フェアモントホテル・サンフランシスコ

「アンジー、何してるの?」

 と、フロアスタッフの同僚から声を掛けられ、アンジェロ・フィオレンティーノはノートPCを反射的に閉じてしまった。

 既に昼のシフト休憩は終わりに近付き、従業員用食堂の人影はまばらだった。そんな中に、テーブルで背を丸めてPCに齧りつく同僚が居れば、一声掛けたくなるのが人情だろう。アンジェロは曖昧な愛想笑いを浮かべ、同僚の顔を見返す。

「恥ずかしながら、受験勉強。薬剤師の資格を取る為に、大学に行ってみようって」

「そう、ステップアップって訳だ。頑張ってね。でもあなた、今日はこれで上がりなんでしょ?」

「そうだった。つい夢中になったな。しばらくしたら帰るよ」

 手を振って仕事に戻る同僚を見送り、再びパネルを起こすアンジェロの顔は、元の食い入る眼差しに戻っていた。

 サンフランシスコ屈指の高級ホテル、フェアモントホテルのメインビルディング・スィートに予約が入らなくなってから、何ヶ月が過ぎているだろうか。

 相変わらずアンジェロはフェアモントへの潜入を続行しており、件の部屋の見張りを続けていた。表面上宿泊者が居ないはずのスィートには、この街、と言うよりも人間にとって脅威的なこの世ならざる者達が逗留している。帝級吸血鬼、ジルとエルジェ。アンジェロの見立ては、最早疑いようのないところだった。

 スィートの監視を開始してから一ヶ月近く。その間、PCに書き溜めたデータを分析して分かったのは、EMF探知機の反応に一定の周期が存在する事だ。例の部屋には1日1回の清掃が正午手前に行なわれ、その際に微弱な反応が発生する。恐らく、ここで清掃担当者に何らかの精神操作が行なわれていると見ていいだろう。そして不定期ながら、夜中にかなり大きな反応がもう一度。以前、斉藤と共に部屋を確認した際、発せられたものと同じである。

 これをどのように解釈すべきか。知らず知らずの内に親指を噛みながら、アンジェロは考え込んだ。

 あの帝級達が巨大な反応を出して来た際、彼らは例の部屋から外部へ飛び出している。前回は続けて2回の反応があったが、以降は全てが1回のみである。

 つまり、部屋から出ているのは、その多くがエルジェなのだ。ジルまでが出て行ったのは非常に稀な出来事だったのだろう。エルジェが外で何をしているのかは分からないが、少なくとも彼女が出ている間は、室内に居るのはジル1人。そのジルは、前回の侵入通りの状況であれば、どうやら休眠を取っているらしい。

 アンジェロは改めてパネルを閉めた。彼らの動向を探り、この街で何をやろうとしているのかを自分達は知らねばならない。その為には今一度あの部屋に侵入し、仕掛けを施す必要がある。昼は駄目だ。精神操作を受けて何も出来ないうえ、下手な行動を取れば簡単に首をもがれる。やるならば、エルジェが外出し、ジルが休眠に入る夜しかない。

 しかしながら、自らは親ハンターでありながら、ハンターではない身空である。見つかれば最期だ。が、それでもアンジェロは思い直す。どちらにしても今の状況では、本職のハンター達でも手に余る相手なのだ。ならばせめて、自分が出来る戦い方で挑むしかない。

 

サンフランシスコ公共図書館

「…ディートハルトよ、幾らお前さんの頼みとは言え、少々無理があったな」

 ディートハルト・ロットナーは、サンフランシスコ公共図書館の前で待ち合わせたジョン・マクベティ警部補に開口一番、そのように言われてしまった。

「何だ、例の本、何て言ったっけなあ…」

「『吸血鬼との闘争と終焉』ですな」

「そう、それ。持ち出し禁止の本でも、公権力で例外を認めてもらえる事もあるだろうよ。しかし『ノブ・ヒル一家惨殺事件』の調査資料という名目は、唐突過ぎてどう因果関係を立てればいいのかさっぱり分からん。正直に全部話した日にゃ、俺ぁ右肩叩かれて職安行きだ」

「ふむ、それは困りましたね。こうなると盗み出すしか手がありませんが」

「それを公僕の俺に言うかね。大体図書館の防犯体制は優れものだ。俺としては、もっと上手い名目を考えて貰った方が有り難い」

「成る程、然りですな…。しかし、あの本は今後の対策に革命をもたらす可能性があります。このサンフランシスコで最も安全な場所、ゲストハウスに移管する必要がある。あれを敵の手に渡す事だけは絶対にしてはなりませんし、情報が漏れれば公共図書館に害が及ぶ可能性もある」

「それだったら、多分大丈夫よ」

 と、ディートハルトの背後から声が掛けられた。見れば其処に居るのは吸血鬼研究の大家、カーラ・ベイカーだった。本来の考えでは、書籍を入手してからカーラ宅に伺う考えだったのだが、持ち出せないと分かったと同時に、目当ての人物が現れるのは出来過ぎている。しかしディートハルトは納得顔でマクベティ警部補を顧みた。恐らく彼が手を回しておいたのだろう。当の警部補はしれっとした顔で、彼女に手を挙げて挨拶などをしている。

「カーラ、何故大丈夫と?」

「その本は禁術の塊のようなものよ。恐らく吸血鬼、悪魔の類を寄せ付けないわ。勿論、手に持っていた方が安心度は高まると思うけれど。何にしても、大変な発見よ。実はこの地に移住したのは、その本を探す為でもあったのだから」

「そうだったのですか!? しかしあれは、あっさりと図書館にありましたが?」

「お恥ずかしい話だわ。古書店や古物商を巡った努力が馬鹿みたい。あって当然過ぎる場所を選択肢から一番に除外するなんて、私も物事への考察がまだまだね」

 警部補はここで別れ、ディートハルトはカーラを伴い、近代建築の極みとも言える公立図書館のエントランスを潜った。背の高い中年の紳士と老境の淑女という取り合わせは、如何にも学者然としていて図書館に相応しい。

「入って十秒足らずで、いきなりホームレスの方が寝ておりますが」

「フリスコはとてもフリーダムなのよ。その内警備員さんに起こして貰えるわ。ところで、ちょっとテーブルで落ち着いて行きませんこと?」

 言って、カーラは1つのテーブルを指差した。共に歩みながらディートハルトは首を傾げる。既に先客が居たのだ。眼鏡をかけた女性が1人、本を読み耽っている。

「…すみません、相席しても宜しいですか?」

「どうぞ」

 女性が促し、ディートハルトは一礼してカーラの為に椅子を引き、自らも着座した。何となしに女性の読んでいる本のタイトルに目を留める。カーミラ、と書かれていた。

「こんな美少女ばかりを好むように描いたのは、彼女の創作だわ。とても詩的な表現だけど、どうもね」

 唐突に女性が呟く。そして眼鏡を外し、真正面からディートハルトを見据える。ここに至ってディートハルトも気が付いた。実際に会うのはこれが初めてだが、彼女が誰であるのかを、その超然とした雰囲気で理解出来た。

「あなたがレノーラですか」

「カーラに頼まれたのよ。本当は公共の場に、あまり出たくはないけれど、彼女の頼みは断れない」

 言って、レノーラは机上に掌を組み、不思議な眼差しでディートハルトを見た。何を考えているのか分からないと言えばその通りだが、穏やかな雰囲気が心にしっくりと馴染む気がする。人間と吸血鬼という天敵同士にも関わらず、面白い情景だとディートハルトは思った。カーラの配慮に甘え、ディートハルトはこれまでの経緯を彼女に話した。

「成る程、反逆者の著作に取り憑く亡霊。この世ならざる話ね」

「その本は禁術の継承を私に促しました。ハンターはこれを持ってエルジェ、ジルという帝級を擁する集団に対抗するのです。彼らと我らの差の開きは余りにも大きい。これを埋めねば早晩この街は彼らに蹂躙されるでしょう。それだけは何としても防がねばなりません。一つお聞きしたいのですが、禁術とは如何なるものであったのでしょうか? あなたも『血の舞踏会』には参加していたはずだ」

「最終決戦以外は」

 心なしか、先程と比べて彼女の纏う雰囲気に陰りが出て来たような気がする。レノーラは目蓋を伏せ、訥々と語り始めた。

「あの力、要は超常能力と言えるものよ。主として身体能力の強化、異能力の覚醒。帝級の身体能力と異能に比肩する為のね。でも、それらは吸血鬼を相手にする時しか効果を発揮出来ない。他のこの世ならざる者、例えば悪魔に力を振るおうとすれば、只の人間同然に戻ってしまう。それでも私達は、あの力の前に追い込まれて行ったわ。あの力は、習熟するほど手に負えなくなる。だからアーマドは最も数を減らした最終決戦においてこそ、命知らずの強大な猛者を揃えていたと聞く。それによって吸血鬼は一旦敗北した」

「実に興味深い。この戦い、光明が見えるやもしれません」

「そうかしら? その力、果たしておぞましいエルジェ一党を破るに留まるか否か」

 先程から彼女の様子が変わった理由を、ディートハルトは知った。レノーラは恐れているのだ。何れ禁術を駆使するハンターが、ノブレムに牙を剥いてくる事を。今は非戦協定が締結されている状況下であるものの、それが延々と続くわけではない事を彼女は心得ている。ディートハルトは、ノブレムもまた隣人であるという捉え方をしているが、それは個人の物の見方でしかない。

 何れノブレム同様、ハンター自身も今後のあり方を問い直される事となろう。それを胸に秘めておき、今はともかくディートハルトは話題を切り替えた。

「もう一つお聞きしたい」

「何か」

「あなたは真祖の呪いを破った方だと聞いている。それはどのようにして?」

「真祖に『お前の愛した男を殺せ』という呪いをかけられ、私は『私の愛する男を殺した』。この事はもう、しゃべりたくない。どうか分かって」

 レノーラは有無を言わさず立ち上がり、その場を去ろうとした。いきなりの豹変に少々戸惑いながらも、ディートハルトが今一度呼び掛ける。

「例の本は見ていかないのですか?」

「…きっと私は、跳ね除けられると思うわ。吸血鬼を打倒する力の塊のような、その本の前にはね」

 自らへの皮肉のように言って、レノーラは寂しく笑いながら身を翻した。

 

 目当ての書籍『吸血鬼との闘争と終焉』は前々世紀の文献という事で、厳重に保管されている。閲覧の為の複雑な手順を済ませ、ディートハルトとカーラは件の本をようやく手に取る事が出来た。一つ深呼吸して気を落ち着かせ、ディートハルトがページを捲り、恐らくは合言葉であろうその言語を呟いた。

syih-lec , the-o , yi-err」

 場の空気が一気に冷え込む。そして背後を顧みると、前回同様に鈍色コート、白髪の老人が静かに佇んでいた。カーラと顔を見合わせ、頷きあう。

 ディートハルトは即座にバッグからアルファベット表を取り出し、老人の手近にあるテーブルに広げた。言葉によるコミュニケーションが不可能ならば、アルファベットによる「指差し談」を試みようという訳だ。実際、これは実に上手いやり方である。彼が前に人差し指を立ててみせたのは、これを要求する為のジェスチャーだったのだ。老人が口元に笑みを浮かべる。

 ディートハルトはアルファベット表に指を当て、老人に対して質問を開始した。

「教授ですか?」

 たちまち老人の指が空に何かを描く。それに合わせ、ディートハルトの指が勝手に表の上で動き始めた。

『そうだ』

「エイブラハム・ヘルシング卿ですか?」

『そうだ。もう少し情緒のある英語を使ってくれ給え』

「そうですか。では、お聞きしたい。この本に書かれているのは、禁術の継承手段なのですか?」

『実は本そのものには特に意味は無い。書かれているのは我が親友の思い出語りがほとんどだ。しかしその体を取って、私は今際の際に私の知識を封じた。私は魂ではなく、ヘルシングの知識である。これも禁術の一環だ』

「では、この本と言うより、『知識』が禁術の継承を実行するのですな?」

『そうだ。君、よくぞこの場に第一継承者を連れてきてくれた。ハーカー家の末裔がここに来た。つまりそれは血の舞踏会が始まる事を意味するのか』

 ディートハルトは目を丸くし、傍らのカーラを見た。つまり現在進行する状況は、予め定められていた事であったのかと。カーラはディートハルトの背中を軽く叩き、教授に言った。

「ええ、そうです。『彼』の言う通りになりました」

「『彼』?」

「反逆者よ」

『ならば早急に継承を開始する。その前に私は一つ提案をする。その男性には第二継承者となって頂きたいのだが、応か否かをお聞かせ願えるか』

「第二継承者?」

 戸惑うディートハルトに、カーラは向き直って言葉を繋いだ。

「そもそも、禁術はアーマドの生き残りに継がれるものだったの。でも彼は、教授は、きっと時が来るまでは普通の人間として生きて欲しかったのね。それに禁術の雌伏を秘匿する必要もあった。だから継承を行なう時期を、このような形で制御したのでしょう。そして時はやって来たわ。私は継承者にならねばならないの。しかしもしも私が斃れたら、今度こそ禁術は闇の中だわ。だから教授は、第二継承者としてあなたを指名した」

 カーラはディートハルトの手を握り、深刻な面持ちで言った。

「禁術使いは継承者があって、初めてその力を行使出来るの。だから継承者が死ぬと全てが終わってしまう。それはきっと、敵対する吸血鬼からの注意を全て向けられる事になるでしょう。つまりこのうえなく危険な立場になるという事。ディートハルト、よく考えて。教授の提案を、あなたは拒否する事が出来るのよ」

「拒否、という考えはありませんな」

 あっさりとディートハルトが言う。

「既に我々は危機的状況にあるのです。例え如何なる境遇に置かれようと、一切の躊躇が許されないものと私は判断します。それにカーラ女史、私はハンターなのです。ハンターは死と共に人生を歩む。今更それを恐れる事がありましょうか?」

 ディートハルトの覚悟の程を聞き届け、カーラはそれ以上問わなかった。そして2人は、揃って教授に応を告げた。教授が、深く頷く。

『宜しい。君達とその仲間は、禁術が禁術と呼ばれる由縁を早々に知る事となるだろう。それでも人は戦わねばならない。人が人である事の尊厳を護る為だ。継承が終われば、私、知識は消滅し、この本は意味を無くす。代わりに君達が意味ある者となろう。君達とその仲間に、生存する幸運あれ。それでは継承を開始する』

 

フェアモントホテル・サンフランシスコ・其の二

 アンジェロは強張った顔のまま早歩きで警備員詰所に入り、その扉を閉めた。

 昼はフロアスタッフ、夜は警備員のアルバイトと、アンジェロは実に立ち回りが忙しい。その疲労の蓄積が、あわや集中力を欠きかけたのが先の道行きである。

 アンジェロはメインビルディング・スィートに盗撮の為のカメラを仕掛ける事に辛うじて成功した。エルジェが外出し、ジルが休眠につく僅かなタイミングを見計らい、その間隙を突いて件の部屋への侵入を果たしたのだ。恐らくはエルジェ、或いはジルが、滞りなく部屋に滞在する為に施している従業員への精神操作をやり過ごすには、この危険な機会を利用するしかなかったのだ。

 状況は前回と同じだった。広い間取りの部屋は照明をつけられずにがらんとし、例の寝室ではジルが眠りについている。僅かな物音でも立てようものなら、何が自分の身に起こるか分からない。多くのハンター仲間は、ジルの素性を青髭公、ジル・ド・レエと解釈している。もしも史実通りの人物ならば、一説には千人以上とも言われる幼い少年への性的虐待があまりにも有名だ。アンジェロは既に少年の年齢ではなかったが、もしも見つかってジルの趣向に合おうものなら。そのような危惧の元で監視カメラの取り付けをし、案の定、よりにもよって寝室でカメラを取り落とした。

 その時、ジルは僅かに目蓋を開いた。

 その場を決して動かず、調度品の隙間に身を隠し、息を止めて空気同然になり、しばらくするとジルが再び休眠に入る。幸運もあって、アンジェロはどうにか事無きを得られた。もしも通常の状態であれば、鋭敏な感覚に察知され、隠れても無駄だったであろう。

 こうして危険な綱渡りを終え、アンジェロは無事に帰る事が出来た。監視カメラの映像データは逐一HDに送られ、これから毎日、何が起きているのかを確認する日々が始まる。彼らが自分達の前に現れる時は、準備万端を整えた状態であるはずだ。だからこそ無防備な日常を観察する事には、必ず意味がはずだ。成し遂げた仕事の大きさを思い、アンジェロは1人ガッツポーズを決めた。今回は褒めてくれる仲間が居ないので、些か寂しいのだが。

 しかし、とアンジェロは思う。こういう命を張った状況の際は、もう少し疲れないアルバイトをするべきであったと。

 

カーラ邸にて・ハンターの茶会

 世間一般、そしてハンターの間の認識においても、吸血鬼は夜に出歩くものだ。しかしながら現実の吸血鬼は、直射日光に弱い目を守りさえすれば、人間と変わらぬ昼日中の外出が可能である。

 尤も、昼の吸血鬼は肉体の活性化を抑えられ、本来あるべき力のキャパシティを存分に開放する事が出来ない。それを嫌って吸血鬼は、自他認めるナイト・ウォーカーの呼称を選択するものなのだ。

 だから積極的に昼でも外に出るノブレムの面々は、そうしたセオリーに従わないという意味で異端的である。ノブレムにあってレノーラは象徴的な存在だが、彼女の指向性が周囲に強く影響を与えているのだろう。

 高位の吸血鬼が人間を一段下に見下す傾向に反し、レノーラは相手が誰でも同じ目線での対話を好む。だからケイト・アサヒナから対面の誘いを受けても、基本的に否とは言わない。それでもレノーラとしては、ケイトには一言忠告せざるを得なかった。

『あなたはエルジェに目を掛けられている。不用意に外出するのはとても危険だと思うのだけど』

「ハンターの私に、ゲストハウスで日がな一日編み物でもしていろと? 動かねば事は動かないだろうけど、状況を打破する事も出来ない。それに、エルジェの行動パターンは大体掴めている。彼女は昼に動く事を極端に嫌うらしい。もし時間に空きがあれば、カーラの家で会わない?」

『…私も吸血鬼という事を、あまり意識していないようね。でも、いいわ。もうすぐそちらに向かう。別のアポイントも受けているから』

「それじゃ、待っている」

 ケイトは電話を切って一息ついた。通された応接室には、目の前にカーラ・ベイカー。自らの隣に座るのがレイチェル・アレクサンドラ。出された紅茶のカップを手に取り、一口飲んだ所で彼女が現れた。

「こんにちは、レノーラです」

 ケイトは紅茶を思わず噴いた。

「早過ぎない!?」

「待たせたら悪いと思って。それに丁度こちらに向かうところだったから」

 何でもないように言って、レノーラはカーラの隣のソファに座った。カーラとは意味ありげにアイコンタクトを取ったものの、レノーラはすぐに話を切り出した。

「それで、用件とは?」

「帝級にかけられている呪いの事だけれど、まずあなたはどうやってそれを打破したの?」

 それを言った途端、レノーラは天を仰いで大きく息を吐き出した。そして言う。

「助けて神様!」

「え、何、それはどういうリアクション?」

「こうも答え辛い事を何度も聞かれたら、私もいい加減感覚が麻痺してきた。ここ最近、何度もあの人が夢に出てくる。いいこと? 真祖の呪いは、その通りに実行すると解除されるものなのよ。それは仕掛けられた当人にとって、『絶対にやりたくない』事を強制される。真祖はそれを見抜いてくる。ちなみにエルジェも、既に呪いからは開放されている。彼女がどんな呪いを掛けられ、それを履行したかを教えてあげるわ」

 それからのレノーラの話は、酸鼻を極めるものだった。

 エルジェは生前、婦女子大量虐殺の咎を問われ、日光すら遮断された一室で幽閉された挙句に死んだ、という事になっている。しかし3年半に及ぶ幽閉生活の直前に、彼女は帝級の吸血鬼と契約を交わしていたのだ。死後、吸血鬼として我が身を復活させると。それはどうやら、ジルであったらしい。

 晴れて自由の身を勝ち得たエルジェは、しかし己が姿に不満を抱く。享年54歳。賞賛されたかつての美貌は幽閉生活の中で枯れ果て、今や見る影もなく荒んだ体になっていた。この姿のまま永劫の時を過ごすのは、自尊心が許さない。其処でエルジェはジルを介し、真祖に謁見を申し出る。かつての美しい自分に、戻る術を教えて欲しいと。対して真祖は、それを了承した。恐ろしい取引と引き換えに。『棺の中で、罪を10倍償うが良い』と。

 エルジェが人間だった頃の人生の中で、最期の3年半は地獄であった。外に繋がるのは、食事を出される小さな小窓のみ。外の世界を見る事も、明かりを灯す事も許されない。誰とも口をきく事も出来ない。日に日に衰弱する体と心を支えるのは、死んで吸血鬼にさえなれれば自由になるという渇望だけだった。この閉塞は、エルジェに深く根ざすトラウマである。それを真祖は、面白半分に抉り出したのだ。

「体を完全に拘束され、棺を閉ざされ、地中に埋められる彼女の姿は私も見た。それは凄まじい光景だった。あんな恐ろしい悲鳴を私達は出せるのか、という程の。それからきっちり35年、エルジェは地中に生きたまま埋葬されたのよ。吸血鬼だから、死を許されないまま、あの幽閉生活以上の暗黒の中で彼女は生きていた。そして35年後、棺から出された彼女は、確かに外見だけは美しくなっていたわ。その心がどうなったかは、ケイト、あなたも想像出来るでしょう?」

 人の心を持つこの世ならざる者として、吸血鬼は特異的な存在だ。しかしその中でも、飛び抜けた人外の気配を濃厚とするエルジェが、何故あのようになったのかをケイトは理解した。彼女の背筋に震えが走る。そんなものに自分は目を付けられていたのかと。

「現在確認されている帝級は、全て呪いから解放されていると?」

 ケイトは話題を切り替えた。

「それはつまり、ジルも?」

 そのように問われ、レノーラは若干躊躇した。

「…彼については分からない事が多いのよ。私達とは、この階級に至った成り立ちが違うはず。真祖は吸血鬼の階級を引き上げるけれど、真祖が直々に吸血鬼としたのは2人だけ。そもそも彼らには、呪いなんてものが無かったのかもしれないわ。尤も、吸血鬼にさせられる事自体が呪いと言えばその通りだけど」

「次席帝級…GとVか。その内の1人、ジルは既に復活を遂げている。それはどうやら不完全な状態らしいけど、それでもレノーラ、あなたですら彼には太刀打ち出来ない」

「彼が本来の力を取り戻していたら、あの時瞬殺されていたでしょう」

「つまり状況は逼迫している訳だ。レノーラ、あなたは未だ色々な事を心に秘めている。しかし、最早それは状況が許さないはずよ。だから知っている事は、有益に成り得る情報は出来るだけ教えて欲しい。あなたはジルやエルジェが、復活するだろうと事前に知っていたわね? それは一体、どうしてなのかしら?」

 レノーラとしては、突かれるべき点を突かれたという印象だった。カーラに目配せをし、彼女が頷いたのを確認してから、レノーラは意を決して切り出した。

「かつての話。その昔、第四次血の舞踏会が終結した直後、私はVから直接聞いたのよ。あの戦いは、幾つかの意味でアーマドの不完全な勝利に終わったと。一つは、アーマド自体が2人の生き残りを置いて壊滅した事。もう1つは、アーマドが倒した吸血鬼達の遺骸の幾つかが、何者かに持ち去られた事」

「誰に?」

「それはVですら分からなかった。持ち去られたのは真祖、ジル、エルジェ。その者の意図は推して知るべきとVは言った。そして最後にもう一つ。真祖は首を斬られてもその心臓が動いていたそうよ。真祖は本当の意味で、不死身だったという事」

「吸血鬼のセオリーから外れるじゃない。そんなものに、一体どうやれば勝てるって言うの!?」

「それを模索する為に、カーラはイングランドからサンフランシスコまでやって来た。そうでしょ?」

 と、今迄黙って聞いていたレイチェルが、無表情に割り込んだ。

「先に彼女から話は聞いたわ。カーラはアーマドがかつて用いていた禁術を継承したそうね」

 それはケイトには初耳だった。驚いて凝視するも、カーラの表情は相も変わらず穏やかだ。が、隣に居るレノーラは、どことなく居住まいの悪そうな雰囲気を醸している。かつて仇敵であった教授と同じ立場の者が隣に座るのだから、むべなるかな、である。今後の戦に必要な継承であった事は分かっていても。

「禁術とは、一体どのようなものなの?」

 レイチェルが問い、カーラが答える。

「はっきり言えば、禁術は吸血鬼が使う異能力の数々を、人間が扱えるようにする為のものなの」

「何ですって」

「身体機能の向上、超能力の数々。これを人間側に応用させる為、反逆者、Vはアーマドについた訳ね。ただ、本来吸血鬼に当てはめるべきその力は、人間が使うには荷が重過ぎるの。禁術使いの人間は、何れ肉体と精神に変容が発生する。普通の人間ではいられなくなる。最終的に行き着くのは、この世ならざる者への道。尤も、其処まで変化してしまったのは、貴人唯1人だったそうよ」

 レイチェルは唇を噛んだ。毒をもって毒を制すを、かつてのハンター達は実行したという訳だ。聞く限り禁術という力は、自身を限りなく吸血鬼に近い者にして行くという事なのだろう。アーマドは家族や社会はおろか、人間である事すら捨ててしまった人々なのだ。その葛藤は如何程のものだったのか。

 しかしそうまでして、結局アーマドは真祖達を完全に追い込めなかった。その後の二百年余に安寧をもたらしたとは言え、それでは彼らの払った犠牲の価値が歪んでしまう。レイチェルは苛立ちを覚え、声に棘を含ませるも構わず言った。

「…其処までの犠牲を強いて、結局禁術とやらは真祖を抹殺出来なかった。首を刎ね飛ばしても生きているような怪物を、ありとあらゆる物理攻撃、攻撃法則も通用しない化け物を、それじゃ一体どうやって滅ぼせると言うの? このままではまた、同じ事の繰り返しじゃない!」

「落ち着いて、レイチェル。大丈夫、手はちゃんと考えているわ」

 カーラはレイチェルの手を取り、諭すように言った。

「詳しい事は、まだ言えないの。情報が漏れれば、そこで終わってしまうから。でも、今度の戦いは、アーマドのように後事を託すものではないわ。きっと、ここで全てを終わらせる戦いになるでしょう」

 

フェアモントホテル・サンフランシスコ・其の三

 アンジェロによる監視作戦は、その実行段階における決死の度合いとは裏腹に、映像のチェックは退屈との戦いになってしまった。

 何しろ全くしゃべらないのだ。ジルとエルジェは。昼の間は、互いが椅子に腰掛けたままほとんど動かない。偶に清掃に入ってくる従業員に対しては、エルジェが掌を向けて何事かをしているのが分かる。その都度、画像に乱れが発生するのは電磁場異常のせいだろう。それにしても軽口の一つも叩いたらどうだとアンジェロは思う。もしかすると、あの2人は仲が悪いのではないか。

 夜には数日に一度、エルジェが外出しているのが確認出来た。閉じられた窓の前に立つと、決まって画像が飛ぶ。そして正常に戻った直後には、エルジェの姿は失せているのだ。相変わらずジルはと言えば、椅子に座ったまま。これを毎日繰り返す。早送りで観ているとは言え、さすがにアンジェロも挫けかけたものだ。

 だが、変化はいきなり発生した。それも全く予想しなかった方向から。

 

 映像の時刻は15:00を過ぎていた。既に清掃が終わり、また静かな時間が始まるのだろう。

 と、思いきや画像が真っ黒になった。一旦早送りの映像を止め、アンジェロが訝しい顔になる。恐らく電磁場異常だが、昼の間にこれだけの映像障害が発生するのは初めての事だ。注意をすべく、映像を通常再生モードにチェンジ。

 しばらくすると、映像が再び浮かび上がった。映っているのは座ったままのジルとエルジェ。それに立ち姿の誰か。中肉中背、スーツ姿、黒い髪の男。顔はどの映像の角度からも確認出来ない。アンジェロはモニタに齧りつき、状況の推移を食い入るように観察した。

男:『レディ&ジェントルマン。こんにちは。ジル殿の完全復帰は、今の所食い止められているようですねぇ』

エルジェ:『現代のハンター達も、中々優秀というところなのね』

ジル:『ふざけるな。あのような者達、やろうと思えば皆殺しに出来るものを』

男:『それは困ります。多少は殺しても結構ですが、全滅は御主の御意向に逆らう事になりますから。真祖殿と皆さんを、救い出された恩は御了解願いたいですね』

ジル:『ピュセルは一体何処にやった!?』

男:『まだ御主のお手元に。彼女は神の寵愛目出度き御人です』

ジル:『何が神だ。少女1人に救いを与えぬ神などは死ね』

男:『だから御主がお救い下さったのではないですか。嫌だなあ』

エルジェ:『で、用件は何ですの?』

男:『そうそう。ハンターの皆さんが、どうもおかしな動きを見せているようなんです。皆さんが監視しているマリーナの一軒家ですね。そろそろ襲撃をかけられた方がいいんじゃないか、なあんて。ただし、エルジェ殿とジル殿は今しばらくお待ちを』

エルジェ:『二段階くらいに分けようかしら。もうしばらくしたら戦力が完全に拡充出来そうだし』

男:『結構ですね。まあ、真祖殿も何処かで、近日には復活なさるでしょう。その際はお望み通り、闇の帝国がフリスコに君臨するのです。あともう一息、どうか頑張って下さい。ところで、部屋の掃除をさせて頂きたいのですが、宜しいですか?』

 暗転。

 それから監視カメラの一切が画像を写さなくなった。どうやら男に、カメラの存在を感付かれたらしい。アンジェロは大いに落胆したものの、極めて重要な情報を取れた事には満足した。

 近い内に、恐らくは仕える者共を使って、カーラ邸への本格介入が始まる。ハンターとノブレムを巻き込んだ、激しい鍔迫り合いが開始するのだ。これを事前に知っておく事には意味がある。何しろ前準備の有る無しは、防衛戦に大きな意義をもたらすのだから。

 それにしても、監視カメラの撤去は残念だった。アンジェロは何となく、カメラをライブモードに切り替えてみた。案の定、複数のカメラは真っ黒で何も映さない。何処かに打ち捨てられたのだろう。アンジェロはモニタを切断しようとし、しかしマウスをクリックする手を止めた。一つの画面に、何かが映ったのだ。暗くてよく分からない。が、それは人の輪郭を取っている。声が聞こえた。それは間違いなく、アンジェロに話しかけてきた。

『こんにちは。今、君の真後ろに居ますよ』

 咄嗟にアンジェロは振り返ろうとしたものの、肩を強い力で抑え込まれ、頭を鷲掴みにされた。しかし実際は、指一本触れられていない。

「おっと。こちらは振り向かないように。危うく殺してしまう所でした」

 朗らかに男は恐ろしい事を言う。その声は知っていた。映像に出て来た、あの第三者だ。男の声がアンジェロの耳元に寄り、囁くように言い聞かせた。

「監視カメラが仕掛けてあった事は、あの2人には黙っておきましたよ。でも、あの試みは今回で止めておいた方がいいでしょう。次にやったら、君、確実に死にますよ? しかし君の勇気に敬意を表し、私は何も知らなかった事にしておきます。情報を有効活用し、対策を整え、強敵に立ち向かって下さい。どうか頑張って下さい」

 拘束が外れ、声も聞こえなくなった。アンジェロが椅子の上で滑るようにへたり込む。もう、後ろにあの気配は感じられない。しかし振り返って確認する気力は綺麗に失せてしまった。

 あの男は、悪魔だ。根拠は無いが、アンジェロはそのように確信した。

 

 

<H5-3:終>

 

 

※H5に参加されるハンター(マフィアも含む)は、希望すれば誰でも禁術を取得出来ます。ルールにつきましては、次回のアクト要項にて詳細を説明致します。結構厳しいルールです。

 ちなみに、ディートハルト・ロットナー氏は第二継承者として既に幾つかの禁術を取得されています。

 現時点において、継承者の存在はジル・エルジェ側には知られていません。

 

 

○登場PC

・アンジェロ・フィオレンティーノ : マフィア

 PL名 : 朔月様

・ケイト・アサヒナ : ポイントゲッター

 PL名 : TAK様

・ディートハルト・ロットナー : ポイントゲッター

 PL名 : みゅー様

・レイチェル・アレクサンドラ : ポイントゲッター

 PL名 : 森野様

 

 

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ルシファ・ライジング H5-3【アーマド時代】