むくつけきまれびと弐

 ブリュンヒルデお姉様ことブリ姉は、相変わらず元気に槍を振り回しておいでですか。おはようございます。偶に脳味噌ドッカンを起こしてヤカンを振り回しているゲイッロンドゥルちゃんですよ。今日もまずまず元気です。

 私は只今、毎度毎度のお馴染みであります月夜見宮、神域の板間で卓袱台を前に座っているのですが、差し向かいにはアレが居ます。柘植です。ほら、何だかパッとしない、しかしツクヨミさんには妙に気に入られてしまったパッとしない男と言えば分かり良いでしょうか。

 そのパッとしない柘植は、ワンちゃん101匹をツクヨミさんのところへ連れてきた時点でお役御免と思っていたにも関わらず、ツクヨミさんに夢枕に立たれて「宮に来てたもれ」とかまされた訳です。で、来たは良いが、当初は完全にオドオドしていたという按配です。何か悪い事したのがバレたのか。そんな感じ。間違いなく気にしているのは「コインパーキングにコインを入れなかった」事のようですが、気にする相手は伊勢市警察にした方が良いでしょう、柘植。観察する分には大層面白いですよ柘植。

 しかしツクヨミさん、「耳を揃えて300円出されよ」と恫喝するつもりは無いようです。何かと言えば、縁を更に強めたいのだとかツクヨミさんは仰います。強める事によって、自らの意思を人間に対して更に疎通し易くするのだと。大抵の場合、何を考えているのか今ひとつ分からないツクヨミさんですが、今回も狙いどころがまるで掴めませんでした。まあ、人間と気楽におしゃべりしている間はこの御方も大層御機嫌ですので、精神衛生上よろしいのではないでしょうか。そして私に白羽の矢が立ちました。何と私、柘植としばらくおしゃべりの刑ですと。

『いや、白羽の矢とは神に捧ぐ生贄を撰するを意味し、かようなものを私は忌み嫌うので表現としては不適切であるよ』

 細かい事ぁ良いじゃありませんかツクヨミさん。何でまた私がパッとしない男とおしゃべりせにゃならぬのか、という意味合いにおいては白羽の矢です。そもそも何で私が選ばれたのですか。その辺の女官に頼めばよろしいのに。

『そなたはそう、初心者に向いている神だと私は考えているんだ』

 どういう意味ですか。えらく失礼な事を言われたような気がしますが。まあいいでしょう。しゃべりますよ、私は柘植と。

『こんにちは』

 柘植、ちょこんと縮こまっていた肩を大きく跳ね上げ、不安そうに周囲を見渡しておいでです。私は真正面に居るのですが、こ奴には私の姿が見えない、という訳です。ツクヨミさん曰く、縁が無いから目視も効かぬも当然という次第。そして柘植は、くるりと向きを変えて座り直し、ぎこちなく指を突いて頭を下げましたね。このトンチキ。私は正面に居るというのに。何故に柘植の冴えない後頭部を見ながらしゃべらねばならんのですか。しかし許しましょう。何しろ神様ですゆえ。慈悲の心で許しましょう。

「こんにちは。ゲイ何とかという名前の神様」

 ぶち切れました。

『ゲイッロンドゥル! 私の名前はゲイッロンドゥル。この地方の蛮族には困難な発音かもしれませんが、ほれ頑張って言ってみなさい』

「音節は何処で区切ればいいのですか」

『区切る音節などありません。流れるように、詩を詠うようにさらりと流すのがコツです。簡単です』

「難しいです」

『困難を乗り越えて進化するのが人間ってもんでしょうが』

「略して読んでは駄目ですか」

『それをやられたらヨヨと泣きますよ。ほらほら』

「…ええ、ゲイロンドル?」

『ッとゥは何処に行ってしまったというのですか。まあ良いです。こんにちは。改めて貴方の御名前を問いましょう。何という名前ですか?』

「柘植善人と申します」

『ほう、柘植というのは略式なのですね』

「いや、略式っていうのはちょっと。柘植は苗字で、善人は名前です」

『苗字? 名前と苗字とやらは同じものではないのですか』

「何て言うか…苗字は俺を含めて構成される家族の総称みたいなもので、名前は俺個人のものです」

『個体識別名称という事ですか』

「何か違いますけど、まあそんなものでしょう」

『私の個体識別名称はゲイッロンドゥルですが、その意味で言えば私の家族の総称はワルキュリュルですね』

「ワルキュ…何です?」

『これまた発音が困難ときましたか。この呼び方は情感が無いので好きではないのですが、仕方ありません。ヴァルキリーの事です』

「ああ、ワルキューレですか! 凄く有名ですよ。ワルキューレの冒険というレトロゲームを知ってます。ワルキューレがガチャピンのバッタもんみたいな手下を従えて敵を剣で斬るんです」

『有名というのは嬉しいのですが、何だか微妙な気持ちになりましたね。で、貴方の御名前の意味は?』

「意味ですか?」

『名前には意味があるものです。例えば私の名前には「槍持ち突進する者」という意味があります。由来なくつけられる名前などはありません』

「そういう事ならば、柘植というのは、地名を指しています。そして善人は親に名付けられました。善い人になれ、という意味だと思います」

『親御さんの願いは叶えられましたか』

「あんまり叶えられませんでした」

『ならば精進するが良いでしょう。親を大切になさい。先祖を敬いなさい。故郷を愛しなさい。さすれば名に恥じぬ徳を高める事が出来るでしょう』

「何だか神様みたいですね」

『神様ですが』

「すいません。しかし俺が想像していた神様とは、随分違うので驚きました。月読尊もそんな感じなんですが、もっとこう、神様というのは意思疎通が困難なのではないかと思っていたんですよ。何しろ俺達人間の認識を上回る超越的存在ですから」

『その点について言えば、人間の認識に神の側が合わせてきた、というところかもしれません』

「何故わざわざ合わせるんです?」

『さあ?』

「さあ、って」

『私もピンと来ないのです。しかしどうやら、神々は人間の認識の変化に応じて様々に姿を変えるらしいのですよ。こうして世間話めいた会話が出来るのは、つまり大昔ほどには神々に対して人間が屈服していない、という事なのでしょう』

「確かに屈服していないかもしれませんが、敬意は忘れないようにするつもりです」

『私に対してもですか?』

「勿論です。俺よりもずっと長く存在された方だし、何よりゲイロンドル様には清浄なものが感じられます。人間である俺に、噛み砕いた平易な言葉で語りかけてくれています。ですので、尊敬を申し上げます」

『相変わらず変な発音ですが、許します』

 尊敬を申し上げる。というのは実に甘美な響きです。冴えないあんちゃんであるところの柘植が、何だかストラディバリウスのように思えて来ました。それは言い過ぎました。

 ワルキュリュルを構成する1人である私は、しかし人間からすれば連ねられた1つの名前でしか認識されていなかったのだと思います。ワルキュリュルは幸いネームバリューがありましたが、さもなければ名前を忘れ去られ、存在意義を無くし、空気に拡散してこの世から消えてしまっていたのではないかと。かような漠然とした不安をば抱えておりましたが、たった1人でも我を尊ぶ者が居ると知るのは望外の喜びです。名前の発音は全然違いますけどね。「ギョエテとは 俺の事かと ゲーテ言い」なんてことわざもありますので、この際名前どうこうには拘りますまい。

 そしてこの喜びを表現する為に口から出た言葉は、私自身にも予想外でした。

「ありがとう、柘植」

 間抜けに明後日を向いていた柘植が、面を上げてこちらへと振り返りました。そしてその目で、私の存在をしかと確かめましたよ。あらあらまあまあ。この者、人の身でありながら神を直視出来るようになりましたね。私達は人間を視覚的に認識出来るのですが、逆に人間の側は本来無理である訳です。どうも存在する次元が違うかららしいですが、私にはツクヨミさんが何を言ってんだかさっぱり分かりませんでした。が、それを乗り越える為のコツがあるともツクヨミさんは仰いました。神と人間が、個人的に縁を作る事であるそうな。つまり私と柘植の間に縁が成立したのですよ、理屈上では。マジですか。ただただ実の無い会話をしていただけですのに?

 それにしても先ほどから気になるのが、柘植による何とも微妙な面構えです。躊躇とも困惑とも違います。間違いなく見とれている訳でもありません。思っていたのと、何か違う。そうそう、それそれ。何だそれ。控えめに言いましても、私は自分の事を相当の美少女だと思うておりますが、違うとは何が違うのか。言葉を出しあぐねている柘植に私は聞きました。

「感想をどうぞ」

「何か、あんまりパッとされませんね」

 ぶち切れました。

 背後に寝かせていた槍を電光石火の速さで拾い上げ、くるりと回して穂先を柘植に向け、私は怒髪天を突くの顔で言いましたね。

「ブッ刺します!」

 

えにしをつむぐ

 ここで人間をブッ刺してしまうと私も邪神の仲間入りですので、やっぱりそれは致しません。振り上げた槍の仕舞いどころを如何にせんと考えている内に、柘植は「あんぎゃあ!?」などと面白い悲鳴と共に遁走し、私はツクヨミさんのとりなしという格好を得て、これ幸いと槍を収めたという次第。ツクヨミさんが苦笑しつつ指を鳴らしますと、柘植が当初と寸分違わぬ格好で正座をしておりましたとさ。何がどうなっているか分からない顔の柘植に、ツクヨミさんは努めて優しく言いました。どうやらツクヨミさんは、柘植に未だ己が姿形を見せていない御様子です。

『そなた達人間は建前という表現をあまり良い意味で使わないが、私は人間の美徳だと解釈している。建前とは自らの本音を抑制すべきという、如何にも人間らしい気遣いの発露なのだ。何時も本音を丸出しにしていては、他者との関係構築に支障をきたすからね。然るに、思った事をそのまま口に出すのは良くない事だ』

「申し訳ありません、緊張がほぐれ過ぎて、敬意を欠いておりました。これからは口を慎みます」

『ま、口を慎んでも人間の考えている事は大体分かってしまうのだけどね』

「マジですか」

『気になさるな。人の心の内にまでとやかく言うほど、神は狭量ではない。翻ってゲイ殿。そなたもこの者に対して散々「パッとしない」と思っていたであろう? それは些か狭量であると感じるのだが、如何か』

 んが。と、言葉を呑んでしまいました。

 確かに私は、柘植に対して当初から睥睨する目線を維持していたように思います。何となく自分が存在としては上位であると、そんな気がしていた訳ですね。しかしながら、私が考えていた神とはそういうものです。人は神に平伏し、神は人を見下ろして裁定を下す。しかし日ノ本に来てから、と言うよりツクヨミさんのところで世話になり始めてから、どうも勝手が異なるのです。神と人が目線を同じくして敬意を払い合うという在り方に、私は段々と染まりつつあるように思えます。ブリ姉、私は人間に対して少々居丈高であったのかもしれません。ここはもう少し、緩やかな心持ちで柘植に相対してみる事としましょう。

「それでは柘植、私のどこが『パッとしない』のか教えて下さい」

 柘植の顔が真っ青になりました。厳しいとこを突いてきたという面持ちです。私は案外執念深いのです。言いなさい、柘植。

「言うんですか?」

「言いなさい」

「まず、手下が居ません」

「ガチャピンから色を抜いて身長を圧縮して死んだ目にした奴の事ですか」

「俺は其処までは言っていませんが」

「ワルキュリュルに手下は存在しないので、柘植は何か勘違いしているようです。他には」

「髪が金色ではありません」

「銀色でもいいじゃありませんか」

「ゲームのパケ絵は金色だったもので」

「いい加減ゲームから私を切り離して下さい。いい歳してゲームと現実を混同しないで戴きたい。他には」

「表情が、思ったような感じではなかったのです」

「物凄く失礼な事を言いましたね柘植。まあ宜しい。どんなツラを期待していたというのです」

「お顔は整っているんですよ。ちょっと浮世離れした綺麗さがあります。しかし何と言いますか、神様とはいえ、女性ですよね? 女性が武装して戦を煽り立てるというのは、相当に気合の入った所行であると思うのです。だから表情は凛々しく、覚悟を決めている。それが俺の考えていたワルキューレの面構えだったのですよ。翻って、ゲイロンドル様の表情は…」

 と、言いかけて、柘植は慌てて口を閉じました。とっさに思い浮かべた絵面を口に出すのはマズイ。そんな感じ。それでも考えている事は駄々漏れです。女神様をなめて貰っては困ります。あっと言う間にヴィジョンが頭に飛び込んで来ましたよ。

 

 ヴィジョン。

 

「ケツを出しなさい!」

『はいそこまで、そこまで。ゲイ殿、槍をお仕舞いなさい。一体何処に突き立てるつもりなのだ』

 さすがに我を忘れましたね。何あの絵面。私はそこまで目が泳いではおりませんし、何も考えていない訳ではありません。複雑な思考が面倒臭いだけです。しかし人間から見れば、それほど私の顔には覇気がありませんか。等と思うと、ホイヨートホーな猛りがピタリと収まりました。我ながら不思議。

『この方は戦を司る神で、元来気性は荒いのだ』

 またぞろ遁走して即座に連れ戻された柘植を前に、ツクヨミさんは何でもないように言いました。

『しかし自制する術を彼女は知っている。この日ノ本で変容しつつある外来の神々の一柱という訳だ。ともあれ、そなた達は面白いね。人間的表現を借りれば、波長が合うという事であろう』

「そうでしょうか」

「そうなんでしょうか」

 あ、柘植と私の感想が同期した。

 そろそろ潮である、と言い置いて、ツクヨミ殿は存在の質を変えました。妙な表現ですが、そうとしか言い様がありません。柘植が物理的に視認出来る位置に下りてきたという事です。いきなり神が目の前に顕現すると、大抵の人間は目が潰れるか脳が溶けるかなのですが、つまり頃合良しと判断をされたのでしょう。

 突如現れたツクヨミさんに驚きつつも、柘植は言葉を失くしておりましたね。ああ、これは間違いなく見とれていやがりますよ、柘植。男の神に目を奪われ、女神たる私を緑生物扱いとはどういう了見でしょうか、柘植。

 ま、それも仕方ありません。特に日ノ本の原住民であるならば。人間の中にも美しい見た目の者は居るのでしょうが、夜空の月を上回るほどとは思えませんね。日ノ本の人間はツクヨミさんを月と同一視していますので、多分柘植にとって、目の前で満月が微笑みかけたに等しいインパクトを食らったようなものなのです。そして私は何ゆえ緑生物。

「さて、こうして向き合うという事は、意思を疎通させるうえで大事だと私は考えている。互いの顔を見る事で、真意を伝え合えるものだからね。私はそなたに問いたい事があったのだ」

 ツクヨミさんは身を乗り出し、柘植の目を見据えて言いました。

「そなたは桑港(サンフランシスコ)で何が起きているのかを御存知か?」

 

ぜんざおわり

 前座って。この得る物の無い会話が全て前座だったと。そりゃリアクションが駄々長くなるも致し方ないですね。

 話を戻します。質問の意味がよく分かりません。心を読まずとも、そんな事を考えている顔でしたね、柘植は。かく言う私もサンフランシスコという街の名前に関しては、ブリ姉とカマトトとゲイ2の主戦場である、という事くらいしか分かりません。後はアシカがゴロゴロしているとか、くり抜いたパンを容器にしたクラムチャウダーが旨そうとか。重ねて問いますツクヨミさんが。

「あの街で起きている大きな異変について、人であるそなたは何か情報を得ているのか?」

「異変ですか?」

 柘植、顔にますます「分かりません」の磨きをかけて参りました。

「いや、別に…。確かにここ最近は、でかい自然災害やら民族か宗教の紛争がやけに多いとは思いますけど。そういった話をサンフランシスコでは聞きませんが」

「矢張りか」

 深いため息を吐き、ツクヨミさんが指で手早く長方形を描きます。すると柘植の傍らの景色が切り取られ、雑然とした部屋の状景が向こう側に見えるようになりました。引っ繰り返る柘植。引っ繰り返るというのは非常に驚いたという心境の比喩表現ですが、神さんの前で後方でんぐり返りをする人間を見るのは初めてです。面白いですね柘植。

「俺の部屋だ!?」

 そりゃ驚きますわ。

「インターネットであったか? 調べ物をするに便利な道具と聞く。ちょっとサンフランシスコについて調べては貰えないだろうか」

「ちょっと待って下さい。ここに来るまで割と2時間かかります。最初からこうして呼んで貰えるとかなり助かるんですが」

「神の袂に時間をかけてやって来る、という行為は決して無為ではないと私は考えているよ。それに柘植殿、そなたはいきなり部屋の景色が切り取られ、向こう側で私が手招きするという私的事情全無視の所行を如何に思うであろうか?」

「…すいません。今後も夢枕でお願いします。PC立ち上げますんで、ちょっと待って戴けますか?」

 柘植は恐る恐るの按配で神域と小汚い部屋の境を越え、PCとやらのスイッチを入れて何やら指を動かし始めました。

「NFLの49ersを調べているんですが」

 えぬえふ何とかないなー? 一体何が無いなー? と、ここで突っ込みを入れるとまたぞろ話が横に逸れて行くので、取り敢えず脇に置いておく事に致します。

「ゲームの結果は出ていますよ。またプレイオフを逃してますね。ホームゲームもキャンドルスティックパークで行なわれていましたし(2010年3月の設定)、別に問題は無いように思うのですが」

「パークというのは、街中にあるのかい?」

「いえ、かなり郊外にありますね。あれ?」

「どうした?」

「ナイナーズ繋がりでサンフランシスコ・クロニクルの記事を見ようと思ったんですが」

「ズ繋がりが無いとはどういう意味ですか」

「すみません、ゲイロンドル様は少し黙っていて戴けますか。で、その会社の記事が去年から更新されていません。街中に本拠地がある、結構大きい新聞社ですよ」

 其処から柘植は、目の色を変えてテレビの画面を覗き込みました。おかしい、何でと呟きながら。そして上げた顔は、当惑の色有り有りという按配です。

「スポーツだけじゃないです。サンフランシスコに関する記事がほとんど更新されていません。空港は機能しているのに。天気予報まで出ていない。どうなっているんだ?」

「成る程。あの街が霊的に封鎖されているのみで、事は済まなかったという訳だ」

 ツクヨミさんは私に顔を向け、幾分深刻な面持ちで言いました。

「ゲイ殿は、そなたの姉上や妹に、語りかけるようにして物事を考えている時があるね」

「ように、ではなく語りかけております。私達は心の内で繋がっておりますゆえ」

「しかし向こうから答えは返ってこない」

「それはそうでありましょう。仰います通り、サンフランシスコは霊的封鎖が継続しております。ツクヨミさんほどの格がおありでしたら意思の突貫も可能かもしれませんが、私くらいでは一方通行になっても仕方ないです」

「それでは、一方通行を承知のうえで、語り続けるのは何故か?」

 何か言おうとしましたものの、私は返答に窮してしまいました。ブリ姉、私は自身の身の回りの事を出来るだけ伝えて、健在を報告しようと常日頃思っていました。しかし件の封鎖が解かれなければ叶わずと分かっていたはずなのです。無駄を承知で、という抵抗心からではなく、私は無駄と言う事実を何となく度外視していました。何となく。

 そしてとどめに、ツクヨミさんは恐ろしい事を言いました。

「認識が曲げられている。人間のみならず、神々と称される存在すらも。私達が総力を挙げて日ノ本に防御を張ったにも関わらず、民はおろか神にまで心理的な操作が加えられてしまったのだ。結界で遮ってもこれであるなら、恐らく全世界の規模で人心操作が完了している。今やサンフランシスコという街は、世界の誰もが関心を失くしている」

「そんな馬鹿な」

 柘植の声が裏返っております。

「これだけ情報網が発達した現代社会で、そんな事が有り得るはずがありません」

「あるのだよ、柘植殿。そなたは自分の目では見えなかったものが存在していると知った。そして逆に見えていたものが見えなくされたという訳さ。サンフランシスコは大きな街で、観光でも有名な都市だと聞く。人の出入りもさぞ多かろう。しかし今やあの街は、ある時点を境に中から人が出られなくなってしまった。前代未聞の非常事態に対して、外の人間は全く気にも留めていない。親兄弟や親族との連絡が取れなくなっても、無関心が維持されている。これだけの人心操作が、一瞬の内に世界規模で行なわれたんだ。柘植殿、敵は人心を掌握ないしは誘導して攻めて来る。かような所業は断じて許し難い。であるので、私達と一部の人間達は彼奴らとの戦いを継続している。敵の名はルシファ。そしてサマエル。またの名をサタンとベリアルは言っていたな。柘植殿、そなたは知っているか?」

「あの堕天使が実在するんですか!?」

 ビキビキと音がしたかと感じるくらい、柘植の顔が引きつりましたね。如何に信仰とは無縁であるような柘植とは言え、さすがにルシファだのサタンだのの名前は承知しておりました。大した知名度です。それに比べてゲイッロンドゥル。実を言えば、今までビタ一文知らなかったけれど名前が面白いから、という理由で登場したのですよ。私って神さんは。

 と、何時の間にやら柘植が私の顔を凝視しております。あらあら、ようやく私がそれなりの美少女であると思い知ったのかしらん。

「ゲイロンドル様、あまりピンと来てない感じですね」

「この勘所の鈍さは、素晴らしく貴重な才能だと私も捉えている」

 顔云々の話題ではありませんでしたが、どうやらツクヨミさんも交えて私は褒められているみたいです。

 柘植を呼び戻して目の前に座らせ、ツクヨミさんは彼の肩に手を置いて言いました。

「私は戦いが苦手だし嫌いだ。へそでも眺めて、夜を極力穏やかにする務めに勤しんでいたい。しかし敵が攻めてくるのならば話は別だ。彼我の圧倒的な力の差を私は認めるが、おいそれと屈するつもりも無い。その為には日ノ本の人心を纏め上げる必要がある。先に申した心の侵略を跳ね返し、人の意識を私達に集中させる。さすれば神としての真価を発揮し、彼奴らを破る力も得られよう。つまり私は、私達と日ノ本の戦の実在を民に告知する用意がある、という事だ。勿論、相当追い込まれなければ、其処まではしない。しかしやらねばならぬと決めた時、私はやる。そこでそなたが必要になるという訳だ」

「すいません。聞いているだけで頭がグラグラしてきたんですが。戦ですか? 戦ってそんな。戦のファクターとして俺が名指しされる意味が、どうしても分かりません」

「うむ。そなたには私の声を人の世に拡散させる為の媒介役になって戴きたい。いや、実を言えば既になっている。役割は単純で、分かり易く言えば電波塔のようなものなんだ。全く難しくないので、気楽に構えていて欲しい」

 逃げねば逃げねば、嗚呼逃げねば。そんな気持ちが如実に顔に出ていますよ、柘植。

 かような悲喜交々を知ってか知らずか、ツクヨミさんは微笑みながら肩にかける手の力を強めました。逃がさぬよと言わんばかりでございます。

 

 

 

 

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ルシファ・ライジング 【日ノ本要塞:たしょうのえん】