名誉と責務のバランス
今月も私は、引き続き鬼哭谷研修所に残留している。
各地で活動中のメンバー各員の状況を視察するために北端の
それほどここの状況が深刻であると言うことでもあるのだが、直接的には情報公開を遙蒙によって制限されていること。それによって状況を理解した上で活動できる人間が限られていること。交渉能力の有無。以上の三点により、私でなければ遙蒙との交渉に支障が出るというのが理由だ。
研修所に残留していると言っても私は修行には参加していない。
修行を目的としてこの研修所に参集した者にとって私は異端者そのものであり、アナスタシアの精神が遙蒙の言うように後舁であるなら私たちPRエージェンシーは抹殺するべき敵であるだろう。
もとよりこの研修所にいる者の目的は様々だ。
誰が味方であり、誰が敵であるか、判断の難しいこの状況下において、真に頼れるのは身内だけということになる。
なぜなら我々は任務を帯びて行動しているからだ。
言い方を変えれば、公私の違いとなるか。
無論、公の立場――系列子会社としての活動が、私的な立場での活動より正しい訳ではない。しかし、Alexaという組織に属している者ならばどちらを尊重するかは自明だろう。
特に私は系列子会社の代表を務めている。
私がPRエージェンシーを、引いてはAlexaの益を主張するのは至極当然なことだ。
私は軍人だ。故あって軍は辞したが今でも軍人であると思っている。
そして軍人にとって最も重要な物は名誉だ。
その名誉と同じ価値だけ責務がある。
名誉と責務を全うすることは実は難しい。
しかし、それを全うしない限り、弓月亮介という男には一片の価値もないことになる。
たとえ悪鬼羅刹と呼ばれようと、私は私の責務を全うする覚悟である。
少々話が逸れることになったが、この点ははっきりさせておく必要があると思うのでこの場を借りて書かせていただいた。
さて、この辺りは射的屋の報告書とも重なると思うが、過日の遙蒙との秘密交渉において、我がPRエージェンシーは大きく方針を二つに絞った。
一つは、遙蒙の真意を探ること。また補足的にフェリオン研究施設を調査する必要も出てきた。
そしてもう一つは、遙蒙が求めるフェリオン・アーグニャの身柄を保護することだ。
そちらについては射的屋が中心になって行動している。
私は、引き続いて遙蒙との交渉に当たることにした。
彼が信用できるか否か。どちらにしても目下の有力な情報源は彼以外にはいない。
言葉を交わすことで嘘をついているなら矛盾も見えてくるだろう。
ともかく最大の疑問は彼=遙蒙が本人かどうかと言うことだ。
この場合の本人とは、後舁、嫦娥を巡る日射神話に現れる遙蒙を指すのだが、もし本人であればこの遙蒙は、〈黄金の朝〉もしくは〈黒〉ということになる。或いは元〈黄金の朝〉か。
別の見方として、「遙蒙」という名を継ぎ続けた一族という可能性もあるし、単なる偽名かも知れない。
これについては未だにはっきりしない。
ただ、この遙蒙と名乗る男の言うこと自体には今のところ矛盾はないようだ。そして何より、彼はフェリオンの研究ができる。
知ってのようにフェリオンの研究技術はロストテクノロジーとされている物だ。
それができると言うことは、或いは……いや、憶測は良くないだろう。ここで気になるのは、イゾルデという人形師の存在だ。しかしこれは、次の交渉で確認するべきだろう。
前回の交渉において、あれほど寡黙であった遙蒙だが、今回の交渉では驚くほど饒舌だった。いや、饒筆というべきか。彼の部屋は盗聴されているらしく、モバイルPCを利用しての筆談であったから。
彼が言うには、後舁の活動時期は東周時代であったという。
中国の春秋戦国時代、もしくは孫子や孔子、墨子と言った人物が活躍した時代と言えば判りやすいだろうか。約三千年近くの過去のことだ。
それがなぜ神話となったかと言えば、後舁自身が当時、より古い時代の話をばらまいたからそうだ。
なぜそんなことをしたのかは判らない。しかし、始祖と共に実在が確認された西王母が日射神話にも絡んでいることから見るに、後舁自身がロアドであった時代、後舁が〈黒〉に染められた時期がそうであったのかも知れない。
その後、夜会でも語られたように〈ソロモンの娘〉と戦い、深刻なダメージを受けて封印された。
蒐集家によれば、その後、何者かに封印場所を移されたと言っているが、遙蒙の語る事実は違っていた。
後舁の封印は大して時を経ずして解かれたそうだ。
活動を再開した後舁は、しかし自身の所在を隠した。〈ソロモンの娘〉から受けたダメージを回復するまで、封印を脱したことを他の〈黒〉に知られることを嫌ったらしい。
後舁は今で言う錬金術――方術にも長けていたそうだ。
秘術を使い、他の〈黒〉の身体を乗っ取り、自身の本体は安全な場所に隠し、様々な情報――デマをばらまいた。
針を隠すには針山の中。と言うわけだ。
しかし、ダメージは回復しなかった。
時が経つに連れ、〈ソロモンの娘〉から受けた部位が使えなくなってきたのだ。
焦った後舁は再び他の〈黒〉を乗っ取ったが事態は変わらなかった。
後舁は〈黒〉でありながら時間に縛られる存在となった。
そして今はアナスタシアの身体を乗っ取り、鬼哭谷研修所を作って新たな〈黒〉の身体を求めている。
なるほど矛盾はない。
しかし、疑問符を付けろと言うならいくらでも付けられる。
まるで三流の詐欺師が騙す相手に信じてもらうために嘘に嘘を重ねている。そうとも見えるし、後舁を倒すために敢えて獅子身中の虫になった男の必死の言葉とも取れる。
何度も言うが、目下の有力な情報源は彼以外にはいない。
遙蒙にアーグニャを引き渡すか否か、それを含め、次の交渉で決めるしかないだろう。
なお、後舁の秘術はあくまで後舁が主体だそうだ。
つまり、後舁が新しい身体を乗っ取った場合、乗っ取られた者の精神は後舁の本体に送られる。それまで後舁の本体に入っていた精神――今はアナスタシアだが――はトコロテン式に押し出されて消滅する。
私にとっては凶悪なドレーガが一人消滅するから歓迎したいところだが、そうなっては後舁を封印することができない可能性がある。あくまで推測だが。
今は遙蒙との腹の探り合いを続ける。その中に打開策を探り出す。
それしか道はないだろう。
おっと、そう言えばロシアの旧ソビエト軍秘密宇宙基地があったな。
あそこは天への唯一の道だが使えるかどうか。
追記
今回はこれまでの報告書のような「確認された事実のみを書く」方式から、「経緯・推測も記入する」方式にしてみた。こちらの方が良いようなら今後もこちらにしたいと思う。意見を求めたい。
文責:弓月亮介