<マッシヴ・アタック>

 天使は食事を取らずとも死ぬ事は無い。しかし憑依した人間の体を以前通りのサイクルに従わせると、調整上良い効果がある。

 よって地上に顕現した天使は、人間同様三食と睡眠を極力取るよう心がけている。この日もフレンド達と共に1階の会食場に集まり、昼食を取るべく4人の天使達も顔を揃えていた。

「上の御三方はまだ来られていないようですけど?」

 天使パシファエが給仕をしているフレンドの1人を呼び止めて尋ねた。屈託の無い笑顔で、フレンドが答える。

「あの方達は、後で戴くと仰せでしたよ。ちょっと御一人の調子が悪いそうです」

「まあ、それは宜しくないわね」

 口元に手を当て、パシファエは他の3人の天使達に顔を向けた。

「いよいよ事が始まるという訳だわ」

「今更何を仰る。知れた事じゃないか」

 天使ラッセルが笑い、掌を組んで閉目した。

「それでは、今日の糧を得られる感謝を御主に捧げよう」

 その言葉と共に、全員が着座して祈りを始める。が、それも5秒と持たずに打ち切られた。一斉に上げられた顔と顔に、先程の和やかな雰囲気は微塵も見当たらない。天使、フレンドの全てが、本部を囲む防御結界に甚大な干渉が行われていると認識したのだ。

「さして持ちませんな。さすが破壊者」

 ネクタイを締め直し、天使マルカムが感嘆しつつ起立する。

「おまけに私達の認識を欺いております。もう一人の余計なアンチ・クライストの仕業と見て良いでしょう」

「流れ出る力の源を辿るのは難しくないであろう。やはり結界破りから始めたか。それでは規定通り、全員配置へ」

 天使ガリンシャが指揮者の如く腕を振ると、フレンドと天使達は一斉に行動を開始した。ガリンシャはパシファエを伴い、瞬時に邸宅から庭へとジャンプする。結界破りに挑むアンチ・クライスト達の位置を探る為だ。人間の身に宿る状態であれば、物理的な目視も天使の感覚向上に一役買える。そして2人は程なく位置を特定した。距離は空いているが、遠いとは言えない。

「少し触ってみるわ」

「やってみ給え」

 ガリンシャの促しに頷き、パシファエの瞳が一瞬光を放つ。直後、街角の一角が下から突き上げるように爆発した。

 轟音と共に、黒煙と家屋の残骸が中空に舞い上がる。が、パシファエは舌を打った。

「弾かれた。中々のものね。ここは直接出向いて」

 皆まで言わず、ガリンシャの隣からパシファエの姿がもぎ取られた。直撃した榴弾が彼女を遥か後方へと奪い去って炸裂する一部始終を見、ガリンシャは唖然とする。それでもガリンシャは、よろめきながらもすぐさま立ち上がったパシファエを観察しつつ、冷静に右手を掲げた。

 二発目の榴弾を直撃寸前で食い止める。拳で握り潰す仕草と共に、榴弾は逆方向へと破片を派手に爆散させた。ガリンシャは猛スピードで迫り来るピックアップトラックを目で捉え、意外である、との表情を露とする。

 アンチ・クライストに気を回した隙を見事に突かれた為ではない。ハンターが、自分達を相手に正面突破を選択した事に対して、である。

 

 マックスの呼吸が浅く、早く、そのうえ激しい。天使が接近してくる際は常にそのような反応を見せていたものの、此度は自らサマエル派の天使達の総本山へと侵攻を仕掛けており、何時もに増してマックスの反応は大きかった。派手に上下するピックアップトラックの荷台で崩れ落ちそうになるマックスの体を、アンナが慌てて支えてやった。

「ほら、私が居て役に立ったじゃん!?」

 顔面蒼白になりながら、アンナは引き攣り気味の笑顔で言った。明らかに自分は場違いな所に居る、との恐怖を払拭する為か、声が大きく引っ繰り返る。

 一般人のアンナがそうなってしまうのも無理はない。人の形をしたものにカールグスタフを2発直撃させ、あまつさえそれらは二の足を立てて生きている。車両を木っ端微塵にする威力の榴弾が命中したにも関わらず、だ。そんな連中が居る根城に、自分を乗せたトラックがアクセル全開で突撃敢行である。

「敵も大概だが、味方も味方だよ!」

「無駄口叩くでない、舌を噛むぞえ」

 恐れ慄いた風のアンナに短く言い放って黙らせ、ジークリッドはラスティと目を合わせた。

「向こうさんはどう出るかの」

「初手の対応に戸惑ったようだわ。でも直ぐに持ち直してくる。落ち着いて二方面に戦力を割くでしょうね」

「トラックとアンチ・クライストのコンビか」

 ジークリッドが鼻を鳴らし、ラスティも口元を妖しく曲げた。

 

 パシファエは立ち上がったものの、踏み出した一歩が軽く傾いでしまった。本来人間に直接向けるべきではない榴弾の直撃を受け、それに対するパシファエの防御は僅かに遅れた。打撃は深くないものの、依り代への衝撃を完璧に防げなかったのだ。

 パシファエは憤った。人間の分際で、と。天使の常套句的な反応である。

「ガリンシャ、奴らは私に!」

「待て」

 片手を挙げて制止してくるガリンシャに戸惑い、しかしパシファエも言い募るのをやめて『それ』に意識を傾けた。

 今まさに突入を仕掛ける人間。結界破りを試みるアンチ・クライスト。そして『それ』による、もう一つの結界への干渉。

 短い思考の間に、ガリンシャは結論を導いた。これは三方面からの同時加圧攻撃である。あの正面突破には意味があったのだ。第三の干渉は対処を無視できないほど深く、巨大である。

「何なの、これは」

「結界が破られた」

 彼らにとって、結界の喪失は予想外の短時間だった。第三の干渉を実行した者を排除すべく、すぐさまガリンシャがジャンプする。パシファエは寄せてくるだろうアンチ・クライストを迎え撃つ為、その場から姿を消そうとしたものの、タイヤが擦れる甲高い音に気取られて歩みを止めた。

 ピックアップトラックが強引なターンを切って正門に突入し、制動をかけて急停止する。同時に複数の人間達が転がり出、強固な眼差しを一斉に館の扉へと向けてきた。パシファエの心に再び火が点く。この人間達は自身に屈辱を味あわせたばかりか、今この場のパシファエを素通りして内部への突入に全意識を傾けている。

 反射的にパシファエが人差し指を人間達に向けた。応じて先頭の2人がポリカーボネートのライオットシールドを立てて背後の仲間を隠す。

 放たれた不可視の力がシールドの手前で弾かれ、後方と拡散した。破壊の波が壁や家屋を薙ぎ倒して行くも、肝心の人間達は傷一つ負っていない。パシファエは気がついた。先頭に立って攻撃を流したのは、ガリンシャが言っていた異教の神に力を借りた者達だ。

「破戒者めが!」

「それはこちらの台詞ですぞ!」

 パシファエの罵声に怒声で返し、ドラゴがエーリエルと共に盾を構えたまま回り込みを仕掛けてきた。仲間達を守りつつ、玄関口へと突入する為に。させじとパシファエも身構えたものの、敵の中の1人を視認し、驚愕を露わとする。アンナに肩を貸され、息を切らしながら睨んで来る青年は、サマエル信奉者にとって最も重大な存在だった。

「マックス様!?」

 パシファエの声が引っ繰り返る。人間側にも最大の切り札であろうマックスを、まさかこの戦場に連れてくる等とは。次いで、2番目の依り代候補だったカロリナ・エストラーダまで。一瞬の忘失を突かれ、またもパシファエはその場から吹き飛ばされた。しかし攻撃を仕掛けたのはハンター達ではない。

 一行の横合いから、いきなりシルヴィアとエイクが出現する。壁に手をかけて起き上がろうとするパシファエを再度捻じ伏せ、シルヴィアはサムズアップを皆に寄越してきた。

「お待たせー」

「今の内だ。あの天使に僕らの力は思ったほど通用しない」

 暢気なシルヴィアを煽り立て、エイクがエーリエルとドラゴの背後につく。そしてその傍らに、若干遅れてヴィヴィアンが飛び込んで来た。

「牛の血を山ほど飲んだから平気。それに体が人間慣れしているみたいだ」

「助かる。屋内戦は任せたわ」

 言って、エーリエルは僅かに背後を顧みた。両翼にジークリッドとラスティが位置し、陣形の中にはアンナとマックス、エリニスとカロリナ、そしてアンジェロ・フィオレンティーノ。

「急ごう! もう直ぐ『彼』がやって来る!」

 アンジェロの雄叫びに頷き、エーリエルはドラゴの盾に己が盾を軽く合わせ、邸宅の扉を蹴破った。

 

 圧迫から解放されたパシファエが跳ね起き、怒気に満ちた目を上げる。

 ハンター達は問答無用の加重攻撃を初っ端から行使し、自分はその勢いに圧倒されて邸内への突入を許してしまった。既に内部では戦いが始まっている。自らの失態を認め、パシファエは吠えた。そして天使の大半がそうであるように、彼女は自省をしなかった。

 何故ハンター達は、復帰してくるのが分かりきっているパシファエに対抗せず、捨て置いて次の行動に移ったのか。自身の力を過剰に評価し、天使であるパシファエはこの期に及んで人間を弱者とみなす視点を捨てていない。故に彼女は、人間の策略を見誤ってしまった。

 パシファエの直ぐ傍で、突如何かが地面に激突した。立ち昇る土煙を掻き分け、血走った目の男が走り出そうとする。その首根を摑まれ、男は盛大に放り投げられた。敷地の壁を貫通粉砕し、アスファルト上に叩きつけられて転がる男の顔を凝視し、パシファエは側に立つ血塗れのガリンシャに乾いた声で言った。

「馬鹿な。あれはジルではないか。おぞましい吸血鬼の最強種」

「手を貸して欲しい、パシファエ。あれは少々きつい」

 2人の天使の目の前で、ジルはゆらりと身を起こした。彼の目はほとんど正常な光を失い、そして強大な天使達を全く見てもいない。彼が探し求めるものが、天使達の向こう側に居ると知り、ただその一念でジルは稼働していると言って差し支えなかった。

「ジャンヌ!」

 狂おしい声で、ジルが叫ぶ。ジャンヌ! ジャンヌ! ジャンヌ! と。

 押し通るジルを、2人の天使が阻む。ジルはひたすらジャンヌの姿を追い求め、対抗する天使達は辛うじて踏み止まらせる。決死の覚悟で戦いを繰り広げる双方という絵面を、ガリンシャは第三者的、且つ俯瞰的に眺め、そして溜息をついた。

 これにて初手からハンター達の思惑通りの展開となった。パシファエと意識を共有して分かったのだが、ハンター達はマックスに加えてカロリナまでも連れて来ている。ピュセルと完全に同化したあの女を。その気配におびき寄せられ、ジルはマーサ本部に攻撃を敢行したのだ。ルスケスが仕込んだ悪辣な罠を、ハンター達は逆に利用した、という事だ。結果、天使2人という重大な戦力が、いきなり無効化されてしまった。

(素晴らしい)

 場違いにも、ガリンシャは感嘆した。

 

「階下の方が、ちょっとおかしいですね」

 扉に耳を当て、外の様子を伺っていたエルダが小さく言った。ヴィルベートが立ち上がり、ルカもベッドから跳ね起きる。

 今日この日、事態が進行するには織り込み済みであった。3人は顔を突き合わせて地図を床の上に広げた。邸内を熟知しているカロリナから、事前に貰っていた見取り図である。

「結構でかい屋敷だよね。しかし結局、何処にアルベリヒと専務が居るのか分からなかった」

「私達の主戦場は2階になるはずです。本隊が階下に突入すると同時に事を起こすべきです。然る後に社長と合流する。彼女なら、必ず監禁場所を特定してくれるでしょう」

 ヴィルベートを宥め、ルカは少し強張りながらも力を込めて言った。

「この戦いが終わったら、落ち着いた形できちんとシルヴィアにプロポーズするんです!」

「私も私も。この戦いが終わったら、割と良い未来が開けていますよって、キルンギキビ様が仰ってました!」

「…あんた達、頼むから死亡フラグを立てないでおくれよ」

 魔法少女に変身せねばと言い残し、カーテン裏でいそいそと着替え始めるエルダをさて置いて、ヴィルベートは懐のシュネルフォイアを取り出し、囁き声でルカと打ち合わせた。

「で、どう思う? 私達、いたいけな一般人の振りして屋敷に入った訳だけど」

「間違いなくモロバレでしょうね。どういう素性か」

「まあ、そうだろうねえ。腫れ物を大事に扱うみたいだったもの。という事は、この機に乗じて行動する事を当然見抜いてくる訳だ」

 と、庭の方から立て続けて爆発音が轟いた。窓際のエルダが生憎と着替えの途中で、「あんぎゃ!?」と悲鳴を上げて引っ繰り返る。

「来たッ! カールグスタフ来ました!」

「始まった」

「どうします」

「今ので対応が若干混乱したと見るね」

「行きますか。ちょっと早いですけど」

 頷き合うルカとヴィルベートの傍に、ようやく着替え終わったエルダが駆けつけた。ピンクと白が基調の、丈が短くゆとりのあるドレス。トンガリ帽子と背中にリボン。そして魔法のステッキ(必要に応じてホウキ化)。エルダは自信満々に、鼻高々に言ったものだ。

「正直場違いであるのは百も承知です」

『確信犯ですか』

 ルカとヴィルベートの声が見事に揃った。

 

 マーサ本部のフレンドや天使達が件の3人を易々と招き入れたのは、当然ながら理由がある。有体に言えば人質だ。

 普通の感性を持つ人間であれば、苦しい状況の他人を見れば気にかける。手を貸そうともする。それが連綿と培われた社会性なのだから当然だ。特にハンターという存在は風変わりで、社会から逸脱した存在でありながら、行動の根拠を人類愛とでも呼べる感情で占めている者が多い。無論、戦いにどっぷりと浸かって人間性を大きく損なう例外も居る訳だが

 翻ってフレンドと、当たり前だが天使は、そういった人間性からは遠く離れつつある存在である。自分達の思想に反する者は、ひいてはサマエルに逆らう者は、存在する価値無しとみなす。だから彼らにとって、人質を取るという手段は卑怯の範疇ではない。

「さて、どうするね。ガリンシャとパシファエが出向けば邸内への突入もさぞかし困難であろうなぁ。特にパシファエは、相当のおかんむりだよ」

 二階の3人を確保する為に階段を駆け上がる5人のフレンド達を眺めながら、ラッセルは動じる事無く飄々と言った。確保に向かわせたのは5人で、残りのフレンド達は隠身し、密やかに迎撃の時を待っている。都合、広いホールに居るのはラッセルとマルカム、天使2人のみである。

「普通であれば、肉片残さず消し飛ぶでしょう。アンチ・クライストは我らを追い込めませんし、人間は天使を舐めているきらいがありますからな。しかし生憎、ハンターというのはどうも普通ではないらしい」

「2人殺されているからね」

「それは悪例として意識する程度に留め置いて良いでしょう。私達は彼らとは違うのですから…」

 マルカムの滑らかな口振りが訝しく閉じられた。ラッセルも眉をひそめて眼球を左右に走らせる。2人は強烈な違和感にとらわれていた。

「第三の干渉だと」

「結界が失せましたぞ」

 と、二階から派手な破壊音が轟いた。ホールに砕け散った扉と手すりの残骸、それにフレンド達が降ってくる。床に叩きつけられる寸前、フレンド達は常軌を逸した運動能力でもって受身を取った。しかし彼らと天使達の前に、猛然と飛び降りてきた者達は、それはもう異形としか言いようの無い代物である。

『こんばんは。久々に悪魔人間です』

『サダコでございまあす!』

『どーも、ジェイソンです。どーも』

(首無し騎士のクリストファー・ウォー○ンだ)

(ナショナル懐中電灯の鬼、山○努です)

 ヒーロー戦隊よろしくシパッとポーズを決めるモンスター達を前に、天使達も何となく言葉が無い。内1人、サダコは敵愾心を剥き出しにして、一歩前に進んだ。

『サマエルの寄生虫どもが。原型を留めぬ残骸にしてくれるわ』

 指先をガキゴキと鳴らし、激怒の形相も露わにサダコの曰く。対して2人の天使は、涼しい顔で掌を彼らに向けた。

 同時に5人のモンスターが軽々と吹き飛んだ。続々と壁に、床に叩きつけられ、突っ伏し、それでも負った打撃は然程でもない。

「頑丈だな。驚いたよ」

 ラッセルの呟きから、驚嘆の色は全く見受けられない。ルカこと悪魔人間が、頭を擦って再び天使達に対峙する。そして試しに言ってみた。

『今日のところはこれくらいにしておいてやりますから、さっさと帰って頂けませんでしょうか?』

 返ってきたのは乾いた笑い声が2つである。つられてルカもカラカラと笑った。笑いながら漆黒の巨体を折り曲げて突貫する。同時に他4人も突撃し、殴打と斬撃を雨霰と天使達に見舞う。それでも天使は異能で防ぐ事もせず、その場から一歩も退かずに両腕だけで全ての攻撃を受け流してみせた。

「マジカル何とかアローッ!」

 等と裂帛の可愛い気合声が放たれると同時に、マルカムが二本指で矢を食い止める。

「無駄ですよ」

 攻め立てる5人をラッセルと共にいなしつつ、マルカムは次の矢をつがえて二階から自身を狙ってくるエルダに言った。

「無駄無駄。全てが無駄です。君達は私達との圧倒的な違いを理解していない」

「それでも、何度でも射ます! 何度だって!」

 マルカムの哀れみに聞く耳を持たず、エルダが弓の速射を繰り返す。彼女の背後を守り、塩弾を撃ち続けてフレンドの再接近を阻止するヴィルベートは、勢いが堰き止められる展開に舌を打った。

 成る程、天使は強い。

 悪魔の集団相手に無双したこの面子が、たった2人の天使を前に手も足も出ない。天使達は防戦一方に徹しているものの、何れフレンドと共に押し包もうとしてくるだろう。その時は呆気無く決着がつく。間違いなく。

 ただ、即座にそれをやらないのが天使なのだとヴィルベートは思った。彼らは敵対する人間を圧倒する自分、天使の高みに居る自分に酔い痴れていると言って良い。天使達は戦いがどれだけ恐ろしく、過酷なものかを、根本的に理解していない。

(だから、同じ失敗を何度も繰り返すんだよ)

 ヴィルベートが密かに嘲笑する。

(ほら、時間を合わせる事が出来た)

 正面の扉が蹴破られ、外からハンターの一団が雪崩れ込んで来た。そろそろ瞬殺してくれようと、余裕を湛えていた天使達の表情が凍りつく。彼らの侵入は、ガリンシャとパシファエの防御が突破された事を意味しているからだ。

 

 果敢に挑んでくる怪物達に対し、弧を描くように力を行使して再度弾き飛ばした後、2人の天使が突入してきた人間達に相対する。先頭の2人がライオットシールドを天使達に向け、女の方が一歩前へ進み出た。。

「聞きなさい、人間達!」

 あらん限りの声を絞り出し、エーリエルが絶叫する。片手に霊符。半径500mの説得。

「あなた達の信じるものの正体は、サタンよ! 嘘だと思うなら其処の天使に聞いてみるがいい!」

 サタンという名詞のインパクトは絶大である。余りにも悪名轟く魔王の名は、人間の天敵として全世界の規模で知れ渡っている。半径500mの説得は言葉に説得力を持たせる効果があるので、フレンドに残る人の部分がそれを戯言として片付ける事は出来なかった。都合、フレンド達の対応に一瞬の空白が発生する。

『如何にもその通り』

 即座にラッセルが自らの意思の周知徹底を図る。

『御主は甘んじて魔王の名を受容された。御父上が人を庇護から外そうとされ、それに異を唱える戦いに挑んだその時から。尊い御使いでありながら、悪魔の王を称せられる屈辱よりも、人を救わんとする断固とした意思を優先されたのだ。その深き慈愛に私達は命を賭して報いる義務がある。故に人よ、御主を心から愛せよ』

 動揺しかけたフレンド達は、ラッセルの意思の浸透によって即座に立ち直った。が、更に一瞬の空白が追加されたのは間違いない。それは勃発した戦いにおいて、極めて大きな隙の発生へと繋がった。

 シルヴィアとエイクが即座に天使達をPKで押さえ込む。同時にハンター達が一斉に行動を開始した。

「ジークリッド、ラスティ、地下へ!」

 シルヴィアが叫ぶ。

「あなた達の敵が、其処に居る!」

 ラスティ、それにジークリッドは、シルヴィアの張り上げた声に応じて反射的に動いたものの、互いの意思が躊躇と共に交差する。それはつまり、地下祭壇に彼らの主敵が陣取っている事を意味している。

「おぬし等、私と共について来い!」

「アタシ達から離れるんじゃないわよ!」

 ラスティ、ジークリッドが祭壇破壊を目指す者達をガードしつつ、足早に地下へと繋がる階段を目指す。更にアンジェロとエリニスが前に出、マックス、アンナ、そしてカロリナを後ろ背に守る。

「何と、マックス様ではありませんか」

「それに落ちこぼれのカロリナまで御登場か」

 2人の天使は若干動揺の色を見せたものの、くいと顎を動かした。フレンドに彼らへの対抗を命じたのだ。その様を見、エイクが絶句する。

「まずい、拘束が外れる!」

「醜いアンチ・クライスト共、汝の力は然程でもないなあ」

 言って、ラッセルはひょいと手をかざした。斬り込んで来たエーリエルのテンペストを難なくと受け止める。しかしラッセルの口から苦痛の声が漏れた。

「何だこれは。穢れた力に頼りおって」

「やかましい!」

 掴まれたまま構わずに、エーリエルがテンペストを更に押し込んで行くも、自身に向けられるマルカムの指先を横目にして息を呑む。が、突貫したドラゴがナックルでマルカムの胴を深々と抉り、その体を宙に舞わせた。其処に立ち直ったジェイソンとサダコが襲い掛かり、ラッセルとマルカムを分断する。一瞬気を取られたラッセルの虚を突き、ルカが彼の側頭に拳を叩き込んだ。横転せんばかりに転げ回って体勢を立て直し、それでもラッセルはどうという事も無く、ハッ、と息つくのみである。

「助かった、ありがとう」

『どうも。しかし全然全く効いちゃいませんよ』

「いや、不死身の者なんてこの世に居ない」

 軽く会釈を交わし、エーリエルとルカが弾かれたように場を分けた。エーリエルはドラゴと背中を合わせ、ルカはクリス、要蔵らと共に対マルカムの援護に向かう。

「ヴィヴィアン、こちらはお任せを!」

 絶叫するドラゴに言われるまでもなく、ヴィヴィアンは地下を目指す一行に襲い掛かるフレンド達と、既に高速格闘戦を開始していた。

『シルヴィア、さあ早く!』

「嗚呼ルカ、変わり果てた姿に」

『原因はあんたですよ』

 等々場にそぐわぬやりとりでもって、ルカはシルヴィアとエイクをアルベリヒ奪還に向かわせる。

 これにて、邸内における事態の推移は三方面の戦いへと変化した。

 地下祭壇の破壊、及びシェミハザとの戦い。

 アルベリヒと専務を捕らえる結界の突破。

 そして地獄の対天使戦。

(我らを捨て置いて他所を援護するつもりは、無いようですな)

 天使と、それにフレンドに包囲されつつある自分とエーリエル、それにルカ達を認識し、ドラゴは落ち着いて思考を巡らせた。

 それはつまり、援護する必要無しという判断なのだろう。結界破りは不可能。地下祭壇破壊も不可。シェミハザに勝つ事は出来ない。よって天使達の取った選択は、古い神に助力を得ている自分達の排除を最優先とした、というところだ。ドラゴはそのように判断した。

「随分高く買って頂いているようですな」

「涙が出るほど嬉しいわ」

 2人は完璧に同じタイミングで苦笑し、また同時に掌から『槍』を出現させた。

 

天使バルタザール 其の一

 戦いが始まった事は幽閉された2人も承知していた。しかしながらその結果如何に関わらず、サマエルが彼らに課した制約、言い換えれば呪いのようなものは容赦なく進行する。

 アルベリヒとバルタザールは各々ナイフを向け合い、互いの出方を探っていた。少なくともバルタザールに関して言えば、その慎重さが躊躇からくるものではないと見受けられる。アルベリヒと事を構えたくない、とはバルタザールの偽らざる本音だが、彼はサマエルに心の一部を切り分けられ、絶対服従を強いられていた。洗脳ではなく、それは支配である。

「私の良心に期待してはならない」

 未だ一歩を踏み出そうとしないアルベリヒに、バルタザールは言葉を選んで言った。

「私は君の言葉を聞く事が出来る。しかしそれを受け入れて自らの行動に反映させる術は、既に私の自由にはならないのだ。よってこの場の選択肢は二つだけだ。戦って生きるか、或いは死ぬか」

「それでも俺は何度でも言う。あんたはマルセロ・ビアンキだ」

 アルベリヒは普段通りに落ち着き払い、静かに言い返した。

「あんたは、あんたの心の内にあるものを舐めている。人と長く暮らし、得てきた感情の諸々をな。それは特定の何者かに支配されるような代物じゃない。俺達だって生きるうえで雁字搦めの制約を受けてはいるが、感情だけは絶対に自由なんだ。何を思い、然るに何を為すか。選択肢は無限にある」

 仕掛けはアルベリヒからだった。

 一息に距離を詰めてきたアルベリヒに対し、バルタザールは軽いステップを横に踏んだ。真横から一閃してくるククリナイフを、バルタザールが利き手で腕ごと跳ね上げる。そのまま蛇の如くうねりながら突進してきたバルタザールのナイフを、後方跳躍でアルベリヒが避ける。更に追い縋られて縦横無尽に繰り出される刃の応酬を、アルベリヒはほとんど反応速度のみで弾き返し続ける。

(なるほど、技術が高い)

 圧される展開にも関わらず、アルベリヒは冷静に状況を客観視した。

 バルタザールは正面面積を最小限に留める半身の構えをこちらに向け続け、裏や側面を取らせる挙動を欠片も見せていない。それは正にマフィアのナイフ戦のやり方そのもので、天使でありながら人間の戦闘術に、バルタザールはよくよく習熟していた。

(そうさ、これは人間同士の戦いなんだよ)

 ふとアルベリヒの脳裏に、バルタザールも同じ事を考えているかもしれないとの思いが過ぎる。しかし、バルタザールが淡々として無駄の無い、それでいて高速の突と閃を延々と仕掛けてくるに対し、持久戦狙いのアルベリヒはどうしても挙動にムラが生じてしまう。技術では同等か、アルベリヒの方が上であったが、戦いの向かい方という一点からすれば、切り刻まれるアルベリヒという決着を迎える事になる。しかし、状況が僅かに変化した。

 ナイフを引く動作と姿勢をアルベリヒへと傾ける挙動の中途で、バルタザールは小さく呻いた。傍らのテーブルに刃が食い込んだのだ。これを引き抜くという些細な行動は、アルベリヒという点取り屋にとって巨大な空間がぽっかりと口を開いたようなものだった。バルタザールが構え直す前に、アルベリヒの鉄拳が彼の口元に衝突する。

 もんどり打って背中からテーブルを叩き割り、バルタザールが床に倒れ込む。アルベリヒは追撃せずに身を引いた。これで戦いは、もう一度始めからだ。狙っていた持久戦の終焉が先延ばしになった事に、アルベリヒは安堵した。

「どうやら俺には女神の加護があるらしい」

 アルベリヒが冗談めかして言う。

「天使殺しを抜き給え」

 鼻と口から滴る血を拭い、バルタザールがゆらりと立ち上がってきた。

「このままでは、何れ君は体中から血を流して死ぬだろう」

「その前に鼻血を止めておけよ、ビアンキ専務。その間は待ってやるさ」

 

アンチ・クライスト 其の一

 本部を覆う結界の消滅から数分後、本隊の突入より少し遅れて、二方向から別働隊が窓を割って邸内へと侵入した。

 ラスティ配下、劉紫命の部隊は地下組に合流すべく階下へと突進する。そしてノッポと小太りの2人組は、階段を駆け上がるシルヴィアとエイクの後へ瞬く間に追いついた。

「姐さん、遅れました!」

「俺達が来ればもう安心ですぜ」

「よく来たマリオとルイージ! 台詞を聞くの久し振りだわ」

「無駄口叩いている暇は無いから」

 手を取って喜ぶシルヴィアと舎弟2人をたしなめて、エイクは5人のフレンドを向こうに回して渡り合うヴィルベートとエルダの元へと急いだ。

「やった、これで何とかなりますね!」

 肉迫するフレンドを魔法の杖でぶん殴り、エルダが快哉を上げる。が、散弾銃で塩弾を撃ち続けるヴィルベートの方は、ひたすら無表情を貫いていた。次第に迫り上がる不安をエルダに悟られない為だ。

「待った!?」

「待ちました!」

 軽くハグし合うシルヴィアとエルダを後ろに起き、前線をヴィルベートとブラザーズが固める。相対するフレンド達は、これまで散々弾き返したにも関わらず、不動の笑顔を張り付かせたまま祝福のナイフを携え、徐々に距離を狭めてくる。ヴィルベートは真正面を見据えて声を張り上げた。

「クリス、要蔵、援護を!」

「え?」

 切羽詰まった顔のヴィルベートを見、エルダは意外の声を漏らした。彼女の使い魔的な件の2体は、天使達を抑え込んでくれているルカの手助けになるはずだ。それを引き上げてまで、こちらの支援に来させるのは何故だろうと。ヴィルベートはフレンドから一切視線を逸す事なく、エイクに言った。

「エイク、普段通りの力を出せている?」

 エイクは一気に距離を詰めてきたフレンド達を、まとめて無形の力でもって吹き飛ばした。無様に転がるフレンド達は、しかし即座に立ち上がり、何事も無かったかのようにナイフを構え、また前進を開始する。忸怩たる面持ちで、エイクはヴィルベートに答えた。

「抑え込まれているよ」

「矢張りか」

「この邸宅に入った時からそうだった。因果律にすら影響を及ぼせる僕らの力が、この範囲内ではただの念動力者だ」

「私も私も。何かが爆発したらフレンドの頭がアフロヘアにイメチェン、サタデーナイトフィーバーよろしく踊り出す、っていうヴィルさんに頼まれたアレ。何かさっぱり無理だわ」

「…そんな事をシルヴィアに頼んだの、ヴィルベートさん」

「私だって人殺しはヤダもの」

 なるほど、作戦を主導したエーリエルが言う通り、これは一網打尽の罠だったのだ。目下の最大戦力であり、本来天使の軍勢とも戦が出来るはずのアンチ・クライストの到来を、サマエル側は当然のように見越していた訳だ。この邸宅では何かが彼らに作用し、本来のポテンシャルを損なわせている。それでも、アルベリヒと専務の居場所を探り当て、張られた結界を破るだけの力の持ち主は、アンチ・クライストを置いて他には居ない。

「シルヴィアさん、早くアルベリヒさん達を探しましょう。何処に居るのか分かりますか?」

 急いてくるエルダに頷いて、シルヴィアはキョロキョロと周囲を見渡し、実にあっさりと指を差した。

「多分ここ」

「ここ?」

「ええ、ここ」

 エルダと、それにヴィルベートも脱力した。彼女が示したその場所は、自分達が逗留していた部屋だったのだ。

 

ワルキュリュル 其の一

 各所で手順の差異が発生したものの、オペレーション:オルレアンはここまで概ね戦いの推移を望む形へと進めていた。

 エーリエルとドラゴは2人の天使を正面から引き受けるという、危険極まりない役に回っている。しかしながらそれは本来目指していた手段であり、他2人の新造天使を次席帝級のジルが1人で引き受ける形に持ち込めたのも、非常に大きなアドバンテージとなった。この場に天使がもう1人居れば、バランスは極端に向こう側へと傾いていたはずである。

 ただ、想定外であったところもある。フレンドの強さが、以前よりも更に向上していたのだ。

 

 指で素早く五芒星を描く。ただそれだけで2人のフレンドは、自身を狙い高速度で飛翔してきた『槍』を真正面から打ち消した。

 互いの背中を守りつつ、エーリエルとドラゴは『槍』が防がれた事に対して狼狽はしなかった。敵の縄張りに殴り込んだ以上、そのような事態も起こり得るものと2人は承知している。

「あの防御を崩せば良い訳ね」

「乱戦になれば隙も出来るでしょう」

 短く言葉を交わし、2人は各々2体の天使の動向をつぶさに見据えた。

 天使達は棒立ちのまま微動だにしない。それに合わせてフレンド達の動きも止まった。天使2体。フレンド4人。対するはエーリエルとドラゴ、それにルカ、ジェイソン、サダコ。6対5。クリスと要蔵はヴィルベート達の支援に回り、数的に言えば若干不利の状況。根本的な戦力差はどうかと言えば、現時点で不明。

 2階と地下では激しい応酬が繰り広げられ、その喧騒が耳に届いているものの、1階ホールは奇妙な静寂に支配されていた。

 考えるに、これは手順を構築している途上なのだとドラゴは解釈した。どのように押し包んで一網打尽とするか、敵はその手順を天使達が中心となって考えている。自分とエーリエルは、少なくとも天使達が行使した無形の力の奔流を、完璧に受け流す事が出来た。彼らに力を貸している古い神と、2人は高い段階の同調を迎えている。それを天使達は必要以上に警戒していた。都合、貴重な時間の猶予を向こう側が提供してくれた訳だ。

 しかしドラゴは肘でエーリエルの背中を突付き、彼女も応じて頷いた。強力なこの世ならざる者を相手に先手を取られるのは、ハンターの戦いでは即死へと直結する。敵の出方を待ってそれを受け止めるという戦い方は通用しない。しかも相手は天使だ。よって先手を取るのは必ず自分達である。出来れば敵の思惑を完璧に欺く飛躍的手段でもって機先を制するのが望ましい。

 と、不意にドラゴはこちらに視線を傾けるルカと目が合った。彼は何と言おうか、一般人が想像する悪魔としか言い様の無い姿形をしており、彼と肩を並べるジェイソンとサダコも、血が付着したホッケーマスクと気味の悪い白装束である。状況を弁えぬ人に『どっちが敵?』と問えば、間違いなく『あっち』と言われる側だ。

 その彼が、口の端を吊り上らせた。正に悪魔の笑い顔だったが、その笑顔の意味するところも、全くもって悪魔的所行そのものであった。

 遠くから車のタイヤが擦れる音が聞こえた。と思った瞬間、呪われたプリマス・フューリーが破られた扉に大穴を空けて突っ込み、飛び上がらんばかりの勢いで加速をつけて天使マルカムに衝突した。フューリーはホールの端までマルカムを押し込み、壁へと目掛けて激突させる。

『助けてクリスティーン!』

 ルカの声に応じ、フューリーが煙を上げて車輪を逆走した。この呪われた車は、もう一度距離を空けて更に押し潰そうという腹積もりである。

「マルカム?」

 意外なところからの攻撃に気を取られ、ラッセルは敵を前にして視線を仲間に向けるという愚かな真似をした。強大であっても戦そのものには習熟しておらず、また強者である事の驕りが天使にはある。よって危険極まりない攻撃に転じるエーリエルとドラゴの挙動に、ラッセルは気付かなかった。

 マルカムは苛立ちの形相も露に後方へ退きかけたフューリーのボンネットに拳を撃ち込み、車体下部を盛大に蹴り上げた。鉄の塊が軽々と宙を舞い、天井を下向けて床に落下する。クラッシュする派手な音と同時に、2人の天使は各々の手首に炎を燃え上がらせた。敵対する者を一挙に焼き尽くすはずだったその炎は、しかし天使同士に向かって真っ赤な舌を伸ばす。瞬く間に2人の体が燃え上がる。天使といえども、天使の攻撃を貰えばただではすまない。2人は咆哮を上げて炎を打ち消し、危うく膝を折りかけた。「変わり身」という奇矯な業が一斉に使用された事を天使達は知らない。

「どういうつもりだ!?」

「貴様こそ!」

 悪態をつくラッセルとマルカムの周囲に今度は煙が立ち込めた。そしてゆらりと浮かぶ影が1人ずつ現れる。エーリエルとドラゴによる欺瞞煙幕第6段階の同時行使。敵対対象6割強の「影」による攻撃が始まった。

 すぐさま天使達は粉微塵に消し飛ばそうとPKを振り向けたものの、影は意外に強い。逆に襲い掛かろうとする影を更に観念動力で食い止める。

 ここに至ってフレンド達が、金縛りから解放されたかの如く支援へと動き出す。しかしサダコとジェイソンが彼らに格闘戦を挑み、接近を許さない。サダコが手刀でもってフレンドの1人を肩口から袈裟斬にし、体を真っ二つに引き裂いた。

『ちょっと!』

 沈黙したフューリーから武器を引っ張り出す途上、ルカは声を荒げた。フレンドとはいえ相手は人間である。可能な限り彼らを救う算段を、この作戦は根底に置いていた。しかしサダコは『けっ』と呟き、今し方斬り捨てたフレンドに指を差す。彼らの目の前で、そのフレンドは血肉を菌糸の如く伸ばし、恐るべき短時間で体を修復させ、何事もなく立ち上がった。

『不死身なのよ、こいつらは。この化け物め』

『彼らもあなたにだけは言われたくないでしょう』

 軽く毒づいてみたものの、ルカの気も焦りが生じ始めていた。事ここに至って、自分達は消耗戦に持ち込まれつつある事に気付いたからだ。格闘戦では彼ら圧倒出来るものの、この戦い方を続ければ先に倒れ臥すのは自分達だ。ジェイソンがチェーンソーでフレンドの首を刎ね、ルカの傍に回る。徒労に終る様を見る数秒間に、ジェイソンがルカに素早く話した。

『この範囲は嫌な気が満ちている。出所は恐らく地下だね』

『地下?』

 また弾かれたようにジェイソンが戦い始める。自らも跳躍してフレンドを殴り倒しながら、ルカは地下祭壇が存在する限り、この戦いにはきりが無い事を改めて知った。ここはサマエルの力が溢れ出る最も近い場所にあり、フレンドはサマエルの庇護下に置かれた子供達である。そして新造天使も、また同じく。

 それでも、この状況下にあってフレンドと天使に対して「サマエルの使徒としての死」を与えられる者達が居る。だから天使は優先的にこの一団を排除しようとしたのだ。

 

 先に影を打ち消したのはラッセルだった。

 出来損ないの黒い物体に打ち立てた拳を引き抜き、これを打ち捨て、ラッセルは白煙が薄れ行く視界に怒気を孕んだ目を向けた。おのれ、おのれと、ラッセルの憤りが口から漏れる。人間如きに、こうまでコケにされるとは、と。この期に及んでラッセルは、今の状況が慢心による自業自得である事実に気付いていない。天使にそぐわぬ荒々しい感情の乱れにラッセルは囚われ、結果次の一手を遅らせた。だから気付いた時にはエーリエルが至近距離に飛び込み、既に拳を引く構えであった。

 体を半回転させた渾身のフックがラッセルの腹部を抉る。純銀製、それも呪法が相乗した篭手が骨と内臓を破壊する。直後、火薬の破裂音と共に大量の銀製散弾が腹から背中へと突き抜けた。本来であれば銃器類が直撃しても、天使には傷ひとつつける事は出来ない。しかしその武器は違った。込められている力も桁が外れていた。

 片足で地を蹴り大量の血を口から溢れ返らせ、ラッセルはエーリエルから距離を置いたものの、力を失って膝をつく。一斉射を終えたブラスター・ナックルを無造作に捨てるエーリエルを見据え、ラッセルはほとんど脊髄反射の挙動でもって人差し指を彼女に向けた。しかしドラゴのブラスター・ナックルがラッセルの側頭部に叩き込まれ、またも散弾が破裂する。ラッセルの首から上がスイカのように弾け飛ぶ。倒れ臥す。

 それでも天使は死んでいない。サマエルに護られる不死身の子であった。ラッセルはガタガタと体を震わせ、体から損なわれた部位を集め、然程時間をかけずに元の体へと修復した。そして回復した目で最期に見たものは、輝く二つの『槍』が自身目掛けて撃ち込まれる様である。

 目と鼻と口から膨大な光を放出し、壮大な翼を焼け跡の如く床に擦り付け、ラッセルは天使としての完全な死を迎えた。その様を見、一足遅れで影を倒したマルカムが絶句する。ハンターが攻撃を開始してから、ほとんど1分足らずという短時間で天使が1人殺されてしまった事に。それを成し遂げたエーリエルとドラゴが、淡々とした視線をマルカムに回してきた。

(排除する、と)

 彼らにとって、天使である自分達は立ち塞がる壁でしかない。2人の目が、そう言っていた。マルカムの目に嗜虐の炎が揺らぐ。苦しみ抜かせて息の根を止めてやろう、と。それは凡そ天使が持つ思考ではなく、むしろ悪魔の側に近い。残虐な性根の指示に従い、マルカムは呪いの言葉を口にした。

「諸君、黒死病にかかりましたな?」

 先ずドラゴが倒れた。続いてルカ。あまつさえ、人間ではないジェイソンとサダコまでも。

「一体何が」

 其処から先を口にする前にエーリエルも糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。悪寒と高熱が同時に発症し、体中から黒い痣が浮き出て来る。混濁する意識の中で、エーリエルはマルカムの言葉を聴いた。その声のする方に辛うじて顔を向け、エーリエルは彼の言葉がとても満足げである事を知る。

「最初からこうすれば良かったのですよ。くだらない。実にくだらないですな。お前達の仕掛けた場にわざわざ乗ってしまうなどと」

 かか、とマルカムが笑った。合わせてフレンド達も、高らかで陰湿な笑い声を上げた。

 

天使シェミハザ 其の一

 潜んでいたフレンド達が祝福のナイフを片手に襲い掛かり、都度ヴィヴィアンは彼らに対して優位な格闘戦に持ち込み、尽くこれを退けた。しかし、以前とは様相を異にする点がある。

「助かるぞ」

 走る足を止めず、ジークリッドは言葉短く礼を述べた。受けてヴィヴィアンは、どうも、とこれも短く応じ、一行の真横にいきなり現れたフレンドを殴り倒した。拳を引いて階下を目指す一行に併走しつつ、ヴィヴィアンの表情に曇りが生じ始める。

「どうしたんだい」

 とは、勘の良いアンジェロ。

「上手くフレンド達を無力化しているように見えるんだけど」

「おかしい。腑に落ちない。彼らが強さを増している事は想定していたし、実際にそうだった。肉体を破壊しても死に至らない点は予想外だったけど。そして彼らは全力を出していない」

「え?」

 アンジェロの顔に疑問符が浮かんだ。

 彼らが目指す地下ホールには、フレンドがフレンド足り得ている元凶、祭壇が鎮座している。敵側にとっては最も重要なガードポイントであるにも関わらず、フレンドの防衛行動は散発的で、怠慢とすら言えた。それはジークリッドとラスティも勘付いているらしく、険しい眼差しに若干緊張の色が混ざっているのが分かる。アンジェロもようやく深化する状況に気付いた。

「もしかして、誘われている?」

「上等じゃ。ここまで来たのだ、何を仕掛けようが突き破ってくれる」

 ジークリッドは呼気を腹から吐き出し、気を張って言い切った。

 と、後ろからフレンドではない別の一団が全速力でもって追いついて来た。ラスティ麾下の劉部隊である。彼らもまた対天使戦に通用する、天兵の称号の持ち主だ。

「ラスティ姐さん、チィッス」

「もうちょっとマシな登場の挨拶とかあるでしょ? いや、それよりフレンド達から仕掛けられなかったの?」

「それが妙なんですよ。連中、俺らを見ても潮が引くように撤退しましてね。俺も侠客の端くれですからね、逃げる奴をどうこうってのはしない主義でして」

「ああ、もういい。もういいわ」

 言って、ラスティは片手を挙げ、走る一行の足を止めた。

「何故立ち止まるの?」

 問い掛けるエリニスに、ラスティは頭を振って答えた。

「彼らはアタシ達の退路を絶ったのよ。引き返したら、また襲ってくるわ」

「何故」

 エリニスは動揺した目をカロリナに向けた。見返すカロリナも、また同じような顔である。もしかすれば、地下祭壇は然程重要な対象ではないのかと疑問に思うも、エリニスにカロリナの意図が伝わり、それは違うとの確証を得た。地下祭壇は紛れも無い、フレンドを支配下に置く為のシステムそのものである。咄嗟、カロリナとエリニスは同調した意識のままに崩れ落ちかけたマックスに手を差し伸べた。それはつまり、彼を支えていたアンナも力を失った事を意味している。

「やばい」

 呼吸を荒げつつ、アンナは目を剥いてしゃべらないマックスを見下ろした。

「私にも分かったよ。凄いのが控えているって。もう1人の私が警戒警報を鳴らしまくってやがる」

「大丈夫?」

「ああ。ありがとさん」

 エリニスに引っ張り上げられるアンナを見、ジークリッドとラスティは顔を見合わせた。彼女の心の奥底に刷り込まれた元天使の記憶が露呈し、事の深刻さを物語っているのが今の状況だ。ジークリッドはカロリナの肩を借りたマックスに、念を押して問うた。

「この先に何が居るのか分かるか?」

「大きい」

 返すマックスの言葉は端的だ。

「サマエルほどではないけれど、大きい」

「…先を進もうぞ」

 ジークリッドは剣を正面に立て、一行の先頭に立った。両脇をラスティとヴィヴィアンが固め、劉部隊が後方を包囲する。その中にエリニスとカロリナ、アンジェロ。そしてマックスとアンナ。階下に降り立ち、一向はホールの扉へと歩を進めた。

 ドアノブにジークリッドが手を掛け、回し、ゆっくりと引いた。中は一寸先も見えぬ闇である。照明を落とすだけでこれほどの漆黒は形成出来ない。それでも第一歩をジークリッドが踏み入り、その後を一行が続く。

 そして彼らの眼前に広がったのは、青空と一面を埋め尽くす花畑であった。

「これは、何」

 震える声を漏らし、カロリナがエリニスの掌を強く握り締める。アンナが重度のフレンドであった頃、当然ながら地下ホールにこのようなものは無かった。

「落ち着いて、カロリナ」

 ラスティが鼻を鳴らし、カロリナを宥めた。

「こんなもの、真下界で散々見てきたし。相手が相手なら、驚くほどの事でもないわ」

「そう、これは現実に見紛うばかりの幻に過ぎぬ」

 言って、ジークリッドは剣尖を正面に向けた。

 その先で、美貌の青年が座を組んでいる。何処の人種とも見当がつかない、不思議な容姿の造形物が。

「あれが敵か」

 ヴィヴィアンが腰を落とし、青年を見定めた。それと同時に、俯きがちだった青年の顔がゆっくりと上がる。彼は目を閉じたまま穏やかな笑みを浮かべ、清らかな声で一行に語りかけてきた。

「君達、待っていたよ、君達」

「シェミハザか?」

「そうだよ?」

 シェミハザの回答に呼応し、一行は続々と銃器を正面に向けた。空間に響く不躾な金属音に困り顔を見せるも、シェミハザはまた優雅に笑い、慈しむように言葉を続けた。

「あまりいきり立たないで欲しいね。折角君達を招いたというのに。私は君達と、話がしたいと思っているだけなんだよ」

 答える代わりに、銃器類の一斉射撃が始まった。火薬が爆ぜる凄まじい音量が連打で場を制圧し、慣れないカロリナとアンナが耳を塞いでしゃがみ込む。銃弾はシェミハザへと雪崩を打って襲い掛かり、しかし彼はその全てを直前で食い止めた。それでもシェミハザの眉間が僅かに皴寄る。銃弾に込められたメルキオール由来の力を抑えるのは、些か苦しいところがあるらしい。

 そして銃撃に一旦の区切りが出来たと見るや、シェミハザは片手を挙げて言った。

「まあ、待って」

 と。

 その一言で、一行の行動全てが食い止められた。何か奇妙な力を使われた訳でもない。言うなれば、猛獣に睨まれた羊のようなものだ。静かながら、圧倒的な迫力がシェミハザにはあった。

「好きに動くといいよ、君達、好きにするがいい。しかし、それは話を聞いてからでも遅くはない。きっと、私達は分かり合えるはずだよ」

 シェミハザが言う。その言葉は猛毒を仕込まれた甘ったるいワインのようだと、全身から嫌な汗を滴らせてジークリッドは思った。

 

<南部方面防衛戦線 3>

 シェミハザは、あの醜い肉の塊は、遂にハイウェイを降りて市街地へと到達した。問答無用で人間を取り込み、その体をこえ太らせる一方の怪物が、人の生活圏への侵入を果たしたのだ。

 クレアに率いられた庸の精鋭部隊は激しく応戦し、侵攻速度を可能の範囲内で抑えてはいた。しかし南部地区は市外中心から離れているとは言え、少し前まで集中し過ぎた人口がこの区域まで溢れ返っていたのだ。SFPDの避難誘導は精力的に実施されていたものの、都合安全地帯を求めて北へと逃げる人々は、程なく全高10mを越えるシェミハザを目撃する羽目となった。

 阿鼻叫喚の地獄絵図さながらに、秩序を無くして四方八方へと逃げ惑う人の群れを掻き分け、クレアは血相を変えて携帯電話の相手に怒鳴りつけた。

「メルキオール、援護まだ!?」

『あと2分待て』

「遅いよッ!」

 携帯を切り、クレアは突撃銃の狙いを遠くのシェミハザに定めて、氾濫する川の如き人々の流れに逆らい、ひた走った。市民の避難状況を確認する為に一旦後方へ退いた事を、クレアは心から後悔した。

 通りに捨てられた車が数珠繋ぎの車列を作り、それが空間を一層狭め、避難が思うように進んでいない。市警の勧告を無視して車で逃げようとする人々があまりにも多かったのだ。気持ちは分かる。あのような常軌を逸した化け物を目の当たりにしてしまえば、恐慌に陥る心理というのは、人として自然かもしれない。しかし、それによって自らの首を絞めては世話が無いのだ。

(どうなるんだろ、これから)

 不意にクレアの心に疑問が過ぎる。

(あんなものが実在して、人間は食い殺されるしかないと知って、どうなるんだろう、この街は)

 世界は。

 ルスケスによる宣戦布告から始まった異形空間への誘ないは、今や実体を伴って人間の領域を侵食している。価値観の大転換は免れない。サンフランシスコは戦わなければ食い殺される世界になった。果たしてかつての一般市民達は、その事実を突きつけられて如何とするのだろう。

「…取り敢えず、死ななきゃ何とかなるわ」

 呟き、大きく息を吐く。一向に進みが遅いままの状況にしびれを切らし、クレアは車のボンネットに飛び乗って、人ごみを避けるべく車伝いに疾走した。そしてシェミハザが何とか押し留められている様を見、庸の天兵達の働きに感謝する。彼らは死を覚悟の最接近戦闘を心許ない銃器で挑み、素晴らしい事に誰も死んでいなかった。指揮系統を掴んだクレアの功績でもあるのだが、自賛する余裕など彼女にはない。

 ただ、クレアは一点危惧していた。肉食の猛獣が草食動物の群れを狙うその時、大人と子供、どちらを選ぶ? 反撃して来ない、捕まえ易い方を選ぶのは自明の理だ。子が育つ時間を待つような情感など野性の掟には存在しない。そしてシェミハザの行動原理も、限りなく感受性が磨耗した本能の塊と見える。そして起こるべくして、それは起こった。

 シェミハザの体から一本の「腕」が有線ミサイルの如く射出された。人間の死体で構成されたそれが、距離を伸ばして瞬く間にこちらへと向かって来る。先端が人間の「掌」のように開き、つまりシェミハザは避難する人々をまとめてこそぎ取ろうという腹なのだ。

 クレアが突撃銃をフルオートで打ち尽くす。散弾銃に持ち替え、スライドと射撃を繰り返す。「腕」から肉片が飛び散り、苦痛で身を捩じらせる素振りは見せるも、「腕」は大きく迂回のルートを取った。そして悲鳴を上げる群集目掛け、虫を叩くように「掌」を激突させた。血飛沫が噴出して真っ赤に染まるアスファルトの上で、「掌」はずるずると引き摺って「拳」を形作る。滅茶苦茶な肉の塊になった死体の山を、シェミハザがその身に取り込もうとする様を、クレアは目の前で見てしまった。

「ああ、そうかい」

 歯を軋らせ、突撃銃のマガジンを再装填。

「これはもう戦争なんだ」

 構え。射撃。また装填。圧倒的な異様を前に、クレアは一歩たりと退かずに銃を撃ち続けた。シェミハザの注意がこちらに向かっていると分かっても。しかし、転機は唐突に訪れた。

 シェミハザの動きが、ピタリと止まる。目を見張るクレアの前を、ようやく放たれたメルキオールの援護射撃が突き抜ける。光弾は一直線にシェミハザの本体を撃ち抜き、合わせて「腕」も混乱を来たすかのように出鱈目な方向へ身を振り上げ、ビルを破壊しながら落着した。のた打ち回るその仕草に一貫性らしきものは感じられない。これまで見られなかった挙動である。

 クレアは気が付いた。どうやらシェミハザ本体への干渉がハンターによって開始され、虚ろ身の操作への集中を欠いているのだと。

 

ゲストハウスの攻防 其の一

hurry , hurry , hurry!」

 煽り立てるラウーフ分隊長の指示を受け、彼の配下と市警の選抜隊が各々の持ち場に続々と就いて行く。SWATである自分達はともかく、さすがに選抜隊と呼ばれるだけあって、警官達の挙動は些かも無駄がない。異常状況下にあって、彼らも人として思うところ多々有りであろうが、それでも下された命令は躊躇無く履行出来ている。そういう警官が選ばれたという事だ。

 翻って、ハンターを含めてこれだけの人材が集中しているからには、ジェイズ・ゲストハウスというハンター達の拠点が、どれだけ重大な場所であるかも明白である。

「ここだけは、絶対に抜かれてはならない」

 ラウーフは口元を引き締め、戦闘状況の総指揮を担当するジェイコブにヘッドセットの無線を繋いだ。

「10秒以内に市警は全員配置完了」

 

『周辺状況を説明する。MEWSのEMFに引っ掛かっているのは今のところ悪魔のみ。全てブルーゾーン外』

『数は?』

『凡そ10人強。監視カメラの存在に全員気付いている。しかも電磁場異常を消せる。Xclassisの強敵だ。メインストリート向こうを綺麗な半円形で囲んでいやがる。ナタリア、上から見えるか』

『データグラスに反応は写るが、姿までは黙示出来ない。屋内を伝って進んでいると見ていいね。それも瞬間移動で』

『フレンドは見えるか』

『見えない』

『こちらサイトー。ジェイコブ、矢張りフレンドも瞬間移動をしている。その際のEMF反応は』

『ある。散発的に。こちらに回ったのは70人前後だが、これも悪魔と同期して包囲網を敷いている。挙動を確認次第追って報告。以上』

 手早く事務的にジェイコブの報告が終る。状況は進展無しという訳だ。腹這いの格好で極力身を隠し、ナタリアはスコープ越しに警戒を続行した。事の始まりから今に至るまで僅か10分足らずである点を踏まえても、敵側が数にあかせた飽和攻撃を未だ控えているのは、ナタリアの懸念するところである。

「聞こえるか」

 ナタリアは無線を斉藤に繋いだ。

『聞こえる』

「悪魔はどう動いてくると思う? 『人間爆弾』は派手で厄介だが、どうも連中の存在が胡散臭い」

『そりゃフレンドのサポート的役回りだろ。通るのに邪魔な石をどける』

「その手段が分からない。連携しつつも、連携した行動は取らないような気がするね。悪魔の思考はどいつも似たようなもんだ。何時だって弱いところを突いてくる」

 そう言いながら、ナタリアは視線を後ろにやった。

 ジェイズの防御は恐ろしく厚い。その構築は攻撃を跳ね返すのではなく、攻め寄せた集団の殲滅を主眼に置いている。ゲストハウスへの出入りはメインストリートに限られており、其処こそが殲滅の仕掛けが施された主戦場と設定されていた。

 しかしバックストリートはどうだ。無論ここにも防御が敷かれているものの、引き入れて潰すという形ではない。ジェイズに最接近出来るのは確かにメインからだが、敵に出方を考えている気配が伺える以上、様々な手段を講じて突破を図ってくるだろう。ナタリアは迷わず向きを変え、バックストリート方面の監視を開始した。

 

 雑居ビルの屋上で何者かが潜んでいる事は、悪魔達の内の1人も承知していた。名をゲイブルという。ジェイズ・ゲストハウス攻略戦の指揮統括者でもある。

「迎撃態勢準備良し、というところだな」

 ゲイブルが呟く。尤も、それは独り言ではない。彼の思考と言葉は、この方面に展開する全ての悪魔、あまつさえフレンド達にも伝達されていた。

 ほんの少し前までは、表立って悪魔とフレンドが行動を共にする事は無かった。それが今や彼の一存で、フレンドが進む行き先を変更する事が出来る。まるでラジコンボートのようだとゲイブルは面白がったが、それにうつつを抜かして慎重を欠くほど愚かではなかった。

 行き先変更とはフレンドの進行を制御出来るという意味だが、彼らの細かな一挙手一投足に干渉出来る訳ではない。フレンドの思考は御主の指令に満たされている。障害を乗り越え、邪悪の巣窟に突撃して彼らを浄化せよ。とどのつまり狂信者の自爆攻撃である。

 そして彼らの御主とは、現在の悪魔達の直上に君臨する存在でもあった。地獄から自分達を引き連れた、あの慇懃で強大なカスパールは、ハンター達の手でボロ雑巾のように打ち捨てられた。悪魔に似合わぬ厳格さで自分達を思うが侭に縛り付けていたカスパールの最期を聞き、ゲイブルを始めとする悪魔達は軒並みいい気味だと嘲笑したものだ。今の君臨者はカスパールも比較にならない圧倒的存在であるも、守るところを守れば好きに動ける自由を自分達に与えてくれる、なかなか良い上司である。

 が、同時にゲイブルは、カスパールの死に恐れも抱いた。既に人間側は、天使由来の破格の悪魔をも完膚なきまで滅ぼすくらいに力をつけている。よってこの攻勢に際しても、ハンターの前に馬鹿面を晒す事をゲイブルは厳に禁じた。

 そして状況を注視し、ゲイブルは幾つもの不自然な点を発見する。その最たるところが、複数のゲストハウスだ。目標と全く同じ形をした建物が計4つ。ハンター側は何も無い場所にいきなり建物を出現させるという、得体の知れない手段を行使してくると聞いてはいたが、実際に目の当たりにするのは初めてであり、薄気味悪ささえ覚える。一体どれが本物なのか、全く検討がつかない。先のビル屋上のハンターも、4つのビルからは離れたところに居り、今のところ連中が姿を見せているのは其処だけだ。防御をジェイズに集中させるはずと踏んでいた当初の想定は、それで覆ってしまった。

 更に、4つのビルに面する形で、細長い奇妙な建物がストリートに迫り出すように鎮座していた。これも恐らく得体知れずの代物なのだろう。敵側はこの方面に最大の防衛を構築しているはずだとゲイブルは考えた。

「まあ、良い」

 ゲイブルが昏い笑顔を浮かべる。

 万全の準備を整えているだろうハンター達に対し、恐れを知らぬ狂信者達はサマエルの意思の下、喜んでその身を爆散させるだろう。その飽和攻撃の最中にあって、自分が付け入る隙は必ず生じるはずだ。

「正面攻撃開始」

 その一言で、フレンド達は行動を開始した。

 

「動いたか」

 ジェイコブからの連絡通り、フレンド達はEMF反応を隠しもせずに優勢な数をさらけ出してきた。斉藤がハンドサインを通り向かいのSWATに送る。隊員の1人、ホアキン・アルメイドが頷き、テンダーロイン中に仕掛けられたスピーカーと繋がるマイクを口元に当て、穏やかな声で警告を発した。

『現在この地区は、無差別テロ攻撃の対象の可能性があり、一般人は許可無く立ち入る事が出来ません。無断侵入者は警告無しに発砲します。封鎖テープから先に立ち入らず、速やかにお戻り下さい』

 ホアキンの呼び掛けは、ほぼテンダーロインの全域に響いている。その間も斉藤はデータグラスでフレンドの反応を注視していたが、案の定反応は無い。無線をジェイコブに繋ぐ。

「ジェイ、モニタにフレンドは」

『映っている』

「彼らに躊躇は」

『無い。たった今、ブルーゾーンに進入された』

「良し」

 フレンド達がこちらの言葉に一切の耳を貸さない点は想定内だった。そして想定内である事は、こちらにとってアドバンテージに繋がるものと斉藤は認識している。主導権は自分達が当初から握り続けている。そして自分達の声が届かないのならば、それはそれで考えがあった。斉藤はICレコーダーとマイクを路面に置き、スイッチを入れて場を脱し、フレンドに狙いを定める前線の援護に向かった。

『ケリー、一体何処にいるの? 早く私達の元に帰ってきて』

 突如、場にそぐわぬ年配女性の、不安に駆られる声が聞こえてきた。その声を聞き、不動の笑顔でメインストリートに踏み入ろうとしていたフレンドの若い女が、表情を歪めて立ち止まった。

「母さん?」

 そう呟いた途端、ケリーは膝を崩してその場に倒れ伏した。彼女にテイザー銃を撃ち込んだSWATのザックが、ヒュウと口笛を鳴らし建物の裏手伝いに位置取りを変える。

「驚いたな、効いているぜ」

「ああ、相手はこの世ならざる者なのにな。身を落とせ」

 仲間のレイモンドに言われ、ザックが身を屈める。続々と敵の姿が通りに出てくる姿が壁と壁の隙間から窺える。そしてまた1人が、スピーカーからの一般市民の呼び掛けに反応し、その場で棒立ちとなった。其処を狙ってまた撃つ。倒れる。

「考えれば当たり前の事だが、連中相手に想像は出来ん。それをこの場で実行に移すとは」

 2人を護衛するラエフが、実際の効果を目の当たりにして舌を巻いた。

 フレンドは既にこの世ならざる者だが、人間だ。親兄弟もあれば、子供がいる者もあるだろう。彼らの素性は市当局が掴んでおり、斉藤は事前に家族からの呼び掛けの録音を依頼していたのだ。そして録音したレコーダーをスピーカー越しに流す。たったそれだけの事が、この場では極めて有効に作用していた。

 サマエルはフレンドの魂を縛っているものの、濃密な情までは完全に消す事が出来ていない。以前、サマエルはそれを逆手に取って王親子を殺し合わせようと目論んだが、結果、束縛の盲点をハンター側に露呈する事へと繋がったのだ。情を突きつけられたフレンドは、僅かな間とはいえサマエルから離れて人間に戻る。その瞬間を狙撃されれば、通常であればものともしなかっただろうテイザー銃も威力を発揮出来る。そうやって、少しずつではあるものの、SWATは攻め手を削って行く事に成功していた。

 しかしながら、フレンドの頭数は多い。特段素早い動きを見せる事無く、彼らは続々とメインストリートに集結しつつあった。そして隠身に長じたSWATの挙動も最終的には露呈する。更に場を変えようとする三人の前に、いきなり中年男が姿を現した。

「ここでしたか」

 にっこりと笑う男の顔面を、ラエフのストレートが狙う。唸りを上げてきた拳を男は掌で無造作に受け止め、空いた方の手をラエフの胸に押し当てた。彼の体が綿のように浮き、ザックを巻き込んで路面に激しく衝突する。咄嗟、拳銃を抜こうとしたレイモンドの手が、後ろから絡め取られた。何時の間にか虚ろな顔の女が居る。女は細身の体から想像もつかない腕力で、レイモンドの首を掴み上げた。暴れるレイモンドをものともせず、そのまま首をへし折りにかかる。

 しかし女の体が横飛びに転がった。投げ出されて咳き込むレイモンドの前を足早に斉藤が通り過ぎる。向かいの中年男が身体能力に任せて動き出すも、その第一歩が異様に遅い。『鈍化』だ。その違和感に戸惑う間もなく、男は突撃銃を向けてくる斉藤の姿を正面から見る羽目になった。

「助かった」

 立ち上がって礼を述べる3人に軽く手を挙げ、斉藤は彼らを引き連れて急ぎその場を離脱した。件の女と中年男を発砲したからには、その音を聞きつけて他のフレンドが排除にかかる可能性がある。加えて、先の2人は死んでいない。呪法相乗を施した突撃銃の効果は絶大だが、フレンドという怪物を根本的に殺す事は出来ない。ダウンの時間が長くなるくらいに解釈した方がいい。

 斉藤は反対側で奮戦するラウーフとホアキンに、無線で撤収を呼び掛けた。戦いはブルーゾーンを越え、イエローゾーンへと移行する。

 

アンチ・クライスト 其の二

 その室内にアルベリヒとビアンキ専務が囚われているのは間違いない。其処は以前にアルベリヒと神余、そしてビアンキ専務が、サマエルに謁見した部屋だった。

 ただ、物理的に出入り自由なその部屋に、視認不可のもう一つの部屋が作られている、という訳だ。高位悪魔や天使が良く使う、いわゆる「ずれた」空間にアルベリヒ達は閉じ込められていた。ただ、ずれた空間と現実との狭間には、必ず隔てるものが存在する。敢えて具体的に言えば、扉に相当する代物だ。空間を作り出した者にとって、その扉の開閉は容易であるが、それ以外の者には見つけ出す事もこじ開ける事も困難を極める。まして、空間の創造者はサマエルなのだ。幾らアンチ・クライストとはいえ、その所行は並大抵の難易度ではない。

 よって、シルヴィアとエイクが必死に糸口を探るその間、彼らを守るハンター達は、押し寄せる不死者を延々跳ね返すという苦行を強いられる羽目になった。

 

「ビューティーセレインアロー・マジカルシュート!」

 マジカル何とかアローの正式名称である。

 蹴り倒そうがステッキで殴ろうが、この本部内で恐ろしく力量を上げたフレンドにはほとんど痛痒が無いらしい。故にエルダも、遂に弓をフレンドに対して向けざるを得なかった。ビューティーセレインアロー・マジカルシュートが、これでもかこれでもかとフレンドに打ち込まれるも、見た雰囲気は「やや痛い」という按配である。矢が脳天に刺さったまま気色悪い笑顔を浮かべ、こちらに向かってくるフレンドを見、さすがのエルダもバテかけた。

 しかし、ここで体を横たえる訳にはいかない。と、エルダは気力を奮い起こした。みんな五体満足で、笑ってアルベリヒと専務を迎えに行く。そしてガレッサBldに住み着く可愛い猫ちゃんに餌をあげる和み系の日常を取り戻す。あのかけがえの無い人の無事を祈り、シュトーレンをお供えしてキルンギキビ様に詣でた事を思い出す。

『あらあらエルダさん、その人の事が大好きなのですね?』

『はい、大好きです!』

 おっと、赤くなっている場合じゃない。

 エルダは胸に手を当ててから、迫り来るフレンドの一団に、その小さな掌を彼らに向けた。フレンド達が固形物体に衝突したかのように後方へと弾き飛ばされる。其処を狙い澄まし、エルダは小さく福音を唱えた。

 壁面、そして両サイドに、第四段階のソロモンの環が浮かび上がる。その様を見、シュネルフォイアーを撃ち続けるヴィルベートが固まった。次いで顔が引き攣った。

「おいおいおい! 『悪魔のみ』にしか通用しないんだよ、ソロモンの環は!」

「あれ、そうでしたっけ。でも何か動きませんよ、あの人達」

 指差すエルダの言う通り、確かにフレンド達はソロモンの環に閉じ込められて、動くにも難儀な有様だった。ヴィルベートは腰を砕きかけた。しかし同時に、それが意味するところに気付いて言葉を失った。

 フレンドは、ソロモンの環が通用する存在へと変容している。それは彼らに巨大な影響を及ぼしている者自身の変容をも示しているに相違ない。まさか、サマエルは。

 と、いきなりヴィルベートの隣に祝福の短剣を振りかぶったフレンドが現れた。咄嗟に拳銃弾を叩き込んで蹴り倒す。仰向けに転がるフレンドの女を、要蔵が抱えてドア向こうへと放り投げる。

(何とかなってる)

 今のところは。

 ヴィルベートは銃弾を再装填しながら、視線を慌しく左右に散らした。幸いにして天使達は階下で釘付けられていたものの、こちらに回されたフレンドの人数は10人である。やたらに力量が上がっているうえ、本部という狭い範囲内では不死身である。彼らを倒すには天使殺しの素養を持つ武具の類か、ないしは古い神の御業を要するのだが、その決定打を生憎と今の面々は持ち合わせていない。寄せ手を阻み続けるにも苦心惨憺である。

 フレンドは強い。相当に強い。全員が短距離ではあろうが、瞬間移動をしてくる。扉を無視して部屋の内側へと入り放題にされる始末だ。接着剤やら目潰しのスプレーやらで多少は侵攻を遅らせたものの、物理法則度外視の規格外へと一歩を踏み出した連中相手では相当苦しい。

 それでも格闘戦では未だ優勢だった。10人中4人を、エルダはソロモンの環で抑え込む事に成功している。クリス、要蔵、そしてシェイプシフターのマリオ&ルイージは、Xclassisの悪魔と真っ向から対抗出来る力を存分に振るい、縦横無尽の連携でフレンドを跳ね返し続けていた。ヴィルベートが彼らを上手く使役している結果なのだが、その事実に関して彼女は無自覚である。

 しかし気に掛かる点がある。マリオ&ルイージにはエイクの姿に化けて貰っているのだが、比較的フレンドの攻撃は彼らに集中している気配がある。恐らく、自分達の中で「最も居なくても良い者」という認識を、フレンド達はエイクに対して持っているのだ。確かに彼は、この街を牛耳る腹のサマエルにとって、異端者以外の何者でもない。それを見越したうえで、ヴィルベートはエイクの影武者を2人作った訳だ。

 シルヴィアとエイクは、ほとんど身動きをせずに『扉』の位置を探っている。その挙動は大乱戦に陥った室内において目立ち過ぎている。既に本物のエイクがどれかを、フレンドは見抜いているだろう。たまらずヴィルベートはシルヴィアに向けて声を張り上げた。

「まだ見つからない!?」

「待って、あと少し」

 シルヴィアは視線を一点に固定し、冷静な声を発した。どうやら一番頼れるシルヴィア3が彼女を統率しているらしい。彼女の声でヴィルベートも気を落ち着かせた。装填完了。

「見つけたよ! 扉を!」

 快哉を上げたのはエイクだ。全員の目が彼に集中する。フレンドの目も。

 突如エイクの隣にフレンドが出現し、彼の背中に祝福の短剣を刺し込んだ。要蔵がフレンドに猟銃を撃ち込み、クリスがその体へと斬り込んで八つ裂きにするも、遅い。

「エイク!」

 ヴィルベートが倒れ伏したエイクの隣に滑り込む。エルダも傍に行こうとしたが、抑えているフレンド相手に集中を切らす訳にはいかない。配下の怪物達は容赦なく再開した防戦で手一杯だ。結果、呼吸を弱めて行くエイクの傍に居てやれるのは、ヴィルベートだけだった。短剣を抜いて打ち捨て、溢れ返る血を止めようと彼の体を縛りながら、ヴィルベートは精一杯の歪んだ笑みを浮かべた。

「大した事はないさ。アンチ・クライストなんだから死ぬ訳がない」

「ダメだよ、もう。あれはただの短剣じゃない。所詮は僕も悪魔に由来する存在なんだ。フレンドは悪魔殺しに力を発揮する連中だから」

「もういい、しゃべるな」

「アンチ・クライストになって、いい事なんか何一つ無かった。でも、僕はヴィルベートに会えて良かったよ」

「知った風な口をきくんじゃない!」

 この場で何もしていないのは、シルヴィアただ一人だった。彼女は立ち竦んで、朦朧とした目を虚空に漂わせるエイクと、彼を叱咤するヴィルベートを見詰めている。短剣はエイクの内臓を深く傷つけており、あと1分足らずで彼は短い生を終えるだろう。皮肉にもアンチ・クライストであるがゆえ、シルヴィアはそれを確信する事が出来た。

 思った以上に、自分という奴は何も出来ない。この期に及んで、シルヴィアは思い知らされた。考えた事が現実になる愉快な力で、節制を心がけつつも好き勝手に生きて、しかし少年1人の為に奇跡の一つも起こせない。果たして自分という存在は、彼らにとって何だったのだろうか、と。

「シルヴィアさん」

 必死にフレンドを抑え込み続けるエルダが、目に涙を浮かべて小さくなって行くシルヴィアに言った。

「顔を上げて前を向いて。シルヴィアさんにしか出来ない事をして下さいな」

「私に出来る事?」

「今出来る事を。何時だってシルヴィアさんは全力疾走じゃないですか。アンチ・クライストとか関係ない。それがシルヴィアさんの、シルヴィア・ガレッサという人の持つ力でしょう?」

 言葉に背中を押される、というのは、シルヴィアにとって初めての経験である。思い返せば、基本的に人の話を聞かない人生だった。彼女は自分が人々を引っ張ってきたのではなく、自分に合わせて仲間達が歩いてくれていたのだと、ようやく気が付いた。エルダとヴィルベート。要蔵とクリス、マリオ&ルイージ。主敵を引き付ける為に階下で奮闘するルカ。何処か懐かしいサダコとジェイソン。ガレッサBldの賑やかな社員達。市井の人々。大切な人々。彼ら同様に大事なアルベリヒとビアンキ専務を救い出す為、自分はこの場に立っている。そしてエイクも。

「駄目か」

 もう一言も発せられなくなったエイクを掻き抱いて嗚咽するヴィルベートの側に、シルヴィアがしゃがみ込む。

「いいえ、駄目ではないわ」

 ヴィルベートに肩を寄せ、急速に熱が引いて行くエイクの手を取り、シルヴィアは『扉』へと手を掛けた。

「さあ、行きましょう」

 

天使バルタザール 其の二

 浅いとはいえ、互いの体に無数の裂傷を与えつつ、バルタザールとアルベリヒは肩を大きく上下させ、飽く事なくナイフを向け合った。

 実際、アルベリヒはよく保たせていた。防戦一方という不利な戦い方を貫き通し、それでもどうにか五分の状況を維持している。しかし、そろそろ限界に近い。普通のナイフではバルタザールに根本的なダメージを与える事は出来ないのだ。無論、それでもアルベリヒの思考に諦念の二文字は無い。

 ふと、バルタザールの相好が緩んだ。アルベリヒが目を丸くする。その笑顔はこの場にまるでそぐわない、と言うより、今まで見た事のないバルタザールの表情だったからだ。

「遂に化けたよ」

 バルタザールは、心底嬉しそうに言った。

「化けた?」

「彼女は独立した。殻を破り、因縁の鎖を断ち切ったのだ。最早彼女は、『破壊』ではない」

 

ワルキュリュル 其の二

(あなた、私達のシルヴィアが)

(そうだね。やっと解放されたんだね)

(これで私達も次の場所へ行けるわ)

(その前に、もう一度私達は立たねばならないな)

 

 天使の力量は絶大だ。その場に存在しているのであれば、たとえ対象がいわゆる物理的存在ではないものであっても、重度の影響下に置く事が出来る。幽体すらも深刻な病魔で侵す事が出来る。幽体とも物理的存在とも言い難いサダコとジェイソンも、マルカムが放った黒死病の呪いから逃れる事は出来なかった。

 しかし彼らは身を捩り、必死に体を起こそうと努力していた。そのしぶとさを目の当たりにし、マルカムが辟易する。天使に歯向かった愚か者の末路をひと時楽しもうと考えていたのだが、その異形達は呪いの浸透が人間に比べて遅いらしい。倒れる5体の死に様に、必要以上の時間をかける享楽を、マルカムは自身から捨てた。

「全く、難儀なものである事よ」

 マルカムが白装束とホッケーマスクに掌を向ける。

 と、彼の両隣でストロボのような閃光が発せられた。2人のフレンドが、両膝を折ってその場に転がる。

 ドラゴとエーリエルが、不自由な体に鞭打って『槍』をフレンドに撃ち込んだのだ。あと一息で王手詰みの場面で気を抜くという、愚かを晒した天使とフレンドの隙を突いて。咄嗟、マルカムは何が起こったのかを理解出来なかった。それゆえルカが構えたカールグスタフの、黒々とした発射口に気付くのが遅れた。

 爆音と共に榴弾がマルカムに直撃し、彼の体を吹き飛ばす。直後に榴弾が炸裂し、弾け飛んだ破片がマルカムと、そして手近のフレンドをズタズタに切り裂く。その破壊力によって彼らの体がミンチにされるも、天使とフレンドに物理的な打撃は通用しない。すぐさま元の形へと修復開始。ただ、その空隙は彼らにとって致命傷となった。件の攻撃で黒死病の呪いが解除されたからだ。

 立ち直ったマルカムが、大剣を構えて突進して来たエーリエルを認め、即座にPKでもって四肢裂断を思い描いた。が、その想像からエーリエルの姿が消えた。彼女が迫り来る事は分かり切っているにも関わらず、エーリエルはマルカムの認識から消えた。人として告ぐ。汝、その眼に曇り有り。

 今度は右から回り込んで来るドラゴに気取られ、その瞬間、己が胸に大剣「テンペスト」が突き立った。剣尖で抉りながら肉を割って行くエーリエルの凄惨な形相と、マルカムの蒼白な顔面が交差する。マルカムが吠え、PKを行使。エーリエルの体が重力を無視して宙を舞い、背中から床へと激突する。直後にドラゴのブラスター・ナックルが、テンペストの真下に捩じ込まれ、点火。散弾が炸裂。マルカムの体が浮き上がる。白目を剥くマルカムの首元を掴み、ドラゴが『槍』を撃ち込む。血を吐きながら、エーリエルも槍を投擲する。

 攻勢に転じてから、ものの10秒と過ぎていない。

 ほぼ無力化されたマルカムを救わんと、生き残りのフレンドが援護に走るも、ルカ、サダコ、ジェイソンが行く手を阻み、床に組み伏せて拘束する。その間も執拗に『槍』は撃ち続けられ、次いでフレンドにも直撃した。

 やおらルカが立ち上がった。サダコとジェイソンも。一足遅れでドラゴも身を起こす。彼らの前には、かつてフレンドと天使だった人間が横たわっている。

『恐ろしい早さでケリがついたね』

 ジェイソンがホッケーマスクを外し、優雅に苦笑した。

『まともにやり合えば、多分勝てなかったわ』

 顔にかかる邪魔な髪を払い除け、サダコがシルヴィアに生き写しの姿でジェイソンの側に寄り添う。

『ハンターってのはそういうもんですよ。概ねこの世ならざる者は人間の力を凌駕しますから、拙速と言ってしまえる速度で片を付ける。改めまして、私はルカと申します。エンリク様、ヴァイラ様、お帰りなさいませ』

 照れたように頭を掻くエンリクとヴァイラを前にして、ルカは丁重に頭を下げた。そして横目で、エーリエルを助け起こそうと彼女の側に駆け寄るドラゴを追った。

「大丈夫ですか!?」

「あんまり大丈夫じゃない。どこかの骨が折れたみたいだわ」

 血混じりの唾を吐き、エーリエルは苦悶の表情を浮かべるも、重篤からは程遠く元気そうだ。ドラゴは取り敢えず安堵の息をつき、彼女に「治癒」を施した。

『申し訳ありませんが、私達はシルヴィア達の援護に向かいます』

 言って、ルカがドラゴとエーリエルに会釈する。2人は愛想良く彼に手を振った。

「助かったわ、悪魔人間さん」

「幸運を祈りますぞ!」

『そちらも。しばらく休まれた方がいいですよ』

 ルカはエンリクとヴァイラを伴い、足早く階段を登って行った。その姿を見送り、ドラゴとエーリエルが目を合わせる。最早2人の顔に柔和な趣は無い。

「休む暇、あると思う?」

「無いでしょうな。外が妙に静かだ。次席帝級と天使2人が真っ向から激突しているにも関わらず」

「戦場を変えたと見ていいでしょう」

 ドラゴの介助を受け、エーリエルも一足遅れで立ち上がった。

「先刻の彼が言っていたけれど、わたし達は天使とフレンドに速度で打ち勝ったわ。相手の虚を突く戦法を駆使してね。言い換えれば、そういうやり方でなければ人間が天使に勝つ事は出来ない」

「もう少し私達の力量に胸を張った方がいいですぞ」

「それは勿論。これで天使は、バーバラさんの時を入れて4人が御退場されたわ。あの人は心理戦で、私達は戦法で天使に虚を作り、これを破った。そして何れの戦いも、天使達の対応に共通点がある」

「人間を見下してかかる、という事でしょうな。先の戦いも、あの天使達は揃って傲慢に由来する無駄を作りました。はは、傲慢ですぞ? 天使のくせに、七つの大罪の一つを体現するとは」

「皮肉よね。全く。でも次は、多分そうもいかない」

 2人はそれきり押し黙り、正面玄関に目を向けた。彼らが2階か、あるいは地下への支援に向かわないのは理由がある。ドラゴとエーリエルは、進んで防波堤の役を買って出たのだ。

 次席帝級ジルと、ガリンシャ、パシファエの戦いも必ず終わる。勝者が何れであったとて、この作戦においては極めて危険な存在だ。天使は言わずもがなであり、味方に迎える形となったジルにしても、この激戦の中で恐らくは正気を失っている。ピュセルへの愛だけで稼働する化け物と化したジルが、地下のカロリナの元へ赴けば、その結末は地獄さながらになるだろう。敵は天使か、或いはジルか。しばらくの後、時が来た。

 大音響と共に側面の壁が大穴を空けて突き破られ、黒い塊が数回バウンドしながら反対の壁まで転がって行った。仰向けの格好でばたりと両手を伸ばし、ひくとも動かなくなったのは醜い怪物である。それはルスケス化したジルだった。全身が切り裂かれ、足が一本欠損している。四肢を無くしても立ちどころに補填出来るはずの次席帝級が。

「何、あの姿は」

「噂に聞く真の姿ですな。人の形の頃とは比較にならない胆力を発揮出来るという。しかし、かような姿を晒してもあのザマという事は」

 ドラゴとエーリエルは、穿たれた大穴に顔を向けた。何時の間にか、だらりと両腕を伸ばす女性を抱えた男が、室内に立っている。初撃の際、迎撃の為に外へ出ていた2人の天使だ。男の方、ガリンシャが深い威厳を伴い言った。

「御二方、しばし待たれよ」

 ガリンシャは目を見開いたまま絶命しているパシファエを床に横たえ、掌をかざして瞼を閉じてやった。そしてがくがくと体を揺らし始めたジルを見据える。

『ジャンヌ…』

 か細い声で呟き、ジルが不自由な体で匍匐前進を開始する。目指すは地下。カロリナの居る場所へ。

『助けに行くぞ。必ず助けに。あの時は済まなかった。本当に済まなかった。どれだけ君を、助けに行きたかったか。でも、今度こそは君を』

 泣きながら嘆きながら、ジルが地を這い、のろのろと進んで行く。最早力量の一切が損なわれ、ジルが悲嘆に暮れるしか出来ない化け物に成り果てているのだと、ドラゴとエーリエルは知った。

「救済を」

 その言葉と共に、ガリンシャが己の首を親指で掻き切る仕草を見せる。ジルの首が、ごとりと音を立ててぞんざいに落ち、それきり彼は一歩も進めなくなった。

「これが、あのジルの最期ですか」

 息を呑んで絶句するドラゴの腕を、エーリエルが強く握る。

「しかし意味はあったわ。彼は結果的にジャンヌを、カロリナを忌まわしい祭壇へと送り届ける事が出来たのよ。万死に値する男だけど、最期に騎士の本分を全うした。彼に許された唯一の情けよ」

 そして2人は、ガリンシャと対峙した。

 ガリンシャは感情を伺えぬ顔でパシファエを見下ろし、ふと片手を上げてパチンと指を鳴らした。それを合図に、2人が倒した天使達とフレンドの姿がホールから消失した。

「何を!?」

「人間の領域に戻した。今頃はユニオン・スクエアで空を見上げているだろう」

「何故」

「彼らは天使とその眷属としては完璧に死んだが、人としては死んでいない。君らの力に拠るものと見たが。普通の人であれば、この戦いに参画する意味は無い。ゆえにこの場から遠ざけた。しかし、パシファエは人としても死んだ。彼女の魂に安息あれ」

 一頻り言って、ガリンシャは顔を上げた。その目には感情的なものが無い。ただ、戦意があった。2人の背筋に悪寒が走る。彼には一切の傲慢と、それに付随する油断がない。

「外に出よう。私達の戦いは、君と私の仲間を巻き込みかねないからな」

 と、ガリンシャは背を向けて言った。背中を晒しても、彼に隙というものは全く見当たらなかった。言われるまま、2人はガリンシャに従う。ガリンシャは配慮を彼らに示したのだ。

「一つ聞きたい」

 庭に出る道すがら、エーリエルはガリンシャに言った。

「愛って何?」

「何だと?」

 それは実に唐突な問いかけだったので、さすがにガリンシャも怪訝の表情を浮かべて振り返った。構わずエーリエルが続ける。

「天使にとって、愛って何? そう言うと、大概はせせら笑うのよ、あなた達という方々は。これまで見知った天使達の態度から察するに、あなた達は根本的に愛というものを理解していない。同じ高さの目線で相手を見て、その人を尊重し、大切にし、敬う力に欠けている。でも、あなた達の創造主だって、愛を教えられ、知る事が出来たのよ。汝の隣人を愛せよ、って言った人にね」

「ジーザス・クライストか?」

 ガリンシャは天使であるにも関わらず、その名を淡々と口にした。そのやり取りを見守っていたドラゴが焦燥を覚える。この天使は、他の連中とは明らかに段階が異なっている。察するに、変容を迎えようとしているのだ。つまりこの天使に、対天使戦のセオリーは通用しない。ガリンシャが平板な抑揚でエーリエルに応える。

「君は私に愛を理解せよ、と言っている。確かにその概念を私は理解しつつあるかもしれない。しかしながら、私の心を占める愛は極めて従属的なものだ。御主様を慕い、この身を滅ぼしてもお仕えする。生まれた時から、そう決めていた。私がこういう者である、という事を尊重して頂きたい。翻って私は君による愛の認識を尊重する。君は間違った事を何一つ言っていないであろう。この襲撃を企図したのは君か」

「…ええ、そうよ」

「見事だったよ。君と、君達を尊敬する」

 其処でガリンシャは言葉を打ち切った。つまりそれが、彼の宣戦布告であった。敬意を表しつつ、ガリンシャはサマエルの使徒としての責務を全うする道を突き進む態度を2人に見せた。こうなると、絶望的に恐ろしい手合である。ドラゴとエーリエルは、腹を括った。

『我らはルシファの眷属、百万を道連れにして滅び去ったアーシリュルの生き残りだ』

 エーリエルの喉から、彼女のものではない言葉が迸る。

『私達は敗残者ではありません。未だ戦う意思を捨てぬ二本の槍』

 ドラゴの口調もがらりと変わった。ガリンシャが身構える。天使を抹殺出来る力の源が、この人間達を媒介として表出しようとしているのだと彼は理解した。声を低め、ガリンシャが言う。

「名を聞こう」

『ブリュンヒルデ!』

『アルヴィト!』

『2人合わせて!』

『強く美しく気高く美しいヴァルキリーでーす。あ、やっぱり恥ずかしい』

 ババアアンとポーズを決めるエーリエルとドラゴを前に、ガリンシャはノーリアクションを貫いた。得意満面なエーリエルことブリュンヒルデが、空気を読まずに言い放つ。

『どう、エーリエル殿、ドラゴ殿。真打ち登場場面が惜しげもなく決まったわ』

『2人で寝ずに考えた口上の挙句の果てがこれです』

「台無しですな」

「台無しだわ」

 

天使シェミハザ 其の二

 シェミハザは閉目したまま、顔の位置をアンナに向けて固定した。今にも膝が折り曲がりそうになっているマックスを支える彼女に、シェミハザが心親しく語りかける。

「お久し振りですね、天使アガーテ」

「私の名を存じて頂いているとは、光栄の極みですわ」

 その言葉とは裏腹に、アガーテの意識が表に出たアンナは、警戒心も露にシェミハザを睨み据えている。

「そなた、彼奴と知り合いであったか?」

 ジークリッドの問いに対し、アンナは小さく首を横に振った。

「いいえ。私がシェミハザを知るのは彼の名が轟いていたから。彼が私程度の者を知るのは、全知に近い天使だったからです」

「全知とな?」

「シェミハザは有能な方でした。人間の世界を、彼らに知られぬよう監視するエグリゴリの筆頭格。それが丸込め禁を破り、人間の世界への積極的介入を始めたのです。奇跡を顕現し、魔術を教える」

「一体何故」

「それは私が答えよう」

 シェミハザは手を挙げてアンナを御した。

「御父上に仰せつかり、私は長く人の世を見守っていた。その中で、私は人に才能を見出したんだよ」

「才能?」

「進化と言い換えてもいい。彼らの知識欲は太古から旺盛であったが、御父上は意図的に人間達の飛躍を抑え込まれておられた。御父上は慈愛深き方であられるが、同時に冷厳な御方でもあられる。食べて、寝て、死ぬ。その繰り返しを滞りなく行える以上の進化を、御父上は人間に望まれなかったのだね。私はそれに疑問を感じた。人間はとてもひ弱だが、生まれ、生きて、そして死んでゆく一瞬の移ろいの中で、健気に努力をする可愛い者達だ。私は人間を、何時しか心から愛するようになったんだ。だから彼らに可能性の一助を与える事としたよ。人間の霊的な格を高め、私達天使の位に近づく為の諸々の手段をね」

「魔術や呪術を教えたという事か」

 ジークリッドは隣のラスティと目を合わせた。他の神話や伝承と同じく、エグリゴリの言い伝えと実際のそれには乖離がある。人に知識と技術を教えた結果、世に争いと堕落がはびこり、結果有名な大洪水へとつながる。シェミハザが言わんとしているのは、それとはどうやら違いがあるらしい。そしてシェミハザは穏やかで優しげに、陰惨な話を続けた。

「しかし、どうも勝手が異なったんだ。私の授けた力に、人間の精神の方が追いつかなかった。見る間に彼らは心を病んで、力を邪悪な所行へと振り向けるようになってしまったよ。私はひたすら悲しかったんだ。ひたすら悲しかったよ。だから一旦、彼らをこの世から消滅させた。そして今一度やり直そうと考えたのだが、御父上は失敗をお許しにはならなかった。私をエグリゴリの任から解き、ミカエルとラファエルを差し向けられた。仲間は尽く討ち取られ、最後まで抗した私も地の底へと封じられたよ。封じられた私は暗闇の中でずっと考え、何故失敗してしまったのかと悩み、そして気が付いた。人間の心を私達の高みに連れて行く必要があると。即ち、私と人間が一つになれば、万事滞りなく上手く行く。そう、上手く行くんだよ」

 ハンターと1人の吸血鬼、それに因縁深い人間達は、いよいよ戦いが始まるものと覚悟した。

 きっと分かり合えると言ったシェミハザの話は、案の定理解出来ない代物だった。彼も矢張り典型的な天使である。自らの思想に一切の疑問を抱かず、常識を逸脱した手段で人間達への介入を、心からの善意で実行する。結果の甚大さは、しかしシェミハザにとって然程の事ではないのだ。

「私を地の底から引き上げてくれたサマエルも、私の考えを認めてくれたよ。終末の世を生き延びる為に、人は進化する必要があるとね。戦いの中にあれば、彼らは益々強くなる。悲しみと恐怖を推進力として彼らは更に飛躍出来る。ただ、取り込んで良い人間の数量には制限を受けているんだ。残念だけどね。一万人までは大丈夫、との許しを戴いている」

 パン、と乾いた音がその場に響く。ヴィヴィアンが突貫と共に放った渾身のストレートを、シェミハザは閉目したまま掌で受け止めていた。シェミハザの顔が悲しみで曇る。

「哀れな。人ではない君は間違った存在なのだね。いわゆる出来損ないなのだね」

「ああそうかい」

 ヴィヴィアンが背中から散弾銃を素早く回し、至近距離から引き金を絞った。散弾は狙い違わずシェミハザの顔面を撃ち抜いた。しかし全弾が何事もなく、シェミハザの後頭部からバラバラと零れ落ちる。それでもシェミハザは若干顔をしかめた。僅かであるが、ヴィヴィアンの攻撃は通用したのだ。

 一気に後退したヴィヴィアンに合わせて、天騎と天兵による一斉射撃が始まった。

 鉄の暴風とでも形容出来る集中砲火を、シェミハザは自らの面前で全て食い止めてみせる。しかし、だからと言ってシェミハザ自身に打撃が通用していない訳ではない。

「メルキオールの力かぁ」

 間延びした口調であるも、シェミハザの額から一粒の汗が滴った。ラスティはそれを見逃さない。

「行けるわ」

 声を裏返らせたのは、桁違いを真っ向相手にする恐怖からか。傍らのジークリッドが、シュネルフォイアーを再装填するラスティに声を掛ける。

「いかぬ。必要以上に耽溺するでない。その力、危険ぞ」

「しかし、あの化け物に対抗するにはこれしかないわ」

 確かにその通りだ。天使に対抗するには、天使由来の力に拠る必要がある。相手は階上の新造天使とは一味違う。それでもジークリッドは唇を噛んだ。自分達は人である事にこだわらなければならない、との強固な思いが彼女にはある。でなければ、王如真と語り尽くした諸々が、水泡に帰してしまうのだ。

(先ずは掌に持てる力を)

 ジークリッドは剣の柄を強く握り締めて、機を窺った。

「チッ。やっぱりアタシのは通用しないか」

 狙撃銃を翻し、エリニスはカロリナを背中に回した。これは尋常の戦いではない。天使の理力を持つ者同士が激突する場である。じりじりと後退しながら、エリニスはカロリナの心が徐々に慄いて行く様をつぶさに感じていた。圧倒的な銃火に晒されながら、未だ自ら動きを見せないシェミハザが、途轍もなく恐ろしい代物に感じられる。それは共に退くアンナと、それにマックスとも一致する認識である。

「何故だろう」

 と、エリニスと共にカロリナ達の前に位置するアンジェロが、掠れた声で呟いた。

「何故あいつは、ずっと目を閉じたままなんだ」

 全ての事象に無意味は無い。シェミハザが得体の知れない隠し玉を持っているものとアンジェロは予測した。あの目が開いた時、自分達は間違いなく危機的状況に陥るのだと。

 アンジェロの焦燥に、偶然か、ないしは恣意的にか、シェミハザは呼応するかの如く口を開いた。全く、しようのない子達だね、と言わんとするように。

「子供達が我を見失ってしまうけれど、まあ、少しの間だから大丈夫かな?」

 シェミハザが顔を上げた。ゆっくりと瞼が持ち上がる。

「伏せろ!」

 遊撃的に散弾銃を撃ち続けていたヴィヴィアンが、身を翻してアンジェロに飛び掛かり、そしてエリニス達も地面に捩じ伏せた。その間に、シェミハザは完全に目を見開いた。

 シェミハザを中心に閃光がその場を白く染め上げ、また元の青空と花畑の光景が一面に広がる。それを境として、あれだけ騒々しかった銃声が完全に途絶えた。ラスティの部隊は全員倒れ伏し、当のラスティも膝を屈した格好のまま微動もしない。

「取り敢えず、仕切り直しにしようよ、君達」

 輝くばかりのスカイブルーの瞳を揺らし、シェミハザは心底嬉しそうに微笑んだ。

 

<南部方面防衛戦線 4>

 それを境に、シェミハザの挙動が更に出鱈目となった。

 メルキオールの居るチャイナタウン目掛けて一直線に突き進んでいた頃の一貫した意思は既に見当たらない。錯乱、という言葉がぴたりと当てはまるのが今のシェミハザだった。

 丸い中心核から幾筋も伸ばされた触手のような代物が滅多やたらに振り回され、家屋を蹂躙しビルを突き破る。破壊の波が周辺へと広がって行く。とどまるところを知らない進撃は止んだものの、これはこれで厄介な代物である。配下の天兵に一旦距離を置くよう指示し、クレアは携帯電話を取り出した。

 繋ぐ相手はラスティである。この異様な有様はシェミハザ本体と彼らによる交戦開始に起因するとクレアは認識していたものの、状況は混沌への一途を辿っている。戦いの最中にどうかと思えど、何が起きているかを知る必要がある。クレアは躊躇無く番号を繋いだ。

 遠目にシェミハザが仰け反り、駄々っ子の如くドタバタと触手を叩きつけているのが見える。クレアは突撃銃の照準を合わせたまま、ひたすらコールを続けた。そしてようやく電話が繋がる。

『こんにちは』

 切断。

 今度はこちらの携帯電話のコール音が鳴り始めた。クレアが震える手で電源自体を切る。

「何、今の。誰よ、今の」

 誰に言うとも無くクレアは言った。思考を口に出さねば、恐慌に陥りそうだったからだ。

 電話に出たのも、その後掛けてきたのもラスティではない。ならば誰か、とは、実のところクレアには容易く予想出来ていた。しかしその相手、シェミハザが発する誘ないの声はとても魅惑的で、そのうえ漆黒であった。あのまま会話をしていれば、自分は底なしの闇に絡め取られていただろう。きっとそれは錯覚ではないとクレアは確信した。

 しかしそのようなものと、ラスティ達は一戦を交えている。クレアは危うく絶望に支配されそうになった。

 

ゲストハウスの攻防 其の二

 既に戦闘は始まっていたが、外界から隔絶されたジェイズ4Fは静かなものだった。しかし、外界の状況はキューが持ち出した大画面モニタでつぶさに表示されている。モニタの前に陣取っているのは、ジョーンズ博士と助手のファレル氏、それにカーラ・ベイカー女史。彼らは腕を組み、フレンドに寄せられつつある戦況を食い入るように見詰めていた。

「防御はこれ以上ないくらいに固いな。しかしサマエルの使徒達は未だ本領を発揮していない」

 博士は視線を逸らさず、淡々と事実を述べた。

「まるで誘いをかけているかのようだ。撃てるのか、人間が同じ人間を、とな。それが証拠に、彼らの動作は人並み程度に過ぎん。その気になれば吸血鬼くらいに動ける連中がね」

「サマエルのはかりごとでしょうね」

 と、ファレル助手。博士は小さく頷いた。

「フレンドには自律思考の芽は無いからな。全く、陰湿な事を思いつくものだ。サマエルはまるで」

 其処で言葉を切り、博士は不意に腕を組んだ。しばし後に頭を振り、今し方の思い付きを脇に置いて言った。

「ともあれ、撃てるのかと問われれば撃てるであろう。そういう処断を下せる面々が指揮を取り、ゲストハウスを死守せんとしている。サマエルは些か人間を見くびっているらしい」

「その思考形態が適用されるのはハンターだけでは?」

 と、ファレル助手。

「ハンターは、ハンターという人種で他と区別出来る特殊な思考形態を保持しています。彼らは人間の形をしている手合いでも、この世ならざる者とひとたびでも認識すればスイッチを切り替えられる。正に人外と戦う為に進化した特異生命体で、其処が一般人との極端な差異です。一般人である市警の面々は、心理的圧迫から逃れられないでしょう」

「ブラウン君、それはまるで天使側のような物の言い方だぞ?」

「はは、御冗談を」

「しかし、出来る限り人を救おうと努力していますよ、彼らは」

 やや悲しげに人と人が戦う様を見守りつつ、カーラが言った。

「たとえ相手が、自らの意思を放棄して命を破裂させる人外であったとしても。苦境にあっても善処の努力を続けるのが人間というものではありませんか。この戦い、全ての参加者が各々重要な存在でありますけれど、私の見立てでは、彼女が局面を左右するような気が致しますわ」

 カーラは、雑居ビルの屋上で狙撃を続けるハンターの女を指差した。ほう、と博士が興味深げに声を上げた。

「何故そう思ったのかね、カーラ君」

「彼女は両方を知る人だからですよ」

 

 案の定、悪魔達は散開してジェイズの裏手に回って来ている。しかしながらそれは雑居ビルの屋上に陣取るナタリアにとって、掌を眺めるようなものだった。MEWSで全体を把握するジェイコブと連携し、位置情報を尽く把握出来た

からだ。

「状況知らせ」

『2人が裏手防衛用の「屋敷」に引っ掛りやがった。あ、今3人目が入った。ようこそゴキブリハウスへ』

「後で肥溜めに送り返してやる」

『1人東から迂回を試みている。シュテフ達が向かった』

「了解」

 ナタリアはジェイコブとの無線を切って銃口をずらし、東から家屋の隙間を這おうとする悪魔に狙いを定めた。極限まで強化を施した突撃銃の引き金を絞る。一撃で昏倒。

 悪魔の周囲をシュテファン、マイケル、サラが取り囲み、一斉に悪魔祓いを詠唱する。結果は容易く想像出来るので、ナタリアは他所の監視へと意識を切り替えた。

 空気空気と言われるものの、件の3人組は相応に優秀だった。ナタリアが悪魔を狙撃し、倒れたところに3人組がとどめを刺すという、このシンプルなやり方で既に3体が地獄に送り返されている。ゲストハウスは頑丈なオバケ屋敷に取り囲まれるという、恐ろしく強固な防御が敷かれており、並みの悪魔では接近する事すら適わない。悪魔は奇襲を打つ腹だったはずだが、この調子ならば跳ね返すのも容易く感じられる。むしろ正面突破を図り続けるフレンドの方が厄介かもしれないとナタリアは考えた。

『ナタリア、気付いているか』

 今度はジェイコブの方から無線が繋げられた。

『1人、離れた死角から全く動かない奴が』

 ジェイコブが言い終える前にヘッドセットが背後から引き千切られた。反応する前にナタリアの首根が掴まれる。高々と掲げられ、万力の如く締め付けてくる握力に、ナタリアは激痛の呻き声を上げた。やられた、と思う。敵は瞬間移動で一気に距離を詰めて来たのだ。こちらが悪魔の位置を把握出来るなら、向こうもそれが出来ない訳がない。

「全く、梃子摺らせやがって」

 その悪魔、ゲイブルは、背後から勝ち誇る声をナタリアに掛けてきた。

「好き放題やってくれたな。ええ、嬢ちゃんよ」

「てめえ、クソが、木っ端悪魔が、ぶっ殺してやる」

「その風体で元気な事だな、アバズレ。これで突破口は開いたぜ。ジ・エンドだ。このまま首を捻じ切ってやる。いや、もっと面白い殺し方にするか」

 ゲイブルはナタリアをコンクリートの床面に叩きつけ、ポケットからバタフライナイフを取り出した。目玉をくり抜いて舌を切り取ってやる。そう言わんばかりの目でナタリアを見下ろし、ナタリアも血走った目でゲイブルを睨み上げた。その時、予想だにしない変化が発生した。

 ゲイブルの挙動が、その瞬間固まる。体をガクガクと揺らし、殺意と愉悦で歪み切った瞳が、数度の瞬きの後に正常のそれへと立ち返る。ゲイブルは己が手に持ったナイフを見、慌ててそれを放り投げた。そして、悪魔としては有り得ない台詞を口にする。

「た、助けてくれ」

 身を翻して突撃銃を拾い、銃口を定めるナタリアの目の前で、ゲイブルは膝をついて掌を組み、心底恐怖に怯える顔でナタリアに哀願した。起こった事がナタリアにも理解出来ず、対悪魔戦の不文律を破ってゲイブルに問う。

「何だ? お前、何を言っている」

「私の中に、私じゃない者が巣くっている。ずっとそいつに支配されていたんだ。しかし貴女を見た瞬間、そいつが引っ込んだ。貴女なら私を助けられるはずだよ」

 ナタリアはゲイブルの言葉に耳を貸さず、彼の周囲にソロモンの環を一挙に3つ出現させた。案の定、ゲイブルは口を開く事すら出来ない。今の彼は間違いなく悪魔のはずだ。しかし、先ほど言い募っていたゲイブルの様子から、狡猾な演技は窺えなかった。そもそもあの状況で無防備を晒す意味が無い。戸惑う間に、ソロモンの環に仕込まれた悪魔祓いの効力が発動。ゲイブルは鼻と口から大量の黒い煙を吐き出し、バタリと前のめりに倒れ伏した。

 ゲイブルの体を引っ繰り返し、ナタリアは彼の瞳孔と脈を確認した。命に別条無し。

 ナタリアは静かな寝息すら立て始めたゲイブルの隣に座り込んだ。今が非常事態である事をひと時忘れさせるくらい、今し方の出来事は衝撃的である。ナタリアには、彼に変化を及ぼしたのが自身であるとの確たる自覚があったのだが、それの意味するところを理解出来ていない。

 悪魔、天使、この世ならざる者全般に憑依された人間に対し、目を合わせるだけで憑依物を押し込め、人本来の意思を表に引き摺り出す事が出来る。

 それがナタリアに勃興した力の正体である。それは自らの意思で己が血を悪魔に染め、後に自らの意思で洗い流した者が、終で得た力だった。

 

 ゲストハウスの防御は、頑丈なオバケ屋敷というキュー謹製の異能アイテムを主軸にして行なわれている。

 何も無い場所に屋敷を突如出現させ、中に入り込んだこの世ならざる者の知覚を惑わせる事が出来、また屋敷そのものの防御力もそれなりに高い。

 しかしながらオバケ屋敷には、もう一つの重要な特徴があった。それは、使用者の意図の下で形状を自由に定められるというものである。勿論極端に大きく、また小さいものは不可能だが、元あった建物そのものをオバケ屋敷化する事も可能だ。これを用い、車体をオバケ屋敷化する者まで現れた。あまりにも応用性が有り過ぎる。それが頑丈なオバケ屋敷だ。

 だが、まさかこのような事を思いつくとは、発明者のキューも考えなかっただろう。周囲の景色と同化させ、透明化させてしまうなどとは。

 

 見た目にはただの街路であるゆえ、フレンド達も其処が道路に偽装した屋敷などとは思わなかっただろう。

 数の力でブルーゾーンを抜け、イエローゾーンへと侵入を果たした彼らは、トリモチに捕まった羽虫の如く、続々とオバケ屋敷に囚われて右往左往を始めた。ジェイズ前正面に迫り出す屋敷からは、市警達が各々銃で弾幕を張り、フレンドの歩みを有効に遅らせている。サマエルの下僕達による侵攻の推移は、この時点で大幅に遅延する展開となった。

『上手く行ったね。今のところは』

 と、隠身を駆使して状況を見守る斉藤の無線に、神余からの音声が繋がった。

「ジェイはどうした?」

『市警と一緒に阻止射撃に向かった。私と交代』

「君も彼らと一緒だったのか。市警の様子はどうだ」

『正直良くない』

 神余の声が、幾分沈んだ。

 市警の側も、迫ってくるフレンドが尋常の者ではないくらい、撃てども起き上がる様を見れば分かり切っていた。しかしながら、それでも相手は老若男女を問わない市民の形をした者達でもある。警官の中には、どうやら見知った顔の者をフレンドの中に確認した者も居るらしい。治安を守り、市民の安全を守るという職務を叩き込まれている彼らも、その元市民を相手にしなければならない状況にあって、混乱の予兆が起こり始めていた。

『銃を撃つのを止めて泣き出した婦人警官も居る。あれは彼女のトラウマになるかも』

「まずいな」

 じわじわと、サマエルによる黒い意図が効果を表し始めたというところだろう。押し寄せる速度を随分遅らせてはいるが、その分凄惨な現場が長引かせるも同義である。ただこの戦いは、別の場所で行なわれる祭壇の破壊をもって決着を見る。頼むから急いでくれよと、斉藤は心底思った。

『斉藤、右手の屋敷、中の奴の挙動がおかしい』

 神余の言葉が終る前に、斉藤は起爆スイッチのボタンを押した。

 右手屋敷に仕込まれた指向性地雷が炸裂する。銀化を施した散弾が中に居たフレンドをズタズタに引き裂く。少し時間が過ぎれば彼らは欠損した体を修復し、また戦列に復帰してくるのだとしても、時間稼ぎにはなる。斉藤は安堵の息をついた。が、神余の強張った声は彼に猶予を与えなかった。

『駄目』

 その声と同時に、今度は左手の屋敷が奇妙な閃光を放ち、どす黒い球体に包まれる。当然ながら指向性地雷ではない。フレンドの自爆攻撃が、遂に始まったのだ。

1人の自爆で、屋敷一つが潰されたか)

 斉藤が息を呑む。その屋敷には、他にもフレンドが居たはずだ。件の自爆攻撃は仲間内であるはずの彼らも巻き込んで実行されている。

 敵には一切の個性が無い。フレンドという一個の巨大な怪物が分け身を作っているに過ぎない。斉藤はそれを改めて痛感した。そして敵は、屋敷一つに自爆一回という解を出した。これから本格的なスーサイドアタックが始まるという事だ。

 斉藤は突撃銃を胸に抱き、目を閉じた。何ものかに願をかけようとしたものの、生憎と対象が思いつかない。心に浮かぶのは、共に戦う人々の姿だ。斉藤は覚悟を決め、ウォークライと共に戦場へと飛び出した。

 

 

<H234-7-3:終>

 

 

 

○登場PC

H2サイド

・クレア・サンヴァーニ : ポイントゲッター

 PL名 : Yokoyama様

・ラスティ・クイーンツ : スカウター

 PL名 : イトシン様

・ジークリッド・フォン・ブリッツフォーゲル : ポイントゲッター

 PL名 : Lindy様

・山岸亮 : ポイントゲッター

 PL名 : 時宮礼様

 

H3サイド

・アルベリヒ・コルベ : ポイントゲッター

 PL名 : なび様

・ヴィルベート・ツィーメルン : ガーディアン

 PL名 : 森林狸様

・エルダ・リンデンバウム : ガーディアン

 PL名 : appleman様

・ルカ・スカリエッティ : マフィア(ガレッサ)

 

H4サイド

・アンジェロ・フィオレンティーノ : マフィア(ガレッサ・ファミリー所属)

 PL名 : 朔月様

・エーリエル・”ブリトマート”・レベオン : ポイントゲッター

 PL名 : けいすけ様

・エリニス・リリー : スカウター

 PL名 : 阿木様

・神余舞 : スカウター

 PL名 : 時宮礼様

・斉藤優斗 : スカウター

 PL名 : Lindy様

・ドラゴ・バノックス : ガーディアン

 PL名 : イトシン様

・ナタリア・クライニー : ポイントゲッター

 PL名 : 白都様

・ヴィヴィアン : 戦士

 PL名 : みゅー様

 

 

 

 

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ルシファ・ライジング H234-7-3【サンフランシスコ市民戦争・3】