<中心核の2人>
ディーン・ウィンチェスター。そしてサム・ウィンチェスター。まとめてウィンチェスター・ブラザーズと呼ばれる2人の名を、アメリカのハンター界隈で知らぬ者は数少ない。打倒・黄色い目の悪魔を掲げた凄腕の親父に育て上げられた生粋のハンター。その力量は、常識の範囲を遥かに越えている。週に一度のペースでこの世ならざる者が関わる事件を解決に導く程なのだ! まあ、テレビシリーズの主人公だから当然ですが。
しかし今現在、彼等の名は徐々に悪目立ちを始めている。そもそも全世界を混沌状況に陥れようとしているルシファを、勢い余って地獄から解放してしまったのは彼等だからだ。ルシファ・ライジングに至る最後の鍵とは、悪魔リリスの命だったのだが、別の悪魔(すごい美人)に上手いことそそのかされたサムが、事もあろうに彼女を血の泡吹かせてブチ殺してしまったのである。ディーンはと言えば必死をこいてサムを止めようと頑張りはしたものの、リリスブッコロという現実の後、何となくディーンにも責任があるという風にみなされて今に至る。ちなみにディーンは、この件でサムを未だに許していない。
『お前、俺よりも悪魔(すごい美人)の言う事を信じるのかよ!?』
ディーンは極度のブラコンでもあったので、可愛さ余って憎さ百倍という次第。
そんな兄弟の悲愴な顛末にも関わらず、着々とルシファはサムの体を付け狙っている。ホモ的な意味ではない。完全に馴染むサムという器を手に入れて、この地上に最大の力でもって君臨する腹なのだ。
2人は逃げる。そりゃ逃げる。おまけにディーンは『ミカエル』の器ときたもんだ。ルシファどころか天使にまで追い回され、どう考えても普通は死ぬという状況を、この2人は何とか生き永らえていた。しかし泣く子も窒息死するウィンチェスター兄弟。このまま逃げの一手ではハンターの、男の名が廃る。
反撃だ! どうすればいいのか分かりませんけどね。
しかし此度は、まんまとルシファの罠にはまってしまった。ルシファにワンパン一発でKOされた破壊神カーリーというお荷物を抱え、現実からちょっとだけ『ずれた』世界に閉じ込められたぞ、どうしよう。
以上が話の始まりである。南無三。もとい、アーメン。
根城に定めた家屋の周辺をぐるりと見回ってみたものの、やはり人影は何処にも見当たらない。インディアナ州のトレントンは確かに田舎ではあるが、全く人の気配が無いとなると、牧歌的な雰囲気は損なわれて、死の街のように見えてくる。
ディーンとサムは、こんな異常な場所から逃れる手段の一つも無いかと調査を試みはしたが、手掛かりらしいものは全く見つけられなかった。
「サム、EMF反応はどうなんだ?」
「反応無しのままだよ。見る?」
ディーンに聞かれたサムは、EMF探知機をうんざり顔で彼に見せつけた。ディーンは顔を顰め、手を振って遮った。
「要らねえよ。クソ。地域全体が異常だってのによ」
「世界全体と言い換えた方がいいかもしれないな」
「やめてくれ、気分が悪い。おい、お姫様、女神さん。あんた神だろ? 奇跡の一つでも起こせねえのかよ」
同行していたカーリーがディーンの台詞を受け、ゆっくりと、怒気を孕んだ目を向けて睨んできた。プライドの塊のようなカーリーは、侮辱と受け取ったらしい。ディーンは肩を竦め、口笛を吹いて明後日を見遣った。
カーリーは、先に行なわれた『神々の会合』の出席者の中で、たった一人生き残ったインド神話の女神である。ウィンチェスター兄弟は神々にルシファとの交渉材料として拉致されたものの、カーリー自身は回りくどい事はせず、正面から戦いを挑みたがっていた主戦派だった。故に兄弟の味方と言える存在ではない。同じ状況に追い込まれた同行者という位置づけに過ぎないのだ。サムがディーンを小突き、小声で注意を促す。
「挑発するなよ、ディーン。ただでさえ、人間なんかどうでもいいと思っているような神なんだから。それに加えて、ルシファに手も足も出なかったんだ。機嫌が悪いに決まっている」
「悪い、注意する。しかしありゃ呆気なかった。確か『世界を破壊する者が居るとしたら私』とか言ってたよな。それがルシファに一発殴られただけで昏倒だもんな。プライドズタボロだぜ」
「…先刻から聞こえているわよ」
ディーンとサムは、揃ってカーリーから目を背けた。見ないでも彼女の形相の険しさは、びりびりと響く気配から伝わってくる。尤も幾らカーリーが怒ったところで、この2人を彼女は殺せない。やったが最期、ルシファが草の根分けて彼女を引き摺り出し、恐るべき報復を実行するとカーリーにも分かっているからだ。
微妙な均衡を保ちつつ、3人は根城の家屋に戻って行った。ルシファの側が自分達を捕捉しているのは間違いなく、身を隠す事にどれだけの意味があるのかは知れたものではない。しかし、落ち着いて状況を考察する猶予を得る必要はあった。それにいい加減、腹も減っている。家屋には食料らしいものは何も無く、インパラに常備しているバドワイザの小瓶しか無いが、ビールでも気付け程度にはなる。
どんよりと肩を落とした一行が、家屋の扉を開く。と、その時、ディーンの携帯電話が着信音を響かせた。兄弟が顔を見合わせる。
「電話だ! おい、電話が鳴ってるぜ!?」
「相手は誰?」
ディーンは期待の目でもって液晶画面を見るも、次第に怪訝な顔となる。
「ボブじゃねえ。つうか番号が文字化けしてやがる。何だこりゃ。気持ち悪い」
「出るしかないよ、ディーン。ここに来て初めての状況が変化しているんだから」
サムに言われて、ディーンは不承不承の面持ちで着信ボタンを押した。そしてスピーカーから聞こえてきたのは、意表を突く若い女の声だった。
『ハロー、ディーン。この番号はサンフランシスコのジェイコブ・ニールセンから教えて貰ったわ。あたしの名はイゾッタ。イゾッタ・ラナ・デ・テルツィ』
「ジェイだと!? 久々の名前だな、おい。だけどイゾッタ? おい、サム、イゾッタって知ってるか?」
「知らないよ。変わった名前だな」
『知らなくて当然よ、お互い顔を見た事もないんだから。でも、あたし達にはあなた達を援護する準備がある』
「援護?」
直感で、ディーンは敵側の罠を懸念した。その雰囲気を察したか、向こう側のイゾッタが落ち着いた口調で話を続ける。
『にわかには信じられないでしょうけど、あたし達はあなたの味方よ。今居る場所が何処かは言わなくていいわ。敵に気取られるかもしれないから。それじゃ、もうすぐ行くから、待っててね。美味しいものも持って行くから。ジェイズの電子レンジチャーハンよりもね』
会話は其処で途切れた。携帯電話を仕舞い、ディーンはサムを見た。アイコンタクトで意見を請われたサムが、慎重に言葉を選んで曰く。
「打開点になるような気はしたな。これは勘だけど、危険な者じゃないようにも思えるよ」
「俺もだ。あの女、ボブじゃなくサンフランシスコのジェイの話をしてきたしな。この脈絡の無さが、逆に真実味があるような気もするぜ」
「ジェイと言えば、ジェイズ・ゲストハウスの?」
「ああ。キメラハウスのジェイズだ。イゾッタとかいう女、俺がジェイズで食ったチャーハンの事まで知ってやがったぞ」
「あまりの不味さに荒れていたよね、ディーン」
<ジェイズ・ゲストハウス4F>
その会話は、ゲストハウス4階の大画面テレビに逐一映されていた。ハンター達は半円状にテレビを取り囲み、画面の中の兄弟とカーリーを注意深く見詰めている。内1人、イゾッタが携帯電話を畳むと、テレビのディーンも首を傾げながら電話を仕舞った。
「驚いたな。ここからでも繋がるのか」
感心しながら、ブライアン・マックナイトがイゾッタを見る。イゾッタは曖昧に微笑んだが、彼女にしても異世界とでも言うべき場所から電話が繋がるとは思っていなかったらしい。存外、4Fと兄弟が閉じ込められている世界は、共通点があるのかもしれなかった。
「でも、あたしの言う事を割合信じてくれたようで安心したわ。どう考えても怪しい内容の電話だったし」
と、イゾッタ。
「チャーハンが効いたのかな?」
「説得力だろ、イゾッタ自身の。それに優秀なハンターは、危険かそうでないかを短時間で見極める事が出来る。あの兄弟は最上位のハンターだって事だよ」
「そういうもの?」
「そういうもの。さて、もうすぐ出発だな。人形に入る前に、一応挨拶でもしておくか」
ブライアンが立ち上がり、皆もそれに倣った。
人外の世界で、強大な人外と人間が戦う為の人外兵器、格闘人形でもって、彼等はウィンチェスター兄弟の救出作戦にこれから赴くのだ。差し当たって格闘人形には、漏れなく4Fお住まいの古い神々から加護を受ける事が出来る。神は人間が敬意を払う対象であり、これから彼等の世話になろうというのなら、矢張り挨拶くらいは欠かせぬものである。
『ねえねえブライアン、今回はどうしてアクトでスノーマンのフォローをしてくれなかったの?』
「お前、いっぺん自らの存在意義って奴を真剣に考えてみろ」
『場の空気を和ませる能力に長けているよ』
「難しいんだよ。お前、扱いが難し過ぎるんだよ」
今日も無意味にスノーマンを纏わりつかせ、ブライアンは大股でヌァザの元に向かった。此度のブライアンの守護神である。
ブライアンとしては、己との戦いを見事制したヌァザに、戦士同士の共感を抱いていた。あまりにもリアクトが難儀だった将棋一本勝負の事だ。
故に加護は受けつつも神頼みには走らない、というのがブライアンのスタンスだった。だから挨拶というより、男同士が戦を前に、腹を割って語り合う場をブライアンは期待している。ハンターなのにオバケコワイ病のブライアンも、話が第四回にもなると色々な意味で成長しているのである。
で、ヌァザが居を構える簡素な石造りの家屋、その扉を潜る。中ではヌァザとレヴィン・コーディルが、衝立を境目にギネスビールを飲みつつギャハハと笑い合っていた。都合ブライアンは脱力した。
「お嬢ちゃん、ソーウィンに倣って飲み物とケーキとろうそくを供えるは良いが、ケーキにビールは凄まじかったのう」
「ひゃはは、ビールを肴にケーキがうめぇ。あはあはあは」
衝立の切れ目を越えてグラスを合わせる様は、神と人間の関係というより場末の居酒屋のオッサン2人組である。尤も、人間が神であるヌァザを直視すると目が潰れるので、互いに衝立を乗り越えようとはしないところが、冷静さを保っている証のような、そうでもないような。ビール臭で鼻が曲がりそうな部屋の空気を堪えつつ、ブライアンは足を組んで床に腰を下ろした。そしてヌァザに切り出す前に、レヴィンに一応一言申す。
「レヴィン、スカートを直せ。このままだとパンツが見える」
「あはは、パンツパンツー、かしこみー」
「駄目だこりゃ」
「おお、ブライアンではないか。お主もギネス飲むがよい。今はかような体たらくだが、レヴィン嬢も当初は殊勝に供え物をしておったのだ。一旦飲み出せばお互いこのザマよ」
「パンツー、白いー、チラリズムー」
『ねえねえブライアン、白いパンツが好きなの? ちなみにスノーマンも純白だよ』
「お前、パンツはく余地なんか無いだろうが。ヌァザ、これから戦いに赴く訳だが、あなたの力を過度には期待しない。ただ、あなたの加護を受けた者が如何に戦い抜くかを見守っていて欲しい」
「難しい事を申すな、堅苦しい。バンバン斬りゃあいいのじゃ。何分斬る以外に何の取柄も無い故、斬って斬って斬り捲るがええぞう」
「駄目だこりゃ」
「私は最強の盾、イージスになってみせますわ!」
「イージスって何ですか?」
土でこさえた、ヌァザ以上に質素なドーム状の家の中で、クラリス・ヴァレンタインは土くれの床に額を擦りつけ、キルンギキビと面会していた。かようにひれ伏しているのは、彼女の神性に心打たれたから、ではない。こうでもしないとキルンギキビの姿をまともに見てしまうからだ。この家というより洞穴のような狭い空間は、キルンギキビとクラリスを遮るものが何も無い。そんなものを置くスペースがそもそも無い。
かような状況を全く理解せず、キルンギキビはおろおろとクラリスの周囲を歩き回った。
「どうしましょう。どうしましょう。人間に加護を付与するなんて久し振り。それもこんなに可憐な乙女を守る事になるなんて。心配過ぎて胸が張り裂けそうです」
「…あの、こういう事を人間の私が言うのも何ですけれど、どうか自信をお持ちになって。貴女は偉大なるアフリカの女王なのですし」
「そうは言っても、追い落とされて失意のままに、縁も無き場所で客死した、所詮日陰の女神なのです。そんな私に久々の大役。とても嬉しいのですが、昔通りに出来るかどうか」
「大丈夫ですわ、キルンギキビ様。私はあなたの人間への愛情に心から敬意を表します。いや、ほんと大丈夫。普通にやればいいのです。コンセントレーションですわ、キルンギキビ様」
「まあ、まあ! こんな風に慕われるのも久し振り! まことに嬉しい事ですよ、クラリス殿。さあ、顔をお上げ下さい」
言って、キルンギキビはクラリスの細い肩をがっしと掴んだ。彼女は目を見て話しましょうと言っている訳だが、クラリスは当然のように抵抗する。目が潰れたらどうしてくれる。
「どうなさったのですか? 持病の癪ですか? いけません、身を横になさって下さいな」
(天然ですわ。この方、天然ですわ!)
天然具合は似たようなクラリスであるが、さすがに眼球が溶けても大丈夫な訳ではない。クラリスがじりじりと後退し、キルンギキビがぎりぎりと彼女の体を起こそうとする。かように悪意が無い故に厄介な攻防は、キューが割って入るまで続く羽目になった。
無事に帰って参ります。
高床式家屋の中に居る伊邪那岐と伊邪那美に、イゾッタはかように申し上げて頭を下げた。
彼女は守護神として伊邪那美を選んだ。イタリア系の少女が日本神話の神から力を借りる訳だが、既に彼女と伊邪那美はゲストハウスでのやり取りで縁が出来上がっている。意思の疎通に関しては慣れたものであり、イゾッタに対して伊邪那美は心安く語り掛けてきた。
「イゾッタさんが向かう先は、ここと同じような場所ですね」
「同じ?」
「説明が難しいのですが、私達の概念からすれば、高天原に近い場所なのです。この4階と、異界とれんとんという場所は。イゾッタさん達が住まう現世は、肉体と精神が密着しつつも独立した世界なのですが、ここは、そう、その境目がひどく曖昧なのですよ」
「肉体と精神の境界が曖昧…」
「抽象的な言い方でごめんなさいね」
「いえ、とても参考になったわ。つまりゲストハウス4Fは、あの世とこの世の、丁度中間点に位置する場所って事なのかな?」
「それはそうと」
伊邪那岐が言葉を挟んできた。その声音は、とても興味深げである。
「その方、我がをの子から何やら御印を授けられているな?」
「をの子? ああ、ツクヨミさんの事ね」
「人に近しい姉や弟とは異なり、独立独歩の気性を持つ者だ。しかしながら此度の状況を踏まえ、あの者也に考えての所行なのだろう。その御印、決して悪いようにはならぬ。イゾッタは当てにしてみても良いであろう」
キューは背を向けてソファに座ったまま、両腕を頭上でクロスさせ、駄目出しの×をソニア・ヴィリジッタに示した。
「その申し出は、ペケです」
「えーっ。何でだよー。何でさー」
「御加護一覧の中に吾の名前は入っておりませんでしたからね」
ソニアは自身への加護をキューに申し出たのだった。その要請に対してキューの出した回答は、残念ながらフォルトである。
「吾は既に、かなりの力をハンターへの助力に割いておりますからね」
「アイテム類強化とか、その辺の方に?」
「そういう事です。ですから、極度に力を消費する格闘人形の戦いに、割ける余力が無いのです。なかなかの閃きではありますが、今後も吾の名が御加護一覧に載る事はありませんから、どうか御注意下さい。同様に、ルシンダ・ブレアさん」
言って、キューはソニアと肩を並べているルシンダにも、溜息を漏らしつつ語り掛けた。
「さすがに『カーリー』は、君に加護を与えないでしょう。人間嫌いと言いつつもアステカの民を思い続けている、テスカトリポカみたいなツンデレ野郎とは違ってね」
『…貴様、言葉の意味は分からんが、この俺を侮辱したな?』
何処からともなく聞こえてきたテスカトリポカの抗議をキッパリ無視し、キューは言葉を続ける。
「カーリーは炎と氷の両方を心に持っています。非常に冷酷で、容赦というものを知りません。多分ですが、『力を貸して』と言ったが最期、君の人形は炎に包まれるでしょう。ま、大した事ぁありませんけどね、その程度は」
「何だ、残念」
ルシンダは肩を落としたものの、気を取り直して言った。
「でも、彼女の心を変えるチャンスはあるわよね?」
「それは勿論です。人間の行動次第では。出来れば彼女にもこちら側に来て貰えると、吾としましても大変助かりますね」
「…ところでさ」
不意にソニアが、キューに聞いてきた。
「そうやって4Fに、キューさんは着々と神様を集めようとしているんだけど、貴方自身は一体何なワケ?」
「少なくともジーザスではありません」
「そいつはH5で分かったからさ」
「…さあ、誰でしょうね。考えてみて下さい。その方が面白いですから」
その答えは想像通りで、次いで言えば想像通りにキューは性格が曲がっている。まあ、良かろうと、ソニアは肩を竦めた。少なくともキューが人間の側についているのは間違いないのだから、取り敢えずそれで十分だ。ソニアは聞きついでに、もう一つ質問を投げてみた。
「じゃあさ、シルヴィア・ガレッサはどうよ? 親御さんにインド出身が居るけど、あの力、神々に比肩するとは思わないかい?」
「彼女に関しては、吾も見誤りましたね。面白い人だから出入り自由にしていましたが、あれ程の存在とはね。しかしながらソニア、彼女は神ではありません。アンチ・クライストである事がハンターによって看破されておりますから。ただ、インドの所謂悪神の脈を継いでいる可能性については、よく考えてみるとあり得るかもしれません」
「と言うと?」
「悪魔と一言で言っても、その定義は様々ですからね。ハンター達が悪魔祓いで退治するのはキリスト教的概念の悪魔ですが」
「キリスト教から外れた異教の神も、皆悪魔呼ばわりをされているって事か。随分と傲慢な話だわ」
「吾も強く同意します。その意味では、シルヴィアは少々風変わりなアンチ・クライストなのでしょう」
そろそろ出立の時間が近付いてきた。三々五々と、挨拶を済ませた他のハンター達が集まって来る。今少しの時間の猶予を見、ルシンダは何処かに居るテスカトリポカに話し掛けてみた。
「ねえ、ポカちん」
『ポカちんとは俺の事か』
「何故、人間嫌いになったのかは問わないわ。ポカちんが人間を嫌う事も止め立てはしないし。こうして4Fに来てくれたのは、自分なりに危機感を覚えたからなのよね? 人間の世界は、あと一息で屈服しようとしているわ。だから、この状況を多少なりとも良くする為に、出来れば私達を信じて欲しい」
『信じるだと?』
「そう。信じて、協力し合わなければ、わたし達は容易く負けてしまう。打算ではなく、真の意味での協力関係を築かなければね。だって神々は、人の信心によって力を得るものなんでしょう?」
『その信心を失い、俺はここまで身をやつしたのだ』
「これからよ、これから。未来志向で行きましょう。でないとポカちんの御加護、何かめっちゃ使い辛いままだし」
『ふん』
けんもほろろかと思いきや、テスカトリポカはルシンダの言葉に思うところがあったようだ。これには話しかけたルシンダの方が、若干驚いた。存外、自分の言葉にはある程度の力があったのかもしれない。
「はい、それでは皆さん、整列整列」
全員を横一列に並べ、しかしキューは相も変わらず背中を向けたままである。
「仕方無いのかもしれねえけどさ、お前、何か失礼なのな」
マクベティ警部補が不満の声を漏らし、それを受けて一同が仰天して彼の顔を見る。
「居たんだ!?」
「居たのかい、警部補」
「本当、H6では存在感希薄ですね」
「…もっと失礼な連中が居やがった」
「盛り上がって参りました!」
キューが声を張り上げる。その場が本当に盛り上がっているか否かはどうでもいいらしい。話を切り替える際の常套句の一種なのだろう。
「これより皆さんには、偽のトレントンに格闘人形でもってカチコんで頂きます」
「カチコミカチコミ! ところでカチコミとかしこみって言葉は似ているよね。うえ、飲み過ぎて気持ち悪い」
「うんうん、似てますねレヴィン君。で、現地でウィンチェスター兄弟と、ついでにカーリー女神を護衛」
「ついでって」
「その程度なんだ。カーリー、可哀想」
「然る後に脱出口を探して下さい。皆さんは4Fとトレントンの出入りが自由ですが、あの3人はそうもいきません」
「脱出口って、目星はあるのかい?」
「無いです」
「いい加減だなあ」
「頑張って下さい。吾の見込んだ君達ならば、必ずやり遂げるものと信じています。それでは、出発用意」
「ちょっと待って、格闘人形は何処?」
戸惑う一同を後目に、キューがパチンと指を鳴らす。
その直後、彼等は広々とした田舎の風景に身を置いていた。驚く暇も無く、全員揃ってガシャガシャとその場に崩れ落ちる。
「何!?」
「何だこれ」
「もしかして、格闘人形になっているの? わたし達の体」
寸分違わぬ己の姿をまじまじと見、しかし何処か違和感のある自分自身を彼等は知った。ブライアンが慌ててズボンの口を開き、アンダーウェアを覗き込む。
「間違いない。衣服が損なわれた時用の葉っぱが股間に張り付いている!」
「何やってんのあんた」
ともあれ、彼等は体をぎこちなく動かしながら立ち上がった。格闘人形は、本来人間に許された範囲を遥かに凌駕する身体能力を備えている。故にその感覚に慣れる為には、多少の時間を要するという訳だ。ついつい左手と左足を同時に上げて前進しつつ、偽トレントンのストレイトロードを一同は踏みしめた。
「乗り物が欲しいわね」
と、イゾッタ。
「何処かの家から拝借しましょうか。あ、すぐ其処のガレージにいい車がある。シボレー・インパラ。また随分クラシックな車だわね」
そう言って、ふとイゾッタは首を傾げた。僅かに遅れて、全員が顎に手を当てて考え込む。で、気が付いて唱和する。
『あの兄弟の車だよ!』
極めて呆気なく、彼等はウィンチェスター兄弟と合流する事が出来た。
イゾッタが直前に再度携帯電話を繋ぎ、格闘人形一行は滞りなく家屋の門を潜る事となった。
しかし、玄関を開けて中に入ると、まず半円状に塩が撒かれていた。天井にはソロモンの環も描かれている。そしてディーンとサムは、ソファの影から各々拳銃と散弾銃を構え、つまり一行に対して警戒の手を一切緩めなかった訳だ。
塩の壁を難なく乗り越え、イゾッタが軽く手を挙げる。
「ほら、この通り。あたし達は悪魔じゃないわ。初めまして、ディーンとサム、そしてカーリー。携帯電話で話したイゾッタよ。で、いきなりだけど、ここで問題。サンフランシスコの穏健吸血鬼組織、ノブレムのオカマボスの名前は?」
唐突な物言いに、兄弟が顔を見合わせた。反応に困った顔で、ディーンが答える。
「何言ってんだお前。レノーラは確かに変わり者だが、あの不幸美人をオカマ呼ばわりとはどういう了見だ…ってまさか、俺達を試しやがったな?」
「さすが、いい勘をしているわね」
鼻を鳴らし、ディーンが銃口を下げて撃鉄を戻した。サムもそれに倣う。
「ディーン・ウィンチェスターだ。ジェイズのハンター集団か。率直に有り難いぜ」
「僕はサム・ウィンチェスター。レノーラ達は元気にしてる?」
「ええ、凄く頑張っていると思う」
そうこうする内に、ぞろぞろと一行が家の中に入って来た。その中の1人を認め、ディーンが声を引っ繰り返らせる。
「マクベティ警部補かよ!? まさか、あんたまで来るとはな。ハンターとは一線を画すのがモットーだったはずじゃねえのか?」
「まあ、色々状況が切迫していてな。お前等もいい面構えになったもんだぜ」
「ありがとう、警部補。ところで、その…」
サムは困り果てた顔でもどかしそうにしていたものの、おずおずと居並ぶハンター達を指差した。
「警部補もそうだけど、何だか身動きがぎこちないように見えるんだよ」
「やっぱりそう思うか」
「体がまだ慣れていないのよ」
「しばらくしたらコツを掴めそうです」
等と口々に訳の分からない事を言う。
と、その時、今まで姿を見せていなかったカーリーが、上階から階段を下りて彼等の元へ歩んで来た。その場がシンと静まり返る。纏う気配が、実に危ういものだと誰もが察したからだ。
「誰だ」
カーリーが言う。
「お前等、誰だ」
「カーリー、この人達は」
「サム!」
釈明しようとするサムをピシャリと黙らせ、カーリーは警戒心も露にハンター達を睨んだ。
「あなたには分からないだろうけど、そいつ等は人間じゃないわ」
「それはどういう」
かようにサムが言い掛けた途端、ディーンがマクベティ警部補に銃口を突きつけ、撃鉄を起こす。サムが慌てる。
「待て、ディーン!」
「カーリー、どういう事か説明出来るか?」
ディーンに促され、カーリーは一触即発の視線をハンター達に向けたまま、それでも冷静に努め、言葉を選んだ。
「器に魂が無い。ただ動いているだけの連中だわ。恐らくそいつ等を動かしている奴が別の場所に居る。」
「成る程な。おい、警部補のそっくりさん。パペットマスターの名前を言え。一言で簡潔にな。言わなきゃ頭に穴を空けて、別の奴に聞くまでだ」
「やめるんだ、ディーン! 僕には、この人達が敵だとは思えない!」
「プラス思考の勘など当てにしねえ。おい、さっさと言え!」
「…俺は俺だぜ。SFPDのジョン・マクベティ警部補だ」
ディーンは躊躇無く引き金を絞った。ベレッタが至近距離から9mm弾を発射する。銃弾は警部補の額を狙い違わず撃ち抜いたかに見えた。が、遮蔽物に跳ね返されたかのように、弾は天井へ小さな穴を穿った。
「馬鹿な」
ディーンが呆気に取られる。サムは絶句した。そしてカーリーが、両掌にゆらめく炎を纏わせる。
「ちょっと、ちょっと待って」
ルシンダが進み出、カーリーの手前に立った。
「自分達はルシファの手先じゃないし、誰かに操られている訳でもない。操っているのはわたし達自身とも言えるけど。ちょっと体を動かすのに慣れていないだけなのよ。ほら、今から礼儀正しく挨拶なんてしちゃうから。それでは一同、整列!」
ルシンダの仕切りでハンター達が横一列に並び、気をつけの姿勢を取る。
「礼!」
一斉に腰を45℃の角度で曲げてお辞儀をする。その様は、あからさまに良く出来たからくり人形ではあった。しかし、彼等は格闘人形をもう一つ操りきれていない。全員揃って頭がもげ、ごろごろと床に転がり落ちる。
「あらら、大変だわ」
「頭、頭、わしの頭は何処や」
「何て脆い関節なの?」
「どうやら気合で繋がっているようですよ」
「気を抜いたらあっさり手足ももげそうだ」
首無し人形が自分の頭を探して右往左往する様を、都合ディーン達は意識を途絶させてぼんやりと眺めていた。最初に正気づいたのはディーンである。
「サム! 手榴弾持って来い!」
「落ち着くんだ、ディーン!」
「これが落ち着いていられるか! こいつ等デュラハンじゃねえか! そんなもん、初めて見たぞ!?」
「気色悪い奴原が。どいつもこいつも焼き尽くしてくれる」
「カーリーも止めろ! ルシファの手先が、こんなに面白い訳が無い!」
案の定、場は大混乱に陥った。サムが強硬にハンター達との対話を主張しなければ、瞬く間に家一軒が消し飛んでいたかもしれない。
<異界トレントンのこの世ならざる者達>
「…マジかよ。信じらんねえ」
ディーンがそう言うのも無理はなかった。
自分達の状況がゲストハウス4Fで逐一把握され、救援の為にハンターが派遣された。彼等は得体の知れない技術の産物である格闘人形をゲストハウスで操っており、彼等に力を貸しているのが古い神々なのだ。
「全く、羨ましいよ。サンフランシスコには様々な力が結集しているって訳だ。それに引き換え俺達ゃ、よりにもよってルシファとやり合う手段を探して右往左往だからな」
「裏を返せば、サンフランシスコも危機的状況下にあるんだよ、ディーン。清濁合わせて色んなものが集っているからね。カーリー、神々の集結に関して心当たりはあるかい?」
皆から離れた場所で不機嫌そうにビールを飲んでいたカーリーが、サムに促されて不承不承ながらも返答する。
「ルシファの初回の大侵攻で、同じエリアの神々も一挙に連携が瓦解したのよ。廃ホテルの集会にしても、散り散りの者達をようやく掻き集められた体たらくでね。ただ、サンフランシスコの何者かからの呼び掛けは聞こえたわ」
「何故そっちに行かなかったんだ?」
「『人を守れ』と言っていたからよ。自分を守るにも手一杯なのに、何故人間なんかに手を回さねばならないの?」
サムは肩を竦め、ハンター達に困ったような笑顔を見せ、それ以上カーリーに問う事はしなかった。カーリーのスタンスは、あまりにも強硬だった。どうこう言っても聞く耳を持っているテスカトリポカとは比べ物にならない。
気まずい雰囲気を察し、ディーンが一つ手を叩いて、皆の耳目を自分に集めた。
「さあ、こんなけったくその悪い異界トレントンとはおさらばだ。どうすれば逃げられるのかを考えようじゃねえか。ともあれ、まずは腹ごしらえだ。飯だけは間違いなく本物だよな!」
ルシンダとイゾッタが用意した食事を前に、ディーンは心から嬉しそうだ。何しろ彼等は、真っ当な食事を取っていない。ハンバーガーやピザ、本格的なブレックファストがテーブルに並び、ディーンとサムが着々とそれらに手を伸ばす。
「うめえ。ハンバーガーうめえな、おい。ところでさ、何であんた等は食べないんだ?」
ハンバーガーとコーラを交互に片付けながら、ディーンが彼等に問う。
「そう言えば、この体で飯を食ったらどうなるんだろうね?」
言って、ソニアが試しにピザを頬張る。もごもごと咀嚼し、嚥下し、しばらくしてから席を立ち、ソニアは皆の目の届かない場所へフラフラと歩んで行った。
「うげえええええ」
「…そうか。そういう事か。分かったよ」
「カーリー、君は食べないのかい? イゾッタがカリーを用意してくれたようだよ。インドだけに」
ルシンダの準備した極上パンチェッタをナイフで丁寧に切り分け、サムがカーリーを誘う。カーリーは不必要な目力でもって彼を睨み、一言。
「人肉は無いの?」
「空気読めよ」
「読めよ空気を」
「本当、残念な女神様だな」
等々一頻り食事を楽しみ、改めて彼等は今後の対策について話し合う場を設けた。
こうして暢気に飯を食っていたには理由がある。既にイゾッタが「天岩戸」を行使していたのだ。この力は味方と定めた者に対し、敵からの目を眩ます事が出来る。相当高位の悪魔が相手でもない限り、その効果は確実に持続する。
「しかし、ルシファ級には通用しないだろうな」
ブライアンが言う。
「尤も、ルシファ級が居るとしたら、そいつはルシファ1人だろうけど」
「少なくとも、何もしないよりは余程安全という事よ」
データグラスを顔にセットし、手で何やらのリモコンを操作しながら、イゾッタが呟いた。後を継いでレヴィンがサムに尋ねる。
「サム、ルシファはどういう戦術を使ってくるの? どんな風に戦いを仕掛けてくる?」
「そうだな。まず、小細工は使わない。小細工なんかを使う必要は無いからね。来る時は廃ホテルの時のように、正面からだ。今の彼は無敵だ。対抗出来る者が居るとしたら、ミカエルか名も無き神くらいのものだろう」
「でも、この異界トレントンは随分と細工を弄しているよね?」
レヴィンの何気ない一言に、ディーンとサムが目を丸くして彼女を見詰めた。視線の意味が分からず、レヴィンがきょとんとした顔になる。
「何? 何か変な事を言った?」
「成る程な。この状況を作り出したのは、ルシファじゃないんだ。奴ならこんな回りくどい事はしない」
「勿論、ルシファの側の者だろうけど。しかし率直に強敵だよ。これ程の世界を作り出せるんだから」
「つまりそいつをどうにかしない限り、ここから逃げ出す事は出来ないのかよ。そんなもんに勝てるのか?」
「その為に、私達がここに居るのです!」
クラリスが胸を張って宣言する。
「私達には銃で撃たれても蚊が刺した程度のダメージしか通らない、感受性の欠如した体とけったいな異能力が備わっています!」
「クラリス、もう少し言い方ってもんがあるから」
「その名は格闘人形! 私達は相手を特に選びません。何処からでもかかってくるが宜しいですわ。いざという時は、人形の体がぶっ壊れるのみ!」
「…勇ましいのはいいけどさ、何かおかしい事になってるみたいだよ?」
ソニアが、データグラスの表示データを食い入るように見詰めるイゾッタを指差した。彼女は事前に、EMF探知機を搭載したラジコンヘリを広範囲に飛ばしている。そのデータは着々とうしろめくんを通してデータグラスに映し出されていたのだが、つまり異変が発生したという事だ。うしろめくんとデータグラスを持つ者が続々、彼女に倣って続々と装着を開始する。
「何かあったのかい?」
ソニアがイゾッタに問う。ソニアの方を向かずに、イゾッタが答える。
「どんどん撃墜されている。折角プロポ一台で全機操作出来るように改造したのに。ヘリはこの家を中心に、それぞれが円形を構成しているわ。それが尽く破壊されてしまった」
「つまり?」
「敵は複数。完全に包囲されたって事よ…。全機撃墜。データ無し。エネミー・アンノウン」
データグラスを外し、イゾッタは溜息をついた。
<フォウ・スペリア>
その女は小さな公園のブランコに腰掛け、時折ゆっくりと揺らしながら空を見上げていた。彼女の瞳は空を映し、澄んだ蒼みを湛えていたものの、其処には凡そ感情と呼べるものが無い。ただ見ている。空の向こうを。ターゲットが施した細工が続々と破壊されて行く様を。
「全て片付けたわ」
女が言う。
「細工には色々と工夫が施されていたわ。彼等もよく考えてこの場所に来た、という事。考える敵は厄介よ」
「所詮は、人間だ」
何時の間にか女の前に、男が立っていた。中肉中背の、彫の深い顔立ちの中年男性が。しかしその顔を見、女は初めて感情を面に出した。眉を顰め、女が言った。
「皮膚が崩れ始めている。その体、もう長持ちはしないわ」
「何、もう直ぐさ。もう直ぐ」
不自然に痣が浮かび上がる己の顔を、男はつるりと撫でた。
「これは決まり事なのだ。私には分かる。未来が。未来は描かれた通りの未来を迎える。誰も変える事は出来ない」
「先の言い方も気にはなったけれど、貴方が人間を見下す癖は、最早病の一種と思えるのよ。彼等を侮ってはいけないわ。足元を掬われる」
「君の言い方は面白いな。忠告は痛み入るが、彼等に動き出した歯車を止める手立ては無い…。むしろ私には、君の先制攻撃が随分と過剰な反応に思えるな」
「来られないはずの人間がやって来た。つまり尋常の存在ではないという事。彼等は討ち漏らした神々から力を借りている。ならば、それなりの礼節をもって応じるのが淑女の嗜みというものよ」
「神々か。神は御一人だよ。異教の神々など、ただの怪物とさして変わらない」
「人の信仰を得て力と為す点では、異教の神々もお父様と同じなのよ。現に貴方は、未だ極東を落とす事が出来ていない。恐らくこれからもね」
「ああ、厄介な連中だ…。しかし、人の世が変われば、彼等は早晩瓦解するだろう。黙示録の後の世で、人は自ら道を選ぶのだ。自滅するか、膝を屈するか、二つに一つだがね」
「もう一つ、戦い抜くという選択肢もあるわ。彼等には、愚かしいまでの闘争意欲で紡いできた歴史がある」
「君が人間を過大評価する癖は、最早病の一種だな」
「私には常にあの男の事が頭にあるのよ。人の身で私達を従え、地上に君臨するはずだったあの男の事が」
「心から愚かな男だと思うが」
「しかしお父様の評価は違う。お父様は、あの男が人の死に殉じて以降、奇蹟の顕現をお止めになった。そして御身を隠され、人の世が始まった」
「人間に仕えよ、とも言ったな。後継者たるあの男ならばまだしも、地上に蔓延る塵芥の如きに」
「…その話は長くなりそうね。私も若かったわ。さあ、そろそろ立ち上がりましょうか」
女はブランコから腰を上げ、軽く上半身を捻った。首を回し、腕を伸ばす様を見て、男が面白そうに声を掛ける。
「まだ不慣れか?」
「地獄から出て来たばかりなのでね。あんな下らない場所から出して貰えた事に感謝するわ」
「もう行くよ」
「そう」
「死の騎士を制御するのは大変だ。あの小賢しい老人から目を離す訳にはいかない」
「怒っているでしょうね、あの方。ところでリヴァイアサンは、もう極東戦線から戻した方がいいと思うわ。サンフランシスコにぶつけるべきよ。もう直ぐあの人が目覚めるから」
「考えておこう」
「それではルシファ、御機嫌よう。ここは私に任せてみて」
「また会おう、ベリアル。虚を操る者」
<そして彼等の前に現れたのは、よりにもよってアレだった>
家屋の2階から身を隠し、双眼鏡でもって覗き込める距離に「アレ」は居た。
アレは空を飛んでいた。そしてどうやら、複数居る。アレは悠然と滑空飛行し、少しずつ包囲の輪を狭めているらしかった。ハンター達が居る場所に、或る程度の当たりをつけているのは間違いないが、それでも未だ正確な位置までは掴めていないようだ。
しかし、もしも見つかれば大事である。アレを見てしまったならば、普通の人は思うだろう。
『そうか。俺、死ぬんだ』
取り敢えず助けを求めねばならないとしたら、警察ではなく軍隊だ。そんなものは異界トレントンに存在しないので、アレを相手にどうにかしなければならないとすれば、それはやっぱりハンター以外には有り得ない。実に無体な話である。
双眼鏡を外し、ディーンは大きく溜息をついて、後ろに控える一同に、困り果てた声で言ったものだ。
「何だよアレ。ドラゴンですよドラゴン。俺は夢を見ているに違いない。誰か夢だと言ってくれ」
「直視するんだ、ディーン、現実って奴を」
据わった目で、ソニアが一席ぶつ。
「異世界に飛ばされてドラゴン相手に七転八倒する。それが私達の生きる世界の現実なんだよ」
「冷静に狂った台詞を言うんじゃねえ。しかしドラゴンってのはどうなんだ!? ルシファの手下共、俺達を殺る気満々じゃねえか」
「恐らく、方針は変えていないと思うわ。飽くまで狙いは、君達2人の確保よ」
落ち着いた口調で、ルシンダ曰く。
「でも、確かに人間相手に、この反応は過剰過ぎる。きっと敵は、不確定要因を排除する為にあんなものを繰り出してきたのよね」
「不確定要因ってのは何だ」
「つまりわたし達の事」
あまりにも迷惑そうな顔で、ディーンはルシンダを眺めた。
ともあれ、ドラゴンである。「ともあれ」の一言で片付けるには、非常に厳しい化け物だ。唯一の救いがあるとすれば、多分火炎までは吐いて来ないところか。地上に降り立ち、首振り一発で家屋を全壊に追い込む様は、救いというには矢張り非常に厳しいが。
しかしイゾッタは眉一つ動かさずに言った。
「成る程。ああやって手当たり次第に燻り出す腹ね」
「どうしてそんなに平常心なんだ、お前は」
「やる事が決まっているからよ。ドラゴンに包囲網を狭められているあたし達が、取るべき手段はたった一つ」
「手段?」
「ゴキブリのように逃げる」
突然、ターゲットの位置が判別出来るようになった。ドラゴン達はその一点目掛けて首を回し、ゆったりと旋回しつつ当該方角への飛行を開始した。同時に一軒の家屋から、黒い車が一台飛び出して来るのも見える。その車は恐るべき速度で脱兎の如く道路を走り去って行くのだが、明らかに定員オーバーでもあった。
「インパラは9人乗れるようには出来ちゃいないよ」
後部座席にモミクチャに詰め込まれたサムが嘆きの声を上げる。しかしながらその他大勢も同じような按配で、後部座席は万国びっくりショーさながらだ。一番恵まれているのは運転手のディーンであり、一番悲惨な状況と言えば助手席の警部補とブライアンであろうか。むさい男同士が狭い空間で密着し合う様は、率直に地獄の風景だった。
「すまねえな、ブライアン。お前の事がどんどん嫌いになりそうだ」
「奇遇ですね、警部補。俺は世界一警部補に蹴りをかましたい男です」
かような悲喜交々をごった煮の如く抱えながら、定員オーバーのインパラは健気に爆走を続けている。が、空を飛ぶドラゴン達は緩やかに羽ばたいているように見えるも、速度はその実、当然のように車より速い。思うよりも短時間でインパラの上空をドラゴンがクロスし、大きな影が地上を漂い始めた。絶体絶命。普通の場合。
しかしながら、彼等の逃走案は極めてアグレッシブであった。即ち是、戦いながら逃げるのだ。
身の丈2階建ての家屋程の巨大な生き物が、インパラの前方に着地する。ハンドルを切って右に急カーブをかけるも、更にもう一体が回り込んできた。そして後方に最後の1体が地響きを鳴らして降着し、都合3匹のドラゴンの包囲を受け、インパラは減速せざるを得ない状況に追い込まれた。
と、ゴロゴロと何人かの人間、否、格闘人形と女神様が地面に転がり出た。レヴィン、ブライアン、クラリス、それにカーリー。
「爬虫類風情が。戦神の力を思い知らせてやる」
「おいっ、お前ら! こんなんで勝ち目でもあるのかよ!」
切羽詰った声で、ディーンが外に飛び出した者達に呼び掛ける。返事の代わりに、各々が得物を一斉に構えた。トミーガンを側面のドラゴンに向け、レヴィンが叫ぶ。
「敵中正面突破じゃあ!」
マシンガンが唸る。拳銃が火を噴く。散弾銃が鉛弾をばら撒く。四方八方に撃ち出された銃弾が続々とドラゴンに命中する。
「効くのか!? 芥子粒並だぞ!」
サムが驚いて声を上げる目の前で、正面の一体が雄叫びを上げて身を捩じらせる。
「効いた!?」
「効いた! 銀凄い、凄いよ銀は!」
「翻ってわたしの『遠隔』を銃弾に書き込む案は不採用かー、へこむわー」
「霊『符』と銘打っている以上はイレギュラーさねえ。アイデアはイケてたんだけどね」
「でも、インパラに貼りまくってた遠隔霊符は健在じゃない」
「攻撃してくる方角をピンポイントで意識すれば、打撃を弾き返せる優れものよ。さあ、安心して敵陣真っ只中を駆け抜けましょう、マンチェスター兄弟!」
「ウィンチェスターだ」
イゾッタ、ブレンダ、ソニア、サム、ディーン。どの台詞が誰のものかは想像にお任せ致します。ちなみに某氏のアクト、徹頭徹尾ウィンチェスターが「マンチェスター」になっていましたよ。
インパラが突進を再開。合わせて徒歩組も追随する。驚異的な事に追随出来るのだ、格闘人形という化け物は。
立ち直った正面のドラゴンが、首を逸らしてインパラを噛み取ろうと押し迫る。が、その動作が大きく鈍った。ソニアによる「鈍化」の呪いを受け、出来た隙は致命的である。飛び込んで来たカーリーが、大口を開けるドラゴンの喉元目掛け、膨大な量の炎を送り込む。内部から焼き尽くし、1体屠殺。
側面から迫ったドラゴン2体が、ほとんど同時に鉤爪を振り下ろしてきた。狙うはカーリー、そしてインパラ。凄まじい風圧と共に叩き付けられるはずだった打撃は、しかし思う通りにはならなかった。1体がインパラに仕込んだ『遠隔』で爪を弾き返され、もう1体は腕に深々と傷痕を刻まれて仰け反った。クラリスがカーリーに施したンパギ・ムルが、攻撃をそっくりそのまま返したのだ。この時点で、趨勢はほぼ決着した。
レヴィンとブライアンのクラウ・ソラスが大木並のドラゴン達の足を切断し、とどめに警部補が天瓊滄海の雨を降らせ、巨体に丹念なダメージを与えて行く。弱りきったところを、更にクラウ・ソラスが切り刻む。レヴィンとブライアンがほとんど同時に首を斬り落とし、普通のシナリオであれば未曾有の規模の戦闘描写になるはずだったドラゴンとの戦いは、こうして大体20行弱で決着を迎えたのだった。
車を降りて外に出たウィンチェスター兄弟が、感心したような半笑いを浮かべつつ互いの顔を見た。一方カーリーはと言えば、兄弟ほどには好意的な雰囲気は無く、むしろその表情は益々険しい。彼女に助力をしたクラリスが、空気を察して彼女に声を掛ける。
「ほら、この通りですわ。人間と神々が協力し合えば、大抵の難儀は乗り越えられるものですよ」
「いや、お前達は明らかに人間ではない」
「人間ですよ。格闘人形なんて反則技の乗り物を使ってはおりますが。この格闘人形は、神々と人間の合算が為せる業なのでありましょうね」
「何が言いたい?」
「つまり、あなたの御加護も得られればと思うのよ」
クラリスの後を継ぎ、ルシンダ曰く。
「あなたは強いわ。でも、わたし達に加護を授けてくれる事で、相乗効果を得られるかもしれない。ま、無理強いは出来ないけれど、良かったら考えてみて」
「話し合いのところを申し訳ないけどさ、ところでドラゴンの死体は何処?」
ソニアが会話に割り込み、訝しい顔で周囲を指差した。言われて彼等も初めて気が付いた。あれだけ派手な死に様を見せたドラゴン達の姿が霧消している。
「…やれやれ。真打登場ときたもんだ」
ソニアが銃口を向ける先に、その女は居た。女は煙草を咥えて紫煙を揺らし、虚ろな眼差しで彼等を見ている。金色の豊かな髪。金色の瞳。
「悪魔か?」
「堕天した者が悪魔になるとは限らないのよ」
抑揚の無い声で、女は言った。
<その名はベリアル>
「話を遮って申し訳ないが、ちょっと場面をプレイバックしてもらいたい」
警部補が挙手して曰く。
「先刻のドラゴン戦だけどよ」
“格闘人形と女神様が地面に転がり出た。レヴィン、ブライアン、クラリス、それにカーリー”
“イゾッタ、ブレンダ、ソニア、サム、ディーン。どの台詞が誰のものかは想像にお任せ致します”
「…一体俺は、何処に居たんだ?」
「また存在を忘れられちゃったの?」
「存在感が薄過ぎるんですよ」
からからと笑い合うハンター達を、女は訝しく見詰めた。普通の感性の持ち主であれば、自身の存在感の際どさに危機感を覚えているはずだ。現にターゲットの兄弟と異教の女神は笑いの輪に加わらず、強力な敵意の目でもって自分に相対している。先程ドラゴンを始末してみせた大雑把な手腕は、人に許可された範囲の仕事ではない。成る程、と女は思った。
「つまりお前達もまた虚(うつろ)の者という訳ね」
言った途端、銃と刀剣が一斉に女の方へと向けられた。その反応は実に機械的だと感じられる。
「そう。虚の体を操ってここまで来た、という訳なの。強力な呪的産物。これを提供した者の力は尋常ではない」
「用件は?」
ブライアンが問う。
「こんな大仕掛けを準備して、一体何が目的なんだ?」
「それはお前達も知っているはず。私はその兄弟に用事があるのよ。ルシファは其処な弟の方とじっくり話し合う事を望んでいるわ。勿論、兄の方も血縁のよしみで同行を願いたい。私達は、ウィンチェスター兄弟に決して危害を加えるつもりはない」
「家に帰れ、アバズレ」
ディーンが啖呵を切った。
「bitch , asshole, holy shit 他の悪魔みたく、命乞いしながら地獄に送られる羽目になりたくなけりゃ、さっさと目の前から消えろ」
「私は悪魔ではない」
「いいや、悪魔だ。腐った臭いで鼻が曲がりそうだぜ」
女は眉間を軽く指で揉み解し、子供を躾けるような調子でディーンと、その他の者達にも言い聞かせた。
「勢いだけで事を乗り切るのは考え物よ。私もまた尋常の者ではない、という事。この異界は私であり、私はこの異界でもある。先のドラゴンとの戦い、楽しかった? あれは私が作り出した幻。この限定空間の中ならば、私は神に匹敵する」
「その割には俺達を容易く見つけられなかったようだが?」
「それは例えれば、一年前同月同日の夕食が何だったのかを思い出す感覚に似ているわ。些細なものを察知するのはかなり難儀な事よ。つまり言いたいのは、お前達はどうやっても勝ち目が無い、という事。其処の勇猛果敢な戦の女神様も、それは重々承知のようだけど」
あからさまに見下すような女の視線を受け、カーリーは唇を噛んで耐えた。誇り高い自分に対し、女は最大の侮辱をぶつけてきたのだが、その言葉は事実でもあった。どうあがいても、自分ではこの女に勝つ事が出来ない。
「名前は?」
散弾銃を女に向けたまま、イゾッタが問う。
「あるでしょう、名前くらい。さぞかし名のある御方とお見受けするわ」
「私はフォウ・スペリアの1人。ベリアル」
その途端、イゾッタは銀化した散弾を放った。それを合図に銃の使い手がベリアル目掛けて一斉射撃を開始したする。対してベリアルは、銀の効能を捩じ込まれて僅かに顔を顰めたものの、避ける素振りも見せていない。
「畜生、“コルト”を持ってくりゃ良かった」
「あれは預けたままだよ、ディーン」
「今ある手段で、やるしかないじゃないっ!」
レヴィンがトミーガンを諦め、剣を抜き放った。その時、ベリアルの僅かな戸惑いをレヴィンは見た。
クラウ・ソラスを縦に一閃するも、振り下ろした時にはベリアルは彼女の側面に居た。人差し指を、ひょいと上向ける。ただそれだけで、レヴィンと彼女の仲間達はその場から吹き飛ばされた。が、その瞬間、ベリアルの周囲にもうもうと煙が立ち込める。飛ばされる前に、何人かが欺瞞煙幕を放り投げたのだ。
確かに彼等の位置が見えなくなったものの、その場を抜け出すのは容易だとベリアルは感じた。息つき、一歩前に出ようとする。しかし体の動きが若干軋む。何故かと思い、ベリアルは地面を見た。
其処には、ソロモンの環が描かれていた。彼女は知らないが、これはソニアの置き土産である。この隙に乗じてインパラに乗り込み、一目散に逃げを打つ彼等に構わず、ベリアルはただただ地面を眺めた。
その瞳に忸怩たる思いが浮かぶ。この程度のソロモンの環を破るなど造作も無いが、僅かであってもこれに作用する自身の体を認識し、ベリアルは初めて怒りの表情を浮かべた。
「私は、悪魔ではない」
既にその呟きを聞ける者はこの場に居ない。
<ジェイズ・ゲストハウス>
『いやー、いきなり大物と当たる事になってしまいましたね。ベリアルですよ。ベリアル。その名は吾も存じています』
機嫌よさげに言い放つキューの台詞を、苦虫噛む顔で博士とインディアンは聞いていた。
「しかし主よ、ハンターが戦うにしては度が過ぎる相手だと思うが?」
『何、吾の格闘人形と神々の加護、そして面白ハンターが組み合わさればベリアル如き、千切っては投げ千切っては投げ』
「いや、そう簡単にはいかんだろ」
「しかしベリアルとは…。4人の貴公子の1人ですね」
「ああ。ミカエルの軍勢と事を構えた軍団の、第一位階級と言われておるな。ルシファ、ベリアル、リヴァイアサン、そしてサタン」
「ルシファとサタンは桁違いですよ」
「ここで一つ疑問に思うのだ。ルシファとサタンは同一の存在であるというのが現在の定説だが、フォウ・スペリアの考え方ではきっちり分けられている」
「どういう事でしょうか」
「ま、何れ分かるであろう。この街には、どうやら役者が揃いつつあるようだからな。ともあれ、今はベリアルだ。この恐るべき強敵に対し、キューさんのお友達は如何にして立ち向かう?」
『どうやってもベリアルを倒さねばなりませんね。奴が言うように、あの世界はベリアルそのものと考えて差し支えありません。少なくとも膝を屈するところまで追い込まなければ、あの兄弟と女神を外に出す事は出来ないでしょう。何しろあの世界で、真なる者は彼等のみですから。そう、あの世界は虚。格闘人形も虚。ベリアル自身も虚です。しかし虚に打撃を与える手段が、どうやらたった一つだけあるように思いますね』
<H6-4:終>
○登場PC
・イゾッタ・ラナ・デ・テルツィ : マフィア(ガレッサ・ファミリー)
PL名 : けいすけ様
・クラリス・ヴァレンタイン : ガーディアン
PL名 : TAK様
・ソニア・ヴィリジッタ : ガーディアン
PL名 : わんわん2号様
・ブライアン・マックナイト : スカウター
・ルシンダ・ブレア : ガーディアン
PL名 : みゅー様
・レヴィン・コーディル : ポイントゲッター
PL名 : Lindy様
ルシファ・ライジング H6-4【誰だ、お前等、誰だ】