<テンダーロインのキメラハウス>

 ※このセンテンスは田中信夫の声を想像しながらお読み下さい。

 キメラハウスとは何か?

 それはアメリカ合衆国で恐怖とともに語られる、伝説のビルヂングである!

 深夜になるとそのビルヂングは忽然と姿を現し、人の生き血を啜らんと待ち構え、ひっそりと聳え立つのだという。勇気ある者達が次々と挑戦を重ねたものの、彼らはことごとく生きて帰る事が出来なかったのだ!

 アメリカ市民を恐怖のどん底に陥れ、今や誰もがその名を口にする事すら憚られるキメラハウスに、敢えて立ち向かう5人の若き勇者達(一部オッサン含む)!

 この物語は彼らの苦闘と、その先に見たものを解き明かす、真実のドラマなのである!

 

ジェイズ・ゲストハウス

 ゲストハウスも夜型と昼型の人間が丁度入れ替わる早朝の頃合は、実に閑散としている。

 マスターのジェイコブ・ニールセンは床をモップで拭きながら、酒瓶抱えてチェアで高いびきの酔っ払い共を迷惑そうに眺めた。

 ゲストハウスは酒場だが、ハンター達が単独行動を好む性格上、あまり酒盛りなどが行なわれる事はない。しかし酒とピッツァをかっくらって卑猥に転がっている彼らは、ハンターの中でも変り種の人種である。何しろ異常事態進行中のフリスコへの対処を脇に置き、ジェイズ・ゲストハウスの謎を解き明かそうと結集した、ちょっと変わった人達なのだ。

「すまん、掃除の邪魔だから起きてくれ」

 無反応。

「起きやがれ飲んだくれども! 仕事の邪魔だ!」

 いい加減頭にきたジェイコブが、ジョン・マクベティ警部補の抱えているテネシーを無理繰りにひっぺがした。ゴン、とテーブルに頭をぶつけ、警部補が半目を擦って半身を上げる。それに合わせてゾンビーの如く、残りの4人がのろくさと体を持ち上げた。妙に安定した一体感が彼らにはある。

 霊的な防御が建物全体に張られ、アイテムに強化を施し、物理的には見えない4階から上が存在するというジェイズ・ゲストハウスへの挑戦は、まずはイゾッタ・ラナ・デ・テルツィの住む部屋の模様替えから始まった。

『人が人として生きていくには、余りにも難易度が高い部屋!』

 床張りに染みがついたカーペットを敷いただけの3階部屋を見た時、イゾッタは言い放ったものである。そしてイゾッタは人が人らしく生きる為、部屋の模様替えを決行したという次第。まず非番で骨休めに来ていたマクベティ警部補が指名され、続いてブライアン・マックナイトも巻き込まれた。ルシンダ・ブレアとレヴィン・コーディルという探検隊御一行様も強制参加の運びとなり、おかげでイゾッタの部屋は見違えるように美しくなった。イゾッタは彼らに謝礼は出さなかったが、代わりにガレッサBldでも使っているキッチンカーで、ピッツァパーティと洒落込んだ。後は酒が入れば、以下省略。

「さて」

 大きなあくびと共に、警部補は心底だるそうにテーブルを囲む面々を眺めた。

「面倒だが打ち合わせでもするか」

「出て行かないのか!?」

 ジェイコブが何か喚いているが、取り敢えず無視だ。警部補が挙手し、皆に五本指を示す。1本折って4、2本目を折って3。2。1。

「よし、今から遊びモードのスイッチオン!」

「警部補、遊ぶんだ」

「仕事しなくていいの?」

 と、ルシンダが苦笑しつつ水の入ったコップを警部補に渡してやった。

「仕事はしているが、息抜きでもしなけりゃやってられん。『それにしても、こいつのナニは何処に行ったんだ』とかさ、そういう猟奇死体を見るのは沢山だぜ」

 警部補は水を一息に呷って、懐からゲストハウスの見取り図を取り出し、テーブルに広げた。その目は如何にも悪戯小僧のそれで、どうやら遊ぶにしても警部補は本気らしい。

「一階は、ほぼ全フロアが酒場に使われている。2階から3階はハンター用の貸し部屋。普通ハンターは街から街への渡り鳥だから、部屋に手を加えて居心地よくするなんざ滅多としない。イゾッタなんかは奇特な部類だな。よくもまあ、あれだけの模様替えを敢行したもんだ」

「そりゃそうですよ。何せ全八回の長丁場なんだから。それはさて置き、ジェイズ・ゲストハウスについてのおさらいをしてみましょうか」

 ジェイズ・ゲストハウス。それはハンター達が集う『酒場』である。

 こうした酒場は世界各地に存在し、それぞれがハンター達の拠点として活用されている。かつて大規模なハンター組織が結成されては悪魔に潰されてきたという経緯を踏まえ、ハンター達は点在しながらも集団として機能している訳だ。ただ、ジェイズは普通の酒場ではない。

 建物全体に霊的な防御が施されている。

 アイテムのレベルアップをする事が出来る。

 物理的には見る事が出来ない構造を有している。

 こうした特長は世界の酒場において類例が無い。これほど奇妙であるにも関わらず、今迄何となく放置されてきたジェイズであったが、ここに来てようやくメスが入れられる運びと相成った。ジェイズの異常現象を実際に体験した者が遂に現れたからだ。

「言い辛いんですけどね、先輩。お酒の飲み過ぎで頭がアッチに逝っちゃったんじゃないッスか?」

 ブライアンが朝のトマトジュースをストローでジュージュー吸いながら言った。彼は元SFPDで、マクベティ警部補とは既知の仲である。

「大体あるわけないんですよ。3階の建物に実は4階がありましたー、なんて。物理的に有り得ませんからね。物理的に有り得ないものは、有り得ないんです」

「…ブライアン」

 警部補はブライアンを不思議そうに見ながら、しみじみと言ったものだ。

「何でハンターになったんだ?」

「この世にオバケなんて居ない事を証明するためですッ」

「お前、この先絶対苦労するぞ…」

 オバケかどうかはさて置いて、一連の出来事から類推される点は、ジェイズには何かよく分からないものがいる、という事だ。それは警部補に一言だけ話しかけた。『降りなさい』と。まずはその「何か」に対するアプローチを、ハンター達は考える必要がある。

「考えとっても始まらん。まずは行動あるのみじゃい。こうゆう時は、全員で円陣を組むもんじゃ。さあ、皆で輪にならんかい!」

 得体の知れない方言が、これっぽっちも似合っていないレヴィン(18歳・少女)の呼びかけで、都合5人は肩を組んで輪になった。

「ジェイズ、ゴオオオ、ファイッ」

『ムーヴ!』

 そして5人は口々にわーわー言いながら、各々明後日の方に向かって走って行った。何しろ得体の知れない代物が相手である。そのアプローチは、全員が全員てんでバラバラだったのだ。

 

ルシンダ・ブレアの場合

「という訳で、ゲストハウスについて知っている事、洗いざらいしゃべって頂戴ね」

「まだ居たのか!?」

「でもほら、警部補だって酒をかっくらっていますけど」

「何だと!?」

 ようやく心置きなく掃除が出来ると安堵したジェイコブの目の前に、メモ帳を持ってルシンダが立っていた。彼女の言葉に従ってカウンターを見れば、警部補は性懲りもなくウィスキーを一杯やっている。

「あれだけ飲んでおいて、どういう了見だ」

「結局俺ぁ酔い潰れてあんな目に合ったって訳だ。したらおめぇ、もう一回潰れるっきゃねえだろ」

 意味不明の理屈だが、早くもマクベティ警部補はベロベロになりつつある。本当に仕事はどうしたんだとジェイコブは説教をかましたくなったが、どうやらルシンダの方が見逃してくれそうにない。

「結局、この館について一番詳しいのはジェイコブしか居ないのよ。何せここのオーナーだから。お願い、もう一度詳しく話を聞かせて?」

 メモとペンを両手で合わせ、祈るような格好でルシンダはウィンクして見せた。自分というものをよくよくわきまえているな、とは、ジェイコブの所感である。控え目に言っても、ルシンダは可愛らしい。その可愛らしさを引き立たせる仕草を、彼女は十分心得ている。この愛嬌を活用して交渉を有利に持っていくのがルシンダの武器でもあったが、感性の抑揚が歳とともに薄まっているジェイコブには、あまり通用していない。それでもジェイコブはルシンダの意を汲み、モップを脇に置いて腕を組んだ。

「あれは確か、12年ほど前だったな。俺がこの屋敷を先代の親父さんから引き継いだのは。親父さんは身寄りも無くてな、俺に所有権を譲ってから程なくして息を引き取った。ベッドの上で死ねたんだから、元ハンターとしてはマシな最期だったよ」

「先代から何か聞いていなかったの? この館に、何か妙なものがあるとか」

「…先代も何も、俺だって現役の頃から妙なとこだとは思っていたさ。ただ、あの頃も今も、知っている事には大差が無い。霊的防御が張られてカスタムアップが出来るってな。多分、先代も同じようなもんだったんだろう。しかしながら、この館の成り立ちに関しては、ちょっと伝説めいた事がある」

「伝説?」

 ルシンダが興味津々で身を乗り出した。伝説と言うからには、どのような内容にせよ何処かしらに話の根拠が存在する。ジェイコブの言い方には如何にも与太話の自覚があったが、聞く価値は大とルシンダは見た。

「今から200年近く前だ。サンフランシスコに子連れの男がやって来て、この地に館を作った。そいつは稀代の魔術使いで、この建物に強力な結界を張り、館の権利を或るハンターに譲ったんだ。で、そいつが街を出て行く段になって、ハンターが聞いたんだ。連れてきた子供は何処にいるって。するとそいつは言った。『君のすぐ傍に居るし、居ないとも言える』とさ。まるで禅問答だね。そしてここからが眉唾なんだが、その男の名前が、サミュエル・コルトだったそうだ」

「…え?」

 紙にペンを走らせる手を止め、ルシンダは目を丸くしてジェイコブを見た。

 サミュエル・コルトは、現在のコルト・ファイヤーアームズの創設者として、世界中にその名を知られる人物だ。しかしながらハンターの世界においては様相が異なる。ワイオミングに存在する地獄の門の大結界、この世ならざる者を含めたあらゆる存在を抹殺出来る拳銃等、彼が手掛けた何れもが人智を超越した代物なのだ。よってハンター世界で彼を称する二つ名は、驚嘆と畏怖を込めて『魔人』である。

「なるほど、コルトねえ。確かにあの神レベルの大結界を考えれば、建物1つくらい防御を施せるかもしれないわね。それにしても、何故にコルト」

「言ったろう、眉唾だって」

「まあ、確かに。有名人を絡ませれば、どんなに胡散臭い話でも箔がつくでしょうしね」

「そういう事だ。大体コルトほどの資産家なら、こんなみすぼらしい建物にはしない」

「言えてる。見た目も中身も、何だか貧困に喘いでいるもんね。ゲストハウス」

 ルシンダの言い様を聞いてジェイコブがカラカラと笑い、つられてルシンダも吹き出した。しかし彼女の笑い顔は、およそ3秒後に引き攣る事となる。

 どすん。と、鈍い音と共に、ジェイコブの頭上目掛けて手頃なサイズの雪ダルマが降ってきたのだ。ダルマの直撃を脳天にもらい、ジェイコブは笑顔のままバッタリと倒れ伏した。ルシンダは呆気に取られながらも、ハタと気付いて一歩後退した。

 どすん。

 ルシンダの目の前すれすれを雪ダルマが落下する。持って生まれた運の良さが、この理不尽な状況から救ってくれたのだ。ルシンダは自分を産んでくれたお母さんに感謝しなければならない。

「雪ダルマが天井から!? 何で、何で?」

「チッ」

「誰、今舌を打ったのは」

 警部補かと思って見れば、彼は倒れたジェイコブの側に膝をついて、雪ダルマを手に取っていた。

「雪ダルマ、か」

「警部補、何か分かるの?」

 しばらくの間警部補は雪ダルマをじっくり観察した。気絶するジェイコブをカウンターにもたれさせてから、その隣に雪ダルマを置く。それから警部補はカウンターに戻って、またグラスに酒を注ぎ始めた。

「…それはそれ、これはこれ、なのね」

 

ブライアン・マックナイトの場合

 アメリカでは消防士や警官といった公僕は尊敬の対象となるのだが、精鋭揃いのSFPDはサンフランシスコ市民からの信頼度が非常に高い。地域の民度の低さを最も表す警官への賄賂が発生しないよう、彼らは押し並べて高給取りだ。

 そんな誇り高い地位や報酬を捨ててまでハンターになったのだから、ブライアンにしても「この世ならざる者」への対抗という目的は間違いなく持っている。にも関わらず、彼の怪異現象に対するアプローチは、まず物理的に物事を考察しましょう、である。警官時代の癖と言えばその通りだし、現代物理を基準にした思考は時として有効に働く事がある。しかしながら、それはブライアンにとって建前上の事である。彼の心の根底にあるものは、条理とはまた性格が異なる感情的な衝動があった。

 怖いのだ。オバケが。

 

 口笛吹きつつブライアンは、各階の構造、壁の厚み、天井の高さ、果ては窓や通気口の位置まで、丹念に観察と計測を続けていた。ちなみに口笛の曲目は「おばけなんてないさ」。アンチゴースト・バトルソングとして、ハンター間での知名度は高い。

 こういう地味な仕事から入るのは、警官上がりのブライアンならではの役回りである。彼は建物の外観から類推される構造、そして実際の見取り図に比べ、実際に計測した数値との矛盾点があるか否かを調べていた。その方法論は実に手堅いが、結局ブライアンが下した結論はと言えば。

「ただのオンボロビルだぞ、これは」

 果てしない徒労感を覚えつつ、ブライアンは3階の踊り場で段差を椅子代わりにしゃがみ込んだ。霊的防御が施され、アイテムのカスタムが出来るという点はブライアンも認めざるを得ない。何しろシステム上そうなっている。しかし「謎の4階↑」については数多の疑問符が浮遊する結論を下さざるを得ない。やっぱり警部補、飲み過ぎたんだよ。そう思いながらも、ブライアンはメモ帳を開いた。SFPD時代からの愛用品だ。

 ブライアンはゲストハウスの関係者に、事前に聞き取り調査を行なっていた。知りたいのは、以前に似たような出来事が起こっていたか否かだ。ジェイコブには当然だが、その他古株のハンターにも一通り質問をするも、そんな珍妙な出来事は今まで無かった、という事だった。

 仮にそういった出来事がある程度起こっていたなら、警部補の話も信憑性が増していただろう。しかしただの一度も無いという点で、ブライアンの心は「酔っ払いの世迷言」という方向で傾きつつあった。物理万歳、物理の勝利。何だか面白くも何ともない結論ではあるが、これはこれで一件落着と、ブライアンは安堵しつつ背中を伸ばした。

「…待てよ」

 ブライアンは勢い込んで背中を丸め、メモを今一度凝視した。

 今まで、ただの一度もそんな事は起きなかったと、皆が口を揃えて言っている。ならばそんな事が起きたのは何故だろうと、ブライアンは思い至ったのだ。警部補が例の出来事を体験したと言っていた時期を、ブライアンは改めて見直した。1ヶ月より少し前。多少の誤差はあれど、サンフランシスコで複数の怪異現象が発生し始めた時期に合致している。

(どういうんだ? この世ならざる者の躍動に合わせて、ジェイズも動き始めたって事か?)

 そう思うと、ブライアンの背筋がゾッと冷えた。午前の日差しが差し込んでいるにも関わらず、板張りの長い廊下は薄暗い。ちかちかと点滅する白熱灯が、ブライアンには何事かを囁いているようにも見える。意思持つ館。ファンハウス。ヘルハウス。キメラハウス。

「いやいや」

 ブライアンが頭を振って立ち上がった。そして自らを鼓舞するように曰く。

「そんなはずがあるもんか。オバケなんてないさ。オバケなんてウソさ。だけどちょっと、だけどちょっと…って、私は怖くないぞ。オバケなんて怖くはない!」

「いーこと聞きました」

「…え?」

 鳩が豆鉄砲をくらったような顔と言えば、今のブライアンがそれである。男でも女でも、老人でも子供でもない不明瞭だが確かな声が、ブライアンの耳の傍から聞こえたのだ。声の主を確認しようと周囲を見渡しかけ、しかしブライアンは隣にある階段から目が離せなくなった。

 上りの階段だ。そしてここは3階。

 あるはずが無い「上の階」から、何やら気の抜けた音が響いてくる。それは言葉にすると、こんな感じだ。

 ぼよん、ぼよん、ぼよん。

 ぼよんぼよんと跳ねながら、そいつは階段を下りてきた。ブライアンも、そいつの事は知っている。2頭身。メタボ。とぼけた石炭のツラ。バケツの帽子にホウキの両手。サンフランシスコでは雪が降るのは稀である。だからスキーリゾートへ両親に連れて行って貰った際、家族みんなで一緒に作ったのは楽しい思い出だ。凄いや、お父さんよりもでっかいぞ! はっはっは、ブライアンも何時かは俺やそいつよりも大きくなるんだぞ。お父さん、元気にしてますか。ブライアンは今日も元気です。元気な私の目の前に、アホみたいにでかいそいつが居ます。そいつはホウキの片手をビッと上げて、ブライアンに挨拶を寄越してきた。

『やあ、ブライアン。スノーマンだよ』

「ギャーッ!」

 ブライアンは、逃げた。凄まじい速度で階段を駆け下りた。ブライアンの最大の武器は、その逃げ足である。しかしスノーマンは、意外な高速度で着実に彼を追いかけるのだった。ぼよんぼよんと跳ねながら。

 

レヴィン・コーディルの場合

 昔のマフィアがよくやっていたように、レヴィンは楽器のケースに銃を仕舞った。トンプソン短機関銃。通称トミーガン。マフィア映画御用達のこの銃を、メインウェポンとしている18歳。それがレヴィン・コーディル18歳。血塗れの任侠ロードに憧れる、ちょっと夢見がちな18歳。

 レヴィンはベッドの下にケースを押し込み、パンと手を合わせて軽く頭を下げた。

「ごめんねトミー。何しろ第一回だし、屋内だし。いきなり機関銃ぶっ放して『あひゃひゃひゃ』ってのはちょっと。そんなキワモノでキャラを立てたくないし。でも大丈夫、多分幾らでも撃ち放題の敵がきっと出て来るからね。ゴッドファーザーのトニーみたく、蜂の巣にしたるから覚悟せいやあ! あっと、この場面は広島弁モードじゃなかったかな」

 てへ、と舌を出し、レヴィンはポケットからEMF探知機を取り出した。

 ゲストハウスは存在そのものが非常に怪しい所だが、主人であるジェイコブですら詳細が分からない、という点にレヴィンは着眼した。分からないとは、つまり何かを探ろうとしてもブロックされてしまう仕掛けが施されているのではないのか、と。だったら、ピンポイントでEMFが反応する場というものがあるかもしれない。一通り館の中を巡ってみれば、何か特定の『妙な場所』を探り当てられる、という訳だ。我ながら冴えた思いつき、と感心しながらスイッチ・オン。

 その途端、EMFのメータが一気に振り切り、今迄聞いた事も無いような凄まじい異音が鳴り響いた。間近で操作したレヴィンが、『みぎゃっ』と悲鳴を上げて腰を抜かす。ここは2階で、自分が間借りする部屋だ。別段おかしなものは何も無い。

「まさかこの部屋が、亜空間に繋がる通路!?」

 NO。

 よくよく考えてみればジェイズ・ゲストハウスは、建物全体がこの世ならざる者とでも言える代物なのだ。何処を調べてもEMFが過大反応を示すのも、実は尤もである。

 その時、廊下を慌しく走ってくる足音が聞こえてきた。と思ったら、その足音はレヴィンの部屋の前で急制動し、勢い良く扉を蹴り開けてきた。即座に閉めて扉を背もたれに一段落ついているその者は、ブライアン・マックナイト。狐に追いかけられた兎のような顔で、ブライアンが息も絶え絶えに曰く。

「た、たすけ、てけすた」

「おどりゃあっ、乙女の部屋にノック無したあ、ええ度胸しとるのう!?」

 速攻でドス(ナイフですが)を抜き、面白い威嚇のポーズを取るレヴィンを制するように、ブライアンは片手を挙げた。まずは落ち着けと。本当に落ち着かねばならないのは彼自身だが。

「その怒ったザリガニみたいな格好をやめて、まずは私の話を聞いてくれ。雪ダルマが出たんだ」

「雪ダルマ?」

「ああ。大層ヤバい奴だ。階段を下りてきて私に挨拶した。ブライアン、お疲れ、みたいな。ぼよんぼよん跳ねながらこっちに来るんだよ。これが意外に速い。あるはずが無い階段から雪ダルマはやって来るぞ。二頭身だが、私くらいのタッパがある。奴はすこぶる笑顔だったよ。レヴィン、君、こいつは一体どうしたもんかね?」

 一応は一から十まで聞いていたレヴィンだったが、段々ブライアンが怖くなってきた。言っている内容は、まるでヤク中のそれだ。下手に刺激でもしたら服を脱ぎだすかもしれない。レヴィンは「どうどう」と据わった目のブライアンを宥め、追いかけてきたという雪ダルマを確かめるべく、扉を開いて廊下を覗いた。

「誰もおらんがの」

「おかしい。私の逃げ足をもってしても追い縋られる寸前だったのに」

 と、レヴィンのクローゼットの中から、カタコトと何かが動く音がした。ブライアンの顔が、ビキビキと音を立てて引き攣った。

「か、可愛い猫ちゃんを飼っているのかにゃあ!?」

「そんなもんはおらん。仁義の道は、まず猫絶ちからじゃけえ」

 ナイフを順手に持ち、レヴィンはカタカタと揺れるクローゼットの、扉の取っ手に手を掛けた。

「死ねいっ」

 扉を開け放ち、気合一閃ナイフを突進させたレヴィンだったが、その手応えはゼロ。中には何も居ない。あるのは彼女の服だけだ。しかしレヴィンは、ナイフが一枚紙を突き刺している事に気付き、何やらが書いてあるその紙を手に取った。つられて横からブライアンも覗き込む。

『フェイント』

「フェイント?」

 彼らの背後、外から窓を突き破り、ガラスの破片を撒き散らしながら奴が現れた。スローモーションで2人の目に映る、2頭身・メタボ・とぼけた石炭のツラ・バケツの帽子にホウキの両手。

『フェイントおおお』

「フェイントーッ!?」

 今逃げねば何時逃げる、という勢いで2人は逃げた。徹頭徹尾、ゲストハウスは彼らと遊ぶ腹らしい。

 

イゾッタ・ラナ・デ・テルツィの場合

 実のところ、ブライアンとレヴィンが巻き込まれた珍騒動を、3階の自室に居るイゾッタは或る程度把握していた。何しろ彼らのテンションは高く、おまけに声もやたらとでかい。何も聞こえません、というのが無理な話だ。

 それでもイゾッタは、じっと天井を見上げたままだ。かの騒動がゲストハウスの仕掛けたものであるのは、百も承知である。つまりこの館について調べようとしたもの達に対し、ゲストハウスは何らかのリアクションを見せている訳だ。ゲストハウスは、確実に自分達を見ている。それを承知の上で、イゾッタは何も無い虚空に向けて話しかけた。

「綺麗でしょう、この部屋。正直、人がきちんと寝泊り出来る代物ではなかったもの。カーペットも洗ったし、壁紙だって張り替えたわ。勿論寝具も完璧。真っ当なホテルのレベルにはしたつもり。汚い部屋にはくすんだ気が漂ってしまう。あなただって、部屋は綺麗な方がいいでしょう?」

 彼女の言葉に、今のところゲストハウスは無反応だった。構わずイゾッタがしゃべり続ける。

「あなたの事、登記で調べたわ。あなたは19世紀の中頃から存在している。そうして今迄、ハンター達と長い付き合いをしてきた。その間に様々な出来事が起こったわ。世界中を巻き込む戦争が2回もあって、人間の社会は相も変らず騒々しい。それには関わらず、この世ならざる者達も暗躍している。あなたはこの一箇所に留まって、外の情勢については疎いんじゃないかと、あたしは思うのよ。だから世間話から始めてみましょうか」

 イゾッタはベッドに寝そべり、しかし視線はしっかりと天井に固定し、話を続けた。

「サンフランシスコはとても美しい街よ。太陽が輝いて、気温の変化も他所ほど激しくない。いい感じにカラッとしていて、凄く生活がし易い。あたしはこの街に流れ着いて、シルヴィアっていう面白い人に拾われて、今もこうしてここに居る。サンフランシスコは異端者に優しい街でもあるのよね。ゲイカルチャーに寛容だし、ノートン一世っていう変り種にも敬意を払える。人種差別も他の都市に比べて格段に緩い。あたしはこの街に来れて、凄く良かったと思っているわ。でもね、最近はどうも勝手が違う。それはあなたとも関わりのある話。この世ならざる者達の動きが、サンフランシスコで活発化しているのよ。まるで一斉蜂起を開始したようにね。当然ハンター達も呼応して対処を始めているのだけど、かつて無い規模の騒動になりそう。これは、あたしの予感」

 そこまで言って、イゾッタは気が付いた。上手く言えないが、部屋の雰囲気が変わった。通りや階下の喧騒が、一切耳に入らないのだ。表現として合っているのかは分からないが、イゾッタはゲストハウスが聞き耳を立てているのだと解釈した。あともう少し。

「ガレッサBldに野良猫の親子が居ついたわ。あたしとシルヴィが時たま餌をあげている。すぐ近所に住んでいるご夫婦の奥さんが、先頃無事出産したのよ。今度お祝いを持って行かなくちゃね。仕事の始業前に、マーケットの安売り情報を総チェックするのが、ここ最近の日課になったわ。『お金は¢1だって落ちていない!』って、これはシルヴィの口癖。こういう日常の繰り返しが、あたしの宝なのかもしれない。その宝物がぶち壊しにされるのは、どうにも我慢ならないのよ。だから、あたしはあなたにお願いしたい事がある。どんなお願いか、聞きたい?」

 イゾッタは体を起こし、悪戯心に満ちた目を一杯に開き、言った。

「あなたに会えたら、直接言うわ」

 そう言い終えた途端、イゾッタは自分の部屋とは違う場所に居た。

 四方四面が真っ白で何処を見渡しても果てが無い。イゾッタは大いに面食らい、まずは自分のベッドから足を下ろした。地に着く感触はある。そしてイゾッタは、すぐに理解した。ここはマクベティ警部補が言っていた、『4階から上の世界』なのだ。

「吾が存在する事を前提にしていたのは、君だけです」

 唐突に耳の傍から声が聞こえ、イゾッタは慌てて周囲を見渡した。何も無かったはずだが、何時の間にか少し離れた場所にカウチソファがポツンと置かれている。其処から小さな手が、彼女に向けて振られるのが見えた。間違いなく声の主だ。

「誰?」

「誰と言われれば、吾は吾と言うしかありません」

「…ゲストハウスの意思?」

「成る程。そのように解釈していましたか。吾はこの館を統括するものであり、ゲストハウスそのものではありません」

「名前は?」

「名前。そうですね。QUEとでも呼んで下さい」

「クエ?」

「キューです。魚ではありません。吾、キューは、君がキューに直接語りかけた内容に興味を持ちました。よって君をここに呼びました」

「という事は、やった。あたしの行動は一定の段階を踏まえる事が出来た訳ね!」

「ああ、そう言えば君しか居ないのは少し寂しいですね」

 キューがパチンと指を鳴らすと、イゾッタの目の前にゲストハウス探検行の仲間達が現れた。潰れたまま寝ている警部補。彼を介抱するルシンダ。そして雪ダルマから逃げ回っていたブライアンとレヴィン。一様にうろたえる彼らを尻目に、キューは軽く拍手などをしている。

「おお、賑やかになりました。賑やかなのは、いい事です」

「…呼ぶも無視するも、気分次第なんだ」

 イゾッタは、脱力した。

 

QUE

「ごめんください。蕎麦屋嵯峨野です。出前の蕎麦をお持ちしました」

「ああ、ご苦労様。お幾らですか?」

「えーっと、並盛りが6人前で四千八百円になります。はい、丁度頂戴致します。ありがとうございましたー」

 という目に見えないやり取りの後、真っ白な空間で座り込む5人(1人は未だ寝ているが)の前に、盛り蕎麦が5つ並べられていた。

「折角来たのですから食べて下さい。吾のおごりです」

 などとキューが言う。突っ込み所は山のようにあったが、もう何も言うまいと各々固く誓い、一行は黙って盛り蕎麦を啜った。啜る、という食べ方に悪戦苦闘する面々を他所に、カウチソファの向こうから、盛大に蕎麦を啜り込む音が聞こえてきた。どうやらキューも、盛りを食べているらしい。

「ところで、こいつは一体どうしたらいいんだ?」

 ブライアンにベッタリ寄り添うスノーマンを、彼は心底迷惑そうに指差した。

「記念に差し上げます。彼も君の事が気に入っているようです。良かったですね、友達が少ない君にも友達が出来ました」

「やかましいわ」

『ブライアン、今日から同じ布団で寝ようね』

「うるさい黙れ。てか冷たっ!」

「…さて」

 カウチソファの向こうから、蕎麦を啜る音が聞こえなくなった。

「そこで熟睡している警部補にちょっかいを出せば、こうして君達が動き出すであろうとは予測していました。君達を呼んだのには、勿論理由があります。決して雪ダルマで遊ぶ為や、盛り蕎麦を仲良く食べる為ではありません」

「ところで」

 ルシンダが挙手し、訝しげに曰く。

「何故、徹頭徹尾雪ダルマだったの?」

「いい質問です。君達は、ここに至る筋道に関してほとんど情報を持っていませんでした。だから思ったのです。初手は試行錯誤の展開になるだろうと。悪く言えば、行き当たりばったりな行動になる。其処でいい駄洒落を思いつきました。『雪当たり、バッタリ』。小一時間笑いましたね。そんな訳で、雪ダルマなのです」

「何が『そんな訳』だか分かりません」

「雪ダルマはともかく、こうして色々ちょっかいを出していれば、吾という存在に気付いてもくれようと、吾は期待しました。しかしながらイゾッタ、君は最初から吾が存在するを前提として事を構えていました。君は吾に願い事があるとか。興味がありますね。言って御覧なさい」

「…これからは厳しい戦いになる。そうでしょう?」

 我が意を得たりと、イゾッタが応えた。

「ハンターには様々な力が必要になってくるでしょう。其処で、この世ならざる者への対処能力を備えたアイテム作りをしたいと、あたしは思っている。あなたと組んでね。サンフランシスコの平和を護り、あたしはアイデアをこれでもかと出せて、そして共にお金を儲ける。幸せな話でしょ?」

「ふむ」

 キューは考え込んでいる風だった。悪くない感触だとイゾッタは解釈する。言うまでも無く、キューの力は相当に強大だ。つまらないとキューが思えば、簡単に否定の返事を出すだろう。息を詰めて成り行きを見守っていると、キューはポンと拍手を打った。

「考えておきましょう。それは君達をここに呼んだ理由にも密接に絡む内容ですからね。君達とコンタクトした理由はただ一つ。戦う為です」

 戦う。

 その言葉を各々が反芻し、彼らは意外そうに互いの顔を見た。雪ダルマに始まって盛り蕎麦で〆る一連の展開から、戦うという目的意識をキューが持っているとは思えなかったからだ。そんな躊躇にはお構い無しに、キューが言葉を続ける。

「吾がハンターにこれまで助力してきたのは、戦いの準備をする為なのです。深く、暗く、恐ろしいものが、何れこの街にやって来る事を吾は理解しました。ハンターの戦いは、きっとこれから過酷を極めるでしょう。吾はその助力をしなければなりません」

「アイテムのレベルアップみたいのは、その一環という訳ね」

 と、ルシンダ。

「じゃあ、お金なんか取らずに無料でやればいいのに」

「駄目です。力には相応の対価が必要なのです。これはお供えみたいなものと思って頂ければいいでしょう。お供えも無しに働くほど、吾はボランティア精神に溢れていないのです」

「うわー、銭ゲバ」

「今迄ちまちまと銭を稼いで参りましたが、そろそろ手広く荒稼ぎをしたい。もとい、助力の手を広げねばなりません。それには人手が必要です。だから君達を呼びました…。ん?」

 キューが不意に、不審な声を上げた。そしてキューの真上に、明確なビジョンが浮かび上がる。それはジェイズの入り口の映像だった。誰かが扉を何度もノックしている。

「誰だ、あれは?」

「確かエリニス、だったかしら」

「臭いますね、彼女は。しかしまあ、いいでしょう。まだ良くなるチャンスはありますし」

 映像の中の女性は、ようやく扉を開ける事が出来た。其処で映像が途切れる。

「話を戻しましょう。宜しければ君達には、吾と共にハンター達を助けて欲しいのです。その手段については、追々説明致しましょう。先のイゾッタの提案も、勿論含めます。もしも可と言って頂けるならば、君達の適正をチェックすべく、2度に分けてお題を出したいと思います。それではお題の一つ目」

 再び指がパチンと鳴らされた。同時に彼らの真横に、スモークガラスの仕切りが出現する。ガラスの向こうには誰かが居た。さめざめと泣いている女性が1人。

「御紹介しましょう。吾の2人の同居人の1人、ナミちゃんです」

「うう。初めまして、ナミです。ぐすっ」

「ナミちゃんは昔、旦那と死に別れました。しかし深く愛し合っていた2人、旦那はナミちゃんをわざわざあの世まで迎えに行ったのです」

「それはもう、幸せがピークに達する瞬間でございました。それでも私は死んだ身ですので、何しろ体が腐っているわ蛆が湧いているわで、二目と見られぬ容貌でありました。だから現世に出るまでは、決して私を振り返らないで下さいって、あれだけお願いしたにも関わらず」

「まあ、見てしまったのですよ。腐って蛆が湧いているナミちゃんを」

「あの人、『ギャース!?』って悲鳴を上げながら遁走開始。私も置いていかれるのは嫌ですから、必死こいて追いかけました。するとあの人、『これあげるから許して!』と言って、私にこれを投げつけたのです」

 言って、ナミちゃんはスモークガラスの切れ目から手を出した。節くれたその手が握っていたのは、桃である。桃が一個。

「離婚の手切れ金が、よりにもよって桃一個。私は悲しみのあまりバテました。それでも、それでもこの桃は、あの人と私を繋ぐ、たった1つの絆なのでございます!」

 オイオイと号泣するナミちゃんを他所に、キューは深く感じ入ったように言った。

「もうお分かりでしょう。ナミちゃんが明日への第一歩を踏み出すには、何が必要なのか。それは美味しい桃料理を食べる事なのです。其処でお題。次回は『これぞ究極!』と言える桃料理を、レシピ付きで作ってきて頂きたいのです!」

 のです!って言われても。

 ハンター達は、ポカンと口を開けたままだ。ちなみに警部補は未だいびきをかいている。そろそろ彼らも、一体自分達が何に関わっているのか分からなくなってきた頃合である。

 それにしても厄介なのは、これが一切冗談ではなく、キューなりの本気モードである点だった。どうする、どうなる、ジェイズ・ゲストハウス。

 

 

<H6-1:終>

 

 

○登場PC

・ブライアン・マックナイト : スカウター

 

・ルシンダ・ブレア : ガーディアン

 PL名 : みゅー様

・レヴィン・コーディル : ポイントゲッター

 PL名 : Lindy様

・イゾッタ・ラナ・デ・テルツィ : マフィア(ガレッサ・ファミリー)

 PL名 : けいすけ様

 

 

<戻る>

 

 

 

 

 

ルシファ・ライジング H6-1【雪当たり、バッタリ】