<科学アカデミー:アクアリウム>

「わあ、すごいすごい。白いワニなんて初めて見ました」

「へえ、生きているのか。全然動かないから作り物かと思ったよ」

 

<科学アカデミー:レインフォレスト>

「アルベリヒさん、ラフレシアですよ、ラフレシア」

「ガラスで仕切られていて良かったよ。こいつ、結構臭うんだよな」

 

<科学アカデミー:プラネタリウム>

「土星の輪って、綺麗ですよね」

「君の瞳の方が、綺麗さ」

「やだあ、もう」

 

<科学アカデミー:世界の豪快な生首展>

 とどめの一発にこれを持って来る辺り、アルベリヒの感受性も中々のものである。

 前回色々と世話になった礼と、此度の活動場所の下見を兼ね、アルベリヒ・コルベはエルダ・リンデンバウムを誘ってゴールデン・ゲートパークの科学アカデミーを訪れていた。

 実際、科学アカデミーは一日中学んで遊べてという、教育エンターテインメントとでも呼称出来る施設である。何しろ公共施設であるし、若くて貧乏なハンターが息抜きをするには丁度良い。日がな一日楽しめるうえ、ちょっと疲れたら洒落たカフェやレストランもある。アルベリヒとエルダという如何にも健康的なカップルにはこのうえないデートスポットと言えるのだが、『世界の豪快な生首展』は全てをぶち壊しにする破壊力があった。

「何だ、この如何にも『とっぱちで作りました』的な展示は」

 立ち尽くす2人の前に、黒い仕切りとベニヤ板で覆われた展示スペースが聳えている。その全体を包み込む『安さ』と『誰にも見られて欲しくなさ』は尋常ではなく、だったら何故こんな企画を催したのかと問い詰めたくもなる。実際に人の入りは2人を含めて、2人だけである。この場に漂う負のエンターテインメント性は余りにも深い。

「入るんですか?」

 けだし尤もにエルダが問う。

「入らねばならない。首無し騎士に関する痕跡があるとすれば、ここを置いて他に無いんだ。どうか我慢して欲しい。俺も我慢する」

 気を取り直し、2人は受付に向かった。アカデミーで働く誇らしさに胸を張っているような他の職員とは異なり、受付の中年男性は何だかしょんぼりしている。サインを記入する旨を告げると、その職員は驚いて顔を上げたものだ。

「入るんですか!?」

「職員がそれを言ってはいけないと思う」

「アルベリヒさん、作り物ですよね? みんな作り物丸出しですよね!?」

「さすがに本物は無いだろう。カリフォルニア州法では学術目的の遺体公開にも極めて厳しい制約が云々」

 で、2人は展示スペースに向かった。

 そして出て来た。

「マリーがっ。腐りかけたマリー・アントワネットがっ!」

「エルダ、落ち着くんだ。あれは本物じゃない。しかしあそこまでリアルにする必要があるのか?」

 また展示スペースに入る。

 そして出て来た。

「三島がっ。三島由紀夫があんなに苦しそうにっ!」

「…斬首は綺麗に一回で済まなかったらしいからな…」

「こんな事を言うのも何ですが、もう見なくてもよろしいんじゃないですか?」

 見るに見かねて、職員が2人に声を掛けた。その声音には不本意な仕事に従事する悲哀があった。

 妙だな、とアルベリヒは思う。生首展は確かにどうかしている企画だが、それにしてもアカデミーが正式に主催したものだ。職員の態度には、まるで降って湧いたような、他人事めいた感触がある。気を取り直しアルベリヒは、エルダが立ち直ってくれるまでの間に図録を購入しておこうと思い至り、職員にその旨を告げた。しかし。

「図録…ですか? そういうものは販売していませんが」

「無いのか? 大概展覧の類には図録がつきものなのだが…」

「無いの!? 図録無いの!? サンフランシスコにその名が轟く科学アカデミーの展示に図録が無いたあ、どないなっているのかしら!?」

 隣から美術彫刻のような顔がにょっきり突き出されたので、アルベリヒは腰を抜かした。シルヴィア・ガレッサだった。言うまでもないが。

「悪い事は言わないわ。カラー写真20ページ、$15くらいの、時が過ぎて荷物の整理なんかしている時に、ふと手に取って『ああ、若い頃にあの人と生首展を見に行ったわ』とか思い出に浸れるような、メランコリックな図録を作りなさい。生首がどっさり掲載されてるやつ!」

「あ、すいません。図録ありました。カラー写真20ページ、$15です」

「何だ、あるじゃない」

 言って、シルヴィアは図録を2冊買い、内1冊をアルベリヒに渡してウィンクしてみせた。

「2人の思い出作りに捧げるわ」

「ありがとう。って、この不条理な展開は何?」

「気は済んだか? 三文芝居は堪能したかい? じゃあ入ろう。ちゃちゃっと済ませて、ちゃちゃっと出る」

 シルヴィアの真後ろに、何時の間にかヴィルベート・ツィーメルンが立っていた。例の如くシルヴィアの手下、ブラザーズも御同道である。

「今日はシルヴィアさんと御一緒なんですか?」

 と、立ち直ったエルダが問う。

「一応、護衛って事でね。尤も昼間じゃ、その必要もなさそうだけどさ」

 言って、ヴィルベートはシルヴィア達をいざない、さっさとエントランスを潜って行った。

 

ガレッサBld Co.

『尼子義孝一党八人首の前で』

「これ、フィクションじゃありませんか」

「シルヴィアが一番盛り上がってたよ」

「エルダ嬢の目が死んでますね」

『牧村美樹の生首ワッショイ』

「これなんか出自がカトゥーンなんですけど」

「シルヴィアめ、デビルマンの話題で小一時間潰してきやがった」

「エルダ嬢が息絶えそうですね」

 ヴィルベートは撮ってきた記念写真を土産に、ガレッサの応接室でルカ・スカリエッティと酒を飲んでいた。アルベリヒは足元が覚束ないエルダを送って行ったので、この場には居ない。シルヴィアは仕事をさぼってアカデミーに行っていたので、今は書類整理に追われて泣きが入っている。

 仕留め切れなかった首無し騎士に関わるポイントとして、科学アカデミー主催「世界の豪快な生首展」に注目するのは、ハンターとしては自然の成り行きだった。と言うより、其処以外に思い当たる場所が無い。もっと言えば、其処が用意されていた感もある。2人は本命である、首無し騎士に纏わる写真を取り出した。

『スリーピー・ホロウの首無し騎士』

「これ、クリストファー・ウォー○ンの生首ですね」

「今更伏字にしたところでもう遅い」

 写真に写る凶悪な生首は、確かに某俳優が演じたソレに酷似していた。そして奇妙な事に、これだけがガラスケースでしっかりと密封されている。他のものは、そんな事はなかった。まったく気乗りしていないエルダと肩を組み、シルヴィアが尼子義孝に頬摺りしていたくらいである。無論、それらは作り物だったのだが、それにしても首無し騎士の首は厳重だった。

「もしかして、これだけが本物とか?」

「本物のクリストファー・ウォーケ○の生首ですか?」

「不謹慎な事を言ってはいけない」

「ちなみにEMF反応は?」

「アルベリヒが試したけど、全く無い」

 ヴィルベートとルカは、いよいよ考え込んでしまった。

 ハンター全員が一致する意見として、この展示は出鱈目である。これは科学アカデミーの理念や方針に真っ向から反する展示内容だ。何しろ生首なのだから。シルヴィアが買ったという図録を見てみたものの、其処に学術的意図は一切無い。気色悪い生首一覧という地獄のような図録だった。こんな胡散臭いものを、あの科学アカデミーが正式に開催したのだ。しかも、ハンター達が首無し騎士に関わり出した、そのタイミングを狙うように。

「そう言やルカ、アカデミー企画部の職員に会いに行ったんだって?」

「ええ、そうなんですけどね」

 興味津々で聞いてくるヴィルベートに、ルカは苦い顔でアカデミーとのやり取りを話した。

 

「ビアンキ氏には感謝しておりますよ。あの方は地域の奉仕にもご熱心でいらっしゃる。ほら、幾つかの展示会も資金面で協賛を頂きましたからね」

「ええ、ガレッサは奉仕活動も重視しておりますから。ところで此度の展示にガレッサは関わっていないのですが、もしかするとビアンキが個人的に行なっているのでしょうか?」

「…ああ、生首展ですか。あんなものにビアンキ氏のような人が、協賛などするはずがありませんよ」

「あんなもの、ですか」

「あんなものです。科学アカデミーは親子で楽しみながら学べる施設で、市が力を入れて投資しています。私達にも、この素晴らしい科学アカデミーで働いているという自負があります。それを生首展なんて薄気味悪いものを催すなど」

「しかし主催は科学アカデミーですよ。失礼ながら、仰り方に些かの矛盾を感じるのですが。そもそも展示を企画したのは、どなたなのですか?」

「それがですね…。誰にも仰らないで頂けますか?」

「約束します」

「分からないんです」

「は?」

「本当に分からないのです。気が付けば、熱に浮かされるように突貫で展示を作っていました」

「そんな…。こうした施設の展示会は、企画立案から企画の検討、費用と規模の設定、日程の設定に至るまで、綿密な打ち合わせが必要になるはずです。それらを全て素っ飛ばして、いきなり生首展ですか?」

「はい、お恥ずかしながら」

「じゃあ、資材は。展示物はどうされたのですか? 確かにレプリカが並んではいましたが、どれもそれなりに凝った造りでした。しょっぱい展示会とは言え、素人目にもコストがかかっているのは分かります。一体あれは何処から手に入れたのですか?」

「…」

「まさか、それも分からないと?」

「はい」

「不思議な話だ…。いや、しかし貴方は嘘を言っていません。それは理解しましょう。最後にもう一つ。この展示会を中止しようとは思わないのですか?」

「思いたくとも、思えません。開催したからには、最後までやり通さねばなりませんから」

「何時終わるのですか?」

「さあ?」

 

 ヴィルベートはグラスに残ったワインを飲み干し、目蓋を軽く押さえた。

「私はあんたが何を言っているのか分からない」

「でしょうね。僕も企画室の人と話している時、何度もそう思いましたから。発案者が居ない。資材調達先も分からない。何時終わるのか分からない。ないない尽くしです。これは最早オカルトですよ」

 ヴィルベートにワインの代わりを注ぎながら、ルカは思った。確かに自分達は、オカルトに関わっている。突如出現した首無し騎士然り。謎の『世界の豪快な生首展』然り。しかしながらと、またルカは思う。たとえ一見不条理な出来事であっても、理解不能なオカルトだとしても、物事には必ず理(ことわり)が存在する。人の手で作られたとは思えない造形物が発見されたとしても、それが作られるに至る理由、経緯、そして手段は必ず存在するのだ。これはこの世がこの世である限り、絶対不変の定義である。

 今一度ルカは思い返した。ここに至る経緯が、どうであったのか。シルヴィアが首無し騎士に遭遇し、ハンターに調査を依頼した。そして遭遇した首無し騎士は、一度はハンターによって退治される。しかし結局首無し騎士は再度出現した。悪魔祓いでも浄化出来ないのであれば、何か特殊な手段が必要なのかもしれない。と、思っているところへ生首展開催のチラシを持って、シルヴィアがハンターの許へ赴いた。

 ハタとルカが気付く。中心軸はシルヴィアだ。首無し騎士だけではなく、生首展も彼女が濃厚に関わっている。しかし彼女が皆を欺き、裏で糸を引いている、などという事はないだろう。彼女は真っ正直な人柄で、嘘が加熱したキュウリよりも嫌いなのだ。シルヴィアの人となりは、ルカ自身が一番よく知っている。そしてシルヴィアの考え方や行動を把握している者が、自分以外にもう1人居る。

(…待てよ。どういう手段を使ったかは知らないが、まさか専務が一枚噛んでいるのか?)

 と、外の駐車場から聞きなれたフィアットのエンジン音が響いてきた。

「どうやら専務がお戻りのようですね」

「やば、お酒隠さなきゃ」

「大丈夫、ちゃんと許可を得ていますから」

 そうこうする内に、足音は真っ直ぐ応接室に向かって来て、扉が行儀よく開かれた。初老の小柄な鷹の目の男が、ヴィルベートを認めてニコリと笑い、会釈した。

「こんばんは、お嬢さん。2人とも、今日はシルヴィアと一緒じゃないのかい?」

「彼女は別室に閉じ込めて、書類に目を通してもらっています」

「それじゃ、私はこの辺で」

 ヴィルベートは挨拶もそこそこに、そそくさと応接室を辞して行った。同じマフィアでも気安い感じのルカとは違い、ヴィルベートはマルセロ・ビアンキが生理的に受け付けなかった。物腰は柔らかいが、彼には何処か人間離れしている雰囲気がある。マルセロが側に居ては、暢気に酒を飲む気になれない。

 

「ふむ」

 顎を擦りつつヴィルベートを見送り、マルセロは改めてルカに向き直った。

「アカデミーの企画部とは、話が出来たかね?」

「はい。専務に仲介して頂いたお陰です」

「よしてくれ給え。確かに私の口添えでガレッサから寄付はしているが、そんなに大層な額ではない。個人でアカデミーのような学術組織に伝手を持つ事など出来んよ。ああ、それから」

 マルセロは苦笑しつつ机に腰を預け、悪戯めいた口調でルカに言った。

「私は例の奇妙な展示に一枚も噛んでいない。私は嘘と加熱したキュウリが嫌いでね」

 

再び科学アカデミー

 全くもって奇妙な事ばかりが起こっている。GGパークを舞台にした一連の出来事に対して、その真相にハンター達は未だ近付いていない。それでもこの事件に関わった者達の中から、一様に同じ推測が出されたポイントが、これまでの経緯を振り返るにあたって存在している。

 シルヴィア・ガレッサは、何か不思議な力を持っているらしい。

「読心術とか、催眠術とか、まあそんな感じかな」

 と、ヴィルベートが疑心めいた言葉を述べる。

「特別な力ですよね。まるで魔女みたいな。何だか親近感を覚えてしまいます」

 対してエルダは肯定的だった。

「腕を大きく上に上げてー、背伸びの運動ー、ハイッ」

 シルヴィアは何処までもシルヴィアである。

 夜の科学アカデミーに潜入すべく、ハンター達は再度GGパークに集結していた。夜の公園は相変わらず人気が無く、こうして集まっていると前回のように警備員に目を付けられかねない。ハンター達はベンチで身を竦めるように打ち合わせをしているのだが、同行したシルヴィアとブラザーズはと言えば、ちょっと離れた場所でラジオ体操に励んでいた。彼女は事前にこんな事を言っていた。

『潜入でしょ? だったら準備運動で事前に体を解さねば! そんなあなたにお勧めなのがラジオ体操。ラジオ体操と私の出逢いはスペクタクルだったわ。あれはシニアスクールの頃。夏休みに日本の中学生が体験学習でフリスコに来た事があったのよ。で、YMCAの宿泊施設で私達とも一緒に寝泊りして交流を深めたってワケ。そして翌朝。朝の5時半からいきなり大音量のオッサンの声がピアノをバックに響いてきた。私、びっくりして友達と一緒に飛び起きたわ。何だ何だと思って窓から外を見たら、日本の子達が整列してピアノに合わせて珍妙な踊りを披露しているのよ。昨晩はあんなにはにかみ屋さんだったのに、朝っぱらから日本人、テンション高っ! それからね、私がラジオ体操と共に人生を歩みだしたのは。何かおっぱじめる時は取り敢えずラジオ体操。嫌がる従業員も強制的にラジオ体操。最後まで抵抗していたマルセロ爺も遂にはラジオ体操。ラジオ体操には魔的な魅力があると見たわ。何しろしばらくさぼってから久々に体操をすると、体の節々がガタついたように痛むもの。一度始めたら死ぬまで続けるしか手段が無いって事かしら。まさしくラジオ体操orDIE! ところでNHKのラジオ体操講座を社員教育用に日本から取り寄せた事があるんだけど、実にエキサイティングだったわ。ラジオ体操のおじさんがレオタードの女の子を従えて、カッポレ踊っていたんだけどさ、その内の1人がちょっと動きをミスったのよ。したらおじさん、今迄恵比須顔で踊っていた癖に、「んんっ、違う!」って鬼みたいな顔で女の子の矯正開始。また張り裂けそうな笑顔でリスタートしたのね。ラジオ体操も深みにはまると人格に多大な影響を及ぼすという、実に含蓄のある話(以下略)』

 このトークに情報価値は全くありません。

 どうせ止めても無駄なので、ハンター達は好きにやらせている。あのように目立ってくれれば警備員へのおとりになってくれるかもしれないという、いけない期待もあるにはあった。

「ああいうトンチキなキャラクターではあるが、その能力はかなりのもんだと思うね」

 ヴィルベートの言葉に、皆は前回の対首無し騎士戦での出来事を思い返した。

 ヴィルベートは読心術か催眠術という言い方をしていたが、通常のそれは心が読み易い、または術がかかり易い状況・心境に術者が持ち込む事が肝要となる。ところがシルヴィアは何の前触れも無くヴィルベートの思考を言い当て、かつ複数の人間に自らの意思を透徹させた。これは術と言うよりも、超能力の方が表現として近い。

「果たしてシルヴィアは自覚しながら例の力を使っているのかな?」

「そうは思えないけどな」

 アルベリヒがヴィルベートの疑問に答える。

「一連のポイントを思い出してみたが、どれも彼女は言いたい事を言っただけ、という印象だ。それに、あのシルヴィアが件の力を知っていたら、何故自慢しない」

「ああ、そうかも。あの力について、胸を張って小一時間しゃべり倒しそうなもんだわ。ルカ、彼女は昔からあんなだったのかい?」

「子供の頃とキャラクターはほとんど変わっていませんけどね」

 ルカは苦笑しつつ、腕を組んで考え込んだ。

「言われてみれば、みんなが彼女の言う事に頷いていたように思います。だから、彼女としてはそういう状況が昔から普通だったんじゃないですかね。彼女は自分の力に気付いていないという、アルベリヒさんの意見に僕も一票ですね」

「でしたら、力の行使を正しい方向にいざなえば、きっとシルヴィアさんは素晴らしい能力者になれると思うんですよ」

 胸の前で掌を組み、エルダが目を輝かせて言った。

「もしかして、魔女の血筋でしょうか? シルヴィアさんのお母様は、インドの御出身だと聞いています。アーリアの血統」

「どうですかね。僕も小さかったから、彼女のお母さんの事はよく憶えていないのですよ」

「亡くなられたお母様について、ちょっと調べてみる価値はあるかもしれませんね」

 ともあれ、これにて話題は打ち切りとなった。そろそろ此度の本懐、夜の科学アカデミー探索に出向かねばならない。何しろ例の首無し騎士は、未だ仕留めきれずに終わっているのだ。

 ラジオ体操が終了したシルヴィア達と合流し、一行は足並み揃えて科学アカデミーに向かった。が、ルカとはここでお別れである。

「まだ仕事が残っておりましてね。何かあったら連絡を下さい。直ぐに駆けつけます」

「ルカ、ご苦労様。いい手土産を持って帰るわ!」

 立ち去るルカに手を振って見送るシルヴィアを、ヴィルベートは複雑な面持ちで眺めた。

 彼女には何らかの能力がある。それは全員一致で分かっている。しかしその能力の源を考えると、自分達は気を引き締めねばならないかもしれない。これだけ露骨な力ともなれば、悪魔が関わっている可能性も鑑みねばならないからだ。

 

 優れたハンターは、同時に優れた泥棒にも成り得る。他人の敷地に入り込み、痕跡を残さず仕事をしてのけるのが常套手段のハンター達にとって、科学アカデミーへの潜入は然程難しくなかった。

 事前に下見をしていた甲斐もあって、「世界の豪快な生首展」のスペースにはすんなりと到着した。ただでさえ人気のなかった生首展は、深夜になるとまた一層雰囲気が禍々しい。一同は緊張の面持ちで、まずは周囲の状況を注視した。

 ここに至るまで出くわさなかったが、何しろここには首無し騎士の首がある。余りにも都合が良過ぎる感もないではないが、事件の中心域である事は確かだ。

 アルベリヒは腰に提げたククリナイフを、宥めるように軽く叩いた。このナイフには一時的ではあるものの、銀の祝福が施されている。科学アカデミー館内である事を考えると、銃器の使用は不適切であり、都合ナイフによる接近戦で場を凌ぐ以外に手段が無い。それでも首無し騎士は、決して弱くはなかった。フロントマンとしての責務を痛感する。

 いよいよ展示施設の中に入るに至り、エルダとアルベリヒはEMF探知機を今一度チェックした。反応は、無い。こうして首無し騎士の根源と予想した場所に居るにも関わらず、磁場の乱れが全く発生していないのは不自然ではあった。

「…生首の皆さんを丹念にチェックしなければならないのでしょうか…」

 それはエルダにとって、相当げんなりする作業である。

 入り口を潜ると、其処には晒し首があった。昼間ですら嫌な雰囲気の生首展であったというのに、夜になるとまたふた味違う。何の工夫も無く陳列されているそれらは、工夫が無いだけに苦悶や驚愕といった表情の造形がやたら強調されて、凶悪の一語に尽きた。しかしEMFの反応は相変わらずだ。ハンター達の緊張感が、段々弛緩するのも無理はない。

「決めた。私、八つ墓村のセルDVDを買おうっと」

 などとシルヴィアが、怒りに満ちた尼子義孝の生首をペチペチ叩きながら、実にどうでもいい事を言っている。八つ墓村って何ですか、と開きかけた己が口を、エルダは慌てて塞いだ。それを言ったが最後、どのような展開が待ち受けているかは想像に難くない。エルダも学習しているのだ。

 そして一行は、本命の『首無し騎士の首』に辿り着いた。一際高い段に鎮座しているそれは、昼間同様ガラスケースに覆われている。しかしここで、大きな問題が発生する。

「さて、どうしようか」

「どうしましょうか」

「どうするんだい?」

 この場の面々は誰一人、首無し騎士の首をどうするか、というところまでは考えていなかったのだ。

「持って帰るってのはどう?」

 等とシルヴィアは馬鹿丸出しである。

「持って帰ってどうするんだい」

「例えばインテリアにちょっとしたアクセントとか」

「他の人に見つかったら、普通に警察沙汰ですよ?」

「とにかくガラスケースに触らない方がいい。セキュリティが発動したら厄介だ」

「え?」

 既にシルヴィアは、ガラスケースを取り外していた。同時にアカデミー館内に鳴り響く警報音。ハンター達は、疲れた。果てしなく疲れた。

 

「君達は何をしているのだ」

「ピクニックです」

 と、ヴィルベートは警備員に言い切った。

 営業時間がとっくに過ぎた深夜の科学アカデミー。勝手に侵入した挙句、世界の豪快な生首展の展示スペース前でランチシートを広げ、サンドイッチを食べている様がピクニックであると、ヴィルベートは強弁してみせたのだ。警報を聞いて駆けつけた、拳銃片手の警備員を前にして。「いい度胸をしている」以外の言葉があろうか。

「そう、これはピクニックよ」

 出されたミネラルウォーターを飲みながら、調子に乗ったシルヴィアが後を引き継ぐ。

「警備員さんは聞きたいのでしょうね。何でまた深夜の科学アカデミーに侵入し、生首展前でピクニックなのかと。その理由を答えるわ。『私達は』『深夜の科学アカデミーで』『それも生首展の前で』『ピクニックをしたかった』からよ。何だそりゃと思ったあなたに、面白い話をしてあげるわ。その昔、日本に美空ひばりという歌姫が居たの。その人はどういう訳か、ステージ前の楽屋で必ずコタツに入って鱈子を食べていたそうよ。鱈子知ってる? 極小の魚の卵がツブツブツブッって固まりになったやつ。何故こたつで鱈子なんですか。そりゃ思う。誰しも思う。ここで私は想像力を働かせるのだけど、恐らく彼女はキッとした顔を向けてこう言うわ。『たらこ食べたいのっ。こたつでねっ』。これは『そこに山があるから』と方向性は同じね。やりたい事があるからやる。それが人間の性なのよ。そこに論理性や理屈なんてものは存在しない。だってやりたいんですもの。そういう訳で『私達は』『深夜の科学アカデミーで』『それも生首展の前で』『ピクニックをしたかった』。分かった? 分かったら拳銃なんて物騒なものを仕舞って、つつがなく巡回警邏にお励みなさい。きっと郷里のお母さんもそれを望んでいらっしゃるわ」

ちなみに後ろの方では、シルヴィアの『力』を高める為に、エルダが高らかに『あなたの力を全肯定する、祝福と希望の魔法の歌』を歌っている。さあ、みんなもこの状景を俯瞰から眺めてみよう。

 サンドイッチを齧りながら、ヴィルベートはこの場の推移をとくと見守った。シルヴィアの語り口を聞けば分かる事だが、既に彼女は自らの『力』を行使している。恐らく警備員は、シルヴィアの勢いに飲まれてしまうだろう。

 ただ、ヴィルベートは幾つかの注意点を洗い出していた。シルヴィアが座っていたランチシートは、ソロモンの環を図案としている。加えて彼女が飲んでいたミネラルウォーターは、聖水式を施したものである。何れもシルヴィア自身には、何の変化も及ぼさないらしい。これが何を目的にしているかは、ハンターとしては自明の理であるのだが、その思考をシルヴィアが読んでいる気配は無い。恐らく、自身が殊更に興味を向けないと、考えを読み取るなどという芸当は出来ないのだろう。それは催眠術についても同じ事が言える。前回、ハンター達の制止を揃って引っ繰り返したシルヴィアは、ヴィルベートだけには気を向けていなかったのだ。

「…ええ、分かりました。でも、この場は飲食禁止だから、カフェテリアに移動して下さい。電気は私が点けておきますから」

 案の定、警備員は有り得ない納得の仕方でその場を立ち去って行った。ほっ、と一同が息をついてしばらく後、エルダが不意に顔を上げた。そして朗々とラテン語の歌唱を再開する。

「エルダ、もう『あなたの力を全肯定する、祝福と希望の魔法の歌』は歌わなくてもいいんだぞ?」

 アルベリヒの呼びかけに、エルダは首を横に振って応じた。そして益々高らかに歌いながら、タロットカードを床に並べ始める。自分達と、そうでない者を区切るかのように。ここに至ってアルベリヒも気がついた。EMF探知機をチェック。先ほどの騒ぎで見落としていた。メータが異常な値を示している。

「ヴィルベートはバックアップ。マリオ&ルイージ、シルヴィアを守れ」

「合点承知!」

 アルベリヒがタロットの境目ぎりぎりに進み出た。背後には寄り添うようにエルダ。彼女の歌で、自分は本来の力量を越えるのだとアルベリヒは信じた。

Mane natus in hunc mundum,Benedictionis campana insonuit

「行くぞ」

 アルベリヒがナイフを構える。エルダが杖を振りかざし、結界目掛けて突き出した。同時に暗闇から出現した首無し騎士が、無形の壁に突進を阻まれ、大きくその身を仰け反らせた。

 その隙を狙い、アルベリヒは摺り足で騎士の裏に回り、いななく騎馬の後ろ足を掬い上げながら斬った。横倒しに馬が倒れ、投げ出された騎士が転げ回りながら大剣を抜き放つ。そして左手に斧。飛び起きて一直線に突いてきたアルベリヒのナイフを払う。これにて一対一の図式となった。

 無骨な鉄の塊を棒切れの如く扱いながら、首無し騎士はアルベリヒ目掛けて撃剣の応酬を開始した。対してアルベリヒは剣閃を受け止めずに流し続け、要所で幾多の反撃を試みる。あの剣が体に当たれば、自分は一撃で沈むだろうとアルベリヒは分かっていた。動作を最小限に抑えたナイフの遣いは、騎士との危険な接近戦を何とか五分に纏めている。時折命中するナイフの突きは、騎士に対してそれなりに苦痛を与えているようにも見受けられた。矢張り銀の祝福は首無し騎士にも効果があるのだ。しかし。

(消耗するのは俺の方だ)

 アルベリヒは冷静に判断した。銀のククリナイフをもってしても、首無し騎士は消滅には至らない。唯一勝てる手段は悪魔祓いだが、相手の動作を完全に止めるのは、用意周到だった前回よりも難儀である。其処でアルベリヒの思考が一瞬消し飛んだ。

 脇腹が重心を乗せた蹴りで深々と抉られ、たまらずアルベリヒは片膝をついた。剣を逆手に持ち替え、首無し騎士が突き立てようと振りかぶる。銃器の使用は抑えていたが、遂にヴィルベートが散弾銃を発射した。

 それは敵を僅かに怯ませたものの、構わず騎士は剣を振り下ろしてきた。その剣尖が、無形の何かに弾き返される。エルダによる結界の行使。立ち直ったアルベリヒが、ナイフを騎士の胸に突き立てた。

 声を出せるならば、盛大な悲鳴を上げていただろう。首無し騎士は大きく身を捩じらせ、一旦ハンター達から距離を取った。だが、しばらく胸を押さえただけで、再び騎士は右手に大剣、左手に斧の構えを取る。もう一度始めからだ。さすがにアルベリヒは焦燥を憶えた。

「クリストファー!」

 と、いきなりシルヴィアが声を張り上げた。見ればランチシートに包んだ何かを掲げ、首無し騎士に舌を出している。

「これ、あんたの首。首を返して欲しければ、臣下の礼を取りなさい!」

 皆まで言わせず、首無し騎士はなりふり構わぬ様子でシルヴィアの元へ走り寄った。あんぎゃあと悲鳴を上げて、シルヴィアが生首を放り出す。一体何をしたかったのだと、アルベリヒは脱力した。

 が、首無し騎士が妙な挙動を見せ始める。

 床に転がったシート包みの生首の周りで、首無し騎士は困り果てたように、うろうろと徘徊を始めた。ヴィルベートだけが、はたと気が付く。あのランチシートにはソロモンの環が描かれている。もしかすると、首無し騎士は己が首を、取り返そうにも触れないのではないか?

 何となくヴィルベートが生首を拾い上げると、首無し騎士は慌てた様子で、俺に返せと身振り手振りで訴えかけてきた。

「…返して欲しいのかい?」

 首は無いが、首無し騎士は激しく頷いた。

「じゃあ、臣下の礼」

 即座に跪き、騎士は頭を垂れた。首は無いが。

「後で返す。今は消えな」

 消えた。そして静寂が科学アカデミーの一角に戻る。

 誰もが予想しない方向で、首無し騎士は消えてしまった。そしてヴィルベート・ツィーメルンは、アイテム『クリストファーの生首』をゲットである。

「こんな終わり方でいいのか」

 けだし尤もにアルベリヒが呟く。然して案の定、これで終わりではなかった。

 一同の耳に、おどろおどろしい音楽が聞こえ始めた。作曲は芥川也寸志。そして唐突に出現する桜吹雪。言うまでも無いが、科学アカデミーの館内に桜は咲いていないし、そもそも桜の時期ではない。

 遥か向こうから、誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。よくよく目を凝らして、一同が息を呑む。乱れた着流し。右手に猟銃。左手に日本刀。真っ青な形相。頭に巻きついた二本の懐中電灯は、まるで鬼そのものであった。

「多治見要蔵だーっ!?」

「そんな馬鹿なーっ!?」

 取り敢えず、彼らは逃げた。勿論、理不尽な思いは一様にある。しかし今は逃げねばならない。あんなものと戦って、生きていられる自信は無いのだ。

 

ジェイズ・ゲストハウス

「結局首無し騎士が消えても、全然全く何も解決していないというのが、話を聞いてよく分かったよ」

 若いエルダを慮り、軽めの酒を振舞いつつ、ジェイコブ・ニールセンはハンター達の悪戦苦闘を労った。

「首無し騎士は、まだ分かる。東海岸の伝説の怪物だからな。しかし何だ、タジミってのは。聞いた事も無いぞ」

「一応、モデルは居るらしい」

 どっぷり疲れ果てた様子で、アルベリヒが応じる。怪我はエルダの治療でどうにか癒えたのだが、毎回1人で体を張る苦労は並大抵ではない。

「津山三十人殺しという有名な連続殺人事件が日本にあったそうだ。多治見はそいつをモデルにした、小説や映画の主人公」

「つまり架空の存在って訳か。そんな馬鹿な」

「そんな馬鹿なものが、実際に目の前に現れた」

 皆が皆、考え込んでしまった。結局、首無し騎士や多治見の出現には、この世ならざる者特有の理が無いのかもしれない。彼らは唐突に現れて、しかし現れるだけと言える。映画にもなった有名なキャラクターが、現実化するという理不尽を伴って

「待てよ」

 アルベリヒは伏せていた顔を上げた。スリーピー・ホロウ。それに八つ墓村と、シルヴィアは言っていた。あの怪物達は彼女が観た、或いは観ようとしている映画の登場人物である。

「やはり中心軸はシルヴィアだ。彼女が奴等を出現させているのかもしれない」

「そんな、読心術や催眠術なんてものじゃないですよ。何も無いところから何かを出現させるなんて」

「そうだよ。大体彼女は、聖水やソロモンの環に引っ掛からなかったし、この世ならざる者を弾き返すゲストハウスだって素通りじゃない」

 エルダとヴィルベートが呈する疑問に、アルベリヒは言葉を選んで、慎重に答えた。

「もしも、ゲストハウスの防御すら欺く程の力の持ち主だとしたら?」

 と、その時、ゲストハウスの扉が勢い良く開けられた。

「皆さん、ビッグニュース!」

 誰かと思えば、シルヴィアだ。そして手にしたチラシをハンター達に見せびらかし、得意げに読み上げたものだ。

「ゴールデンゲートパーク 科学アカデミー:緊急特別企画第2弾 『めくるめく即身成仏の世界』! ほらほら、生首展みたく、蝋化した多治見要蔵が展示されているかもよ?」

「これもシルヴィアさんが出現させたものの一端ですか?」

「段々俺も自信が無くなってきた」

 

<ガレッサBld Co.>

「めくるめく即身成仏の世界…」

 ルカは科学アカデミー発行のチラシを丸め、ゴミ箱に放り投げた。あの一件以降、即座に撤去されたおぞましい生首展に纏わる出来事が、舌の根も乾かぬ内に繰り返された訳だ。どうせアカデミーの職員も、またぞろ何が何だか分かっていないのだろう。

 事態は面倒な方向にループを開始している。根本的な解決策とは何かを模索して、今頃ハンター達はドツボにはまっているに違いない。

 聞きなれたフィアットのエンジン音が外から聞こえてきた。窓越しに見下ろすと、丁度マルセロが車から降りてくるところだ。

『お帰りなさいまし!』

 と、合わせて元気の良いマリオとルイージの声も聞こえてくる。何時ものようにマルセロを出迎えに行ったのだろう。窓際から離れようとして、しかしルカは途中で動作を止めた。

 棒立ちになった2人の額に、マルセロが指を当てている。その様は実に奇妙で怪しい。

『ご苦労様。大体分かったよ』

 マルセロは指を離し、キョトンとしているブラザーズの脇をすり抜けて行く。その途中、こんな事も言っていた。

『もうすぐだ。もうすぐ』

 

 

<H3-2:終>

 

 

○登場PC

・アルベリヒ・コルベ : ポイントゲッター

 PL名 : なび様

・ヴィルベート・ツィーメルン : ガーディアン

 PL名 : 森林狸様

・エルダ・リンデンバウム : ガーディアン

 PL名 : appleman様

・ルカ・スカリエッティ : マフィア(ガレッサ)

 

 

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ルシファ・ライジング H3-2【ガレッサ・ファミリーと生首フェスタ】