<ガレッサBld Co.>
集合場所、ガレッサBldの本社ビル(そもそも支店など無い)に招かれたハンター達の中には、シルヴィア・ガレッサとは初顔合わせの者も居た。だから初めてシルヴィアを目の当たりにした時、彼と彼女は想像以上の美貌に絶句する事となる。
美しい漆黒の髪と艶やかな浅黒の肌。落ち着いた上下のスーツに包まれた体は均整の取れたラインを描き、8等身のモデル並みのサイズにフィットしている。そして顔立ちはと言えば、およそ現実的ではなかった。美術彫刻のような顔の造形は、イタリア系とも言い切れない多国籍の趣があり、目の大きさ、鼻の高さ、唇の厚み、何れを取っても極上の平衡を保っている。
しゃべるなシルヴィア。と、誰かが思った。君がしゃべったら全てのバランスが崩壊すると。その心の嘆きを聞いてか知らずか、ハンターの中からまずい一言が上がってしまった。ヴィルベート・ツィーメルン。ざっくばらんな姉御肌。
「何かこう、もっと成金ガハハ姐さんみたいな人かと思ったよ」
「誰が成金ガハハゴッド姉ちゃんだっ! イゾッタ、今の聞いた? この人、私の事を成金ガハハほかほか姐さんって言ったのよ!?」
「はいはいシルヴィ。今のは『今日の悔しかったノート』に書いておきますね」
顔も上げずに製図の作業に没頭する女性従業員に深々と頷き、シルヴィアは長い髪を軽く払い除けながら、ヴィルベートの前にツカツカと歩み寄る。180cm近い身長は少し相手を見下ろす格好になった。それは悪いと思ったのか、シルヴィアは若干膝を崩し、腕を組んで目線を彼女に合わせてきた。
「まずは由緒あるガレッサ・ファミリーについてレクチャーするわ」
「いや、あの、首無し騎士は?」
「時は大正八年!」
その場がシンと静まり返る。
「こらこらルカ。今のは突っ込む所でしょ?」
「はいはいシルヴィア、『日本の年号かよっ』」
顔も上げずに経理の仕事に没頭する、ルカ・スカリエッティに満足し、シルヴィアは益々熱弁を振るう。
「西暦で言うと、その、何年だっけ。まあそのくらいの時にイタリア北部から移民してきたのよ、ガレッサ一家。結構悲惨な没落貴族だったみたい。取り敢えずお決まりのニューヨークで商売を始めてみたんだけど、どうにもこれが上手くいかなくってね。何しろシチリア系がブイブイ言わせていた時代だったしさ。そこで目をつけたのがサンフランシスコ。太平洋寄りはあんまりイタリアンの手垢がついていない。やばい中華系は居たけど、貿易業も結構軌道に乗って、次いで言うと戦争特需もあったから、なかなかのホクホク生活を送れたってワケ。そして次第に黒い商売に手を染め始める。禁輸品の取り扱いね。そうなると中華との抗争が始まって、こちらも武装化を余儀なくされる。イタリアンマフィア、これにて一丁上がり! 数は向こうの方が上だけど、ガレッサ魂に火がつきゃ私達は向かう所敵無しの強さでバッサバッサとカンフーアタックを返り討ちにして連戦連勝の左団扇に右ワイン。庸だかYO!だか知らないけどさ、遂に奴等の方が根を上げたのよ。ガレッサ万歳、ガレッサ最強! でも、SFPDの締め付けがものごっついきつくなって、密輸業もあんまり儲からなくなってしまったわ。先々代は悩んだのよ。とにかく社会に迎合する必要があると。それを受けて誕生したのがガレッサBld。ダミー会社ね。最初はビル解体業から始めたのよ。サンフランシスコも再開発が進んでいたし、これは結構いい目の付け所ね。したら先代、つまり私のパパがガレッサBldを本物の総合建築業にコペ転してしまったのよ! この経緯は面白いわよ。時は1979年。ヒッピームーブメントなんかとっくの昔に終わった時代にヒッピームーブメントにはまった私のパパは、ビートルズを見習ってインド旅行に出掛けてしまったのね。そして1年後、ヒンドゥーかぶれの思想を携えて帰ってきた。創造と調和、そして破壊! デストロイだけでこの世の中はやっていけないってね。作り、育て、そしてぶっ壊す! この社是と共にガレッサBldは生まれ変わったってワケ。パパは立派だけど、しかしながら功罪もある。それはガレッサ・ファミリーを完全に建築業中心の形態に作り変えてしまった事! おかげでもう、マクベティ警部補にまで『はいはい、ガレッサガレッサ』とか言われる始末。嘆かわしい嘆かわしい! でも、インドから嫁さん、あ、私のママの事ね。ママを連れて帰ってくれたから私はここに居られるワケで、その点は本当に感謝してるわ。天国のパパ、インドにかぶれてくれてありがとう。同じく天国のママ、よくもまあ、あの変人についてくる気になりましたね。そういう事で、ガレッサは由緒ある歴史を持った名家なのよ。Do
you understand?」
「だから、首無し騎士は?」
<ゴールデンゲートパーク>
「…疲れた」
「疲れますね」
アルベリヒ・コルベとエルダ・リンデンバウムは、ゴールデンゲートパーク調査行の開始5分で既に溜息をついていた。今は午後22時。本来ならば19時前のまだ明るい内にガレッサBldを出立するはずだったのだが、ここまで遅れた原因はただ一つである。シルヴィアが弾けたのだ。
散々脱線し放題の自己紹介の後、彼女は律儀にも1人1人に挨拶をして回ったのだが、些細な事で食いつくのがシルヴィア・ガレッサという女である。1つの小さなネタから100以上に話を広げられてしまう様を見て、エルダは恐れおののいた。アルベリヒの「祖父が二次大戦のエースパイロットだったんだ」と言う話が、どういう訳か「結局トチローはエメラルダスではなくハーロックを選んだのよね」等という縺れきった展開になった様を見て恐怖した。歌。私は音楽学校出で歌が得意なんです。そんな事を言ったらどうなる。しかし他にどういう話題を出せばよいのだろう。そうして言葉に詰まっていると、シルヴィアは彼女の隣に座り、優しく言ったものだ。
『いいのよ。どん詰まるってのはすごくいい事なのよ。制御不可能なほど言葉が溢れ返って仕方ない、言わばあなたは言葉のエリートなのよ。お姉さん、エルダちゃんが思いの丈をガーッと、もうガーッと吐き出すまで、何時までも何時までも待っているからね?』
違います、私、そんなんじゃありません。とは言え彼女は本当に何時までも待つ構えだったので、エルダは仕方なく言った。
『私は音楽学校出で歌が得意なんです』
『まあ、本当に!? 私はカリフォルニア州なりきりクイーン選手権で6位入賞だったのよ!』
そんな素っ頓狂なイベントがアメリカにはあるのですか。かような疑問を口にする前に、エルダはマイクを握らされてシルヴィアと肩を組んでいる自分に気が付いた。
「あああ、思い出したくない思い出したくない」
「良かったよ。フラッシュゴードンのテーマ」
アルベリヒのフォローはフォローになっていないのだが、そのような訳で都合3時間を無駄にし、ようやくゴールデンゲートパークの探索開始と相成った。
GGパークはサンフランシスコの中心部から西部を一直線に占める、大規模な自然公園である。インナーリッチモンドから2人が入った地域は、パークのまだほんの一部でしかないのだ。まずは科学アカデミーを目指し、アルベリヒと肩を並べて遊歩道を歩きながら、エルダは楽しげに周囲の景色を眺めた。芝生が敷き詰められ、木々が生い茂るその風景は、何処かしら行儀の良さがある。
「知ってますか? この公園が出来るまで、ここはただの砂浜だったそうですよ。それを長い年月と手間暇をかけて、全長5kmの森を作ってしまうなんて」
「いいところだよな。一通り肩がついたら、ここでソーセージでも焼いてビールを飲りたいものだ」
夜の公園は矢張り人気が無く、昼とは違った景色の深みが感じられる。しかしかつての未開東部の原風景とは正反対には違いない。よりにもよって首無し騎士が馬を駆るような場所ではないだろう。何故そんなものがGGパークに出現したのかは、今の時点でさっぱり分からないのだが、少なくともこの土地の由縁に絡むものではないとアルベリヒは思った。
何にせよ、かつてのドイツ傭兵の成れの果てというならば、同じドイツ人である自分が首無し騎士にケリをつけてやるのが筋道だ。この面子の中で数少ないフロントマンであるアルベリヒとしては、気を震わせる状況であるのだが、如何せん少し後ろから聞こえてくる与太話が心を萎えさせて仕方がない。
シルヴィアと手下のブラザーズである。彼らは「クリストファー・ウォーケンの首無し騎士と、山崎努の多治見要蔵がもし戦ったら」というアホウな話題に興じていた。
「山崎努に決定的欠けているのは馬ね。馬の差でウォーケンが勝つと見た。結局横の繋がりが戦いの趨勢を左右するのよ。断言するけど、山崎努に友達はいない!(フィクションです)」
「しかしながら山崎の面構えは危険でさあ。何しろ尋常じゃねえ皺の数ですぜ。あの皺一本一本にこの世の絶望が刻まれているとアッシは見やした(フィクションです)」
「面構えならウォーケンだって負けてねえよ。デッドゾーンの時の善人役は何かの冗談だったんだ。あの目は数え切れない程のタマを取った野郎の目つきですよ(フィクションです)」
「皆さんお忘れだと思うのですが、山崎努には小川真由美がセットで付いてきますよ」
隣から添えられたルカ・スカリエッティの一言で、シルヴィアとブラザーズは絶句した。勝てない、馬ごときじゃ真由美に勝てない! あの洞窟の描写は地獄そのものですよ。等々俯き気味に小声で呟く3人を横目に、ベティール・トワイニングは舌を巻いた。兎にも角にもルカという男は、放っておいたら何時間でもしゃべり倒す彼らを、たった一言で静かにしてしまったのだ。
「取り敢えず君を尊敬するよ。こんな事で尊敬されても微妙な気持ちになるだろうけどね」
「全くです。めくら滅法な会話の流れに、突拍子もない一言を放り込むと、彼らは方向性を見失ってしばらく判断に迷います」
中々酷い事を言っているが、長年ガレッサに使える家柄の出だけあって、ルカのシルヴィア扱いは手馴れたものだった。
一行は既に科学アカデミーの傍を歩いている。自然公園の中に忽然と聳え立つ大規模な建築物は、ここが作られた自然である事を改めて思わせるものだ。この後、一行は日本庭園に向かって歩を進めるのだが、今の所は件の首無し騎士の姿は欠片も見当たらなかった。
と、先行していたヴィルベートが、早足で一行の元に合流した。
「一応、色々仕掛けてはみたけどね。悪霊の行動を阻害する罠って奴をさ」
汗で湿った銀の髪をさっぱりと撫で付け、ヴィルベートは顔をしかめつつ周囲を睥睨した。
「しかし居ないね。本当に出てくるのかい、首無し騎士とやらは」
「シルヴィアが見たと言うなら、それは間違いありません。彼女は嘘と加熱したキュウリが嫌いな方ですから」
確かに彼女から聞いた話は、こと首無し騎士に関しては飾り気の無い臨場感があった。そういうものがGGパークに現れ始めたのは、恐らく確かなのだろう。ただ、この探索行に参加した全員が、疑問に思う点が一つある。
「何故、そのように古典的な怪物が、今になってこの公園に現れたのだろう?」
ベティールの一言に、ハンター達は考え込んでしまった。
この世ならざる者は凡そ理不尽な存在で、その行動も常人の理解を超える所行をしでかすものだ。しかしながら一点、それが現れる理(ことわり)というものが必ずある。人間が何らかの禁忌を破った。或いは執念や縁、憎悪が悪しきものを招く。そういった理を探り出すところから、ハンターの戦いが始まる。さしあたって此度の首無し騎士には、表面上の理が見当たらないのだ。
「現状では実害が無い。しかも現れたのは一回だけ。その後の目撃情報はゼロ。まいったね、どうも。何かを護るために現れたんじゃないかって私はアタリをつけたんだけど、それもどうかな。そもそも何から何を護るんだってとこでさ。全く、やりにくいったらありゃしない」
「この世ならざる者の躍動は人命に直結するものだ。ところが例の3人は無事に逃げ果せている。実の所、彼らを追いかけてきても襲うつもりは無かったんじゃないかと僕は見るね」
「そりゃまた何で」
「徒歩の人間を馬で追い越すなど簡単だからだよ」
「ああ、なるほど」
「しかし仮にそうだと、理というやつが益々見えなくなるな…」
鼻を鳴らし、ベティールは指で丸眼鏡を整えた。と、その目の端に人影が映る。反射的に彼はショットガンの入ったバッグを手繰り寄せた。ベティールも腰のナイフに手をやる。ルカはシルヴィア隣に並び、拳銃を忍ばせた懐に手を差し込んだ。
一瞬の緊迫の後、彼らの顔は徐々に青ざめて行く。人影は警邏中の警官だったのだ。年配の、如何にもしつこそうな警官は、不審を露にした面持ちで一行の先頭に回り込んだ。
「最悪」
警官から目を逸らし、ヴィルベートはこっそり舌を打った。首無し騎士は出ない代わりに警官が現れた。一体自分は何をしに来たんだという気持ちになる。
「君達、随分と大勢だが、こんな夜中に何をしているのかね」
当然と言えば当然の職務質問に、一行は言葉を詰まらせた。何しろ性別年齢その他諸々が雑多な寄せ集めが、夜の公園を集団移動しているのである。これで怪しくないというのが無理な話だ。しかし助け舟は予想外の所から現れた。
「ハイっ!」
と、元気良くシルヴィアが声を上げ、いそいそと警官の前に進み出る。
「ガレッサBldのガレッサ社長です。お巡りさん、この前はどうもどうも」
「何だ、またシルヴィアさんか。お連れが居るとは言え、女性の夜歩きは控えて欲しいんですがね」
「いやー、夜の公園が好きなもので。お巡りさんの忠告に従って、今日は大人数で行こうと、うちの社員を連れてきました」
「そんな忠告はしてないんですがね。しかし物好きですなあ…ん? ちょっと君、そのバッグを見せて貰えないかね?」
警官がベティールのバッグを指差し、対してシルヴィアの顔が引き攣った。折角上手くごまかせるところだったのだが、バッグの中のショットガンを見られた日には全てがご破算である。サンフランシスコは全米でもトップクラスの銃規制を敷いており、所持しているだけでも刑務所行きは免れない。
「えーと、ランチ! ランチです、あれは」
「今は夜ですが。とにかく、中を見せたまえ。どうも膨らみ方がおかしい」
絶体絶命。しかも全く不必要な場面で。彼らが果てしない徒労感を憶え始めた頃合、ヴィルベートとベティールは、近寄る警官を無視して一点を凝視した。
「何を見ている。早くバッグを開けなさい」
「コップ、僕達の後ろに回りたまえ」
「死にたくなかったら、早く」
「何を訳の分からない事を」
警官が2人の視線につられ、背後を顧みる。ほとんど無いも同然の間合いに、まったく物音を立てず、轟然と屹立する黒ずくめの騎士が其処に居た。
騎上の男には、あるべきはずの首が無い。
青天の霹靂という状況は、まさに今である。黒馬に跨った黒甲冑の異形の怪物は、この世ならざる者の気配を鋭敏に察知するハンター達の感覚をもってすら欺き、出現してみせた。誰も彼もが対応に躊躇し、一時致命的な隙が生まれる。
しかし首無し騎士の方も奇妙な事に、現れて以降、動作する気配が無い。都合互いが互いの姿を見上げ見下ろす、不思議な場面が形成される。そして、警官が最初に沈黙を破った。
「何だこれは…」
警官は呆気に取られながらも、彼は職務としてホルスターから拳銃を抜いた。騎士の腰に提げられた大剣に気付いたからだ。
「動くな、馬から下りろ」
銃口が騎士に向けられる挙動よりも速く、首無し騎士は大剣を獣じみた速度で抜き放つ。その一連の動作を視認したうえで、アルベリヒは猛然と突進した。
騎上から弧を描いて掬われた剣尖が警官の首を刎ね上げる寸前、アルベリヒのタックルが彼の体を弾き飛ばす。同時に左でククリナイフを逆手に持ち、その上にH&K・USPを握る右手を置く。態勢を崩した首無し騎士へと、体の前面を一気に回す。構える。
「俺の目の前で一般人に手を出すとはいい度胸だ」
それをきっかけに戦端が開かれた。
USPの9mm弾がダブルカラムを撃ち尽くす勢いで、騎士目掛けて叩き込まれる。それに続いてヴィルベートのシュネルフォイアーが火を噴く。十数発の拳銃弾が至近から直撃し、騎士と馬は身を捩じらせながら一歩、二歩と後退した。しかし何れも致命傷には成り得ない。敵はこの世ならざる者だ。
「移動開始!」
ヴィルベートが号令をかける。自ら仕組んだ罠に敵を誘導する意図は、この場の全員に伝わっていた。しんがりをアルベリヒが努め、その左右後方をヴィルベートとベティールが護りつつ、一行は全速力で後退を開始した。
アルベリヒとヴィルベートが再装填する間隙を、ベティールによるショットガンの猛攻が埋める。拡散する散弾は、首無し騎士の次回行動を多少は阻害したものの、しばらくもすればチャージを仕掛けてくるのが目に見えていた。
「シルヴィア君! 警官を連れて身を隠したまえ!」
ベティールが背後を顧みて怒鳴る。が、彼女は既に手下と共に、脱兎の如く先頭を走っていた。やせぎすのルイージという男が手足の伸びきった警官を担ぎ上げている。恐らくマリオ&ルイージが警官を速攻で気絶させたのだろう。その判断の早さと豪快な逃げっぷりにベティールは苦笑したものの、すぐに顔を引き締め、拳銃の再装填を終えた2人に言った。
「さあ、次の手はどうしよう。敵は物理と幻の差が曖昧だ」
「この行き先は『通路』になっている」
徐々に態勢を整え直す首無し騎士を睨み据え、ヴィルベートが応じる。
「塩と聖水の通路さ。引き込んでしまえば左右に回り込むなんて芸当も出来ない。そして終着地点にソロモンの環。これで悪霊風情なら封じ込めも出来よう。多分」
「悪霊か。敵は悪霊かね?」
「さあてね」
「来るぞ! 騎兵を迎え撃つ歩兵の気持ちが分かる」
アルベリヒの一声と共に、首無し騎士が突撃を開始した。このままでは瞬く間に距離を詰められ、あの大剣で蹂躙されるのは自明の理だが、3人の見解は1つの手段で一致していた。あの馬から首無し騎士を引き摺り落とす。
割って入る騎士の左右からありったけの銃弾が馬のみを狙って撃ち込まれる。いななき、前足を振り上げる馬の背後にアルベリヒが滑り込み、後ろ足の腱をナイフで切り裂く。そのアタックで、どうと馬が横倒しになった。首無し騎士も転げ落ちたものの、すぐさま何事も無く立ち上がる。右手に大剣。左手に斧。
その様に既視感をアルベリヒは覚えた。あの特徴的なドイツ傭兵の戦闘様式。首に巻かれた黒いマント。黒い甲冑。
「何てこった」
アルベリヒが呻く。
「バートンのスリーピー・ホロウそのまんまじゃないか!」
事前にその映画を見ていたアルベリヒは、この状況にあって何となく脱力してしまった。それを見透かしたのか否か、首無し騎士はアルベリヒに向かって唐突に寄せてきた。慌ててナイフを構えるも、敵は速い。あの時代の傭兵に、格闘で勝つのは至難の技だと、アルベリヒは頭の冷静な部分で判断した。組討に縺れる展開は危険だ。振り下ろされる大剣の一撃を、アルベリヒは右に転がり辛うじて避けた。しかし重量感に満ちたその剣を、首無し騎士は棒切れでも扱うようにくるりと回し、あっという間に詰めてアルベリヒの腹を蹴り上げた。
飛び退いたおかげで内臓破裂には至らなかったものの、腹から脳天にまで到達する衝撃で、アルベリヒは今度こそ体を引っ繰り返された。無防備に陥ったアルベリヒに向け、首無し騎士が第二撃を振り上げる。
『Sicut moventur ligna
in caelum tu recto stant』
朗々と歌声が響き渡ると、詰め寄る騎士の勢いが無形の壁に弾かれた。アルベリヒと騎士の狭間を、暖かなものが駆け抜ける。アルベリヒは熱を帯びた懐に気付き、その元を取り出した。タロットの大アルカナⅣ、The Emperor。事前にエルダが渡してくれたものだ。
『Find , Grant , Credo , Sed non excedat nisi』
エルダは前線組の後方から、杖を掲げて朗々と伸びやかな歌声を披露していた。彼女の用いる異能は独特で、歌を媒介して力を引き寄せ、邪悪なものの接近を阻む。しかし彼女の表情が、徐々に苦痛を帯び始めた。肉体ではなく、精神の苦痛。その愛らしい眉が歪むにつれ、首無し騎士はゆっくりと、だが確実に歩を進めている。それは力量に大きな差が存在する事を意味していた。彼女の張った結界が突破されるのも間近い。
それでもアルベリヒが態勢を立て直し、その場を脱するに十分な時間を節約出来た。アルベリヒはベティールと共に、トランス状態に入ったままのエルダを抱え上げる。ヴィルベートが彼らを導きつつ、4人は攻めあぐむ首無し騎士を後目にして、その場の離脱に成功した。
ハンター達が潜む茂みは、既に首無し騎士に捕捉されている。しかしながらそれは、彼らも承知している事だった。その上でハンター達は騎士を待ち構えていた。
ヴィルベートが事前に仕掛けた罠の本命、ソロモンの環。騎士をここに誘導してその動きを封じ、その上で悪魔祓いの執行。シンプルで確実な手段だが、今の段階では青写真である。と、気絶していた警官が半身を起こした。騎士の方に集中していたせいで、警官への対処を彼らはすっかり忘れていたのだ。
「…何だ? 何が起こったんだ?」
木々の狭間に居る我が身を見て、警官が不思議そうに首を傾げる。しかし警官は頬を手で挟まれ、無理繰りに正面へと向き直された。シルヴィアが警官の目を見詰め、低く唸るような声で言い聞かせる。
「いいこと、今日見た出来事は決して外に漏らさないように。そしてあなたは、明日になったらこの出来事を忘れ去る。分かった?」
おいおい、何を無茶なことを、と誰もが思った。しかし警官の対応は、ハンター達の予想から外れる。
「ああ、分かった…」
「何!? そんな馬鹿な!」
「静かにっ。奴が来た」
思わず声を上げたアルベリヒを、ベティールが抑えた。彼が持つEMF探知機がメータの異常を示している。悪魔や霊体が出現する際の電磁場の乱れだ。気配は感じ取れないが、首無し騎士はすぐ側まで来ている。
「まずいね。またいきなり現れたら対処が難しい。ヴィルベート、ソロモンの輪に賭けることになるが、宜しいか?」
「宜しいも何も、これしかないでしょうが」
眼鏡を外し、目蓋を揉み解しながら、ヴィルベートは薄笑いを浮かべた。彼女は生まれついてのハンター一家の出だ。このような状況でも肝が据わっている。一抹の不安を隠し持ってはいるものの、それをおくびにも出さなかった。
(奴は本当に悪霊なんだろうか)
戦いの落着は、これを根拠にしている。確かにエルダの結界に行動を阻害されていたものの、もしもその当てが外れれば、確実にこの場の何人かが死ぬ。それは敗北も同然だ。仮に悪霊であるならば、それは何らかの対象に執着しているはずだ。ヴィルベートは首無し騎士の一連の行動を思い返したが、執着に繋がる糸口を掴み取る事は出来なかった。
(私はそれがシルヴィアじゃないかと思ったんだが)
と、ヴィルベートの肩にポンと手が置かれた。シルヴィアが彼女にウィンクしてみせる。
「私がおとりになるわ。あいつは私に執着している可能性があるんでしょ? あの輪っかに上手く連れ込んでみせる。あいつは悪霊。あなたの作戦は、きっと上手く行くわ」
「な…」
自分が考えていた事をスラスラと口に出され、ヴィルベートは絶句した。当然ながら周囲から、口々に彼女を押し留める声が上がる。
「お嬢さん、無茶な事を」
「引っ込め。素人の出る幕じゃないぞ」
「シルヴィアさん、そんな危険な事をさせる訳にはいきません」
「シルヴィア、あなたは100人以上の社員の生活を預かる身なんですよ」
一斉に止めに掛かる彼らを前に、シルヴィアはスッと片手を挙げた。そして曰く。
「私は大丈夫よ」
「…アルベリヒ、僕の調合した薬は効きましたか?」
「ああ、痛みは取り敢えず無い。彼女を全力で支援する」
「いざとなったら、私がまた止めてみせます」
「シルヴィア、その時は私が体を張って護りますよ」
次々と彼女の意を汲み始めた仲間達を前に、ヴィルベートは言葉が無かった。その豹変に一体どんな意味があるのかと。そうこうする内に、シルヴィアは茂みの外に出てしまった。
同じくして、遊歩道からこちらへと、首無し騎士が徒歩で向かって来る。巧妙に隠されたソロモンの環を前にして、シルヴィアは全く動じず、首無し騎士に指を突きつけた。
「クリストファー・ウォーケンは、実は笑っていいともに出た事があります!」
何だそれは。
首無し騎士がシルヴィア目掛けて突進する。同時に茂みに隠れていたハンター達が躍り出た。彼女に到達する寸前、騎士の体に何かがぶつかり、食い止まった。そして半径1m程の範囲から、一歩も身動きを取れなくなる。ソロモンの環への封じ込めに成功したのだ。
悪魔祓いの出来る面々が、一斉に聖書を取り出した。そして岩塩の銃弾、散弾がしたたかに撃ち込まれ、騎士は環の中で身を捩らせる。一斉に唱えられた福音をその身に受け、騎士が苦しげにのた打ち回る。こうなると、最早一方的な展開だった。
しばらくもすると、首無し騎士は輪郭を曖昧にし始め、嘘のように消えた。
「勝った…」
一同はホッと息つき、取り敢えずその場にしゃがみ込む。が、やがて彼らの耳に、ポクポクと馬が歩み寄る音が聞こえ始める。まさかと思いその方向を見て、またもや顔が青ざめる羽目となった。
確かに消し去ったはずの首無し騎士が、出現した時と寸分違わぬ姿で騎乗し、また現れたのだ。
「どうする」
「逃げる」
一同は再び地獄の鬼ごっこに興じる羽目となる。逃げに逃げて、また逃げて、命からがら公園の外に辿り着いた頃には、首無し騎士の姿はもう見えなくなっていた。
<ジェイズ・ゲストハウス>
結局、一度倒したはずの首無し騎士がまた現れたという結果について、この事件に関わったハンター達は、頭を抱えざるを得なかった。悪魔祓いを執行すれば、大概の悪霊は地獄に送り返す事が出来るはずなのだ。敵はそのセオリーから外れている。ハンター達の悩みは深い。
「恐らくだが」
ジェイコブ・ニールセンは項垂れる彼らに一杯奢り、その苦労を労いつつ言った。
「恐らく本体のようなものがある。物品とか、もっと言えば、自分の首とか」
「あの風光明媚な公園に生首? それも東海岸の化け物の?」
そんな馬鹿な、と彼らが声を上げた時、ゲストハウスの扉が勢い良く開けられた。
「皆さん、ビッグニュース!」
誰かと思えば、シルヴィアだ。そして手にしたチラシをハンター達に見せびらかし得意げに読み上げたものだ。
「ゴールデンゲートパーク 科学アカデミー:緊急特別企画 『世界の豪快な生首展』! 世界の著名人の生首レプリカが目白押し もしかしたら、本物が混じっているかも?」
「嘘だあ! 科学アカデミーがそんな下種企画を催すもんか!」
「いや、本当なんだってば」
<ガレッサBld Co.>
「世界の豪快な生首展…」
科学アカデミーが発行した正式な広告を片手に、ルカの口元がヒクヒクと歪んだ。昨日まで通常展示だったアカデミーが、こんな馬鹿企画をいきなり催すとは。
「ルカ、ご苦労だったね」
と、オフィスに年老いた男が入り、ルカに声をかけた。真っ白な髪と奥深い目。痩身で小柄な老人だが、その声には圧倒的な威圧感がある。
マルセロ・ビアンキ。ガレッサBldの専務。ルカは背筋をピンと伸ばし、マルセロに向けて一礼した。
「おはようございます」
「まあ、楽にしなさい。どうだったかね、社長の冒険のお供は」
マルセロに促され、ルカはGGパークでの出来事を一通り彼に話した。
彼の一言一句を頷きながら余さず聞き、マルセロは話し終えたルカに「ありがとう」と言い置き、その場を立った。
「よくよく社長の面倒を見て欲しい。彼女は君にとって、一つ下の妹のようなものだから」
「ご心配ではありませんか? 社長は随分危険な事に関わっています。失礼ながら、何時もであれば専務は社長を制止されると思うのですが…」
「なに、心配はしていない。君は素晴らしい部下だし、ハンター達も優秀だ。社長もああ見えて分を弁えている。地域の治安を護るのは、良い事じゃないかね」
専務室に戻るマルセロの姿を、ルカは立ち尽くして見送った。そして一瞬だが、扉に向く前の彼の顔を視認する。
マルセロの目が、笑っていた。
<H3-1:終>
○登場PC
・アルベリヒ・コルベ : ポイントゲッター
PL名 : なび様
・ヴィルベート・ツィーメルン : ガーディアン
PL名 : 森林狸様
・エルダ・リンデンバウム : ガーディアン
PL名 : appleman様
・ベティール・トワイニング : ガーディアン
PL名 : 卯月様
・ルカ・スカリエッティ : マフィア(ガレッサ)
ルシファ・ライジング H3-1【ガレッサ・ファミリーと首無し騎士】