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<屈辱的>
ヴィルベート・ツィーメルンは土下座した。はらわた煮え繰り返りつつも土下座である。
ここはジェイズ・ゲストハウスの1階酒場。人の入りは疎らであったが、その僅かなハンター仲間から向けられる視線が痛い。床に額を擦り付け、頭上に揃えた指先が苛々のあまり細かく震えても、ヴィルベートはどうしても頼み込まねばならない相手が居た。
その相手とは、ゲストハウスの主、キューである。先程から10分近く押し問答を繰り返しているものの、キューは一向に応の返事を出さない。性格悪過ぎだろあんた。その一言をぐっと堪え、ヴィルベートはキューに申し出た。一体何度目なのかは、もう忘れた。
「お願いだから、あのアンチ・クライストの少年、仮名エイク君をゲストハウスに一時逗留させてあげて頂けませんでしょうか」
『えー。嫌だなー。嫌だなー』
ドツキ回すぞコラ。そう言いたい気持ちも堪えた。
「だから、$5000出すって言ってんでしょうが。$5000と言やあ大金だよ? 貧乏ハンターならば憤死しかねない額だ。これで一つ手を打ってくれないかい?」
『アンチ・クライストでしょう? つまり悪魔の血を引いている。吾は悪魔の臭いが嫌いでしてね』
「臭い?」
『非常に臭いのです』
遂にヴィルベートが切れた。憤然と立ち上がって怒号一発。
「何言ってんだ、シルヴィアの正体を見抜けなかった分際で! アンチ・クライストでも半分は人間なんだ。その残された人間の部分で歯ぁ食い縛ってんのがあの子なんだよ! 助けてやりたいって気持ちにゃならないのか、この冷血大家主!」
「ま、落ち着いて下さい、ヴィルベートさん」
と、顛末を眺めていた中華系の男がヴィルベートの肩を叩いた。あまり見知った顔ではないうえに、彼女は男の名前も知らない。男は居住まいを正し、軽く頭を下げた。
「実は僕も一家族を匿って貰った事がありましてね。未だ大金を払い続けています。確かにキュー殿はお金大好きの銭ゲバ神ですが、同時に情と道理も重視されるのですよ。何故自分は、彼を助けねばならないのか。その辺りをもう少し説明する必要があると思います。なあに、キュー殿は横紙破りも通して下さいますよ。何せノブレムではない吸血鬼も匿われたくらいですから。そうでしょう?」
『あれは、吾に頼み込んだ変態吸血鬼が、言葉通りに命を賭けてきたからです』
少々気分を害したようにキューが言う。
『正に魂の慟哭でした。吸血鬼と人間の狭間に在る者の。聞き届けない訳にはいきません。それにしても、相変わらず君は扱い辛い奴ですね』
「それはどうも。さ、ヴィルベートさん。その子を匿わねばならない理由をキュー殿に伝えて下さい」
「…私は諸共に救いたい」
ようやく気を落ち着け、ヴィルベートは促されるままに語った。
「エイクも、シルヴィアもね。エイクはまだ幼いが、アンチ・クライストとしての力を抑え込む精神力がある。加速する一方のシルヴィアに道を示せるかもしれないんだ。でも、エイクは悪魔共に目をつけられてしまったよ。彼を護らなきゃ、希望が見えなくなる。それに」
『それに?』
「まだ10歳だよ? あの子は、人としての悲しみと喜びを何にも経験しちゃいないじゃないか」
『ふむ。人として、ですか』
しばらくの間、キューは黙り込んだ。悪魔に対抗するというポリシーは頑強であるものの、キューなりにヴィルベートの考え方に思うところがあるらしい。そしてようやく、キューが意思を伝達してきた。
『いいでしょう。逗留を許可します』
「本当か!? ありがとう!」
『特別に$5000とやらも頂きません』
「え、いいのかい?」
『ええ。その代わり、条件があります。ヴィルベート・ツィーメルン。次回のアクトで何でもいいから「面白い駄洒落」を書いてきて下さい。書かなかった場合は、$5100を徴収します』
ヴィルベートがポカンと口を開ける。その後、彼女は烈火の如く罵詈雑言を叩き出した。あんた、私をネタに笑いたいだけだろと。
しかし規則破りの代償はかように大きなものである。これは決定事項なのだ。残念ながら。ヴィルベート・ツィーメルンさん。次回は面白い駄洒落を考えて下さい。楽しみにしています。
<マルセロ・ビアンキ>
専務室の扉がノックされる。本年度の受注状況に目を通していたマルセロ・ビアンキは面を上げ、納得ずくの顔で訪問者を迎え入れた。
「…私が人を評価する際のポイントの一つは、時間に正確か否かだ。約束通り19:00ジャスト。第一関門通過と言って置こう」
「ありがとう、とこちらも言って置く」
アルベリヒ・コルベは少々硬い面持ちで促されたソファに座り、バッグからウィスキーを取り出した。
「勤務時間外と解釈するが、宜しいか?」
「ああ、大丈夫だよ。そろそろ上がりにしたいと思っていたところだ。何とも気の利いた手土産だね」
それから2人はグラスを傾け、しばらくは他愛ない世間話で場を持たせた。しかし年相応に落ち着いたマルセロに対し、向かい合うアルベリヒは硬質な雰囲気を崩す気配が無い。アルベリヒにとって、マルセロは心親しく会話を楽しめる手合いではなかった。そろそろ本題を切り出そうと、アルベリヒが上体を前傾させる。
「ともあれ今一度、ありがとうと言わせて頂く」
「ふむ。何の事かね?」
「シルヴィア・ガレッサ社長の事だ。彼女の暴走を言い当て、俺に正確な位置を指示してくれた。おかげでその後の悪魔の襲撃にも間に合う事が出来た。今、俺は極めて非現実的な話をしているように見えるかもしれない。内容を理解出来るか?」
「君は極めて現実的な話をしている。と、私は解釈するね」
事も無げに、マルセロ曰く。
「黒猫の姿から自在に戻れるようになったのだな。しかしシルヴィアではなく、例の少年が施した処置らしいね」
アルベリヒは深く息を吐いた。予め分かっていた事だが、マルセロはシルヴィア同様に尋常の存在ではない。アルベリヒはさり気なくEMF探知機のスイッチを入れた。反応皆無。電磁場異常を自らコントロール出来る、上位階級の「この世ならざる者」だ。アルベリヒはハンターとして、至極真っ当な問いを投げた。
「専務、あなたは何者なんだ?」
「それに答える前に、君の考えを聞いてみたい。この一連の奇妙な出来事に対して、君はそれなりの想定を立てているのだろう」
「何故、そんな事を」
「君という男が、ようやく私に肉迫してくれたからさ。君、アルベリヒ君、事象には必ず根拠がある。失礼ながら君達は、その根拠に至る筋道を追う姿勢が些か浅かった。つまり事象の深遠に全く近づいていなかったんだよ。シルヴィアがあまりにも奇矯に過ぎて、その対処で精一杯であった点には同情しよう。しかし君、状況は最早チョコレートのように甘くないと心得給え。既に君達は巻き込まれているんだ。この街に起ころうとしている巨大な変革の嵐に。君達ハンターが、事態を何処まで理解しているか、まずは其処からお聞かせ願えるかな?」
マルセロの目に異様な力を伴う光をアルベリヒは見たような気がした。ただ、たじろぎはしない。自分はハンターであるからだ。アルベリヒは慎重に言葉を選択し、自らの考えるところをマルセロに語った。
「事の発端は、先代社長のエンリク・ガレッサと、インドから来た花嫁のヴァイラが婚姻したところから始まっている。生まれたシルヴィアは、只の赤子ではなかった。アンチ・クライストだ。キリスト教的教義が悪魔と看做した、恐らくはインドの神の血を引く者。アンチ・クライストとしてはかなり異質な存在だ。…エンリクとヴァイラが出会ったのは、偶然ではないのだろう。その手引きを行なったのは他でもない。ビアンキ専務、あなただ」
「その通りだよ」
「シルヴィアを『破壊者』にする為か」
「ああ。創造と調和。そして秩序の破壊。これらの均衡こそが世界を維持するうえで重要な三原則なのだよ。三者何れかが突出しては駄目だ。さもなくば大破壊を招いてしまうからね。そういう制御された世界を御主は目指された、という訳だ」
「御主?」
「その名は敢えて言うまい。その程度は既に察しがついているだろうからね」
「御主の意思は、シルヴィアを破壊者たらんとする者の意思は、一体彼女に何をさせようと言うんだ?」
「戦いだ。この街は早晩、君達言うところのこの世ならざる者が跋扈する事となろう。無辜の民に甚大な被害が及ぶ。その時、決起する一握の希望が彼女だ。多分君達を引き連れてね。彼女を軸として、終わりなき戦いが始まるんだ。しかし戦いには、絶望と同時に希望がある。絶望と希望を繰り返して、この街は永劫に存続するのだよ」
「人間の味方に立つ、という訳か」
「いいや。彼女の本性の一端を君達は見ているはずだ。彼女は秩序の破壊者であって、人間の味方ではない。自分の意に沿わねばあっさりと排除してくるだろう。それだけの力が彼女にはある」
「あなたが仕組んだ事だ」
「御主の御意思のままに」
「だが、シルヴィアにはもう一つの選択肢がある」
アルベリヒは憤然と立ち上がり、マルセロを見下ろした。言葉にし難い、激しい憤りを覚えながら。
「人間としての意思を維持し、力を律し、良いように彼女を利用しようとする存在に対して、俺達と力を合わせて戦いを挑む。生きる事と死ぬ事を、好きに管理されてたまるか」
「成る程」
マルセロは、何処か感慨深い目でアルベリヒを見上げた。懐かしいものを見るかのように。そしてマルセロは、アルベリヒが予想しなかった台詞を口にした。
「良かろう。足掻き給え」
「何だと?」
「御主の描かれた筋書きを打破するのも、また人の選択として尊重しなければならないな。あの方はお認めにはならないだろうがね。人よ、何が正しく、或いは間違っているのか、よくよく考えて行動するといい。止めはしない。シルヴィアと、君達の行く道をね。あの少年への干渉も、取り敢えず私の方からは止めにしておくよ。しかし君、気を付け給え。カスパール一党は実に躍動的だ」
アルベリヒは、多少混乱した。果たしてマルセロを敵と断じる事が出来るか否かを見定める腹であったのだが、彼のスタンスはここに至っても非常に曖昧だった。御主の意思に沿って動きつつ、その意に反する行動をマルセロはアルベリヒに促してきた。
しかしながら、アルベリヒはこの場を辞する事にした。マルセロが好きにしろと言うならば、その通りにさせてもらう。最後にアルベリヒは、マルセロの真名を聞いた。
「バルタザール」
あっさりとマルセロは言った。
「矢張りか」
「御主の心を愛する者だ。しかし、人と長く暮らし過ぎたらしい」
マルセロは、些か寂しげに笑った。
<月月火水木金金>
『状況は最早チョコレートのように甘くない』
数日前にマルセロことバルタザールが告げた一言は、アルベリヒの脳裏に今も居座り続けている。これまでの経緯を書き留めておいたメモ帳を閉じ、アルベリヒは薄いコーヒーを一口含んだ。
こうして定時業務が終わったガレッサBldの応接室で腰を落ち着けていれば、この奇妙な現状を嫌が応でも思い知らされる。日常が継続しているのだ。マルセロが自らの正体を容易く語った今となっても。彼は別室で通常業務を続け、ハンター達の行動に何ら干渉をしてこない。前回の交戦以降、悪魔が仕掛けてくる気配もない。
しかしマルセロが言うように、事態は確実に進行の途上にある。加速するシルヴィアのアンチ・クライスト化の大元にマルセロが居り、つまり何れは彼を打倒せねばならない。そのような決着の付け方をアルベリヒは想定していたのだが、マルセロとの対話はその判断を曖昧にさせるものだった。
(何だ? もしかすると俺達は、彼に試されているのか?)
アルベリヒには、そのようにしか思えなかった。カスパール、メルキオール、バルタザール。東方三博士の別称で知られる天使ないしは元天使達は、各々が異なる立場を表明している。御主、サマエルに絶対の忠誠を誓うカスパール。サマエルの封印を維持する敵対者、メルキオール。しかしバルタザールはどうだろう。サマエルを御主と仰ぎながら、カスパール程の忠義を抱いている訳ではないらしい。彼は観察しているのだ。シルヴィアと、彼女に纏わる人々が、どのような決を下そうとしているのかを。
ともあれ今はシルヴィアだ。彼女を人の領域に踏み止まらせる事が出来るか、否か。アルベリヒは息つき、応接室に集う仲間達の様を眺めた。彼らはシルヴィア言うところの『特訓』に付き合っている。相も変らぬ方向性見当違いの特訓であったが、この陽性ベクトルが良い結果をもたらす事があるのかもしれないと、アルベリヒは思うほか無かった。
「ぐぇはあ」
と息つき、シルヴィアは2本のリモコンを握り締めたまま膝をついた。何をしているのかと言えば、いい加減ネタがしつこいWiiスポーツリゾートだ。卓球だ。それも2人用モードを1人で遊んでいる。何ゆえアンチ・クライストの異能発動を律する訓練がWiiスポーツリゾート・卓球・2人用モードなのか。シルヴィアの言い分はこうだった。
『つまりあれよ。私はよく分かんないんだけど、もう一つの人格が露出するのが問題なのよね? 私の中のもう1人の私。サスペンスで使い古された展開ではあるけれどさ。で、私は思ったワケ。炎の転校生って言う漫画が昔あったんだけどね、その中で出て来るのよ。秘技・一人卓球ってのが。吹きすさぶ向かい風に立ち向かい、ラケットでピンポン玉を打つ。したらば当然玉は風に押し戻される。その玉をまた打ち返す。そうしてカンコンカンコンカンコンカンコンカンコンカンコンカンコンカンコン延々繰り返して、主人公「うおおおおっ!?」って驚く。何でか驚く。でも1人で卓球というのは斬新だと思うのよ。スカッシュみたいなスカした室内球技じゃなくて、卓球ってとこがまたいいじゃない。夢と希望があるわ。私、それがどうしても脳裏に引っ掛かっていたのね。だから思いついたのよ。Wiiスポーツリゾート・卓球・2人用モードを1人で遊ぶってアイデアを! 玉を打つのは私。そして打ち返すのも私。更に打ち返すのが私。スマッシュを決めるのも私。回転レシーヴを格好良く決めるのは誰? それは紛れも無く私! 究極の私循環エネルギー! 間違いないわ。間違いなくもう1人の私とやらも、その無限循環に参加せざるを得ないはずよ。聞いた話だとアレね、その子も随分性格が捩くれているって言うじゃない? 私みたいな素直系女とは正反対の。だったら卓球よ、卓球。玉のどつき合いに耽溺して、いい汗流せばしめたものよ。自分の思考一発で世界がどうこうなるとか、そんな男子中学生みたいな妄想をする歳でもあるまいし。27歳にもなって。その点で考えれば、シンジ君は卓球をやるべきだったわね(以下略)』
つまりはそういう事だ。しかしシルヴィアの自称特訓は頓挫した。お持ちの方は実際にやってみるといい。展開の速さと操作の難しさで根を上げる事請け合いである(実体験)。
「その調子です、シルヴィアさん!」
エルダ・リンデンバウムがガッツポーズを作り、床にへばり付いたシルヴィアを支えつつ、その肩をバシバシと叩いた。
「駄目だわ、私、駄目だわ。所詮私は、Wiiスポーツリゾート・卓球・2人用モードを1人で出来ない女なのよ!」
「渇ッ! こうして一見無駄な努力を重ねているように見えても、取り敢えず『私は努力した』という達成感こそが重要なんだと、私思うんです。結構結構、無駄無駄結構。ここで問題。無駄の中にこそ宝があると言った有名人は誰でしょう?」
「勝新太郎!」
「正解!」
「私、無駄な努力を積み重ねれば、勝新太郎になれるかな!?」
「なれますよ、シルヴィアさんならば! でも、取り敢えず私としましては、シルヴィアさんには魔法少女になって頂ければと、かように考えている次第です」
言い切って、エルダはWiiの電源を引っこ抜き、モニタにDVDプレイヤーをいそいそと設置した。
以上のやり取りを、数歩後ろからヴィルベートと仮称エイクはぼんやりと眺めている。付け入る隙の無い、シルヴィアとエルダの作り上げる面白世界を。ヴィルベートは何となく心配になり、頭二つ下のエイクの顔を見る。案の定、何とも言えない目をしていた。そして当然のように曰く。
「ヴィルベートさん、ジェイズに帰ってもいい?」
「もうちょっと待ってておくれ、お願いだから。物事には順番ってものがあるのだから。こうして様々な形で彼女に接するのは、決して悪い事じゃないとは思うんだ」
「どういう事?」
「ほら、誰かに気にして貰うってのは、とても幸せな事じゃない。人間は社会性の高い生き物だから、どうしたって他者との関わりを求めてしまう。その繋がりが無くなった時、多分人格って奴は崩壊を始める」
「それは分かるかもしれない」
言って、エイクは肩を竦めた。
「僕も単に生きていくだけなら、この異様な力で飢える事もない。でも、そんな生活を半年も続けるのは辛いよ。…ここに留まったのは不本意な結果ではあるけれど、良かったのかなとも思っているから」
ヴィルベートはエイクの頭に手を乗せた。しかし何となくいい話に持って行った展開が、マハリクマハリタのオープニングによって脆くも崩壊する無常感を覚えた。モニタに映し出されているのは魔法使いサリーである。サリー、サリー、サリーちゃんである。
今更ながら、ここで申し上げておかねばなりません。小生、魔法少女ものの番組で知っているのは、実は魔法使いサリーのみであります。後、奥様は魔女。あれは少女じゃありませんが。
「いや、魔女の宅急便は知っているでしょ、魔女宅」
「ジブリ再放送枠の常連ですからね。と、このように日本人は魔法少女と縁の深い民族性を持っておりましてですね、その歴史は凡そ40年以上。サリーちゃん放映開始から脈々と継がれた魔法少女の系譜は、現在も日曜の朝8:30へと繋がっている訳です」
「ところで素朴な疑問だけれど、エルダちゃん、何処の国の人?」
「ドイツ人です。それはさて置き、こうして魔法使いサリー、最終回第109話を一緒に見ているのは、人の心が何を求めているのかを知って頂きたい為なのです。一口に魔法少女と言っても山のように居らっしゃるのですが、一見何の変哲もない少女が奇跡的な力を起こすという点で概ね統一されています。ただ、この奇跡そのものは、実は然程重要なのではありません。一番大事なのは、その奇跡を何の為に起こすのか、なのだと私は思うのです。魔法少女と言っても聖人君子ではありませんから、結構間違ったりすればドジったりもします。でも、彼女達は正しい事や人の為になる事を彼女なりに考えて、一生懸命じゃないですか。例えば只今再生中の最終回。
『サリー、魔法ノ国ノ社交界デビュー決定。直チニ国ヘ帰レ』
『ええっ!? 私、まだ人間の世界の友達と離れたくありません! そもそも社交界デビューって何? マイムマイムとか踊るの?』
サリー、国王こと親父に直談判開始。結果、期末テストの結果で学年トップを叩き出したら、小学校卒業まで待ってやるよ。
『やるわ、私、頑張る。当面最大のライバル、ケン君にも正々堂々勝ってみせる。だから空気読んで、下手な妨害工作とかやるんじゃねえぞ、この下僕共(こんな事は言いません)』
結果。
『負けたああああ』
かくしてサリー、泣く泣く社交界デビュー決定。友達のよし子ちゃんに自身の正体をバラすも、何かそれっぽい手品かと思われる始末。そうこうする内に魔法国帰還の日、満月の夜がやって来た。そんな悲しいお別れの日に、よりにもよって小学校が火事だ!
『雨雨降れ降れ、ドンドコドンドコドンドコドン(そんな事は言いません)』
サリー、魔法で火事を消し止め、ここに至ってようやく魔法使いである事が白日の下に。涙と笑顔でみんなとさようなら、魔法使いサリー。
…と、このような結末を迎えるのですが、私は心打つ奇跡というものがあるならば、とてもいいんじゃないかと思います。人の持つ明るさと希望。魔法少女はそれを体現した存在であって、なればこそ人は魔法少女の姿を追い求めるのでしょう。でなければ40年以上も続くコンテンツにはなりません。もう1人のシルヴィアさんは、人間の心が本能として恐怖と闇を求めていると言っておられましたが、一方でそれと同じくらい、ないしはそれ以上に希望と光を求めていると私は信じています。シルヴィアさんには、そして私自身も、心に光を灯す存在であって欲しいのです」
しゃべるしゃべるエルダがしゃべる。文字数で言えば口先マシンガンのシルヴィアよりもしゃべっている。
エルダはシルヴィアが抱えるもう一つの酷薄な人格を否定するつもりはない。それも含めて、シルヴィアという1人の人間であるからだ。ただ、エルダはシルヴィアの性根が良きものであると、彼女自身に改めて認識して貰いたいと考えている。魔法少女という象徴的な話を題材にして、人の心を忘れないで欲しいと。その思いが通じているのかいないのか、シルヴィアは顎に指を当てて考え込む素振りをみせた。
「それはつまり」
シルヴィア曰く。
「私に魔法少女の心を持って、という事?」
「そう、その通りです!」
「少女と言うには年齢のトウが立ち過ぎているけど、それでもいいの?」
「魔法少女も魔法女も、立ち位置は大体同じようなものですから」
「分かったわ、エルダちゃん。私、頑張って魔法女を目指してみる。取り敢えず、雨雨降れ降れ!」
シルヴィアが人差し指を天井に向けた途端、応接室に豪雨がざんざと降り注いだ。エルダにアルベリヒ、ヴィルベートとエイクがシルヴィア諸共ずぶ濡れになる。しかしエルダは負けるつもりはなかった。たとえ彼女と自分の間に、圧倒的な馬鹿の壁が聳え立つのだとしても。
と、ここで扉がドガバターン!とけたたましく開かれた。何だ何だと視線が集中する先に、一張羅に花束を抱えたルカ・スカリエッティが『うおっ、何故雨!?』と動揺しつつも仁王立ちで其処に居た。
しかしながら、普段と違って冷静を欠いているルカは、たとえ『部屋の中がどしゃ降り』でも躊躇はしない。シルヴィアの姿を認め、降りしきる雨の中をものともせず、ズカズカと歩み寄る。花束を手渡し、彼女の手を取って、深呼吸してからこう言った。
「結婚して下さい!」
言ってから、ルカは頭を抱えた。
「しまったあああ。順番逆だったあああ」
先の一言で、この場は完全に異世界と化した。登場人物達の時間が停止したのだ。ヴィルベートとエイクは呆気に取られ、エルダとアルベリヒにしても表現を言葉にし難い面持ちでルカを見詰めている。肝心のシルヴィアはと言えば、真顔でルカと向き合っていた。恐らく彼女の思考は凄まじい勢いで回転し、言葉の咀嚼に努めている事だろう。尤も、その回転速度は増す一方であったのだが。
とどのつまり、ガレッサBld応接室を正常空間に戻せるのはルカを置いて他に居ないのだが、当の彼も二の足を踏めずに当惑しきっていた。それはそうだろう。H3におけるクールなキャラクタとして積み上げてきた諸々が、彼による意を決した行動一発でガンラガラガラと崩壊した挙句、瞬く間に熱血的なものへと形成されてしまったのだ。当の本人が狼狽するのは勿論、私自身もどうリアクションを書けばいいのか分かりません。
それでも時間は過ぎて行く。リアクションを書かねばならぬ。そういう訳で、何故ルカがかようなコペルニクス転回を実行したか、先ずはその心情を追ってみよう。失礼な事を言ってすみません。しかし当方、本当にこういうのは苦手なんですよ。
シルヴィアの人格形成にマルセロ・ビアンキが大きく関与している事は、ハンター内でも周知の事実である。それによって本来の彼女に、アンチ・クライストに合致するもう一つの人格が形成されてしまった。これはアンチ・クライストとして力の全てを開放する為であり、アンチ・クライスト化による精神崩壊を防ぐ為の処置でもある。
ただ、凡そ血が通っているとは思えないその人格は、彼女が生まれ持っていた人としての精神にも大きく影響を及ぼす結果となる。つまり出鱈目で場当たり的で、人の話をあまりきちんと聞かない性向は、彼女なりの自己防衛策として彼女自身が育て上げたと見るのが妥当である。もう一つの人格に呑まれてしまわぬように。シルヴィアは基本的に気立てが良く、社交的な人間だが、その一方で人の心を深く理解しようとしない。敢えて避けてきた、という言い方も当てはまる。先にジョーンズ博士が『人間から大きく乖離している』と言ったのは、この点を踏まえての事だった。
多分、ろくすっぽ恋愛というものをした事が無いのではないでしょうか。
ルカはかように推測した。
ビンゴ。その通り。実はシルヴィアは、この年にもなって恋愛経験が一切無い。何しろ美貌だけは一丁前であるから、言い寄る男は数知れずであったものの、ド変人とも言える性格が尽く彼らを退けて来た。アンチ・クライストの力を知らずに行使し、彼女への好意を除去するという事もあった。
それでは駄目だろうとルカは考えた。全然駄目だと。以前、自分の事をどう思っているかと聞いてみたところ、返ってきたのは『今日も何処かでデビルマン』。不細工にも程がある。
恋愛には感情の抑制を伴う。との持論をルカは持っている。互いを深く知り合えば、今迄見えてこなかった良し悪しを直視する事になり、つまり我慢が必要になる。それは他人との関わり合い全般にも言える事だ。シルヴィアには、決定的に我慢が足りない。
其処でルカは賭けに出た。彼女との恋愛関係を築き上げれば、ブレ幅の大きいシルヴィアの性格が忍耐を覚え、もう一つの彼女に負けないだけの力を持てるのではないかと。尤も、その賭けはアンチ・クライスト対策の為だけではない。彼自身の彼女への好意が大きな原動力になっている。スカリエッティはガレッサに古くから仕える家柄であり、ルカはシルヴィアと成長を共にした。シルヴィア・ガレッサに人生を捧げてきたと言っても過言ではない。それは、家として忠誠を尽くすのみが為ではないのだ。
取り敢えず、仕切り直しである。ルカは落ち着き払い、周囲のハンター達に目配せをした。すみませんが、空気読んで下さいよ、と。アイコンタクトは滞りなく通じ、一同が興味津々の顔を向けつつ応接室を辞して行く。改めてルカは、シルヴィアと一対一で向き合った。
「まあ、何て言うか、いきなりで申し訳ありません」
照れながら頭を掻き、ルカが言う。
「でも、偽りの無い本心です。貴女にとって私は古い付き合いのお兄さんみたいなものかもしれませんが、私にとっては昔から、貴女は心を寄せる異性だったのですよ。簡潔に言います。私と、付合って下さい」
ルカらしい装飾を排した言い方で、彼は率直に言葉を述べた。
対してリアクションを返さねばならないシルヴィアは、未だ目を丸くしたままだった。その表情には驚き以外のものが無く、微妙な感情表現が揺り起こされる気配が無い。さすがにルカも焦りを覚えた。自らの言葉が彼女の心中に、一体どのような波風を立てたのだろうと。
そしてシルヴィアは、ようやく目を細めた。続けて彼女は口にする。ルカは勿論、誰もが予想出来ないだろう言葉を。
「初めまして、ルカ・スカリエッティ」
シルヴィアは、少し余裕を含んだ笑みを見せた。ルカは一歩後ろに下がった。
「何ですって?」
「私は、そう、言うなれば『仲裁役』とでも形容すべきものかしら」
と、扉が無遠慮に開かれた。先頭に立って入って来たのは、もう1人のアンチ・クライスト、エイクである。エイクはルカと並び立ち、ヴィルベートとシルヴィアを交互に見比べた。ヴィルベートがエイクに問う。
「結果が出た、という事かい?」
対してエイクが答える。
「予想外の形だけどね」
ヴィルベートはエイクに、アンチ・クライストとしての感情抑制方法の指南を依頼していた。ヴィルベートが彼をジェイズに匿ったのは、それを実行する為でもある。
エイクが異能の露出を抑え込めているのは、多種多様な欲求を抑制出来ているからだ。人と動物の決定的な差異を鑑みれば、ゆとりの有無も一つにある。生きて、食べて、寝るという原初的欲求をクリアした人間は、生きるだけならば不必要なゆとりを生活の中に求めるようになった。利便を追求し、娯楽を望み、心の潤いを求める。
ゆとりは人間の進化に無くてはならないものだが、度を越えれば様々な支障を来たす事になる。だからエイクがシルヴィアに施したのは、ほどほどというラインを理解してもらう思考方法の確立だった。
『とは言え、正面から言っても理解が難しいだろうね、彼女には』
手始めの頃、ジェイズの自室に招いたエイクが言っていた事を、ヴィルベートは思い返した。
『だから彼女の無意識下で干渉を行なってみようと思う』
『そりゃつまり、寝ている間に働きかけるって訳か。なるほどね』
『ヴィルベートさんが言う通り、アンチ・クライストの力を操る人格を否定するのは危険さ。それらも含めて彼女の自我なんだから。まずは穏便な方向を模索しないと』
『抑制されたシルヴィアがアンチ・クライストの力を制御し、次いでもう一つの人格の露出も抑え込む。難儀だね』
『難儀だよ。でも、多分やってみる価値はあるよ』
そうしてエイクは、就寝中のシルヴィアに精神的な干渉を開始した。それは同じアンチ・クライストである、エイクにしか出来ない仕事だ。
凡そ干渉は一方的なもので、彼女と意思のキャッチボールは成立しないとエイクは苦笑していた。しかし、確実に何らかの変容はあるとも彼は言う。表面的には相変わらずのシルヴィアであったが、今この時点で成果が表出した、という事か。ヴィルベートは息を呑み、状況の推移を見守った。
「きっかけは、ルカさんだよ」
エイクはルカの背中を軽く叩く。ルカが分からない顔になり、エイクに問う。
「どういう意味です?」
「彼女は僕の言い続けてきた事を、彼女なりに理解していたみたいだ。ただ、それは無意識下に沈んでしまっていて、今まで表に出る事は無かったんだ。だけどルカさんの一言は、シルヴィアさんに大きな動揺を与えたんだろうね。だから判断が下し難い彼女に代わって、判断を下せる僕の『干渉結果』が表に出て来た」
「…まさか、今目の前に居るのは、第三のシルヴィアなのですか?」
「御名答」
エイクに代わり、『シルヴィア』が答えた。
「分かり辛いので、こう区分しましょう。本来のシルヴィア、専務によって作られた方はシルヴィア2。そしてこの私がシルヴィア3。私には双方の暴走をある程度制御する力があるわ」
「仲裁役というのは、そういう事ですか」
未だ急転直下の状況に混乱しながらも、ルカはシルヴィア3の言い様をある程度理解出来た。つまりシルヴィアは、遂にアンチ・クライストとしての自らを律する手段を得たという事だ。しかしながら、後ろに控えるヴィルベートが首を傾げる。彼女の言葉に、気になるフレーズがあったからだ。
「ねえ、『ある程度』というのはどういう意味なんだい?」
「言葉通りよ。限界がある、という意味。精神の触れ幅が大きいと、シルヴィア3は容易く引っ込められてしまう。後はシルヴィアとシルヴィア2の陣取り合戦が始まるでしょう。今のところは、ひたすらうろたえているシルヴィアに引っ込んで頂いているけれど」
「…社長は、シルヴィアは」
当惑しつつ、ルカは聞いた。
「どう返事するつもりなのでしょう。私の事を」
「分からない、としか言えないわね。今のところは」
シルヴィア3は悪戯めいた笑みを見せつつ、ルカの肩をポンと叩いた。
「彼女はああいう性格だけど、それなりに社会人としての礼節や知識を知っているわ。でも恋愛事に関しては、はっきり言ってエレメンタリー以下だと断じる。まあ、急がない事ね。『好きです』『私もです』っていうストレートな展開も無い事は無いでしょうけど、彼女の場合は改めてルカの真意を聞いて、自分也に解釈を出そうと必死な訳。なかなか可愛いところがあると思わない? だからもう少し構えているといいわ」
言って、シルヴィア3はエルダに真面目な顔を向けた。
「ありがとう、エルダ」
「え? 何で? 何がです?」
いきなり頭を下げられ、エルダは慌てた。面を上げたシルヴィア3が、肩を竦めてみせる。
「あなたは彼女に道を示したわ。自分自身にどうやって向き合うのか。今は3つの人格が彼女の中でせめぎ合っているけれど、あなたのおかげでシルヴィアが2と3を全て呑み込むという選択肢の芽が見えてきた。もしもそうなれば、彼女は最後の力を手にするでしょう」
「最後の力、ですか?」
「アンチ・クライストの最大の力。アンチ・クライストの異能を抹消する能力よ」
思わず一同は顔を見合わせた。シルヴィア3が嘘を言っているようには見えない。一連の事件に関わってきた根本の要因を、シルヴィア自身が除去出来ると言ったのだ。一様に顔と顔が希望に満ちる中、一番勢い込んだのはアンチ・クライストのエイクであった。
「その力ならば、僕の異能も消す事が出来るの?」
「ええ、出来るでしょうね。既に知っている人もいると思うけど、シルヴィアはアンチ・クライストとしては異端の存在なのよ。その名を冠しながら、実はキリスト教的教義の範疇からは外れている。彼女はあなたと、自分自身の異能を上回るだけの力を備えているわ」
エイクは輝かしい笑みでもってヴィルベートを顧みた。エイクがそのような顔を見せた記憶はヴィルベートには無い。
シルヴィア3はポンと手を打ち、「それでは」と言った。
「あの恥ずかしがり屋さんが出て来るまで、今しばらく待ちましょう。そうしたらルカ、考えていた通りデートにでも誘ってみなさいな。取り敢えずシニアスクール的なお付き合いから始めてみるのもいいと思うのよ。でも」
突然、部屋の気温が下がるような感触を一同は覚えた。和やかな笑みを湛えていたシルヴィアの表情が一変している。虚ろに、酷薄に、彼女が言う。
『状況が変わったわ』
その言葉を残し、シルヴィアは彼らの目の前から姿を消した。
<転回>
まるで編集が壊滅的なセンスのホラー映画を見るかのようだった。今迄目の前に居たシルヴィアは、部屋の風景から彼女というパーツだけを刈り取ったように消え去ってしまった。
光が差す方向へ進み出したと思われた状況は、当のシルヴィアが居なくなるという突発の事態を受け、暗転に陥る事となる。その場の誰もが二の句を繋げない。現状を把握する事が出来ない。それでも止まった時計の針を動かしたのは、アルベリヒ・コルベである。
「…マルセロ・ビアンキ、貴様なのか!?」
反射的に銃を抜き、まだ社内に居るはずのマルセロを詰問すべく、アルベリヒが室外へと向かう。しかし目的の当人は、自ら扉を開いて硬い表情を皆に見せた。
「何が起こったのかね?」
「何だと?」
「何が起こったのか私にも分からない。それがどういう意味を持つか、君ならば分かるはずだ」
アルベリヒは当惑した顔で仲間達を顧みた。シルヴィア・ガレッサをアンチ・クライストに育て上げたマルセロすら、把握出来ない事態が発生した、という事だ。天使バルタザールの別名を持つ彼の思惑を、上回れる存在がこの街にあるとすれば、対象は確実に限られてくる。アルベリヒとヴィルベートの顔から血の気が失せた。
「まさか」
と、携帯電話の着信音が鳴り響く。マルセロのものだ。皆を押し留めるように片手を挙げ、マルセロが電話に出る。程なくして彼は、音量を上げたスピーカーをハンター達に向けた。
『ごきげんよう、破壊者に関わる皆々方』
その声は疲労の色が濃い。聞いた事の無い男の声だ。マルセロが鼻を鳴らし、しかめ面のまま通話相手の名を言った。
「諸君、これがカスパールだ。出来損ないの悪魔であり、君達にとって不倶戴天の敵でもある」
「カスパールだって!?」
ヴィルベートが声を裏返らせた。その名をフリスコのハンター達の間で知らぬ者は居ない、と言っていいだろう。この街で発生する怪異の、凡そ全てに関わっている強力な高位悪魔だ。アンチ・アンチ・クライストなどという敵が差し向けられたからには、彼が黒幕として君臨するのも当然である。
カスパールの声にはまるで張りというものが無かったが、それでも他方でよく見せる慇懃無礼な話し方でもって言葉を続けた。
『シルヴィア嬢の役割については、既に御存知の方も多いでしょう。本来ならばバルタザール氏に彼女の管轄をお任せするところであったのですが、ちと状況が変わりましてね。不測の事態が発生しました』
「不測の事態、とは何なのです」
珍しく怒気を孕みつつエルダが電話に詰め寄る。
「あの人を連れて行ったのは、あなたなのですか!? ならば、今すぐ私達の許に返して下さい!」
「彼女の言う通りだ、カスパール。こちらに介入すれば只では置かないと、確か前に言ったはずだが?」
エルダに次いで言い放つマルセロも、怒りの度合いでは負けていない。受けてカスパールは、力ない苦笑を漏らしつつ答えた。
『まあ、そう怒らずに。彼女を誘ったのは私ではありません。御主です』
「御主だと?」
眉をひそめ、マルセロが怪訝に曰く。
「私は御主から、何も聞かされていないのだが」
『バルタザール、貴公はスタンドプレーが過ぎましたな? 御主を敬愛しながら、一方でシルヴィア嬢とハンター達に、新秩序創世からの逸脱の機会を与えました。あの方が貴公の心を見抜けぬとお思いか? まあ、いいでしょう。話を戻します。彼女が皆さんの前から居なくなったのは、他ならぬ彼女の意思です。御主は彼女に言いました。もうすぐこの街に、途方も無い難敵が攻め寄せると。そこで一旦役割を放棄し、この街の防衛に就いて欲しいと。御主は他に為すべき事があり、余力がありません。其処で御主は、彼女に白羽の矢を当てました。彼女はその意を汲んでくれた、という次第です』
「彼女については、私に一任するとの約束であったはずだ。たとえ御主と申せど、約定の破棄は到底受け入れられないな」
『その声は御主に届きませんよ。それに貴公も、あの敵の有様を見ればそのような事は言っていられなくなるでしょう。しかしどうなさいますか、ハンター諸君。彼女を探しに行くならば早い方がいい』
通話は其処で途切れた。
マルセロは携帯電話を折り畳み、深く息をついた。そしてハンター達を睥睨し、言った。
「さて、君達、人間達よ。これからどうするのかね?」
「社長を探しに行きますよ。決まっているじゃないですか」
ルカがマルセロに食って掛かる。彼が所謂人間ではない事は既に承知であり、事のからくりを把握した今でも、マルセロ・ビアンキはガレッサ家と共に永く在ったのだとルカは考えている。マルセロの他人事のような言い様は許容出来なかった。マルセロは凝視してくるルカから目を逸らし、冷静に告げた。
「最後のカスパールの言い方は、文脈から唐突に外れている。彼は君達を挑発したのだ。つまり、これは罠だ」
つまりはカスパール自身が、何らかの意図を隠し持っている、という事だ。ヴィルベートは傍らの少年、エイクを見下ろした。自分達はシルヴィアも含め、彼らが推し進める計画の内側に居る者だが、エイクだけが外からやって来た異邦人なのだ。前回同様、敵がエイクの排除を考えているのは想像に難くない。
エイクはヴィルベートの意を汲み、彼女の手を握り締めた。見上げる彼の顔には、吹っ切れた明るさがある。
「僕も行くよ。彼女を探しに」
と、エイクは言った。
「僕でも何かの役に立てると思う。出来る事を手伝いたいんだ。彼女は大事な人だもの。ヴィルベートさん達にも、僕にとっても。」
<インベイダーズ・マスト・ダイ>
「クリス、要蔵!」
ヴィルベートの求めに応じて2体の怪物が出現し、応接間にて傅いた。ルカとアルベリヒの変身能力、そしてエルダの魔法のホウキも健在である。つまり間近にシルヴィアが居なくなっても、彼女が残した力の数々は健在であるらしい。こうなると、気になるのはジェイソン&サダコである。ルカはげんなりした顔で言ったものだ。
「紳士はともかく、殺人狂もセットで出て来ると思いますが」
「仕方ない。アレでも戦力としては絶大だ。ON・OFFが未だ有効かを確認して欲しい」
アルベリヒに促され、ルカは溜息を漏らしつつ指を鳴らした。そして結果は、案の定であった。
『やあやあ、ごきげんよう皆さん』
『こんばんは、特技は呪殺でございまあす! 脳漿ブチ撒けたい奴ぁどいつだ! 殺すぞ!』
時は切迫している。此度のシルヴィアに関わる事々へ介入するには、ハンター側が手持ちのカードを全て切る必要があるだろう。都合この2体もその範疇にあるのだが、いきなりジェイソンがサダコを四の字固めでホールドする始末。本当に大丈夫なのかこいつら、という思いが皆々の脳裏を過ぎる。
『痛い痛い痛い痛い』
『ルカ君、状況は凡そ分かっているつもりだ。大変な事になったね。出来る限り力になりたいが、呼び出し方には注意した方がいいよ。彼女はコントロールが全く効かないからね。私達は、ここで暴れろという時に解き放つんだ』
関節技が外れたら、この場は一体どうなるのだろう。そんな不安もあるにはあったが、ジェイソンの申し出は率直に心強いとルカは感じた。ただ、その一方で矢張り不思議が残る。この2体は、想像上の産物としては余りにも能動的過ぎるのだ。
ルカがOFFにする直前、ジェイソンとサダコは揃って顔を一方に傾け、『ん?』と疑問の声を発した。その先には、相変わらず落ち着き払った様子のマルセロが居る。マルセロは2体の怪物が出現して消滅する一部始終を眺めていたが、首を振って苦笑しながら呟いた。
「成る程な。其処に居たのか」
マルセロが皆々に向き直り、言った。
「私はこれから御主、サマエル殿の許に赴こうと思う」
「何の為に?」
「あの御方の意思を再確認したいのだよ。事は性急に進み過ぎているからね」
「シルヴィアを助けには行かないのか?」
ヴィルベートの問いに、マルセロは若干怪訝な表情を見せた。しかし肩を竦め、口の端を曲げて曰く。
「御主への訪問も、その一環と考えて貰いたいね。ともあれ君、既に今の彼女は私の言葉に何ら興味を傾けないだろう。彼女が言葉を聞くのは君達だけだ。しかしながら、その途上でカスパールの配下と事を構える可能性は大きいはずだ。私の下僕を一体貸そう」
マルセロが靴の踵をカツンと一回鳴らすと、2つの黒い塊が素早く飛び込んで来た。面を上げる彼らを見、一同が絶句する。
「マリオ、それにルイージ!?」
「本当の名前は別にあるのだがね。ジュゼッペ・マンチーニとアレサンドロ・ティアリ」
「全然違うじゃねえか」
「ノリでつけたんですね、シルヴィアさん」
「マリオ&ルイージでも良いと思うがね。何しろその方が呼び易い。彼らは人間に良く似ているが、そうではない。シェイプシフターだ」
一同は、絶句した。マルセロは彼らの戸惑いを気にも留めず、微動だにしない2人の内、マリオの頭にポンと手を乗せた。
「シェイプシフターには他人の姿を乗っ取り続けるという奇妙な性向があるのだが、私がそれを抹消したよ。だから安心して味方とするがいい。今迄敢えて抑え込んではいたが、彼の本来の力を解放する。人間の腕力を簡単に上回るし、異能も健在だ。役に立ってくれると思うよ」
「彼らもシルヴィアと共に、ジェイズに出入り出来ていたはずだが」
「ジェイズの主とやらも、大した眼力は持っていないのだろうね」
キューが聞けば、大いに鼻白む台詞である。
ガレッサBldの社用車を拝借し、一行はプレシディオ方面へと北上している。
マルセロ自身も、シルヴィアの居場所は分からないと言った。そうなるとEMF探知機を当てにする以外手段は無いのだが、今のところ引っ掛かるのは間近に居るシェイプシフターのマリオくらいである。マリオはと言えば『実はシェイプシフター』という何ソレ展開を迎えても、当然のようにマリオはマリオの性格のままであった。しかし、明確に変わったところもある。
「どうも、こっちに居るような気がするんですがね」
首を傾げながらも、マリオの指図に躊躇は無い。元より探す当ての無いシルヴィアの居場所であったが、「所謂勘働きって奴でさぁ」という非論理的な根拠を口にするマリオの言を、参考にするのは些か不安だ。それでもマリオ&ルイージは、例えばルカや他のハンター達とは異なる意味で、シルヴィアとの強い結びつきがある。恐らくそれは、この世ならざる者としての波長が合う同士と言っていいだろう。
しかしアルベリヒは、車の停止を運転者のルカに依頼した。彼のEMF探知機に、ようやく何かが引っ掛かったのだ。
「微弱だが、一瞬だけ反応があった。しかも複数だ」
「複数? つまりそれは…」
「ああ、マルセロ言うところの、どうやら罠らしい」
残り500mも走ればサンフランシスコ北端のフォート・ポイントに辿り着く。というところで、一行は車を降りた。夜も深いが、ここからは徒歩である。
マリオの勘働きとやらを当てにするならば、恐らくシルヴィアの居場所はフォート・ポイントだ。主幹道路を逸れ、ウォーキング用に整備された遊歩道をひたすら北へ向かう。遠回りであるが、車で考えなしに現地へ行けば、間違いなく向こう側の網に引っ掛かっていただろう。
敵は悪魔を中核としている。それも複数で、電磁場異常をそれなりに制御出来る手合い、つまり強敵である。その中には、もう1人居るとされるアンチ・アンチ・クライストも含まれているはずだ。主導権を握らねば、この戦いは敗北する。
「綺麗…」
場違いを承知のうえで、エルダは景色の印象を率直に口にした。サウス湾に面した海沿いの道からは、深い闇に沈む海の向こう、その対岸に灯るボニータ灯台の小さな輝きがしっかりと見て取れる。そして目を北に向ければ、ライトアップされて煌々と明るいゴールデンゲートブリッジが佇んでいた。
しかしながら、その美しさに心を和ませる時間は、ほんの僅かでしかなかった。エルダが目を見張り、合わせて一行も歩みを止める。にわかには信じ難い光景が海からせり上がってきたのだ。
「あれは、霧ですか!?」
エルダの声が引っ繰り返る。
闇夜にも関わらず、白く、濃厚と見える分厚い霧が、海から立ち昇る蒸気のように、その範囲を左右長大に広げ始めていた。だが、それは陸上までは押し寄せず、ただ景色を遮断しにかかっているかに見える。その様は、まるで聳え立つ巨大な壁である。
これが自然現象ではないくらい、彼らにも察しがついた。何らかの異常で、強力なものが作用した結果なのだ。ヴィルベートがエイクに問う。
「まさか、これはシルヴィアの仕業なのかい!?」
「いや、違うよ。もっと存在感の大きな者の所行だ。多分だけど、あれは防御壁のようなものかもしれない」
しかしエイクは、其処で言葉を打ち切った。挙手して静粛を求め、耳を澄まそうとしている。その頃には、エイクのせんとする意味が皆にも分かった。聞こえてきたのだ。声が。何処かから、脳裏に直接、シルヴィアの声が。
『守らなきゃ』
『秩序を守らねばならないわ』
『いえ、みんなの暮らしを守るのよ』
『待って、2人共。このままサマエルの意図に飲み込まれては駄目』
『黙れ』
『でも、あんなものが来てしまう。あんなものが相手では、沢山の人が死んでしまう。私が守らなきゃ。だって力があるんだもの』
『サマエルは敵の侵攻を利用しているのよ。私達を扱い良い手駒にする為に。ハンター達と手を組むべきだわ』
『あんなものを相手に、たかが人間風情で何が出来る? ほら、言う間にサマエルの防御壁が突破される』
霧の中で雷が四方へと走った。直後、霧に大穴が空いたものの、またすぐに閉じられてしまう。しかし、その一部始終を目撃したハンター達は、凡そ状況を理解出来た。何か途轍もない代物が、霧を抜けてサウス湾への侵入を果たしたのだと。
『守らなきゃ』
と、何も無いはずのサウス湾上から、2つの閃光が真っ直ぐ東へと突き抜けた。僅か後に耳をつんざく炸裂音が、立て続けに2回轟く。
閃光の一つは、フォート・ポイントの直上で食い止められ、そのまま大爆発を起こした。恐らく『何か』から仕掛けられた攻撃に対し、シルヴィアが防御を張った結果なのだろう。しかし薄れ行く煙の向こう側に信じ難いもの見る事となる。
「ゴールデンゲートが…」
その呟きが内包する喪失感は、この場のハンター達、ないしはこの方面に居住する人々、最終的にはサンフランシスコ全市民が味わうものである。
ゴールデンゲートブリッジが橋上の車列を巻き込みながら、中央からゆっくりと崩落を開始しつつあった。
<H3-5:終>
※今回のラストは、H6の展開と大きくリンク致します。アクトを書かれる際は、H6の状況も視野に入れておくと良いでしょう。
○登場PC
・アルベリヒ・コルベ : ポイントゲッター
PL名 : なび様
・ヴィルベート・ツィーメルン : ガーディアン
PL名 : 森林狸様
・エルダ・リンデンバウム : ガーディアン
PL名 : appleman様
・ルカ・スカリエッティ : マフィア(ガレッサ)
ルシファ・ライジング H3-5【ガレッサ・ファミリーと哂う老人】