アナスタシア、アナスタシア

 

 今回は大きな賭けだった。詳しくは書けないが、今、私達PRエージェンシーは鬼哭谷というシステムの、相当深い所まで食い込んでいる。その詳細は何れ白日の下に晒されるのは間違いないが、今これを明かすのは私達の身の危険に大きく関わってくる。よって非常に限定的な書き方となる事を、平にご容赦願いたい。

 さて、私はこの度アナスタシアと一戦を交えた。と、このように書くと、腕に覚えありの御方々は拳を握り締めたくなろうと思う。実際に対峙する前の私がそうだった。

 一戦とは言え、実は組み手に過ぎないし、更に言えばこれは途或る陽動作戦の一環である。

アナスタシアは紋章持ちが鬼哭谷から外へ出る事を決して許さない。どういう訳か、どれだけ逃げても必ず見つかってしまう。彼女と紋章持ちの間には、目に見えぬ何らかの繋がりがあるらしい。それを逆に利用して、私はアナスタシアを鬼哭谷から目の届かない外の世界へ引き摺り出した訳だ。

 これは予想通り上手くいった。上手く行った時点で目的は達成出来たのだが、其処から私自身の目的、アナスタシアとの組み手が待ち構えていた。正直、これは心が踊る。あのロシアの鬼神と一対一で組み合う機会など早々無い。組み手の前から圧倒される自分が予想され、さりとて三ヶ月を徹底的に鍛えた我が身、一体何処まで通じるのかを考えると楽しみで仕方ない。格闘家の性とはそういうものだ。

 しかし実際に組んでみると、大きく勝手が違うのだ。何しろ、それなりに組み手を打ち合える。かの邪悪なロジック・グレイを想像すると、アナスタシアが彼に比べて五分以上戦える力がある、とは思えない。当初に対面した折の常軌を逸した速度は、あれは何だったのだろうと思える程。否、もしかすればあの時も、見た目の速さに幻惑さえされなければ、適切な寸止めを彼女に向けることが出来たかもしれない。

 それに比べて、弓の力の凄まじさはどうだ。後から聞いた話だが、アナスタシアはたった二本の矢で、しかし激烈な運動エネルギーを内包するその弓でもって走行中の車を横転させ、他の脱走組をあっさりと制圧してのけたのだ。聞けば聞くほど、違和感の増す話である。

 後舁、という話は、修行仲間達の間で既に広く流布している。あれはアナスタシアではなく、後舁なのだと。

 確かに持てる能力は濃厚に後舁そのものだが、どうも何枚かの裏がありそうな気はする。例えばアナスタシアの体は、今もアナスタシアである。彼女のドレーガであるコンドラチェンコ教官もそう言っている。アナスタシア様であるのは間違いないと。ただ違和感を感じると。

 であるならば、コンドラチェンコとアナスタシアが同一にしているギフトという異能が、一方のアナスタシアで狂いが生じているはずなのだ。血液記憶を移されている。中身全体が入れ替わっている。考えようは幾らでもある。ただ確証が無い。それは今後の調査で、追々はっきりさせねばならないだろう。残る紋章持ちの選定期間は2ヶ月。もう時間はあまりないのだ。

 

 ちなみに、アナスタシアのようなものとの組み手は引き分け、と言うより彼女に切り上げられてしまった。何れ再び組み手を打ちたいものだ。本当の力を持つ彼女と。

 

文責:香車仙輔

 

 

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