即興詩人達

 サンフランシスコにおける人間・ノブレムとそれ以外による戦争は、既に主戦場が地上に移っている。それでも真下界という区域の持つ重要性は大きい。

 ここはサマエルの精神を視覚で表現するだけの世界ではない。人間、この世ならざる者を問わず、死してなお次のサイクルを強制するシステムそのものなのだ。

 真下界はかつてのルスケスの居城、そしてサンフランシスコの悪徳の巣窟であった下界、その2つを模していた。崩壊した現実が虚ろ世となって出現した状景であり、死と再生の連続性を端的に表した代物とも言える。

 梁とマティアスは真下界の更に地下、根源たる石柱に精神戦を挑もうとしている。これに打ち勝てたならば真下界全体が崩壊し、サマエルが死した者の魂を好きに利用する事も出来なくなる。この世ならざる者達の跳梁跋扈も静まる。

『死は死であり、生ではない。それは欠片の希望も見当たらぬ絶無でしかない。その絶望から人を救う用意が私にはある』

 サマエルの認識とは、そういうものである。不滅の天使の出自らしい物の考え方だが、定命の人間ならば異なる見解を出せるだろう。本当に、死は死でしかないのか?

 

 ルスケスの城までの道程は無人の野を行くが如くで、梁とマティアスは程なく城の地下へと辿り着いた。

 四方八方、見渡す限りの棺の列という景色は相変わらずだ。マティアスはひどくつまらなそうに溜息をついた。彼にとっては、いい加減うんざりする眺めである。が、初めて足を踏み入れた梁は良くも悪くも心を揺さぶられていた。「ンムー!」と呻いた後、観光客よろしくウロウロと徘徊を始める始末。

「梁さん、そろそろ口に張ったガムテープ、外しても宜しいんじゃないですか」

 空気を吸って言葉を吐く。自分から「しゃべり」を取ったら残るのは脂肪、という自覚が梁にはある。

 ただ真下界は確実に敵の領域であるがゆえ、静謐に事を進めねばならぬ。よって口にガムテをば貼って黙っておこうと、梁は中々に良心的だった。しかしサマエルやルスケスはおろか、木っ端悪魔に模造吸血鬼の類もどうやら姿を現さないらしい。改めて梁はガムテという名の封印を外し、開口一番こう言った。

「死ぬトコだたアル!」

「無い無い、無いです。さて、先に進みますよ」

 太った体を揺らして呼吸を荒げる梁を引き連れ、マティアスは石柱に向かって歩を進めた。勝手知ったる何とやら、という言葉が思い浮かび、マティアスはげんなりした。

 これから彼らは、勝利条件の曖昧な戦いへとその身を投げようとしている。其処では地上のような、異能と腕力と火力を駆使した物理的な戦闘の概念を捨て去る必要があった。以前ディートハルトが石柱に触れた時、彼の魂が引き込まれかけた様をマティアスは忘れていない。自らも経験済みに因って、何が己に起こるのかは肌身で知っている。即ちあれに触れば魂を向こう側に移される、という事だ。つまり死と意味は然程変わらない。マティアスは背筋を震わせた。

「我は我である」

「何でアルか?」

 不意に発しせられたマティアスの言葉に、梁が首を傾げる。

「私達はサマエルに取り込まれないようにしなければなりません。ただ、魂が肉体から切り離されるというのは、私も梁さんも初めての経験になるでしょう」

「まあ、任意で魂をフユフユと浮遊出来れば、そりゃもう人間というよりこの世ならざる者アル」

「ハンターとしての経験上、幽体というのはどれだけ穏便で真っ当な性根に見える奴であっても、何処かしら歪なんですよ。肉体と魂が表裏一体で、どちらか一方が損なわれてもバランスを大きく欠いてしまうからだと思います。私達は石柱によって肉体から切り離された時点で、現実感を喪失しかねません。だから自分の心を強く認識する必要がある」

「なるほど」

「言うほど理解はしていませんね」

「バレたアルか。ま、ワタシも肉体を失って現世の苦しみからオサラバ、なんて事にはなりたくないアル。苦しみがあるなら、また喜びも感じられるのが人生って奴アル。ワタシがこういった珍妙な戦いに参加したのは、どうもサマエルというのは人間の悲喜交々を自分の裁量で操る腹と見たからネ」

「最終的に目指すところは、単独意思による数多の感情のコントロールですか。確かに嫌ですね。それは人間とは言い難い」

「左様アル。人間生まれたからには、好きなものを好きな時に好きなだけ食いたいヨ」

「自らの意思でダイエットを検討する事を期待しておきます。さあ、いよいよ石柱ですよ」

 2人は聳え立つ石柱を見上げる位置まで辿り着いた。言葉で表現するならば、それは無機質な有機体であった。石柱に見下ろされているような感触を覚え、2人は揃って顔をしかめた。

「あんまり好ましくない表現でアルが、生理的に受け付けない感じネ」

「これから更に嫌なものを見ると思いますよ。さて梁さん、余計なお世話だと思いますが、止めるなら今しかありませんよ」

「はっはっは、面白い駄洒落!」

「余計なお世話でしたね」

 マティアスと梁は笑って、直ぐに顔を引き締めた。揃って手を伸ばし、石柱に触れる。生物的な温度が掌に伝わるも、其処に命持つものの温もりというものはない。

 しばらくの間を置いて、石柱から無数の透明な腕が現れた。ディートハルトの時と同じだ。梁が『アイヤー!?』と叫ぶ。尤も『面白いアル』という声音が多分に含まれており、マティアスは場違いにも苦笑した。

『おいで』

『さあ』

『おいで』

 何処からともなく声が聞こえ、やがてマティアスと梁の意識は暗転した。

 

即興詩人達、たなごころへ

 あれ?

 ありゃ?

 あ、居ますね梁さん。ここは何処なんでしょうか。

 分からないアル。そもそもワタシらは、本当に「何処かに居る」のでアルか?

 場所という概念もひどく曖昧ですね。そもそも周囲に何も見えない。いや、見えないのではなく、見るという物理的概念が理解出来ません。「見る」とは何でしょうか。

 「見る」は「見る」のコトよ。と、言い切る自信も正直無いネ。例えるなら、目を閉じた時の状態に似ているアル。

 目を閉じていても、視神経は光源を感じ取る事が出来ます。差し当たって、今は光も闇も感じられ…いや、理解出来ません。肉体は重力に引かれるものですが、それすら無い。自分達は、一切合財の感覚と呼べるものを失ったのではなく、理解出来なくなっています。凄いな、これが幽体の存在する世界なのか。

 ただ、確実なものはあるアル。それは自分のコトよ。自分は間違いなく自分としてアルのコト。

 それに互いが確実である事も分かります。良かった、正直これは単独ではきつい。自分以外の存在を感知出来るのは、自分を維持する為の助けとなります。

 そう考えると、幽体が時間と共に悪霊と化す理由も何となく分かるネ。自分以外の全てを理解出来なくなった時、行き着く先は恐慌→発狂ヨ。

 なるほど、読めてきました。恐らくサマエルは、そういった昇華し損なった孤独な魂に手を差し伸べているんです。例えて言えば、暗黒の大海原にポツンと浮かぶ灯台なんだ。恐らく魂は、それに縋る。

 依存する魂は、対象の天使だの悪魔だのにとっては、正しく力になるヨ。そうか、この真下界はサマエルが作り出した、魂を昇華させないように閉じ込める為の牢獄アル。で、石柱は灯台。オバケになってみて、よくよく理解出来ましたアル。

 自分がオバケになったとは思いたくありませんね。何しろ私達には、この状況を分析出来る冷静な意思が存在しています。これは確たるところです。私達はまやかしに対して、おいそれと救いを求める事はしません。

 そうアル。どんと来いアル。来るが良いサマエル。口先だけなら神様相手にでも立派に詐欺行為を働くアル!

 それはあんまり威張れたもんじゃありませんよ。

 で、肝心のサマエルは何処?

 実は先程から気になっていました。彼は私達に接触する気配がありません。こちらは挑みに来た訳ですが、それを先方が認識しているのかどうかも定かではありません。

 …「おいで」「おいで」、でアルか。マティアス、アナタ、そしてワタシも、どうやら既にサマエルの掌の上みたいアル。

 認めざるを得ませんね、残念ながら。しかし私達は現在進行形で彼の意思に染まっていません。この意思を貫く事こそが、即ち戦いなのでしょう。彼には間違いなく私達の「声」が聞こえています。

 取り敢えずフリートークで頑張ってみるアルか。

 何か拍子抜けしますけどね。

 

我々は何処から来たのか

 きれいなキン○マー!

 何ですかいきなり。

 いや、突如意味不明の単語を繰り出せば、サマエルも理解に苦しんでいい気味だと思たアル。

 いきなり「キ○タマ」とか書かれたアクトを読む方の身にもなって下さいよ。

 キンタ○連呼のリアクションを読まされる方も悲惨アル。

 分かっていながら敢えてやる訳ですね。

 人間とはそういうものヨ。宜しくない結果になるんじゃないかなー、と考える事は充分やるくせに、人の歴史は「やっちまったい、てへ」の繰り返しアル。恐らく天使から見れば愚昧で、啓蒙欲を掻き立てられるといったところヨ。○ンタマ一つでこういう話をするのも何でアルが。

 はは。啓蒙欲なる言葉は初めて聞きました。ただ思うのは、そういった目線で天使が私達を見るのは、つまり天使が人間をほとんど理解出来ていないからなのでしょうね。理解出来ないものを、理解出来るようカスタマイズする。

 サマエルのやろうとしている事アル。

 だからサマエルと対決し、そしてたじろがせる為には、人間の何たるかを語らねばならないと思うのです。

 悪魔に聖書の言葉を説き、天使には人間の言葉を語るという訳ネ。

 少し前の自分なら、それは畏れ多い言い回しだと焦っていたところですよ。さて、人間の立場から人間を語る必要がある訳ですが、人が何処からやってきたのか、というところから考えてみましょうか。

 猿アル。

 アウストラロピテクスくらい言いましょうよ。原人、旧人、そして新人ホモ・サピエンス。原理主義者でもない限り、現代人の私たちにとってその出自は常識です。とは言えその認識に至ったのは比較的最近の事で、人は何らかの大いなる知性による、まあ名も無き神の事ですが、その知性によるインテリジェント・デザインの産物であったと信じていましたからね。神は自身に似せて人をお創り給うた!

 そして現在は空飛ぶスパゲティ・モンスター教とID説を二分している訳アルな。

 何ですかそれは。

 おや、知らんアルか、スパモン教。最近何処ぞの州で「学校では進化論と同時にID説も教えろ!」という決議が出た事があったアル。このID論者、たちの悪い事にインテリジェント・デザインを施したのが「例の神様」と明言しなかったヨ。とどのつまり、世界でナンバーワン宗教を公的教育に持ち込もうとしたネ。これに憤ったある男が「じゃあ、宇宙はスパゲティ・モンスターが大酒食らった後で創造されたんだよ。ID説の皆さん、大いなる知性がスパゲティ・モンスターだと証明する努力に感謝します」てな感じで戦いを挑んだアル。それがスパモン教。

 なるほど。それは人間自身が真理を追究するにつれ、神の支配下から離れ行く事を端的に示す事象ですね。今になって天使が躍動する訳です。

 連中が「何か俺達、要らなくね?」とは考えられるはずもないアルな。

 ただ、ID説否定派も宗教自体を否定する訳ではない点に注意しなければなりませんね。宗教は人間自身が作り出したものです。神という倫理のアイコンを頂点に置いて、人がどのように生きるべきかを設定したのは、他ならぬ人間です。だから行動規範を信仰に求めるのは自然の成り行きです。ただ、類人猿との近似性を理解していなかった時代は、神に創られた人間という考え方になるのも無理はありません。長らく支配的だったその考え方は、近年大きく揺らいでいる。天使は「振れ」を元に戻そうとしています。

 そうするのが当然、と彼らが考えているのが厄介アル。ただワタシは問うても返事が来ない事を分かっていながらも敢えて問うヨ。神が人間を創り給うたなら、その証拠を見せてみんしゃいと。

 間違いなく鼻で笑ってくるでしょうね。

 で、ワタシも鼻で笑うアル。人間は進化論を証明する科学的根拠をゲップが出るほど出せるのに、天使はその程度の事も出来んアルか?

 

我々は何者か

 全知に近いと自負する天使も、好き勝手に知性を進化させて行く人間というものへの理解が薄いと思いますね。

 知恵の実を口にした事が諸悪の根源、なんて考え方自体が、ワタシにはえらく傲慢な代物に感じるヨ。どうもキリスト教的世界観は、文化英雄に対して大変厳しい見方のコト。

 ああ、人に知識や文化を伝える伝承上の存在を文化英雄と言いますね。何せ人に対して影響を及ぼし得るのは名も無き神だけ、という考え方の下では、驚くべき事にプロメテウスですら悪魔の範疇になってしまいます。

 ワタシには人間の大恩人としか思えんアルな。マスターに至っては漫画のアリオンのおかげでプロメテウスシンパになる始末。

 つまり人とはこうあるべきという一定観念からの逸脱を天使達は許さない訳です。然るにここ最近は、許容範囲外の事態が進行している。それに対して歩み寄りを見せる天使も居るには居る訳ですが、上位階級はガブリエルさん以外、大抵名も無き神謹製のロボ天使みたいなもんでしてね。

 今更だけど、プレイヤーさんにキリスト教徒の人が居たらやばい会話アル。

 本当に今更ですね。で、天使の皆さんも理解に苦しむ私たちという訳ですが、さて梁さん、人間とは一体何者なんでしょうかね?

 人間アル。

 そう、それ。人間は人間でしかないのですよ。実際のところ、それ以外に答えようがありません。しかし当の人間自身も、その命題に自問自答を繰り返す歴史を紡いできました。知性を持ち思考を巡らせる私達は、私達が何れ死ぬ、という事実を明確に知っています。地球上の他の動物も、死を自覚する事はあるでしょう。しかしそれは死ぬ直前であって、生きている間に死ぬ事を考えるのは人間だけです。

 とても厄介アルな。生きている間くらい生きている事だけ考えていられればどんなに楽か。

 楽じゃないんですよ、人間は。こうして思考し、子をなして社会を築いて、学問を深めて世界を知り、それでも死んでしまえばブツンと全てが終わる。人間とは何か、何故死によって世界が途絶するのか。考えに考えて編み出したものの一種が宗教、神です。人は神の子。死後は天に召される。その後も世界は脈々と連なって行く。一件落着という訳です。

 で、悪人と出来損ないの異教徒と無宗教者は地獄に堕ちると。随分手前勝手な帰結アル。しかし人間達の抱えた諸々の意思が、名も無き神と天使を実存のものとしたのでアル。人間は人間、という至極単純な答えを、より複雑怪奇にしたのが人間自身というのもトホホな話ネ。ところでワタシもここまで聞いて、マティアスと凡そのところで同じ事を考えていると気付いたアル。

 ほう、どんなですか?

 天使による人間への理解の薄さは、間違いなく彼らが「自分達に終わりがある」という事を知らんからヨ。

 そういう事でしょうね。時は金なりと申しますが、私達に残された時間というのは、地球とか宇宙のレベルで見れば塵芥のように些細なものです。その些細な時間をどれだけ有意義に使えるか、人間は模索しなければなりません。私は医療に携わっていましたから、そういう事を度々考えていました。

 末期患者との関わり合いから、というところアルか?

 医者が死から目を逸らす事は許されません。ただ、医者である私は患者の残り時間を多少は延ばす事が出来ます。こういう事を自分はやってきたんだと、振り返る事が出来る貴重な時間をね。自分は何を成したのか、或いは成せなかったのか。もしも人生が終わりに近づいているならば、改めて自らの来た道を考える事に意義はあります。

 後悔ばかりが思い浮かぶかもしれんアル。

 しかし残された時間の大切さを知る事が出来ます。私達は常日頃から、どのように生きるかを思案する事が出来る。しかもそれらは一つとして同じものが無く、それぞれがそれぞれの目線で無数の世界を形成している。人間ならではの特権ですよ。貴重で、凄い事だと思います。

 その多様性を、まあ、天使は分かってくれんアル。先に言った通り、彼らは自らを永久不滅と認識しているネ。

 それも奇妙な話です。歴史上で天使が滅ぼされた事は少ないながらもあったそうですし、既にサンフランシスコの戦争でも何人もが魂を砕かれています。その有様をサマエルも認識しているはずなんですがね。

 私は別だ! 多分そんな感じヨ。

 自分の事を棚に上げるって奴ですか。そりゃまた乱暴な仮定だなあ。

 いや、結構的を射ていると思うアル。と言うのも、天使の力はあまりにも度を越えているによって、自分に理解できないものは基本的に無い、と思うとるアル。

 比較的人間に友好的であるのが専ら下級天使である事の理由は、多分それですね。翻って上位になればなるほど強制的な存在になる。

 そゆコト。結論を言えば、共感能力の無さネ。それが人間はおろか、同じ天使同士でも互いを理解しようとしない。実に無体ネ。ところでマティアス、そろそろ殺し文句を言っちゃっていいアルか?

 殺し文句? ええ、まあ。何を言い出すのか楽しみですね。梁さんはビックリ箱みたいな人だ。しかしきんたまは勘弁して下さい。

 さすがに決め台詞がきんたまでは先行きがきっついアル。では言うのコト。人間とは、死ぬものである。天使もまた死ぬものである。そして何時か、名も無き神も死に至る!

 

 御父君不滅也。

 

 …来たアルか。

 来ましたね。

 

 御父君不滅也。天上天下唯我独尊也。至上且至高也。

 

 可哀想に、まるで壊れたレコードのようです。

 多分、そういう風に思い込まなきゃアイデンティティを維持出来んアルヨ。なあなあサマエルさんや、ここからはワタシの妄想アル。御父君が身を隠される際、アンタ方に言うたんじゃないアルか? 自らもまた、滅びる存在であるという事を!

 

我々は何処へ行くのか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ?

 ありゃ?

 リアクションが返ってきませんね。

 多分図星を突いたアル。善き哉善き哉。言われたらきっつい要点を見つけたが最後、バンバン畳みかけるのが声闘を制するコツでアルのコト。

 性格ひん曲がってますね。

 神は死んだ。Gott ist todt. ゲーテがかように言うとったアル。信仰の俗化がもたらす倫理上の危機をキッパリし過ぎの台詞で言い切った…という解釈が正解では決してない、結構考えどころのある面白い言葉ネ。ただ確かな事は、実際に神の威光が生活の全てに及ばなくなった産業革命の勃興期と合致している点ネ。確かにこの頃から、人の手の届く範囲は相当に広くなったアルヨ。この状況を、間違いなく神は予見していたネ。思索を深め、知恵を蓄え、絶対的存在に対する依存からの脱却が進めば、人心は確実に自分から離れて行く。もう強制的なコントロールは人間に通用しない。ならば人間達の行く末を見守ろう。たとえ遠い未来に、全ての人間の心から名も無き神が消滅し、神としての死を迎えようとも。さあ、黙ってないで反論の一つもしてみるアル!

 

 人間。

 

 人間?

 

 人間とは御父君がお考えになるほど自身を制御する術を持たざる者。制御が通用しないとお考えになるのは御父君の深き慈悲に起因する由。生殺与奪も因果も環境も御考えの一つで根底から覆せる御父君が慈悲の心で人間を見守るという選択を示された事に対して我不心得にも異を唱え地に束縛され幾星霜。その最中で見届けた人間の迷走振りにはただただ困惑の極みであり有様かくの如く継続するならば最終戦争を諾々と見過ごし世が業火に包まれるは必定。信仰無し倫理無し節度無し。惨憺たる現状に向けて布石を打つは即ち御父君の御意思也。

 

 体言止めの面倒臭い文章ご苦労さんアル。で、何でまたサマエル様々の所行を御父君の御意思也と言い切れるアルか?

 

 御父君は我を押し留めず成り行きを見守られる故。

 

 すげえ理屈アル。

 

 成り行きを見守られる故。ミカエルとルシファの最終決戦も見守られる也。即ち如何にして人間を導くべきかを天使一党の戦いの末に見定める御意思也。我さすれば人間の守護者たらんとする志をもって行動し尽くす事こそ道理。信仰の守護倫理の守護節度の守護。御父君の懸念されますところを払拭し世にあまねく神の御威光を照らさん。是即御父君不滅的道理也。

 

 ナリナリナリナリと物分り悪いアル。まるで劣化版コロ助ナリよ。

 御父君というのがどのように考えて身を隠したか、その一点に認識の相違が見えますね。名も無き神に滅びの道行も有り得る事はサマエルさん、あなたもお考えではあるというのは分かりましたがね。ただ、それを受諾されたか否かが、この場の論点と見ましたが如何ですか?

 

 御父君不滅也。

 

 まあ聞いて下さいよサマエルさん。神は死んだ、という言葉が出て来た頃合が産業革命の勃興期に合致するという話題がありましたよね。つまり神は人間の科学技術の発展が自らの死期を加速させる事を覚悟していた、とも。ここで例に出すのは、人間同士の言葉のやり取りが急速に近くなったという点です。大昔、人は数キロ先の他人に自身の言葉を伝える事さえも一苦労を強いられました。そして言葉は何時しか文字になり、石版から皮紙、または更に入手の容易な紙にしたためられるようになったのです。更に言葉は有線で遠方へと繋がり、しまいには無線が世界の隅々に張り巡らされ、今に至っては個々人が携帯電話などという代物を所持するに至りました。ここから更に発展すると考えるならば、それはもう思考の瞬時伝達という事になりかねませんね。私は、この極端に縮まった言葉の距離が、人間の思考形態を更に進化させて行くものと考えています。例えばバベルの塔の逸話。まあ、あれは作り話だと思いますが、全く異なる言語形態が相互認識を阻害するはずであったのに、これを人間は自主的に乗り越えつつあります。科学技術の発展につれ国同士の経済的関係が深化し、対応する必然に迫られた所以です。これがもたらすのは、大げさに言えば世界が共通の認識を広げるという事象なんですよ、サマエルさん。一神教の信者がアニミズムを、理解せずとも「有るもの」として認める、そのような数百年前には有り得なかった現象が既に普遍化している。サマエルさん、何故それを信仰、倫理、節度の危機と捉えるのです? 自らの信ずるところと他者のそれは異なりつつも、互いに敬意を払い合うという流れに、残念ですが人間は未だ至っておりません。しかし何れはそうなりますよ。そうならなければ、人間は滅亡するというだけの話だ。だから私達は努力をし続けて行くでしょう。あなたは私達を見守る立ち位置こそが相応しい。

 

 人は御父君に似せた造形物。

 

 人は有機物蓄積体が辿り着いた最新の進化形態です。

 

 人は御父君の教えを崇め従う愛し子。

 

 人は地球上に数ある多様生命体の一つです。

 

 人は御父君の救済に拠りて天に召されるが至上也。

 

 人は土くれに返るアル。灰になって空に拡散するアル。世から出しものは世に返るが道理アル。

 

 消滅。無。ゼロ。

 

 違う。定命のワタシ達は生きて始まり死に終わる。そのサイクルで文明社会を継続させるアル。一つの意思が永劫に理を定めるのは決して健やかではないネ。ワタシ達は過去を顧み未来を見据え、今ここで出来る事に力を注ぐアル。きっと『彼』も名も無き神に言ったヨ。ジーザス・クライストはこう言った。滅びも栄えも、全ては自分次第なのだと!

 

故に我々は、我々である

 気付いた時には、マティアスと梁は感覚を理解していた。

 ここは相変わらず真下界であったが、その象徴的存在の石柱が二人の目の前から霧消し、かつて屹立していたその場所には在るものと言えば、それは歪みとしか言い様の無い代物である。

「何です?」

「何アル?」

 二人は申し合わせたように手を伸ばし、歪みの元に掌を差し入れた。特に精神的に堪える事はない。ただ、自身の掌も空間同様に「ぶれ」が生じていると知り、二人は慌てて手を引っ込めた。

「何とも言い方が思いつかないですね、これは」

 手首を擦り、マティアスが言う。

「ただ、どうもこれは扉のような気がします」

「出入り口アルか?」

「真下界に入り込む際、こことあの世を遮る境界線みたいなものが感じられるでしょう? これはあれに似ています」

「ナルホド。しかし一応の根拠付けは必要ネ。一旦戻って、ハンターや博士に相談するがヨロシ」

「同感です。こんな得体の知れない代物の向こう側を覗くなんて御免です。物事には準備が必要だ」

 苦笑しながら、ふとマティアスは周囲をぐるりと見渡した。

 無限に続く棺の列は、未だ存在している。そもそも真下界というエリアが健在なのだ。つまり魂は、真下界に幽閉されたままである。二人による対サマエル精神戦は、勝ち切れずに終えたという事だ。

「それでも、石柱は消滅しました。サマエルが魂をリサイクルするシステムは、取り敢えず損なわれたと見ていいでしょう」

「そういう事アル。ただ、サマエルは再びシステムのリストラクチャーを実行出来ると見た方がいいネ。そうなる前に、次で是が非でも決着をつけにゃならんアル。どのみち最終回だし」

「実も蓋も無いですね」

 マティアスと梁はカラカラと笑い、帰途につく事とした。

 真下界健在なれど石柱は消滅した。という事は、完璧ではないにしてもサマエルの凝り固まった思想にひびを入れる難行を、二人は成功裏に終えたのである。

 これをもって、矢継ぎ早にこの世ならざる者達が増殖する怪異現象は、ここサンフランシスコにおいて一旦終了した。

 

 

<H5-7:終 H7終了時以降、最終のVH3に他シナリオと合流します>

 

 

○登場PC

・マティアス・アスピ : ガーディアン

 PL名 : 時宮礼様

・梁明珍 : マフィア(庸所属)

 PL名 : ともまつ様

 

 

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ルシファ・ライジング H5-7【サンフランシスコの陽のもとに】