月へ!
鬼哭谷へ初めて訪れてから八ヶ月が過ぎ、今、私達はロシアのリューリク宇宙基地に居る。そして近い内に、宇宙へ駆け上がるのだ。月を目指し、アナスタシアの精神が封じられた場所へ。このような展開になるとは、あの八ヶ月前には予想もしなかった。色んな出来事があったが、人生においてこれだけ濃密に生を過ごす経験を、今後私は得られるのだろうか。
封じられた後舁は、大量のおとりで欺きつつ全く別行動を取った本命を仕立てるという、非常に複雑なルートを形成した私達の作戦によって、滞りなく基地へと搬送する事が出来た。中途の十弓士による襲撃は3回。船、港、そしてリューリクに向かう地上行。何れも弓使いには有利ではない状況下であり、撃退に然程の苦労は要しなかった。矢張り最大の脅威である後舁を欠いた戦力では、それなりに彼等との戦い方を心得た私達と対するには力が足りなかったらしい。無論、数で押してくる相手に対し、こちらもロシアンマフィアを金で雇う等の工面をしてくれた者が居たお陰で、上記のような暢気な台詞を吐けるのも実際である。慢心は禁物だ。
それにしてもスパルタカスの動向は厄介である。彼らの目的が人格交換の秘術を持つ逢蒙との接触である事は、大方予想の範囲内だった。それを得る為に鬼哭谷への助力を申し出、良い心証を得ようとしたのも、まあ、頷ける。問題は彼等が十弓士側にも援助を施していたという点だ。今回、この情報は敢えて表ざたにしなかったが、双方を両天秤にかけた程度の策略であれば、それはそれでいいと私は思っている。こちらも彼等を表向きに利用するだけの間柄なのだから。もし、もう一つ裏の意図があったなら、危険だと思う。ここでその予想を書くのは取り敢えず止めておくが、彼等は信用に値する組織ではないとの確信が深められたには間違いない。
スパルタカスは、何故人格交換の秘術を求めるのだろう。確かにあれは、ドレーガを滅ぼす数少ない手段の一つである。ドレーガの根絶を標榜する彼等にとって、得ておきたい一手ではあるだろう。ただ、それ以外にも色々と使える秘術でもある。何しろ交換できる人格は種族を選ばない。ロアドをドレーガ同様の不老不死にも出来る、倫理的に極めて問題のある代物だ。何が問題と言えば、移された方の人格のその後に、何等の配慮も無いという点に尽きる。そんなものが組織的に運用されるような事態は、私的にあってはならない事だと考える。私達はそろそろ「以降」というものを踏まえて、これからの行動を決せねばならないのだろう。
取り敢えず、今だけは考えるのを止めておく。何しろもうすぐ船は空に上がるのだ。突っ走る以外の逡巡はしたくない。
追記1。
宇宙船「MARVAN」を名づけた屠龍隼は、昔うちの道場に通っていた女の子だ。ひたすら元気な子であったが、そんな彼女が宇宙船打ち上げへの多大な貢献をしてくれた事は感慨深いし、ここに来る事が出来なかった人々の名を船名に冠した配慮について、心の底からありがとうと言いたい。
追記2。
今回は香車の長女である董子が、クリス・スカイフィールドという如何にもなアメリカンと一緒に助っ人に来てくれた。これで香車兄妹全員が此度の話に関わった事になる。地味に大したものだ。実はこれから、彼女に一手を申し込まれている。正直体はしんどいのだが、彼女が何処まで成長しているかを確かめるのも楽しみだ。一番楽しみにしているのはクリスみたいだが。
追記3。
今私が組んでいるフェリオンのエレン・エレンジッタは、美人でいかす女だが、話しづらい。私の方が遥かに背が高いのに、上から見下ろされているような気がするのは不思議だ。
追記4。
鷹乃瞳の瞳は、最近文字通り鷹のようになってきた。あれだけ作戦を考え、全体の調整に気を配り、死傷の無きよう心を砕いているのだから、それは当然なのだが。それでもオレと居る時は気を楽にしていいぜ、と言っておきたい。どつきあいはからきし駄目な彼女だが、接近戦闘「だけ」なら誰にも遅れを取らないオレが傍に居るじゃないか。
追記5。
ユージン・コワルスキーはリューリク初期から関わった、断言するが最大の功労者だ。そんな彼も打ち上げ時には管制と基地防備に回る訳で、果たしてマルヴァーンに乗るのか否かが目下の興味である。
追記6。
次のひーろーすーつはライカ犬で決まり。絶対帰ってくるけどな。
追記7。
オレは「彼」の事を忘れてはいない。
追記8。
味噌ラーメン8杯。回転寿司72皿。
文責:香車仙輔