<そもそも、このジェイズ・ゲストハウスについて>

「…ああ、俺も当初はあんた達を信用出来なかった。あの兄弟の口添えがあったとしてもだ。しかしあんたは、あんた達の変容を実証してきた。だから俺も考えを改めたよ。しかし其処に来てあれだ。間違いなくハンター達は動く。取り返しのつかない事になる前に、あんた達は身の潔白を証明する何かを見つけてくれ。こちらも可能な限り協力する。…ああ、分かった。また連絡する」

 携帯を切って、ジェイコブは深く息をついた。

 電話の相手は吸血鬼組織「ノブレム」の頭目、レノーラである。先の一家惨殺事件について、彼女はひどく動揺していた。その態度に嘘は無いとジェイコブは確信している。問題は、彼女の配下達だ。彼女の制御を飛び越える事態が発生したとしても、今のノブレムの状況ならば有り得ぬ話ではない。不平不満は、彼らの内で徐々に高まりつつあるのだ。

 沈鬱な面持ちで、ジェイコブはカウンターに戻った。ジョンは勝手に三杯目をグラスに注いでいたが、突っ込む気力はとうに自分から失せている。ジョンがジェイコブを認め、顎をしゃくる。

「どうだった?」

「彼らも動くそうだ。自分の身を守る為にな。しかしハンターも対吸血鬼戦の想定に入る。その先の顛末は誰にも分からん」

「そうか。互いが自重しなければならねえな」

 その言葉に頷き、ジェイコブは自らもグラスを取ってワンショットを注いだ。グラスに口をつけて、ふと思い返した。ジョンに問う。

「そう言えば、5つの怪異現象とか言ってたよな。もう1つは何だ?」

「ああ、その事なんだがな」

 ジョンは口元を嫌らしく曲げ、天井を指差した。

「この上の階の事だよ」

 

 ちょっと前に、3階の空き部屋を借りた事があったろ。疲れて疲れてどうしようも無え時にさ。床に申し訳程度のカーペットを敷いてある最低の寝床に身を横たえたんだが、飲み過ぎですぐに小便がしたくなってな。面倒臭え事にこのビルは、1階にしかトイレが無い。しょうがねえってんで、1階に下りて、思う存分放尿して、また階段を上ったんだ。段差を踏みしめる度に頭がガンガンドラムを叩きやがる。早く寝たかったんだが、ぐっと堪えて階段を上りきったんだよ。

 そしたらどうだ。廊下が無い。つまり俺の部屋も無い。何だこりゃと思って、しばらくがらんどうの広間を歩き回ったんだ。そして気がついた。何処にも窓が無い。何がしかの物品も置いていない。更に驚いた事には、あの広間には果てが無い。遂に俺もどうかしちまったのかと思って、そしたらえらく疲れ果ててな。その場に座り込んじまった。

 で、いきなり目の前に下りの階段が現れやがった。びっくりして立ち上がったら、声が聞こえてきたんだ。いや、聞こえたっていうより、声が頭に直接飛び込んでくるような感じだったかな。男か女か、若いのか年寄りか分かんねえ声でそいつは言った。『降りなさい』だとよ。

 俺もこんなとこにゃ何時までも居たくねえから、素直に従って階段を下りたんだ。すると其処は見慣れた3階だった。振り返ったら、降りてきたはずの階段が綺麗さっぱり消えている。其処から先は憶えていない。気がついたら朝になって、きったねえカーペットの上でコートを抱き締めている俺が居たよ。

 

「酒の入り過ぎで幻覚でも見たんじゃないのか?」

「と、俺も思ったね。しかしありゃ幻覚じゃない。俺は酒を呑んでいる時の方が、頭が冴え渡るんだよ」

 言って、ジョンはぐいと身を乗り出した。こうなると彼を押し留める事は不可能だ。徹底的に分からない事を追求するその姿勢は、SFPDのはみ出し者であるとしても、ジョンが生粋の刑事である事の証左だった。

「ジェイ、浅い付き合いじゃねえだろ。俺に隠し事はよせ。悪魔だ悪霊だのから人を護り、扉に呪術を施したこのジェイズ・ゲストハウスは、ただのオンボロビルじゃねえ事くらい百も承知だ。前から変だと思っていた。ここは武器類のカスタムアップなんて、他の酒場じゃやってねえ事をしている。そいつを預かって、お前は何処に行く。確か階段を上って行ったよな。教えろ、ジェイ。このビルには、外見からは分からない『4階』が存在するんだろ」

 まるで尋問だとジェイコブは思った。しかしここまで事実を突き出されると、もう彼から言い逃れは出来ない。それにジョンは、ハンター達の活動を深く理解する頼もしい協力者であり、何より自身の親友なのだ。ここで黙り込むのは男ではないし、また彼の信頼を裏切る行為だと、ジェイコブは思った。だから包み隠さず知っている事を話そうと、ジェイコブは腹を括った。

「実は、4階から上が何なのか、俺にもよく分からないんだ」

「…泣けるぜ」

「まあ聞いてくれ。本当に分からないんだ。俺は10年以上も前に現役から引退して、先代の『酒場』経営者にこのビルを譲り受けたんだ。その先代も、前の所有者から引き継いだらしい。多分その前からずっとだ。分かっているのは、ここは普通の武器を『この世ならざる者』に通用するそれに進化させる何かが居るって事だ。武器を持って行って、必要事項を紙に書き込み、3階から天井裏に置いておく。1日くらいすると、そいつは呪的アイテムにカスタムアップされているって寸法だ。そうそう、勿論金はきちんとアイテムに添えておかないとガン無視される」

「金を取るのか」

「この世は金で回っているんだよ」

「その何かってのは、何だ。人か? それ以外の何かか?」

「それが分かるんなら、こんな回りくどい言い方はしない」

 ジョンは頭の後ろで手を組み、難しい顔になった。確かにジェイコブは全てを曝け出してくれたが、一方でますますこのビルの事が分からなくなったのも事実だ。こうなると、好奇心が体の奥からむくむくと持ち上がって来る。先ほどの事件といい、凄惨な出来事ばかりを見るのも疲れ果てた、というのが正直な所だった。

「ジェイ。俺はこのビルを、ちょっと調べさせてもらうぜ」

「構わん。調べるな、という話は聞いていない。禁忌になっていないのなら、もしかすると4階から上の『何か』も、誰かが自分の所まで辿り着くのを待っているかもしれない。尤も、これは俺の単なる思い込みだが」

「感謝するぜ。さあて、そろそろ署に戻るか。払いはカードでいいか?」

「使えんよ、そんなもん。知っているくせに」

「だよなあ。偽造カードなんか使われちゃ、たまったもんじゃねえからなあ」

 その部分だけ、ジョンは声を張り上げた。後ろでハンターの内の何人かの肩が、大きく上下した。

 ジョンは片手を挙げてジェイコブに別れを告げ、帰りの扉に向かい、ノブに手を掛けて、しかし回すのを止めた。振り返り、自分が居なかったかのように振舞うハンター達に向け、こう言った。

「感謝する。お前らに」

 今度こそジョンはジェイズを辞した。

 そろそろ東の空が白み始めている。相変わらず霧は濃い。見通しは悪いが、何とかなるだろう。そう呟いて、ジョンは自らの居場所へと足を踏み出した。

 

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