<王広平の事務所>
王広平は排他的な『庸』構成員の中にあって、親ハンター派の筆頭格である。冷静沈着かつ即断と実行力の男として一目置かれる王だが、その行動原理は義侠という一本の筋が通っている。無私無償で「この世ならざる者」との危険な戦いに身を投じるハンター寄りの立場を取るのも、つまりは実利よりシンパシィに因るところが大きい。しかし王のハンターへの処し方を良く思わない幹部連も多く、首魁の京大人にも苦い顔を向けられているのが実情だった。自らの後継者と目する男が、そのように情で動いてもらっては困る、と。
とは言え、王は庸に3人しか居ない最高幹部の内の1人である。発言力は京大人に継いで大きい。何より一介の新入りハンター相手でも、王は心安く接してくれる。都合此度の一件、強力な悪魔が絡んでいると思しき庸の内紛劇に対して、ハンター達が第一に王の許へと集うのは、当然と言えば当然の成り行きだった。
「ようこそハンター諸君。私は君達を歓迎する」
感情表現の乏しい顔立ちにぴったりの堅苦しい挨拶だと、クレア・サンヴァーニは思ったものだ。
こうして彼女を筆頭に、下界行きを志望したハンターは計5名。庸所属のマフィアからは1人。テンダーロインの北側、ジャパンタウンの一角に位置する高級アパルトメント。その最上階で王は事務所と居を構えている。通された応接室は、設えられた調度品やデスクが如何にもビジネスライクで、商談か何かの為に自分達は来たのか、という気持ちにさせられる。
「京大人からの非積極的承認は、部下の城鵬を通じて既に得ている。これよりサンフランシスコ直下の地下水路と、其処から通じる下界についての説明を行なう」
王は世間話抜きで要件を切り出した。デスクに広げられた見取り図は2種類。一同が取り囲んで図面を覗き込む。
一枚は地下水路の見取り図だ。サンフランシスコは碁盤目状に市街が区画整備されており、その下を這う地下水道も、やはり都市網に合わせた四角四面の作りである。そして王はもう一枚、下界の見取り図を地下水路のそれに重ね合わせた。
「へえ。上手いこと水路の脇に作られているんですねえ。って、所々水路と被っている空間があるから、そうでもないんですか」
「これは所謂『部屋』だ」
郭小連の呟きに、王が応じる。
下界は基本的に、地下水路と隣り合わせに通路が作られている。そして各所にちょっとした空間が作られており、王が言うところの部屋の役割を果たしているとの事だった。部屋は地下水路や通路よりも、更に地下へと掘り進めて作られている。かつてはここで、違法な商売が行なわれていた。其処は最早、下界という名の独立したチャイニーズ・マフィアの巣窟と化していたのだが、京大人が率いた浄化作戦により全てが制圧され、現在はほとんどの部屋が埋め立てられてしまっている。
「よって、この部屋の数々を離反者達が根城にするとは考えにくい。敵は一部がミッション地区から下界に潜伏したものと考えられるが、何しろ市街の地上は我々が押さえている。長期滞在は不可能なはずだ。連中が下界で何をやろうとしているのかを、彼らを捕縛して知る必要がある」
「まあ、仮にだけど、アタシ仮に言うんだけどね」
金色のソバージュが目に眩しい、覚めるような美女が「野太い声」で王を遮った。ラスティ・クイーンツ、24歳。所謂オカマ。
「この件はほぼ間違いなく悪魔が絡んでるわよ。Tclassisでも普通の人の手に余るわ。悪いこと言わないから、今からでもその、精鋭って人達を全部引き揚げて、アタシ達にお任せしちゃったらどうかしら、なあんて…」
其処まで言って、ラスティは口を噤んだ。困ったような顔で、王が自分を見据えてきたからだ。
「無理だ」
「あ、やっぱり」
「注進には感謝するが、回りだした歯車は私にも止められん。何よりこれは、大人の直接命令だ」
「だったらせめて、王氏の精鋭ってやつを私につけてくんないかな。」
代わってナタリア・クライニーが身を乗り出した。顔立ちは歳不相応に幼いが、眼光は鋭い。王は彼女に目を合わせて一度だけ頷き、これから紹介するとの一言を残して、応接室を一旦辞した。同時に堅苦しい空気が嘘のように解れ、彼らは思い思いの格好でソファに寛いだ。
「やった。闇夜にカンテラ。超兄貴にサムソン&アドン。お友達を1人ゲット!」
机に足を投げ出して、先のナタリアが快哉を上げた。何しろ未踏地の探索行である。多少なりとも地理を知るものが間近に居れば、事は格段と効率的に進むものだ。などと恵比須顔のナタリアではあったが、机に放った足をヒョイと払われ、たじろいだ。
「な、何さあんた」
「そなた、人に足の裏を向けるでない。全く、美しい金色髪の割に女の恥じらいを知らぬのう」
ナタリアの正面に座るその少女も、負けず劣らずの見事なプラチナブロンドだった。ジークリッド・フォン・ブリッツフォーゲル。何だかこの場で、口調も立ち居振る舞いもひと際浮いている18歳。
「こうして集うも何かの縁じゃ。王氏の精鋭も含めて、ここは一つ固まって探索に赴こうぞ。何分敵は魔性のものであろう。攻撃防御斥候と、RPGよろしく面子も揃っておる。安全度を考慮し、皆で行くのが良策かとわらわは思うのじゃ」
我ながら尤もな意見である。と、ジークリッドは高い鼻を更に高々と反らしたが、返ってきた反応はと言えば、思ったものとは全然違っていた。
「わらわ!?」
「初めて見たよ、わらわって自称する人」
「なあ、英語でわらわって何て言うんだい?」
「WARAWA」
「ワーラワ」
「ワラーワ」
「いやいや、其処は突っ込むところではない。突っ込むところではないぞよ!」
「うん。わらわはさて置き、みんなで行くのがわたしもいいと思いますー。集団になっているかもしれない相手に分断されては、ひとたまりもありませんしぃ」
控えめに郭が効果的なフォローをし、取り敢えずその場は全員で行動を共にするところで決定した。
軽く咳払いをし、クレアが改めて見取り図を広げ直す。まず地図が無ければ話にならないとはクレア自身が危惧するところであったので、初手からある程度の位置関係が分かるのは彼女にとって僥倖である。QCB(近接戦闘)に習熟するスキルの持ち主ならば尚更だ。先手、後手が勝負の分かれ目になるだろうから、己の立ち位置を知る知らないでは大きな差が出る。見取り図に見入りながら、ふとクレアは気が付いた。
「範囲が狭い。これってあれだよ、テンダーロイン周辺域くらいの範囲しか無いね」
「あら、ホントね。道理で大都市の割にシンプルな地図だと思ったわ」
つられてラスティも、指で水路の経路を辿った。確かに地図は中途で途切れている。これでは領域外から出る際には、ほとんど手探りの状態となってしまうだろう。
「多分、各地域の幹部達が、該当地区の見取り図を持っているのだと僕は思う。おいそれと利用されないようにする為にね。こうなると、僕が考えていた地図の作製も、やっぱり必要になるってとこかな。王氏と違って、他の幹部は簡単には地図を見せてくれないだろうし。ねえ、あんたさ、ハンターによるテンダーロイン域外への進出についてどう思う?」
クレアはこの場でただ一人の「マフィア」、患に話を振った。痩身の中年男は如何にも一般人とは異なる黒い雰囲気を醸しているのだが、ここに居るのはそれ以上に真っ黒な者共を敵としているハンター達であり、患への接し方も手慣れたものだった。それが楽しいのかどうかは分からないが、患は柔和を装う面立ちを少し歪め、かか、と嗤った。
「どうもこうもないでしょう。既に戦いの火蓋は切られていますから。京大人は、利用できるものは何でも利用するおつもりです。他の幹部達は王氏のように積極的な手助けをしませんが、阻みもしません。そんな事をしようものなら、京大人の逆鱗に触れる」
扉が開き、王が1人の青年を引き連れて戻ってきた。奇矯なことに、その青年はキャスター付きのソフトクリームベンダーをずるずると引き摺っている。王が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「紹介しよう。君達に同道する者だ。王如真。かなりの変わり者だが、これでも私の息子である」
「王如真です。甘いものが好きな21歳です。一応精鋭ってことになっています。よろしこ」
物憂げに如真が頭を下げる。見た目は確かに広平を若くしたようだったが、如真はいちいち所作に色気があった。控えめに言っても美青年の部類だ。しかし口から出る台詞は、何れも残念な代物である。
「取り敢えずお近づきの印に、ソフトクリームをどうぞ」
「余計な気回しだ、馬鹿者」
「しかし父さん、古今東西、ソフトクリームが嫌いな子には会ったことがありません。これのおかげで近所の子供に私はバカウケ」
「おお、ソフトクリームとな。わらわは戴く。戴くぞよ」
「わたしも食べたいですー。なかなかそこいらで売ってませんしぃ」
「ほらね。あ、おかわり自由ですから、遠慮なく言って下さい」
ジークリッドと郭の十代組は喜んで受け取り、微妙な顔の残りの面子にも如真はソフトクリームを配った。無論広平にもだ。いい歳こいた大人達が一斉にソフトクリームを舐めるという難易度の高い状況で、如真が今後の行動方針を説明する。
「既に他の地域の選抜組は動いているらしいですよ。私達は一歩出遅れかもしれませんね。ともかく初手なんですから、あんまり無理せずに行きましょう。仰っていた通り、皆さんで一緒にね」
「げ。聞いていたのか」
「盗聴器なんかしかけてないですよ。デビルイヤーは地獄耳ですから」
「また古いネタを」
「前準備もありますから、決行は少し先にしましょうか。そうですね、明後日の昼一番にでも」
誰かがソフトクリームを盛大に噴いた。郭だ。郭が真っ白になった口元を拭いもせず、呆然と呟く。
「その時間、わたし、雑貨屋さんでアルバイトなんですけど…」
ギャンブルに金を突っ込んだ患を除き、他は全員深夜のバイトだった。全員一緒の行動に賛同した郭ではあったが、都合最少人数の下界行きを余儀なくされる事となる。郭小連、大ピンチである。
<下界行:昼の部 ラスティ ナタリア クレア ジークリッド 如真>
テンダーロインにおける下界への入り口は、王氏が所有するテナントビルの地下ボイラー室に、巧妙に隠されていた。この広くない一室に集まったのは5名。後に夜の探索では3名が揃う事になっている。昼夜に分けての探索実施はハンター側の都合によるものだったが、これが後々重要な意味合いを持ってくる事を、当然ながらこの場の誰もが知る由もない。
ジークリッドは故国のシンボル、一角獣の意匠を刻んだ長剣を鞘から抜いた。手入れを怠らない刀身は、薄暗いボイラー室にあって尚輝きを増し、その冷え冷えとした清廉にジークリッドは深く満足した。負ける気がしないとは、こういう感じなのだろうと思う。悪魔でも何でも来るがよい、である。
「皆の者、サーチ・アンド・デストロイじゃあ!」
「あんた、脳味噌が早送りしてるよ。しかし長剣かあ。そんなエレガントなものを持ってるハンターは、あんまり見た事ないかな。この世ならざる者を相手にするなら、やっぱりこれよ」
言って、クレアはソードオフ・ショットガンを片手に持ち、くるりと器用に回してみせた。ナタリアも弾を詰めながら、にやりと笑ってショットガンを誇示している。事実、応用範囲が広いショットガンは、ハンターにとって世界共通の主力兵装である。剣を主体にして戦うジークリッドは、実は珍しいタイプなのだ。
「ふむ。剣は接近戦の華だと思うのじゃが」
「ショットガンだって接近戦の王者よ」
「ヒックス伍長もそう言ってたっけね」
「それを言った後、宇宙海兵隊は全滅したのじゃ」
「物騒な事は言わないの」
下界という未知の領域を前にして、この場は随分とリラックスしていた。それなりに場数を踏んでいる面子という事もあるだろうが、同行する王如真の醸し出す暢気な雰囲気が、何となくそうさせているのかもしれない。当の如真は、厳重に施された鎖の縛めを、鼻歌交じりに開錠している。最高禁忌に進入する庸の人間の態度ではない。開錠を終え、如真がマンホール状の入り口の蓋を外す。
「はい、開きました。全く、立ち入り厳禁なら何故コンクリートで埋めなかったんでしょうね?」
「待ってました。それじゃお先に」
開錠を手伝っていたラスティが、ひょいと穴の中に入り込んだ。ほとんど一瞬の、素早い挙動だった。
「あ、ずるい。わらわが一番乗りのつもりじゃったのに!」
「先行して色々仕掛けるとの事でしたよ。1人の方が動き易いとか」
「道案内が形無しだね」
「そう言えばそうですね」
如真は頭を掻き、マンホールに半身を入れ、ひょいと身を沈めた。その後をジークリッド、クレア、ナタリアが続く。しばらく梯子を下る。およそ7~8mといった所だろう。下りきると、目の前は下界だった。
空気は地上よりもずっと冷えており、すえた臭いがする。そして想像していたより、其処は広かった。前後に続くトンネルは、人が6人ゆとりをもって並べる横幅を保っている。トンネルそのものは、ほぼ真円形でくり貫かれており、表面は土をならしているだけだが、堅牢なのだそうだ。何しろサンフランシスコ大地震を耐え切っている。
「いや、しかし、それは幾ら何でも不自然な気がするが…」
ナタリアは状景に圧倒されながら、ふと違和感を覚えた。手に持っていた懐中電灯を消す。それに倣い、仲間のハンター2人も電灯を懐に仕舞った。しかしながら、下界は未だ明るい。
「照明なんか何処にも無いよ。何故この地下は見通せるんだい?」
「分かりません。多分下界が禁忌と呼ばれる理由の一端なんでしょうね」
事もなく如真が言うものの、3人は怪訝に互いの顔を見合わせた。恐らくこの事件は、単に悪魔が絡むだけではない何か厄介なものがある。
「まずは地下水路と下界の繋ぎ目を目指します。離反者が下界に侵入するには、其処しかありませんから。ま、ケ・セラ・セラで行きましょう」
如真はあくまで如真だった。
先行していたラスティが合流し、五人一組の下界探索行が始まった。
悪徳の栄えとして、華人社会の間で密やかにその名を轟かせていた下界であったが、今はその名残を何処にも留めていない。地下水路に合わせて右に左にと折れ、複雑に交差する下界通路は、のっぺりとした地肌が光源不明の明るさにあって、実に空々しい印象を受ける。区画毎に商店街が形成されていたようだが、京大人の放った撃滅部隊によって尽く破壊・撤去されていた。更に地下空間、所謂『部屋』も埋め立てられていて、かつての痕跡は何処にも見受けられない。その執拗さは、下界に対する単なる嫌悪以上の何かが感じられて仕方がなかった。
それでも部屋の幾つかは埋め立てを免れている。それらの場所をクレアは如真に教えてもらい、複製した見取り図の上に、テンダーロイン周辺域のみではあるが、4つ書き込んだ。
「こうしてかつての『部屋』が残っているのは何で? これだけ地下を綺麗にした京って人が、中途半端なものを残しておくとは思えないんだけど」
クレアが問う。
「私にも分かりません。あの大人の事ですから、何らかの意図があるとは思いますけどね。さあ、そろそろ扉が近付いてきましたよ」
言って、如真は通路の一箇所を指差した。その先には、殺風景な景色にあって正に異物であった。熊のぬいぐるみが置かれていたのだ。
「あれ。あんなの置いていたっけ」
「ふふん、アタシが置いといたのよん」
首を傾げる如真に、ラスティは胸を張ってみせた。して、出来損ないのウォークマンのような機械を皆に見せびらかす。
「EMF探知機で辺りを探りながら進行していたのよ。そしたら、あそこでビビッと反応が来るじゃない? これは絶対に何かあると思って、こぐまのミーシャちゃん・ソビエトVer.を置いてみたわけ」
「プーさんではないんだね。うん、可愛いけど、何か複雑な笑顔」
「ミーシャはアメリカ人のトラウマキャラじゃのう、クレア」
「いやいや、僕はアメリカ国籍じゃないし」
「しかし、これが扉ってあんた、ここには何も無いんですけど」
ナタリアは邪魔なミーシャを足でポンと退かし、如真言うところの扉を軽く蹴った。有体に言って、其処はただの壁だ。
「ああっ、アタシのミーシャに何て事を!」
「まあ見てて下さい」
如真はぬいぐるみを拾い上げ、その額にポケットから取り出した票を貼り付けた。そして無造作にぬいぐるみを壁に突っ込む。ぬいぐるみが壁の中にめり込み、一同が言葉を失う。そのまま如真は壁の中へとぬいぐるみを飲み込ませ、やがて彼の掌からぬいぐるみは消えた。
「通行票です。特殊な呪いが施してあります。これをもって、昔は地下水路から下界に行き来していた訳です。今はその大部分が粗方焼き捨てられましたけど」
「アタシのミーシャは何処!?」
「ああ、すいません。向こう側の地下水路に落ちてますから、取ってきます」
如真は苦笑しつつ、もう一枚の通行票を取り出して壁に押し当てた。ぬいぐるみ同様、如真の姿も壁の中へと消えて行く。都合残された3人は、この面妖な出来事を前にして、戸惑いを隠せないでいる。
「中国呪術?」
「正体不明の光源といい、ただの地下空間じゃないのは明白だね」
こうなると、この離反劇も複雑な裏を抱えていそうだと3人は思った。間違いないのは、自分達が目隠ししながら橋の上を歩くに近い状況に置かれている、という事だった。事の真相というものを、速やかに見極めねばならないと一同は認識する。そして然程間を置かずに、如真は「こちら側」に戻ってきた。拾ったぬいぐるみをラスティに返し、如真は通行票を4人に一枚ずつ手渡した。
「え、どういう事?」
「皆さんに進呈します。これで事実上サンフランシスコ市街の地下水路全域から、皆さんは下界に通じる事が出来ますよ。扉は庸の担当区域、テンダーロインを除いた全域に一箇所ずつあります。場所はさっきのEMF探知機という奴で調べられそうですね。夜に行動を共にする2人にも渡しておきますけど、これは決して他人の手に渡らないようにして下さい」
「ありがたいが、一応他の担当区域からでも下界には入れるのじゃろ?」
「きっと、後々役に立つ時が来ます」
如真はほんの僅かだが昏い笑みを、ジークリッドに見せた。一から十まで暢気だった彼にしては唐突な表情だったので、ジークリッドは面食らってしまう。が、その心の変化の意味を彼女が知る事は出来なかった。素っ頓狂な声をラスティが張り上げたからだ。
「担当各区域に一箇所!? じゃあ、アタシがもう一個置いてきたミーシャ・タンクトップVer.は何だったわけ?」
「いろんなバージョンを持っているんだね」
「別区域の扉じゃないのかい?」
「いいえ、この近辺に扉はここしかありません」
如真はラスティを促し、当の現場へ皆と共に足を運んだ。
其処は程近い場所にあった。タンクトップのぬいぐるみが置いてある場所には、先程の扉と同じように壁があるだけだ。全員がEMF探知機を作動させる。確かにその壁には強い反応があった。
「あれ? メータが激しく動いてる」
ラスティが探知機をこね回しながら、分からない顔になった。
「壊れちゃいないわよね? おかしいわ、1人で来た時は何ともなかったのに…」
すると、いきなり壁が鈍く光った。一瞬でそれは収まり、続けて腕が壁から伸びてきた。腕から肩が露出し、足が地面を踏みしめ、やがて1人の人間が姿を現す。中華系の男だ。虚ろな目が上向き、驚いた顔のハンター達と面を合わせる。男はたじろいだ風を見せ、腰のナイフに手を掛ける。
それよりも早く、クレアとナタリアのショットガンが同時に火を噴いた。散弾代わりに塩を詰めて殺傷力は無いとは言え、その至近弾は男の体を軽々と吹き飛ばし、元の壁に押し戻してしまった。男の姿が消えても、この場の誰もが臨戦態勢を解かない。壁が、また光り始めたからだ。
「撤収するよ!」
クレアの号令に合わせ、一同は後退を開始した。そうこうする内に、正体不明の扉からは、次から次へと人が躍り出てくる。何れも中華系で、庸の離反者達であるのは明白だ。既に先の発砲で戦端は開かれている。彼らはハンター達を猛然と追い掛けてきた。その数は最低でも10人以上。
クレア、ナタリアが最前線で交互にショットガンを撃ち、追撃者目掛けて塩の弾幕を張る。が、ただでさえ殺傷能力の無い塩弾は、距離を置いて拡散するのみだ。多少よろめかせる事は出来ても、彼らの速度を押し留めるには至らない。つまり彼らは、悪魔に憑依されていない。ただ、彼らの目には特に感情的な色は無かった。全員が同じ顔だ。恐らく強力な洗脳を施されている。
「逃げ切れないなら、実弾を使う! 裏切り者はブッ殺されても文句が言えまい!」
ナタリアが12ゲージを詰めた実包を取り出すも、クレアが慌ててその手を押し留める。
「駄目だよ、相手は人間じゃない!」
「私はナイフで刻まれたくはないんでね!」
ナタリアの言う通り、敵は全員がナイフを手にしている。
「ならば、全員を昏倒させる。接近戦で叩きのめすのじゃ」
ジークリッドが宣し、剣を抜き放った。彼女は柄と平だけで格闘戦を挑む腹だ。現実問題として逃げ切れないなら、その案に乗るしかない。押し寄せる離反者達を迎え撃つべく、フロントマンの3人が転進し、激突する。
ジークリッドが長大な剣を器用にくねらせ、先頭の男の額に柄の先を強打させた、返す刀、刀身をバットのように振り切って、2人目の脇腹に叩きつける。この状況で刃を彼らの体に掠らせもしないジークリッドの技術は凄まじい。更に寄せてきた後続をクレアとナタリアのショットガンが打ち倒す。至近距離ならば塩弾でも人間には過大な衝撃だ。これをもって離反者達は半分の人員をあっという間に失った。しかし。
「うっ!?」
男の1人に腕を絡め取られたジークリッドが、その万力で締めるような力の前に、思わず呻き声を上げた。確かに彼らは憑依されていないが、腕力はTclassis程度には引き上げられているらしい。ストッパーの外れた胆力を前に、ジークリッドが苦痛に顔を歪めて跪く。男が空いた手でナイフを振り上げる。ナタリアとクレアは眼前の敵への対処でフォローが覚束ない。万事休す。
と、男の右足が後方へ弾き飛ばされた。転倒。拳銃の乾いた音と同時だと、ジークリッドが若干遅れて気付く。男の無防備な首裏に柄を叩き落とし、振り向く。間近の位置まで如真が歩み寄っていた。如真はオートマティックの銃口を淡々と離反者達に向け、尽く足だけを狙い撃ち続けている。ほとんど乱戦の状況下で、その腕前は尋常ではない。程なくし、敵はたった1人を残して戦闘不能に陥った。その1人の額に向けて、如真は狙いを定める。
「殺す気か!?」
「いや、もう遅い」
ジークリッドの制止と如真の諦観。2つの声と同時に如真の体が遥か後方へと吹き飛ばされた。したたかに地面に打ち付けられる彼を見届け、ジークリッドは男を顧みた。男の眼球全体が、何時の間にか真っ黒に染まっている。男は笑った。得体の知れない感情を露出しながら。それは悪魔の笑みだ。敵は悪魔。
「Uclassis!」
「一番後ろで、仲間を盾代わりにしていたな!」
ショットガンを構えたクレアとナタリア、そしてジークリッドも、無形の強大な何かに体を持ち上げられ、如真同様に男から大きく距離を置いた場所へとその身を叩き付けられた。そして上から押し潰されるような圧力が加えられる。悪魔が用いる観念動力は、4人まとめて動作の自由を完全に奪ってしまった。
「…ランク付けの好きなお前達が、四級如きに遅れを取るのは不服かい?」
ポケットに左手を突っ込み、右手でナイフを弄びながら、悪魔が歌うように、小ばかにしたように歩み寄ってきた。このまま圧殺する事も出来るだろうに、そのつもりは無いらしい。恐らく悪魔は、生きたままの人間の解体を楽しみたいのだ。人の苦痛と不幸をこよなく愛する者共の所行を、予知出来ないハンターは居ない。
「お前達、来世があるなら注意しておけ。先手を取られなければ、下級でもハンターなど我々は敵にしない。準備を怠れば即座にお前達は死ぬ。尤も、即座には死なせないが」
「ご忠告どうも」
不意に横合いから声を掛けられ、悪魔は目を剥いてその者を見た。看護婦姿のラスティが、コード付きのスイッチを手に、ニッコリと笑っている。スイッチON。悪魔が何かにぶつかったように立ち止まった。
「はい、上を見て頂戴」
ラスティに言われて、悪魔は天井を見上げた。其処には複雑な円形の紋様が、影絵によって形作られている。脇に置いてあるスポットライトには、電球にその紋様が塗られていた。スポットライトによる『ソロモンの環』の形成。
「何故お前に気付けなかったのだ…。存在感の塊みたいなお前に!」
「あら、嬉しい褒め言葉」
その頃には仲間達全員が束縛から解放され、首や腕の関節を宥めながらラスティの元へ向かっていた。ソロモンの環の影響下において、悪魔は行動と異能使用の自由を一切制限される。今度はハンター達が、余裕の笑みを浮かべる展開になった。
「あんた、何で看護婦の格好なの?」
「趣味よ」
「ああ、そう」
苦笑しながら、クレアはポケットから小さな聖書を取り出した。それに倣い、ハンター達が続々と聖書を広げ始めたのを見、悪魔の顔が引き攣る。一対一ならともかく、4人がかりで悪魔祓いを執行されれば、Uclassisなどひとたまりもないだろう。
「やめろ、やめてくれ! 地獄は嫌だ、あんな所に戻りたくない!」
「じゃあ、今回の件で知っている事を全て話すがよい」
ジークリッドの通告を受け、悪魔は言葉を詰まらせた。その様を見て、ラスティは肩を竦めた。そして聖水の詰まった注射器を準備する。
「それでは楽しい拷問タイムの始まり」
「すみませんが、注射器で水は中の人が死ぬかもしれません。それは止めて頂けないでしょうか」
傍に座り込んで成り行きを見守っていた如真が、ラスティを制止した。それじゃ仕方ないわね、等と軽い調子で、ラスティは水筒に溜めた聖水を惜しみなく悪魔に振り掛けた。獣のような悲鳴声を上げ、悪魔がのた打ち回る。人間で言えば沸騰した湯を浴びせられるようなものらしい。
「聖水は際限なく持ってる訳じゃないのよね。これが尽きたら、聖書の読書会が始まるんだけど、どうする? そろそろ楽になりたくない?」
「…俺は所詮下っ端だ。大した事は教えてもらっていない。ただ、言う事を聞けば暴れ放題にさせてやると言われて、あの方に地獄から引き揚げて貰ったんだ」
「あの方? 誰?」
また悪魔が黙る。四人の指先が悪魔に向けられ、目線が聖書に落とされる。斉唱。
『Exorcizo te , immundissime
spiritus』
ソロモンの環の中で、悪魔は体を捩って身悶えた。憑依した人体からの強制排除は、悪魔にとって過酷な痛みを伴うらしい。ハンター達が一旦唱和を止めると、悪魔は肩で大きく息つきながら、その場に倒れ伏した。
「カスパール様が皆殺しにして下さる。数が頼みの人間など、どうという事はない」
体を震わせ、悪魔が呪詛を呟いた。最早自分に助かる術が無い事を、彼は自覚しているらしい。己が成り行きを定められているならば、最期に思う存分の悪意を撒き散らしてやる。通例悪魔が人間に揺さぶりをかける際、標的を1人に絞って徹底した言葉の攻撃を仕掛けるものだ。その例に漏れず、この四級悪魔はナタリアに狙いを定めた。
「そうだ、お前の両親を知っているぞ。間抜けな死に方をした間抜け面が良く似ている。散々に苦しみぬいた挙句に逝った先は天国じゃない。地獄だ。生前何をやっていたか知らないが、地獄にお似合いの穢れた連中だ、お前の親父とお袋は。地獄でもみっともなく命乞いをするあいつ等の、手足を切断してまたくっつけて、苛め倒したのはこの俺だよ!」
ナタリアは無造作にショットガンの引き金を絞った。ほとんど目の前から撃ち込まれた岩塩が悪魔の体にめり込み、またもや彼は激痛の悲鳴を上げる。その悲鳴はナタリアに、何の感情も起こさせない。先の汚い言葉の羅列もそうだ。悪魔の言葉には何処にも真実が無い事を、経験則上彼女は知っている。悪魔祓いの続行。再度斉唱開始。
悪魔は最早、まともな言葉も口に出来なくなっていた。のた打ち回りながら喉元を押さえ、溢れ出る何かを押し留めようとしている。しかしその努力が報われる事は無い。悪魔の口から、徐々に黒い煙が漏れ始める。その量たるや、瞬く間に悪魔の全身を包む程となる。嗚咽しながら吐き出し切った黒煙は、地面に油が染み込むように分量を減らし、やがて消えた。男に取り憑いた悪魔は、こうして地獄に叩き落とされた。
<下界行:夜の部 郭小連 患 如真>
先の事件は他所の区域の精鋭達に助力を貰い、離反者達全員が身柄を捕獲された。ハンター達が予想していた通り、その誰もが離反の際の出来事を覚えていない。洗脳された人員然り、小隊のリーダー格らしき元悪魔憑き然り。件の戦いで全員が怪我をしており、しばらくは病院暮らしとなるだろう。それから庸による本格的な尋問が開始される運びとなるが、結局何も分からずじまいに終わるのは、この後の話である。
とは言え、各区域の精鋭達がしらみ潰しに調べ回って何の成果も得られなかった下界探索が、王一派とハンターの共同戦線によって少なからずの進展を迎えたのは、紛れも無い事実である。これが庸内部で大小の波紋を呼び起こす事となるのは間違いなかった。
「うう。今度はアルバイトの時間をすり合わせた方がいいかもですー…」
郭は患と如真の後ろに隠れ、恐々と下界通路の歩みを進めていた。昼の探索が結果として大立ち回りになった話を先行のハンター達から聞いたうえでは、その及び腰も無理はない。何しろ夜の一行は、この世ならざる者に対する戦力が格段に下回っているのだ。
「大丈夫じゃないですか? 何分、逃げ回るだけならばかなりのものだ。符術の結界使いが居るというだけで、僕達の安全度はかなり高いと言えますねぇ」
翻って患は、全く怖気づいていない。しかし、この面子の実力を背景にした自信がそう言わせる、という類ではないらしい。単に危地における感情の上下が極端に平板な男なのだ。そうとは知らず郭は頷いて、符呪の札を右へ左へと壁に貼り付けていった。
「魔性の進入を妨げる札です。ここまで逃げ切れば、悪魔も止められるかもしれませんけど、洗脳された人間相手ではどうしようもないです」
「ありがとう。小連が居てくれて助かります」
板チョコレートを齧りながら、如真は肩を郭の小さな肩を叩いて労った。昼の時よりも一層リラックスしているように見えるのは、この場の2人が知るところではない。恐らく2人ともチャイナタウンの在住である点が、如真に同郷のよしみを感じさせているのだろう。
「ハーシーズ、食べます?」
「要りませんね」
「砂糖ザラザラな食感が苦手ですー」
「そう。美味しいんだけどな。チョコとザラメを同時に食べているみたいで、お得感がありますよ。それにしても、小連はどうしてこんな危険な仕事に身を置いているのですか?」
如真の郭に対する接し方は、まるで保父が幼児の世話をするように優しい。実際、16歳の郭は小学生のような見た目をしているのだが。郭は困り顔で団子にまとめた髪を弄びながら、ぽつぽつと如真に切り出した。
「父さんと母さんに言われたからです。ハンターの力を持って、庸の力になりなさいって。うちのお店、すごく庸のお世話になっていますから。こういうところで恩返しをしなさいって」
「そうですか。でも、庸がチャイナタウンの人々の世話をするのは義務ですから、そんなに気負う事はないんですよ。普通に商売をして、平和に暮らして貰えればそれでいいんです」
「そして僕達は対価として、彼らの稼ぎを巻き上げる訳ですか」
かかっ、と患が自嘲めいた笑いを漏らした。対して如真は、曖昧な微笑を患に向ける。
「ねえ、患さん。もしも庸が、みかじめの取立てを金輪際やめるとしたら、どう思いますか?」
「そりゃ庸の存在意義の根幹に関わる話でしょう。そうなったら庸は、影響力をとことん落とした単なる互助団体に過ぎません」
「そうですね。最早マフィアではありませんね」
庸の構成員としては危険な話題ではあるが、如真は随分と楽しそうだった。訝しい目を如真に向けるも、取り敢えず患はこの話を忘れる事にした。今は妄想に浸る状況ではない。組織の一員として、離反の原因が何であるかを見極めねばならないのだ。裏切り者は地獄送りにするのが患の信条であるものの、これがただの離反劇でない事は、誰の目にも明白である。この事件を仕組んだ者の真意が何処にあるかを早急に知らなければ、先でおぼろげに見える組織の崩壊が、明日にも現実のものとなるだろう。
テンダーロイン周辺域で前回ハンター達が見つけたのは、通常の地下水路への『扉』と、離反者達が湧いて出て来た謎の『扉』、この2つである。後者の扉に関しては、何処に通じているか、或いはどうやって通り抜けるかも分かっていない。ただ、其処から離反者が出現してくるのは事実である為、それならカウンターのしようが幾らもあろう。
しかしながらそれは、恐らく敵も承知している。問題は件の『扉』が他に存在しているか否かだ。敵の出現ポイントが複数だった場合、翻弄されるのはこちらの方となる。そういう訳で、3人は別の区域に足を延ばす事にした。テンダーロインに隣接する地下水路、ないしは下界は、東:サウス・オブ・マーケット、西:ヘイト・アシュベリ、南:ミッション。取り敢えず、一行は程近いミッション地区に進入する。しかし。
「あの、わたし、EMF探知機を持ってないんですけど」
「えっ。そうなんですか?」
申し訳なさそうに言う郭を前に、如真は少し困った顔になった。彼としては前回の実績でEMF探知機の有用性を目の当たりにしており、それがハンターの標準装備だと勝手に思い込んでいたわけだ。
「で、当然のように僕も持っていませんけどね」
とは、患。
「うーん。これでは謎の扉を見つけるなど、出来ませんね。仕方ない、しばらく歩いてみましょうか…?」
不意に如真が立ち止まった。続けて患も耳を澄ます仕草をする。郭は何の事か分からず、周囲をキョロキョロと見回した。
「え、え? どうしたんですか?」
「足音がします」
「何かを引き摺るような音もね」
「他の精鋭さんでしょうか?」
「いや、足音がでかいですよ。人間にしてはね」
患は言うや否や、音も無く通路の曲がり角に身を潜めた。2人も倣って、影に体を隠す。
足音は先のT字路の右側から聞こえてくる。その歩幅は音の感覚から察するに、とんでもなく大きい。歩調に合わせて、ずる、ずる、と引き摺られる何かも、決して小さなものではない。
「ジュニア、謎の扉とやらは、離反者以前に存在していなかったんでしょう?」
「ええ。あの事件以降に出来たのは間違いありません」
「ならば、彼らがその出入り口を作っていたのかもしれませんね。そいつは一通り完了し、そして今、警邏するものが放たれた、とか」
青竜刀を抱え、患は遮蔽から向こうを覗いた。足音の主はゆっくりした歩調と裏腹に、相当の速度でT字路を通り過ぎるところだった。垣間見えた2~3秒の間に分かったのは、それが身長3m以上ある事、引き摺っていたのが人間の死体だという事。死体は多分、ミッション担当・郭氏の配下である。多分というのは、既に原型を留めていない程、顔形を滅茶苦茶に壊されていたからだ。
足音が遠ざかって行き、皆が一様に肩の力を抜いた。患は己の顔が強張って行くのを自覚する。敵は控え目に、かつ明確に攻勢の第一歩を示してきたのだ。そして庸の仲間が今、ひっそりと惨殺された。これにて庸と、反逆者達との戦いが始まる。血みどろの殺戮戦が。
如真が一旦収めた拳銃を、再度ホルスターから抜いた。足音は一向に消えていない。むしろまた大きくなってきている。先程と違うのは、死体を引き摺る音がしない点だ。
「…戦利品を置いて戻ってくるとしたら、用件は何でしょうね」
「多分、新たな獲物に気付いたんでしょうかね」
言うが早いか、3人は身を翻して遁走した。同時に足音もリズミカルに、更に大きく彼らへと迫り始めた。得体の知れない何かに、捕捉されてしまったのは間違いない。
来た道を逆戻りしつつ、3人は全力で逃走する。しかしながら後ろの何かが追う速度は、彼らよりも遥かに上である。遂には如真が「それ」目掛けて拳銃弾を発射する始末となった。当然ながら、その攻撃は「それ」に全く通用していない。
それでも郭には望みがあった。手始めに貼り付けておいた札の場所まで戻れば、「それ」の行く手を阻める可能性が高い。何しろ背後からの気配は、濃厚に邪悪なものであると郭には感じられたからだ。邪悪なものを押し留めるのが、郭小連の符術である。
急制動し、郭は貼り付けた5枚の札を指でなぞった。その拍子に迫り来る「それ」を見てしまう。
有体に言って、「それ」は怪物そのものだった。身長は実際には4m超。濁った瞳に黄ばんだ汚い乱杭歯。やせ細った手足に体躯。そして無意味に出し入れされる50cmはあろうかという長い舌。一瞬怯んだが、それと共にこの怪物の事をハンター間で聞いた事があると、郭は思い出していた。しかし正体の詮索は後回しにしなければならない。指を二本額に立て、「それ」に向けて郭が宣告する。
「不怕任何邪法、六丁六甲護身、佛祖收妖押殺、除鬼邪妖魔附身、退邪法離身!」
言い終えたと同時に、「それ」の進撃が無形の壁に衝突するように食い止められる。勢い余ってしたたかに転倒し、「それ」は聞くに堪えない咆哮を轟かせた。その吼え声には、まるで人間のような生々しさがある。「それ」は叫び続けながら、無形の壁を出鱈目に殴り始めた。郭の顔が青ざめる。
「いけない、わたしの力じゃ、そんなに持ちません!」
「それでいいです。貴重な時間を稼ぐ事が出来た」
患は如真と郭を引き連れ、一先ずその場の離脱に成功した。背後に怒りと狂乱の雄叫びを置き去りにして。
今の所、初期の下界探索は、庸に人的損害を1名出している。しかしその1名を屠った手合いは、王配下の報告を聞く限り、庸の手に負えない代物であるとの判断が下される。都合、下界探索は当面の間、自粛の運びと相成った。それに代わって、ハンターズ・ポイントの地上捜索が次回に実施される。
「つまり下界行の自粛は、あくまで自己判断に任せるという意味だ。そしてこの告知は、ハンターである君達に適用されていない。つまり我々庸は、ハンターが下界の化け物を排除してくれれば御の字だと期待している」
応接室に居並ぶハンターを前にして、王広平は深く頭を垂れた。こうして正直に腹の内を見せるだけ、王はハンターにとってまだマシな存在と言えるのかもしれない。
<H2-1:終>
○登場PC
・クレア・サンヴァーニ : ポイントゲッター
PL名 : Yokoyama様
・郭小連(クオ・シャオリェン) : ガーディアン
PL名 : わんわん2号様
・ラスティ・クイーンツ : スカウター
PL名 : イトシン様
・ナタリア・クライニー : ポイントゲッター
PL名 : 白都様
・ジークリッド・フォン・ブリッツフォーゲル : ポイントゲッター
PL名 : Lindy様
・患 : マフィア(庸)
PL名 : さけ様
ルシファ・ライジング H2-1【下界へ】