姉さんだが、共闘という方向に持って行かせるにあたって、あの大女神様は特に難しい事を考えていなかった。
『拳で語り合う。それが漢の友情醸成に欠かせぬ要素だと、わらわは思うた由』
『どっちかの拳でどっちかが死ぬとは考えませんでしたか』
『ほら、仲良く喧嘩しなって言うじゃない?』
『トムとジェリー作戦ですね。絶対失敗すると思います』
その通り。何しろ須佐之男と八俣の因縁は、日本神話上でも最悪の部類である。酒食らわせてグーグー寝てる間に首をポンポン刎ねるとか。首を刎ねた須佐之男はしたり顔で八俣を見下し、首を刎ねられた八俣は屈辱の極み怒髪天を貫くの按配。果たしてこの二人、海の大妖リヴァイアサンを打ち破り、堕天使軍団総大将のルシファに迫る事が出来るのか?
出来るはずもねーよ。
かように思われたその矢先。飽きもせずに取っ組み合う二人の前に、ビキニとビキニが現れた!
「喧嘩を止めて! 二人を止めて!」
と、ビキニが言った。
「私の為に争わないで!」
と、もう一人のビキニが言った。
『もうこーれーいーじょおおおー』
と、二人のビキニが唱和した。
その唐突さと不条理の加減は、尊い日ノ本の神々を一時金縛るには充分であった。レヴィン・コーディル。ルシンダ・ブレア。揃ってビキニ姿で神同士の大喧嘩に参戦である。
ところでレヴィンのは『戦艦長門を模したビキニ』だそうだが、何回アクトを読んでも『戦艦長門を模したビキニ』が如何様な代物であるのか、さっぱり分かりませんでした。
<三千世界の鴉を殺す 其の一>
再戦の備えを整えるべく、リヴァイアサンがこの場を去ってしばらく後、ルシファは閉じていた瞼をゆっくりと開き、到来した新たな客を視界に置いた。
「ようこそ君達、歓迎するよ。丁度退屈していたところでね」
穏やかな笑みを口元に湛えつつ、ルシファが言う。相対するは二人の人間だった。正確には、人間の心を宿した人外のからくりである。ソニア・ヴィリジッタとブライアン・マックナイト。彼らのルシファを見据える目は厳しい。槍の穂先のように鋭い視線を何とも思わずに受け止め、ルシファは些か暢気な台詞を切り出した。
「その水着は何かね。海岸という状況に合わせてくれたのか?」
「キューには念押しで聞いておいたけど、特に何の意味も無くてビックリだよ」
「強いて言えば、戦の状況で水に濡れてもOKとかか? ふざけてる。本当にふざけているぜ、あの空飛ぶ蛇は」
白いワンピースのソニア、そしてライムグリーンのマンキニのブライアン。これが二人の出で立ちである。ちなみにマンキニとは、レスリングユニのように肩に掛けるタイプの男性用ビキニである。隠れているのは股間だけというアレだ。あのデザインを編み出した最初の人間のセンスには、計り知れないものがある。
「エロボディのくせに清楚な白とか。ギャップを狙いのあざとさが逆にいい感じだぜ、ソニア」
「褒め言葉どーも。で、あんたの水着だけど、敢えて感想は言わない。言うと辛い事になりそうだから」
等々遣り取りしつつ、二人は仏頂面のまま歩み寄り、空いたチェアに腰を下ろした。彼らを見るルシファの目は、相変わらず面白い娯楽を見るような按配である。尤も、其処に侮蔑的な意味合いは無い。自身が意図して抑え込まなければ、通常人間は己が発する氣に当てられ、卒倒するか悪ければ死ぬ。対して彼らは、カフェで偶々隣に座るかのような風情で平然とルシファに相対していた。面白いな、とルシファは繰り返し思った。
「戦か。確かに戦をすれば海水で濡れるな。一応聞いておくが、君達は私と一戦交えようと思っているのかい?」
「無えよ」
「その通り。無いわよ、そんなもん。どうやっても勝てないと言われているあんた相手に、蛮勇振るうつもりは無い。話をしにきたんだ」
「話」
ルシファは酷薄に目を細めた。
「私は特に話をする必要は無いと思うのだがな。事は至って単純だ。君達を天使の仲間入りとする。それに君達が応じるか否か。ここに来たからには芽があるものと私は解釈する。その気が無ければ、何しろここに来なければいいのだから」
ソニアとブライアンは、目線でもって意思を交わした。二人が思うのは、なるほど、堕天使らしい会話の仕方であるという事だった。態度にはおくびにも出さないが、ルシファは桁外れの実力を背景にした恫喝を既に開始している。選択肢は存在するにも関わらず、ルシファは当初から「そんなものは無い」との意図を言葉に込めてきた。
しかしソニアは動じず、会話を継続させた。
「その打ち合わせに入る前に、一つ言い含めておきたいんだけどさ。あんた、天使にするってのは嘘なんだろ?」
「ほう?」
ルシファは腕を組み、じっとソニアを見詰めた。人間を狂死させるも容易い眼力を真っ向から受け止め、ソニアは更に続けた。
「ある天使の眷属が言ってたよ。正確にはヴラディスラウス・ドラクリヤなんだけどさ。神以外にサマエルだけが、天使を創り出す力を持っているのだと。天使は嘘をつかないというが、あの人もその範疇にあると私は思っている。つまり信用出来る話って訳さ。翻ってあんたはどうだろう。あんたには、この設定を覆す根拠があるのかい? それとも、実は天使じゃないとか?」
言いながら、ソニアは背筋をぞくりと震わせた。腹を括っていたものの、この堕天使を相手に挑発的な言葉を述べるのは勇気が要る。恐らくルシファは、どれだけ言葉に怒気を込めようと、蚊の羽音くらいにしか思っていない。それでも鬱陶しいと思えば、蚊は叩き潰すものだ。気紛れ即ち死である。格闘人形のこの体、真の意味での死は有り得ないと分かっているものの、その前提条件は目前の底無し相手に通用するのか否か。
対してルシファは、やや芝居がかった仕草で目を丸くした。
「嘘を言ったつもりはないのだがな。確かに現行の天使は御父上、それにサマエルだけが創出出来る。私が言うのは、『私の』『新しい』天使さ」
「何だいそりゃ」
「天使とは御父上にお仕えする使徒の事だ。しかしそれは、信心深い人間達にも当てはまる。ならば人間と天使の決定的な違いとは何か。全き力だ。私ならばそれを授けられる。天使と名乗る事に差し支えは無い」
「その理屈はおかしい。神は御父上であり、あんた達はその子供でしょうが。神が創出していない、ましてや子供でもない者が天使になれるはずもない」
「いや、全人類は神の子だよ。君達には元々天使になる素養があるのさ。確かに現行の天使の規定からは外れるが、心配ない。この私が天使だと認めるのだから。そしてそれは、配下全軍の承認をも意味する。後は御父上にお伺いを立てるのみなのだが、御身を隠されている事は君達も知っての通り。何れ正式にお認めを戴くまで、少なくとも君達は私が認めた天使なのだよ」
我思う、故に汝天使也。
つまりはそういう理屈である。破滅的な力を与え洗脳を施し、天使(仮)の一丁上がり。確かにルシファは嘘を言っていないが、それはルシファ自身が嘘を強固に信じ込み、自身の中で尊い真実と化しているからだ。つまり事の本質は、でまかせもいいところである。正しく一流のペテン師の心理だ。こうなると、言葉の矛盾を突いて論理でやり込めるのは難しい。
と、場を察したのか否か、ブライアンがすかさずその場に跪いた。ソニアの顔から血の気が引く。
「おい、待て、何してんの。そんなケツ丸出しの格好で、早々と恭順するつもりかい!?」
「ルシファにお願いがある」
焦るソニアを脇に置き、ブライアンはルシファに申し出た。ルシファはと言えば身を乗り出し、興味深げにブライアンを見下ろしている。
「私に頼み事とはな。いいだろう、言い給え。私には大抵の事を実現する力がある」
引き換えに何を求められるか、分かって言ってんのか。
喉元から言葉が溢れそうになるも、ソニアはそれを口に出来なかった。ルシファが彼女を言外に威圧していたからだ。これは一対一の取引であるゆえ、部外者は口を慎め、という事らしい。ルシファは天使を自称するとは言え、全悪魔を平伏させる魔王である。魔王相手に願い事をするなど、ハンターとしては絶対にやってはならないのだ。
しかしブライアンは、決然と言ってのけた。
「ベリアルさんを、娘さんを私の嫁に下さい」
ルシファの顔から柔和な雰囲気が消えた。
ソニアの思考がスカーンと真っ白になった。
真っ白な中で、ソニアは思い直す。スゲエ、ここまでくると、ものスゲエよと。この素っ頓狂な申し出に、ルシファがどんなリアクションを返すのか、俄然興味が湧いて来たよと。
<大怪獣激突・南洋の決戦 其の一>
「怪生ッ!」
天叢雲を抜刀し、須佐之男は切っ先をレヴィンとルシンダに向けた。戦神として実に模範的な反応である。対して八俣はと言えば、早速鼻の下を伸ばして無用心に歩み寄る始末である。須佐之男の膝が崩れた。
「おいおいおい!?」
「おお、何と可愛らしい異国の方々。何処から来たの? 根の堅州国? はっはっは、我ながらナイスジョーク」
八州の主神、八俣大蛇。酒と女にゃ大層弱い。かようにどん臭い弱点さえなければ、天津神の軍勢と血で血を洗う死闘を繰り広げていたはずである。現実は酒呑んで寝て首チョンパだ。自業自得以外の表現があろうか。
八俣は伝承とは異なり、他の神々と比しても人間に対してかなり甘い。それはそうだ。天津神の降臨以前、自然災害がフルコースで襲い掛かる八州に住まう者達を、影に日向に守護しようと頑張ってきた優しいヘビなのだから。更に人間の女とくればデレデレのアマアマである。しかもルシファの本陣に攻め入ろうとする、この期に及んでもこのザマだ。お前がそうである限り、俺はお前に絶対負けねえと須佐之男は思った。
が、須佐之男は鼻を鳴らして天叢雲を鞘に収めた。八俣はアレだが、アレはアレでも真贋を見極める力は確かだ。須佐之男は二人の少女を反射的に怪生と呼んだが、その身に血肉が通っていない事を瞬時に看破したからである。しかしながら八俣は、彼女らを人間と見なした。であるなら器はどうあれ、かの二人は間違いなく人間なのだと須佐之男は断じた。須佐之男は八俣とはとことん反りが合わないのだが、彼の力の程は心底認めている。八俣にとっての須佐之男もまた然り。実に面倒臭い腐れ縁である。
「俺達が何であるか、承知のうえの到来と見た」
天叢雲剣を地面に突き刺し、須佐之男は腕組み仁王立ちで二人に相対した。
「疾く素性を申せ。返答次第では二度目の太刀を抜く」
「あー、気にしなくていいよ。君達が敵ではないのは分かっているから。こいつが暴れる前にボディブローで沈めてみせるからね」
「うるせえ蛇。貴様それでも神か」
「その言葉、そっくり返すぞマザコン髭。明らかに敵ではない者を相手に、その非寛容こそ神とは言い難い」
しゃべると言い争いになるのは何時もながらの風景である。放っておけばまたぞろ取っ組み合いに発展するのだが、そうなる前にレヴィンとルシンダは片膝をついて跪いた。
「初めまして、掛けまくも畏き御方々。米国、加州桑港から参りました、レヴィン・コーディル」
「同じくルシンダ・ブレア。取り敢えずお近付きの印に、これどーぞ」
おもむろにルシンダはレジャーシートを広げ、自作の料理だの酒だのをずらずらと並べ始めた。須佐之男の険しい顔が、冗談のようだがそれだけで緩んだ。
「お腹減った。その事に今気付いた」
まるで子供である。実際神話でも子供みたいな人だが。
少し時間をさかのぼる。
『…だから何だ、としか言い様が無い』
どうよ! と、ビキニ姿を見せ付けたルシンダに、テスカトリポカは憮然とした声でもって応えた。
『かつての我が民達は、同様に裸同然の姿であったわ。しかし解せぬ。衣装をかくも進化させた人間共が、退化の極みのような布切れで満足するなど』
「ダメだなあ、ポカちん。人間の美は突き詰めると生まれたままの姿ってとこに落着するけど、その一歩手前を表現するのが水着なのよね。見よ、この曲線美」
『前から思っていたが、見れば見るほど人間というのは珍妙な形をした生き物だな』
人間が想定するテスカトリポカの形状も大概なのだが、やはり彼の感受性は人間のそれと大きく異なっていた。予想通りのリアクションとはいえ、ルシンダは超がっかりである。それでも気を取り直し、彼女は他の神々も交えて座談会の場を設けた。議題は、ルシファという存在そのものについてである。
「何と、お父ちゃんとお母ちゃんの知己であったか。疑って済まぬ」
その座談会に伊邪那岐と伊邪那美も参加していたと知り、須佐之男は目を丸くした。出されたピザやハンバーガーを豪快に食らいつつ、須佐之男がルシンダに先を促す。
「で、るしふぁについてどういう話になったのだ?」
「それが、特に目新しい話にはならなかったのよね。ハンター側に誘いをかけてきた事。古い神々を殺戮して回る事。結局のところ、全てが影響力の浸透という目標一点に集約されているってとこかな」
「しかも、自分が人間世界の覇者たらんという思惑も、恐らくは無いとか」
レヴィンがルシンダの後を継ぐ。
「強いて言えば、名も無き神の世界観に人間の意思を統一させるという事。でも、それってサマエルが目指しているものと同じなんだけどなあ」
「ルシファとミカエルの最終戦争は総仕上げとでも言えるイベントだけど、サマエルは自ら違う流れを起こそうとしている点に彼らとの違いがあるわ。規定事項に反するものは排除する。よく言われている比喩だけど、まるでロボットね」
「やり方さえ違わなければ、サマエルは人間側の心強い味方になったかもしれないのに」
「…しばらく引きこもっていたので未だ詳細が頭に入っていないのだが、遥か昔から似たような争いを神々はやってきているよ」
西洋の酒もなかなか、等とひたすらウィスキーを飲んでいた八俣が、赤ら顔で口を挟んできた。須佐之男が顔をしかめる。
「寝るなよ」
「失敬な、節制しておるわ。お前こそ寝首を掻くでないぞ。それはさて置き、日ノ本でも同じ事はあったのだよ。新興神による古来神の取り込みだ。国譲りなどと称しているが、実際はえげつない事もやっていたんだよな?」
言って、八俣がギロリと須佐之男を睨んだ。対して須佐之男は、平然と応えた。
「お前との成り行きについてか?」
「それは私の腹に納めた話だ。むしろ伝承として残る分、まだしも和やかな経緯と言えよう。問題は伝承にすら残らなかった完全破壊だ。派手なお前やお姉ちゃんに成り代わり、月読殿は日陰で相当の事をしでかしたと聞く」
「姉上に太陽として輝いて頂く為、或いは俺が親しみ深い英雄と認識されるようにする為、兄者は敢えて汚れ役を買って出たのだ。話し合いだけで済めば、兄者とてかような制圧はしたくなかったであろうに。ただ、こうした一連の流れは、土着の民を異民族が征する歴史に符合している。だから異国の娘達よ、るしふぁとみかえる、それに何だっけ、さまえるとかいう奴のやろうとしている事は、人の世の写し鏡なのだ」
そう言われると、レヴィンとルシンダはバツの悪い思いがした。これだけ意思疎通が狭められた世界にあって、異教徒同士の抗争は激化の一途だ。同じ宗教間でも別派閥が血みどろの殺し合いを前時代さながらに繰り広げてもいる。ルシファはもしかすると、それに乗じて事を起こしているのかもしれない。
非寛容。これまでの天使の言動はその一語に尽きる。しかし彼らをそのように仕向けたのは、他ならぬ人間であったのだ。
バシ、と、レヴィンは両掌で自分の頬を叩いた。ルシンダが首を傾げて彼女を見る。
「どうしたの?」
「何か、考えるのが億劫になってきちゃった。取り敢えず、この戦いに勝たねば。その方向性は絶対に間違っていないよ」
「左様、これは純然たる生存競争だ。正義も悪もへったくれも無いわ」
「その乱暴な物言いに賛成だ。攻め寄せる者どもを撃退するに躊躇は要らない」
「…ベクトル似た者同士だわ、この人達」
ルシンダは嘆息つきつつ、得物を携えて立ち上がった。レヴィンと日ノ本の神々も後に続く。ささやかな催しをこれにて終え、彼らは濃厚となりつつある敵の気配を肌身に感じていた。
<三千世界の鴉を殺す 其の二>
先ず、前提条件が色々と間違っている。
『娘さんを私の嫁に下さい!』
ベリアルは別にルシファの娘ではない。尤も、これはブライアンの有り余る勢いを表現した言葉のあやに過ぎず、ブライアンとて『父:ルシファ』『娘:ベリアル』などと本気で思っている訳ではない。多分。
そもそも天使達は押し並べて全員が名も無き神による創造物であり、広義の意味において兄弟である。そして何度も言及されているように、上位階級の天使に性別は無く、且つ上位になればなるほど人間的な情動からは遠い精神性を有するに至る。
そして最大の突っ込みどころとしては、ルシファにベリアルをどうこうさせる権利は無いと、当のルシファも考えている点であった。
もしも、もしもだが。
『ベリアル、君、ブライアン君と結婚し給えよ』
等という強制力が通じるのであれば、ベリアルがルシファと袂を分かつという結末を認めるはずはない。もう一つ、ルシファも含めて堕天使は、手段としての人心撹乱を好むのだが、同じ堕天使や天使相手にそれらは一切通用しない。たとえ相手が丁稚奉公のような身分の天使であったとしてもだ。それが可能であるなら、ルシファとミカエルによる最終決戦は、かなり異なった展開を迎えていただろう。
以上の前提を踏まえてソニアは、事態の推移を興味深く見守った。ブライアンは気付いているのかどうか分からないが、彼は『大抵の願いは実現させる力がある』と豪語するルシファに対し、彼ではほぼ実現不可能な提案をしてみせたのだ。
『ねえ、早いトコ屏風の中の虎を追い出して下さいよう』
例えればこんな感じだろうか。
とんち昔話みたいな展開を迎えて、ルシファも今のところ反応に躊躇しているらしい。考えてみれば、これは凄い事だ。果たしてルシファはどのような対応を見せるのだろうか。それ如何によって、ルシファとの対話が成立出来るか否かを推し量れるだろう。かようにソニアは考えた。
ルシファは大きく溜息をついた。そして恐らく、ブライアンとソニアが全く想像もしていなかっただろう手段に打って出た。
「ならば、ベリアルに直接聞きに行こうか?」
「どうされました?」
茶碗を口に当てる動作を寸でで止めた月読尊に、お茶汲み係が伺いを立てる。月読は眉間にしわを寄せ、露骨な嫌悪を表情に出して言った。
「鬼が狭間を突いて来たよ」
月読は社からその身を飛ばし、日ノ本の全域を覆う結界の縁へと瞬時に到達した。同時に結界の外側から巨大な質量物と見紛うものが衝突する。その衝撃は結界全体が崩落するかと思われるほどで、実際月読が相対していなければ、一点突破を許していたかもしれない。月読は腕を組み、日ノ本の神の威厳でもって、結界破りを試みたものを見下ろした。
「禍津神ですらない異形の者よ」
「極東蛮族の邪神風情が、大口を叩かないでもらいたいな」
「極東の言い様は傲岸不遜だな。お前の知る地球は平たい板か? これ以上の会話は不快極まる。とっとと去ぬるが良い」
「ほう、貴様が私を押し返すのか?」
「出来ぬと思うか、悪魔王が」
月読は荒魂を剥き出し、闖入者であるルシファを睨んだ。
ルシファの軍勢はここしばらくの間、以前のような攻勢をぴたりと止めていた。その間隙を縫う形で海の護りに就いていた須佐之男と八俣が反撃を仕掛けたのだが、薄まった護りをルシファ自身が突く格好となったのが今である。後方では危急の事態を受け、天照が大軍勢を急ぎ形成しているだろう。ここでの役回りは時間稼ぎだと月読は割り切った。
しかしルシファは戦意をまるで見せる事無く、暢気な調子で言った。
「お楽しみは何れの機会に取っておくよ」
「何だと?」
「今日は旧友に会おうと思ってね。ここに居るのだろう、ベリアルが」
「私に何用か?」
月読の背後から、豪奢な金色の髪の巫女が現れ出でた。尤も、女と見えるのは外見だけで、その中身は怪物と言っても差し支えない。元四人の貴公子、ベリアル。ベリアルは極めて冷徹な声音でルシファに相対した。
「次に会った時は殺し合いという事で、遺恨無く決別したと思ったのだけど。私の住処に寄せてきたからには、こちらも相応の対処をさせて頂く、という事」
「君も早計な奴だな。昔のよしみで、まあ話だけでも聞いてくれ。会って欲しい者が居る」
言って、ルシファは指を鳴らした。彼の後方に異国の海岸の景色が広がる。月読とベリアルは目を丸くした。其処に見知った者達が居たからだ。
「あれは、私の縁者と同じ依り代の人間達か?」
「私が敗北を認めた者達だ。あの難儀な男も覚えておる」
当惑する月読とベリアル、同じく呆気に取られているソニアとブライアンを見比べ、ルシファは実に賢しらな笑みを浮かべた。
「さて、ベリアル。君、ここに居るブライアン君と婚姻する気はあるか?」
怪訝な表情になったのは、月読、ソニア、ベリアル。ブライアンはと言えば、突如引っ繰り返った場の転換に言葉を無くしていた。久々に会ったベリアルを前にして、これは喜んでいいのかそうでないのか、さっぱり訳が分からない。ベリアルは眉間を指で揉みつつ、殺気のこもった目をルシファに向けた。
「どういう事?」
「興が乗っただけだ。取り敢えず、君、彼に答えてくれないか。さすれば私も即座に退こう」
「相変わらず気の赴くままという訳ね」
ベリアルは、どっと疲れたと言わんばかりの溜息をつき、無表情な能面顔をブライアンに向けた。
「婚姻というのは、同等の存在が生を共にし、子孫を成す為の誓約だと認識する。つまり私が人間と婚姻を結ぶなどという事は、金輪際有り得ないという事」
「いや、人と神との婚姻譚は、日ノ本以外にも数多く存在すると聞いているが?」
「月読は黙っていて欲しい。で、私から提案をさせて貰うわ。私が一心同体としているこの体は人間だ。つまり、彼女という元来の個体は人間である。私が彼女との契約を打ち切れば、彼女はただの人間に戻るだろう。ブライアンとやら、汝、彼女を愛する事が出来るか?」
其処まで言って、ベリアルの表情が大きく当惑へと変化した。ベリアルが依り代の表出を許容したのだ。
「ちょっと待って、あたしとあなたの結びつきはどうなるの? ベリアル、あなた、ずっと傍に居てくれるって言ったじゃない!」
『私と共に道を歩んでくれた事に感謝している。しかし、今一度人として立ち返るのもお前の幸せではないかと、近頃は思うようになった。私との誓約が解除されたとて、お前が死ぬまで見守る事は出来よう。話は戻るが、エレイン、お前はあの男をどのように思うか?』
「表面的な事を言ってアレなんだけど、この切羽詰った状況で、あの水着は何?」
『なるほど。どう答えていいものか見当がつかない、という事』
エレインと呼ばれた女の表情が切り替わり、ベリアルに戻る。
「ブライアン、汝、全てが終ったその後、私の提案に応の意を持ったならば日ノ本に来なさい。それまでエレインに考える時間を供しようと思う。エレインがお前を憎からず思うようになった暁には、彼女と婚姻を成すといいでしょう。その際には、私は彼女から去るわ」
「ほう。ベリアル、君は随分と変わってしまったのだな」
ルシファは機嫌良くカラカラと笑った。そして再び指を鳴らす。それを境にベリアルと月読の姿は、彼らの目の前から忽然と消え失せた。
「良い時間の凌ぎにはなったな」
ルシファはポケットに手を突っ込む格好で、肩を竦めてみせた。
「さて御二方、私は君達が考えるほどに苛烈な者でない事は、理解して貰えたと信じるよ。ブライアン君の願いは適えていないので、勿論対価を求める事もしない。意外に話せるだろう、私という者は」
ニコニコと笑顔を浮かべてチェアに腰を下ろし、ルシファは何時の間にかビールをグラス3杯分用意していた。
対してソニアとブライアンは不審な面持ちを一切緩めず、揃ってチェアに座った。
(今のが気紛れの親切心、なんて思うほどこちらも間抜けではないのよね)
ソニアは固い表情のブライアンを横目に置き、次いで余裕綽々のルシファを見据えた。
ルシファがやったのは、示威行動である。目下ルシファに対して最大の反抗勢力である日ノ本の間際に、彼はあっさりと攻め込んでみせた。力の程を月読とベリアル、そして自分達に行動で誇示したという訳だ。言外に言わんとしているのは、つまりこういう事だ。
私には勝てない。故に私に従わねばならない。
傲岸不遜が形を成したような奴だとソニアは思った。しかしながら、当初の『応か否か』という二者択一の判断を、拙速に強いられる状況からは少し異なっている。つまり多少の隙が出来たのだ。ルシファという未曾有の怪物の思考を探る機会は未だある。ソニアは気取られぬように口の端を曲げた。
<大怪獣激突・南洋の決戦 其の二>
※ほとんど毎回の事ですので言い訳もあったものではありませんが、当方はまたもマクベティ警部補の存在を忘れておりました。数値判定の際にはしっかり戦力に組み込んでいたのですが。ともあれ、以降警部補は何食わぬ顔で登場するのですが、覚えられた違和感に関しましては、何卒スルーして頂けますようお願い致します。
「この俺に任せておけ!」
「警部補格好いい!」
「警部補ナイスミドル!」
「警部補から後光が差すように見えるのは、きっとお父ちゃんの御力のみではあるまい」
「警部補は友達が多そうだ」
やんやの拍手喝采一頻り、各々は侵攻間近に迫るリヴァイアサンを迎撃すべく、陣形において各々が担当する区域へと散って行った。
戦い方に関してはレヴィンの考案した戦法が主軸に置かれる事となる。何はさて置き、須佐之男と八俣は左右の位置へと分けられた。至極シンプルな配慮と言えたが、これは非常に効果的であった。どうせこの二柱神、下手に近場に居ると、戦況お構いなしに大喧嘩を始めるフリーダム神だ。コンビネーションという概念からは程遠い存在であるゆえ、いっそのこと単独で好きに暴れて頂いた方が本来の胆力を発揮出来るというものだ。
そして二柱を割ってエンガチョさせる中央部に格闘人形集団、ハンター部隊が配置される。緒戦はリヴァイアサンの側も眷属を押し立て、力を削った挙句に満を持して大登場であろうとレヴィンは見ていた。実際ベリアルもそんな感じであったし。よって側面から須佐之男と八俣に有象無象を粉砕して貰いつつ戦力を拡散させ、中央からハンター部隊が敵のコア目掛けてブチかます。実に男らしい思考に基づいていると言えよう。
然るにこれを実現させる為には、ハンター達自身の速攻能力が肝要だ。高機動戦闘だ。ここまで言えばもう分かるだろう。レヴィンはまたもあの男を用意した!
『Shall we dance』
バタバタとローターを回すヘリの搭乗口に立つサングラスとテンガロンハットの男が、ラフな敬礼を皆に寄越してきた。助けてキルゴア中佐!
「中佐、生きていたんだね」
『地獄にはロクな波が無い。行くぞ、サーフィンバード共』
アイテム扱いなのでリサイクル可能なところがキルゴア中佐の美点である。中佐は皆に搭乗を促し、後部スペースに自らも落ち着いた。
「このヘリ、一体誰が操縦しているの?」
『ところで諸君、サーフボードは重い奴と軽いのとどっちが好みなんだ?』
「そのネタはもういいから」
『スーパーアタック・フォーメーション』
「僚機いないし」
須佐之男か八俣の何れかが張った結界の破壊に、リヴァイアサンは若干手間取っていた。
敵は精強ながら寡勢であって、対するリヴァイアサンは大軍勢を率いている。ならばリヴァイアサンの執るべき戦い方は極めてシンプルであった。全軍総攻撃だ。
(まあ、我が眷属どもは討ち死にだろうな)
結界に少しずつ軋みを生じさせながら、リヴァイアサンは思った。
彼は日ノ本の二柱に件の人間達が合流した事を既に心得ている。それによってどれだけ強力な集団と化したかは百も承知だった。ガルグイユ。クラーケン。ヴォジャノイ。半魚人の大群。眷属達は何れも名の知られた水妖だ。しかし未だ信仰を得ている古い神々と、彼らと密接に結びついた人間達に比べれば露骨に分が悪い。間違いなく眷属達は壊滅する。
これが人間の戦いであったなら、自軍の被る損害に対してナーバスになるところだが、リヴァイアサンは違った。彼にとって眷属とは、無くなればまた作ればよいだけの代物に過ぎない。つまり幾らでも死兵として使い捨てる事が出来るのだ。
しかしながら、そういう戦いを件の人間達はベリアル相手に経験している。大軍でもって戦闘能力の減衰を狙う意図は、既に読まれているだろう。それを踏まえた上で、リヴァイアサンは敵がどのような戦い方をしてくるのかを楽しみとしていた。彼はルシファと抵抗勢力の戦争、又はサマエルの蜂起がもたらす結果について、更に言えば自分自身の戦の勝敗すらも興味の外であった。望むのは戦いそのものである。ぎりぎりのラインまで凌ぎを削る、地獄のような戦いを。
苦戦を強いられ、結果敗北を迎えるもまた一興。
リヴァイアサンは笑った。そして遂に結界がこじ開けられた。
ルシンダとレヴィンの居る側からは、海の向こうに雲霞の大群が現れたかの如く見えた。それは視界に映る端から端をほとんど埋め尽くしており、これに対するはハンター3人と二柱神、そして中佐である。傍目には如何にも分の悪い戦いだが、レヴィンは胸を張って破顔大笑し、押し寄せるリヴァイアサンの軍団を睥睨した。
「暁の水平線に、勝利を刻む時が来たわ!」
大戦を前にして、いよいよレヴィンは意気軒昂だ。彼女は味方を鼓舞する能力に関し、天賦の才を有している。人間的な戦の常識がまるで通用しない異能合戦において、情勢を左右するのは間違いなく気合であり、その意味でレヴィンはまさにうってつけの人材と言えた。レヴィンの勢いに煽られ、須佐之男と八俣も得体の知れないやる気に満ちている。二柱神は競い合うように名乗りを上げた。
『我こそは三貴子が1人、希代の英雄、何故か暗黒神とも呼ばれている。断じて俺は台風など起こしておらん。降馬頭主須佐之男、見参!』
『なあにが三貴子か。元々日ノ本で一番偉かったのはこの私だ! どうも昔の絵でも八本頭で描かれているけど、本当は九つなんだよね。ほら、九頭竜伝説って各地に残っているでしょ? あれ私の事。八州の化身八俣大蛇、ここに参上!』
『八州などと偉そうに、クズ竜め!』
『何だと、大粗相をやらかした挙句に高天原を追い出されたアダルトチルドレンが!』
初手からいきなりワーワー言い争っているものの、間に上手いことハンター達のヘリが位置しており、件の如くどつき合いに発展する事は無かった。事前の配慮がいきなり効果を発揮。
大体からして、たかがリアクション1回分で須佐之男と八俣の因縁が解消されるはずがあるか。そこのところを、かの賑やかしの少女は良く理解していた。理解したうえで『お前の背中を守るのは俺だ!』的な都合の宜しい展開をバッサリと切り捨て、各々両端であいつに戦果で劣らぬよう戦ってみんしゃい、とやった訳である。レヴィンは人を、もとい神を使うのが結構上手いのだ。
そして当の須佐之男と八俣は、既に己が本性を露呈させている。須佐之男はジャージからクラスアップし、古代日本の上位階級らしい衣と褌を身に着けていた。それ以外に外見上の変化は無いが、須佐之男の醸し出す気配たるや尋常ではない。清濁併せ持つ怒涛の精気の塊が手足を生やして立っている、という風情である。
翻って八俣は、まさに怪物の姿であった。ちょっとした山ほどの胴体から伸びる九本首は、一つ一つが人を容易く丸呑みに出来るくらい大きい。首達は真っ赤な舌を忙しなく出入りさせ、時折紅蓮の炎を口の端から覗かせている。これだけの異形に人間が遭遇すれば、確かに人食いの化け物と思うのも無理はない。よくよく見れば、八俣の目に理性と慈悲がある事を理解できるので、人は見かけで判断できないという典型例と言えよう。
「で、これだけの神さん相手に、リヴァイアサンは初手を五分に持ち込んだ、という訳か」
「それでもリヴァイアサンは全力を出していなかったと思うよ。尤もあの御二人も、全然全く本領を発揮出来てなかっただろうけど」
ソニアとレヴィンは冷静に状況を見据えていた。戦闘人形を引っ提げて、神々や堕天使相手にひと悶着という、常軌を逸した経験を彼女らはこれでもかと積んでいる。最早大抵の事では動じないし、例えば己が目からビームが突如出たとしても、まあ、そういう事もあるさと流すに違いない。神々に比肩する力を得、代わりに感受性の諸々を喪失した人々。それが格闘人形持ちである!
「進軍開始」
レヴィンが腕を振り下ろす。合わせてハンター達を乗せたヘリが海水を巻き上げながら浮上し、両翼の須佐之男と八俣も歩を進めた。人間核弾頭、腹黒業病持ち、前髪ヤバめのオッサン、マザコン髭、爬虫類、等々年齢性別種族その他、統一性皆無の寄せ集め集団だが、それでも彼らは統一された意識で纏まりを形成している。即ち、しこたま暴れるよ、である。
リヴァイアサンの眷属共が進行速度のピッチを上げる。応じてヘリが前傾姿勢を取り、何処からともなく響いてきた進軍ラッパを背に受けて、極大集団の中央目掛けて突撃開始。ポッドからロケットが点火の雄叫びと共に噴進し、異形の群れを一直線に打ち砕く。
中佐が縦横無尽にロケットの猛射を加える間、レヴィンがトンプソンでもって機上から銃弾の豪雨を見舞う。警部補がベレッタを出鱈目に撃ちまくる。ルシンダはと言えば、早くもテスカトリポカの贈り物、『業病』を広範囲に行使していた。海に潜って銃砲弾をやり過ごそうとしていた半漁人の皆々が、苦しみ悶えつつ再浮上。銃弾で撃ち抜かれる。木っ端微塵に吹き飛んで行く。ヘリが縦横無尽に飛び回る一帯は、既に壊乱状態に陥っていた。
と、ヘリが機体を大きく傾がせた。直後、先の空間に棒状のものが一直線に抜けて行く。それらは二度三度と続けて撃ち込まれ、ヘリはかろうじて回避に成功した。その最中で何をされたかに皆が気付く。複数のガルグイユがヘリを狙い、極度に圧縮された水流を吐き出していた。対空防御の手段をリヴァイアサンは持ち込んで来たのだ。
「ま、そりゃそうだ。既にあいつとは手合わせしているからな」
「やばい。もうすぐ撃墜されるわ、これ」
「撃墜されたら接近戦だ。斬って斬って斬ってもう斬りまくってやるわよコノヤロー!」
機内でワーワー怒号が飛び交うその間に、クジラほどに大きいガルグイユの1体が胴体を真っ二つに裂かれ、噴水のように血を吹き出しながら海中に没した。続けてガルグイユの集団目掛けて海上を舐めるように複数の火線が伸び、周辺の眷属諸共に業火で包まれる。須佐之男と八俣が援護の手を回してくれたのだ。
「おお。さすが日ノ本の代表クラス」
「あんな、怪物どもに滅茶苦茶たかられているのに」
「やっぱりあの二人が両翼に居て正解だわ。あの勢いで喧嘩なんかされた日には」
ハンター達が言うように、須佐之男と八俣は各々の持ち場で埋め尽くしてくる大軍相手に孤軍奮闘を続けていた。眷属の物量は話にならない代物であったが、個体能力の違いは数量差を全く問題としていない。続々と躯で埋め尽くされる水面を闊歩し、須佐之男と八俣は衰え知らずの大殺戮を敢行している。眷属を引き付けるだけ引き付けてもらうという、初手の目論見は順風満帆である。
が、大質量の物体がヘリに衝突した。凄まじい勢いで海に叩きつけられ、ヘリによる侵攻が遂に食い止められる。打撃の蓄積によって消滅するヘリから離脱したハンター達が見たものは、海の怪物の代表格、巨大イカのクラーケンが触手を振り上げる様であった。レヴィンが剣を抜き、水面に仁王立ちでクラーケンに相対する。
「私達、何で普通に水面に立てるの?」
「細かい事を考えるのは面倒くさいから!」
レヴィンによるクラウ・ソラスの一閃が、触手を再度振り下ろさんとしていたクラーケンを、横一文字に斬り分ける。それを合図にハンター達が水上を進む。押し寄せる眷属は一閃毎に数百の単位で斬り伏せられ、範囲外居た者は業病に沈み、とどめに光り輝く雨が、ほぼ戦場の全域に降り注いだ。これによって多少の手傷を負っていた味方は癒され、眷属達は更に苦しみ悶える羽目となる。
「リヴァイアさん!」
腹の底から怒鳴り声を上げ、ルシンダがリヴァイアサンに呼び掛ける。
「出てらっしゃい! あんまり痛くはしないから大丈夫!」
『そうあっさりと勝負は決まらないだろうよ』
意外な事に、リアクションは即座であった。その声が発せられた途端、怪物の大集団が割れるようにして広く道を作る。その先に彼は居た。
「リヴァイアサン?」
意外の目でもってルシンダはリヴァイアサンを見た。本性を現した彼の姿は既に遭遇済みだが、今、この軍団の最奥にてポツンと立っている彼は、その時と全く様相が異なっている。リヴァイアサンは人間と変わりないスーツ姿の青年の格好でハンター達に向き合っていた。面立ちだけは何処か優しげであるものの、目つきは鷹のそれである
『肉体を変容させた』
事もなく、リヴァイアサンは言った。
『思うに、お前達と戦うには小回りが必要なのだ。しかしよくもまあ暴れてくれたな。多少は消耗してくれるかと考えたが、是非も無い』
リヴァイアサンが一歩を進める。応じてハンター達が各々の得物を向けた。互いの距離に開きはあるものの、リヴァイアサンにとってその長さとたったの一歩は、理不尽にも物理的にほとんど差が無い。
『それでは戦おう。烈火の如く』
リヴァイアサンの眼球が、深い蒼色に染まった。
<三千世界の鴉を殺す 其の三>
「驚いたよ」
ソニアは若干芝居じみていると自覚しながらも、感嘆の台詞をルシファに向けた。
「つまりあれだ、何時でも日ノ本を攻め落とす事が出来るって訳だ。さすがは最も神に近い天使。敵を一箇所に集めるだけ集めて、一挙に滅ぼす算段と見たよ」
「ほう、察しの良い事だ。あの蛮族どもの地を放置していたのは気紛れが所以ではない」
持ち上げられたところでビタ一文調子に乗る事もなく、ルシファは奇妙な親しみ易さを口調に乗せて淡々と述べた。
「ただ、早々事は容易に進まないさ。信仰を失って妖魔の類と化した連中とは訳が違うのでね」
「しかしかの地に張り巡らされた大結界を破る事は出来るんでしょ? だったら、何故サマエルの張ったそれはどうにもならないのかな?」
ソニアの言を受け、ルシファは少し目を細めた。その対応の意味を図る暇も無く、ソニアが矢継ぎ早に話を続ける。
「サマエル…いや、サタンは、あんたよりは地位が低いって話だけど」
「実際のところ、得手不得手というものがある。どうも同じ天使が相手では、何をするでも戦い辛いものだ。逆に問うが、サマエルが私よりも地位が低いとは、誰が決めたんだ?」
「人間の言い伝えではそうなっているという話。もしかして、それも実際とは異なるって事なのかい?」
「そうだ。人間の恣意が我々の動向・性向・あまつさえ能力的なものにまで影響を及ぼしてくる事は認めざるを得ないな。ただ、それも限度があるという事さ。私と彼は天使戦争の折、四人の貴公子と呼ばれた内の2人だ。ただ実際には、2人の貴公子に2人の王であった、という事さ。私と彼は、ほぼ同格であると考えて貰って差し支えない。私に匹敵する天使が張った結界は、早々剥がせるものではないな」
「で、人間の怨念を利用して結界破りを試みたと」
「失敗したがね。しかし焦る必要は全く無い。直ぐ機会はやって来よう」
「機会を伺い、晴れて結界破り成った暁には、殺すのかい、サマエルを。サタンを」
滔々と続いていた対話が、其処で不意に途切れた。ソニアの言葉の数々に対して、ルシファは概ね淀みなく意思を返していた。それがたとえ、人間からすれば全く理解の出来ない理屈であったとしてもだ。
しかしルシファは、最上位階級の天使を抹殺するという話題に触れた途端、返答に詰まったのだ。これは、とソニアは思った。想定通りであるとすれば、一切の躊躇無く怒涛の如く戦を仕掛けていたかに見えたルシファの、ただ一点の弱みが其処にある。ソニアは更に畳み掛けた。
「もう一つ言うよ、最終戦争の暁には殺すのかい、ミカエルを。ここからは私の想像だけど、あんたは兄弟達に出来れば手をかけたくない。それはそうだよ。偉大なる御父君にお仕えし、苦楽を共にした仲じゃないか。私が疑問に思うのは、誰かが筋書きをしたためて、世界中の人間がその存在を知るようになってしまった黙示録って奴に、律儀に従って兄弟殺しをやり合おうっていうあんた達の心だよ。心一つで、こんな事は何時だって止められるはずなのにさ。何故止めないんだ、ルシファさん」
「少しの間だけ口を閉じてくれ給え」
ルシファが呟いた直後、ソニアの言葉がバッサリと断ち切られた。声を発しようと口を動かしても、それが音に変化しない。咄嗟にブライアンが腰の得物に手をかける。その挙動に対してルシファは掌を向けてきた。まあ、待ちなさいよ、と。
「勢いに任せて延々としゃべられるのも困りものでね。左様、君の言う通り、私は出来れば兄弟殺しなどしたくはない。しかしサマエルは私の決起を許容しないだろう。ミカエルに至っては、私を御父上に仇為す敵とみなしている。全ては筋書き通りの展開。しかし、その筋書きに敢えて私が乗っている、という風にも考えられないかね? 私が兄弟殺しに耐え難きを耐えて臨む理由。御身をお隠れあそばした御父上に、今一度世界の頂点へと君臨戴く。その為に古い神と称するものを尽く抹殺し、それらを人間の思念において『存在したもの』から『単なる空想上の産物』へと変容させる。人間どもを最終戦争に巻き込み、死と恐怖の只中で彼らは唯一絶対神を崇め奉る。全ては御父上に再びお出まし戴くが為」
「お出ましなったら、どうなるっていうんだ」
ブライアンが声に怒気を込めて言う。
「その時はルシファ、お前の最期だぜ」
「実に素晴らしい事だ」
それを口にしたルシファは、掛け値ない心底の喜びを露わとしていた。
「偉大なる御父上が、反逆者を討ち滅ぼす。正しく世の条理だ」
「…やっぱり、自分の意思ってものが無いんだね」
ようやくしゃべる事が出来るようになったソニアが、胸を押さえつつ顔をしかめて言った。
「そういう理屈をつけて黙示録を進行させるのは、御父君への盲目的な依存心からに他ならない。この世界の面倒なあらゆる事々を、御父君の再臨一発で解決しようとしているだけじゃない」
「Deus ex machine. 人間達はこの演出技法の程度を一段低く見ているようだが、私はそう思わない。錯綜した世界に救済をもたらすのは、圧倒的な存在の君臨以外に手段はあろうか?」
「まさかあんた、世界を救済する為にこれだけの事を起こしたってのか」
ブライアンが驚く。ルシファは哂った。
「無論だ。天使だからね」
「救済に至るまでに、どれだけの血が流れると思ってんだ!」
「大義の為にかかる犠牲も止む無し。人間の指導者層が自らの無能を曝け出す際に口にする戯言だが、私には道理だな。所詮そ奴らは塵芥だよ。私ほどの力があれば、犠牲を対価に永久の平和を実現させる事が出来る」
「この全ての成り行きを仕組んだのは、まさか御父君なの?」
「無いな。それは無い。何故なら御身を隠される前、御父上が私に言ったのは」
ソニアに其処まで言って、ルシファは口をつぐみ、頭を振った。そして至極残念そうにソニアとブライアンを眺める。勿論それも芝居であるのだが。
「さて、どうやら君達には私に加担する意図は無いらしい。しかしながら久々に人間と対話の場を設けるのは一興であったよ。最後に私からもひとつ聞こう。サマエルは『真の器』を手に入れたのかね?」
「…いいや、まだだ」
「今は数枚落ちる器に収まっているわ」
言ってから、ブライアンとソニアは顔を見合わせた。しまった、との意思を互いの顔に見る。ルシファはサンフランシスコ大結界内の状況について、彼ですらも知り得ていない。天使が真の器を得るか否かは、その力量を行使するに際して重要な要素になる。サマエルが力の全てを取り戻していない事実は、確実にルシファにとって利となるはずだ。
果たしてルシファは、満足げに頷いた。
「なるほどな。道理で。今はその器すら乗りこなしていないと見える。これで機は見えた。ありがとう、君達」
ルシファは頭を下げ、パチンと指を鳴らした。
<大怪獣激突・南洋の決戦 其の三>
ガルグイユという海竜が吐き出す高水圧カッターは強力だ。物理的破壊力に限って言えば、考え得る固形物質の全てを両断する事が出来る。もしも防御に気を回さなければ、格闘人形といえども八つ裂きは免れない。その高水圧カッターを、リヴァイアサンは万の単位でハンター目掛けて集中させた。
そして当然の事ながら、ハンター達は防御の結界を張ってきた。カッターの破壊力は物理的であるとしても、その力の根源はリヴァイアサンの異能である。異能が異能でもって御せられるのは世の常だ。超高速の水流が、一点の中心から波状に拡散して行く様を見て、リヴァイアサンは溜息をついた。まあ、そりゃそうであろうと。
『さて、どうしたもんかね』
等とリヴァイアサンが呟き、初手の大攻勢が終息する至極僅かな隙を突いて、ルシンダとレヴィンが『飛翔』でもって突撃を敢行した。真っ先に到達したルシンダが欺瞞煙幕を置き土産に飛び抜ける。ワンテンポ遅れて炸裂した煙幕は、離脱の暇を与えずリヴァイアサンを効果範囲に包み込む。第四段階の欺瞞煙幕はルシンダの姿を計10体作り出した。一斉にナイフを向けてリヴァイアサンへと踊りかかる。しかし海の巨魁は、空を駆け巡るルシンダの居る方角に目線を固定していた。
(随分と早いな。個体能力に更なる上乗せをしていると見た)
リヴァイアサンが頬を緩める。続いて自身を中心にして、PKをトルネード状に展開させた。その一撃でルシンダの影達がまとめて消滅する。次いで欺瞞煙幕も吹き飛ばされる。力は地滑りのようにとめどなく広がり、ハンター達を巻き込んで八つ裂きにする。そうなるはずであった。しかし膨張を続けていたPKが脈絡無く消滅する。自分から距離を大きく距離を取り直したルシンダを、リヴァイアサンは横目に置いた。理力を御破算にする何かを、どうやら彼女に仕掛けられたらしい。そして満足げに言う。
『こいつは凄い』
リヴァイアサンは顔に笑みを浮かべ、真横からのクラウ・ソラスの一閃を、掴み取るように受け止めた。破裂する閃光と共に過剰なエネルギーが八方へと飛び散り、都合範囲内に居たリヴァイアサンの眷族がズタズタに切り裂かれる。
爆風が渦巻く中心軸に、レヴィンとリヴァイアサンは居た。刃を押し込み、歯を軋らせて凝視するレヴィンに対し、リヴァイアサンは目を丸くし、白い歯を見せた。
「余裕じゃない」
『そうでもない』
リヴァイアサンの額に玉の汗が浮かぶ。
『これを正面から受けるのは厳しいな。大したものだ。ケルトの神の力、感服致した。しかし残念だ』
「何が」
『タカラノモチグサレ、とは長官から教えて頂いた日本語だよ。これだけの力の程を見せながら、水泡に帰する結末を迎えるとはね』
「戦っているのは、私だけじゃないんだけど!」
言う間にリヴァイアサンの膝がガクリと折れかけた。テスカトリポカ由来の『業病』をルシンダが仕掛けたのだ。それも身体能力の低下にとくと効果のある奴を。その効力は膨大な理力同士の均衡を大きく傾がせた。破、と、レヴィンが氣を吐き出し、裂帛の胆力でもってクラウ・ソラスを振り抜く。リヴァイアサンが真っ向から斬り裂かれる。しかし即座に体を癒着させ、リヴァイアサンはたたらを踏んだ後にすまし顔で居住まいを正した。
『まだだよ』
「まだっ!」
其処からレヴィンによる、目にも留まらぬ斬り込みが始まった。縦横無尽に位置を変えるリヴァイアサンに対し、レヴィンの速度は本来であれば追いつく事が出来なかったはずだが、『業病』による胆力の低下は甚大である。追い縋って着実に身を裂いてくるレヴィンの勢いを、現時点のリヴァイアサンは食い止める事が出来なかった。
警部補の『天瓊滄海』が再度行使される。
ルシンダの欺瞞煙幕、今度は更なる病をリヴァイアサンにもたらす。
方向性を見失ったところをクラウ・ソラスがまたも襲い掛かる。
リヴァイアサンは全身を滅多切りにされて肉塊と化し、それでも再び身体を再構築してみせた。
「何故反撃しない」
休む事無く拳銃を撃ち込み続け、ルシンダが呟く。誰彼に向けない独り言だったが、リヴァイアサンは耳ざとくリアクションを返してきた。
『しないと言うより出来ない。反撃を貰ってからの畳み掛けは大層の一語さ。惜しむらくはこちらの体力が無尽蔵という点だ。お前達、覚えておけよ。天使を倒す手段の一つを教えてやる』
「何ですって」
『コアを破壊しろ。天使殺しの剣はコアに直接効く訳だが、旧神謹製の人形遣いであるお前達は既に同様の手段を備えている。しかし問題は俺がリヴァイアサンであるという事だ。俺ほどの存在になると、天使殺しの剣でも簡単に倒せない。お前達の力をもってしても、この俺のコアに易々とは届かないだろう。だからコアを剥き出させる努力をするんだ』
「どうやって」
『動揺させろ、敵を。この俺を。実に難行だとは思うがな。例えば人間を乗りこなしている天使であれば、当の人間の感情を引き摺り出すという方法がある。何しろ契約した人間の動揺は、天使の側にもダイレクトに響くときている。通常天使は、憑いた人間の精神を完璧にコントロールするものだが、これに綻びを起こせば反作用も洒落にならんのだ。尤も俺は人間の身に憑いちゃいないので、その手段は使えん。この俺を斬り、撃ち、砕き続け、ヒットポイントをゼロにする力技も、まあ有るには有るがね』
何時の間にかルシンダとレヴィン、それに警部補は攻撃の手を止めていた。対してリヴァイアサンも滔々と諭すように話し続けるのみである。周囲ではリヴァイアサンの眷属による大攻勢と日ノ本二柱の反撃が未だ継続し、この決戦に参入する余地は無い。ルシンダは不審の顔を露にしてリヴァイアサンに問うた。
「さっきから何を言ってんのよ。何故こちらに利するような事を」
『何故? そりゃお前、勝者が敗者に明日の為のアドバイスを贈る、って奴だよ』
言って、リヴァイアサンは劇的な速度で一本のナイフを投擲した。音速の数倍の速度で飛翔したナイフは、警部補の格闘人形まで瞬時に到達し、撃ち抜き、木っ端微塵に破壊した。
「ああっ、警部補がさようなら!」
「ろくすっぽ台詞も無いまま!?」
『お前、俺に呪いをかけただろ』
早くも警部補退場の有様に僅かうろたえたルシンダの目前に、容赦なくリヴァイアサンが現れた。それと同時に大質量の塊の如き肘を腹に叩き込まれ、ルシンダの体が折れ曲がり、呆れるほど遠くまで吹き飛ばされる。
『しかしこの俺に長時間は通用しない。これも覚えておくがいい』
猿叫と共にレヴィンが再度の斬り込みを仕掛ける。リヴァイアサンはナイフと身体能力のみで縦横無尽の斬撃を弾き、裂け、おもむろに足を直上に蹴り上げた。踵を顎に貰い、レヴィンの頭部は消し飛ばなかったものの、宙に放られ、地面に激突する。それでも即座に体勢を戻し、レヴィンは剣尖をリヴァイアサンに向けた。彼を挟んだ反対側では、頭を擦りながらルシンダが立っていた。
『警部補殿は不意打ちで戴いたが、残りはそうもいかぬか。全く、これ程であるというのに』
ため息をつき、リヴァイアサンはその身を遥か彼方へと遠ざけた。そして怒涛の速度で追い縋って来る2人に相対する。そして言った。
『日ノ本の二人組を眷属共の対処に集中させたのは、良策でもあり失策であったよ。お前達、この俺に対して戦力不足である点は否めぬだろう。あのけったいな2人組は不足を補って余りあるというのにな。それでもお前達の連携は良好だった。普通であれば、俺を倒す目もあったろうに。だが、お前達は復習を忘れた。それによって致命傷を負うのだ』
指を鳴らす。残り一拍子でリヴァイアサンの喉元に喰らいつこうとしていたレヴィンとルシンダが、ただそれだけで押し潰されるかの如く地面に突っ伏した。共に目を剥き、喘ぎ、指一本とて動かす事が出来ずにいる。しかしリヴァイアサンも膝を屈し、倒れ込みそうになる体を何とか支えた。大量の汗を滴らせるという、天使の出自にあるまじき生理現象と共に。リヴァイアサンは言った。
『お前達は対抗する手段を持っていたはずだ。それは都合良く発動するものでもあるまい。何故、前回の戦いから学ばなかったのだ。俺はお前達の精神に直接攻撃を加えられるのだぞ』
レヴィンが力なく拳を打ちつけた。
前回は長門に取り憑いた死霊の翻意を、写真一枚で引き起こす奇跡的手段が功を奏したが、リヴァイアサンという巨魁が行使する精神攻撃に対抗出来る術は、本来限られている。格闘人形は頑強だが、人の心でそれは動くものなのだ。
敵がこうしてくるだろうという想像力が、後一歩不足していた。そのうえリヴァイアサンは、初手から精神攻撃を仕掛けるという選択肢もあったのだ。結果を見れば、完敗と言っていいだろう。それでもレヴィンとルシンダの口を突いて出た言葉は罵詈雑言ではなかった。追い込まれた状況にあって、随分と場違いな代物である。
「満足、でしょ? 持てる力を全部ぶつけてきた相手に、勝ったんだから。鬱屈した魂を昇華した貴方は、憑き物落ちて私達の味方になるか天上の世界へ帰るというのは如何?」
レヴィンである。
「おもしれー。あー、おもしれー。天使は没個性とか、嘘だと思うわ。そんなあなたに朗報。サマエルとかルシファはもっと強い。私達と組んで強者に立ち向かうクッソ熱い展開は如何?」
ルシンダである。
概ねリヴァイアサンに対しては、然程悪くない印象を2人は抱いている。サマエルやルシファと異なり、剛直に戦を求める性向である分、まだ話は通じる余地があると見た訳だ。しかしリヴァイアサンは、こう言った。
『とほほ』
「とほほ、ってアンタ」
「口に出して言う人を初めて見たよ」
『何と言うか、俺に希望的観測を抱くのは止しておくれ。して、負けたからにはお前らを俺の好きにさせて貰う』
「えっ!?」
『いや、そういう邪な意図は一切無いので。それでは、勝った俺が負けたお前らに命じる。故郷に帰るが良い』
リヴァイアサンは手を振り、パチンと指を鳴らした。
<どっとはらい、とは言い難い>
『げはあ!?』
と、就寝中に無呼吸に気付いた年配者の如くうめき声を上げ、レヴィンとルシンダが跳ね起きた。目の前には「よっ」と手を挙げる警部補、腕組みして難しい顔のブライアン、そして相変わらず心境の読み辛い能面顔のソニアが居る。レヴィンとルシンダは顔を見合わせ、ここがジェイズ4Fである事に思い至った。
「居たんだ、警部補」
「何で居るの警部補」
「頭突くぞこのアマ。しかし参ったな。コテンパに負けたよ、俺達は」
げんなりしつつ、警部補が疲労困憊の息を吐く。そう言われて、2人は戦いの顛末を改めて思い知った。比較的連戦連勝であった格闘人形御一行は、最終回一歩手前に来て遂に負けたのである。全力でもって挑み、相当のところまで追い込みながら精神攻撃一発で逆転という、出足払いを仕掛けられたような結末を迎えた訳だ。しかしながら彼女らの表情に、然程悔しさは滲んでいない。其処にあるのは当惑である。
「じゃあ、何でこちとらは生きているの?」
「もっと情け容赦の無い奴だったはずでは、リヴァイアサンって御方は」
「天使も天使それぞれという事よ」
ソニアが気を利かせ、2人のやり取りに割って入った。
「私とブライアンはルシファと対話に持ち込む事に成功したけれど、その会話は成立しているようで実は噛み合っていなくて、意思の疎通が全く通用しない手合いだという事が分かった。それは破格の実力に裏打ちされた、鋼の自意識によるものだわ。でも、天使というのは、どうもそういう輩だけではないらしい」
「変容の芽がある奴も居るって事だ」
ブライアンが後を継ぐ。
「ルシファの野郎は瞬時に日ノ本へ攻め込むなんて力技を見せ付けやがったが、その時ベリアルに会ったんだよ、ベリアル」
「ベリアル!?」
「そのベリアルがさ、依り代の人間を気遣うような事を言ったんだよね。プライドの塊で、人間という種族を評価はしても、個々人を歯牙にもかけないベリアルがさ。つまりこれは、ベリアルの精神性に変容が発生した事の表れなんだ」
「リヴァイアサンにも、それが起こったと見ていいのかもしれない」
と、ソニア。
「多分、戦いそのものが奴にとって消化不良だったとか。ほぼ真正面からぶつかって実力を見せたハンター達を、リヴァイアサンは評価した。けど、同時にもどかしいとも思わせた。言葉の応酬ではない、もっとプリミティブな意思疎通がリヴァイアサンとの間に発生した」
「まさか、拳で語り合ってしまったの、私達」
「何か古ぼけた言い方だね。でも、きっとそうだと思うよ」
レヴィンとルシンダは複雑な面持ちである。改めて思い返せば、自分達はリヴァイアサンに対する必殺の意思が足りていなかった。何処かしら、敵ながらも共感出来る箇所があるのだと考えてもいた。事実その通りだったのだが、リヴァイアサンが望む戦いの成り行きに乖離があった点は否めない。
「いやいやいや、どうしてこっちが相手の一方的な望みに合わさなけりゃならんのよ、って話」
ルシンダが大いに鼻白む。
「勝って生きるか負けて死ぬか、そんなざっくりした二者択一で事が進むシンプルな世界観はゴメンだわ」
「それはハンター的な思考とは少し違うな」
「当たり前。私はそれ以前に人間だから。人間ならば、勝ち負け以外の結果も尊重出来るものなのよ…」
「って、ちょっと待った!」
勝ち負けという言葉に反応し、突如レヴィンが声を引っ繰り返らせた。
「日ノ本の御二人さんはどうなったの!? あの戦い、全然終わってないし!」
「ああっ、すっかり忘れてた!」
「ひでえ」
『その顛末につきましては、吾の方から説明を致しましょう』
不意に皆の頭の中に、老若男女、何れとも分からぬ奇妙な声が響き渡った。珍しい事に、此度はほとんど出番が無かったキューである。
『結論から言えば、二柱は健在です。須佐之男殿が伊邪那岐・伊邪那美御夫婦に意思を飛ばしてきたのです。かの成り行き、一体如何様の結末をば迎えたかと』
<リヴァイアサンとルシファの対話>
「どういう事かね?」
この異界からレヴィンとルシンダの2人をリヴァイアサンが追放した直後、彼の間近にルシファが立った。薄い笑みを浮かべ、少し顎を逸らして見下ろすようにするその仕草は、内心の苛立ちを紛らわせる為だとリヴァイアサンは承知している。承知のうえで、リヴァイアサンは居丈高にルシファと向き合った。そして同じく薄笑いを伴い曰く。
「どういう事って何? 取り敢えず、勝った訳だが」
「その後の処遇さ。何故殺さない? 生き死にを賭けて戦ったのであろう。ああまで追い込んだなら、君の力で『向こう側』にある本体の精神も粉砕出来たはずだ。それが対抗してきた3人諸共、向こう側へ追い返すのみに留めるという。どういう事かね?」
「勝った方が負けた側に、やりたい放題させてもらっただけさ。それに生かしておいた方が、また面白い戦いが出来そうだったからね」
「ああまで敵対的で、且つ相応の実力がある。放置するのは多少厄介なのだよ。リヴァイアサン、君、私の到来を知って即座に彼らを戻したのだろう」
「さあねえ。どうなんだろう。しかしルシファ殿、貴公も対話していた件の2体を殺さなかったじゃないか』
「行なっていたのが対話だったからだ。戦いではない」
「その杓子定規加減は、まるで天使だな」
「天使だよ。しかし君自身は、どうもそうではない事を積極的に推し進めようとしているらしい」
其処まで言って、ルシファは左手を水平に挙げた。
瞬く間に日ノ本の二柱神が、ルシファの張った結界に激突してきた。彼らが体当たりし、剣を振るい、業火を吐き出す都度、結界は激しく明滅するも、彼らはそれをどうしても突破出来ない。しかし応戦したルシファも、躊躇の表情と共に片方の膝を曲げた。
「これは少し驚いた。少しだが」
「どうだい、強いだろう。あの風変わりな人間達もそうだった。もしも彼らが総掛かりで、対処をきちんと考えて攻めてきていたらと思うと、心が躍るかのようだよ」
「矢張り君はおかしい」
ルシファは気を入れ直し、結界を押し込んだ。迫り来る須佐之男と八俣は幾分押し返されたものの、遮断されたはずの唸り声が、地響きのように伝わってくる。
「どうやら仲間を手にかけられて、怒り心頭の御様子だな」
「荒魂って奴さ。普段はかなり大人しい連中だが、時折ああやってリミッターを外して暴れ狂う。それが蛮族どもの地に根差す神々という訳だ」
「神ではない。神は御一人だ」
「神だよ。貴公もいい加減認めろ」
「認めるも何も無い。神は御一人だ。しかし極めて厄介な連中である事は承知している」
ルシファはポケットに両手を突っ込み、遂に表情を消してリヴァイアサンを見詰めた。対してリヴァイアサンは、不動の薄ら笑いを浮かべたままである。
「ベリアルは変わってしまった。そして君もだ」
「面妖な事を言う。俺は俺だよ」
「変わる、という事態そのものが天使としては堕落を意味する」
「だから言ったろう。俺は天使でなくとも結構結構。いいじゃないか、海の大妖。船出の折は天候に細心の注意を払う事。リヴァイアサンに沈められてしまうから。まるで日ノ本の妖怪みたいだな」
「決裂だ」
ルシファはポケットから手を出し、拳を軽く握った。目の前のリヴァイアサンを、味方ではないと認識したという事である。応じてリヴァイアサンも、肩の力を抜いて対峙する。
「俺を地獄から連れ出してくれてありがとう」
「どう致しまして。君はよく働いてくれた。これからは好きにするといい」
「ルシファ、貴公はこれから何とする」
「サマエルの結界が揺らいでいる。今ならば私の理力で押し切れるだろう。その後サマエルの器ごと、サンフランシスコとかいう小さな街を海に沈める」
「人が沢山死ぬねえ」
「沢山死ぬな。しかし人間などは他にも無数に蔓延っている。数十万程度、大した事ではない」
リヴァイアサンは頭を掻き、如何にも困った、というような風情を見せた。しかし、その目には隠し果せぬ戦意が満ちている。リヴァイアサンはゆっくりと、噛み砕くように通告した。
「では、俺はそれを阻止する」
「何故かね」
「その方が面白いからだ」
は、と小さく息つき、ルシファは結界を消失させた。それを境に、先程まで場を揺るがしていた二柱の咆哮がピタリと止む。
「何をしたんだ?」
「残存勢力の全てを日ノ本に振り向けたよ。奴らは慌てて引き返して行ったという訳だ」
「残存勢力ぅ? そんなもの、あの連中に皆殺しにされるぞ」
「また作ればいいじゃないか。取り敢えず、邪魔をされたくなかったのでね」
いよいよ2人は、戦いの意図を露とした。ルシファとリヴァイアサンという、破格の実力者同士の激突がもうすぐ始まる。ルシファは嘲笑い、リヴァイアサンは牙を剥いた。
「私に勝てると思ったのか」
「しゃらくせえよ」
<再び、ゲストハウス4F>
「何てこった。まずい、まずいぞ。リヴァイアサン、あいつめ」
ブライアンは逼迫の表情を隠さず、痛恨の言葉を口にした。
「少年漫画の主人公気取りじゃないか。PC以上にキャラ立てしようとは、どういう魂胆だ!」
「出たー、H6的発言出たー」
「この期に及んでもH6はH6という訳ね」
『…凄いですね、皆さん。ルシファが攻めて来ようとしているのに』
キューの一言で、ハンター達の気ままな感想述べ合い会がピタリと止まった。そしてわらわらと右往左往の体である。
「やばい、サンフランシスコ超やばい」
「強さのインフレも来るトコまで来たって感じだわ」
「プロット的には少年漫画だよね、このパート」
「何か景気良く強敵ぶつけられている気がするのは私だけ?」
『まあまあ、皆さん落ち着いて。対処策でも話し合いませんか?』
またもキューの一言で、右往左往がピタリと止んだ。対処策、と言うからには例えルシファが相手だとしても、キューには何とかしようという腹積もりがあるという事だ。しかし。しかしである。
「確かにさあ、駄々長いリアクションだったけどさあ。こちとらキューさんの言った事は結構憶えているワケ。H6-3のラストで言ってたよね。ルシファには『勝てません』って。そんで対処策とはどういう了見よ?」
ソニアの的確な突っ込みに対し、キューは張り切って答えたものである。
『はい、勝てませんが何か』
「開き直ったよ」
『まあ最後まで聞いて下さい。確かに滅ぼし切れる相手ではありませんが、撤退させる事は可能だと思われます』
「と言うと?」
『奴の最大目標は、件の話にも出ていた通り、サマエルに適合する「器」を葬り去って、サマエル完全復活の芽を取り除く事です。ソニア君とブライアン君に誘いをかけた際の目標は内部からの瓦解でしたが、サマエルが弱ったと見るや、直接出向いた方が効率的だと考えを変えたのでしょうね』
「サンフランシスコを水没させるのが効率的とか」
『奴には大して難しくはないでしょう。それはさて置き、サマエルと「器」の合体を阻止しようとしているのは、実のところハンター陣営も同じです。つまりハンター陣営がサマエルへの対処に成功した暁には、奴がサンフランシスコに攻め入る理由は無くなります』
「それが成るまで時間を稼ぐ。まさか、他人任せで済ませるつもり?」
『いいえ、済ませません。ルシファには思い知らせてやらねばなりません。しばらくこの街にちょっかいをかける気を無くすくらいには。サンフランシスコ侵攻が、費用対効果であまりにも分の悪い所行だと叩き込む。つまり、倒し切れないまでも徹底して打撃を加えてやるのです』
「そんな事が出来るの?」
『出来ますね。これは完全に僥倖でしたが、ルシンダ君とレヴィン君の働きかけが功を奏し、何とリヴァイアサンが「敵」の「敵」になってくれました!』
「敵の敵は味方ってヤツ?」
『いいえ。「敵」の「敵」は、やっぱり「敵」です。確かにリヴァイアサンに勝ち目はありませんが、それでも四人の貴公子。その強さは折り紙つきでしょう。となれば、連中が殴り合っている横合いから、こちとらは油揚げを掻っ攫えば良いという訳です』
「…何かそれ、大変格好悪くない? それにリヴァイアサン、この街を守る為に戦ってくれているんじゃ…」
『あー、無いです。それは無い。奴自身も言っていた通り、ルシファと戦うのはその方が面白いからです。都合街を防衛する格好になったのは、単なる成り行きでしょう。こちら側が参戦したとしても、共闘という形をリヴァイアサンは受け入れないものと予想します』
「何でまた。その方がリヴァイアサンにも有利になるはずなのに」
『リヴァイアサンは吾等と異なり、勝ち負けに興味がありません。奴が重視するのはその過程、即ち戦いそのもの。尤も、その心境への変化はハンター諸氏との関わり合いに依るところ大であったと、吾は思いますね』
レヴィンとルシンダは顔を見合わせた。確かにキューの言う通りだろう。少し前のリヴァイアサンは、サンフランシスコに砲弾の雨嵐を見舞おうとしていた怪物だ。人間を救おう等と露ほども考えていないに違いない。それでもリヴァイアサンは彼女らに止めを刺さず、次の機会を残している。たとえそれが気紛れの所行だとしても、多少なりとも共感の余地があった事への証左ではないのか。
『さて、それでは皆さん』
カウチソファから立ち上がり、キューは何時も通りに背を向けたまま淡々と述べた。
『ここからは御自分の考える通りになさって下さい』
考える通りにして下さい。等と言われても、考える通りに行動するのがPBMである。
一同はキューが何を言わんとしているのかと首を傾げるも、その後何時の間にか周りをぐるりと囲まれている事に気が付いた。目には見えず、巨大で数はあるが、圧迫感は無い。ハンター達は、それらが古い神々であると直ぐに理解した。ルシンダが真後ろに居るはずの親しい神を見上げる。
「ポカちん?」
『さようならだ』
「え。何? どういう事?」
『…もう少し前振りを意識してしゃべりましょうよ、テスカトリポカ。さて皆さん、吾の独演会に少々お付き合い願えますか?』
キューはテスカトリポカ、と言った。かの兄弟神を呼ぶ時はからかい混じりが常であるのだが、キューは先の言い回しに礼儀と敬意を込めている。その意図はハンター達にも向けられていた。つまり普通ではないという事だ。キューは懐かしむ調子で語りを始めた。
『信仰を失い、愛するかつての王を失い、吾はとても疲れていました。このまま永く眠りについて、存在そのものが消え去るのだと考えていたところに、現れたのがコルトです』
今一度尊厳を取り戻して戴きたい。
尊厳とは何か。
神が、真の神の座につくという事です。
『知恵を持ち、思索を深め、科学を発展させるにつれ、神と人の関わり合いは大きく変質しました。同じ名も無き神の信徒でありながら、己の正義を声高に叫び、力の限り殺し合う。そんな凄まじい状況に陥る人間達の世に在って、伝承上の存在たる吾が真の神の座につくには何を為さねばならないか。それは、人間の信仰を独占したがゆえに得た理力を振るい、思うが侭に進撃する名も無き神のしもべ達を、吾が誇りに賭けて食い止める事。それを為した後、吾は新たな世界へと身を置くでしょう。色もかたちも、前後左右も、時間の概念すら無い、ただ吾が思考するのみの世界へ。信仰によって吾が在るのではなく、吾が吾ゆえに在る世界へ。吾がコルトの求めに応じ、ハンターに助力しつつ古い神々を参集したのは、全てこの時の為であった、という訳です。コルトはサマエルの存在を吾に示唆しましたが、同時に堕天使の軍勢の襲来を予期していたのでしょう。テスカトリポカ、ヌァザ、キルンギキビ、伊邪那岐、伊邪那美、ガブリエル、そしてカーリー。彼等はこれより、総力を挙げてルシファの迎撃に向かいます。そして吾は仮初の身体を得、煉獄に赴き、サマエルと戦う』
キューが一度言葉を区切ると、何時の間にかカウチソファの隣に真っ白メタボリック二頭身のかたまりが、ドスンと鎮座していた。ブライアンが仰天する。
「スノーマン! 何て言うか、まだ居たのかお前」
『実は彼の正体、吾専用の「器」なんですよ。始めの頃は遠隔操作で結構遊べました』
「何だか後付け臭いな」
『伏線もへったくれもありませんが、元からそういう設定だったのです』
言う間にスノーマンは、傍らのキューを包み込んだ。まるで咀嚼するように伸縮を繰り返し、しばらくするとそれは、前の通りに少年の姿を形成した。しかし以前とは異なり、存在そのものが変質している。何処か浮世離れしていたキューであったが、今の彼は確実であった。キューが振り返ると、其処には何という事の無い、浅黒い肌の少年の顔がある。勘の良い者は気付いている。人間の身で神の姿を直視しても、目がどうにもなっていない。キューは、と言うよりもケツァルコアトルは、少年の姿で現世に出現したのだ。
「話を元に戻す」
つい先程まで老若男女の境目が判然としていなかった声が、今は明確に子供の声である。ケツァルコアトルは、今までおくびにも出していなかった神らしい威厳を伴い、ハンター達に述べた。
「考える通りにせよとは、その言葉通りだ。諸君らはヒトガタを得れば古い神々に比肩する力を行使するが、それも諸君らの居る現世では何一つ発揮出来ない。詰まるところヒトガタと共に向かえる先はルシファとの戦野のみ。申し訳ない事だが、其処で殺されれば今度は確実に死ぬ。ルシファにはそれだけの胆力がある。だから、古い神々と共にルシファを食い止める、という選択をするか否かは君達の心一つに委ねよう」
「ちょっと待った」
ソニアが躊躇と共に挙手し、言った。
「私達が死ぬかもしれないってのは、まあ分かるさ。相手はあのルシファだもの。しかしテスカトリポカ達は? 彼らは死ぬ腹を括ったって事なのかい?」
『見てくれの形としては、まあそうなる。既に全盛を過ぎて久しいこの魂、戦えば散るであろうな』
テスカトリポカ。
『しかしそれは、人の世との繋ぎ目を敢えて断つ、という事なのです』
キルンギキビ。
『既に私達は、神として一度死を迎えている』
伊邪那岐。
『それでも再びこの世に顕現致しました。そしてまた新たな世界に向かう事が出来るのです』
伊邪那美。
『確かに居た、という証を残し、真の神の位につくのだ』
ヌァザ・アルガトラム。
『せいぜい暴れてくれるわ。私が恐ろしいものであったと、天使も人も覚えておくがいい』
カーリー女神。
『御父上すら知り得ないところに行くって訳だ。こりゃ随分面白そうだと思わないか?』
ガブリエル。
不意に彼らの存在感が立ち消えた。恐らく戦の準備にかかろうというのだろう。ケツァルコアトルは言った。祝福あれ、と。
「吾等尽く出陣するも、無へと赴くつもりはない。むしろこの結末が対価である」
「対価?」
「人と神の結びを締め直し、苦難に立ち向かう諸君らの力になる。その対価だ。これでやっと、神らしく歩いて行ける」
ケツァルコアトルは、この後の事を改めて話した。
自身は煉獄に居るサマエルの魂との戦いに赴き、彼以外の古い神々はルシファ侵攻の阻止に挑む。その間のジェイズは、館そのものの結界が失せてしまうとの事だった。
代わりに、たとえ館が全壊しても4Fは健在である。全ての決着がつくか、或いはケツァルコアトルが『向こう側』に行かない限り、4Fの異空間は外の破壊から内部の滞在者を護ってくれる。今はカーラ・ベイカーと風間美里だけだが、条件を満たせば可能な限りの人間を受け入れると、ケツァルコアトルは断言した。
「条件とは?」
「天使や悪魔の血統ではない事だ。吾も新租やアンナ・ハザウェイ、それに2人のアンチ・クライストの人となりは評価している。しかしこの厳しい情勢下で例外は作らない。彼らを軸にして、何が起こるか分からないからだ」
「サマエルが何かを仕掛けるきっかけになるかもしれないと」
「そうだ。しかしそれ以外は受け入れる。理屈のうえでは無限の収容人員だ。市民達の避難に関しては、ハンター諸氏が市当局に働きかけて欲しい。さあ、これからを考えよう。これまで強大な者共との戦いに参画し、それらを退けてくれた事に心から御礼申し上げる。この先は全ての戦場が非常に厳しい。だからどのように行動するか、何を自身が為すべきか、よく考えて決めて欲しい。君達は選ぶのだ」
「何を?」
「未来を」
<H6-7:終>
○登場PC
・ソニア・ヴィリジッタ : ガーディアン
PL名 : わんわん2号様
・ブライアン・マックナイト : スカウター
・ルシンダ・ブレア : ガーディアン
PL名 : みゅー様
・レヴィン・コーディル : ポイントゲッター
PL名 : Lindy様
ルシファ・ライジング H6-7【ルーシィ・ルーシィ】