<ジェイズ・ゲストハウス>
『行くのですか』
「ええ」
『かつては君を仲間であると認識した者達から離れて、ひとり行くのですか』
「ええ」
『その行く先に、吾は良い前途があるとは思えません。それでも行くのですか』
エリニス・リリーは自らに語りかけてくるゲストハウスの声を聞き流していたが、その一言には顔を上げた。手荷物を纏める手を止め、寂しく笑いながら曰く。
「おかしな事を。どのみちハンターには、未来なんて無いじゃない。社会から背を向けて、真っ当な死に方も出来ず、誰からも覚えてもらえず、この世から消えて行くのよ。少なくともあの場所には、笑顔と希望があるわ。自らの望みを叶えようとする前向きな意識がある。そんな彼らが、アタシを受け入れてくれる。ハンターになって、誰かに認めて貰えた事なんて無かった。それに比べて、カロリナは私にとても優しい。友達になれて良かったなんて、そんな台詞を真正面から言ってくれる人なのよ?」
『まあ、吾も止めません。人間の行く道を阻むつもりもありませんからね。己が目的を貫く事こそが人生。その結果は、甘んじて受け入れなさい。早晩君は、ハンターと対決する事になる』
「…アタシはカロリナの夢見るものを一緒に叶えたいだけ。今もって、アタシは彼らを敵だとは思っていないわ」
『恐らく状況がそれを許しません。君は苦悩の泥沼でもがくでしょう。そのまま沈むか這い上がるか、全ては君の心次第』
ゲストハウスの声は言うだけ言って、取り敢えず納得したらしい。その声は情に訴えもしなければ、憤りもしなかった。ただ『好きにするといい』と言っている。気遣いというものは一切無かったが、その割り切りがエリニスには有り難かった。拳銃を懐に仕舞い、分解した狙撃銃の入ったケースを抱え、今一度エリニスはゲストハウスに告げた。
「ありがとう、ゲストハウス。アナタはアタシに、選択するという貴重な猶予を与えてくれたわ」
『どう致しまして、エリニス。君という人間は実に興味深かった。お別れですね』
「さようなら」
『ごきげんよう』
扉が閉まる。エリニス・リリーの部屋には、もう主が帰って来る事は無い。
今日、1人のハンターが、ハンターである事を、捨てた。
<とある安宿の話>
マクシミリアン・シュルツことマックスは、表向き音信不通の状況である。大学での友人達、或いは下宿の隣人達が彼の行方について口々に噂し合ったのだが、居場所は一向に掴めなかった。こうして多くの人々が彼を心配しているのは、マックスが社交的で多くの人に好かれている事の証左なのだろう。
と言うのは建前だ。人々が彼を探す理由は別にある。それを知っているのは、このサンフランシスコにおいてはほんの一握りの者達だった。
安ホテルにチェックインし、真赤誓は連れと共に小汚い部屋の固そうなベッドに身を投げ出した。下宿を出てから、ほとんど一睡もせず街を彷徨った挙句である。真赤の疲労もさすがに度を越えていた。
「ちっ、辛うじてツインかよ。しかし狭いなオイ。こんな部屋でも侮れない$を取りやがる…何してんだ、マックス」
「いや、ドラゴさんに貰ったダンベルで筋トレなどを」
鍛え抜いた肉体で大切な人を守るのですぞ!というドラゴ・バノックスの教えを、マックスは律儀に守っていた。何処までも真面目な男である。
「『何れタイソンが腰を抜かすようなトレーニングを伝授しますぞ!』って言ってましたよ。だから今の内に基礎体力を上げとかないと大変まずい」
「…徹夜明けに筋トレをする余裕がありゃあ、大したもんだと思うがな」
大きく息を吐いてから、真赤は跳ねるように身を起こした。ベッドに腰掛け、マックスと向き合う。
「ここまでの状況を整理しておこう。何故俺とマックスが、こんなボロっちい宿で身を潜める羽目になったかを。まず、あの2人。マーサから派遣されたモートとステラだが、奴等の接近と共にマックスの心身に変化が起こった。彼らと共に行かねばならないってよ。そうだな?」
「ええ、確かに。上手く言えないけど、あれは何かに強制されるものじゃなかった」
「つまりだ。ここ最近、マックスの周囲じゃ怪異現象が発生している。それは分かるだろ? しかし、他ならぬマックス自身も怪異そのものって訳なんだ」
「何だって!?」
驚いて声を上げたマックスを、真赤は片手を挙げて落ち着くように促した。話を続ける。
「ジェイズ・ゲストハウスっていう俺達の根城は、強力な結界が張ってある。まあ、霊的に悪いものを跳ね除ける壁みたいなもんさ。そいつがマックスの入館を拒否した。底無しの闇に見えたとさ」
「何だい、そりゃ…」
理解し難いという風に、マックスは頭を振った。理解し難い。それはそうだろう。自らを何の変哲もない只の大学生と考えているマックスには、どれを取っても真赤の言う事が非現実的に聞こえた。しかしながら一方で、自らに起きている変化には薄々勘付いてもいる。自分は得体の知れない世界へと歩を進めつつあるのだろう、とも。それは真赤にも分かる話だ。一般人とハンター、その境目に立った時、誰もが抱く躊躇である。
「マックス。それでもマックスは未だマックスだ。お前がマックスである限り、俺達ハンターはお前を守るのが責務なのさ」
「僕がその、僕でなくなるってやつ? 底無しの闇というやつになったら、君達はどうするんだ?」
「狩るよ。どれだけ俺自身が嫌でも」
真赤はあっさりと言った。
「そうならないように、俺は全力を尽くすつもりさ。しかし鍵は飽く迄マックスだ。マーサに行ってはいけないとお前は感じているんだよな? そいつは正解だ。お前が奴等の元に赴いた時点で、ハンターとマックスは負ける。リターンマッチが効くかどうかは想像もつかねえ。だから最低限、勝利条件と呼べるのはあそこに行かない事だ。マーサの最大の目的は、お前なんだから。マックスを呼び込む為に、これから奴等は何だってやるぜ。前の2人組は勿論、アンナにも手を出してくるはずだ」
「アンナに!?」
「落ち着けって。マーサの本命はお前だって言ったじゃねえか。アンナには強力なガードがついているし、何かあってもお前と違ってリカバリーのチャンスがある。だから心を自分で惑わすな。動揺を斬り捨てるんだ。取り返しのつかない事態にしたくなけりゃな。俺は幾らでも助けるが、限界ってもんがある。全てはお前の心構えにかかっているんだぜ」
一頻り言い終え、真赤は再びベッドに寝転がった。
自分の言い様がハンターの論理であるのは百も承知である。それでもマックスには、今置かれている状況が極めて危険である事を分かっておいて貰いたかった。横目に置いたマックスは、腕を組んで考え込んでいる風だった。悩む、というのは悪くないと真赤は思う。この境遇にあって、マックスは自らの意思を行使しようと足掻き始めたのだから。
「ところで」
真赤が言った。
「大学の出席日数は足りているのかよ?」
「多分、これから足りなくなりますよ」
<アンナの居場所>
「…カースド・マペット。それが敵の名前。一般市民が標的となっては、こちらも見過ごす訳にはいかない。だから今回はマーサ本部を守る事が出来ないの」
『分かった。カロリナにはそのように伝えておくわ』
「そういう訳で、アンナの身柄はこちらで預かるから。まあ、ル・マーサにはあまり関わり無い話だと思うけど」
『何処にいるの?』
「それは言えないわ。何処から情報が漏れるか分からないもの。それにあなたは、もうハンターじゃないでしょう?」
『…そうね。確かに私はハンターではない』
「何かあったら、また連絡する」
『みんなの無事を祈るわ』
携帯電話を切ったエーリエル・レベオンの表情は複雑だった。ショッキングピンクの塗装を施したキャンピングカーの、リアに背を預ける。
悪魔が濃厚に絡む人造亜人、カースド・マペットの襲撃からアンナ・ハザウェイを守護する状況となって、まだ数日とたっていない。敵の攻撃が何時、何処から行なわれるのか分からない今、自分達は全方位に気を配らねばならないのだ。まさに神経戦である。
そんな中で、エリニスがハンターを辞めてマーサの所属となった事は、ハンター間に少なからぬ波紋を呼び起こした。現状、マーサとジェイズの関係は微妙なものになりつつある。エリニスの離脱はジェイズ側の不審を加速させるかもしれない。
「エリニスは元気にしていた?」
キャンピングカーから出て来た老婦人に声を掛けられ、エーリエルは体を起こして彼女を迎えた。先頃アンナをマペットから護ったバーバラ・リンドンは、ジェイズにおける反マーサの筆頭格である。
「多分」
エーリエルは肩を竦めた。
「既存の携帯電話も契約解除したみたいだし、正にマーサの人に連絡を取るという感じだった。どうもお互い事務的になってしまうわ。かつての同胞意識は何処へやら」
「仕方の無い事よ。彼女と私達は、自らの立場を弁えねばならなくなったのだから」
言って、バーバラはエーリエルを指差してから、ぐるりと人差し指を半周させた。頷くエーリエルに頷き返し、バーバラは若干声音に険を挟める。
「ともあれ、これでこちらとしてはやり易くなったわ。敵か味方か分からない者が居ては据わりが悪いもの。これからは遠慮なく戦う事が出来るわね」
「わたしはあなたの能力を認めるけれど、マーサに関しては些か拙速に過ぎると思う。彼らは今もって慈善活動に勤しむ、単なる市民団体よ」
「市民団体と言うには特異過ぎるわね、彼らは」
「あなたの行動の根拠が『勘』である限り、わたしはあなたに同意する事が出来ない。アンナの護衛では手を組むけれど、必要以上のマーサへの干渉は、正直言って止めて欲しい」
「大丈夫よ。彼らは何れ尻尾を出すわ。いえ、もう出しているかもね」
言って、バーバラはコインパークの向かいに居た女性に手を振った。怪訝な顔でそそくさと立ち去る女性を見送り、エーリエルは天を見上げて嘆息をついた。
ソファベッドから半身を起こし、アンナは一瞬自分が何処に居るのか分からずうろたえたのだが、直ぐに我が身の状況を把握して頭を抱える羽目になった。
ここはエーリエルが所持するキャンピングカーのリビングだ。居住性は素晴らしいし、これに乗ってバカンスと洒落込むのは幸せに違いない。しかしここは、アンナにとっては『移動するセーフティハウス』なのだ。敵は神出鬼没で、機動力が高い。立て篭もれるような陣地が無いのなら、こちらも機動力を準備するしかないという訳だ。
カースド・マペットとハンター達が呼称する得体の知れない怪物に追いかけられた恐怖は、今もってアンナの脳裏にこびりついている。子供が作って失敗した粘土細工のような顔は、自分を見て最高に狂った笑顔を向けていた。あんなものに付け狙われてはたまらない。だから、半ば『移動する軟禁状態』の身の上を、アンナは今の所素直に受け入れている。少なくともエーリエルや恐ろしいバーバラ婆さん、それに筋肉達磨のドラゴ・バノックスを、アンナは歪んだ存在だとは思わなかった。
「おお、お嬢さん、お目覚めですかな? いい夢見れましたかですぞ!」
「おっさん、無理して『ですぞ』は付けなくていいですぞ」
「私は未だ筋肉ムチムチの20代後半ですぞ!」
運転席からドラゴが顔を覗かせ、暑苦しいスマイルを向けてきた。心なしか車内の体感温度が上がったような気がする。顔を手で仰ぎ、アンナはだらしない格好でソファに転がった。
「いい夢? ま、少なくともマペット何とかに追いかけられる夢は見なかったよ。代わりに変なのを見た」
「ほう、それはまたどんな?」
「何か、古っ臭い服を着た朴訥青年とさ、野原で手ぇ繋いでデートしてる夢。うふふ、あはは、とか言ってやんの。馬鹿かと思ったね」
「むう。私は別に馬鹿とは思えませんなあ」
と、キャンピングカーのドアが開き、エーリエルとバーバラが乗り込んで来た。
「ああ、落ち着く。ああ、本当に落ち着く。やっぱり我が家が最高!」
感極まった声で、エーリエルがアンナの向かいのソファに飛び込んだ。その様を見てクスクスと笑いながら、バーバラがキッチンに向かう。今日の炊事当番はバーバラだ。
「…あんたさ、外ヅラと内ヅラが違くね?」
「この中が安全だとは思わないけど、やっぱり仲間と一緒に居るのはいいものよ。バーバラさん、今日は何を作るの?」
「豚バラ肉のゼリー煮よ。それに豆と緑黄野菜のチリ風味」
「うへぇ、ソウルフードかよ。ハンバーガーとか無ぇの?」
「いけませんな、そんなジャンクが好みでは。ミズ・バーバラのメニューはタンパク質が素晴らしいですな! タンパク質と筋肉は切っても切れないお友達でありまして」
「アンナ、人数分のお皿取ってくれない? わたしは飲み物を用意するから」
エーリエルに言われて自然に配膳の手伝いを始めた自分に気付き、アンナは驚いた。今迄の自分は、こんなホームパーティめいた催しには一切関わらず、他人の手助けをした事もほとんど無かったのだと、改めて思う。
<ル・マーサ>
エリニスがマーサへと完全に身を寄せる事については、マーサ内では大歓迎のムードであった。特にリーダーであるカロリナ・エストラーダの喜びようは、ことのほか大きい。まるで親しい友人の帰郷を迎え入れるかのようだ。少なくとも、その姿に他意は無いようにエリニスには見えた。
「ありがとう、エリニス、ありがとう」
2階作業場で皆が笑顔で見守る中、カロリナはエリニスに幾度も頬を合わせ、抱擁を繰り返した。
「こうしてハンターの皆さんの中から、私達の意思を汲み取って下さる方が出て来られたのは、本当にありがたい事ですのよ!」
「申し訳ないけれど、カロリナ、私はもうハンターじゃないわ」
「そうでしたわね。これからも私達のお友達ですものね。エリニス、親愛の印に、あなたにいい物を差し上げますわ」
言って、カロリナは風変わりなロザリオをエリニスに手渡した。それはオリエンタルな龍の意匠を施した、幾分奇妙な代物だった。
「ドラゴン? これって、キリスト教における神敵なのでは?」
「あら、一元的な物の見方はいけませんわ。ところによっては、ドラゴンも神聖な生き物なんですもの。ともかく、これを首から掛けて下さいな。きっとあなたの身を守って下さいますよ?」
言われるまま、エリニスはロザリオのチェーンを首に巻いた。その途端、わっと湧き上がる歓声と拍手。どうやらこれを身に付けるのは、マーサの中で特別な意味を持つらしい。
それからエリニスは引き続き作業場に居て、ありきたりな奉仕活動の準備作業に従事した。相変わらずやっている事は、地味で堅実な地域のボランティアである。肩の荷が下りた、とエリニスは思う。陽気で社交的な人々と交わすとりとめもない会話は、久々にくつろげるという感じだった。
しかしながらエリニスは、他の牧歌的なマーサの会員と、自分は違う事を自覚している。自分はこの世ならざる者との戦い方を熟知した、元ハンターだ。元ハンターとしてマーサに貢献出来る手段とは、即ち戦う事なのだ。マーサに仇名す敵に対し、立ち塞がる壁になる。全てはマーサの仲間と、カロリナの為に。
作業が終わってからエリニスはカロリナを誘い、別室に赴いた。部屋には既にモートとステラが着座している。事前に彼らに頼んで、待っていて貰ったのだ。
「…早速だけど、打ち合わせたい話があるの」
お茶もそこそこに、エリニスが切り出す。
「送り犬への対策について、考えるところを聞かせて欲しい。こうしてマーサのフレンドになって分かったのだけれど、アタシは送り犬が怖いわ。こんなに穏やかで平和なアタシ達、何故襲い掛かってくるのか理解出来ないのよ。モート、それにステラ、何故アナタ達は送り犬を恐れないの?」
そのように言われて、モートとステラは顔を見合わせて苦笑した。そのような反応を返されるとは思わなかったので、エリニスは首を傾げた。
「いや、失礼なリアクションだったね。しかし何故怖くないのかと聞かれてもね」
「怖くないから、怖くない。そうとしか言えないわ」
「怖くない、と言うのは、戦っても負けるとは思わないからよね?」
エリニスが身を乗り出す。ここからが本題だ。
「アタシはどうすればアナタ達のようになれるの? 率直に言って、送り犬を倒せる力が欲しい」
「なるほど、そう来たか」
「では、何れお教えしましょうか? 方法は2つほどあるのだけど」
パン、とここで拍手が打たれた。カロリナだ。話はここまでと言外に言っている。
「送り犬については、特にエーリエルさんがよく対応して下さっていますわ。お陰でここ最近、襲撃も行なわれていませんしね。それよりもモート、また『彼』との接触はなされるのでしょ?」
「勿論ですよ。今度はいい話を彼としてみたいものです。なあ、ステラ?」
「ええ。そうだ、エリニス。今度はあなたも一緒に行かない? その時はまた送り犬が現れるかもしれないし、私達がどういう者かを見て頂くのに丁度いいわ。あなたには危険だろうから、遠くからでも見て下さいな」
言って、モートとステラは席を立った。それにカロリナも。エリニスは些か訝しく思う。カロリナは自分とモート達との交渉を、わざと打ち切ったように見えて仕方が無い。
<モンスター・1>
ミニコンポーネントから怒鳴り散らすように流れるプロディジーのファイアスタータは、エーリエルによって容赦無くボリュームを下げられた。寝転がったアンナが露骨に不機嫌な顔を見せるも、エーリエルが意に介した様子はない。
「て言うかさ、いっその事オフにしてくれた方が、私も喧嘩を売り易いんだけど」
「それはマペット対策の一環でもあるからね」
2人のやり取りを後ろに聞き、バーバラは助手席に収まって周囲をこまめに観察した。ドラゴの運転は快調そのもので、サンフランシスコ市街のドライブは、こんな状況でなければ良い娯楽となったに違いない。
「ドラゴ君、捕捉されていると思う?」
バーバラが問う。
「恐らく、そうでしょうな。決して表立ってはいませんが、マーサに絡んだ一般市民の視線を感じます。マーサの影響は実に広範囲に広がっておりますぞ。正に恐るべしですな」
「そうね。残念ながら、キャンピングカーで何かを守っている、くらいは伝わったかもしれないわね」
「マペットとの事が済んでも、次からはキャンピングカーは使えそうにありませんな」
「いえ、エーリエルはもう一つ手を考えているみたいよ」
「なあ、あんたらさ」
と、不意にアンナが声を上げた。相変わらずベッドに寝転んだままの無作法な格好だったが、その声に険しい雰囲気は無い。
「何で私があんなのに襲われたのかは分からないし、唐突にあんた達が助けてくれた理由も分からない。胡散臭さはどっちもどっちって奴だけどさ。ただ、少なくとも私だけだったら、多分どうにもならなかったんだろうと思う。気に掛けて貰えるってのは、有難いんだと分かったよ。まあ、あれだ。あんた達がどういう連中かサッパリだけど、ありがとさん」
アンナの言い様を聞き、3人は揃って吹き出した。
「何だよ。こっちは真面目に言ってるのに」
「ごめん、ごめん」
エーリエルは笑いを堪えたまま、随分と優しい目でアンナを見た。
「あなたとは、いい友達になれそう。歳も近いし」
「お嬢ちゃんと友達か。はは、何だか不釣合いだねぇ。そんな風に言ってきたのは、あんたを除けばマックスくらいだったよ。私、何であいつの事を異常に嫌ってしまうんだろう」
「一度腹を割って話してみたら。彼、やっぱりいい人だと思う」
「どうも気が乗らないのは何故なんだろうね。ところであんたさ、何でこんな仕事をしているんだい? …あれ?」
ミニコンポから音楽が不意に途切れ、アンナは首を傾げてスイッチ周りを弄くった。
「おかしいな。電源は切れてないのに、音がしない」
その一言を切っ掛けに、3人のハンター達の態度が豹変した。
「ドラゴ君、EMF反応は?」
「いきなり来ましたぞ。これは大きい!」
「方角は」
「丁度真後ろから。距離はありますが早過ぎる」
何時の間にか、フロントガラスから見える景色に一切の人気が失せていた。ドラゴがアクセルペダルを蹴飛ばすように踏み込む。不意の大加速でアンナが引っ繰り返った。
「うわっ」
「何かに掴まっていて。戦いが始まったわ。それから、さっきの話だけど」
レディスミスの装填を確認しながら、エーリエルが言う。
「こんな仕事をしているのは、普通の人が理不尽な目に合う忌々しさを、頑張れば食い止められるかもしれないと思ったからよ」
<モンスター・2>
真赤としても、一般人の中にマーサの息がかかった者達が数多く居るのは先刻承知である。
だから彼が取った手段、3つの宿を順繰りに渡り歩く逃走策は、そういう者達相手には確かに効果があった。こと捜索と観察に関しては、マーサと言えども技能は一般人のそれでしかない。その程度の人間を欺く術を、真赤は十分心得ていた。加えて同行するマックスが、マーサ絡みの人間をある程度見分ける事が出来るのも大きい。
そのようにして彼らは、サンフランシスコの比較的狭い範囲内にあって、これまでマーサからの干渉を全く受けずにやり過ごす事に成功していた。
しかしながら真赤は思う。マーサの中に、普通ではない者達が居ると。それはマックスに近付くだけで、彼の心身に対して深刻な影響を与えるような存在だ。モート、それにステラ。この2人の登場によって、マックスを取り巻く環境は危急の色合いを帯びる事となった。
何れ、奴等は来る。それは間違いない。その覚悟を真赤は常に抱き、そしてようやく、その時がやってきた。
「来た」
それは遅い目のランチを部屋で共にしていた時だ。スプーンを持ったまま、マックスの全身が硬直した。
マーサの者の存在に気付いても、今迄のマックスは落ち着いたものだった。しかし此度の反応の激しさは様相が異なる。このような姿を、真赤は前に一度だけ見ている。あの2人が彼のアパートに訪ねてきた時だ。そうとなれば、真赤の決断は容赦なかった。
「行くぜ」
「荷物は?」
「くだらんもんしか無いから構わねえ。置いてけ」
マックスの袖口を引っ張り、真赤は部屋の扉を蹴り開けた。急ぎホテルを飛び出し、駐車場に向かう。停めてあるのは真赤の愛車。カワサキ・KLX250R。4ストローク単気筒水冷エンジン。競技仕様、ファイアクラッカーレッド。
「さあ、無茶をするぜ。限界越えでぶっ飛ばしてやる」
KLXのエンジンを始動させ、真赤はマックスを後部に乗せてしっかりと掴まらせた。マックスの顔は青ざめ、脂汗が滴っている。彼自身も、心の内の何かと戦っているらしい。その抗う姿勢はマックスという人間にとって、悪いもんじゃないと真赤は認めた。
急加速、そして発進。真赤の駆るバイクはアスファルトにタイヤ痕を擦り付け、瞬く間にストリートを驀進して行った。
「おや。居なくなってるね」
安ホテルの入り口で立ち止まり、モートは不思議そうに首を傾げた。
マーサ会員からの情報によってカロリナが特定したその場所には、ターゲットであるマックスの姿は既に無かった。彼のすぐ傍では、ステラがブレーキ痕をなぞっている。見上げる彼女の顔には、落胆も困惑も無い。
「引き際見事という所かしら。ハンターという人種の逃げ足は大したものだわ」
「『彼』を警戒警報代わりにしたのだろうね。何しろ私達はEMFに引っ掛からない。上手い判断だな」
「…2人とも、ホテルの部屋を確認していないのに、何故そんな事が分かるの?」
彼らに同行したエリニスが、素朴な疑問を問う。対してモートとステラは顔を見合わせ、僅かに唇を曲げた。笑ったらしいのだが、その表情は癇に障る代物だった。この2人が他人に接する態度は、カロリナを除けば一段上から見下ろしているように感じられる。先程の笑みも「何を言っているのだ、こいつは」という意味だったとエリニスは解釈した。
「何故分かるのかと言われてもね」
「分かるから分かる。そうとしか言えないわ」
「そして私達は、彼らの行方も大体分かる」
「警戒警報が鳴り続けていますものね。まだ、そんなに遠くには居ない」
「前は自分で封じ込めたようだが、そろそろ抑え切れなくなってきたのかな?」
「御主の影響が増しているのよ」
「実に喜ばしい事だ」
「アナタ達は」
言って、エリニスは一歩身を退いた。先程から彼らの言い様は、最早普通ではない。
「アナタ達は、一体何者なの?」
「何者なのかと言われてもね」
「私達は私達。そうとしか言えないわ」
言って、ステラがエリニスの肩を掴む。その直後、3人の姿が忽然と失せた。
<モンスター・3>
カースド・マペットの恐ろしさは、その身体能力にある。
悪霊の宿る肉体を集めた邪悪な肉人形は、自らの器の中で暴れまわる邪悪な想念を糧として動作する。その邪念は、強制的に浄化されなければ尽きる事が無い。複数のエクソシストが一斉に福音を唱えてようやく鎮圧出来る、問答無用の強敵である。そんなものに狙われるアンナと、それに対抗しなければならないハンター達が置かれた状況は非常に厳しい。
「おお、来た来た、来ましたよ。滅茶苦茶なストライドで追いついて来てますな。あ、こっちに向かって手を振っておりますぞ。はい、こんにちは」
マペットの凄まじい追い上げを、ドラゴがサイドミラー越しに実況中継する。場数を踏んだドラゴらしい緊迫感をわざと削った言い草だったが、それでも突進するキャンピングカーは追い縋られまいと必死そのものである。
その努力も空しく、車は十も数えぬ内にマペットに追いつかれるだろう。悪魔による人造亜人とは言え、人間の筋肉を基本として作られたとは思えない足の速さだった。
後部に取り付かれれば終わりだ。車上に登られ、天井を打ち破られれば、ハンター達は何も出来ずにアンナは略取されてしまう。そして正にマペットが、じりじりと距離を詰めてリアに手を延ばさんとした時、不意に車がハンドルを右に切って車線を変えた。そしてマペットは正面に見る。窓から顔を出す拳銃と散弾銃の銃口。
拳銃弾、散弾、拳銃弾。それらが交互にマペット目掛けて叩き込まれる。岩塩の塊が何度も体に直撃し、たまらずマペットは転倒した。転げ回る肉人形を後目とし、キャンピングカーが猛スピードで走り去る。
「ジリ貧ね」
散弾銃を引っ込めて、バーバラ。撃ち尽くしたレディスミスに再装填し、エーリエルが頷く。
「元より逃げ続けるつもりは無い。予定通りに迎撃するわ」
と、車に据え付けた無線が着信音を鳴らす。エーリエルはバーバラと顔を見合わせ、舌を打った。相手は誰なのかは分かっている。
「向こうも振り切れないらしいですな」
無線に向かって早口でしゃべるエーリエルをバックミラーに見遣り、ドラゴが溜息をつく。そしてドリフト気味に右へハンドルを切り、ルートを変更して一路目指す。迎撃ポイント、フィッシャーマンズ・ワーフ。
何故だ。何故だ。無線を切って、真赤が呟く。
後部に座るマックスは、いよいよ呼吸を荒げていた。それはつまり、例の2人が高速で走り抜くKLX250Rに、全く離れずに追随して来ている事を意味する。路地に入り、信号を無視し、果ては逆走し、ありとあらゆる異常な運転で振り切ろうと試みたにも関わらず。向こうは恐らく車両を使っておらず、そうであれば人間に出来る追跡ではない。ここまでくると、改めて思う。自分は極めて強力な、この世ならざる者を相手にしているのだと。あの2人はこの世ならざる者達なのだ。何が普通の市民団体だと、真赤は心中で毒づいた。
「ここまでだ。マックス、みんなと合流するぜ」
真赤の呼びかけに返事は無い。マックスの忍耐も既に限界を迎えているのだろう。最早猶予は一刻も許されない。真赤は合流地点、フィッシャーマンズ・ワーフへと突進し、程無くして交差点の右折先からど派手なショッキングピンクのキャンピングカーが突っ込んで来るのを確認した。急カーブを切って直線に入る車に幅を寄せると、運転席から窓越しにドラゴがハンドサインを寄越してきた。頷き、真赤は右後方にピタリと張り付いた。
この時点になってようやく気付いたのだが、このフリスコ有数の観光地に人気が全く無い。通りの車列も消失している。正にゴーストタウンのような有様だった。
(つまり、マペットも肉迫しているって事か)
敵はカースド・マペットと例の2人を、同時に二正面で繰り出してきたという訳だ。これで両者に繋がりが無ければ嘘だと真赤は思う。
ワーフには、通常車両が入れない広場がある。本来多くの観光客がくつろぐその場所は、案の定誰も居ない。キャンピングカーとバイクは遠慮なく広場に侵入し、半ば横滑りで急制動をかけた。
ここから早回しのような展開となる。
真赤はバイクを乗り捨て、よろめくマックスを支えてやりながらキャンピングカーに向かった。車のドアが開かれ、中からエーリエルとドラゴが飛び出して来る。互いに一切口をきかず、2人は駐輪場に準備しておいたバイクの元へ駆け、入れ違いに真赤が車に乗り込んだ。
「えっ、マックスか!?」
入ってきた2人を見て、アンナが後じさりする。
真赤が勢い良くドアを閉め、それを合図にキャンピングカーは猛スピードで再発進した。運転手はドラゴに代わってバーバラ・リンドン。
「来ているのね」
「ああ」
「申し訳ないけど、後で運転を代わって頂戴」
「車の免許を持ってねえけどな。スリル満点だぜ、ハンターライフは!」
短く会話を交わし、真赤はマックスをベッドに寝かせた。そして露骨に避けようとするアンナに、ドスを利かせて言い放つ。
「おい、アンナだっけな。こいつの面倒を見ろ。俺は迎撃の準備をする」
「私が?」
「てめえ、こいつも死に物狂いで戦ってんだ。最低限出来る事をやりやがれ」
下手に抗弁すると殺されかねないと察したか、アンナは戸惑いながらもマックスの傍らについた。マックスは充血しきった目を剥き、細かに唇を動かしながら、それでもアンナの手に自らの掌を重ねる。その手を握り返し、アンナが呟く。
「あんた、一体どうしちまったんだよ?」
その様を横目で見ながら、真赤はウィンドウ開けた。例の2人がついて来ていないかを確認する為だったのだが、意外な事に、その姿はすぐに見つかった。
何処かの建物の屋上に、彼らは居た。モートとステラ、それにエリニスまで居る。彼らの視線はしっかりとキャンピングカーに固定されているのが、遠目にも分かった。案の定、彼らは徒歩だ。ならばどうやって自分のバイクを追跡したのだ。その答えは、直後に分かった。
彼らの姿が不意に消える。そして次の瞬間、例の3人は車が突進する通りの歩道に居た。立ち止まった彼らとすれ違いざま、都合真赤は正面から彼らの表情を見る事になる。当惑しているエリニス。そして嘲笑うモートとステラ。
「バーバラのおばちゃんよう」
真赤の声音から、バーバラは全てを理解した。
「真赤君。早々とだけど、車の運転をお願いね」
<モンスター・4>
突如眼前に広がった煙幕を見ても、カースド・マペットは躊躇しなかった。そもそも躊躇という概念が、この肉人形には存在しない。
しかし猛スピードで突っ込んだ煙の中は、予想以上に広範囲だった。行けども行けども、周囲は白煙である。それはこの煙に呪的な措置が施されているからだ。思考しないマペットは、その判断を操縦者におもねている。よってマペットは煙幕の中で、しばらくの間堂々巡りをする羽目になった。
と、白煙の中に人影が見えた。
それに向けてマペットが襲い掛かったのは反射の為せる業だ。考えてから行動に移すという生物らしい思考の流れの一切がマペットには無い。だからこそ人型でありながら非生物である事の恐ろしさを、マペットは存分に発揮出来る。此度も人影が人間であったなら、脅威の腕力で五体をバラバラにしていただろう。その人影が人間であったなら。
頭蓋を粉砕すべく振り下ろした拳が盛大に空振った。マペットが大きく姿勢を崩したと同時に、脇から別の人影が斬り込んで来る。咄嗟に翻えようとしたが、無駄だった。左腕を切断され、マペットは盛大に、かつ得体の知れない悲鳴声を発してその場を離脱した。
「“テンペスト”。総銀仕上げに進化したバスタードソードよ。さすがにこれは痛いでしょ? お前がクズ肉の塊だとしても!」
腹の底から呼吸を発し、エーリエルはテンペストを肩に乗せた。そして転げ回るマペット目掛けて突進し、大きく振りかぶって真正面から斬撃を繰り出す。が、マペットも並みのこの世ならざる者ではない。バネのように跳ねて剣尖をかわし、トンボを切って己が左腕を取り上げた。して、切断面にそれを合わせる。ジュウという嫌な音と共に煙が燻り、その手は何事も無かったかのように付着した。
車の追撃を再開しようと背を向けたところで、二度目の煙幕が投げ込まれる。再び方向を見失い、その間隙を突かれてマペットは背中を袈裟斬りにされた。ばくりと開いた背中の傷口も瞬く間に閉じ、マペットが出鱈目に腕を振り回す。しかしその手も弾き飛ばされ、畳み込むような攻撃が続いて行く。たまらずマペットは、またも距離を置く羽目となった。
薄れ行く煙幕の中、互いをはっきり視認し合い、エーリエルは考える。
仲間から譲り受けた欺瞞煙幕は全て使い切った。眼前のマペットは、もう走り去る様子は無い。自分を始末してからでも、追撃は問題無いと判断したのだろう。マペットではなく、別の操縦者が。
こうして対峙すれば分かるのだが、カースド・マペットの回復力は案の定、尋常の沙汰ではない。斬っても斬っても、敵には根本的なダメージが通っていないのだ。隙を突いて上手い攻撃を仕掛けられたものの、その速さは正面から対するにはあまりにも厳しい。しかしエーリエルは、勝算の無い戦いを挑んだつもりはなかった。
マペットが立ち上がる。エーリエルが構える。
一瞬の後に跳ね飛んできたマペットは、しかし右足に突如発生した違和感に脚力を抑え込まれ、強制的に転ばされた。好機を逃さずエーリエルが一気に詰め、動かない右足目掛けてテンペストを叩き落とした。一刀両断。
のた打ち回るマペットを後目に、エーリエルが斬った足を蹴り飛ばす。舞い上がったその足を、脇から現れた大柄な人影がキャッチした。潜んでいたドラゴ・バノックスだ。
「鮫にでも食われてしまうがいいですぞ!」
叫びながら、ドラゴは渾身の力でマペットの足を投げ飛ばした。大きく弧を描き、足はその先にある海へと落下する。塩分を豊富に含んだ海水に投げ込めば、その力も落ちようと彼らは判断したのだ。
その間にもエーリエルは、マペットの全身を滅茶苦茶に切り刻んだ。汚らわしい返り血を浴びようともお構いなく、エーリエルは執拗にマペットの体の部位を寸断し、ほとんど肉の塊と化した時点で、ようやくその手を止めた。
「ドラゴ」
凄惨な目でドラゴを見遣り、エーリエルはマペットの頭をサッカーの要領でパスした。受けてドラゴは、ゴールキックで頭を海へと蹴り出す。そして残った肉塊は、ドラゴによって周囲に塩で円を描かれ、更に破った聖書で三角形を形成した。結界屋の貼る強力な陣が、これにてマペットを封じ込めた訳だ。
「さて、これで時間が稼げますな…、大丈夫ですか、エーリエル?」
「ええ」
エーリエルが目を閉じて頷いた。相手が人外とは言え、人の形をしたものをズタズタに破壊する行為に、若い彼女としては荒むものを感じたのだろう。ドラゴは彼女の肩にポンと手を置き、停めてあったハーレー・ダビッドソンに跨った。
「それでは行きましょう。敵はマペットではなく、それを操る者。これを見つけ出して参りますぞ」
「段取り通りに。わたしも別方向から行くわ」
行くぞボロハーレー!の掛け声と共に、ドラゴがバイクでその場を離れて行った。エーリエルも用意した自身のバイクに乗ろうとする。
その時、背筋に悪寒が走った。振り返る。桟橋に、人の首が乗っていた。マペットのものであるには間違いないのだが、その光景の奇妙さに、エーリエルの思考が僅かに止まった。首が口を弓なりに曲げ、今度は海から足が這い出て来る。足は器用に跳ねながら、刻まれた全身の元へ向かって行く。そして、勢いを付けて結界に衝突した。
目も眩む光が発し、それはすぐに収まった。結界は霧消し、塩の円も破れている。マペットは粘土状に体をのたくらせ、また人の形を形成し、信じがたい事に、首の肉を伸ばして桟橋の頭に絡みつかせた。まるでこれでは、日本のろくろ首だ。
首がするすると元に戻る間に、マペットは左腕を水平に挙げた。そして真横に、一直線に肉が伸びる。咄嗟、エーリエルは測身を守るようにテンペストを立てた。其処へカーブを描いて伸びてきた左の拳がしたたかに打ち付けられ、エーリエルの体が軽々と宙に浮く。地面に衝突。起き上がると同時に、エーリエルは血の泡を吐いた。内臓をやられたかと思ったが、口の中を盛大に切ってしまっただけらしい。それでも彼女の肉体は、たったの一撃で軋み声を上げ始めている。
正眼の構えで、エーリエルが回復を成し遂げたマペットと相対する。もう一度戦いは始めからだ。それでも彼女は挫けなかった。
「勝算の無い戦いを、挑んだつもりはない」
キャンピングカーが突如減速し、しかしすぐさま加速をつけて走り去った。そのおかしな挙動に気を取られ、モート達は追跡を中断して立ち止まった。距離を置いた真向かいに、黒人の老婆が立っている。老婆は丁寧に頭を下げ、ゆっくりとこちらに歩み寄って来た。武器の類は、何も手にしていない。
「バーバラ?」
エリニスの意外そうな声を聞き、モートとステラが顔を見合わせる。
「バーバラ・リンドンか。あんな小太りの老婦人がハンターとはな」
「第一級の反マーサと聞いていたのだけれど、あれが?」
小馬鹿にするような声はバーバラの耳にも届いていたが、彼女は気にする風でもなく、彼らの間近に立った。そして再び、恭しく一礼。
「モートさんとステラさんね? 初めまして、バーバラ・リンドンと申します。それからエリニス、ご無沙汰しているわ」
「バーバラ、アナタもお変わりなく」
「ま、挨拶はそんなものでいいでしょう。用件があって来たのだろう?」
「その通り。私はあなた達に、聞いて欲しい事があります」
「私達に聞く義理は無いわ」
「まあ、いいじゃないか。あの車には何時だって追いつける。それよりこの老人が何を言い出すのか、興味深いと思わないか?」
「モート、好奇心が旺盛過ぎるのではなくて?」
彼らの遣り取りがひと段落着くのを待って、バーバラは話を切り出した。
「まず、仮定の話から致しましょう。あなた達は、人の世界に降臨した天使ですね?」
「は?」
件の2人ではなく、エリニスが惚けたような声を発した。そしてモートの一言で、彼女の理解は度を越える事になる。
「如何にも、私達は天使だが、それがどうかしたかね?」
エリニスは絶句する。この世に生まれ、故あってハンターとなり、様々な怪異をこの目で見てきたが、天使なるものが実在するとは信じた事が無い。悪魔が居れば、必ず天使も居るのだと言われても。しかし今、エリニスは天使を間近にしてこの場に立っている。あまりにも驚異的だった。対してバーバラは、飽く迄敬意を払う様子で淡々と話し始める。
「あなた達も私も、同じく崇高なる方にお仕えする身。でしたら、あなた方にもお分かりになりますでしょう。神は善も悪も愛され、それ故にただこの世を見守っておられるという事を。その寛大な御心は、他者に対して意に染まぬ事々を強要なさりませんし、偉大な御子であられる天使の方々にも、そのようになって欲しくないと考えておられるはずです」
「だから?」
「マックスは、マーサに赴く事を拒否しています。それを尊重して戴きたく思います」
「それで?」
「この件から手を引いて戴けますよう、どうかお願い申し上げます」
「ふむ」
顎に掌を当て、モートは考えている風だった。しかしエリニスには、彼の考えている事に凡その検討がつく。とどのつまり、聞く耳は持たないと。モートがひどくがっかりした調子で曰く。
「つまりは天使の情に縋りたいと、そういう事なのかい?」
「はい、そうです」
「残念だ。残念だよ。もっと奇をてらってくるのかと思いきや。ステラ、君の思う通りにし給え」
モートに促され、ステラは「はっ」と笑い、言った。
「『私達の主』は、マックスとお会いになる事を望まれているのよ」
その途端、バーバラが勢い良く建物の壁に叩きつけられた。倒れ込む彼女の体を、今度は横転させて地面に捩じ伏せる。ステラは彼女に指一本触れていない。エリニスが堪らず声を上げた。
「やめて! 殺す事は無いでしょう!?」
「彼女は生きているわ。殺すつもりなら、事はもっと簡単なのにね」
ステラの言う通り、バーバラは血塗れになりながらも、必死に上体を起こそうとしていた。そして、掌で軽く地面を叩く。
そして『彼』が現れた。送り犬と呼ばれる霊体が。送り犬はバーバラの盾になるように、彼女の手前で低く身構え、唸り声を上げる。エリニスは他のマーサの会員のように、その姿を見て恐慌に陥りかけたが、モートとステラは違った。
「もしかして、それが切り札なのかい?」
「この老婆、意外に頭が悪かったわね」
飛び掛ってきた送り犬を見下し、ステラは顎を軽く揺すった。小さなボーダーコリーが、たったそれだけでバーバラ同様に吹き飛ばされる。よろめく送り犬とバーバラを見比べ、勝ち誇ったようにステラが言う。
「私達がこの犬に『1人では危なかった』と言ったのは、奇襲を受けた場合の話よ。お婆さんがしゃしゃり出て来た時点で、この犬が出るのは百も承知。本当、想像力の無さが残念だわ」
ステラは送り犬を指差した。最早バーバラは、眼中に無い。
<モンスター・5>
本来エーリエルとカースド・マペットの間には、埋め切れぬ圧倒的な身体能力差の壁が存在していたはずだ。しかし戦闘を再開したハンターとこの世ならざる者は、その格闘戦をほぼ互角に進めている。それはエーリエルによる工夫の賜物だった。
間合いを無視して殴ってきた両手をかいくぐり、エーリエルは体を一気に寄せて斬りかかった。それよりも早くマペットが後退するのは承知のうえだ。エーリエルは落ち着いて、「ソロモンの環」を小さく纏めてイメージし、マペットの足に「貼り付けた」。極小の封印がマペットの片足から自由を奪い、都合テンペストの一閃がマペットの頭部を再度切断するに至る。返す刀で両手を切り上げ、しかしエーリエルの息は其処で上がった。膝を付いて呼吸を荒げる間にも、マペットは肉体を菌糸のように伸ばして自己修復を開始する。ともかくも、エーリエルは小休止を取らざるを得なかった。
悪魔の類を封じるソロモンの環は、執行者の力量が進むと想像するだけで環を描けるようになる。それが地面であれ、壁面であれ。しかし戦う敵の体に描くというアイデアは、彼女独自のものだ。確かに効果範囲の部位は、行動力の源である邪念が封じられる。人間で言えば麻痺する訳だ。凝縮する事で結界としての威力が増す事も無ければ、効果時間は大幅に減ってしまう。しかし一度ずつではあるものの、小刻みに連続して繰り出せるのが美点だった。今後、この世ならざる者との腕力差を埋める、新しい戦法になる可能性がある。
(しかし、結局とどめが刺せないでは意味が無い)
またも元に戻ったカースド・マペットに相対し、呼吸を落ち着かせつつエーリエルが思う。疲れ知らずの敵に対し、こちらはガス欠し易い人間である。幾ら切り刻んだところで、この調子で戦っていれば最終的に自分は原型を留めぬまでに撲殺されるだろう。それはエーリエルも分かっている。分かっていながら敢えて戦い続けるのは、当然ながら理由があった。
戦いの趨勢を、とあるビルのレストルームから眺める者が居る。
その者は悪魔だった。カースド・マペットを主から授かり、アンナ・ハザウェイの略取を命じられた者だった。自身の力と強大なマペットを持ってすれば、たかが一般人を誘拐するなど楽な任務だと思えたが、実行してみれば何故マペットを付けられたのかがよく分かった。ハンターの抵抗が思いのほか厳しいのだ。
此度も人間風情が正面から抵抗を試み、しかも勝負は五分に纏められている。悪魔としては、自尊心を傷つけられる展開だった。しかしながら、これを始末しておけば後の仕事は楽になりそうだ。女は強力な術と剣を遣い、恐らく抵抗するハンターの中でも上位の存在だろう。しかし持久戦になれば女に勝ち目は無い。先で共に戦っていた大男は車を追って行ったらしいから、始末後に追跡を行なえば、さぞかし恐怖に怯える事であろう。倒したはずなのに、と。その様を想像し、悪魔はククと小さく笑った。
「面白いですかな?」
「ああ、面白いねえ」
言ってから、悪魔は驚いて振り返った。その腹に狙い澄ましたフックが叩き込まれる。銀で強化されたカイザーナックルが、霊的に、物理的に悪魔を痛めつける。
たったの一撃で、ドラゴは悪魔を沈めてしまった。彼はバイクで迂回しつつ、この悪魔の居場所を探っていたのだ。強化したEMF探知機は、マペットの肉体欠損が修復される都度、発生する電磁場異常を探知し、その方角を特定するに至る。エーリエルとの共同戦法は、これが最大の狙いであった。
当のエーリエルも、悪魔が昏倒すると同時に動作を停止したマペットの前で、ようやく尻餅をつく事が出来た。しかしドラゴの勝利を知って安堵するのも束の間の事だ。悪魔を祓わねば、またマペットは動き出す。
エーリエルは重い腰を上げて立ち上がった。が、思い直し、テンペストを横に一閃する。マペットの頭が笑顔のまま落下した。
その頭を再び海水に浸すべく、エーリエルは盛大に蹴り上げた。それにしても、事が解決した暁には、この肉の塊はどうなるのだろう?
<モンスター・6>
送り犬はステラの予想以上にしつこかった。彼女が用いる観念動力は、霊的な存在にも確実なダメージを与えるはずだ。何しろ邪なものを打ち砕く、天使としての理力を彼女は持っている。普通の悪霊であれば、例えば悪魔の類であったとしても、この力でとっくの昔に砕け散っていたであろう。
しかし送り犬は、吹き飛ばしても叩きつけても、フラフラになりながら何度も何度も立ち上がってきた。その様を見てカラカラと笑うモートが癪に障る。
「不思議ね。たかが犬なのに」
以前、女のハンターが言っていた、死体を焼却するしか手段が無いのかとも考えたが、その思いつきをステラは打ち消した。人間の流儀を真似するなど、天使としての自尊心が許さない。飽く迄自らの力で邪霊を抹殺すると心に決め、ステラは最大の理力をイメージした。手に輝きが篭る。その掌を送り犬に向ける。
送り犬がうずくまる体を起こし、その瞬間、光の奔流に飲み込まれる。ステラの放った一撃で、送り犬の姿はその場から消失した。
「随分時間がかかったな」
と、モート。
「物理的な肉体を得ると、時間の概念が鬱陶しいわ」
「それでは行こうか。まだ然程離れていない」
「直線距離で5kmくらいかしら。ゼロに等しいわね」
「…待って」
青ざめた顔でエリニスが呟く。
「気付かないの、送り犬は何処かに居る。だって、アタシの恐怖が、まだ引かないから!」
「何ですって?」
と、ステラは己が胸から真っ黒な棒のようなものが飛び出している事に気が付いた。それは背中から一直線に刺し貫き、元を辿ればバーバラの指から発せられていた。バーバラはステラを指差したまま、俯いた顔を少しずつ上げていった。
チリチリと、ステラの目、鼻、口から光が漏れ出した。既に彼女には分かっている。自分がこれから、死ぬのだと。天使である自分が。天使であるにも関わらず。
最初からこれが狙いだったのだ。あの老婆の狙いは。神や天使への敬意。情に訴える呼び掛け。叩き伏せられるか弱い人間。それら全てが、嘘だったのだ。この一撃を捩じ込む為の。油断を誘って隙を作り、送り犬を自らに憑依させ、つまり彼女の狙いとは、最初から天使を殺す事にあったのだ。たかが人間が、何と恐れ多い事を。しかしそれは違う。彼女は自分達を、最初から全く恐れていなかった。そして今、自分を見詰めるあの老婆の目は。
「モート…気をつけろ…本当に恐ろしいのは…」
膝からゆっくりと倒れ、白い光を一気に吐き出し、ステラはそのまま動かなくなった。そしてアスファルトに焼き付けられる、壮大な天使の翼。
バーバラがモートへと向き直る。モートが後ずさり、エリニスの肩を掴む。
「迂闊であった。あれは悪霊ではない。異教の強力な神が力を貸している」
モートとエリニスの姿が掻き消え、それを合図に、バーバラも繰り糸の切れた人形のように地に伏した。
<一旦落着>
マックスの荒い呼吸が突如収まった。愕然と目を剥いていた決死の表情も和らぎ、いきなりの変貌にアンナが目を丸くする。その旨を真赤に告げると、彼はキャンピングカーを路帯に停め、彼の様子を確認すべく後部スペースにやって来た。マックスの様子を確認し、安堵する。モート達の追跡が止まったのだ。どうやらバーバラが上手く立ち回ってくれたらしい。
「マペットとは…まだ決着がついていないのか?」
真赤が呟き、窓越しに外の景色を確認する。相変わらず通りは無人のままだ。実のところ、この時点でドラゴがマペットの操縦者を抑え込んでおり、件の戦いはチェックメイトを迎えていた。ただし、この異常状況を作り出した操縦者は祓われていない。この世界が元に戻るのは今しばらく先となるのだが、それは真赤も知る由が無かった。
『私は疲れました』
その声を聞き、真赤はゆっくりと振り返った。声を出したのは当のマックスなのだが、何かが違う。決定的に違う。マックスは目を閉じたまま、訥々と口を開いた。
『これ程までに拒絶されるとは。私との道行きを何故に拒むのです? 私の愛しいマックス』
「嫌なものは、嫌なんだ」
自分の台詞に、マックスは自分で答えた。この声は確かにマックスだ。
「自分が自分でなくなるなんて、絶対嫌だ。そりゃ死んだも同然だ」
『おかしな事を。お前の心は、お前の器の中で未来永劫私と共にあるのです。お前の心を乗っ取るつもりなどありません。だから安心して、我がたなごころの元においでなさい。きっとカロリナ達も、喜んでお前を愛するに違いないのですから』
「…もう、この人にこれ以上干渉するのはやめて下さい!」
今度はアンナだ。彼女も普段の雰囲気とは全く違う。
「この人に、今度こそ人としての幸せを。人が自らの足で道を切り開く、その様を見守る慈しみを」
『おお、アガーテ。無様な裏切り者。折角元の仲間に戻れたと思えば、余計なものに邪魔をされた哀れな娘。今ならば慈悲を与えましょう。お前も私の元にお帰りなさい』
「拒否致します」
「彼女に指一本触れるな」
その答えを聞き、マックスではないものは深く溜息をついた。
『いいでしょう。先程も言いましたが、私は疲れています。また目覚めの頃に話でもしましょう。しかし猶予は、あまり無いのです』
「待て」
そのまま去ろうとする『何か』に向けて、真赤は問い質した。
「てめえは一体、誰なんだ?」
『ハンターの若者ですか。その若さはとても心地いい。しかしその心地良さが、きっとマックスを戸惑わせたのでしょう』
言って、『何か』は微笑んだ。
『私は大敵から、お前達を護る者です』
「どういう意味だ!?」
沈黙。
そのままマックスは寝息を立て、アンナはと言えば彼の腹の上に突っ伏し、あろう事かいびきをかき始めた。真赤は盛大に脱力した。
「何だよ、全く」
言っていても始まらない。真赤は豪快に眠りこけている2人を放って、運転席に向かった。仲間達を拾わねばならないし、乗り捨てたバイクの面倒も見てやらねばならない。
それにしてもと、真赤は思う。自分達が相対しようとしている存在が、恐らくはその片鱗を、遂に見せ始めたらしい。
気付いた時には、悪魔は結界の中に居た。
ここは自身が見張りをしていたレストルームだ。ロープで縛られたうえ、転がされた床にはソロモンの環が描かれている。そしてその周囲に盛り塩と聖書の結界。どう考えても自分の階級では、ここから抜け出すのは不可能だと悪魔は理解した。そして向かいにはハンターが2人。疲れ果て、眠っているように目を閉じている少女と、やたら晴れがましい笑顔の大男という取り合わせ。共に片手には聖書を携えている。これから何が行なわれるかは自明の理だ。
「毎度お馴染みの悪魔祓いかよ」
「正解でありますぞ!」
ドラゴは胸を張り切って、朗々と福音の一節を唱えた。途端、悪魔がけたたましい悲鳴と共にのた打ち回る。それを10秒ほど続け、ドラゴはぴたりと詠唱を止めた。体の硬直が解け、大きく肩を上下させる悪魔。
「拷問して口を割らせようと言うのかい。俺は何もしゃべらんぞ。この下等な人間風情めが」
「困りましたな。便所で無様な格好をしている悪魔に言われても説得力皆無ですぞ!」
言って、ドラゴは銀のカイザーナックルを悪魔に押し当てた。今度は先程とは比較にならない絶叫。それは人間にとって、焼きごてを押し当てられたに等しい所行である。
「ふむ、痛そうですな。銀に触れると痛いというのは、さっぱり理解出来ないのですが。ともあれ、当方も鬼ではありません。悪魔から『痛い!』の連呼を聞くのが趣味という訳でもないのです。ただ、ほんの少し聞きたい事に答えて頂ければ、きっと私と貴方にとってハッピーであるには違いない。ささ、質問にお答えなさい。アンナを連れ去って、どうしようと思っていたのですか?」
「クスリをぶち込んで売春窟に叩き込もうとしていたのさ。おい、其処の女。お前だ、さっきから寝やがって。胸糞悪い」
悪魔の呼びかけに、エーリエルはゆっくりと目を開いた。そしてペットボトルの水を口に含む。
「お前が八つ裂きにしたマペットは、確かに悪霊の死体を掻き集めた代物だ。けどな、悪霊になったからって、その死体が悪人だったとは限らねえ。例えばあれには子供の肉も使われている。どんな惨い殺され方をしたのか、とくと教えてやろう」
それから悪魔は、マペットの素材になった子供の凄惨な死に際を、臨場感たっぷりに語り始めた。エーリエルは興味なさげに聞いていたが、おもむろにペットボトルの水を悪魔の頭からかけてやった。獣の断末魔のような悲鳴と共に、水蒸気が立ち上がる。
「おや? 面白い化学反応ね。聖水式を施した単なる水なのに、まるで硫酸のようだわ」
「では、この美味しい塩を振り掛けるとどうなるのでしょうな?」
今度は砕いた岩塩を、ドラゴがバラバラと落とす。悪魔が狂ったように暴れまわる。しかしソロモンの環の中では、どうしようもない。ハンターの中にも悪魔祓いに不慣れな者が居て、その心の間隙を突くというのは悪魔にとってのセオリーなのだが、この2人はプロフェッショナルだった。徹頭徹尾、自分を「喚き散らすゴミ」程度にしか思っていない。
「…気絶させて、ル・マーサとかいう集団の本部に放り出せと言われただけだ。他は何も知らん。本当だ」
「ほう?」
ドラゴはエーリエルと目線を合わせ、二度三度と頷いた。悪魔自身は気付いていないかもしれないが、彼は『悪魔とマーサに繋がりがある』という内容まで暴露してしまっているのだ。ただ、この下っ端は、その関わりの深い所までは知らされていないらしい。とすれば、彼にカースド・マペットを与えた者が、その線上に浮かんでくる。ドラゴはカイザーナックルを悪魔の顔の間近に寄せ、言った。
「カースド・マペットを作り、貴方に与えたのはどちら様でしょうか?」
「し、知ら」
言い終える前に銀の塊を押し当てる。絶叫。
「はいもう一度始めから」
「本当に」
また押し当てる。阿鼻叫喚。
「カスパール様だ! もう許してくれ!」
「カスパールとやらは、マーサのトップと関係しているのですかな?」
「其処までは知らん! 俺達は言われた事をやるだけだから、本当に知らないんだ!」
ふむ、と息つき、ドラゴは立ち上がった。恐らく、これ以上の情報は引き出せないだろう。しかしマーサと、カスパールという上級悪魔が繋がっているのは、最早明白である。その言質を取れただけでも、十分な成果があった。取り敢えず現状では抑えておくが、もしもこれが公になれば、全てのハンターがマーサを敵とみなす事になる。
そうとなれば、最早この悪魔に用は無い。ドラゴが最期の宣告を悪魔に下す。
「それでは、ふるさとにお帰り下さい。貴方の好きな、懐かしい肥溜めに」
一連の事件から4日後、サンフランシスコで直下型の強い地震が発生した。その揺れはかなり激しいものだったが、幸い人的被害は軽傷者が少数出た程度である。それでも幾つかの交通機関に甚大な影響が出たり、ライフラインが途絶した地域もあった。
ボランティア団体であるル・マーサは、正にこういう時こそが出番である。地震を機に彼らは、被災の大きい地域への炊き出し等を即座に始めた。しかしその一連の行動は、マーサに入って日が浅いエリニスにとって、実に奇妙な印象を与えるものだった。
「何故、こんなにもみんな嬉しそうなの? 確かに人死にが出なかったのは幸いだけど…」
はしゃぎ回るように炊き出しの準備をする仲間達を前にして、エリニスは率直な感想をカロリナに投げた。しかし一番心が沸き立っているように見受けられるのは、他ならぬカロリナであったのだが。
「それは私達の出番だからですよ!」
カロリナが心底嬉しそうに言い放つ。その言葉は確かにエリニスへと向けられているのだが、彼女の目は何か違うものを、馬鹿げた言い方をすれば見えないものを見ているような気配があった。
「私達が、やっとお役に立てる。これ程嬉しい事が他にありましょうか!」
まるで踊るようなステップを踏み、カロリナは自らも炊き出しの輪の中に入って行った。
(ステラが敗れたばかりだと言うのに?)
その違和感は、僅かに残ったハンターとしての危急のサインである。しかしエリニス自身も、この全体を包む異様な昂揚感に、少しずつ心を奪われ始めていた。
「…ああ、そうなんだ」
エリニスが呟く。
「これから沢山、お仕事が出来るんだわ」
<H4-3:終>
※本H4では、特殊リアクションが発行されます。
※エリニス・リリーの行動によって陣営がはっきりと分かれましたので、次回以降リアクションの形式が情報制限を前提とする特殊なものになります。
○登場PC
・エーリエル・”ブリトマート”・レベオン : ポイントゲッター
PL名 : けいすけ様
・エリニス・リリー : スカウター (ル・マーサ所属)
PL名 : 阿木様
・ドラゴ・バノックス : ガーディアン
PL名 : イトシン様
・真赤誓(ませき・せい) : ポイントゲッター
PL名 : ばど様
・バーバラ・リンドン : ガーディアン
PL名 : ともまつ様
ルシファ・ライジング H4-3【モンスター】