負けるものか
REX・ウォーカーは、ドレーガの己がロアドに寄せる感情もかくやという愛情をアナスタシアに抱いていた男だった。その感覚は正直私にはよく分からないものだが、アナスタシアを汚すものは命を懸けても取り除くとの決意は純粋だったのだろうとも思える。その気持ちの迸るままに、修行中に騒動を起こして彼は自滅する。
亜真音ひろみは、顔を合わせた時間はごく僅かだったけれども、優しい人だった事はよく覚えている。彼女は人を守るという自らの信条を体現し過ぎた人であり、結局上記の騒動に巻き込まれてしまった。人を守る為には自らを守る術を知る事も必要だろうにと、彼女には一度話をしてみたかったのだが、今はもう叶わない。
中里拓真は小さな子供で、如何にも彼の年齢らしい率直さでアナスタシアを想い、それが彼女を守るものとしてあるべき姿だというアイデンティティを持っていた。或いは持たされていたのかもしれない。だから彼女の存在自体に対する真偽への疑問に突き動かされるのは当然だったのだろう。それがあのような形で裏目に出るとは、私も思わなかった。
名前も聞けなかった四人の紋章持ちについては、実は一度彼等が一体どういう人達なのかを調べてみようとした事があった。結局それは出来ぬ内に鬼哭谷は大きな混乱に向けて動き始めてしまう。年齢は。性別は。どれだけの技術を持っているのか。彼等は何故この谷に来たのか。そんな何もかもが有耶無耶にされたまま、彼等は雪の野に晒された。
中里拓真Vスリーは、最初この名を聞いたとき、真剣に名付け親の顔が見たいと思ったものだ。彼は彼の弟がそうだったような愛嬌の人で、それでいて慎重さも併せ持っていた。弟の無念を晴らしたい、との思いはとてもよく分かる事であり、かの謎を追い求める過程で彼に協力が出来ると、そう私は思っていた。
芦屋完人は、同期の中では4番目の紋章持ちである。格闘家の私が言うのも妙な話だが、彼は私が想像する格闘家の手本みたいな男だ。静かで、厳しい鍛錬を旨とする。中々彼とは話す機会が無かったが、一度打ち解けた話をしてみたかった。こんな雪に埋まった山奥の秘境ではなく、峻厳な道場で正しく装束を着込み、正々堂々組み手をやりたいと、私は頼んでみたかったのだ。
この半年で、これだけの人の死を私は見た。鬼哭谷は
アナスタシアの姿をしている外道が宣告した後舁遊戯に対抗すべく、私達は野に出て恐ろしい弓の猛射を浴びる事よりも、屋内の限定空間で迎え撃つ策を取った。そしてその策は、建物ごと爆破するという荒業でもって頭から叩き潰される。
そうならないよう、心を他者へ移す術を使えるだけに、後舁が殺す事の出来ない逢蒙を我等の傍に置こうとしていたのだが、結局逢蒙が場を離脱してしまったのは最大の痛点だった。時間の隙間を突かれる形で、私達は何も出来ぬまま出足払いを仕掛けられたのだ。その結果もう一人、私は大切な人を失う羽目になる。
マーハ・リーはフェリオンであり、黄金の朝となった私に力を媒介する人だった。本来アナスタシアのロアドにとってフェリオンとの契約は禁忌であり、考えうる限りの総力を上げねばならないと頭で分かっていても、この契約には多少躊躇するものがあった。しかし結局かけがえのないパートナーとして互いを認め合ったのは、彼女が面白い人だったからだ。彼女は私がイメージする人形みたいなフェリオンとは違い、関西弁を操る陽気な変り種で、彼女が傍にいると楽しいし安心できる。アナスタシアのギフトは失われるのだが、それだけだ。私には深く習得した形意拳があるし、マーハがいた。
しかし、今はもう彼女はいない。体を炎に焼き尽くされ最期まで私の身を案じて、私の目の前で死んだ。よくフェリオンを「壊れる」「破壊される」などと表現する者も居るが、違う。心を持つものが動かなくなる事を、私達人間は死ぬと表現するのだ。25年生きてきて、これ程の怒りを感じた事は無い。心は沼のように静かなものだが、怒りは突き抜けると冷徹を誘うものだと初めて知った。
後舁は倒す。この手で倒す。必ず倒す。ロアドもドレーガもない。アレクサの理念などどうでもいい。ただただ人を蹂躙して嘲笑う不条理なものをこの世から抹殺する。例えそれが為せたのだとしても、私はきっとまだ足りない。何故なら、彼等はもう戻って来ないからだ。
文責:香車仙輔