句読点を覚えました
「日本語には句読点といってな、文章を区切りのいい所で刻む工夫があるんだ。分かってんのかこのダアホ」と、先月の、私の報告書を読んでヤスオが、報告書を読んで頭を抱えたヤスオが、心底しんどそうに私に言いますよ。言いましたので、今回は句読点という点に留意点を置いて報告書を、書いてみたく思いました。あらいやだ、私、みたくなんてまるで若い娘みたくであります。さて、犬の続きですが、相変わらず犬に変化はありません。獣使いの、主である犬は常に獣の王者の風情でもって獣使いの家という名の悪の城を、何だか守っているように見受けられます。ちょっとでも近付いたら吠えますし、あの青白い牙を見ていると美味しく食べられられたエゼリカちゃんやアンナちゃんを、思い出してのきええええいっその事突風巻き起こして犬バーガーでも作って差し上げましょうかという気もしないではありません?
ここは疑問符を使う所ではありません? 「どうでありましょう」 「何がだ」 「お犬様を皆々ブッコロ等は如何でありましょうか」 折角かように申しておりますのに、ヘタレヤスオは相も変わらず、頭突きをかますばかりです。黙って内職の手を、動かせ死体女と申すばかりで埒が開きますません。どうしましょうどうしましょうと思っている間に一ヶ月が過ぎました。結局私達は悪の城の前で待ちぼうけでありますこのダアホ。さすがのヤスオも此度はヘタレ三昧の次第でありまして、さすがに落ち込みの度合いも激しく、今度カラオケに連れて行かれてくれましょう?
それはさておき、どうも私は犬もですがあの女が気になります。どうにも居てはまずいと思えて仕方がないのです。それは本能に根ざす恐怖と申せましょうか。何れ私は戦わねばならないという気が逸る。
あれはもしかするとドレーガだろうか。だったら私は、私の存在意義に賭けて、あの女を殺さねばならない。私はフェリオンである。フェリオンがそう思うのは、人が飯を食らうと同義である。でも。何だかヤスオは、話がしたいと言っているのですが、どういうアウスターグなんだという気がしますか?
私はします。でも私のマスターですから。私のマスターは私が見たことの無い世界を、私に見せてくれるのだという気がしますか? きっと私はします。
文責:ボルカ・ボストーカ