<古い神と吸血鬼>

 その領域は極めて特殊である。其処は今ではない何時かであり、ここではない何処かだ。

 ジェイズ・ゲストハウスの4Fにかような異世界を作り上げた張本人、皆がキューと呼ぶ古い神は、その世界の奇妙さと同等の変わり者であった。しかしながら『世界』を運営するにあたり、彼にも譲れぬ矜持がある。自分が認めた人間以外の立ち入りを一切認めず、この世ならざる者の侵入を厳格に防ぐというものだ。

 そんな彼でも、こと吸血鬼に関しては些か甘い。今迄でも、吸血衝動が大幅に減じられている一部の月給取りに関しては、例外的にゲストハウスへの入館を許容している。しかし此度は勝手が違った。

 キューは、上位戦士級の吸血鬼を自分の懐に招き入れたのだ。大抵の月給取りですらそのような措置は行なわなかった彼が、である。

 

「ま、皆さん。ここは吾に免じて、矛を収めて頂けませんか?」

 とりなしたキューの言葉に従い、リヒャルト・シューベルトに対して無形かつ戦闘的包囲網を形成していた古い神々が、潮引きのように存在感を消して行った。しかし最後に消えた一体の女神が、不審の言葉を後に残す。

『御注意を。その者、私達とは異なる世の臭いがします。侵略者と成り得る者であります』

 装飾も無い、真っ正直な警戒心を見せ付けられ、リヒャルトは舌を出して苦笑した。そして曰く。

「成る程。思った通り吸血鬼とは、この世界にとって外来種という訳か。古い神々が正しく『浄化』しようとする気持ちも分かる。この世界の関わりが深い彼らにとって、それは極めて自然な対応だ」

「矢張り面白い奴ですね。君は吸血鬼や人間という枠を超えて、俯瞰的に物事を認識する観察眼を有しています」

 カウチソファに座ってこちらに背を向けたまま、キューが言う。褒めている訳ではなく、ただ思った事をそのまま告げたのだとリヒャルトは解釈した。案の定、意思の疎通に問題は無い。リヒャルトは本題を切り出した。

「ゲストハウスの1階で、あなたも私に用件があると言った。恐らくだが、その用件は私のそれにも被るところがあると予想するよ。しかしその前に、念の為に確認したいのだ。先程の古い神々の反応から薄々分かる事だが、私達の新祖ジュヌヴィエーヴを、2度匿う事は出来ないな?」

「ええ、匿いません」

 リヒャルトの問いに対し、キューはあっさりと答えた。そして逆に問う。

「君は吾の回答を予想していたようですが、その根拠を聞かせて頂けますか?」

「新祖は人間になったとは言え、その力の源がこの世界のものではないからさ。それはあなた達にとって、本能的に排除すべきと断じる対象なのだろう。自然環境に外来種が入り込み、生態系を破壊する。それをあなた達は決して許さない。前回は特例を認めて貰えたが、そうそう事は都合が宜しくないらしい。あなたが許可しても、先の彼らは拒絶するはずだ」

「返す言葉がありませんね。百点満点です」

 キューは肩を竦め、やや力の無い拍手をした。

「吾は神であり、彼らもまた神です。しかしながらその成り立ちについて、実は色々と分からない事だらけでしてね。その一つに、頑強な一定の方向性というものがあります。この世界を、自然の流れに逆らわず存続させるという。君が言うところの外来種排除や、人間達に手を貸す事は、つまり吾等の本能の為せる業なのですね。しかし君達のような吸血鬼を見ていると、最低限の多様性を認めてもいいのではないか、と思うようにもなったのですよ。ま、そう思うのも実のところ吾だけでして、他の神々の意向を無視する訳にはいきません。彼等の力を大いに借りねばならない、特に今の状況下にあっては。期待に応えられず、申し訳なく思います」

「何を仰る。むしろ私が礼を言わねばならない。あなたが力を貸してくれなければ、希望が大きく損なわれるところであった。今後は私達の力と団結で新祖を守り通してみせるよ。ありがとう、キュー殿」

「どう致しまして。ところで、君の用件と吾の用件についてですが。吾も多分被るものだと想定しています。彼の処遇について、ですね?」

「その通り」

 リヒャルトが頷くと、キューはパチンと指を鳴らした。同時にリヒャルトの面前に、ベッドに寝かされた若い吸血鬼が出現した。元仕える者共の所属、エドアルド・クレツキ。

「彼を連れて行こうと思うのだ」

 リヒャルトが言った。

「こうして彼は、あなたの力で『凍結』状態のまま匿われている。しかし先の出来事の通り、それも限界があると私は見たよ。これ以上あなたに負担をかけるのは本意ではないしね」

「確かに。実は、彼に対する視線にも厳しいものがありました。しかしこれから、どうするつもりなのですか?」

「考えがあるんだ。ところで、携帯電話はこの世界でも通じるかい?」

「吾が通じさせる事が出来ます」

「僥倖僥倖。それでは、彼を目覚めさせて貰いたい」

 キューは首を傾げる素振りを見せたが、請われた通りにエドアルトの時間を進めた。エドアルトは目を見開き、その身を勢い良く起こした。

「ここは!?」

「死後の世界ではないから安心し給え」

 慌てふためくエドアルトを、リヒャルトは半ば強引に言葉で抑え込んだ。そして皆まで言わせず、声を低めて曰く。

「君は、もう仕える者共の仲間内には戻れない。晴れてフリーランスとなった訳だ。しかしその道行きは険しいものとなるだろう。恐らく奴らは、追っ手を差し向ける。そしてハンターからも、何時も通りに敵視される。ギリギリのラインで命を削るように生きるのは過酷だ。故に私は、君の力になりたい。率直に言うが、君は私達の仲間になれ」

「仲間…?」

「我々は最終的に、本来あるべき人間としての生活へと立ち返る事を目指す。その為の戦いを開始する。それはつまり、真祖ルスケスを向こうに回す事となる。先程過酷という言葉を使ったが、この戦いはそれ以上に厳しいよ。しかし勝つ事が出来れば、私達には未来が開ける。独立した意思を持つ人としての未来がね。翻ってルスケスは、吸血鬼をループの中に留めるだろう。奴は吸血鬼の個々に何ら興味を持っていない。何故なら、自分が比類なく最上の者と思い込んでいるからだ。奴の支配を私達は断固拒否する。さあエド、考える事だ。もしも君が吸血鬼としての生を謳歌するつもりならば、私は君の意思を尊重しよう。その時は、サンフランシスコ離脱の協力も惜しまない。私達と共に戦うか、否か。今、選ぶんだ」

 それはエドアルトにとって、この先の人生を左右する決断だった。当然のように彼は面食らっているものの、リヒャルトの言葉に容赦はない。何しろリヒャルトには、猶予が無かったからだ。

 しばらくの間、エドアルトは逡巡した。そして意を決した目で曰く。

「戦う。エドアルト・クレツキとして」

「ありがとう、友よ」

 リヒャルトは破顔し、先程から繋ぎっ放しのままだった携帯電話をエドアルトに渡した。促されるままに、エドアルトが電話を耳に当てる。スピーカーから、明瞭かつ落ち着いた女性の声が聞こえてきた。

『こんにちは、エドアルト・クレツキ君』

「ああ、こんにちは…。誰?」

『ジュヌヴィエーヴ・ビノーシュ。私はお前の仲間となる者です』

 ジューヌの言葉を切っ掛けに、エドアルトは自身の存在が根本的に変わるという、革命的な変貌を自覚した。驚愕の眼差しを向けてくるエドを他所に、リヒャルトは何時ものように飄々とした笑みを浮かべている。彼は彼で極度に緊張していたらしいが。

「君は新祖ジュヌヴィエーヴの系列となった」

 喜びも露にリヒャルトが言う。

「これが新祖の本領なのだ。彼女が心から仲間と看做す事が出来る者は、吸血鬼の『祖』の鞍替えを可能とする。恐らくルスケスですら、こんな力は持っていない」

 リヒャルトは、何故ノブレムの面々が新祖の系列になったのかという、極めて重要な部分を考察していた。彼女は特別な儀式を施した訳ではなく、ただ出現しただけで自らの系列を一挙に創出したのだ。考えてみれば、これはあまりにも特異な現象である。

 そしてリヒャルトは、非常にシンプルな結論を導き出す。つまり新祖の系列とは彼女の顔見知りであり、更に言えば彼女が仲間と思う者達である。ならば彼女が仲間と認識する吸血鬼は、自動的に新祖の系列となるのだろう。それも恐らく、ジューヌが本心からそのように思わねばならない。自分とエドアルトの会話をジューヌに聞かせ、そのやり取りをもって、彼女にエドが仲間と成り得るという認識を持ってもらう。そのような実験を、リヒャルトは試みたのだ。そして実験は成功した。

「凄いですね」

 状況の全てを理解したうえで、キューは感嘆の声を上げた。

「不倶戴天の真祖一党から、君達の仲間へと転生させるとは」

「いやいや、させたのではなく、彼自らの意思が最優先であったのだ。それではキューさん、これにて失礼致します。彼と共にセーフハウスへ向かわねば」

「? ああ、しかしあそこは…」

 リヒャルトとエドの姿が4Fから消える。そして入れ替わるように、1人の中国系男性が出現した。男は眼鏡を直しつつ、鼻から抜けるように笑った。

「大丈夫ですよ。例の家、早晩彼らでも使えるようになります。私と、貴方の共同作業によって」

「…その申し合わせたようなタイミングの良さはどういう事なんでしょうね?」

「プレイヤーがおんなじですからね」

 

 

VH0-5特:終>

 

 

○登場PC

・リヒャルト・シューベルト : 戦士

 PL名 : ともまつ様

 

 

 

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ルシファ・ライジング VH0-5特【『鞍替え』】