<ミッション地区>

 安いホテルとは言っても、サンフランシスコは宿泊施設が割高なところが多く、バーバラは結構な出費を強いられる羽目になった。

 ほとほと疲れ果てた様子だったアンナも、今は中堅クラスのツインで泥のように眠っているはずだ。明日は一先ず彼女の家に戻ってどうするかを一度練り直さねばならない。何しろ例の怪物には、彼女の家を捕捉されてしまっているのだから。

 ホテルの部屋の扉と窓にソロモンの環を設置し、更にホテル外周の要所を塩で遮るという念入りな作業を終え、バーバラはEMF探知機を片手に周囲の警邏を開始した。もしもジェイズ・ゲストハウスでの逗留を認められていれば、ここまで追い込まれるシチュエーションにはならなかっただろう。とは言え、この事もバーバラはある程度予想していた。

 現在、ゲストハウスを緊急避難所として使う案は、一般人であるジェンキンス一家を護る目的で進められている。これは間違いなく通るだろうと、バーバラは考えていた。ゲストハウスの主は、奇妙な存在だが人間的な情も理解している。差し当たってゲストハウス側に人命救助を断る理由は無い。ただアンナや、恐らくマックスには、受け入れを拒否される理由があったのだ。あのエリニス・リリーのように、ル・マーサに関わっているという一点でもって。

 と、EMFが大きく反応した。不意を打たれて身構えたものの、バーバラの目の前に現れたのは、小柄な白黒のボーダーコリーだった。安堵しつつ、バーバラは目線を合わせるべく膝を曲げた。

「今日はありがとう。私の仲間達との戦いで、あなたはとても上手く退いてくれたわ」

 礼を述べて頭を下げるバーバラを、送り犬は不思議そうな目で見ながら首を傾げた。

 バーバラは事前に、エーリエル、ドラゴ、真赤の顔写真を送り犬に見せていた。彼らと鉢合わせたら、戦う振りをして取り敢えず退いて欲しい。その方がル・マーサと戦うに当たって益になる、とも。何処まで意思が通じているかは怪しいと思っていたが、どうやら彼が「同志」と認識している者の言う事は理解出来るらしい。

 ならば、とバーバラは思った。逆に送り犬の心を自分が知る事は出来ないのだろうか?

「…一体、何があったの?」

 鼻先をぐっと近付け、バーバラは送り犬の黒い瞳を覗き込んだ。

「こんなに小さなあなたが、たった1人で戦い続ける理由を私は知りたいわ。それから、出来ればだけど、あなたの本当の名前も」

 言い終えると同時に、送り犬はツイと後ろを向き、スタスタと歩き始めた。そして立ち止まり、バーバラの方を顧みる。

『ジョンジー』

 そんな声が聞こえた。それが送り犬の、生きていた頃の名前だとバーバラは知った。

 

 ジョンジーはバーバラを案内するように、ひたひたと通りを歩いている。後ろから見る送り犬の姿は、ありきたりだが可愛い犬でしかないように、バーバラには思えた。

 角を三回曲がり、少し直線を歩いた左手の方に、小さな公園がある。ジョンジーはくるりと向きを変えて公園に入り、バーバラもそれに従った。しかし公園の中に立つと、送り犬は既に姿を消していた。代わりに目にしたのは、公園の隅に植えられた木の根元で、しゃがみ込んで手を合わせる女の子だ。バーバラは腕時計を見た。こんな時間に子供が1人で公園に居てはいけない。

「お嬢ちゃん、どうしたの? パパとママは?」

 呼び掛けたその声に大きく反応し、女の子はびっくりしたようにバーバラの顔を見た。バーバラは笑いかけながら、自らも同じく根元にしゃがみ、掌を組んだ。

「お名前は何ていうの?」

 目を閉じたまま、バーバラが女の子に語りかけた。

「…アンジェリカ」

「まあ、綺麗なお名前ね、アンジェリカ。でもアンジェリカ、早く家にお帰りなさい。ママが心配していらっしゃるわ」

「誰も心配なんてしてないわ」

「…そんな事、あるはずないじゃない。とにかく駄目よ、夜に1人で出掛けては。さあ、近くまでお婆ちゃんが一緒に行ってあげるわ。お祈りはもう、済んだのでしょう?」

「うん」

「あの木は、誰かのお墓なのね?」

「ボーダーコリーの。ナイフで殺されちゃったのよ」

 来た。と、バーバラは思った。ようやくジョンジーが何ものなのかを知る手掛かりが得られる。アンジェリカはバーバラと連れ立って歩きながら、訥々と事のあらましを話し始めた。

 およそ2ヵ月近く前。アンジェリカはこの公園の近辺で女性が犬に吠えられている様子を遠目に見た。犬の吠え声は威嚇と言うよりも、何処か切羽詰って必死な雰囲気であったらしい。女性はしばらく立ち尽くして吠えられるままだったが、突如無言で刃物を振り上げ、犬に何度も突き立てた。振り下ろされる度に上がる悲鳴がやがて途絶え、女はそそくさと立ち去って行く。アンジェリカは急いでその場に駆けつけたものの、可哀想な犬は既に事切れていた。

「その人、シスターの格好をしてた」

 立ち止まり、アンジェリカは不安げに通りの建物を眺めた。

 其処はミッション・ドロレス。サンフランシスコで最も古い教会である。

「わたし、犬をあの木の下に埋めたわ。ひどいことしたシスターを怒ってもらおうと思って、次の日にミッション・ドロレスへ行ったの。そうしたら、うちの者がそんなことをするはずないって。わたしが嘘をついてるんだって。あの日にドロレスを辞めたシスターが居るって聞いたから、その人が怪しいって言ったのに。誰もわたしの言う事を信じてくれない」

 目を拭いながら、涙声で話し続けるアンジェリカを、バーバラは労わるようにして髪を撫でてやった。

「もういいのよ。話してくれてありがとう。私はあなたの言う事を信じるわ」

「信じてくれるの?」

「ええ、あなたは嘘をつくような子じゃない。犬をきちんと埋めてあげた、偉い子よ。きっとその犬もあなたに感謝していると思うわ。酷い事をした犯人は、私に任せてもらえる? 必ずお墓の前で、謝ってもらうから」

「本当?」

「本当よ」

 バーバラは一瞬、瞳に鋭い戦意を宿らせたものの、すぐに相好を崩してみせた。

 

 

<H4-2-3:終>

 

 

○登場PC

・バーバラ・リンドン : ガーディアン

 PL名 : ともまつ様

 

 

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ルシファ・ライジング H4-2-3【ミッション・ドロレス】